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2012.10.03
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禁欲主義というやつは、矛盾を秘めた教えで、いわば、生きていながら、生きるなと命ずるようなものである 知識を与うるよりも感銘を与えよ。 感銘せしむるよりも実践せしめよ。 坪内逍遙・・・・・1859年6月22日(安政6年5月22日)- 1935年(昭和10年)2月28日 岐阜県美濃加茂市出身の小説家、劇作家 代表作『当世書生気質』『小説神髄』
2012.10.02
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Love does not consist in gazing at each other but in looking outward together in the same direction. 愛することは、けっしてたがいに見つめ合うことではなく、いっしょにおなじ方向を見ることだ アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 1900-1944 フランスの作家。『星の王子様』が代表作。
2012.10.01
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2012.09.30
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深入山 広島県安芸太田町美しい独立峰、深入山に登ってきました。 登山口の標高が815メートル、山頂の標高が1153mなので、 上り35分、下り30分です。 深入山の登山口は、東、西、南(中央)の3つありますが、今日は、南登山口から登りました。南登山口は、グリンシャワーの森です。 急な草尾根を登って行きます。 ササユリが咲いていました。 リンドウも咲いています。 深入山は花札の8月の図柄にそっくりの山です。 東尾根コース分岐です。 分岐から展望岩までの間が、深入山の肩と呼ばれている部分です。 山頂が見えてきました。 登山口から約35分で深入山山頂に着きました。 真南に大峯山、その東に東郷山や極楽寺山が見えています。 西には、恐羅漢山、中川山、天杉山など、広島・島根県境の山が見えています。 北東には、三瓶山や大江高山など、島根県大田市の山が見えています。山頂からは、360度の大パノラマが堪能できます。 深入山
2012.09.12
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心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。
2012.09.11
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It is easy to fly into a passion--anybody can do that--but to be angry with the right person and at the right time and with the right object and in the right way--that is not easy, and it is not everyone who can do it. ただ癇癪を起こすのは簡単で、誰でも出来ることだ。しかし適切な相手に対して、適切なときに、適切な目的のために、適切な方法で怒ることは、易しいことではなく、また誰にでも出来ることではない。
2012.09.10
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兵庫県新温泉町
2012.09.09
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人升と呼ばれる空堀があります。 東水門です。 水門は、「山姥の穴」とも呼ばれ、東西南北の4カ所の谷につくられています。現在の砂防ダムのはたらきをしているものです。 これが、神籠石(こうごいし)です。石城山の平坦面の標高260m~340mの面に沿って、取り巻くように、並んでいます。 朝鮮式山城の特徴を備えた構造物です。 夜泣石です。 北門です。この山城の正門にあたります。ちなみに、裏門にあたるのが、東門です。 北水門です。 これらの構造物は7世紀後半(飛鳥時代後半)に造られたもののようですが、誰が造ったかということは一つの謎です。 柳井市の茶臼山古墳(石城山神籠石よりも古いものですが)に関係のある熊毛王の子孫が、新羅や唐からの防衛拠点としてつくったのでしょうか。 西水門です。東水門、北水門とは異なる形をしています。 龍尾石です。 神籠石は、見える部分と見えない部分があります。 一周して、月ヶ峰を巻いて、再び神護寺跡に出ました。
2012.09.08
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There never was a good war or a bad peace. Benjamin Franklin 良い戦争とか悪い平和というものは、いまだかつて一度も存在したことがない。 ベンジャミン・フランクリン
2012.09.06
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石城山石城神社です。 仁王門です。 社務所です。 荒神社、宇和奈神社、若宮社、日本神社などが並んでいます。 石城山最高点の高日ヶ岳の山頂です。 高日ヶ岳には、高日神社(太陽の神様)があります。 柳井市内方面の展望が開けています。 最高点(標高362m)は高日ヶ岳ですが、三角点は、月の峰(標高352m)にあります。 石城山
2012.09.05
