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いろいろと予定が狂った今年の大晦日だった。昨夜から急な仕事が入っていて、炬燵で3時間睡眠だった。朝から仕事を始め、切りが付いたのは午後3時だった。相手先にその書類を届けに行こうとすると外は大雪だった。慎重に車を運転して所用を終え、帰りに日本酒を買ってきた。するともう大晦日行事で、息子の本棚の整理を手伝った後、すぐ夕食になった。すき焼きを腹いっぱい食べたあと、そのまま炬燵で寝入ってしまった。十時半ごろ起き出して、年賀状のメッセージにとりかかる。TVではカウントダウンが始まり、年越しそばを食べて新年を迎える。小学生の息子はここぞとばかりに元気で、年が明けてから一茶の俳句や昔の人の教えなるもの(諺)を大声で朗読し始める。一段落ついてから、一緒に入浴する。息子と妻が寝入ってから、年賀状の続きにとりかかる。一枚一枚相手の顔を思い浮かべながら、すらすらとペンを走らせる。終わったのは、3時を廻った頃。雪が積もって凍った道を、歩いてポストまで行って来た。かれこれもう4時だ。こうして、なんとか、年末の行事を終えてPCに向かっている。宇宙のダンスのまとめを措いたまま、2泊3日で白馬へ行っていた。スキーと温泉を楽しんだのはよかったけど…。30日に帰ってきたから、この始末だ。だいたい、予定というものは狂うものと思っておいた方が良いのだ。ということで、宇宙のダンスの話も年を越すことになってしまった。それは、11月下旬にピークを迎えたお話しだが、27日の満月の日の大津波には驚いた。2004年自体が、多少狂っていた年のようだ。猛暑、台風、地震、津波・・・それのどこが調和か、あるいは、調和と不調和は裏腹か?とりあえず、とりとめも無く、今年とその最後の日を振り返ってみた。日記はやはり、日々書くからこそその力を発揮するのか…。まるで日記とは言えない頻度の、ブログ初挑戦の日々であった。今年最後の日に、それだけは振り返って今年を終えよう。みなさん、よい年をお迎え下さい。わたしは、今年の新年に買った達磨の目を入れて眠りに就きます。来年は、どんな年になるのやら。おやすみ・・・。
2004/12/31
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今夜はクリスマスイブ。静かすぎるのは なんのせい?先々週からUPし始めたシュタイナーのことばも、今週は「聖夜の気分」だ。そこでは、自らの霊が子どもとして この世に生を受けた喜びが語られている。その歓喜の産声は、宇宙の果てまで届くという。西洋の伝統では、今週がはじまりを意味するのかもしれない。幼な子の生誕。この期に『初心』に戻ろう。稚きこころは 誰のこころにも潜んでいるはず。そこからスタートしよう。11月下旬から始まった 宇宙の星の配置ウォッチングも、あさっての満月で、一応の決着がつきそう。星の配置を、読んでも読まなくても、我々は宇宙存在として生を運んでいる。やたらに気にするよりも、毎瞬の直感に随って生きて行くがよい。幼な子のこころは、そう教えてくれる。と、云う訳で、明日レポートを書いて この一月を締めくくり、あさっては、今年最後の満月に祈りを捧げて この一年に感謝しよう。2004年のイブにて…
2004/12/24
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星の動きはとりあえず落ち着いてきたようだ。11月25日からのめまぐるしい動きについては、もう少しお預け。もう少しでUPします。あるお方によると、今年自体が60年ぶりの変動の年らしい。星の動きと、この世の動き。どちらがどちらかの原因とかじゃなくて、連動と言うことだ。シンクロと言えばいいのだけれど。されば、わたしが星を動かしてみせる位の意気込みがあっても良い。星の動きに合わせて、日々の行動を決めたりするのは真っ平だ。でも、気になることは確か…。このところ、わたしを含めてわたしの周りのいろんな人たちが変化の時期を迎えている。長年やって来た仕事をやめたり懸案事項にピリオドを打ったり新しいことを起こそうとしたり門をたたいたり引越しをしたり方向転換をしたり重荷を背負ったり病気になったり温めていた自分を外に開放したりゴールにたどり着いたり新たなスタートラインに立ったり決意をしたり…・…この大きな波は、しばらく続くようです。その大きな周期は60年かも知れず、それはわたしの年を上回っている。現在調査中です。皆さんの身近でも、何か起こっていますか?心当たりがありましたら、教えてください。
