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無きゃ無いで、気が揉める。仕方なく、夕ご飯を妹たちが済ませただろうと思しき時間を見計らって、「何事も無く過ぎましたか?」と恐る恐るラインを送ったら、妹の主人が膀胱炎で高熱を出していたので、診断が出るまで母のところに行けなかったと。。。そうなんよね。病原菌の巣みたいな職場にまだ通ってるからね・・・コロナもインフルも、ちゃんと職場でもらってきてる主人だから。コロナの時は、強制隔離で、入院して・・・ってくらいの大変さだったから。でも、母自体は、昨日も小康状態、今日も小康状態らしい。動画では、森永のコラーゲンジュースを飲んで、嬉しいと声を出していた。今日は、オイルの効果で、顔の皮膚の状態も改善している気がする。オイルを塗ってもらうことは、すなわち、「手当て」をしてもらうことであり、それは、母にとっては、大事にされている実感を得られることだろうと思われるので。馬路村の皆さん、ありがとうございます。金曜日の深夜の、性急な注文でも、ちゃんと高知県から、山口県の寒村に、日曜日には届けてくれてはったもん。姪にも、ちゃんと使えるといいと思って注文したけど、けど、母にだって、ワセリンよりは、柚子種子オイルの方が、ちょっとでも高知大学の研究もあって、良かったから。まあ、山陰の冬空のような母の状態だけれども、妹が行ってコラーゲンジュースを飲んでいる動画を摂っている時に、往診の歯医者さんが、週に一度の歯の手入れに来てくれて、それも良かった。母の機嫌がましな時の方が、歯医者さんだって、受け入れやすいだろうし。。。今日の母の状態が、今夜から明日の午後までの、私の心理状態を左右する。。。今日は、昨日の母の状態が、が比較的マシだったおかげで、買い物にも行けたし、自分を労わることもできたと思う。妹に頼んでも、梃子でも、コラーゲンジュースを注文してくれそうにないから、私の手元に次回届くのを待って、また、送ろうと思う。私の貴重な朝のたんぱく源なんだけどなぁ・・・母の口に合う、貴重な、たんぱく源にもなっている。あんなに牛乳とか好きだったのに、胃の手術の後、受け付けない体になって、ひどい下痢をして、消耗するので、小さなコラーゲンジュースは、想定外に、重要になった。低アルブミン血症の改善は、母の胸水を貯めないため(あの病院に再送されないため)には、不可欠なんだけどなぁ・・・たかが試供品を購入してみてって言うのを、そこまで嫌がらなくてもって思う。別に定期購入してって言ってるわけじゃなくて、足りぐるしくなった時がイヤだから・・・私は、三か月ごとの定期購入者になっているので、試供品を頼めないんだよね・・・まあ、次に、私のが届くとき、まだ、母の命が続いていたら、さっそく送るけど。それが、いつなのかが、前回早めてもらったから、わからなくなっているんだ・・・歯医者さんのおかげで、週に1度定期的に会える人が増えて、ちょっと、良かったかも。。。火曜日は、内科のお医者さん、水曜日は歯医者さん。。。閑話休題今朝、元夫君がいかにも外出って格好で出ていこうとして、引き返してきたので、どこのお医者さん???って聞いたら、内科の数十年来のかかりつけ医だった。途中で、その医者が癌で休診したこともあったけど。その医者の入っているのと同じビルに、私の心療内科も入っている。「潰瘍性大腸炎」を緩解と再発とを繰り返しながら・・・ずっとそこに罹っている。内科・泌尿器科・耳鼻科・歯科・眼科そして去年からの癌のかかりつけ医になった県立病院。。。元夫君の話し相手って、これら病院の職員に限られているところが、すごいと思う。以前なら、犬を相手に大きな声を出していたけど、今は、そんな元気な声も出さないだろうに、75歳に成んなんとして、元気だなぁ。起きている時は、朝夕の散歩か、食事か、巨大画面での映画か、パソコンを見てるか。私の言を受けて、食直後に寝るのは良くないから、と、2時間してから寝るらしい。丁度、映画を1本見る時間だ。で、ご飯食べて、また映画見て、2時間したら寝て、起きて、散歩に行って、ご飯食べて、・・・不健康なのに、規則正しく、生きていることが、ある意味素晴らしいと思う。ASDなので、孤独を感じないのかもしれないし、同じことの繰り返しが苦にならないのだ。それにしても、潰瘍性大腸炎ていうのは、国の指定難病なのに、まあ、長生き。前立腺炎も、結婚前からだし、まあ、長生き。この分だと、腎臓ガンごときでは死なない気がする・・・老人にとって「孤独」は「最大の毒」だと言われるが、彼には、無縁だと・・・
2025年02月19日
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日常生活に復帰すべく、買い物やら、ガソリン入れやら、ちょっとしておきました。と言っても、まだ、気力はその時点では足りなかったけど、夕方の妹からのラインの動画で、母が体を起こして、自分で容器も手にもって、フォークを使って、ミカンを食べているのをしっかりと確認出来て、ちょっと嬉しかったです。話してる声も聞けたし。。。妹には悪いけど、私は、なんか、ちょっとでも母が楽にできるようにって、目を洗ってあげたら、目を開けるようになったし、昨日持ち込んだ老人性乾皮症にも使えるオイルを姪に分けてもらったのを、妹が塗ってくれたら、母が、多分、ケアを受けた気持ちになれたと思います。今日は、内科のお医者さんの往診もあって、また、来週ねって言われたって。明日は、歯医者さんの往診があって、口腔のケアがあるはず。一日一日、その日暮らしでも・・・在り通す ことはあらねど 人の子の 願ひは一つ 母の安らぎ
2025年02月18日
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もう、なんか、待ってるのって耐えられないって思って、妹にも言って、帰ってきたけど、元夫君はびっくりしてた。だけどさ、今日か、明日かって、待つべきものでもないなって、もう心が定まったから。妹の姑が亡くなったとき、男兄弟3人と、その家族とかも、ホスピスだかなんかに集まってたのに、みんなが帰ったあとの真夜中から、明け方の間に亡くなってしまいはって、そんなもんかなぁって思うから。妹が次々にしてくる事務的な話をその時は聞けても、後になって、一人で、母の暮らしていた家で、母の座っていた食堂でその言葉を反芻するのに、私の心身は耐えられないのね。妹は、家族3人で、心を分け合えるけど、私は、一人でぼそぼそと何かを食べながら、そのことを、一人で反芻する。もう、本当に、無理・・・しかも、母の脳は痛みや辛さには敏感だし、清明だし・・・今日も、蔵にやってきてあれこれ考えていると、母の失ってきた友達の多くは、若い頃から優秀で、それぞれに女性としては活躍した人達。ある人は神戸大学の教授だった夫を支えていたのに、ガンで早死にしたし、ある人は、家庭裁判所で全国を転勤して回る人だったけど、認知症が進行してしょっちゅう電話をかけてくるようになって、母が電話を留守電にした。やがて、電話こなくなって、亡くなられたと・・・ある人はつい最近まで、三木露風の生母の研究と顕彰活動をしていたはずなのに、数年前のある時から、突然消息が途切れ・・・老い、病み、衰えていくのは避けられないことなんだけど、清明であればあったで、母のように苦しみを苦しむ時間がある。母の妹のように、レビー小体型認知症とシェーグレン症候群とを併発して、高級施設の個室に入り、胃瘻もして、身動きできないまま6年生きて、声も出ず、反応もなく、最期は家で看取られて死んで、そのご主人は、二年後に、末期がんが見つかって手遅れで死んで・・・生き死にの間には、何もこれが正解というものが無いから、取り敢えず、生み出されたら、定められた命を、情けなくとも、みっともなくとも、生きなければいけないのだろう。今日、妹に送ってもらうときに、この蔵の住所の印刷された郵便物の紙切れと一緒に部屋の鍵を渡した。自宅の権利書とか、蔵のもだけど、生命保険の証書とか、全部、ここに集めてあるから。元夫君が生きてる限りは、自宅を処分できないし、彼が自発的に退去する可能性(施設入居とか)は限りなく低いけど、何が有っても、大丈夫なように、スペアキーを渡した。迷惑をかけようと思って生きる人も死ぬ人も居ないだろうが、何がいつなんどき起きるかわからないのが人生だということは、たった1ヶ月の間の母の変化で分かったし、親戚を思い出してもそうだから。取り敢えず、重要書類は、整理しておかないといけない。母のことは妹がしてくれているけどね。。。途中の岡山駅で乗り換えの待ち時間が長かった。おかげで、ホームから下に降りて、下痢気味だったけど、トイレに行くこともできた。そして、夕方に、妹とその主人が母を見舞っている動画が、lineで送られてきていた。母は、妹の主人には、ちゃんと作り笑顔で話題に対応する気力を残していた。なので、声も、笑顔も、動画で確認できた。ありがとう。。。妹よ。そして、良くできた妹の主人(元夫君と干支で一回り年下)よ。。。母が、夜、夜勤の人を煩わす回数が減りますように・・・今の願いは、そこだなぁ。。。ブザーは押せるんだもん。枕もとに転がしておいて、のどが渇いたときには、手をのばせば、こぼれずに水が飲めるような、自動給水装置だなぁ・・・あるいは、マイルドなマイルドな睡眠薬なぁ・・・無理かぁ・・・母は、森永のコラーゲンのジュースは飲んでくれるらしい。。。でも、誰かが、ストロー挿して、渡して上げないといけない状態だから。。。
2025年02月17日
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お寺さんは、2時に来て下さるので、3時からの面会の予約を入れて、会いに行ってきた。きつい しんどい 楽に死にたい とまあ、こんな調子だ。3時からの2時間ほどを、話して、寝かせないで、夜にちゃんと眠れるようにと思ったけど。最初の「きつい しんどい」は減ったものの、「楽に死にたい」と言うのは、本音だと思う。「静かに死にたい」と、言うので、「そうなん? おじいちゃんやお父さんのときはそうやったなぁ」って、言うときました。母は、散々、夜勤の人にあれしてくれこれしてくれって言うから、全然静かじゃないと思うんですけどね。おばあちゃんは、病院で排泄の介護がイヤで絶飲食して死んだから、多分、静かに死んだほうだと思うけど、母は、「きつい しんどい」って、散々言うので、ちっとも静かじゃない。しかも、バイタルは、目の前で時間を置いて2回違う人が測ってくれたけど、いずれも正常でした。そして、尿取りパッドが、もう小さいのしか残っていないことに気づいて、妹に電話で、「前に買った大きいのを買ってきて」って頼みました。すでに足りなくなっていて、小さいのを使っていたようですが、小さい方が、まめに取り替えてもらえるかというと、微妙な感じで。まあ、大きいのを準備しておく方が、良いかもと思って。大きいのを買ってくださいって、前回は言われたので、多分、今夜以降の取り換えは、大きい方になるのかも。母が、眼科を受診したがっていたので、使い切りの軽い洗眼程度の目薬を買って行って、今日は、両眼にしっかり点眼して、何度か繰り返して、目元をすっきりさせました。固く目を閉じたままだったのに、「人生の見納め・・・」って、母が言ってましたけど、その後も何度も目を開けるようになったので、やっぱり目やにがひどくて辛かったんだろうと推察します。眼科に連れて行っていた時は、逆まつげを抜くのと、洗眼とをしてもらっていたのですが、逆まつげはともかく、目を洗うには、点眼薬の低刺激のものが良いかなぁと思って。母が、眼科で処方されていた目薬をささなくなったころ、理由は、皮膚科の医者から、「皮膚の炎症の原因の可能性のあるものを排除しなさい」そう言われたからでした。で、白髪染めとかもやめて、パーマもやめて、髪は黒くなっていったんですが、さすがにこの1月の入院から、白髪が増えた気がします。でも、視力は良いままで、開ければちゃんと字も読めるし、老眼鏡無くても、新聞の文字でも、読めます。なのに、目を開けないのは、勿体ないなぁ。そんなわけで、使い捨ての点眼薬で、お試ししてみました。。。さて、今日、母の願いをあれこれ聞いていたら、「自分の歯を、死んだら、ちゃんとお墓に入れて欲しい」と言うの。一生懸命、大事にしてきたからね。で、それは、尿取りパッドを買ってきてくれた妹にも言って、って言ったら、母が、妹にもそう伝えていました。そうこうするうちに晩御飯の為の移動の時間が来て、係りの方と新しい車椅子に移乗した母と、一緒にエレベーターで降りて帰りました。姪に買った柚子の種子オイルを母にも保湿用に少し取り分けてもらったので、明日の朝、届けてから、帰ろうと思います。どうしようかすごく悩んだけど、やっぱり、予定通り、月曜日には一旦戻って、来週からのことは、寒波による移動の困難も含めて、適時、考えます。丁度、妹の一家もお参りに来てくれていたので、様子を見て決めるって言っておいたけど、移動の困難とかは、散々話しておいたし、かと言って、もう、ここでその時を、待つのも、嫌だし・・・悩みは尽きないけど、お寺さんには、母の様子も伝えたし、3月のお参りのお願いもしたし、明日は、一旦帰って、出直します。そう言えば、妹が、母の通帳からの現金の引き出しを少しずつ始めないといけないと、言っていました。準備なのね。私は、見たことが無いけど、妹が全部任されて管理していることなので。
2025年02月16日
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いつものように、目覚ましを必要とする朝は、夜が眠れないか、異常に早く目覚めるか・・・今回は、服薬2倍量だったので、寝入ることはできたが、異常に早く目覚めて、もう眠れない状態になった。。。で、早めに洗管工事の現場に行って、順序良く済ませてもらい、予定よりずいぶん早く、加古川駅に向けて出発した。元夫君が危ぶんでいた通り、道路は混んでいたし、土曜日なのに工事中だったりしたし、着いてみたら、JR神戸線は、安定の遅延だったりしたけど。。。大丈夫、余裕をもって新幹線を考えていたから。だけど、まさかのハローキティー号だったので、2号車から3号車に移動し、長時間の各駅停車の新幹線の苦痛に耐えて・・・出迎えの車の中で、妹にこのまま行く?って聞いたら、予約が必要だって。そして、しかも、今日は、彼女が忙しいので、無理ってことで、姪が、母を見舞っていたらしい。後で、その姪から、母の様子を聞いて、へこんだ。姪は、若いから、余計にしんどいだろうなぁと思うけど、余りに母が「しんどい、息苦しい、きつい」と苦しがるので、施設の看護師を呼んで、バイタルチェックをしてもらったんだけど、血圧も、血中酸素も熱も、すべて正常。。。第一、何かが異常だったら、また、あの病院送りになってしまう・・・まあ、母は、生きていること、老いていることそのものが、「苦」なんだと思うし、心臓の状態は改善しているわけでも何でもないので、病んでいることも事実なんだ。今日、車の中で「200歳まで生きる人は居らん」って妹は言った。つまり、最期の時はやってくるので、それを本人も、周りも受け止めるときがくるってこと。ちょっと前に亡くなった姑のように、あらまぁ・・・って言うように、高齢になっても、元気で活動的だった人が、なんと、すい臓の末期がんだったりすることもあるし、治験薬での治療で原発部位は緩解し、生きながらえたのに、副作用で、認知に障害が出てしまい、その上で、別の癌で亡くなるって・・・そのことを、母はずいぶんと気の毒がっていたのに、今は、母自身が気の毒な状態になっている。思えば辛いばかりだが、思わずにはいられないのが、母の辛さだ。こんなことなんだなぁ、四苦八苦って簡単に言うけど。。。妹はもう悟りを開いていて、今日は午前中は講演会の司会、午後は、私の迎え、夕方からはなんかの会議と言っていた。日常の中に、老い病んでいく母や姑の姿があるので、妹は、そういうものだと受け止めている強さがあると思う。私は、それに欠けている・・・
2025年02月15日
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明日は、10:20~11:00の予定で、アパートの洗管工事の人が入ってくる。今日、外の洗管をしているのを見たら、若いお兄さんたち二人組だった。明日は、もっとたくさんで、一斉に来るのか、それとも、今日みたいなお兄さんたち2人で6棟全部やるのか、不明だが、その、他人が入るってことに対する不安とか不快とか、必ず立ち会わなければならないことゆえ、1か月前ほどの貼り紙以来、緊張している。勿論、毎日来てるから、貼り紙も見てるし、不住者ゆえ、自宅にも郵便物が届いた。この時期に、折悪しく母のことが重なっているのであって、ストレスは、何万倍だぁああってくらい。11:00に終わったら、即、帰宅して、帰省しなければならない。私は6棟中の1棟目の最後(4階建ての1階)だから、時間が早まることはあっても、遅くなることは考えられない。その後、2・3・4・5・6棟を順に回るのだから。それは、まだしもと、思うことにする。帰省の準備もしなきゃいけないし、台所の水回りをって言うか、台所そのものを、片付けないといけないし。浴場と洗濯機置き場とは、我が家では使っていないので、その場で、「物置だから、不要です」って、言わなきゃいけない。風呂場なんか、カラーボックスを積み上げて、本当に物置になってるから。購入以来、一度も水すら流したことも、無い。お風呂の設備としても、ガスをそもそも契約していないし。。。なんだけど、そんなことも、こんなことも、明日、直接言わなきゃだから、居なきゃ仕方ないし、台所は昼晩使ってるから、排水管の洗管は、ありがたいし、水洗トイレとか、当然ながら・・・洗面所は、実際には、コロナ以降、主にアルコール消毒になって以来、使わなくなっていて、泡で出て来るアルコール消毒薬が置いてあるけど。昨日、寝る前に、きちんと早く寝たいと思って、短期作用の薬を2錠飲んで寝たら、3時間で、きっちり切れて、一旦目が覚めた。でも、頑張って、寝続けた。今日は、もう少し、ゆとりをもって、明日に備えて早く布団に入ろう。部屋に来る時間も、10時とかじゃなくて、もう少し早めに、着いておきたいし。先月、1月にお寺さんのお参りをお願いした時、こんな予定は入っていなかったから、16日にお願いして帰ってきた。そしたら、母は、あんな状態になるし、こちらはこんな洗管工事、入るしで、てんやわんやの踏んだり蹴ったりだ。今日で、二月半ばだ。世間は、バレンタインディと言う日らしい・・・年金の支給日で、所得税が、きっちり差し引かれた金額になっていた。4月以降は、また、なにやら引かれるのか・・・そして、再来年度からは、健康保険料も引かれるんだな・・・なんだか、まだまだ、年金生活の原資の確定は先のことのようである。出ていくお金は増える一方なんだけれども。入るお金は、減る一方・・・老後を、機嫌よく、元気よく生きていくには、温かい家族とか、豊かな経済力とか、色々なものを楽しめる好奇心とかが大事だな。それもこれも、健康あってのことなんだけれども。。。なんの楽しみも無く、ただ生きているだけでも、税金や水道光熱費はかかるのだから、楽しみを見つけ、豊かな思いを持たなければなぁ。
2025年02月14日
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母のお粥のこともあり、心配していたが、今日の昼間の妹の面会に行ったタイミングで、いかにもしんどそうな様子の母に、案の定と思ってしまった。しかも、昨夜は、痒がって、眠れずに、何度も夜勤さんに来てもらって薬を塗ってもらったらしい。退院した時から、ずっと痒がっているが、エアコンの効いた室内は乾燥するから、痒いだろうと思う。でも、それで呼ばれる夜勤さんは、たまったものではないだろう。。。色んなことを我慢できず、子供のように駄々をこねる。姪が居たときも、塗り薬を家から持ってきてもらって、それこそ全身に塗ってもらっていたが、手首や肘の内側など、アトピーの子供がむずかるように痒がって、何度も何度も呼び出しのブザーを押しているのを思うと、こちらが泣けてくる・・・だって、絶対「迷惑老人」でしかないから。今日から、午後のデイケアステーション行きは母の状態が悪いので無くなって、午前だけになったらしい。往診してくれるお医者さんが、痒み止めを出してくださって、次回の2週間後の往診で、利尿剤の量をみましょうと言われたらしく、妹は、2週間後のことを言われたことにちょと安堵した様子。。。父の時は、同じお医者さんの口から「なんで生きられているのかわからない」ってくらいの、絶望的なことを言われていたから。。。でも、母の状態も年齢的には、父の時より7歳くらい上だし、実はそう変わらないんじゃないか。本当なら、この週末、姪や、妹の主人たちは親戚の結婚式に千葉に行く予定だった。それをキャンセルしたくらい、母の入院の終わりくらいの衰弱はひどかった。今も、実際には変わらない身体状況の中、違うのは、ブザーを押せば来てくれる人が居る、居室の安心感だけだ。。。我々も、入院中よりは、会いに行きやすいだけで、根本は変わらない。私が、その現実を母のこととしてだけでなく、わが身のこととして受け止めてしまうから、おそらく、夢見が悪いんだろう。。。まあ、そんなわけで、今日の母の動画は、昼食後の居室での安静時間に、自分の身体を右側を下に向けて欲しいということを、妹にうまく伝えられていない姿だった。何をどうしてほしいのか、表現する言葉を、口に出せていなかったけど、声は、聞けたし、そのまま、安静にして、寝てしまったようだった。母自身は、昼夜なく寝てばかりいると、夜にも眠れないから、痒みで人を呼んでしまう。部屋の乾燥を防ぐのは、自宅なら、強力な加湿器が有るんだけどなぁ・・・「口の中がカラッカラなんや」って、そればっかり言う。それと、「痒い」「きつい」・・・姪は、自分自身がひどい皮膚症状なので、痒みの辛さをわかってくれるけど、だれにでもその辛さがわかるわけではないし・・・老い・悔い・報いは、「ヤ行」の「い」である。思い知るわ・・・まあ、帰って、歯を磨こう。