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稔るほど頭を垂れる稲穂かなと言いますが、人間には権力を持ちたいとか、尊敬されたいとかという欲をもっています。悪いとは思いませんが、度がすぎて高慢になり、威張っていると、尊敬どころか、まわりからけむたがられたりするものです。法句経にはさかしげに 人をそこのう 利口さはついに我が身をほろぼさんおろかならずやとあります。自分は優秀だと、天狗の鼻を高々としていると、いつか大きな失敗する事もあります。やはり謙虚さは大切です。赤肉団上に無位の真人あり人間には本来何の肩書きもありません。肩書きなんて仮のものであると心得て生きていく事が大切です。
2012.09.04
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Great works are done when one is not calculating and thinking. 偉大な仕事は、人が打算的になっておらず、思考していないときになされる。
2012.09.03
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鳥取県北栄町 旧大栄町は、大栄スイカと砂丘長いもの産地として有名です。 それと、『名探偵コナン』の原作者青山剛昌さんの出身地でもあります。 「道の駅大栄」道の駅として、正式に認められた全国第一号です。(島根県の掛合の里が第一号ともいわれていますが、これは、ドライブインとして開業しているので、まちがいです。) コナン大橋です。 コナン広場です。
2012.09.02
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石城山山口県光市 石城山(いわきさん)標高362m 九州北部と、山口県から兵庫県までの瀬戸内沿岸に見られる、神籠石(こうごいし)が、山口県光市(旧大和町)の石城山にあります。 神籠石とは、山の山頂付近に巡らされた、石の構造物のことで、中国地方では、岡山県の鬼ノ城山(きのじょうやま)が有名です。 神籠石がいかなるものかについて、明治時代より、神域説と山城説での論争が繰り返されてきましたが、1963年(昭和38年)頃に、神籠石は朝鮮式山城であるということで、一応の決着をみています。 旧大和町の中心部である岩田駅より出発です。 石城山は、山頂が平らになった形をしていますが、標高300mくらいの面に、いくつかのピークがあります。この標高300mくらいの面に沿って、神籠石が連なっています。 三鍛冶屋登山口(標高87m)より山道に入ります。 石城山の登山道としては、三鍛冶屋コースと、伊賀コースがあります。また、山頂付近まで車道がついているので、車道終点の駐車場から散策することもできます。 薄暗い山道ですが、急坂もなく、快適に歩くことができます。 伊賀コースとの分岐です。 分岐点に、お堂があります。 第二奇兵隊の首置き場です。 ここに、神護寺というお寺がありました。 神護寺には、第二奇兵隊の本陣がありました。 石城山
2012.09.01
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禁欲主義というやつは、矛盾を秘めた教えで、いわば、生きていながら、生きるなと命ずるようなものである 知識を与うるよりも感銘を与えよ。 感銘せしむるよりも実践せしめよ。 坪内逍遙・・・・・1859年6月22日(安政6年5月22日)- 1935年(昭和10年)2月28日 岐阜県美濃加茂市出身の小説家、劇作家 代表作『当世書生気質』『小説神髄』
2012.08.31
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幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、 不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。 荻原朔太郎 1886年(明治19年)11.1-1942年(昭和17年).5.11(享年55) 群馬県生まれの詩人 代表作「青猫」「氷島」
2012.08.29
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牛はのろのろと歩く 牛は野でも山でも道でも川でも 自分の行きたいところへは まっすぐに行く 牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない がちり、がちりと 牛は砂を掘り土をはねとばし やっぱり牛はのろのろと歩く 牛は急ぐことをしない 牛は力一ぱいに地面を頼って行く 自分を載せている自然の力を信じきって行く ひと足、ひと足、牛は自分の力を味はって行く ふみ出す足は必然だ うはの空の事ではない 是でも非でも 出さないではいられない足を出す 牛だ 出したが最後 牛は跡へはかへらない 足が地面へめり込んでもかへらない そしてやっぱり牛はのろのろと歩く 牛はがむしゃらではない けれどもかなりがむしゃらだ 邪魔なものは二本の角にひっかける 牛は非道をしない 牛はただ為たい事をする 自然に為たくなる事をする 牛は判断をしない けれども牛は正直だ 牛は為たくなって為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする それでもやっぱり牛はのろのろと歩く 何処までも歩く 自然を信じ切って 自然に身を任して がちり、がちりと自然につつ込み食ひ込んで 遅れても、先になっても 自分の道を自分で行く 雲にものらない 雨をも呼ばない 水の上をも泳がない 堅い大地に蹄をつけて 牛は平凡な大地を行く やくざな架空の地面にだまされない ひとをうらやましいとも思はない 牛は自分の孤独をちゃんと知っている 牛は食べたものを又食べながら ぢっと寂しさをふんごたへ さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く 牛はもうと啼いて その時自然によびかける 