2004/12/16
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11月25日に『聖ペンタゴン』として書いた続きを書こうと思い、いろいろ調べているのですが。それ以後も、まだ影響が残っているようです。今夜は詳細を書けませんが、さわりだけ。つい最近、火星♂と金星♀がさそり座で合(地球から見て同方向に重なる)になって別れたところ。これは、陰陽・男女の一致と別れでしょうか?そして、12月12日12時が、またすごい。太陽と水星と月と地球と冥王星が、いて座で直列します(合)。これは、人生の目標が、生死の中で、伴侶を巻き込み、情報を発信すると言う意味かな?支離滅裂な文章で申し訳ありませんが、とにかく明日の正午が楽しみです。んなところで今日は終わりにします。
2004/12/11
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4日目:12月5日(日) 午前中は岡山に住む姉と義兄と母で、姉の知り合いの食事どころに招待される。車で小一時間、玉野市にあるその店は、脱サラした女性が営むこだわりのお店だった。予約制で、お任せ料理。昼食を、えびパンやニンニクボンゴレスパゲッティーや和風餃子など、手作り料理をおいしくいただいた。 倉敷に惹かれつつも、夕方の岡山駅前で桃太郎像を見ながら旧友を待った。かれこれ30年の付き合いだ。4時丁度に現れて、2人で歩き始めた。岡山駅周辺の町並みも、けっこう変わっている。前日行った3丁目劇場辺りまでゆっくり歩く。まだ日は高く飲むには早すぎる、昼下がり。目指すは昔行き付けたドイツパブ。まだあるかな?と言いながらの、そぞろ歩き。場所は友の記憶が確かで、しかもまだやっている。開店の5時まで待ってドアをたたいた。 食事は、定番のビールにソーセージにジャーマンポテト。店の女将に聞いてみると、1976年以来だそうだ。友がOPENとほぼ同時に見つけ、帰省するたびに利用していた。開店来の客と知って、女将に笑顔がほころんだ。思い出とは不思議なものである。音楽や土地や部屋によって回帰させられる。 能勢氏の「スペクタクル集大成」ではないが、30年の年を経れば自ずと月日の澱を感じざるを得ない。電話回線の仕事をしている友と、これから独立しようとしているわたしと、今の話をしたかと思えば、一気に過去のエピソードに飛んだりする。そして、「お前のやることだからそんなことじゃろうけん」と、互いに掛け合い認め合う。30年前からわかっていた事のように。まさに、穏やかな会話だった。そうしてその日は早めに切り上げた。第5日:12月6日(月) 移動日だ。しかし、し残したことがあった。能勢氏の展覧会の最初の部屋に並べてあった、産土神社の御霊石、50個。能勢氏にそのことを尋ねた。産土(うぶすな)と言って縄文の古来から各地にあった霊的スポット、それが今でも産土神社として残っていると。神道の友人に聞いたらば、各人に産土神社があり、そこの神がその人の人生を導いてくれると言う。だいたいが、生まれ育った土地のものが最初のそれに当たるという。 午前中に、実家の近くのスポットを回ることにした。父と二人でまずは寺院。法界院という駅名にさえなっているのが近くの小高い丘の上にある。弘法大師の真言宗の流れだ。面白いことに、そこではミニ四国八十八箇所めぐりが出来る。一番の阿波○○寺から八十八番の讃岐○○寺まで、一つ一つお参りしながら小高い丘(半田山の一角)を一巡できるのだ。各札所には、必ず向かって左に四国の本院の仏様が、右にはいつも弘法大師の仏様が並んでいる。小一時間でプチお遍路さんだ。 その後、旭川の土手を通ってくだり、地区内にある御崎神社に参拝する。出雲大社からの流れらしい。御霊石を勘で見つけて、いただく。これは四国に良くあるブルーグレーの堆積岩で、片手で握れるほどの縦に長い小石だった。 次に町内会の神社である天計神社に参拝する。ここは、前方後円墳の、円の方の墳頂に建てられていた。天の計らいの神社だ。そこでも境内を廻り、自分の石を探した。見つかったのは、横に平べったい茶系の小石だった。 