2025年02月13日
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今日から、訪問診療の歯科の治療を受けられることになって、まず、初日は残存歯の掃除から。歯周疾患は、嚥下の障害だけでなく、認知症などにもつながる。母は、8020を十分達成していたが、去年の夏からの繰り返す入院などのせいで、残存歯の状態は非常に悪化している。今の義歯は、残存歯を頼りに作られているので、簡単には歯を失えない。妹からは、今日は母の動画も送られてきていて、ヘッドレストのついた車椅子から、姿勢を起こして剥いてあるタッパー入りのミカンを、フォークで刺して食べているところ。声も聞くことができて、ちょっとほっとした。さて、私のかかりつけの医者は心療内科の医者だけなんだけど、彼が、3月6日から癌の手術で入院し、しばらく休む間、代診の先生が来る。面倒だから、3ヶ月分の薬をくれた。ちょっと、ホッとした。こちらの都合では3か月分の薬は出してもらえないので。そんなわけで、今日のできたこと1)心療内科に行って、3か月分の薬を出してもらえたこと2)ついでに17日の下関からの帰りの切符をジパング倶楽部で取れたこと3)行きたかった三井住友銀行のATMに行けて、入金できたこと4)25日に控えている健康診断の予約の確認に行けたこと5)母の新しい車椅子での様子を見られたこと出してもらえた3か月分の薬の中には、肩凝り用の薬も入っている。肩こりは、移動に伴う心労や物理的に荷物を持つことによっても起きる。なんと、肩が凝っていると、睡眠薬の効きが悪くなるんですよ~~~昨日と、今日と、リアルに2000歩以上を歩いて、結構、向こう脛に来ているので、湿布を貼っておこうと思っている。。。そう言えば、もうすぐ、年金の支給日だな・・・これは、貴重な、3月に払う健康保険料になる予定。お金って、本当に羽が生えたように出ていくなぁ。。。と、しみじみ。。。4月には、年払いの医療保険の支払いが待っている。老後って、厳しいねぇ。一度きりの人生だから、何事も、すべては、初めての体験。。。幸せなら「歯を磨こう!」(不幸せなら余計に、歯を磨こう)さあ、帰って歯を磨こう。
2025年02月12日
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今日は、姪が、面会に行ってくれたらしいが、母は、ご飯の残食が多すぎて、危惧していた「お粥」にされてしまった。母は、お粥が大嫌いなんだ。でも、食事の介助をしていても、ご飯は多くて3口くらいしか食べないので、しかもずっと嚥下できずに、目を閉じたまま噛んでいるので、事情を知らない職員さんは、残食を見かねて、お粥にしてくれたと思う。二日間、食事の介助をしながら、「おかあちゃん、今、お米高いんやで。 世の中には、食べたくても食べられんと飢えて死ぬ人も多いのに、 残さんと食べよ~」って、ずっと言っていたのに、本当に、多くても3口くらいしかご飯食べないから、結果として、大嫌いなお粥を出されてしまったと思う。さて、どうなることやら・・・家でなら、残して、また温めて食べるができるけど、施設ではそうはいかないから、残食は捨てることになる。もう、経口的に栄養を取れないとなると、どういう補助栄養をどんな形でと・・・まあ、今日は、休みなんだけど、明日は、往診の歯科医も来てくれるらしいので、ちょっと、妹の手を煩わすことになるような気がする。母は、お粥とかおじやとか、丼物とかが、昔から、とことん嫌い・・・父がよく言っていたけど、「強情」である。往診の歯科医も、自分の行きなれたところじゃないから、本当はひどく嫌がったけど、私と妹と叱られて、しぶしぶ・・・眼医者もそう。12月には、行くはずだったのに、妹によると、天候不順で、行かないまま。近くにあるところには行きたがらなくて。老いは、どんな人生にも訪れるんだけど、哀しくて切ない。妹は、姑を見送ったばかりだから、心につもりがあるだろうけど。私は、ただもう、おろおろするばかりだ。。。
2025年02月11日
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母の施設には朝から妹が行ってくれて、朝から刻み食に変わっていたと言っていた。そしてその妹に送ってもらって、新下関の駅からこだまとみずほを乗り継いで帰った。しばらくジパング倶楽部でチケット買っていたから、定価の高さにたじろいだし、新幹線の駅なのに、みどりの窓口は閉鎖だし、全部機械でやってくれってことで、不親切この上ない。高齢者や外国人が占める乗客の割合から考えて、アホ過ぎる・・・で、予定して書いてきた乗車方法にならないし、実のところ、指定席じゃないなら、簡単に買えたはずだったのに・・・もう、今日はさもありなんと思って早く着くように送ってもらっていたから良かったけど、ギリギリだったら、大変だった。。。もう少し、良い方法を考えたい。次の戻りは15日で、切符は買えているが、こっちに戻ってくるときの切符は手配していない。この調子が続くなら、買っておこうかと思うくらいだ。この調子というのは、母の調子で、夕方までに清拭もしてもらい、機嫌良く、自分で介助無しで食べられるものだけ食べ、妹が夕方行ったら、新しいヘッドレストのついた車椅子が借りられていた。写真をlineで送ってもらったが、ちゃんと目を開けて、しっかりした表情だった。まあ、山陰の冬空だから、何があるかわからないけども。。。一方で、私の移動は、自由席だから、こだまはともかく、みずほは並んで待った。そしたら、3分ほど遅れた。これなら、次の広島始発ののぞみにした方が、早くに温かい室内に入れたのにと、自由席とは言え、思った。。。9分ほどの出発時間の差だが、広島始発だから、当然座れるし、早めに到着しているので、車内で待てるのだ。もっとも、みずほやのぞみは、ジパング倶楽部では使えないので、今回のような買い方になって、初めて知ったことだったんだけどさ・・・繁忙期で、ジパング倶楽部が使えないときとかの、EX予約を取るなら、これだなと、ちょっとだけ賢くなりました・・・さて、遅れて来るみずほを待つ間に、追い打ちをかけるように、JR神戸線の遅延と間引きの情報。。。まあ、姫路に着くまでハラハラしたけど、姫路に着いたら、正常運転に戻っていた。精魂尽き果てて、加古川からはタクシーで帰った。今朝は-3度だったのが、今は10度やから、13度も気温が上がったと、運転手が言う。それはそれは、自宅の自室も、蔵の部屋もさぞかし、寒かろうと思った・・・実際、6度とかだった。カーテンを閉め切って帰省していたので。まあ、自宅の部屋は、今やっと10度を超えてきた。。。足元暖房を入れ始めてから4時間以上かかっている。。。でも、お布団のマットレスも多分、あったかくなってくれているだろうし、何より、母の状態が、想定よりも、一気に悪化したのに、土曜日と日曜日とで、急速に、気力が回復したので、私はちょっとほっとしている。妹には悪いけど、もう少し、母に頑張ってもらって、母が全身全霊で孫育てをしていた期間の恩を、孫たちに、返すチャンスを与えてあげてください。妹は25年で、嫌になって、仕事を辞めてしまったけど、上の子の保育園の途中から、死産を経ての後、下の子の学童保育からの帰宅先は実家の方だったし、そして、朝は妹の家からの送り出しまで、朝食とか、天気次第では洗濯物の管理とか、全部、母が支えてくれていた。家を建てる土地も、(父の死後、妹が相続した離れのついた)地続きの広い庭も、父や母が妹の子育てを支援できるように、懸命に探し出して、チャンスと金銭面での支援をしてくれたから実現した。転がり込んだわけではなく、父の培ってきた地縁や人とのつながりで、入手できたのだから。だから、その恩を、孫たちにちゃんと伝えておいて欲しいのだ。父や母は、恩着せがましくそんな話をしたりしないだろうけど、本当に、当初は、遠いアパートまで、父が母を送って行っていた時もあったし、父が、家事をしに行っていたこともあった。上の子は、癇癪もちで、絶対に親と離れては夜寝ない子だったので、妹が第二子を死産した直後も、実家で預かることが不可能だったくらいだ。だから、遠く離れて暮らす私と違って、妹の子供たちの為には、私の両親の献身ぶりはすごかった。今、母は、気力が戻れば、食べ物を受け入れ続けるだろう。水曜日には、施設の契約している歯科医も往診してくれる手はずだ。歯の手入れをして、ちゃんと歯石を取って、元の口腔の状態を取り戻して、嚥下で苦しまないように訓練もしてほしい。おかあちゃん、甘えたらあかんで!愛される老人は、感謝する老人で、自分でできることをやろうとする老人やからな!デイケアから考えると、本当に長い間、世話になっているので、みんな元気なころの母のイメージがある。だから、大切に思ってもらえるうちに、元の機能を回復して行って欲しい。おかあちゃん、ほな、また、土曜日な!
2025年02月10日
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案の定というか、それを危惧していたというか、上の姪は、時間をむしろ早めて、昼食時にやってきたので、昼食の介助を手伝わせた。なんたって、管理栄養士だから、病人食とか、食事療法とかは、勿論、調理も上手・・・なはずだけど。ま、何をどのようにして食べさせるかとか、嚥下機能の低下に備えた食事とか、要するに、プロなんで。でも、職場は、公立の小学校の栄養教諭で、病院ではない。家からでもいくらでも通える距離の学校に、アパートを借りて通っているので、自立心は旺盛で、気も強い。今日は、自分の都合で時間を早めてきたうえに、いきなり、来週末に行くはずだった従弟の結婚式がキャンセルになったって、言い出して・・・そりゃあ、母としては、驚くだろう。そして、ヘタすると、自分の容態が悪化したからかぁって、悟るだろう。だから、ギリギリまで決めずにいたのに、急遽決まったことらしい。3人分のキャンセルだから、早く知らせないとってことで。天候不順のせいにして、話を繕ったが、なんと、母の食事の介助をしている中で、妹から、「家族で会食に行くのだから、早く帰ってこい」と。。。姪は、あけすけだから、それも、そのまま、言ってしまう。で、途中で私に引き継いで、また、私が続きを食べさせて・・・ってことだ。その後、会食を終えた下の姪も来てくれて、今日は、なんだかんだと、多かった。で、母の様子は、山陰の冬空のように、なってしまった。。。不安と、安心とが交錯する。まあ、相変わらず、食は細く、嚥下は下手だ。いつからこんなに嚥下が下手になったのかと思うと、やっぱり三週間の入院は大きい。付き添えなかったから、手をつけなかったら、さっさと下げられてしまい、話し相手も回数も限られるので、声さえも、入院の最後ごろは出なくなっていた。今日などは、声は普通の声で話せる。裏返ったりもしないし、要望もわがままも、可愛くない声で、繰り出してくる。。。昨日の晩、妹に、「食事の時には、部分入れ歯を入れるのを忘れないように」ってメールで言ったのに、今朝は、さっそく忘れていたらしい。昼も、お澄まし汁に口を付けた段階で、気が付いて、慌てて付けたから良かったけど。明日から、どうするんだろうって、不安しかないけど、少なくとも、明日からは、一入居者。以前のような車椅子ではなく、もっと姿勢保持の困難な人用の車椅子を借りることになる。食事も、刻み食を、今夜までの様子を見て、依頼した。三週間前までは、歩行器や、四点杖での歩行を練習していたのに、こんなにも一気に機能低下するという悪しき見本のような状態だ。でも、なんでも、とにかく、私は、明日は一度自宅に戻るし、次の週末に来るし。なんと、二月はもう一つ重要な予定があった。25日は、胃部以外の健康診断だった。。。そう言えば、今日、母が、昔のことを思い出して、いつものように母の継母の悪口を・・・私は、母の口から人の悪口を聞くのは、嫌だ。そして、母の台湾時代の話を聞くのも、嫌だ。だから、結構、きつい口調で、「二度と私の前で、台湾の話をしないで。」と言った。嫌なものは嫌なんだから。母にとっては継母は嫌だったろうけど、継母にとってだって、いきなり現れた夫の連れ子2人、まして、台湾に、岐阜から移る時にやってきて。。。母は、その後、自分の母方の実家で、裕福に戦時中も暮らしたが、継母は、夫の戦病死の後、父親の顔も知らない乳飲み子も抱えて貧困の中で戦後を生きた。そんな人の苦労もあるだろう。。。祖父の子供4人の中で、大学まで行かせてもらっているのは母だけだ。同母妹は高校まで、異母弟たちは中学までである。そして、下から順に、亡くなっている。私は、戦中戦後の混乱期の父のこと母のことを幼い頃は聞かされずに育った。長じても、父は、貧窮生活のことは語りたがらなかった。なぜなら、直接の原因の祖父母と、同居していたからだと思う。祖父が亡くなった後、父の母方の親戚からぽつぽつと、聞いた話では、父や、亡くなった祖母の苦難は凄絶だったらしい。祖父が、樺太でのソ連軍からの抑留の話をしなかったように、本当の苦難は、暗い重たいコンクリートの底に、塗り固められているものだと思った。まあ、今日の母の様子だと、いつ急変してもおかしくはない。祖父は、朝食を普通に自宅の食堂で食べて、ベッドに横になって、そのまま、亡くなった。祖母は、倒れてから2週間近い絶飲食の果てに搬送された病院で亡くなった。父は、毎晩の9時の電話をかけてこないと思っていたら、翌日、多臓器不全で亡くなった。今の母の入居している施設だった。施設だったけど、私の連絡を受けて妹の家族が看取れたので、今回も世話になっている医師が死亡診断をしてくれた。母が今日、昭和8年生まれと言ったから、大正生まれの人が施設に居ってやでって言った。昭和八年七月八日、もう一息、頑張ってもらおうかなぁ。。。大正生まれの人も居るのなら、是非!仏壇の位牌置き場は、もう一杯なんで、是非、もうしばらく、あと10年くらいは、待ってね。
2025年02月09日
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今朝の食事から、特別に、介助する許可をもらって、自分の部屋で、母が食べられて、その介助を、朝昼晩と3食する間に、問題点や改善点を見つけて、母や妹、施設の人たちに伝えるという、ことで。。。母は、4人部屋の病院でのありようが苦しすぎて、自分の部屋に帰ってこれたことが、本当にありがたかったようだ。だから、排泄のケアとか、色んなことを受け入れて、もう、あの病院に戻るくらいなら、この部屋で暮らせるように努力する・・・ってそういう姿勢を見せていた。地域医療の崩壊という視点からは、勿論好ましいことではないけれど、まあ、現実はそういうことなんだろう。母は、元来偏食で、非常に少食だが、胃癌の手術後はさらに悪化した。病院内では、余計に食べなくなっていたので、結構、嚥下とかの機能低下が顕著だった。もう、8時半からの食事と、他の入居者さんより、30分遅くしてもらって、むせるって言ったら、とろみも急遽つけてくれて、そこからのスタートだった。私自身は、凍結が怖くて妹の主人の車を頼んでいたので、朝6時過ぎから緊張で目が覚めていて、準備は万端だったけど、到着してからも、食事だけでなく、後頭部を掻きむしりながら痒がり、あれこれと我がまま全開の母親、そして、食べたら、右側を下にして、くてっと寝てしまう母親、いろいろなことを、午後の途中から合流してくれた姪と、かなえてあげながら、施設の人の話も聞き、妹にも伝え、買い出しをしてもらいなど・・・本当に、ヘロヘロな一日だった。今日できたこと1)往診してくれる歯科医の先生のついてお願いできた。2)母の歯を3週間ぶりに母自身に、磨いてもらった。3)明日の朝ご飯の介助を妹に依頼できた。4)母の更衣のついでに、姪に手伝ってもらいながら、ドライシャンプーで母の頭皮を洗った。5)母に、水出しコーヒーを飲ませてあげることができた。朝が早いと、私は、睡眠の確保に疲弊する。精神的に、早く起きないといけないことで、眠れなくなるのだ。だから、昨夜は、以前の薬を2倍量飲むっていう禁じ手を使って寝た。それって、二日は続けてしたくないので、明日の朝のことは、断った。妹に「ノー!」って言うのは、難しい。だから、相当な気力で、朝一番を頼んだ。昼食の介助の前に交代するからって、頼んだ。誤嚥性肺炎の怖さについては、勉強したので、母の今の状態の危険さは、わかる。なので、施設の人からしたら、嚥下障害が有って、たった3週間で激変した摂食したがらない91歳がイヤだってわかる。わかるからこそ、ちゃんと嚥下できるように、あれこれと言って聞かせた。もう、本当に、脅迫ちゃう?ってくらいの強めで。。。精神的にも、肉体的にも、結構限界な一日だった。今日は、気の付く、優しい方の姪が来てくれたけど、明日は、気の強い方の上の姪が、午後1時の、自分の都合の合う時間に来るようだったから、時間的には、母の都合に合うようにしてもらった。「無理な時間」ていうのが、母の場合結構あるので。。。
2025年02月08日
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退院中にも直後にも色々あって、大変でした。でも、「もう、治療は済んだので、出て行って!」な感じの、地元のかかりつけ医師宛の書面も見せてもらい、確かに、胸水も腎機能値も改善しているのは、かかりつけの、駆けつけてくれた先生のお墨付き。なんで、「再入院」とか、「転院」とかでなく、取り敢えず、元の個室に戻りました。11時の退院から、元の居室に戻れたのは17時で、それまで本当に気をもみましたが、まあまあ病院と違って、職員の方も、親切だし、顔なじみだし、往診してくれたかかりつけ医の先生も、看護婦さんもほっとできる対応でした。排便も、4日ぶりにあって、その後も、リハパンに更に便が少し出たようで、、、看護師さんが、居室に戻る前に、清拭してくれたのは、ありがたかったです。点滴を担当の人がかかりつけ医院からもらってきてくれてから、施設の看護師さんに点滴の処置をしてもらい、その間に、母の食べるミカンを買いに車で出たときは、曇ってました。そして、点滴終わって、リハパンからオムツへの取り換えや清拭もしてもらって、母の居室に看護師さんと戻ったら夕方5時で、粉雪でした。そこから、ベッドに移乗し、もう着の身着のままで、ベッドで横になりました。ミカンを少し食べて、水分を口にして、何故か、ミカンは、誤嚥しにくいのに、水は、ちょっとでも、むせるのね・・・私が家に帰ろうとした時に、母が、「お母ちゃん、昨夜、いっぺん死んだ」って言うのよ。そう感じるような夢でも見たのか・・・そのくらい辛かったってことなのか。なんと、5時半過ぎに施設を出たら、ものすごい吹雪で、車にも積もっていて、山陰の冬やぁ!!!って感じの天候の急変です。生きて、急性期病棟から脱出できたのは、まあ、めでたかったけど。明日・明後日は、ちょっと、今後の為に、頑張ろうと思っています。自力で食事できるようにならないと、転院させられると案じられるのです。点滴後のちょっと元気が出たときに、施設の大先輩の方が休憩室のベッドサイドに来てくださって、これが噂の・・・っていう元気な声で、話しかけてくれて、ちょっと母も笑顔を見せていました。母の状態も、山陰の冬空みたいです。。。施設のデイと入所者との2月生まれの人達の紹介が貼りだしてあって、最高齢の人は、なんと、大正生まれでした!!明日の朝8時半には、朝食です。母のベッドサイドで、介助ができるように、天候の回復を祈っています。まあ、妹の主人に車を出してもらうことになっていて、スタッドレスタイヤじゃないと、怖いような場所なんで。今日は、何センチも積もっていても、降り始めの雪でしたけど、朝の凍結は、必至な感じでしたから。。。いざとなったら、歩いていくしかないんだけど・・・なんてこったぁ。
2025年02月07日
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今日は、妹が早めに行きたいと言うから、昨日とは逆に昼時だった。母は、昼ご飯を前にしながら、右手に食べかけのバナナ、左手に飲みかけのペットボトルを持って、目を閉じていた。「お母さん、目を開けて、食べてよ!」そこからかい???って言う感じで、でも、バナナが美味しいらしく、せっせと食べて、昼ご飯がお粥であることに不服を感じているのか目もくれず、他のおかずも食べず、結局、バナナとミカンをちょっとだけだった。でも、明日が退院であることは、何度も確認し、退院したら、自分の居室に戻ることも、確かめていた。病院にとっては、毎年、夏にも冬にもやってくる迷惑なオバアサンなんだろうけど、本当に、日に日に、食は細く、好き嫌いは激しく、世の中には、飢えて死ぬ人も多いのに、こんなにも何にも食べないで病人食が廃棄されるのって、我が親ながら、哀しくなる・・・でも、明日に備えて、うがいだけでは取れない歯の汚れも爪楊枝で取って、一度もしていないと平気で言う歯磨きをあきらめて、部分入れ歯だけは美しい状態だけど、この分では、次にいつかかりつけの歯科医に行けるかと、悲しみを深くした。早くしないと、残っている自歯が、ひどい状態になっているからだ。明日は、11時に退院だから、10時ごろに妹が迎えに来て、一緒に行って退院の準備をする。夕方は、姪と一緒にまた出掛けた。母の表情も明るくなる。本当に幼いころから育てた子だから、互いに気にかけ、愛情深いものがあるだと思う。生きて、この病院から出られて、本当に良かったって、明日思えますように・・・施設での様子が落ち着いたら、天候を見ながらでもあるが、日曜日か、月曜日に、一度、自宅に戻ろうと思っている。明日の11時半からは、妹は施設の担当者との打ち合わせをするから、その間、母の居室に居てあげてと、言われている。自分の中で、長いスパンと、短いスパンでの予定が錯綜するが、12日は、自分の心療内科。15日は、蔵の配管の洗管工事。その後帰省。16日は、2月の月参り・・・これ以上、2月に行事を入れないでくれ!!