自然はやっぱりもうとこたへる そしてやっぱり牛はのろのろと歩く 牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ 思ひ立ってもやるまでが大変だ やりはじめてもきびきびとは行かない けれども牛は馬鹿に敏感だ 三里さきのけだものの声をききわける 最善最美を直覚する 未来を明らかに予感する 見よ 牛の眼は叡智にかがやく その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく 形のおもちゃを喜ばない 魂の影に魅せられない うるほひのあるやさしい牛の眼 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼 永遠を日常によび生かす牛の眼 牛の眼は聖者の目だ 牛は自然をその通りにぢっと見る 見つめる きょろきょろときょろつかない 眼に角も立てない 牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ 外を見ると一緒に内が見え 内を見ると一緒に外が見える これは牛にとっての努力ぢゃない 牛にとっての当然だ そしてやっぱり牛はのろのろと歩く 牛は随分強情だ けれどもむやみとは争はない 争はなければならないときしか争はない ふだんはすべてをただ聞いている そして自分の仕事をしている 生命をくだいて力を出す 牛の力は強い しかし牛の力は潜力だ 弾機(ばね)ではない ねぢだ 坂に車を引き上げるねぢの力だ 牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は きれ離れのいい手際だが 牛の力はねばりっこい 邪悪な闘牛者(トレアドル)の刃にかかる時でも 十本二十本の槍を総身に立てられて よろけながらもつっかける つっかける 牛の力はかうも悲壮だ 牛の力はかうも偉大だ それでもやっぱり牛はのろのろと歩く 何処までも歩く 歩きながら草を食ふ 大地から生えている草を食ふ そして大きな体を肥す 利口でやさしい眼と なつこい舌と かたい爪と 厳粛な二本の角と 愛情に満ちた啼声と すばらしい筋肉と 正直な涎(よだれ)を持った大きな牛 牛はのろのろと歩く 牛は大地をふみしめて歩く 牛は平凡な大地を歩く
2012.08.28
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禁欲主義というやつは、矛盾を秘めた教えで、いわば、生きていながら、生きるなと命ずるようなものである 知識を与うるよりも感銘を与えよ。 感銘せしむるよりも実践せしめよ。 坪内逍遙・・・・・1859年6月22日(安政6年5月22日)- 1935年(昭和10年)2月28日 岐阜県美濃加茂市出身の小説家、劇作家 代表作『当世書生気質』『小説神髄』
2012.08.26
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画竜点睛(がりょうてんせい)といってね、結婚も確かに点睛の一つだよ。 夫を持ったり、子供を持ったりする度に、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。 川端康成 1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日 大阪市生まれの小説家 代表作『雪国』『伊豆の踊子』『古都』
2012.08.25
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闇があるから光がある 影ができるから、光の存在に気づくと言ってもいいでしょうか。 この世界は、陰陽の調和があってはじめて成り立っているのです。 小林多喜二 1903年(明治33年)~1933年(昭和8年) 秋田県生まれの小説家。代表作『蟹工船』
2012.08.24
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ひとこと忠告したい。 後進の青年諸君。 もし他人の仕事に不満だったら、 自分でその仕事を試みてみたまえ、 他人の商売のやり方がまずいと思ったら、 自分でその商売をやってみたまえ。 隣家の生活がずさんに思えたら、 自分の家で試してみたまえ。 また、他人の著書を批判したいと思うなら、 まず自分で筆を執って、 書物を著してみることだ。 学者を批判したければ、 学者になることだ。 医者を批判したければ、 医者になることだ。 世の重大事から、ごく些細な事にいたるまで、 たといどんなことでも、 他人の行動に口出ししようと思うなら、 試しに自分をその立場において、 みずからをふり返ってみるべきである。 まったく性格の違う職業だったら、 その仕事の難易や意味の軽重を、 よくよく推し量ってみるべきである。 たとい種類の違う仕事でも、 その仕事の内容にまで立ち入って、 仕事の中味を基準にし、 自分と他者との立場を比較すれば、 そこに大きな誤りは生じないはずなのである。 一億総評論家といわれるくらい、人間というものは、他の批判をするのが大好きな存在なのです。しかし、「自分はどうなのか」という視点が欠けていると、何の問題解決にもならないのです。
2012.08.21
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After a while she remembered that she still held the pieces of mushroom in her hands, and she set to work very carefully, nibbling first at one and then at the other, and growing sometimes taller and sometimes shorter, until she had succeeded in bringing herself down to her usual height.