その二つの小石を両のポケットに入れて実家へ戻った。 旅の荷物をまとめて、法界院から岡山駅へ。新幹線700系のぞみに乗りこむ。新神戸まではデッキにいたが、四国出身の大阪人のおじさんが気軽に話しかけてきて、いろんな話を放してきた。対応しながら、大阪人だなぁと思った。新神戸から喫煙席が空いて腰をもぐらせた。ビールを売りに来るカートを待っているうちに、いつの間にか眠りこけてしまった。気が付けば、もう品川付近。夕食の弁当を食べ損ねた。 自宅に着いたのが18時過ぎ。自宅でひとり、ビールで岡山名物の『祭り寿司』を食べているところへ家人が帰ってきた。 思えばこの小旅行は、4泊5日だったけど、30年の時を行き来しながら、沢山の人々に出会い、沢山の人々に再会した不思議な旅だった。今年がそういった意味で、何かのエポックの年になれば好いなぁと思っている。 さあてと腰を上げて、これから何をしようかな・・・
2004/12/09
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12月4日(土):雨風強し、台風通過との事。 昨日の流れで、岡山駅の地下改札で編集学校関係の方々と落ち合う。またまた、初対面の方々4人ほど。みんなで、岡山名物(?)、デミグラスソース・カツ丼というものを食べた。岡山出身のわたしも知らなかった。その後、懐かしい町並みを雨の中、相合傘で三丁目劇場へ向かった。これは岡山市が吉本興業を誘致した劇場だが、もうすぐ、吉本は撤退するらしい。 12時頃に受付けを済ませ、今回のイベントのカタログを買う。それは、研究社の英和辞典のようないでたちで、中には極端ほどに小さいタイプがぎっしり詰まっていた。索引なども充実していて、まさに『能勢伊勢雄辞典』だった。能勢氏の1968年から2004年までの仕事が網羅されているのだ。そのキーワードの一つが『遊学』で「どんなジャンルにもとらわれず、どんなジャンルにもかかわっている」ということだ。その初期の段階で、雑誌『遊』の松岡正剛との出会いがあったことが、これまでの活動を支えてきたという。親切にもそのカタログにはルーペまで付いていた。 開演前の隙間時間で、このHPで知り合った方々にもお初お目見えをしたり、遠方の恩師にプレゼントをしたり…。 13時からいよいよ松岡正剛の基調講演、そして松岡X能勢のトークライブと続いた。基調に流れるのはやはり『遊学』の精神だ。「出遊」すること、みちの果てまで遊びに行くこと。それを30数年続けてきたのが、この両雄だった。能勢は1974年に日本で初のライブ設備付きの喫茶店『ペパーランド』をスタートさせ、今日ではライブハウスオンリーのスタイルに移っているが、その30年間に訪れたミュージシャンは有名所を含めて数知れない。いつも音楽界の先端・前衛を走ってきたという。 その初期に松岡に出会い『岡山遊会』なる自由なサロン的ワークショップを月1回のペースで続けてきている。継続こそ力である。しかし、実は、松岡正剛が岡山を訪れたことは今回が初めてだという。一方の松岡は東京の地で、『遊』の工作舎に始まり編集工学研究所を打ち立て、編集学校をはじめさまざまな活動を展開しているのは周知の事実だ。30年目にして初ライブというのもイカシていた。トーク後の会場質問も白熱し、予定の16時を回って終了した。それからわたしは、岡山市が企画してくれた慰労会にも出席し、両雄からサインを並べていただいた、2冊分。それが終わって、3次会は近くの料亭で編集学校関係者を中心に20数人が宴を持った。もちろん、そこまで二人の両雄は付き合ってくれるのだ。松岡正剛に至っては、9月に癌で胃の3/4を切除している身体だというのに…。わたしもそこで、さらに増える初対面者たちとの交流を楽しんだ。 松岡正剛氏と雑誌『遊』で出会って30年、生で話をさせていただいたのは初めてのことだった。それを繋いでくださったのは、4年前、能勢伊勢雄氏だった。そこから編集学校に関わって、今日に至っている。なんとも不思議だが、能勢氏のペパーランドがOPENした年にわたしは岡山を脱出している。そのペパーランドと同じ町内にわたしの実家がある。 どちらがわたしをを引き寄せたか、わかりはしない。不思議なのが人の縁だ。こんなことも、「遊学」には付き物なんだろうか? いずれ続いていく縁なのだからと、その後わたしは早々に実家にたどり着いた。頭の中ではぐるぐるといろんな縁が舞っていた。それが限界だったのだろう。布団にもぐりこんだとたんに、ぐっすりと寝入った。・・・以上今回の旅のメルクマークの一日、続きは明日です。
