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2004年10月01日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 朝からカウンセリング。心配事があってなかなか寝つけなかったので、起きた時、まだ眠かった。虹の写真が届いたという嬉しいメール。

 ある日タクシーに乗ったら運転手さんが話しかけてこられた。「むかつくんですよね、歩きながら携帯のメール打ってるやつ」「はあ」(いいではない、僕もよくしてるし)「電話ならいいんですよ、まだしも前を向いて歩いているから、でもメールを打ってるやつは前を見ない(それはたしかにそうだ)どうせ、つまらん内容ですよ(そうでもないかも…)」僕はこんなことは少しも気にならないのだが、運転している時に事故につながったりすると死活問題なのだろう。

 たしかにその人がいっていたことには一理はある。前を向いていなければ何かにぶつかるかもしれないし、つまずくこともあるだろう。僕が「今ここに」生きるということをいう時、必ずしも足元だけ見つめるということを意図していない。たしかに先には見えないのである。見えないのに見えているかのように進むというのもずいぶんと危うい。

 それでも前にある一点を凝視したい。それは目先にある、これやあの目標ではない。僕の本から引用すると、絶壁から離れていっていると信じているのに実際には絶壁に向かっているということを回避するためにはどうすればいいか。「一つは目標に焦点を当て、常に目標を見定めていることである。自分が本当に成し遂げたいことは何なのか。このことがはっきりしてさえしていれば、いつでも一つの道に固執することなく、必要があれば撤退して別の道に進むことができる」(『不幸の心理 幸福の哲学』p.198)。他方、「目標にフォーカスできているからこそ目先のことにじっくり集中して取り組むことができるともいえる」(p.199)。僕はあえてこの文脈では、この目標が何かについては書いていない(他の個所では明言しているということである)。よかったら考えてみてほしい。

 二宮正之が「森さんが書いたもっとも美しい表現の一つ」(『私のシャルトル』p.191)として「日に照らされた悲しみ」という言葉をあげているのを読んで、どこで使っているのか気になっていた。1971年12月9日の日記の中に見つけた。

「「死んでしまえば、その後には、何もない。」そうなのだ、その時、僕は《日に照らされた》悲しみで一杯だった。そうなのだ、砂漠に水は湧いていたのだ」(全集14,p.359)。

 すぐには意味が判然としないが、この言葉についてはまた書くかもしれない。





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最終更新日  2004年10月01日 22時24分39秒
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