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おじ、おばの距離


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2004年07月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 尼崎の保育士研修会へ。夕方出かけたが、外に出た途端、暑さのため何も考えられなくなるほどだった。忙しい時期なのか、参加者が少なくて残念だったが、多岐にわたるテーマについて話をすることができた。保育の現場で培った保育士さんたちの知見はすぐれていて、毎回、僕が教わることのほうが多いと思う。

 金子書房の天満さんから電話。進行状況を問われる。もう少し締め切りなので、後少し頑張ります、と答えたのだが、目下、プリントアウトした原稿にはまだたくさん付箋がついている(解決すべき個所に付箋がつけてある)。

 最近、医院に勤めていた頃のことをよく思い出す。今夜のように疲れて遅く帰る毎日が続いた。それでも帰ってからすぐに寝るというようなことはなくて、本を読んだり、翻訳の仕事をしていた。やっと常勤の仕事に就いたのだから、もう後はこの先の人生、安定したものになる、とは思えなかった。早い時期にここでずっと働き続けることはないことはわかっていたのに、辞めるタイミングをつかめなかった。一生懸命働いたし、有給休暇を取ろうとも思わなかった。しかし、何かをしないでは一日を終えられなかったのは、仕事を辞める日がくることを知っていたからということができるかもしれない。アドラーの『個人心理学講義』が出版されたのが一九九六年の四月。この月、僕は医院に就職した。『子どもの教育』は一九九八年の四月。これは在職中の業績だった。結局、翌年の三月に退職し、退職後、九月に初めての著書『アドラー心理学入門』を出版、在職中にこつこつ訳していた『人はなぜ神経症になるのか』は、二〇〇一年の四月の出版(しばらく間があくが、出版社を見つけるのに手間取ったからである)。在職中は講演も、また京都府医師会看護専門学校での講義、さらに、奈良女子大学でも講義をしていたが(いずれも就職時の契約による)、肝心の医院での仕事に全力を尽くしていないと見られていたのかもしれない。僕は僕しかできない仕事をすることで認められ、自分が必要とされていると思っていたが、僕でなくてもできる仕事(そういうものがあれば、ということだが)すらできないようではだめだという判断が雇用者側にあったのかもしれない。そして実際疲れが蓄積し、心が弱ってくると、僕は自分しかできないと自負していた仕事すら本当はできていないのかもしれない、と自罰的になり、そうこうするうちに病気になり、やがてこれが遠因で医院を辞めることになった。退職後、すぐに本の執筆の依頼があったので、何も考える余裕もないうちに仕事に向かうことができたのは僕にとってはよかったことなのかもしれない。これから仕事に就く人には本当に自分がこの仕事をしたいのか、本質的なところで考えてほしいと思っている。常勤の仕事に就けるとあせってしまったことを思うと今も胸が痛むことがある。





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最終更新日  2004年07月09日 00時47分17秒
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