2004/12/07
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予定通り、倉敷市民美術館『スペクタクル能瀬伊勢雄』展を鑑賞。様々な、同調と附置を感じ、とても言葉にはならない。そこで初めての方々3名にお会いする。讃岐うどんを食べた後、美観地区の粋なサロンに入り、5人+1人で、わたしの趣味のカードゲームをやらせてもらった。『聖ペンタゴン』にちなんだ、カードツールを使ったシェアとなった。夕方にやっと、能瀬伊勢雄氏ご本人と歓談の時が持てる。能瀬氏から頂いた、深みのある言葉だけが残っている。「自分で止めたことは、止められない」今夜はこの言葉の意味を受け取る事で精一杯だ。… 力んで止めたことは、実は終わっていない 形を変えて同じように継続していく ということか? 何かが本当に終わると言う事は「止める」じゃなく 自然に「止まる」という形を取る ということか? 実生活では「止めさせられる」という形を取る あるいは「もう必要なくなった」と言う事で ということか? ある聖者が言っていた 「禁煙・断煙」じゃなく「タバコが自然に落ちる」 そのことか? あることを止めても、それは別の形に移っただけだと 無論「止める」には、ポジティブもネガティブも含まれている 止めればまた、別の事が始まっていく 「死と再生」ということ 変化・変容の時期に、考えさせられるポイントだ その過程の経過が生きていくということ? 自分探しではなく、過程の経過こそ、すべての自分なのだ 「やる気」よりも「なる気」 松岡正剛の言い回しだ 何もしないで良い訳ではなく、自然に乗っていくと言う事だろう※明日は松岡正剛に会える。。。
2004/12/03
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またまた、零時を過ぎてしまった。昼過ぎに自宅を出て、岡山の実家に帰ってきた。新幹線の車窓から、富士山は見そびれたけど、京都を過ぎたあたりで、真っ赤に燃えた大きな夕日(お日様)を拝めた。車中では、ホロスコープや読書に熱中していた。6時間で、ドア to ドア、久しぶりの里帰り。今日はゆっくり両親と3人で談笑できた。いつもは、帰るなり外に出て、飛び歩いていたけど・・・。両親との関係も、ゆっくり変化しつつある。子供って、1度両親を否定して、2度目の肯定に至るらしい。この歳になっても、そんなこと思っている。敵対し、ゆっくり和解していく。そんな感覚を、今日は感じた。死別をもって初めて和解、ということもあるだろうけど、メタファーとしての死別でも構わないだろう。「スターウォーズ」では、父と戦って和解したの?親との和解って「2度目のへその緒が切れた」ってこと?物語は人生のメタファー?それとも人生が物語のメタファー?とにかく、加齢(歳を経ていくこと)でしか解からないことってあるんだなぁ。実年齢には、あんまり関係なく。日々生きていく過程こそが、人生というものだ。歩み尽くしていない我々は、未だに、「人間」じゃ無いんだよね?… … …明日は、倉敷私立美術館だ。そして美観地区散策。見知らぬ仲間が集まる。何かが道をやってくる。「 何かそう思うな~ 」ムムッ!?
2004/12/02
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明日から西の方へ小旅行です。そうです、ふと思ったからです。明日からの日記は、しばらく岡山弁になるかも知れません。明後日は倉敷、美に堪能できるだろうか?明々後日はまた岡山。いよいよ、能勢伊勢雄X松岡正剛のライブトークだ。そして、オールナイトで飲み明かす?合言葉は「 何かそんな気がする~ 」だったかな?「 虫の知らせ 」だったかな?明日までに確認しておこう。いつも日記が零時を越える。そうか、もう今日旅立ちなんだ。プチごぶ♪の旅ガラスだなぁ。… 何か、予感めいたものが胸をくすぐる。ハーモニックダンスの余波はまだあるのかな?・…・
2004/12/01
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