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2002年11月21日
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 買おうと思ったが高くて断念した『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)が気になっている。田辺は昭和二十年三月に京都帝大を退官後、七月に北軽井沢に転住した。田辺が住む目と鼻の先に作家野上弥生子がいた。妻の千代との間で交際があったが、田辺と弥生子の関係に激変をもたらしたのは千代の病死だった。野上の全集には収録されていない二人の往復書簡が残っているわけである。竹田篤司は次のようにいう。

 奈良女子大学。今日から予定では八回、プラトンの『ソクラテスの弁明』の講読。何度も読んでいるのに読むたびに発見がある。学生に渡してある『原典 プラトン ソクラテスの弁明』(田中美知太郎校註、岩波書店)を初めて目にしたのは高校生の時だった。二年生の倫理社会の時間に初めてギリシア語を教えてもらったことはメインのHPの 「哲学の出会い」 の中に書いたが、ある日同級生の一人が「おやじの本棚にこんな本があった」と持ってきてくれたのである。お前が持っているのがいいとかいう話になって(本当によかったのだろうか。といっても今となってはどうにもならないのだが)なぜか僕がその本を持つことになった。持つことになったというのはもちろん読めなかったからであるが、ギリシア語の本を手にするのは初めてなのでどきどきしてしまった。
 今年は去年の続きで、ソクラテスが知者といわれている人たちのところにいって話をしたら実は知っていると思っているけれど実際には何も知らないことが明らかになるところを見たソクラテスの近くにいる若者たちがソクラテスをまねて同じことをやり始めたという話からである。知者でないことがあらわにされた人たちは、ソクラテスは不届き千万な奴であると腹を立て、ソクラテスを若者に害悪を与えるということで告訴されたわけである。
 何も知らないことを知っているというのは言葉では簡単なことに聞こえるかもしれないが深い意味を持っている。いつもこの言葉とともに息子のことを思い出す。まだ保育園に行っていた頃、よくテレビにくぎ付けになっていた息子はある日コマーシャルを見ていてこうつぶやいた。「あのコマーシャルはわからん」他のコマシャールはわかるという意味なのだが、どんなコマーシャルがわからないといっているかと思ったら「多い日も安心」というものだった。なるほどわからないだろうと思ったが、こんなふうにわかることとわからないこと、知っていることと知らないことを見極めることができるのに感心した。なんとかなくわかっているかのように思って本を読んだり人の話を聞いていることが多いように思うからである。無知は全知を前提とする。





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最終更新日  2002年11月21日 20時09分42秒
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