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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2013.04.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 大正時代から昭和初期の東京の街はどんな感じだったのでしょうか。

 ”私の中の東京”(2007年6月 岩波書店刊 野口 富士男著)を読みました。

 明治末年生まれの著者が、文学作品を手がかりに変貌を遂げた記憶に残る東京を散策しています。

 いまテレビ朝日で「若大将のゆうゆう散歩」が放映されていますが、東京論がブームになる前から著者が行っていた東京の街歩きのエッセイ集です。

 野口冨士男さんは、1911年に東京・麹町で生まれ、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学文学部予科に進んだものの1930年に中退し、1933年に文化学院文学部を卒業しました。

 卒業後、紀伊国屋出版部で編集に従事しましたが、1935年に倒産したため、都新聞社に入社し、仕事の傍ら同人雑誌に関わりました。

 1940年に長編小説を発表し、1944年に海軍に応召されました。

 戦後、1950年ごろから創作上の行き詰まりを感じて徳田秋声の研究に専念し、約10年を費やして秋声の年譜を修正し、徳田秋声研究に没頭し、毎日芸術賞、読売文学賞、菊池寛賞、川端康成文学賞などを受賞しました。

 次いで、東京・戸塚の自宅の一部を改造して学生下宿を営みつつ、無収入同然で秋声の伝記を執筆したりしました。



 1970年代後半の都電三号線になった外濠線沿いの飯田橋から三田までを手始めに、銀座、小石川、本郷、上野、浅草、吉原、浅草、玉の井、芝浦、麻布、渋谷、神楽坂、早稲田界隈を歩き、記憶を辿りつつ文学との関わりから東京の移り変わりを記しています。

 著者は山ノ手生まれの山ノ手育ちで、浅草の観音様や花屋敷、両国の川開きや洲崎沖の投網などにも親に連れていかれた記憶があるそうです。

 その後、当時まだ三田にあった慶応義塾の幼稚舎まで住まいのあった神楽坂から通い、飯田橋から市ヶ谷、四谷、赤坂、虎ノ門を経て札の辻に至る系統の外濠線沿いを毎日往復していたといいます。

 かつて自分が住んだ東京の町、あるいは自分が敬愛する、永井荷風、徳田秋声、宇野浩二、斎藤緑雨などが住んだ東京の町を丹念に歩き、その地理と歴史を調べ再現しています。

 著者は1993年に、呼吸器不全のため自宅で死去しました。

 当時書いたエッセイは、雑誌「文學界」1976年10月号から1978年1月号に掲載されました。

 単行本は1978年6月に文藝春秋から刊行され、文庫本が1989年10月に中央公論から刊行されました。

 本書は、岩波現代文庫として再発行されたものです。

外濠線にそって
銀座二十四丁
小石川,本郷,上野

芝浦,麻布,渋谷
神楽坂から早稲田まで






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Last updated  2013.04.16 19:47:53
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