2025年02月06日
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ちょっとでも、食後のしんどい時間を過ぎてから、母の様子を見ようと思っていくんだけど、妹と行く時って、母に甘えが出るのか、いつも大層なしんどさ。今日は、簡易トイレのバケツの部分が返ってきていなくて、母が、リハビリパンツにするから、もういいって言って、だけどなかなか排尿もうまくいかなくて、身体の向きを変えたり、ウエストを緩めたりと、あれこれして、妹が、ミカンを完全に剥いたのを一口分ずつ、口に入れてあげていたら、それさえも、さのうを口から出そうとするから、「大丈夫だから飲み込んで」って言ってしまった。なんだかんだと3つ分くらいは食べたかな。人の多い時間帯でも、なかなかバケツは帰ってこず、30分なんてすぐにたってしまう。母のお気に入りの5本指の靴下の履き替えと、レッグウォーマーの取り換えと、それが、昼食後の午後の一度目の面会時間。口の中がからからだと言って、水を欲しがるけど、冷たい水を飲むのかと言うと、うがいして出してしまうのを2回繰り返していた。排尿を考えると、水を摂らないということにしてしまうのか・・・でも、取り敢えず、一口は、飲み込んでもらって、背中をさすって、げっぷもしてもらった。妹は、「入った時より具合は悪くなっていると思うのに退院…」って言う。それは、私じゃなくて、医師に言えば、って思うけど、母は、「心臓に疾患があって、胸水が溜まった結果呼吸が困難になった病人」として、この病院に入院してきたのであって、今は、胸水は取れて、排出され、心臓は手術しないんだから直らないし、利尿剤で悪化した腎機能も数値は改善したから、もう治療はないのだ。もはや「急性期の病人」ではなく、慢性の心臓疾患を抱える「後期高齢者」だから、要介護4で入所した施設に戻る時なんだということだなぁ。入院前は、息苦しがっていたが、今は、全身倦怠と、衰弱だ。老衰ってやつですね・・・あの肺が水でちゃぷちゃぷしてる状態ではないから、息はできる。楽しいことは、思いつかないだろうけれど、病院ではない個室の施設に戻るしかない。ともかくも、金曜日の11時には、母の入所施設の方が迎えに来て下さる。祖母も、父も、母も、認知機能に年齢相応の衰えはあっても、まあ、病弱ながらも、老後を頑張って生きていたし、生きている。年を取るってこういうことなんだな、こうやって人は老い病み、衰えて、最期をいつか迎えるんだなと、不慮の死ではない、早逝ではない、「四苦」を見ている。上の姪は、あんまり関与してないけど、たまたま、下の姪は、長く関与することになってしまった。「四苦」を教えてくれるのも、親の恩なんだなと、老いの姿から、思える。実家のパソコンの上には、父の写真を置いている。もうずいぶんな年齢になってからの写真だ。胃を切ってから20年以上経っていただろう結構痩せて、髪も眉も白い、正装した写真だ。叙勲の時に、プロが撮った写真なんで、澄ましている。。。今確かめたら平成17年の4月29日の写真だった。時の総理大臣は小泉純一郎だ。10年後に亡くなったときから逆算すると、74歳ということで、まあまあ若い。その後の75歳からの10年間に、一気に色々な症状が出たなぁと思い出す。10年後、84歳を目前に亡くなったが、運悪く叙位の時の総理大臣は安倍晋三だった。私が、co-op共済の医療保険を終身にしたのは、実に、母が85歳以降に多病だからだ。人生は、何が起きるかわからないが、取り敢えず、手続きをしてもらう指定代理人を、姪に頼まなくてはならない。。。多事多難だが、生まれて、生きるってことは、そう言うことなんだな。閑話休題今日、午後4時過ぎに、なんと久しぶりに「つらら」を見た。しかも、家の駐車場の軒下のシノブの葉から、何本も長いつららが伸びていた。迎えに来てくれた姪にも見せた。。。ま、長いと言っても15cmもないかわいいつらら、信州に行くたびに見ていた数メートルのつららとは、わけが違うけど・・・二回目の面会はその姪と行って、背中のさすり方とか、首の周辺のほぐし方とか、足の裏の叩き方とか、実際にやって見せたら、まねをしてやってくれた。若くて、健常な肉体にはわからない衰えとか痛みとかを、なんとか姪に伝えて、母を楽にしてもらえたらと、思った。明日は姪は午前中は仕事で、午後から空くから、夕方はまた、姪と行くことになるかな。どんな天気やら。
2025年02月05日
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快晴の兵庫県の瀬戸内海地方から、岡山を経て、広島県では山筋が怪しく、山口県では積雪・・・でもまあ、私の気にしていた在来線の遅れが無かったので、そこは、着いてしまえばこっちのものって感じですね。お迎えは、スタッドレスタイヤを装着している妹の主人!!お手間を取らせてしまいました。その後、1時に出発して、妹と病院で待ち合わせて、車2台で別々に行動し、1時15分ごろって言う、母の昼食後の一番しんどそうなようすをハラハラしながら見ていました。食後は、胃の切除の後、ずっとしんどいんですけど、その状態がさらに悪化してる感。。。で、目が、12月に妹が眼科に連れて行くのを忘れていて、約束していたのに、行かなかったために、逆まつげや目の洗浄ができていないから、もう、目やにがひどくて、本人に、自覚が無いまま、エライひどい状態になっています。で、今日は、妹が右目を濡らしたティッシュで拭いてくれたんだけど、お互い、老眼だから・・・見えにくくて、もう一度、拭いて・・・母は、白内障は無いはずなのに、まるで白内障か???って目の印象だったの。ところが、夕方、4時半前に行った時は、姪と私とだったけど、姪が上手に、母の要望を聞き出して、一つづつ叶えて、母も身体を起こして、両眼をしっかり開けて、退院に向けての話とかをしました。母の掌の人差し指に今日が火曜日で、後、中指・薬指・小指で、水・木・金で、小指を握りながら、ここで退院。って言ったら、姪は、カレンダーに書き込んで、母に見せていました。足の裏が冷たいと言うので、私が持ってきていたお湯入りのペットボトルを、姪が母の足の裏に当てて保持してあげていました。母も、気持ちよく足の裏が温まったので、ご機嫌だったかも。退院後の施設での暮らしを心配するって言う状況になっていたので、だから、頑張って、ご飯も食べて、リハビリもしようねって、また指で、示しながら、話を終えて戻りました。私の懐炉代わりの温水入れられるペットボトルは、母の左手に保持されたまま・・・帰りに、姪が、味噌を買いに行くって言うので、お店の外の自販機で、ホットのお茶を買いました。母の毎日は綱渡りのようですが、気力が何より大事な要素なので、姪の存在は、大きいなぁと、思いました。。。母は、今日、私が来ることを知らなかったので、退院の準備に帰ってきたんやで、って、言っておきました。退院したら、また、一旦兵庫県に帰って、それから、また来るよって。。。だから、今のこの辛さを乗り越えて欲しいと、思っています。心から・・・
2025年02月04日
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前日は続けて寝られたのに、母のことが気がかりだからか、続けては眠れず、3時間ほどで、一度目が覚めて、そこからちょっと眠れなかった。でも、チケットを取りに行かなきゃなんで、頑張って、9時間は寝ていようと思って、そのあと、少し寝た。都合、9時間は、ベッドの中で過ごせて、骨格を休めることになった。起きてから、チケットを取りに行った。母の状態はわからないので、取り敢えず往復を取らずに、片道だけ取った。元々帰る予定だった15日の複雑なチケットも打ち出されればシンプルなものだ。要するに、新下関に着く時間と、こちらで家を出る時間とを考えるだけだから。4日のチケットはいつもの時間なので、朝が早い。15日の分は、排水管の工事を済ませてからのことになるので、午後になる。そして、どちらも、戻りのチケットを用意していない。臨機応変に動けるようにしておきたいのと、言い方を替えれば何が起きるかわからないってことなんだ。。。まあ、看護師が話していたように、今日、点滴が取れて、リハビリが始まったと。そして、夕方、驚きのlineが妹から入って、今週末には退院と決まったって。。。今日の昼間、妹が、医師と二人で詳しい状況を聞きたいと言ったら、夕方お母さんも交えて話しましょうと言われて、「投薬の効果があって、検査の数値が改善しているし、 リハビリにもなるから、人手のある施設の方が良いでしょう。」と。仄聞だが、看護師不足で、療養病棟は閉鎖になっているとか・・・?だから、母は、いつまでも急性期病棟に留め置かれてたのだろう。でも、気持ちの上では、母には、「退院」は、嬉しいはず。明るく、前向きになれる言葉のはずだ・・・妹は、数値の改善はともかくも、母の状態は気鬱だと感じているから、良かったと。半信半疑って言うよりは、疑いの気持ちの方が強い気がするけど、それでも、「3週間で退院」って言う当初の予定に近い退院になる。火曜日に着いて、金曜日が退院なら、金曜日まで居るし、大雪で身動き取れないなら、来週になってから戻っても構わないし。ともかく、母の傍に居られる時間は、居ようと思う。今日、できたこと。1)チケットを取りに行けた。2)15日の為の整理ができてきた。3)晩御飯をちゃんと食べた。明日が早いので、今日は、これから荷造りをしに帰って、早めにちゃんと寝よう。
2025年02月03日
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妹からのlineで、15日と言わず、早めに会いに来て・・・って感じの状態の悪さだったので、明日、妹から、担当の医師(院長先生)に状態を聞いてもらって、火曜日に帰省しようと思っている。医師の話の内容にかかわらずだ。要するに、母は、放置されていると感じていて、事実そうである。妹は、先日母の願いを受けて、担当医の話を聞いているが、3人で聞いていながら、母は、先生の言葉を聴きとれていない耳の状態で、妹伝いに聞いても、きちんと理解できていない。且つ、妹は、医師と二人で深刻な話をしているわけではないので、母が、同席しているから、本当の状況、見通しとかをきちんと聞けているわけではない。検査に行って、即入院ってなった時、「今日明日、何かあったら、延命とかどうしますか?」って医師は聞いている。私は、だから、その「今日明日」の状態を脱しているのか、息苦しさは減って、胸水が減っているのは明らかだが、母の体重は減り過ぎだし、気力は意識に左右されるし、面会時間は限られるし、人手は足りなさすぎる。。。姪に、母のかかとをトントンして、リハビリに備えてねって言っているのも、ふくらはぎをさすってあげてねって言っているのも、母に、治癒の見込みが有って、リハビリが待っていると思うことで、気力を維持してほしいからなのだが・・・夕方までに、看護師さんから、月曜日に点滴が取れたらリハビリって言われて、ちょっと気持ちが持ち直したらしい・・・夕方のさっきの妹からのlineは、昼間よりはマシな感じだった。なんせ、91歳で、本当に骨と皮でできている。母の体格からしたら、頭部が一番重くて、それを支えるのが、大変だと思う。母を見ていると、96歳まで自宅で暮らしていたおばあちゃんって、気力あったなぁって思う。ほとんど何も聞こえてなかったし、色々と補聴器も受け入れても、合わなくて、聞こえないレベルだったけど、母は、補聴器どころか、集音器も煩わしいし、自分は聞こえているから要らないと言う。看護師さんの声かけがあっても、聞こえていないだろうと思う。向き合って、顔を近づけて意識を集中していないと、聞こえていないから。適当に聞こえた単語をつなぎ合わせて話を作っているレベルだ。姪の声は、不思議と波長が合うようで、勿論、姪は、母と向かい合わせで近くで話すけど。自分が話しかけられていると思っている時以外、声掛けが無かった、で、済ませてしまう。閑話休題今日できたこと1)昨晩から今朝まで7時間近く続けて眠れたこと2)来週の打ち合わせを妹とすることができたこと3)4日からの帰省に向けてのジパング倶楽部のチケットの申込書を書けたこと。閑話休題 2サントリーのサプリメントを長く続けているのだが、父にプレゼントしていたこともあって、すごい長期にわたって愛用しているらしい。で、そのサントリーから、毎日、朝から、一定時間ごとに、色々なすべきことの確認がチェックされる。鬱陶しいのだが、これのおかげで、健康習慣と言うものが、どんなものかを知ることになった。・朝起きて水を1杯・朝にたんぱく質を摂る・朝食を食べる・ロコモアを飲む・リフタージュ(コラーゲンとプロテオグリカン含有)を飲む・DHAセサミン(今月からボケ防止強化で、オメガエイドとセサミンEX)を飲む・サプリを飲む(ほかにもいっぱい飲んでるから・・・)・薬を飲む(ビタミンDを毎朝骨粗鬆症対策に飲んでいる)・空腹の時間を取る・寝るときは部屋を暗くする・べジファースト・野菜をたくさん食べる・ご飯少な目チャレンジ・食事中はお茶を飲む・家族や友人とおしゃべり・十分な睡眠をとる・肩甲骨を寄せて広げる・歩数をチェック (4000歩が一つの目途らしい。)・気になる記事や本を読む・温かい湯船につかる・こまめに水を飲む・食後にコーヒーを飲むまあ、順不同で書き上げてみたけど、なんとまあ、水飲め、茶飲め、コーヒー飲め、人と話をしろ、睡眠時間を取れ、4000歩以上歩け、部屋を暗くして、風呂に浸かって、しっかり寝ろ・・・晩御飯からあと、十分に寝て、間食をしなければ、空腹の時間は嫌でも長い。そんなことができるのは、働いてたら、まあ、無理ね。でも、食後のコーヒーと、肩甲骨を寄せて広げる意識と、4000歩を目標に、健幸らいふのあしふみを頑張るのは、意識するようになった。こまめに水を飲むって、意外と難しい。無糖の炭酸水を生姜のしぼり汁で飲んでいるのが、せいぜい300ccで、日中はお茶とコーヒーで、「水」とか「白湯」とか、母には「水か白湯」って言っておきながら、自分にはできていないことを、本当に、認識。白湯を美味しいと飲めるのは、いつの日か・・・まず、湯を沸かして、冷ます作業からだなぁ・・・
2025年02月02日
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今日できたことを3つ考えて、書き上げてみるっていう企画があって、1)買い物に出かけられたこと2)台所の排水管の見えない部分のぬめり取りに取り組み始めたこと3)元夫君に2月の帰省予定を連絡できたことまあ、早めに買い物に出られたのは、雨の予報を見たからで、昨日の時点で、買い物には行こうと思っていた。最初に、いつものスーパーで、高いブロッコリーを買い・・・次にドラッグストアで、排水管のぬめり取りを探してみた。yumiさんの載せてた排水管のぬめり取りは、多分、どちらの店にもあったんだけど、どれも塩素系だったので、最後の手段にしようと思って、今日から2週間かけて、ちょっとずつ、バイオの力で、分解していくって言うのを試してみようと思った。実際、普段から週末とか、塩素系の除菌や漂白はしているので、目に見える取り外せる範囲は、無臭で綺麗なんだけど、管の内側にこびりついているだろうぬめりとかは、まあ、枯草菌の力で、2週間頑張ってもらって、効果が乏しかったら、塩素系でってことになりそう。元夫君は、今日は土曜日で、9時開店のスーパーに朝一番に買い物に行く日だ。その前に、2月の帰省の予定を書いたメモを朝食用のトレーにのせて見えるようにしておいた。母の心臓の状態が良くないことや、しばらく入院が続いていることなども、知らせておかないと。普段は、帰省の朝の決まった時間に加古川駅まで送ってくれるのだが、昼間だから、加古川線を使う予定と書いておいたら、昼間になっても、送ってかまわないと、元夫君から言ってきた。母の状態次第で、実際に15日から17日の帰省がどうなるのかもわからないが、ともかくも、そういうことの連絡や打ち合わせができたので、「聞いてなかった」「知らなかった」は、無いと言うことで。閑話休題今朝も、元夫君は自分で食べる分のブロッコリーを買ってきているが、なんでも298円にしては、見たことも無いほど小さなブロッコリーらしい。でも、まあ、前なら、買わなかったような商品でも、今は、買うんだなぁと思った。以前に、握りこぶし1つ分ほどのを見たことがあるから、そんな感じかなぁ。で、いつものスーパーに早めに出向いたもう一つの目的は、地元産のブロッコリー。298円は同じでも、もう少しましなものを出荷して来る営農組合があるから、それを目指して、買いに行った。多分、元夫君のよりは、もう少しましな状態の、でも、値段は同じ・・・まあ、あったら買いたいと思っていたのがあったので、私もブロッコリーを買った。ブロッコリーは、意外とたんぱく質が摂れる野菜だし、葉酸も摂れるしなぁ・・・というわけで、まずは、茎だけ、先にレンチンしようと思って・・・これから下処理。本体は、家で、ちゃんと鍋で蒸すつもりにしている。ブロッコリーは、「こり」っとした食感が好きなので、私は、浅く蒸す。強火で、一気に蒸して、3分くらいかな。。。茎は、まあ、レンチンでもいいかぁってくらいの、これも固めなんだけど、下処理が有って、そこから。。。蒸してから、硬い筋や外皮を取る時と、先に全部処理してから、蕾と一緒に蒸すときとある。今日は・・・うーん。気分次第で。新鮮だから、筋や外皮が取り易いことを祈っておこう。
2025年02月01日
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母が実家に居ない初めてのお正月を過ごして、あんなに楽しみにしていた母の自宅での1・2・3・4日が、本当に大変で、その後の入院につながったのかもしれないと思う。母の望む通りの過ごし方だったけど、結構時間的にはハードだったろうし、気持ちも張っていたのだろうか・・・今日は、妹から、母の願い出により聞いた担当医の言葉を伝え聞いた。胸水はだいぶ減っている。(母も息苦しさは減ってきたと言っていた)しかしその分、腎臓への負担が大きく、(あれだけ排尿にケアしてくれる人が来ないんだから)その腎機能への負担と、胸水の加減と、栄養状態をみながら、(ブドウ糖の点滴とかしてたりして)大丈夫になったら、療養病棟行きや、退院もありうる。いつの話になるのかも、雲をつかむような・・・威勢の良いときの母と違って、今の母は、声を出すのもしんどいっぽくて、でも、甘酸っぱいミカンは食べたいらしい。それで、昨日も一昨日も、ミカンを食べている。食べたいものがあるなら、持ち込んで食べてもいいよって、お医者さんが今日も言われたらしい。23.6kgまで減少した母の体重は、何かを食べたからって変わらなそうだ。でも、問題は、気力なんだよね。当初の予定では、2~3週間の入院だった。2週間はもう過ぎた。次は3週間目だな・・・そして、1ヶ月、2ヶ月って、前の骨折の時は2ヶ月と数日間、入っていた。閑話休題今も犬の臭いの残っている自宅の2階では、嗅覚を失くした元夫君が、癌の再発も無さそうに、のどかに暮らしている。ネットで配信されているドラマを一気見しているらしく、退屈しない人生だ。まあ、通っている耳鼻科で、もらって飲んでいる薬では、嗅覚が戻らないようだと・・・3ヶ月かけて無駄だったと言っている。だから最初から安易にレーザー焼灼とかしないで、鼻洗浄を勧めたのに。。。今は、鼻洗浄もしているし、嗅覚は戻らないままだって。亡くなった愛犬の臭いが感じられない方が、幸福な気がする。今も、その臭いを感じる私としては・・・
2025年01月31日
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ずっと、そうやって生きてきたんだけど、しなきゃいけないことが、わかっていて、期限が迫っていても、できないときはできない。心の中に、次から次へと、課題がやってくるのは、そりゃあ、仕事をしていた時に比べたら、全然、責任の重さとか違うんだけど、今、本当なら自由だと思っていたはずの1年間が、もう10ヶ月も過ぎようとしているのに、不自由の連続だ・・・予定を立てることが苦手なのに、まして不測の事態が転がり込んできて、丁度、1年ほど前には元夫君の腎臓がんが発覚したのだった。母が、なんとか体調を取り戻して独居の目途が立ったころだった・・・それを前提に、仕事をし、片付けに取り組んでいたのに、あらゆることは、まるで地震のように、足元から崩れていく。ポジティブであろうと心がけているけど、今、以前よりできていることは、昼寝をやめることくらい・・・日常を、もっとシンプルに、見たら捨て、見たら捨てを繰り返して行かなければ。家ごと脱皮してやる、家ごとこいつを捨ててやると、随分前に決めたはずなのに、「こいつ」の癌に付き合って、せねばならないことが増えて、父の時には、私が仕事をやり繰りして必死で頑張ったのに・・・今度は、母だ・・・じゃあ、私のことは、誰が、どうやって、始末してくれるんだよ!?って思ったら、自分で自分の周囲のものを捨てていくしかないじゃないか・・・物を捨てるエネルギーは、凄いものだ。まして、愛着を持って取り組んできた仕事だったし、収集物だし。ああ、一番捨てたい奴が「こいつ」が、私の目の前に居る毎日を、断捨離したいわ!って思いつつ、彼が勝手に作った12畳分の犬小屋の解体を済ませてから、居なくなってほしい。母の体調を気遣いつつも、自分の体調を維持しなければ・・・なんで、こんな時に、アパートの排水管の10年に1度の工事なんだろう・・・秋には、壁面塗装の工事らしいし。。。人生って、面倒くさいことの連続だなぁ。yumiさんのご主人て、本当に神様のように偉いって、つくづく思うわ・・・
2025年01月30日