2012.08.19
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本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない
2012.08.12
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ひとこと忠告したい。 後進の青年諸君。 もし他人の仕事に不満だったら、 自分でその仕事を試みてみたまえ、 他人の商売のやり方がまずいと思ったら、 自分でその商売をやってみたまえ。 隣家の生活がずさんに思えたら、 自分の家で試してみたまえ。 また、他人の著書を批判したいと思うなら、 まず自分で筆を執って、 書物を著してみることだ。 学者を批判したければ、 学者になることだ。 医者を批判したければ、 医者になることだ。 世の重大事から、ごく些細な事にいたるまで、 たといどんなことでも、 他人の行動に口出ししようと思うなら、 試しに自分をその立場において、 みずからをふり返ってみるべきである。 まったく性格の違う職業だったら、 その仕事の難易や意味の軽重を、 よくよく推し量ってみるべきである。 たとい種類の違う仕事でも、 その仕事の内容にまで立ち入って、 仕事の中味を基準にし、 自分と他者との立場を比較すれば、 そこに大きな誤りは生じないはずなのである。 一億総評論家といわれるくらい、人間というものは、他の批判をするのが大好きな存在なのです。しかし、「自分はどうなのか」という視点が欠けていると、何の問題解決にもならないのです。
2012.08.11
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心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。
2012.08.10
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最終の息をする時まで生きむかな 生きたしと人は思ふべきなり 【窪田空穂(くぼたうつぼ)】 1877年(明治10年)ー1967年(昭和42年) 長野県出身の歌人 代表歌集に『濁れる川』『鏡葉』
2012.08.07
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There never was a good war or a bad peace. Benjamin Franklin 良い戦争とか悪い平和というものは、いまだかつて一度も存在したことがない。 ベンジャミン・フランクリン
2012.08.06
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本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない 愛国者というだけで、自分が強くなったような気がするのは、古今東西変わらないのかもしれません。まず、家族やまわりの自然に対する愛情があり、それが地域、郷土と広げられていったところに愛国心が芽生えてくるのでなければ本物ではないでしょう。そして、地球上のすべての生命や自然に対するものに広がっていかなければなりません。愛国心は、小さな愛情や思いやりの心が大きく広がっていったものなのです。
2012.08.02
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ひとこと忠告したい。 後進の青年諸君。 もし他人の仕事に不満だったら、 自分でその仕事を試みてみたまえ、 他人の商売のやり方がまずいと思ったら、 自分でその商売をやってみたまえ。 隣家の生活がずさんに思えたら、 自分の家で試してみたまえ。 また、他人の著書を批判したいと思うなら、 まず自分で筆を執って、 書物を著してみることだ。 学者を批判したければ、 学者になることだ。 医者を批判したければ、 医者になることだ。 世の重大事から、ごく些細な事にいたるまで、 たといどんなことでも、 他人の行動に口出ししようと思うなら、 試しに自分をその立場において、 みずからをふり返ってみるべきである。 まったく性格の違う職業だったら、 その仕事の難易や意味の軽重を、 よくよく推し量ってみるべきである。 たとい種類の違う仕事でも、 その仕事の内容にまで立ち入って、 仕事の中味を基準にし、 自分と他者との立場を比較すれば、 そこに大きな誤りは生じないはずなのである。 一億総評論家といわれるくらい、人間というものは、他の批判をするのが大好きな存在なのです。しかし、「自分はどうなのか」という視点が欠けていると、何の問題解決にもならないのです。
2012.08.01
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幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、 不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。 荻原朔太郎 1886年(明治19年)11.1-1942年(昭和17年).5.11(享年55) 群馬県生まれの詩人 代表作「青猫」「氷島」
2012.07.13
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他人の運命を自分の問題とするときにのみ真の愛はあると思います
2012.07.11
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われわれが書斎の窓からのぞいたり、 ほお杖ついて考えたりするよりも、 人生というものは、もっと広い、深い、もっと複雑で、 そしてもっと融通のきくものである。
2012.07.10
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他人の運命を自分の問題とするときにのみ真の愛はあると思います
2012.07.08
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美は考えるものではない。一見して直に感ずる事の出来る、極めて簡単な手続きのものだ。 理屈で説明できないものを理屈で説明しようとし、理屈の必要なものを、自分の頭で考えないところに悲劇が起こる。
2012.07.05
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分かち合え 譲り合え そして武器を捨てよ 人間よ 君は原子炉に 太陽を飼いならした 君は見た 月の裏側 表面には降り立った 石までも持って帰った 君は科学の手で 神を殺すことが出来た おかげで君が頼れるのは 君以外になくなった 君はいま立っている 二〇〇万年の進化の先端 宇宙の断崖に 君はいま立っている 存亡の岐れ目に 原爆をふところに 滅亡の怖れにわななきながら 信じられない自分自身に おそれわななきながら... 人間よ 分かち合え 譲り合え そして武器を捨てよ いまがその決意の時だ 堀口大學 1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日 東京生まれの、詩人、フランス文学者
