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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2011.06.28
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 フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトは、1796年南ドイツ・ヴュルツブルクの医学界の名門の子孫として生まれ、父が1歳1ヶ月のとき亡くなり母方の叔父に育てられました。

 1815年にヴュルツブルク大学に入学し、医学をはじめ、動物、植物、地理などを学びました。

 1820年に卒業し、国家試験を受けてハイディングスフェルトで開業しましたが、東洋研究を志して1822年にオランダのハーグへ赴き、国王の侍医から斡旋を受け、オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となりました。

 9月にロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して1823年4月にはジャワ島へ至り、6月に来日、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となりました。

 ”シーボルト日本植物誌 ”(2007年12月 筑摩書房刊 大場 秀章監修・解説)を読みました。

 日本の文明のために記念すべき博物書中の大著述の一つで、日本に関する博物書としてはいまなお権威のある名著です。

 ジャワ島から、

「小生は新たに抜擢された駐在官の侍医、かつ自然研究者として日本へまいります。小生の望んだものはうまくゆきました。小生を待つものは死か、それとも幸せな栄誉ある生活か」

と故国の伯父宛に手紙を送っています。



 シーボルトは出島内において開業の後、1824年に出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学教育を行いました。

 日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義しました。

 塾生は、後に医者や学者として活躍しています。

 シーボルトは、日本と文化を探索・研究しました。

 1823年4月には162回目にあたるオランダ商館長カピタンの江戸参府に随行し、道中を利用して日本の自然を研究することに没頭しました。

 1826年に将軍徳川家斉に謁見し、江戸において学者らと交友しました。

 その間に日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネをもうけました。
 1828年に帰国する際、収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、国外追放処分となりました。

 1830年にオランダに帰着し、翌年には蘭領東印度陸軍参謀部付となり、日本関係の事務を嘱託されています。

 オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本』(日本、日本とその隣国及び保護国蝦夷南千島樺太、朝鮮琉球諸島記述記録集)『ファウナ・ヤポニカ』『フロラ・ヤポニカ』の3部作を随時刊行しました。

 『フロラ・ヤポニカ』、つまり日本植物誌は、シーボルトが日々折々のあらゆる機会に書き留めた日本植物についての総決算です。



 その後、1853年に来日するマシュー・ペリーに日本資料を提供し、1854年に日本は開国し、1858年には日蘭通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令も解除されました。

 1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となりました。

 1862年に官職を辞して帰国し、1863年にオランダの官職も辞して故郷のヴュルツブルクに帰り、1866年ミュンヘンで70歳で死去しました。

 2005年にライデンでシーボルトが住んでいた家が資料館としてシーボルトの事跡や日蘭関係史を公開されています。

 生物標本、またはそれに付随した絵図は、当時ほとんど知られていなかった日本の生物について重要な研究資料となり、模式標本となったものも多いそうです。



 植物の押し葉標本が12,000点あり、それを基にヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニと共著で刊行されました。

 その中で記載した種は2300種になり、彼らが命名し現在も名前が使われている種もあるそうです。

 シーボルトはどうずれば鎖国下にある日本から最大限の資料と情報を入手できるかを周到に考え、それを実行に移したと考えられます。
 日本の植物をヨーロッパに移入し、庭園を豊かなものとし林業の活性を図ろうとし、緯度がオランダやドイツにより近い本州東北部や北海道の植物に強い関心を寄せていたそうです。

 シーボルトには、園芸的価値のある野生植物が少なかったヨーロッパに、日本の植物を導入してヨーロッパの園芸を豊かなものにする衝動があったといいます。

 日本や中国の植物を導入するため園芸振興協会を設立し、さらに営利目的のシーボルト商会を設立したのはそのためと考えられるといいます。

 鳴滝塾に集い来た塾生たちは情報収集に多大の貢献をしました。

 標本を集めるだけでなく、シーボルトが投げた課題についての報告をシーボルトに提出しています。

 シーボルトは居ながらにして、日本の各地の植物に関わる情報を集めることができたといいます。






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Last updated  2011.06.28 19:49:59
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