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お願いの内容は、母のかかとを寝たままでいいから足裏からトントンと叩いてあげて欲しいってこと。握りこぶしの小指側の柔らかいところで、トントンと叩くの。そして、離れて話をするんじゃなくて、ふくらはぎをさすってあげたりとか、かかと叩きをしたりとかして、一人で立てなくなる可能性を排除してほしいってこと。まあ、そんな言い方はしないけど、自分でできないなら、かかとを叩いてもらうとか、ふくらはぎをさすってもらうとかの身体的な接触をお願いするしかないし、母自身が、リハビリを、リハビリ室でするものと思い込んでいるから、自分ではしないだろうし・・・気分次第で随分と体調は変わるので、身体的な、ソフトな接触と、会話とを、短い面会時間ででも同時にできれば、それに越したことはない。離れたところで座って会話しても30分、ベッドサイドでふくらはぎをさすってあげて会話しても30分。優しくかかとを叩いてあげながら話をしても30分だ。。。身体を触れるのは、だれでもいいわけではない。本当なら、行って私がしてあげたいけど、ずっとはいけないので、姪に、まず頼んで、それを妹に伝えてもらった。私自身は、骨格に問題を抱えて50年生きてきているので、健常な人よりは知識がある。そして、職場ででも、「手当て」のできる職人だった。「手当て」は、まず、自分の手が温かくないとだめだし、相手との心理的距離も大事だ。早朝、起きてすぐの時は、私も手が温かいわけではないが、まず、手と、胃とを物理的に温めて、それからは、日中は手はずっと温かい。冷え切った手では「手当て」はできないから・・・今は、職場ですることがなくなったけど、去年までは、良く掌を温めてあげていた。それができる相手との関係性つくりは、勿論仕事上のスキルなんだけど。今日で、入院から2週間だ。胸水がとれていると良いんだけど。身体はしんどいけど、息苦しさはなくなってきたと、今日の母の言葉・・・妹から。。。
2025年01月29日
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と言いつつも、スマホとかで、つながることはつながるんだけど、スマホで、これを打つ気力は無いし・・・記事を読んだりはできるんですけどね。母の体調が、間もなく2週間なんだけど改善せず、元々2~3週間の入院予定ってことで、希望的観測として、母的には、2週間と思って、お医者様に聞いたら、あっさり、却下されたようで、昼間っから吐き気をずっと訴えていた様子。今日は、妹が、昼も夕方も面会に行っているので、夕方の帰り際に、一昨年とその前年とに、胃拡張の診断で冬の初めに2回入院していると、看護ステーションに伝えたようですが。。。本当に、人手不足で、看護師どころか、看護助手もまったく集まらず、高齢者が多い地域だから、入院患者ばかりが増える一方ってところみたいです。妹も、看護師さんも手が回らないのだろうと言っていましたが、母のレッグウォーマーを母自身が装着できないのも、どうかと思う。靴下にしてもなんだけど。次の帰省は2月の15日の予定なので、退院していて欲しいけどなぁ。4週間になってしまうし。ずっと付き添えるわけではない、面会にも制限のある中で、母のような心臓の弁膜症のある後期高齢者に、出来る治療もないのだろうなぁ。母自身、手術は嫌だって言ってたし、今さらだし・・・別に呼吸器つけてるわけでもなく、今日も点滴はしていなかったようだし。バイタルの管理もされていない。。。辛いだろうけど、気力を持たせるものがない。。。それが、私たちにも辛い。
2025年01月28日
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1月1日からのWi-Fiの使用量が、半端じゃなかったせいで、結構、使いすぎてる感が有って、残りの日数を考えると厳しい。二月ならまだしも、一月だから・・・そんなわけで、今日は、ハルメクとイオンのmomの、「前月号」を読んでいました。調べ物は、極力Wi-Fiを切った状態でスマホで済ませているんだけど。。。実際、紙媒体を広げて読むのも、実家には新聞も無かったし、(母の分は施設に届くようになっていて)テレビは見ないし(駅伝以外)溜まっていた紙媒体を、読んで捨てる作業を真剣にしていかないと・・・毎月送られてくるジパング倶楽部の月刊誌や、ハルメクやmomとか、全く読まないうちに、次が来るので、封を切ってもいないものが有ったりします。いかに怒涛の年末年始だったとは言いながら、ここまで溜めたら、情報の意味がないもんね・・・かと言って、世界情勢を見ても、何にも見聞きしたくないようなニューズばっかりで。。。困ったもんだと思いつつ、残りの28・29・30・31をやり過ごすべく、頑張ります・・・今日は、買い物にも行かず、茫漠たる一日を、過ごしていたら、ついさっき、妹から、今日の母の近影が届き、午前中に入浴があり、昼は妹の持って行ったミカンを1つ、食べたと。夕方は、朝の入浴の日のいつもの過労で、具合が悪いだろうから行かなかったとのことでした。なるほどね。経験則ですね・・・
2025年01月27日
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ついつい、山の上のスーパーに、お買い物に行ってしまい、あれこれと買い物をして、自宅の冷蔵庫にしまいに行く羽目になってしまいました。胃カメラが済んでも、母の状態が好転しているわけではないので、ず~~~~んと胃が重く、肋間神経痛は続いています。まあ、今日は妹は行かずに、昼と夕方と、姪が行ったようで、私から恐る恐る妹に様子を聞いたら、姪に聞けとのことでした・・・昼間は清拭してもらって機嫌が良かったのが、夕方は「寒い」と言って、不調だったと。昼間は「暑い」と言っていたそうなので、窓辺の外気の影響を受けやすいことも、あるのかもしれない。低体温になって、不調だった時間帯に、姪と、妹の主人が行ったらしい。今日は千秋楽だよって、好きな相撲の話をしても、TV観る気力が無いと。。。十日前までは、施設で普通に暮らしていて、重病人ではなかったのに、今は、気分が重病人。胸水は、施設入居前にも溜まっていたし、多分、気分的なものもあるのかと思うけども。「きつい」から「しんどい」に、日本語が変化している。きついは、山口でよく使う言葉で、しんどいは、関西でよく使う言葉。きついには性格を表すときもあるけど、心身の倦怠感が強く表現される母の母語は関西弁だから、「しんどいんやろうなぁ」・・・広い窓辺は、外気温の変化を受けやすいから、温かくして休んでほしいと思う。できることは、心配しかないが、妹が駆けつけているというのでもないので、大丈夫だろう。私も、早めに帰って、寒くなると言う気温に備えよう。
2025年01月26日
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胃カメラのもっともっと楽な受診方法はあるはずと思うけど、色々聞いても、結局面倒だから、直接咽喉に突っ込む方法に・・・今日、思ったのは、看護師さんが、背中をさすってくれたり、医師が、今どの辺って、言ってくれたりしてた姫路の病院って、やっぱり秀逸だったってことかな。結果は、まあ、過去のピロリ菌の除去歴とか、カメラ飲むときの接触傷とか、見ながらの話しだったけど、なんてことはない、また、2年したら、検査してね・・・ってことで、次回はもっと早くに1日で全部済むように予約とりたい・・・今年は来月25日に、もう一度、無料の健康診断がある。胃カメラは4000円で、駐車料金は、100円だった。まあ、例年通りの結果であることを確認出来て、生検も無かったし、良かった。検査終了後1時間は、誤嚥があるといけないので、飲食禁止と言われ、用意してきたお茶も飲めず、仕方なく、蔵にたどりついても、しばらく我慢した。・・・1時間後からは、怒涛の飲み食いで、反省もしている。けど、仕方ないじゃん。19時前に夕食終えてから、15時50分までダメって・・・朝抜き・昼抜きだったから・・・さ、今日は、朝のサプリとジュースをまだ済ませていないので、これから帰って、お風呂を準備しながらサプリとジュースも済ませよう!!そうそう、検査に行くついでに、水道光熱費の振り込み用の入金もATMで済ませた。次回南向きに行くときは、帰省のチケットを買いに行きがてら・・・かな。みどりの窓口に。平日の午前中かな???多分
2025年01月25日
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胃カメラが好きって言う人は、居ないでしょうね。バリウム飲んで排泄に苦労するよりはましって人は、居るかもね。実は、私が胃カメラにしたのは、もうずいぶん前に職場の検診で、「胃ガンの疑い 要精密検査」って言うのが有って、その時に、個人の医院で胃カメラを飲んで以来ずっとなんです。毎回、バリウムで次に胃カメラなんだったら、最初から、胃カメラでしょう?でもね、この今回も受けに行く加古川のウェルネスセンターの担当の医師が、初めて行った時に、ひどくて、二度と行くもんかって思えるような下手さで。。。それ以来、ここは避けていたんですよ。でも、あの胃カメラ苦手の元夫君が、最近では大丈夫で、マシになったって言うので、それで、受けてみることにしたの。。。神戸の病院に行ったり、姫路の病院に行ったりしていたけど。本当は姫路の病院で受けたかったのだけど、指定病院になっていなくて、無理でした。まあ、今日は、夕方までじらされた挙句に、やっと母の写真が妹から来て、病室内でも窓側にベッドが移り、明るい感じで、滞っていた排便も、大量にあったということで、ポータブルトイレもベッドサイドでいつでも使えるし、自力で排尿までできるおかげで、気力が回復しているようす。ベッドをできるだけ起こして、胸水が呼吸を妨げないように、姪がバランスボールを持ってきてくれたようで、良い塩梅に、身体が起きていた。後は、今から帰って、明日の13時30分に備えるのみだ・・・一応、9時までに、必要なサプリは済ませておいて、水は3時間前まで大丈夫って書いてあったから、まあ、導眠剤は、いつもの時間でも良いだろう。母の胃癌は、長い間受けていなかった健康診断で、たまたまの医師の勧めで受診して、それで見つかったのだった。父の時は、自覚症状があったけど、母には無かった。ま、私の胃潰瘍の痕跡って言うのも、大昔の胃潰瘍の痕跡だけど、両親が胃癌だっていうのは、動かしがたい事実だから、胃カメラは仕方ないかと、思っている。思っているけど、嫌なもんだなぁ。。。
2025年01月24日
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私の夢に、私の不安が反映されているのなら、そうかも・・・ヒメカツオブシムシが大量に発生していて、しかもでかい・・・一回目は寝てから3時間ほどで目が覚めたので、二度寝をしたら、合宿所の宿舎で、床からヒメカツオブシムシのようなしかもカナブンほどのも居るような成虫が大発生して飛んでいる夢だった。合宿所には、以前の同僚が、左右にもその向こうにも居て、左隣の同僚の女性が持ち込んだ寝具が発生源だったという夢だ。シュールな夢過ぎて、脳が疲れたので、トイレに降りて、もう一度寝なおした。とにかく、9時間は、関節を休めて、横になっておこうと思っているので、頑張って寝たおかげで、最後は、ちゃんと寝られて、都合7時間半は、寝ていると思う。関節は、消耗品だ。若い頃に無理をすると、報いが来るし、手入れが良ければ、長持ちする。わかっているけど、私の右の膝は、どうしても左の分の負担を引き受けるので、最近では、左にも分担してもらっている。すると、てきめんに、左も痛む・・・重たいものは持つなとか、体重は増やすなとか、色々と気をつけてはいるけれども、日常生活には限度がある。調理も洗い物も、立ってするじゃない・・・そして、帰省の度に、歩くし、荷物も持つし、心身の疲労はたまるし・・・今週は、ずっと肋間神経痛がある。神経性胃炎は膝を傷めた高校時代から、肋間神経痛もその後。今は、神経性胃炎が出ていないけど、胃潰瘍には、若い頃に罹っている。自然治癒しているけど、未だに、胃カメラで、毎回引っかかる。。。カツオブシムシって、幼虫はウールを食害するらしい。で、成虫になると、屋外に出ていく。時々、見かける成虫は、小さいけど、本当に不気味だ。実生活で大発生したことがあるから。輸入品の安物のラタンかなんかから、出てきたのが、一気に増えて、特徴ある幼虫から、次々に成虫になって・・・だから、悪夢にうなされるのは、40年近く前の経験に基づくものだ。昨日、やっと、胃カメラの問診票を書いた。そして、写真も撮った。一か月後に、同じ問診票で検査を受けるのに、いい加減なことがばれないように。。。人生は、多難だ。健常者にとってだって、多難なのに、生まれつきってものが邪魔をする。その上、高齢者になっている。毎日通ってくる蔵に「認知症にならない最高の習慣」と言う本があって、わかっているけど、どうしても改められないのが、導眠剤の服用なのだ。それ以外には、色々なことを、クリアしてるんだけど。。。あああ!寄る辺の無い身の行く末を案じてもしょうがないのだけれども。閑話休題昨日、イチゴ農家の子にもらったイチゴを元夫君にもちょっと分けてやろうかと思ったら、「わざわざ食べたいものでもない」と言うので、まあもったいないからやめようと思った。「すげない口調で済みませんね」って、後で言われた。ところがその後、「何か、見返りはあるのですか?」と、聞いてくるので、「はぁ???」って思った。「見返り???」って思ったことも無かった。そもそもの発想に、無かった。卒業生はプロの農家になったけど、普通に友達で、売れ残ったり、余ってるから、私を喜ばせようと、もってきてくれるのだ。この人の人生はそういう人生なんだなと、思った。私は、友人への行為に見返りを求めないし、まして仕事上なら、なおのことだ。相手が、何かを要求してくることも、考えたことはなかった。元夫君を、気の毒な生い立ちとは思うけど、根本的に、受け入れられない発想だ。。。本当に世の中には「下衆」っているんだなぁって、思い出させてくれる、身近な存在だ。
2025年01月23日
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直接会って、状態をわかっている妹と違って、離れてて、わからないから、不安が倍増する。それに、車で10分や15分じゃないんだから、体調急変とか、何かあったら、あらゆる予定をキャンセルしてタクシーと新幹線でって、なるじゃない。今週末の25日は、私は胃カメラの予定になっている。しかも午後の13時30分からの予定だ。これは、キャンセルが入ったから、そこに取れたので、本検診は2月の25日(奇しくも)一か月後の同じ日だ。昨日帰ったら、共済組合から特定検診の対象者だよってわざわざ追加の通知が来ていた。わかってるよ、忙しかったんだよ!しかも、肝心の胃カメラとか、骨粗鬆症検査とか、乳がん検診とかは、別予約の、別料金じゃん!まあ、毒づいてもしょうがないけど、母の状態が悪ければ、胃カメラどころじゃないし、元々、胃が悪いのは、胃潰瘍の治癒痕跡が消えないから。両親が胃癌なんだから、胃カメラしかないだろう???ってもんで、そんな今週末に向けての体調を気にしなきゃいけない時期に、私の睡眠薬を強いのにして、量を増やさなきゃ眠れないような、母の状態の不明さは、勘弁してほしい。「車で、10分なんだし、家族3人、一人も時間が無いわけじゃないだろうから、 急性期って言われてる心臓病の患者の家族なら、昼と夕方と、状態を聞きに行けるだろう。 それが、昼間行って、夕方には行かなかったってことは、必要を感じない程度なんだろう。」そうやって、自分に言い聞かせて、薬を飲んで、寝たけど、寝る前に、妹に、「会いに行ったら、声を聞きたがってるって伝えて」って、メールでお願いしておいたら、さっき、横に妹が居る状態で、母の携帯電話から、声を聞くことができた。母は、「きついんや」っていう。だるいとか、しんどいとかではなくて、きついんやっていう。呼吸がってわけではないらしい。食事もしてるらしい。ご飯は、美味しいと言っていた。トイレも、行ける限りは、行っているらしい。排尿はできるが、排便は、滞っているようだ。まあ、そんなことを、聞けて、ちょっとほっとした。閑話休題昨日の夜、8時前ごろに、「今日は早めに出て、もう一度、買い物に行こう」と思っていたら、卒業生のイチゴ農家の子から電話で、「今 どこ おる?」「いちご、いらん?」って。「嬉しい、いつものとこ、おるから、もらいにでるわ」って言ったら、予定の15分ほどで、待ち合わせの7-11に現れた。4パック入りの1ケースと、引いてきた大根1本と、蕪2つと、葉付きでくれた。「去年は、雹のおかげで、イチゴのハウスはボコボコで、張替に大損害で大変やった」とか、 白菜3反作っとったから、結構売れた」とか、いつものように話して、「ほんじゃ」って、去って行った。。。ADHDの仲間であり、ごく親しい友達であり、私が、ちょっとだけ、30歳くらい人生の先輩でもある。本当に共通の知人も多く、しかも、年齢は超越している。そう言えば、あいつの嫁さん、元の同僚だわ・・・そんなわけで、先週もらった大根は、おでん用に下茹でして、昨夜もらった蕪は、甘酢に漬けて、なんだかんだと野菜を買わずに生きている。豪華すぎるデザートのイチゴが、待っている・・・決して、yumiさんの真似をして、おでんにしたわけではないですよ~~~だって、昨日の晩のうちに買ってきてあったんで。。。
2025年01月22日
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朝から、メールを2回送ったけど、返信が無くて、心配していたら、妹からのメールで、昨日は、写真でも元気そうだった母が、今日はげっそりしてて、なんかブドウ糖の点滴を受け入れている様子。しかも、療養病棟に移りたいとお願いしたら、お医者さんからは、まだ「 急性期 」だから、って言われたと、妹が。写真だと、すごく寒そうにしてました。昨日も、一昨日もそんなことなかったのに、先週の入院直後の悪い状態に、また戻ったみたいな感じで、ハラハラします。今日は朝から火曜日の玉子を買いに、「虫干し」のおじいさんたちもたくさんいるお店で、残り少なくなっていた155円の玉子を買いました。火曜日の11時半くらいまでが、おじさん&おじいさんの虫干しですね。同じ店とは思えないくらい、人出が違います。今日までが、5%offクーポンの使える日だったこともあるかも。それにしても、鳥インフルエンザが結構大流行してて、卵の価格を押し上げているらしいので、この値段も、いつまでかと思うけど、人手を見ると、そう簡単には、止められない企画なのかもしれません。先週の母の検査からの即入院に際して、妹は、延命措置をどうするか、「今日・明日」ってこともあるからって、主治医の院長さんに言われたって言ってて、私が土曜日に会いに行って、笑顔で会えるようにしておいて欲しいとは、その時に、私も、言いました。その後の、様子を見ていると、私は、母には生きる気力があるから、延命してもらうことになるだろうと、昨日、妹に、伝えました。心臓が、もう持たないというのであれば、仕方ないだろうけども、心臓に関しては、なんの積極的な手術も、母は、望んでいない。それははっきり、本人が言っていた。でも、実際、今日は、ブドウ糖輸液を受けているし、まだそうなっていないけれど、呼吸が苦しくなれば、酸素の吸入も受けるだろう。母自身が判断できる状態なので、直接、医者の口から現状を伝えて聞いてもらう方が、わからないでおろおろしている我々よりは、良いように思えるし、母は、まだ、今を生きることを、諦めてはいないと、実際に感じる。
2025年01月21日
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今日は、今までの帰宅よりも1時間早めの出発だった。妹の都合で、その方が、良いと言うので。まあ、ルートは、同じで、新下関から新幹線こだまで、小倉、小倉からさくらで折り返して、岡山、岡山からは岡山始発のひかりで、姫路姫路からは新快速で、加古川、そして、頑張って加古川線で駅からは歩いた。荷物は、行きよりは軽いから、まあ、大丈夫。そして、自宅までの10分足らずを歩いて、自宅の部屋の足元暖房を入れてから、蔵に来た。なんと、蔵の階段の掲示板に、2月15日の洗管工事の予定表が、貼りだしてあったのだ・・・いやいや、次回のお寺さんのお参りを2月16日にお願いして帰ってきたのに、15日の午前中が、潰れるなんて・・・アパートの部屋に外部の人が入ってきて、屋内の配管を洗浄する工事は、これで2回目になるんだけど、その日、その時間、決められた時に、居なきゃいけないから。10時20分から11時00分て、書いて、貼りだしてある・・・衝撃。一から、帰省の日程を組み替えなければならない。まじかぁ・・・工事の人が中に入るのも嫌なら、まして、帰省の予定の時間を半日分ずらす。。。せめて、1ヶ月前に通知してくれてたら、次回のお寺さんの日程・・・もう、遅い。妹に頼んで、夕方迎えに来てもらうことにして、乗り継ぎの予定を組んで。一応の妹の許可はもらった。後は、使っていない浴室と洗濯機用の配管の上に置いてある、家具や、その他もろもろだ。4階建ての1階だから、なぁ。。。上階からの排水管が屋内を通っている怖さもあるし・・・ま、決まっているものは仕方ないとして、諦めよう。詳細を聞きに、管理組合に、足を運ばなければ。。。一日の疲れが、10000倍になってどっと来るけど、半面、まあ、アドレナリンがどひゃ~んって出てるのを、感じる。全く、疲れているのに、それを感じる余裕がないくらい、衝撃度が高い。ま、明日からだ。今日は、帰って寝べし。ともかく、寝ろ!!!