2012.07.04
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行水にも淵瀬あり、人の世に窮達なからめやは。 調子の良いときと悪いときがあるのが人生です。 人間、調子の良いときの方がむしろ危ない。 調子の悪いときの事を考えて行動しよう。
2012.07.03
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The only means of strengthening one's intellect is to make up one's mind about nothing - to let the mind be a thoroughfare for all thoughts. John Keats 知性を高める唯一の方法は、何事も決めつけず、自らの心をあらゆる思想の往来とすることである。 John Keats(ジョン・キーツ=1795~1821) イギリスの詩人
2012.07.02
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美は考えるものではない。一見して直に感ずる事の出来る、極めて簡単な手続きのものだ。 理屈で説明できないものを理屈で説明しようとし、理屈の必要なものを、自分の頭で考えないところに悲劇が起こる。
2012.07.01
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「薔薇の木に薔薇の花咲く。 何の不思議もないけれども」 北原 白秋 当たり前のこと、当たり前の風景が、ありがたい。 今、ここに こうして存在していることが、とてもありがたいことなのです。 今、ここに 生きているというということは奇跡なのです。
2012.06.01
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何がしあわせかわからないです。 本当にどんなに辛いことでも、 それが正しい道を進む中の出来事なら 峠の上りも下りもみんな 本当の幸せに近づく一足づつですから
2012.04.03
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The hunger for love is much more difficult to remove than the hunger for bread. 愛に対する飢えの方が、パンに対する飢えを取り除くことよりも、はるかに難しいのです。
2012.04.02
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鳥取県大山町 鳥取県の隠れた名物がこの「木の根まんじゅう」です。 木の根まんじゅうは、中山町(現・大山町)の逢坂峠のこのお店で売られています。 このお店の裏の方に木の根神社があります。 むかし、この村に、松助という結婚してもすぐに女性に逃げられてしまう弱々しい男がいました。松助のお母さんは、八幡様にお参りをすると「この山の中腹にある大きな松の根を持ち帰ってお願いしなさい。」というお告げがありました。お母さんは松の根をお祭りして祈願したところ、男はたくましくなり、夫婦円満となり、5人の子供を授かったということです。 それから、この木の根様は、縁結びと子宝に御利益がある神社として多くの人が訪れています。 http://www.daisen.jp/p/2/area/umigawa/29/ 木の根神社のご神体の形をした、木の根まんじゅうは昔から、鳥取県中山町(現・大山町)の名物でした。素朴な風味とまろやかな漉し餡の舌触りは最高です。 http://www8.ocn.ne.jp/~kinone/contents.html
2012.04.01
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広島市安佐南区・西区
2012.03.07
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絶聖棄智、民利百倍、絶仁棄義、民復孝慈、絶巧棄利、盗賊無有 聖を絶ち智を棄つれば、民利(みんり)百倍す、 仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈(こうじ)に復す、 巧を絶ち利を棄つれば、盗賊あることなし 才能をひけらかさなければ、人民の生活は安定する。 仁義をふりまわさなければ、人民は道徳意識をとりもどす。 利益ばかり追求しなければ、盗みをはたらく者はいなくなる。 過ぎたる正義と、悪事とは紙一重なのです。正義も過ぎれば悪となります。
2012.03.06
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He who allows his day to pass by without practicing generosity and enjoying life's pleasures is like a blacksmith's bellows he breathes but does not live. 修行もせず、人生の楽しみも楽しまず、ただ日々を過ごすものは、鍛冶屋のふいごのようなもの。ただ生きるために呼吸をしているだけ。
2012.03.05
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尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である
2012.03.04
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2012.03.03
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最上の善とは水のようなものだ。 水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、 しかもそれ自身は争わず、 それでいて、 すべての人が蔑む場所に満足していることにある。 このことが、水を「道」にあれほど近いものにしている。 住居をつくるには地盤のしっかりした場所をよしとし、 いろんな考えの中では奥深いのをよしとし、 友達と交わるにはこころやさしいことを、 言葉においては信義あることを、 政治においては秩序だったことを、 事の処理においては実効を、 行動においては時をたがえぬことをよしとするならば、 争いになることもないので、 決して間違うことはない。
2012.03.02
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広島県呉市
2012.03.01
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