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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2009.06.09
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 随心院は、京都市山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師入定後8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基で、本尊は如意輪観音です。

 ”京の古寺から21 随心院”(1998年1月 淡交社刊 蓮生善隆/角野康夫著)を読みました。

 小野小町ゆかりの寺としても知られる随心院の四季を写真と文章で紹介しています。

 蓮生善隆さんは随心院門跡で、1915年香川県に生まれ、1925年得度、1937年に高野山大学を卒業後、日本大学宗教学科に入学し、宗教哲学を専攻し、1942年より興田寺住職、1970年から1995年まで総本山善通寺法主、同派管長、1987年随心院の門跡に就任しました。

 角野康夫さんは1944年京都市に生まれ、1974年頃より東都の文化財・風物等を永遠のテーマとして取り組み作品を発表する傍ら、他府県の撮影にも取り組んできました。

 随心院は山科区の南に位置し、醍醐寺、勧修寺と並び平安の歴史を伝える門跡の遺構です。

 平安期の女流歌人、小野小町の旧跡に建てられた寺で、世に小野御殿ともいわれています。

 開基の仁海僧正がある晩、夢の中でお母さんが牛に生まれかわったのを見て、急いで鳥羽の辺を探して帰り大切に育てた、といいます。

 その死後は冥福を祈り、その皮に南部蔓茶羅を画き、常に祀っていたので、これを牛皮蔓茶羅といい、寺号を牛皮山曼荼羅寺としたといわれます。



 その後、第5世の増俊阿闍梨餅の時に曼荼羅寺の子坊として随心院が建立され、第7世親厳僧正が後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来、随心院門跡と称されるようになりました。

 承久の乱にあって随心院はことごとく灰になりましたが、1599年に及んで本堂が再建され、以後、九条、二条両宮家より門跡が入山し、両宮家の由緒をもって寄進再建され今日に至りました。





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Last updated  2009.06.09 19:23:18
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