2025年01月20日
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久しぶりに、結構続けて寝たな。途中目覚めたときもトイレに行かずに、もう一度寝たから、8時間半くらい。もうちょっとだけ、横になっていてもいいかぁって言うくらいのところで起きた。いつものジュースとサプリとで朝ごはん。サプリは、ほとんど年末に置いたままにしてきたもので、ジュースは、さすがに、もって来たものもある。なんでも常温保存ができるわけではないので、まあ、仕方ない。お供えの準備やら、持って帰っていただくお寺さんへの包みやら。頂き物のお年賀に日の持つ佃煮などがあったのと、頂き物のイチゴ1パックと。それを、準備してから、母にメールをしたんだけど、既読がつくのに、電話がかかってこなくて、数十分、待ってたけど、全然で・・・心配になったので、電話をした。だって、あのカーテンで仕切られた4人部屋で、一人で居たら、病状が悪化しそうだったから。そしたら、電話を取った、母が、今、昼ご飯中と言った。ちょっと安心しかけたら、「朝から大変やったんや」って。朝から、ご飯の後に、トイレで、吐いたり、利尿剤が効いてるから、トイレに行きたいのに、コールブザーで呼んでも、誰もトイレの介助に来てくれず、母にしては、大声で呼んで、なんとか、トイレに連れて行ってもらえたりが続いたらしい。施設では、自分で車いすでも、伝い歩きでも、歩行器でも、トイレに行けたのに、病院では、それがしてはいけないらしくて、スタッフさんに、頼らねばならないのに、人手不足で、それができないと・・・しかも、歩行器も、車椅子も、部屋の横に置いてあるのに・・・母の為のものだと思うが・・・ひとしきり、電話で話を聞いて、妹にもお寺さんの前に、それを伝えておいた。お参りがすんでから、先に、妹が、見舞いに行って、時間差で、夕方の最後の時間帯に私が行った。面会の基準は、まあまあ、緩かったと思う。母は、丁度、妹が言った時には、ブザーでトイレの介助を依頼したところで、比較的早く来てもらったようだった。私の行った時は、トイレ中で、一時間に1回のトイレって感じかなぁ・・・一応、白湯を作って、小さなペットボトルに入れていったら、母が欲しがったので、飲んでもらって、空になっていた白湯用の容器に、同じくらいの温度の白湯を汲んできておいた。今まで、いくら、水を飲むように言っても頑強に飲まなかったのに、白湯なら飲むのか。それとも、私がしつこく、言ってたことと、医師に言われたことが合致したからか・・・朝が、しんどいのは、身体を横たえるからで、電動ベッドを起こして、起坐位でいた方が、寝ているよりは楽だよって、メールで伝えて置いたら、電動ベッドが、そうしてあった。慢性の心不全で胸水が溜まっていると、45度くらいの角度が、呼吸の楽な角度。まあ、長い間、フレイルとか、サルコペディアとか、予防のために、散々言って聞かせたけど、なんも私の言うことを聞かなかったのが、今、こうなってみて、言われていたことがわかってきたのかもしれない。。。低アルブミン血症も。。。でも、まあ、今日は、左目が開いていたので、ちょっと昨日よりはホッとした。12月に、妹が眼科に連れて行くと言っていたのに、多忙で、行かなかったようで、右目は、逆まつげのせいか、目やにがひどかった。ぬるま湯で拭いてあげた。妹は、総合病院だから眼科もあるから、院内で見てもらったらいいと言っていた。ので、母にも、そう伝えたけど、それって、妹が担当の看護師さんに言うことかな?それとも、主治医(院長先生なんだって)に依頼することなのかな???治療と言っても、服薬しかないので、安静が良いのか、リハビリができるのかも不明だ。。。明日、妹に、駅まで送ってもらうので、その時にあれこれ聞こうと思っている。
2025年01月19日
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いつもより早起きして、ちょっと緊張していたせいか、眠い。いつもの時間に、新幹線の、予約の席に乗るだけなのだが、平日と違うので、予約席を確保している。外で並んで待つのは、寒いからだ。送ってもらう8時40分の時点で、元夫君の車のフロントガラスは、霜で、真っ白。アルコールを吹きかけておいた部分は、解けたけど、ハッチバックのリアは、白いまま。なんで、一応お湯も準備しておいた。JR神戸線は、家を出る前は遅れの予報は無かったけど、駅に着いたら、10分の遅れだった。で、新快速は10分遅れで、駅に先に止まっていた快速列車(普通列車)は姫路に先着とのこと。寒いから、迷わず、乗り込んだ。この10分の遅れでも、予約の新幹線に乗れない人が出るのだから、3本も前の列車と思わずに、早めに出ておくことは大事だ。姪が迎えに来てくれていた。ありがたい。そのまま二人で仏壇の花を買いに行き、家まで送ってもらった。仏花を整えてから、白髪染めに行き、その後、また、姪と二人で母を見舞いに。まあまあ、4人部屋でも二人だったし。何故か、入り口のスライドドアが開いていて、母が寒いと言うから、個室じゃないから、病院の管理基準があると思って、姪が頼まれて持ってきた上着のほかに、私の極暖のダウンジャケットも置いてきた。昨夜は寒くて眠れなかったと言っていた。母は、混乱していて、過去のことは一昨日でも昨日って言う。去年の入院中の個室の室温は26~27度にしてあったって言う。それは、真夏の7~9月の入院の時でしょう・・・トイレは部屋の前だけど、自分で行ってはダメで、車椅子をスタッフに頼まなければならなくて、頼んでもなかなか来てくれないとのことだ。施設では、自分で伝い歩きで行けたのに。それは、オムツに排尿してくださいってことね。リハビリパンツのレベルじゃなくて。でも、胸水を抜くための利尿剤のせいで、頻繁に尿意があるらしく、母にも、スタッフにも負担だろう。人手不足は深刻のようだ。1月4日は、あんなにも意気軒高だったのに、たった2週間で、また、一気に見るからに病人になった。。。前もそうだったけど、入院すると、左目があかなくなる。眼瞼下垂が重篤で、気力が無いと、見えないくらいあかないのだ。「病気」と言うよりは、すべてが「老化」であり、「経年的劣化」だ。母の場合、思い返すと、75歳からの劣化の進捗が著しかった。75歳って、あと10年もないじゃんって思ったら、ジュリーはすごいんだなぁ、って、改めて。。。ま、健康寿命と言うものがあるらしいから、母の場合は、知的には、一時的な混乱だと思うが、肉体的な衰えは、否めないだろう。足元を、自分の。しっかりとしておかないとって、思った。母の最初の骨折は、大腿骨の骨頭だった。じつに軽率な怪我だったが、この時も夜のトイレが絡んでいた。夜のトイレは、危険がいっぱいだってことよね・・・学びがあるわ。姪とは、仕事の話とか、なんで、医療事務がイヤかとか、話を聞いた。なんか、いつも、人生の選択において、失敗していて、選択そのものを避けている結果、今に至るって感じかも。まだ、30歳なんだし、いくらでも、この先の人生働かなきゃいけないんだから、なんか、割り切ってできる仕事を、見つけなきゃだよね・・・ま、専業孫って言うのも、おばあちゃんが生きててこそのことだからなぁ・・・およそ、なんか、面倒な、向き合わなきゃいけない人生の話をちょっと、してみた・・・いつか、どこかでしなきゃいけないことになるだろうからね。。。
2025年01月18日
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予約をしてもらった時には、こんなことになっていようとは、まさか思ってなかったけど、そして、丁度、帰省の日程も明日からにしてるんだけど、まあ、今年、誕生日が来たら77歳になるのかな・・・意識しての、ロックコンサートって感じでした。なんと、今日のフェスティバルホールが初日なんだけど、抽選で当たらなかった人も居たようで、去年も神戸国際外れたし、不思議な人気は続いているようです。今まで一緒だったメンバーは和さんも含めていなくて、去年からかのキーボードの人だけは知ってて、あとは、知らない人たちでした。でも、客席は、ジュリーさえ元気なら、私たちも元気って感じで・・・いろいろな曲を、懐かしい曲も取り混ぜて、ほぼ、ロック調でした。だから、皆さん、立ちっぱ。私は、席が良かったので、時々、畳んだままの椅子に腰をもたせても居たけど、それでも立つ感じだったなぁ。もっと年上の人たち、元気・・・今夜は、あちこちに湿布貼って明日の準備して、寝ます。明日は、朝から、帰省ですからね・・・会えないかなぁ・・・面会のことは明日、妹に聞いてから。。。
2025年01月17日
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元日の帰宅の時から、なんか、突然不調だった母が、色々と原因を自己分析していたが、全部外れで、鼻の穴が小さいとか、マスクが苦しいとか、口を閉じて食べてるからとか・・・それで、息苦しい!のではなくて、ちゃんと、あれこれ病名がついていました。・心臓弁膜症による胸水 これは、前の入院の時からあったやつですが・陳旧性心筋梗塞 これは、30日以上前に心筋梗塞を起こしたことがある。・うっ血性心不全 このせいで、突然息苦しくなるのね・・・なんでも、心臓弁膜症は、「もっと若い時だったら、絶対手術しただろう」と前の入院の時の担当の先生には言われていましたが、もう、そんな年齢じゃないし、要するに、心臓弁膜症で、身体の中の水が溜まるのが、何年か前から、右足の甲とか、左足にも少しあったのが、去年の入院中にずっと寝てた間に、足から浮腫みが消えて、全部胸に行った感じだったんですよ。それは、わかっていたけど、利尿剤で、治療してってことで、施設入所を優先させて、9月の頭から、4ヶ月で、やっぱり無理ってことで、2~3週間の利尿剤と強心剤での治療となりました。まあ、退院後は元の施設に戻れるようなので、できれば、リハビリもしてほしいんだけど。今は、安静みたいです。個室が空いていなくて、急性期用の4人部屋だったようですが、最初の部屋の人が、ずっと大きな声でうめいていて、耐えられなくて、すぐに部屋を替えてもらったらしいです。トイレも近く、入り口側のベッドらしいですが、車椅子でのトイレを看護師さんに頼まなきゃいけないらしい。せっかく、施設では伝い歩きと、歩行器とでトイレが使えるようになっていたのに・・・退行するかも・・・もう一つ、週末の帰省に合わせて、冷凍食品を注文してて、姪あてに、19~20に着くとの会社からの連絡だったのに、なんと、今日、到着したとかで。。。ニッポンハムの冷凍のチキンステーキ15袋も、妹の家ではなんとか冷凍庫に入れたらしいけど、びっくり!実家のスカスカの冷凍庫に入れて、妹の家にもおすそ分けって思っていたのに、なんで今日着く!しかも、昨日の発送連絡の時に20日って予定に変更になってて、それじゃ遅いってって、一旦ブチ切れてたのに、早まるって。。。驚きますよね。妹も、姪も。だって、帰ってから言おうと思って、何にも言ってなかったの。。。1月・2月の帰省中の買い物を減らそうと思っていたから。。。まあ、今日のせめてもの幸いは、母が、晩御飯の後で電話して来てくれることができたって。そして、入院自体が、これまでの繰り返した緊急入院じゃなくて、大事を取っての入院であったってこと。明日は、大阪に行く予定の日なので、帰省は明後日の土曜日で、お寺さんは、日曜日。で、月曜日には、もう戻ってくることに。インフルやコロナで、面会規制も厳しくて、週に1回、2人までで、30分以内らしい。だから、どっちみち、長居は無用ってことだろう。「今日明日に、万一の事態が起きたら、延命措置はどうされますか」って、担当の医者が妹に聞いたらしい。私が行くから、土曜日には、笑顔で会えるようにしてほしいと、一応は伝えたけどな。その先のことは、母に聞いてくれ!あ、妹の家の冷凍庫に、空きがあったことも、良かった・・・明日、実家の冷凍庫に運んでくれるらしい。9袋ね。6袋は、妹の家でどうぞ。。。明日の動線とか、時間とかまったく調べていなかった。これからだ。。。
2025年01月16日
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予約時間が3時だけど、3時にはもう前に5組くらいの患者が居て、診療は、短時間診療だ。一人一人の患者に、会計の度に、受付の掛かりの人が、お医者さんの入院が決まったから、3月5日以降は、代診の先生になるし、午前か午後かは、まだわからないと・・・6番目の私の頃にはもう、聞かなくても大丈夫な情報になっていたけど、実際、中に入ってお医者さんの顔を見ると、(医療用キャップで隠していた)頭髪に続いて、眉毛も抜け落ちていた。。。元々薄い眉毛の人なんで、あんまり印象かわらないけど。でも、食欲はあるのだろう、痩せてはいない・・・もうかれこれ何か月、あの、スタッフとの3時の診療開始前の口論の時は、まだスタッフにも言ってなかったのかな。。。先生もイライラしてて、スタッフさんの雰囲気もとげとげしい感じだったけど。その2か月後くらいに行った時には、医者の不調の為金曜午後は休診と貼り紙がされて、先生の頭には、医療用のキャップがつけてあった。。。ってことは、事前治療で、癌を叩いて、小さくなったので、切るってことにしました・・・かな・・・まあ、私の癌センターへの入院経験でも、そういう手順の人は結構いた。元夫君の腎臓みたいに、ロボット手術でっていうのは、7cmって、小さいからだったしね。色んなことを考えた。まあ、60%以上の日本人の男性は癌に罹患するんだから、問題は、いつなのかなってとこ。勤務医なのか、開業医なのかでも、違ってくるだろうけど・・・スタッフの人たちも、代診があるのなら、仕事はあるってことだな・・・閑話休題母は、昨日の検査の結果が、思わしくないので、明日、行きつけの病院に行くことになった。母にとっての「病院」は、そこしか無くて、総合病院で、父も母も何度も入院してきた。「情けは人の為ならず」・・・昔は国立病院だったのだけど、廃止になる時に、まだ若くて元気だった父が、存続運動の先頭に立っていた。陳情にも東京に何度か行っていた。結局、「国立病院」ではなくなったけど、「済生会豊浦病院」として、維持されている。此処より山陰線側には、総合病院は無いのだと思う。元々は、国の結核療養所だったところだから、由緒正しく風光明媚。長期の入院に堪えるような場所にある。津波が来たら、助からないような海辺だけどね。。。さあ、明日、担当の循環器の先生は何と言うだろう。母が、前に、「手術は91歳やからしたくない」って、言ってたから。。。今さら手術は無いと思うけど、じゃあ、どんな治療があるのだろう・・・7月の緊急病棟から、療養病棟に移り、「胸水が溜まっている」と言われたのは、8月だったか・・・思いがけないことの連続で、こっちが参ってしまう。妹と違って、私には支えてくれる家族は居ないので、自分がしっかりしなきゃって、思うけど。もともとしっかりとかきっちりとかができない生まれつきなのに、しっかりなんてできるか???って、65歳の今、思うのだった。。。先生の癌の部位がどこかはわからないけど、入院も、代診も、いつまでかはわからないとのことだった。神のみぞ知る。なんか、トルストイの短編集にそんな話があった気がする。
2025年01月15日
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火曜日なんだけど、いつもと違ってノウバイデイに。今週は、17日から、ジュリーや帰省やって続くから、もう、買い物はせずに。晩御飯を食べた後に、ふ~っと自然な眠気が来ることが有るんだけど、勿論、蔵でそのまま寝るわけにはいかないし、身体にも良くないから。でも、あの、自然な眠気って言うのは、夜寝る前に欲しいなぁって思う。お昼には玄米とかも食べるから糖質を摂るけど、晩御飯は、主として野菜とたんぱく質で、糖質は、デザートのわずかな量だけ。だから、糖質で眠くなるわけではない。コーヒーも、ブラック無糖で、昼は薄めのを食後に飲んでいるけど、晩は、デザートのほのかな甘みが引き立つように、普通の濃さで飲んでいる。同じ、深煎りの15g入りのドリップパックだけど、ちょっとした苦みが好き。これを飲んでから寝るまでに4~5時間もあるから、コーヒーで眠れないわけではない。そう言えば、最近、きちんとまた服薬するようになって、入眠は、難しくなくなってきた。日によって、3時間後や4.5時間後に目が覚めることはあっても、まあ、頑張って9時間は横になっている。合計すれば、7.5~9時間は寝ている。明日は、いつもの心療内科に、導眠剤を処方してもらいに行く日になっている。光陰矢の如し母の不調に、おろおろ・おたおたしている間に、気が付いたら、退職1年目が終わってしまうのではないか・・・何も片付かないまま、自分の貴重な人生の休日が過ぎていくような虚しさを感じる。今日の母のメールは、往診の有ったこと、採血があったこと、結果はまだわからないとのことと、マスクがイヤってことだった。世の中には、マスクが無くては生きていけない人も居る。若い子の中にも、心理的にマスクに依存している子も居て、コロナの前には、式典では外しましょうと、指導していたものだった。今は、自分を守るためにではなく、守るべき誰かのためにマスクをしている。マスクでは、コロナやインフルは防げないけど、人にうつす危険性は多少とも、短時間なら、減ぜられる・・・最近、知人が嘔吐がひどかったらしく、インフルB型かもって思ったけど、3連休で病院に行けず、もう、なんともなくなったって言いながらも、今日は、一応検査に行ったらしい。検査に行って、朝一番から正午過ぎまで待たされるくらい混んでいて、医者も大変だと言ってた。発熱外来も、一般外来も、行き来しながら、同じ医者が観てるなら、白衣なんか、ウイルスまみれだろうに・・・インフルエンザも、コロナも予防接種があるから、母は、受けてくれているんだけど、私は、もう、どっちも受けていないので、頼むから、野良コロナや野良インフルは来ないで。妹の主人みたいに、コロナもインフルも、ちゃんと職場からもらってくるってことが、現場の有ったころには、自分にも心配されたけど、今は、現場が無いから、私の感染があったら、それは、移動中のJR車内ということになる。前には、行きつけのスーパーが臨時休業だったことがあったが・・・あの時は、びっくりした。17日のジュリーの大阪は、本当に気を付けよう。昔東京でのジュリーの帰りに、インフルもらったからな・・・若くて元気そうな子で、すでに今期インフルA型に感染している子は、意外とマスクしてなかったりする。無知に起因するね。もう、今年はBが来てるんだからね・・・空費されていく、私の貴重な時間を、もっともっとのんびり過ごさせてくれ・・・1年間は、思い切りのんびりしたいからって、なんの予定も入れなかったのに・・・なんか、乾燥してるって思ったら、湿度が37度だった。気を付けなきゃ。。。室温は、18度です。今朝、暖房切って寝てたら、明け方寒かった。室温は10度だった。 暖房を切らずに寝ると、14度くらいは保てている。悩ましいが、自宅の寝室では、明け方の安眠の為に、暖房を選択すべきか・・・
2025年01月14日
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最後は、現場の夢だったけど、登場するのは最後の現場の元の同僚だったりするのに、出て来る場所は、その前の12年間居た職場だった。構造がまったく違う建て方だったので、そのあたりは変な感じで覚えている。でも、根性で合計で9時間寝て、間に一度トイレに起きただけで、身体を横たえていた。重いものを運んだから、数日は、股関節や、膝に負担が残ってはいけないと思っているし。重いものと言えば、思いがけず、昔の同僚から電話が有って、売れ残りの野菜を配ってるから、上げるわぁ・・・って。蔵の近所の農家さんで、ちょくちょくくれるのだけど、キャベツ2つに、白菜1つ、葉っぱ付きの大根2本・・・売れ残りとは言え、プロの作物。買ったら相当な支出だから、ありがたいけど、一袋に入ってて、重たかった・・・大根の内の古そうなのは、さっそく半分をレンチンで下茹でして、おでんに追加した。前にも、キャベツが高騰した時とか、持ってきてくれたし。冬場は、日持ちがするから結構ありがたい。でも、今週は、ジュリーやら帰省やらで、しばらくは使えなさそうだから、16日までが勝負かな・・・昨日も、母は、午前中体調が良くなかったらしいが、昼食後に面会に行った妹によると、昼には普段通りだったらしい。三夜連続で夢見が悪いからとか言っていたが、今日の夕方の妹からの報告では、新説(珍説)を母が色々展開したらしく、1,息苦しいのはマスクのせいだ。(みんなそうよね)2,息苦しいのは、鼻の穴が、人より小さいせいだ。(確かに母の鼻は低い)3,息苦しいのは、お祖母ちゃんに倣って食事中に、口を閉じて食べているから!!! (私たちが子供のころから、口を閉じて食べろって、言ってきたじゃん!)とまあ、なんだかんだと、本当のところは、コロナやインフルの大流行中の施設で、不安感が大きいからじゃないかなって思うんだけど。胸水が溜まっているのとか、心不全が起きてるとか、年齢相応に色々とあるだろうけど、なんせ、理学療法士の人が年末に退職してしまい、歩く訓練ができなくなっているから、それについても、不安があると思う。なんでもかんでも不安だらけだ。母は、まだ、91歳。お祖母ちゃんが、自宅で、骨粗鬆症で、急に立てなくなったときは、96歳だった。それまで、お祖母ちゃんは、自分の足で歩いて、トイレにも行って、(説得してリハパン使ってもらったけど)ミストシャワー浴もできるリフォームしたお風呂にも、介助無しで入っていた。耳は遠かったけど、食事も一緒に、自力で、できていた。祖父の後妻さんだったから、子も産まず、苦労も多かったけど、実は赤の他人の私の父と母とに、最期まで面倒を見てもらい、介護と看護の為に、最終的には、養子縁組もし、色んな手続きがスムーズにいくようにしたのだ。他人もままだと、入院や入所も大変だから。65歳の私からして、こんなにも不安だらけなのに、お祖母ちゃんは、最後の最後まで、生まれつきの股関節脱臼やら、足の不調やらを抱えつつ、頑張って生きてたなぁと、思うのだ。閑話休題今日は、ノウバイデイだったのに、家にお茶を入れた冷水筒を忘れてきて、蔵についてから、また取りに戻って、本当に間抜けだった。往復のガソリン代は、まったくの無駄でしかない。「ヒョイと置く」が一番いけない・・・これを深く反省した。なんといっても、取りに戻ってから、次にはそれを、自分の動線から探す時間がかかったのだ。普段置かない場所に、「ヒョイと置く」ことで、目に入らず、探すのにも苦労した。65歳で、こんなに耄碌してたら、これからどんな毎日が待っているのかと、それこそ夢見が悪いわ・・・父は、自分に癌があることを知らなかったが、糖尿病では苦労したので、私にも糖尿病には気をつけろと言っていた。気を付けている。母も胃癌で、父も胃癌で、私は、当然、胃癌検診は胃カメラで受けることにしている。なんだかなぁな、検診の問診票も届いているし・・・胃潰瘍の自然治癒した痕跡は消えないので、受け続けるしかないだろう。。。胃カメラは、1月25日の土曜日の午後13時30分からだな・・・思うだに、胃が悪くなりそう・・・上手で親切なお医者さんにあたりますように・・・
2025年01月13日
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まあ、買い物を計画的に動線に従って動けるのは、ありがたい。雪とか、強い風とか、雨とかなくて、時折日の射す買い物日和であった。午前中はしたいことを済ませてから、午後になって、買い物を兼ねて家を出ようとしたら、丁度、昨日注文したamazonの書籍が、早くも届き、駐車場で受け取ることができた。大谷君のロサンゼルスタイムズの記録集だ。これが、今度の帰省の道連れになる荷物だと思う。その前に、朝のうちに、ヤフオクで落札した靴の中敷きが届き、ヤマトのメール便だったので、チャイムは鳴らず、替わりにメールが入っていた。早速家の冬用の室内履きの中敷きに入れて使っている。そう言えば、昨日は、朝から、いっぱい荷物が届く日で、大変だった。朝一番に、カタログハウスのクコジュースが、3本入りで1箱。玄関わき。次に、また玄関わきに、にサントリーの荷物が2箱、これも朝のうちに回収できたけど、夜に帰ったら、お米が25kg入り(5kg×5)のが玄関わきに届いていて、もう、私には、箱ごとは、動かせなくなっていた。で、玄関を開けて、箱から5kgずつ運んで、所定の場所に移した。だから、結構、右の股関節に負担があった。ところで、その玄関の中には、満中陰志のカタログから選んだ芦屋のお菓子屋のお菓子の箱が届いていて、なんとも、荷物の多い一日だったのだ。元々、奇数月の11日には、色々と届くようにしてあったのが、仕事をしていた時からの経過で、その後も、色々と変更はありつつも、なんか、11日になってしまった。まあ、いいさ。何とか、米は5袋とも運び込めたし。。。でも、次からは、20kgまでにしようと思った。こんなものが持てないって言うか、持つのが怖いって思うのが、嫌だから。。。勿論、米は、値上がりしているし、去年は、11月から。そして、配送料も。。。年金は上がらないけど、物価は上がる。これは、受け止めるべき現実なんだな。。。さて、まあ、話を今日に戻して、大谷君の記録集は、届いたけど、開けないで取っておいて、旅のお供にするってところから。実際、年始の戻りの新幹線の中でも、そうして過ごしたし。昨日の母とのやり取りがあって、今日も、晩御飯後の7時に、母に電話をかけた。3夜連続で、変な夢を見て睡眠不足で、朝ごはんが食べられなくて、部屋で朝の内寝ていたと、母が妹に連絡したらしく、妹が心配して、母に昼間面会に行ったらしい。でも、午後には体調が戻っていて、大丈夫そうだったとのことで、初日は、煙に追いかけられて逃げる夢、二日目も、一人で怖い思いをする夢、三日目の今朝は、軍歌が3つ頭の中でずっとかかっていて、一人で行き先もわからず旅をしている夢だったと。年始に帰ってきたときに、古関裕而の「露営の歌」を姪に調べてもらっていたから、その影響か。母は、7月の入院までは、10時に寝て5時25分に起きると言う規則正しい生活だった。途中で2回ほどトイレに起きても、また、すぐ寝ていた。それが、入院生活で、破られたと、言う。なんでかって言うと、入院中は、看護師が夜中におしめを替えに入ってきて、睡眠のサイクルが狂ったと言うのだ。人のせいにしちゃいけないよ~そもそも、最初は、痛くて眠れてなかったし、自分では立ち上がれず、おしめも取りかえてもらう必要があったのは、2ヶ月足らず。入院期間自体は、7月初旬からの2ヶ月と数日、70日足らずでしかない。9月当初に、今の施設に移ってからは、夜間にオムツを取り替えてもらったりしていない。もう、4ヶ月自分のサイクルで、睡眠をコントロールできているはずだが、毎食後、朝寝て、昼寝て、晩御飯の後も寝て、ずっと寝ているから、夜に熟睡できないのは、当たり前だ。しかも、トイレに起きるために、夜中も電気を明るく点けたままにしてるから、アイマスクをしても、起きた瞬間から昼の明るさ。浅い眠りの中で、圧迫感のある怖い夢を見ているのは、不安が大きいからだろうが。同じ施設に長く住んでいる人からも、夢を見てるのは、眠れてるからだよって、言ってもらったらしい。全く持ってその通りだと思う。毎食後に安静にするのは良いけど、座ってできることをもっとすべきだと思う。閑話休題買い物日和なんだけど、買い物は、ちょっとずつ。ただ、そのちょっとの買い物も、本当に野菜の値段の高さに驚くばかり。。。今日は、いつものスーパーが5%offの日で、いつものスーパーにも、山の上にも行ったけど、ひるむような値段の野菜を前に、「なんでもたかいわぁ」と声が出た。。。ため息も出るわ・・・キャベツとか、白菜とかって、球で買う方が日持ちもするし、一気に家族で4分の1とか2分の1とかを使うことができない以上、買えるのは、球なんで、キャベツにした。地元の農事組合ので、1球498円だった。ブロッコリーも、同じところで298円。298円は高いけど、他産地からのものに比べて、良い状態だった。なんかなぁ、26年も贅沢三昧だったから、野菜の値段に、まして、冬野菜・・・いつも捨て値で買っていたんだなぁと、そこだけは、懐かしむ。。。なまじ、目が肥えているから、余計にだ。ま、今日は、遅い晩御飯を終えたら、おでんに牛肉を足して、ちょっと炊いてから、帰ろう。今は、赤魚の西京味噌漬けをオーブンで焼いているところ。。。貧窮問答歌じゃないけど、「如何にしつつか 汝が世は渡る・・・」って思います。すすっているのは、お茶ですけど。。。
2025年01月12日
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取り敢えず(人生はこの言葉で成り立っているが)まあ、今月分の必要経費を銀行から銀行に移し、生命保険料と、カードの引き落としには対応できるようになっているはず。なっていなかったら、月末までに、追加で入金だな。。。共済組合からの通知で、健康保険料をどうしますか???的な、でかい封書が。まあ、一旦退職して再任用になってから、給与は下がっていて、年金生活になっているのと、自分名義の固定資産税とかがあるから、意外と国民健康保険料の方が、まだ、高いって言う試算があって、令和6年の1~3月分の給与所得と、年金収入と、固定資産税とを入れると、「加古川市だったら、国保料はこんくらい!」って言うのをやってみたら、高かった。yumiさんに聞いた話だと、おそらくは、定年退職直後と翌年との差が結構あるケースで、私の住民税の算定基準や、介護保険料の算定基準から行くと、なんだか、もう1年は、共済組合にお世話になった方が良さげだった。色んな制度の変わり目で、振り回されている感じがする。けど、まあ、もし、60歳で辞めて5年間無年金だったら(実際には特別支給のが2年間)取り崩す退職金と、給与所得との差額は、1000万円超だったから、5年間は、我慢して青息吐息でも働いていて、良かったと思うことにする。まあ、元夫君は、60歳から年金有ったし、退職金から好きに使える500万円も渡してあったし、本当に放埓に犬飼って、生きてたけど。65歳の私の目の前には、74歳の癌の老人と、91歳のヨロヨロの母親とが、あるばかりだ。夕方妹からlineメールが入って、施設から、母親の不調を伝える電話があった由。で、3時に面会に行ったとか・・・私に毎晩9時に電話やメールをするのは、母の負担のようだから、もっと早くに私から電話をしてくれと言うから、7時になるのを待って、母に電話をしたら、いつもの元気そうな母だった。二日続けて、怖い夢を見て、睡眠不足で、朝からふらついていたとか・・・妹は、朝ごはんの前に、トイレで動けなくなったと聞いたとメールをよこしたけど、母は、睡眠不足で朝ごはんがほとんど食べられず、洗面所で手を洗おうとして、膝に力が入らず、立てなくなって、職員さんを呼んで椅子を持ってきてもらったというのだ。。。真実は1つだが、語られる事実はすでに第三者を介しているから、妹の方が深刻で、母は、「睡眠不足と、食欲不振とで、立てへんようになったから、 お昼ご飯は、ちゃんと食べたし、晩御飯もちょっと残したけど、食べた・・・」とのたまふ。まあ、母の年齢の人は、寝るのに睡眠薬を使う人も多い中、母は、効きすぎるので、使えず、四六時中うたた寝してて眠りが浅いから、夢も、私と同様に怖いものだったのかもしれない。アメリカの山火事のニュースとか、高齢者を狙う犯罪とか、ろくでもない報道に、テレビで接しているから、怖い内容の夢を見るのかもしれない。でも、まあ、妹の心配をよそに、元気そうだったので、この電話を切ったら、すぐに、妹に電話してって伝えておいた。元々の妹のメールだと、3時に時間外に面会に行ったのは、施設からの連絡が心配だったからのように読めたが、母の解釈では、勤務していた愛着のある中学校の5年ごとの同窓会の寄せ書きを持ってきてくれただけ。でも、その寄せ書きが嬉しかったと・・・ずっと、出席していた同窓会だったからね。。。5年前も、私に手を引かれて、下関に出かけたし・・・私は、終わるまで、会場のロビーで待っていた記憶がある。。。私とは違って、母は、そういうのが、大好きな人だから。今回は、参加できない母の為に、寄せ書きをもらって、さぞかし、丹念に読んでいたことだろう。心配して、損した・・・ってところか。今の家の維持管理費とか、全部、母の通帳から出ているので、元気で長生きしてもらわないとね。電気も水道も、サニックスも、浄化槽の管理費も・・・閑話休題靴下と下着以外は買わないと思っていた、衣類を冬休み中に買った。寝間着替わりのダウンの上着を2枚。これって、費目としては、被服費だよね。いくら寝間着とは言えだ。下着と靴下は、まあ、当然買い替えるにしてもだ。。。靴も、そろそろ買い替えだな。いや、買い足しというか。冬用の足回りが、必要になっている。仕事しないと、やれ北海道だ、信州だ、石垣島だ、台湾だとか、ならないから、家と蔵、家と実家との往復だと、どんなみすぼらしい格好でも平気になってしまう。コロナのおかげで、葬儀に出なくて済むようになって、礼服も着ないし、式服も1枚きりだし。痩せたから、前のやつも入るし・・・時代遅れとか、流行遅れとか、気にも苦にもならないし・・・ただ、夏は少しでも涼しく、冬は、着こんででも快適に・・・夜さえ、ちゃんと眠れれば、それで、他は我慢できる。昨日も、元夫君のがん検診について行って、思ったけど、目の前のよれよれの高齢者たちにも、達者でおしゃれにしていた時期があって、いつの間にか、こんな病人になり果てたのだ。病人 × 老人 = 将来の自分 なんで、老人は、仕方ないけど姿勢よく歩きたいし、病人も仕方ないけど、できる限り、人の手を煩わせたくないし・・・癌の手術での入院の初期やら、初めての1ヶ月検診やらの頃に比べて、元夫君は、ちょっと、殊勝に、謙虚になってきている。イライラしても始まらないこと、いつか車椅子を押される人になることを、学んでいて欲しい。。。妹のメールでひやひやしたけど、なんのことはない、母には母のペースがある。そして、この世の中に、死なない人は居ないのだ。盛者必滅 会者定離 諸行無常 厭離穢土 欣求浄土 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五陰盛苦もう一回、怨憎会苦・・・
2025年01月11日
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昨日の奇跡のような「9時間寝」と違って、一旦、4時間半で目が覚めてトイレに行き、そこから2回起きつつも、「9時間寝」を達成。朝、先に病院に尿検査や血液検査を受けに行く元夫君に、「前の健康診断の心臓の大動脈瘤の診断とかの結果を持って行った方が良いよ」って声をかける時間的余裕がありました。私が出かけたのは、10時15分で、元夫君の診察時間の予約は10時半から11時の間。でも、11時になっても音沙汰なくて、血液検査が混んでいたから、その結果が来ていないからだとうと、本人が言ってました。県立病院は山の上って言うか、山の上のスーパーの向かい側に有ります。だから、雪が残っていたら、嫌だなって思っていたけど、道は大丈夫でした。日の当たらない北向きの斜面はしっかり前日の朝の雪が解けずに残っていたけど。10時半近い時間から、30分以上、元夫君と並んで座って、待ってるのって、周り中が病人とその家族の中でも、変な感じです。でも、よれよれの高齢者がよろよろと家族に支えられているのを見ると、元夫君が、最近になって、気が弱くなっているのが、わかります・・・今日は、CTではなくて、その場でエコーをかけての検査でしたが、珍しく、彼の主治医にしては、和やかな感じでした。良い結果だからでしょうね。ついでに、先だっての心臓の大動脈瘤のことも診断表を見せながら聞いたけど、「大きくないし、今は心配ないよ」って、すぐに言ってもらえて、ちょっと良かった。ホッとしました。なんせ、80歳で、隣保長をするって言ってるから、それまではまあ、生きておいてもらわないと、私がする羽目に・・・帰省してる間に亡くなって、変死体を発見するのも、嫌だし。お友達のご主人は、自分の借りてたアトリエの中で、大出血して死んではったから・・・それは、それで、面倒なんで、元夫君も亡くなる時は、病院でと、思っている。それはさておき、まあ、順調に癌の手術後は推移しているので、会計とかを自分でしてもらって、私は先に出て、ヤクルトの店舗に行った。BF-1 とミルミルSとを買いに。健康のお守りみたいなもので、胃にはBF-1 大腸にはミルミル。ミルミルSには、さらに葉酸とかも入っているし。本当に、近くて良かった。。。さて、そこから、一旦帰って、お湯を準備してスクリュー式のタッパーに入れ、懐炉代わりに。水筒には冷茶を入れ、飲むときにレンチンしている。今日は、昨日の続きで、おでんに追加を投入して、食べるので、いつものスーパーに、調理済みの牛スジを買いに行った。勿論、安くなっている商品があれば、それも買うつもりだったけど。。。今日は10日なんで、ちょっとだけポイントが多めにつく日で、12日の日曜日が、より安い日。。。安いと言っても、山の上の方が安いものも多いけど。まあ、30%off狙いの年金生活者にとっては、痛みを伴うガソリン代を取り戻すには、相当安くないとだめなんだよね・・・オイコスは、3個で398円でした。でも、無糖は売ってなかった。取り敢えずは、今日と明日の食べ物を仕込んで、蔵に向かった。昨日の晩のうちにちょっとだけ、炊いておいた蒟蒻と下茹で済みの大根とごぼう天に、今日は、牛すじ肉と、厚揚げとを足して、軽く火を通して放置。後は、3連休中にちょっとずつ食べていけばいいもんね。。。世間では3連休なんだなって、思いつつも、私には連休明けの水曜日の通院まで予定はなく、15日からは怒涛の週明けまでの予定が入っている。「今朝」起きて、「今夜」寝る。って言うのは、かつて、夢物語だった。「明け方に寝て、昼まで寝てる」っていう勤務中の自堕落な休日の生活が、改善されつつあるのは、毎日が休日になった私にとっては、進歩。。。昼寝をしないのも、その「今夜寝る」ためには、重要なポイントだ。正月に、チャレンジした「薬に頼らずに寝てみる」は、時期尚早だったようだが、今は、なんでもいいから、今日中に寝てしまうを頑張っている。今日の母からのメールは、「入浴で疲れているのと、明け方の夢で煙に追われる夢で疲れて・・・」って、要するに、早く寝てしまいそうだということだったので、「早く休んで、おやすみなさい」と返信したら、すぐに「おやすみ」と返事が来た。入浴は、実際、母の体力を奪うのだろうと思う。30kgで、体重が4kg戻ったと言っても、まだまだだし。外気温は、母の内臓を直撃するから、一昨年もその前の年も、寒くなったころに消化器官が不調だった。去年は、秋からもう竜宮城(ケアハウスを私はこう呼ぶ)に入ったので、気温に起因する不調は無かった。さて、元夫君の次の検診日は、4月、手術から1年だ。4月11日と、医者は言っていた。予後も良く、生活も食事を中心に改善されて、まあまあかなぁと血液検査の結果とか・・・なんだろう。高くても、ブロッコリーを欠かさずに食べているし、果物と言えるかどうかは、疑問だが、おなかいっぱいまでバナナは食べている。まあ、朝夕の納豆卵かけご飯との組み合わせも、酢タマネギも、飽きずに続いている。昼は、若干高脂質なものも摂るようだが、良いんじゃないかな・・・と思っている。だから、今、気にすべきは、自分の膝関節の保護なんだなぁ・・・勿論、感染症対策もだけど。さ、帰って、寝よう。氷点下になる前に。
2025年01月10日
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今日は、山の上にプリンを買いに行くつもりだったが、朝から、元夫君が、年末に頼んだ洗面所のパッキングの取り替え作業をするって言うから、その終わりまでは、取り敢えず、居た。居て正解で、なんだかんだと不調で、途中で工具を買い足しに行ったり。。。2階の自分用のだけまず先に完了して、1階の共用部分は、壊しただけ、みたいな感じで不貞腐れて終わりそうだったので、「使っていない温水用の水栓と取り換えては?」と提案したら、それが、うまくいったようで、「大成功」とのメールが、しびれを切らして買い物に出た後で、入った。まず、自分用のを成功させて、要領は掴んでいたようで、後は経年劣化との戦いだったのだけど、我が家の設計上、風呂を追い炊きすることを優先してガスの位置を決めてあるので、他の給湯用の水栓は使っていない。水用の水栓と違って、経年劣化していないはずなんだけど。それでも、一階の方は、取れなくて、二階の元夫君用の洗面台から外したらしい。まぁ、建築後まもなく40年という家だから、あちこちガタガタだ。でも、まあ、今回は、彼の努力と、私の助言を受け入れた姿勢を、評価しよう。だって、こんな工事でも、人を頼めば、おおごとだし、それなりの支出だ。2階と1階と、二か所ともうまくいって、上機嫌なメールだった。私も、ホッとした。彼の癇癪に付き合わなくて済んだから。ASDの癇癪は、非常に暴力的な破壊行為につながることがあるからね。で、私は、プリンが売っていなかった山の上をあきらめて、そこでは出来合いのおでんと、オイコスの無糖と、追加用のおでん種を買って、仕方なく、いつものドラッグストアに、プリンと、無糖炭酸水と、アセトアミノフェンとを買いに。もう、メニューも、yumiさんのを参考にできて、助かっている。。。追加用には、たこぼっくりをかった。たこぼっくりは、焼いて食べてもいいし、それ自体に味があるから・・・煮込み時間を省略できる = 省エネ。朝は、積雪だったが、その後は晴れて、寒い一日で、夜9時ですでに0度。。。なので、自宅のおんぼろパソコンで、このブログは打っている。部屋を暖めないと、眠れない寒さになるから。今朝は、奇跡のように、9時間寝た。一度も起きずに。。。本当に奇跡。寒くて、目が覚めたら、9時間経ってた。。。自分の布団って、ありがたい・・・これが、毎日なら、どんなに幸せだろう。。。ささやかな望みなのだけど。
2025年01月09日
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昨夜から、寒すぎる。。。気温が上がらないって言うか、日々低下して行っている。寒いと、活動性が落ちるし、メンタルも縮こまる気がする。昨日の晩の八時過ぎに、妹からlineのメールが入って、「お母さんが電話に出ない」って。。。すごく心配そうだったので、「お母さんは、この時間は居眠りしていることがままあるから、 施設の人に確認しに行ってもらったらいいよ」って返信した。父の時も、定時の9時の電話が父からかかってこず、私が心配してかけても出ず、妹に頼んで施設に連絡して見に行ってもらった。その時は、父は、意識を失って寝ていた。ただ、呼吸はあったので、施設の人は、「寝てました」で、済んだ。翌朝、妹の家族と、母が駆けつけて、見守る中、ちょっと目を覚ましたけど、そのまま、父は亡くなった。。。まあ、父は多臓器不全で、医者からは生きているのが不思議って言われてたから、ある程度、覚悟はできていたし、丁度、直前に幼少期を一緒に過ごした親戚が、青森から来てくれて、樺太での子供時代の思い出を話し合った後だった。だから、予定のラテン語の翻訳も済んで、国立国会図書館に納本できて、子供時代から、生まれ育った樺太への叶わぬ思いも「むすぼほり」を述べて、あらゆる現世の思いを果たして、家族の見守る中で亡くなったと思う。ところが、母の方は、そんな感じじゃあなくて、本当に、単純に、毎食後の休養で、座ったままとか、寝てしまっていたのだ。その上、妹もかなりボケてて、前夜から4回かけた電話は、全部、実家の家電だったらしい。だから、母は、妹からの電話は、知らぬことだったようだ。ただ、いつもの9時までの私へのメールを忘れて寝てしまうところだったので、施設の職員の人に起こしてもらって、それは良かったんだけど。母の日常で言うと、火曜と金曜とは、朝に入浴があるので、かなり体力を削がれている。正月の3日も、金曜日で、昼食の後、2時間、寝たから。1時から3時まで。それで考えると、まあ、単に草臥れて寝ていたのだけども、妹は、父の時のことがあるので、心配したようだ。私は、妹の認知機能の方が、心配。。。って、笑ったけど。そして、その後の、母からのメールでは、そんなことには全く触れていなかった。インフルエンザにかかる人が減ってきたとか、理学療法士さんが、年末で辞めて残念とか・・・そんなことを書いてよこした。自分がうたた寝から座ったまま熟睡していたことなどは、おくびにも出さない。。。母の居室のエアコンの設定温度は、夜でも27度って言ってたから、まあ、寒くて目が覚めるってことはないだろうけども。家の食堂でうたた寝をした時は、「寒い」って、一旦目を覚まして、ひざ掛けをかけなおし、上着を羽織らせたら、また、寝たな・・・入浴は、本当に体力を使うんだなって思ったもん。本人は、入浴が好きで、喜びなんで、浸りたいんだけど、浸ることで、奪われる体力は、倍増するんだよね・・・ま、そんなことが、昨夜はあったけど、今日も、無事にうち過ぎている。今日、ちょっと長めに効く導眠剤で寝たので、寒い中、何とか9時間寝を寝られて、トイレは明け方の1回。長く寝るために、早めにトイレに行った感じで。無駄な抵抗はやめて、「導眠剤と縁を切るのは、もうちょっと日常が落ち着いてからでいいかぁ」と。自分を甘やかすことにした。それに、寒さも悲惨で、今夜から明朝は氷点下とか言ってるし。「良い眠り」を眠ることに注力したいと思う。卒業生の新米ママさんは、暮れにパパさんと、続いてベビたんとが、コロナになったらしく、本人は大丈夫だったので、不顕性感染だったかもしれないと、今日、会った時、言ってた。朔日に、彼女の実家に電話をかけた時、お兄ちゃんが電話に出たけど、彼女は出なかったから、きっと一家で感染してるって思ってたんだけど、まあ、パパとベビたんだけで済んで、良かった。一家三人で、実家には帰らずに過ごしていたらしい。今日は、農家さんの直売所でイチゴを買ったから、って。実家に送ろうとしていたので、いやいや、もう、こっちだからって、貰いに行ったわけで。プロの介護福祉士で、色々な勤務経験のある彼女は、感染症対策も、ちゃんとわかっていて、まあ、大丈夫だろう。私も、まだ、新幹線で戻ってから3日目だから、インフルとかのA&Bの可能性あるからって、マスクして、距離を取って、話して、イチゴをもらって帰ってきた。インフルのA&Bは、どうも1ヶ月以上はやくから感染が爆発して、収集つかなくなっている。Aに感染したあとでも、Bにも感染するから、本当に気をつけなければ。昨日、母にもそのことは伝えておいた。母は、今期も、コロナもインフルも、予防接種を済ませている。いや、私は、してないんで。。。注意しないと。連続して両方感染した子を、見て知ってるから。Bは、胃腸の症状が強く出るケースがあるから、吐き気と下痢とは、勘弁してほしい。免疫力を強化するには、睡眠と、亜鉛とビタミンDと、CoQ10と、田七人参で。一番は、やっぱり睡眠かな。。。うがい・手洗い・睡眠・そして、外出時はマスク。さあ、母からのメールも受け取ったし、帰って、早めに寝室を温めて、寝る用意をしよう。今日は、イオン銀行でお金をおろしたので、明日は、セブン銀行に入金に行こう。。。で、山の上に行って、プリンを買おうかな・・・あわよくば、他のなにか、安くなっていないかな・・・
2025年01月08日
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自分の家の、自分のベッドの、自分の布団の、ありがたいこと。まあ、少々の寒さは、寝られますね・・・で、朝起きて、今日が火曜日だって思いつつも、ヤフオクで年末に買ったツボきーくを、今日の午前中に受け取るはずって思って、それが着くのはおそらくギリギリだろうから、そこまでにできることはしておこうと、準備していました。で、今玄関に置きましたと、メールが入って、取りに出て、到着の通知を相手に送って、それから、買い物に。例の未選別卵の安売りの日ですからね。その前に郵便局にも、ちょっと寄って、振り込みをして、記帳もして、今年の3月末までの予算を考えて・・・3月末までに年金の振り込みは2月の1回だけだから、結構厳しい。年払いの生命保険の掛け金とか、1月4月だかに2つあって、1月の分を口座に用意しておかないといけないなぁとか。なんだかんだで、来年度からの1年分の健康保険料も用意しなくちゃいけないし。なかなかここからの半年間くらいは、厳しいなぁ。まぁ、買い物をして、残り少なくなった卵のパックを手に取って、ニラの値段に驚いて、色々と学びの多い2025年の私の初買い物でした。朝から、元夫君がブロッコリー298円を2つ買ってきていたので、大体の相場はわかっていましたが、本当に、野菜、高い。まして、ニラなんて・・・で、ニラは、止めました。明日、貰い物のキムチでキムチ炒めをしようと、思っていたのですが、ニラが高いままなら、白ネギの青いところだけ。使うことにして、何にしろ、今日は、ニラはやめました。yumiさんなら、冷凍ニラだもんなぁって思って。明日の選択肢には、冷凍ニラも考慮に入れなくては・・・キャベツが高いのは、ずっとニュースで見てて、知ってたけど。ニラまで高かったら、ちょっとね。その後は、蔵に来て、文字通り、ごそごそしていました。なんせ、寒くて。室温が18度からなかなか上がらないし、20度とか、行かなさそうで。。。寒いと、トイレが近くなるし、そうすると、余計に寒いし。悪循環ですね。悪循環やぁって思いながらも、トイレには行かないわけにいかないし。yumiさんが、九条武子様のことを書いておられたので、大学時代の佛教讃歌を思い出していました。この九条家と皇室とのご縁で、本願寺は、非常に家格が上がった感じです。江戸時代の武家社会では、長い間、低く扱われていたのが、大逆転!!した感じですよ。日曜日以外は、毎朝、大学の寮で御仏参があり、仏教讃歌も歌うのですが、九条武子様は、なんせ、歌人として一流の方でしたし、「聖夜」を歌うときも、作詞者のところに目が行ってました。あの本を失くしたのは、実にもったいなかったなぁと、思います。さて、蔵も寒いけど、家はもっと寒いだろうから、早めに帰って、温めなくては。日常に回帰するには、非日常的な寒さが、邪魔ですが・・・
2025年01月07日
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いつもと違って、新下からこだま上りで、広島からは「のぞみ」号を使う帰宅で、あっという間に、姫路。で、よろよろよたよたしながら、帰宅して、移動中にメールをもらっていたので、ジュリーのチケットを受け取りに行きました。暗くなってからだと、道が工事中の場所でもあり、変わっていたら、わからなくなるかもって、不安があったので、早めに行ってきて、それから、もう一度帰宅して、元夫君にお節の転送の礼を言ってから、蔵に来ました。年末に帰省する前に届いたお歳暮のミカンがあったのを、結構毎日食べてくれていたようで、半分くらいにはなっていました。6度になっている自分の部屋に感心しました。なるほど、これは、冷蔵庫なみやな・・・だけど、蔵の部屋は10度あったので、その差に驚く・・・まあ、今の蔵の温度は14度まで上がってきたけど、なかなか冷え冷えしている。昨夜は、すっかり懲りて、服薬して寝たので、ぐっすり6時間寝られて、トイレ行ってから、さらに3時間の「9時間寝」を達成できて、続けて6時間熟睡できた幸せって、嚙み締めた。脳の疲労度が違うもんだと・・・さて、寝苦しかった実家のソファーベッドの睡眠も、今夜からは、また自宅のベッドで。冷蔵庫並みの自宅の部屋は、夕方5時から少しだけ暖房をしてるけど、まあ、せいぜい上がっても10度から12度かなあと思っている。それでも、熟睡できるように、ベッド上の敷きパッドは、下半身だけは温熱できる西川のパッド。その温熱を強めに入れてから蔵に来たので、多分、幾分かでも、温まっているはずと。帰省中にNumberの大谷君の特集号を注文してて、ずっと届いてからも我慢してて、今日、帰省の新幹線で読もうと思っていた。だから、こだまの中でも、のぞみの中でも、全然退屈せずに、過ごすことができた。活字を脇目もふらずに読んでいる時って、そこが適温なら、大抵、幸福。ドジャースの一員になってからの大活躍だけでなく、大谷君だけでなく、記事の内容は、プロになって以降の彼の関係者や、取材者から、広く集めてあって、視点が多角的で、大抵は、ネットでも既に読んだ記事だけど、新幹線の2時間を快適に、過ごせた。その間の乗り継ぎもハラハラすることなく、時間的には余裕があって、そもそも、こだまは自由席だったけどすかすかの平日だし、広島始発ののぞみは指定席を取ってたし、早くから乗り込めて、ラッキー隣が来なかったし!姫路でも、始発で、座れたし、加古川線も始発駅だったから、待つ時間があっても、座れているから大丈夫。寒くないし・・・って感じだった。下関に比べて、明らかに、寒い! けど、まあ、結構な降り方で雨が降った後のようだった。ジュリ友さんが、「17日は自転車で行くけど、もしさっきみたいな降り方やったら、頼むかも・・・」って言うことだった。それくらい、がっつり、降った後だったってことだな。ジュリ友さんは、夫さんから、コロナを年末にもらっていたらしい・・・さて、明けて、1月、10日は元夫君の癌の術後の3ヶ月ごとの検診日15日は、自分の心療内科の通院日で、17日が大阪でジュリーで18日~20日がお寺さんのお参りの為の帰省、25日が、胃カメラで・・・来月の2月25日が、その他の健康診断日。勿論、2月には2月で、お寺さんのお参りの日がある・・・これから「12ヶ月の間に13回」帰省すると言う生活が何年続くかだな・・・自分の足腰の劣化・老化との戦いでもある。まあ、先月からのお試しのお参りやら、お試しの一時帰宅やら、母の気が済むようなお正月やったから、それで今は良しとしよう。姪との会話も、大体においては、私の老後の生命保険・医療保険等の請求とかの手続きを真面目に、お願いできた。あとは、保険会社の指定代理人などを、書き換える作業が残されているけれども。他に頼れる相手は居ないからって、私は前から思っているけど、去年以降、姪にも、そう思ってもらわないといけない深刻度が増してきた。姪も、今、自分の母親(私の妹)がその母親(私の母)の為にしている手続き類を、見聞きしているだろうし、現状、私には、他に頼れる手が無いことは、哀しいけど、明らかなので・・・帰省している間中、ずっと心が重かったのは、そう、わが身の老後を思うからなんよね。母の上に起きることは、やがてはわが身に起きること。そう思った時に、どうすべきかを考えるよね・・・そして、私には、不良債権が・・・う~ん。今日、一瞬見かけたときに、転送のお礼を言いながら、チクリと、「中山競馬してたやろ!」って言ったら、正解でした。12月28日ね。。。私のボケた思い込みと・・・競馬に夢中でメールを放置していた今年75歳になる元夫君と。まあ、転送に成功し、お節料理は食べられたから、結果オーライなんだけども。。。母は、好き嫌い激しく、哀しいくらい意志強く、せっかくのお節も・・・来年からは、単品で、母の好みそうなものを買うべしと思いましたね・・・冷たいことが、そもそも、気に入らないんだもんね。。。数の子は、好きだったなぁ。茹で海老も。ブリの焼いたんも。タイの焼いたんも。今回無かった筑前煮は、買うべし。合鴨のローストは食べそう。栗きんとんのトッピングの栗は、食べてたな・・・人の苦労も知らんとまぁ。。。
2025年01月06日
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調整日は、自分を緩めたり締めたりする、何も予定を入れない日。今月は、異常に忙しく色々な予定が次々に来たので、今日が結果的に調整日で良かった。勿論、チケットが取れてたら、今日五日の日曜日に帰るつもりだったけど、無理でした・・・で、明日という、仕事始めの日に、広島からの「のぞみ」のチケットを取って、そこまでは「こだま」で、ちんたらほい・・・なんだけど、昨日までの張りつめ方が異常で、昨日の晩、本当に寝つけなくて、やっと一眠りして起きたら、3時過ぎだったっていう絶望感。そこから頑張って、細切れにでも寝たかったけど、眠れなかった。諦めて、5時半に一旦起きて、パソコン立ち上げて、トイレにも行って、小一時間起きてて、自分でどうするか考えた。薬、今から飲んで寝るか、それとも、飲まないで寝るにチャレンジするか・・・飲まないを頑張った2・3・4日だったけど、前の2・3は、4日があるから頑張れたけど、4日は、もう終わった後で、心の疲労度が高すぎて、高揚と疲労とで・・・晩御飯も食べられなかったくらいだし、ともかく、一日何も無いから、今日は緩めようと思って、11時までは布団の中で、頑張った。12時間、前夜から経って、午前11時にやっと、起きられて、寒気があったので、身体を温めるために白湯を飲んだ。最初はちょっと熱すぎたけど、だんだんと、胃に熱い湯が少しずつ入っていって、着こんでいた上着を脱いで行って、白湯が、丁度のぬるさになったときに、その白湯でサプリをのんだ。あ、サプリの前に、緑の胃薬サクロンも1包飲んだ。長い時間、胃が、空っぽだったから、白湯と、サクロンとで、機嫌を取ってから、サプリを飲み始めたんだけど、白湯って、いうか、水でって言うか、サプリとか飲むの難しい。いつもなら、「つぶより野菜」のとろみで流し込んでるから、サプリもどんどん飲めるけど、とろみが無いと、本当に大量の各種サプリが、飲み込めないこと・・・びっくりする。でも、つぶより野菜を温める暇なく、白湯からいったから・・・サプリが終わってそれから、つぶより野菜をカップに半分入れて、レンチンして、冷たいままのを後で足して、スープのようにして飲んだ。熱くして飲んだのは初めて。。。まあ、これで、一日分の野菜を摂取して、朝食と昼食兼用の食事ってことで。たんぱく質とかは、BF-1とミルミルSと、森永のコラーゲンジュースで補給した。身体・内臓が温まってからね。洗濯して、洗濯物を浴室乾燥させたり、なんだかんだと、身体が動くようになってきて、夕方5時前には、毎日通っているお墓に、生花の水替えに行けた。明日の生ゴミ出しのこととかあると思っていたので、それを妹に頼むべく、連絡したら、今日も一緒にお墓に車出してくれると言うことだったので、助かった。お墓のお花は、天気が良く風が強いから、放っておくと、水が早く無くなってしまう。だから、毎日、水を家から持って行って、一瞬で追加して、ほんじゃ!って帰ってくる。妹は、車を出してくれるだけで、墓前に立つのは、私だけだけどね。西日を浴びる油谷湾(ゆやわん)の景色を堪能する短い時間。戻ってから晩御飯の支度をして、今日は、ちょっと晩御飯と言うか、固形の食事を。。。日持ちしない食材は整理されないといけないし。。。明日の戻りは、いつもの時間に姪が送ってくれるはずで、LINEで確認済み。雨の予報だけど、夕方には、上がっていて欲しい。JR神戸線は、今日も朝から人身事故で大変だったようだ。無事に動きますように・・・今夜は、ちゃんと服薬して、早く寝ようと思っている。18・19・20と、またお寺さんのお参りで帰省するし。17日はジュリーで大阪だし。25日は、(キャンセル待ちの空きが出て)胃カメラだし・・・一月、いきなり大変すぎた・・・有って良かった調整日。
2025年01月05日
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色々あったけど、メインイベントを無事に完遂できて、東京からの青学のイケメンと、大阪で社会人になってる強面のお兄さんと、呑気なパパと、素敵なママと、会えました。呑気なパパが、中国の大学から、日本の国立大学の大学院を受けるのを支援したのは、父が、胃癌の手術をした後でした。父が体調を整えながら、なんとか大学から中国に行く船に乗り込む一員になって、中国側の通訳だった彼のお父さんと知り合えたから・・・懐かしい若いころの彼の思い出は尽きないけど、広島大学の大学院に合格するまで、暢気すぎて、苦労しつつ、でも、行った広島で、私費留学生だった金持ちの奥さんと出会えて、ゴールインして・・・一人の青年が、一組の夫婦に増え、長男が次男がと年ごとに増えていって、次男坊も、去年から、青山学院の学生になって、東京暮らし。華やかな都会の生活を送りながらも、サークルやバイトに注力していて、3カ国語が普通に話せ、読み書きできる学生として、楽しめてるようです。。。一家四人が、全員、英語も中国語も日本語も堪能で、すごいなぁ・・・って思う。中国のママの方のおじいちゃんおばあちゃんが来日していて、3か月滞在と言っていた。広島での暮らしは、安定しているようで、パパさんは、刺激がないって言ってたなぁ。パパさんの方は、もう、両親も居ないし、家族は結婚してドイツに住んでいる妹だけかな???家族で帰化して、日本人になっているから、もう、中国には戻らない。日本での家族は、私たち。息子たちが結婚するまでは・・・長男は、アメリカの大学に行っていたのに、地味~に真面目な印象で、コロナで就職苦戦。現在は転職を真面目に考えているように見えた。次男は英語で学ぶのが売りの中国の全寮制の高校に行ってたのが、丁度コロナ禍中で、帰国もできなかったりしたけど、まあ、ゆったりと大学選んで、良かったなぁと。去年も、今年も、青山学院は、駅伝で名を上げてるから、適度にまじめで頑張る印象がついて、昔のようなチャラいアホ学のイメージが減少・・・色々と話を聞いていて、母が、ちゃんと聞こえてないこととかも、前もって言ってあったので、なんとか、嚙み合った感じかな・・・妹は、最初から、来てくれていて、やがて、妹の主人、最後に姪が合流。。。記念写真を撮って、父の為に焼香してもらい・・・1時間半の大団円。。。丁度4時まで。お仏間の父の写真を見せながら、今は亡き、パパの方のお祖父ちゃんとの出会いを話して、ちょっと、あんまり彼らの記憶に無いだろう、パパ方の祖父(日本留学の経験とかのせいで、文革の嵐で苦労して早くに亡くなった)との二人の出会いのおかげで、今の暮らしが有るんだよ~~~って感じで。一家を見送って、母を送って、お墓の花の水を替えて、帰宅したら、姪があれこれ片付けてくれてて、食洗器にかけるばかりになっていたので、お願いした。やり方も、教わった。見当たらなくなっていた充電式の電気行火も、発見してくれていた!!何週間探していたか・・・お礼に、私用にってもらったお菓子とコーヒーは、姪にやったわ!ホッとしたし、疲れたし、もう、姪が輝いて見えた!20250104任務完了!
2025年01月04日
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今日は、朝から施設で入浴して、11時過ぎに来るって言ってた。母の思っていることと、迎えに行く妹の思っていることが、30分ずれてたみたいで、入浴後の帰宅の準備とか、母の思っていたことと、ずれがあった模様・・・まあ、帰宅した時は順調だったんだけど、昼食も、昨日は、冷たいお節に、母の食指が動きにくくなっていたので、今日は、買い置きの冷凍のから揚げを一口サイズに切って温めたり、生みそのインスタントみそ汁も温かく・・・ご飯だけでなく、手順を考えて食卓を整えた。すると、母が、結構食べて、昨日の食べ残しが嘘のように、食べて・・・ご飯も全部食べ終えた。ところが、その後、母が、食後の安静タイムに、寝込んで、1時から3時過ぎまで、途中、トイレにも行かず、寝たまま・・・一度呼び出し電話が入ったので、トイレかと思ったが、違って、「寒い」って・・・寝入ってしまって、二枚もかけてあったひざ掛けがずり落ちてしまっていたから・・・で、ダウンのジャケットも肩に羽織らせて、ひざ掛けもかけなおしたら、また、折り重ねたタオルを額に当てて枕にして、寝てしまい、結局2時間。何度も、途中、見に行ったが、寝ている。そして、最後に見に行った時、「良く寝たわぁ。夢も見んかった!」って、私の心配は無駄だった・・・無意味に、心配したのに・・・能天気な。。。その後も、姪がやってきてくれて以降に、巨大な一波乱あったが、まあ、明日に向けて、良い薬になったろう。いや、なってほしい・・・妹の旦那さんも朝夕、来てくれて、母の、駐車場から玄関、上がりかまちをクリアできるように、力を貸してくれる。本当は、姪と私でもできるんだけど、母が幼児返りしていくので、靴が履けなかったりする。それを私がケアするから、妹の旦那さんが、ありがたい。二人で、母の乗った手押し車を持ち上げ、下ろす。玄関を出るとき、小さな段差を母が怖がって声を上げた。そう、逆向きにしないといけなかったのに、前向きに、出ようとしたからね。。。あれこれ、あれこれ、あれこれ、明日の為に。メインイベントだからね。。。明日、無事に過ごせますように。送って行ったあと、妹が、「お母さんの顔、だんだんお父さんに似てきた」って言う。・・・頑迷固陋・・・な老人の顔ってこと???
2025年01月03日
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昨日の母の状態について、妹は施設から車椅子を借り出すとか言ってたけど、私としては、大掛かりで、軽四に載せるのも大変だと思ったので、秘策を巡らしてみた。それは、母がゴミ出しに使って持っていた手押し車に母を乗せて、移動させ、手押し車ごと、玄関を持ちあがると言うものだった。試しに、自分が乗ってみて、サイズ的には大丈夫なことを確認した。いざとなったら、座って休めると言う設計だったので、強度は十分。で、車の助手席から、そこに移乗してもらい、押して、玄関まで行って、そこからは、その手押し車ごと、左右から二人で抱えて、家に持ち上げた。一旦、玄関を乗り越えれば、後は、昨日も伝い歩きでできていたから、大丈夫。やはり、昨日は、妹の動かし方が性急だったのかもしれない。今日は、最初から最後までまあまあうまくいって、何度も用便に伝い歩きをし、その都度電話で呼び出されて、見守りに行った。「○○して」と言われても、母ができることはしてあげなかった。爪楊枝を取って楊枝入れに入れてって言うから、お母さんの真後ろの棚にあるから、自分で取って入れてと言って、座椅子を回して、自分でしてもらったし。体温計を自分のバッグに入れてって言っても、自分で入れてって、バッグを渡して、自分で入れてもらった。できるのに、しないで、指図するのは、悪い癖だ。父が、昔から、母の「ありがとう」が、教員が生徒に言うようだと、嫌がっていたが、病弱だった幼少期からの、してもらって当然と言う態度は、そう簡単には直らない・・・まして、今は、患者様から入居者様になってるから・・・自分でできることは、自分でしないと、人にしてもらったら、忘れてしまう。どこにやったかわからなくなるし、適当なところに混ざってしまうし、夕方、妹が迎えに来るまでの間に、早めに玄関に移動したがるから、玄関は竜宮城じゃないよって言って待たせた。寒さの中で待つ羽目になるからだ。妹が着いてからで十分だからって、上の姪も言うんだけど、まあ、予定時刻の5分前に、母の部屋履きを脱がせ、玄関先までまた手押し車で連れていき、靴を履かせて、妹が着いてから、二人で抱えて下ろした。自分で履いたり、自分で脱いだりできるけど、時間がかかるから、したがらない。これは、施設内では、自分でしていることなのだ。しかし、今日は都合5回はトイレに伝い歩きで行って帰ってを繰り返していた。お節料理は、冷たくて、飽きてきたと思う。昨日に比べて食べる量が減った。そのくせ、数の子は、好きで、結局二日とも、一人で数の子を食べた。半面、黒豆とか、伊達巻とか、甘いものとかは、まったく口にしなかった。そして水分は、口にしない。以前と変わらない。これは、医者によほど厳しく言われても、直らないと思う。水なんて、まったく飲まないし。お茶も、最初の一口二口でおわりで、9時半から16時半までの間に、200cc足らず。理解していない。正しく水分を取ることが、身体の中の水を巡らして排出させることを。これでは胸水は解消されないだろうと思う。元夫君の方が、マシ。。。母は、胃が小さいことも言い訳にしているけど・・・1500cc~とかって、夢のまた夢だな・・・明日は、午前中の入浴がある日なので、その後に妹が迎えに行って、到着はいつもより1時間以上遅くなるようだ。10時半~11時ってところかな。良いけど。私は、長く寝られて幸せな気がする。今朝は、6時間でどうしてもそれ以上眠れなくて、少し布団の中で、スマホ見たりして横になってたけど、限界だったから起きだしていた。夜中に、一度ならず二度までも、左のふくらはぎが痙攣しかけたからだ。原因は、わかっている。墓前の花の水替えの為に、急な長い墓地の階段の昇降を急いだせいだ。ので、今日は、夕方ではなく、昼間、母がトイレから戻った直後に、20分だけ行ってくるって、言って、出かけた。実際、急がなくても、そんなもんで十分な時間なのだ。だけど、夕方は、暗くなると気が急くから。。。昨日は、妹が車で戻ってくるのが遅かったから、日暮れを気にして歩くのが早すぎた。残っている湿布薬はあと1枚きりなので、今夜は、堪忍してほしいと思っている。。。夕方、姪が、二人がかりで、パソコンとスマホを同期させてくれたが、姉妹でも上はアンドロイド、下はiPhoneと、違うので、まあ、iPhoneの私としては、下の姪の方が頼りになるけど、職場で使っていてやたら詳しいのは、上の子なので、どっちにしろ、助かった。。。呆れられ、笑われたけど、拝み倒してやってもらった。・・・これで、いつ、パソコンにコーヒーこぼしても、新しいのに、移せる???ってこと?いや、家のおんぼろパソコンの買い替えに向けた不安が、少し減ったって言うことか。。。もう10月でサポート切れてしまうし、家用と蔵用と、2つは欲しいと思っているので。後は、6日からの日本経済の動き次第ってことで。。。ともかくも、老いの坂を転げ落ちる速度は速まっている中、ちょっと帰省した甲斐があった?
2025年01月02日
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まあ、緊張して、寝過ごしたらあかんと思って、目覚ましかけて寝てるから、何度も何度も目が覚めた。そして、その度に時間を見てまた寝て、最後は、目覚ましで起きた。だから、寝不足。寝てた時間の割に、熟睡感は全くなかったけど。。。母の居るべき部屋の室温は20度をキープしていたが、米を洗い、40回水を替え、1時間浸水して・・・(コメの取説に書いてあった通りに)室温を22度にすべく、エアコンのリモコンを触っていると、エアコンの自動判断で、なんか、20分くらい停止するらしくて、知らんがな・・・姪がちょうど来てくれて、困っていると、さっとスマホで調べてくれた。待っておけば大丈夫らしいと。そうこうするうちに母が着いたので、姪を駐車場に迎えにやったが、妹と姪とが急がせ過ぎたのか、母が、脱力してへたり込んでしまい、玄関先で、そこから上に上がれなくなった。10歩ほどを、支えられて歩いただけよ。。。過呼吸か、ヒステリーか???目があかないから、何も見えないとか、わけのわからんことを言う・・・熱も無く、脈も上がっていない。ま、ヒステリーだな・・・入院中も何度か起こしてたやつな。両脇から手を入れて上に引き上げるしかなく、そうやって、食堂まで運んだ。気をつけないと、高齢者は、簡単に肋骨折れるからね。こんな時、以前の私なら、自分より重い生徒でもお姫様抱っこで抱えてたけど、姪や妹には、頼めないし。左右から二人で抱えるのは、練習してないと一度にはできない。でも、自分の椅子に座って、ホッとしたら、別人のように元気になった。一過性のヒステリー症状だったな・・・車を降りるまでは普通に元気だったらしいから。その後、姪と妹は家に戻り、実家には、私と母だけだ。あれしろこれしろを、あれこれ言われ、静かになったと思ったら、自分に来た年賀状を読みふけっている。希望の食事時間を聞いてから炊飯器のスイッチを入れた。トイレに行きたくなったら、携帯に電話してねって言って、私は母の居城から、寝室に戻った。最初の電話で、母は、伝い歩きでトイレに行くことができるのを再確認し、炊きあがった極上の白米で、仏飯を上げ、それから母の希望通りの分量のご飯で、一緒にお節料理を食べた。最初は、お節以外の取り寄せの生ハムそれから1台のお節を二人で取り分けて食べたけど、母が、食べそうなものを一口サイズに切って、食べてもらう感じだ。結局、白米の美味しさも良かったようで、母は、満足して最後に栗きんとんの上の栗だけ、追加で食べて、メインエベントは終了その後、2時半ごろまでは、胃の手術以来続く、母の昼食後の休憩時間だ。そこから、妹の家族が、ばらばらに、ちょっとずつやってきて、慎重に配置された廊下の、母の伝い歩きの為の椅子を台所に戻して、4人と母と言う構図で、私は、寝室に引き上げていた。やがて、妹が帰り、下の姪が帰り、妹の主人が帰って、最後に上の姪が残っていた。そうこうするうちに、母が、トイレに行きたくなって、また椅子を廊下に配置しなきゃいけなくなった。都合3回目で、母は、伝い歩きで、トイレには行けたけど、3回目、戻ってくるのは、辛くなったようだ。そろそろ施設に帰る時間だし、母の心の中で、妹の迎えが欲しいと、思ったこともあり、母の動きが面倒になってきた。自分の思っていることが、妹にちゃんと伝わっていないようで、施設には4時半には戻ると言ってあり、妹は、4時半に迎えに来ると言う。上の姪に、連絡してもらって、急がせたが、母は、3回目の用便で、大便に息んだせいで、結構疲れている。その上、自分としては、食堂ではなく、トイレの横の玄関で待ちたかったのだろう。無駄に、1往復分(20歩ほど)歩数が増えた分、機嫌も体調も悪化し、妹が来た時には、朝の状態に逆戻りしていた。。。車までが大変だった。帰ろうとする上の姪に、私が、一緒に車に乗っていくように指示して、ちょっとほっとした。。。車で往復しても10分もかからない距離だから。私も、車で出かける用事があるので、妹の帰りを出かける準備を済ませて待っていたが、一向に戻らないので、不安になった。私の用事は、墓の花の水足しだけだけど、母の調子が悪かったら、大変だから・・・けど、そんなんじゃなくて、妹が施設の人と話をしていたためらしかった。墓の花の水足しを済ませて帰宅して、茶器の片づけをして晩御飯の支度をしていたら、元気な、呑気な、母の声で、電話があった・・・もう、明日からは、睡眠不足は、勘弁してほしいと、心から思っている。能天気な電話の内容は、後日・・・疲労困憊・・・
2025年01月01日
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