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岡山から京都、そして大阪へ移動しました。この旅は、まだまだ半ばです。懐かしい友人に、久々に会いました。約30年ぶりの面々も居ました。また、新しい人たちにも何人か出会いました。電車で乗り合わせたおじさんや、キャンパス出会ったご夫人や・・・。旅の醍醐味ですね♪京都の比叡山は、相変わらずの雄雄しい姿を見せてくれました。 下の写真は、大阪の街中、とある風景です。
2007/05/28
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無事、岡山までたどり着きました。これから、京阪神へ向かって出発です。しかし、『さざえ堂』を、『すずめ堂』と打ち間違えた時には、真っ青になりました。お騒がせいたしました。ISIS編集学校の『ミメロギア』を試みてみると。<海のさざえに、空のすずめ>ですね。あるいは、<うっかりさざえと、チョコマカすずめ>でした。もしくは、<コリコリさざえに、がつがつすずめ>でしょうか。・・・まだまだ修行が足りません。。下記の写真は、二階の部屋から写した風景です。今日はこれまで。。 ~ 岡山の風景 ~
2007/05/25
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五月の末の旅のダンドリが整いました。これは、以前から予定していたもので、アバウトな計画はありました。ただし、ポイントだけ。それに纏わって、さまざまな旅のヴィジョンは湧いていました。しかしそれは夢のまた夢。けれど、日程が近づいて来るに従って、旅のイメージが徐々に立ち上がって来ました。今回は南西の旅です。岡山、京阪神、許せば四国まで足を延ばせるかな。大枠のポイントは押さえて置いて、それに連なり詳細が決まって行く。これがわたしの旅のやり方です。一週間くらい留守にします。でも、旅先から日記を書くかも知れません。下記の写真は、先日の北東の旅にて足を運んだ、会津の奇建築です。『すずめ堂』ではなく『さざえ堂』という変わった建物です。二重螺旋の階段が内蔵されているのです。外観からも伺えるでしょう。 ~ さざえ堂 ~◇旅立ちの走り書きで、つい、筆が滑ってしまいました。 というか、完全に記憶違い。 ふゆゆんさんのご指摘で気がつきました。ふゆゆんさんありがとう。 そういえばこの建物、どことなくさざえを彷彿とさせますね♪ 旅先にて。
2007/05/24
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(つづき) ◇ 「ふと」思った時から旅へ 日常生活の中で、まったく予期せず、「ふと」意識の中に浮かび上がって来る一種のひらめき、のようなものは誰だって経験するものである。つまり、この時をつかめという事だ。ある作家がこれを称して、「わがU・F・O」と言っていた。確かにそれは、ある日突然、「ふと」やって来るもので、確認飛行物体(I・F・O)ではない。僕はこれを「無意識からのメッセージ」とでも呼びたい。つまり、日常生活で自分を見失っている度合いが増して来ると、無意識の世界から、そういう警告がやって来るのだと、秘かに信じているのである。 ――― アナタニハ、 タビガヒツヨウデス ――― と、 これが来た時に、その思いに身を委ねてみてはどうか、という事である。 そうした時、旅はすでに始まっている。つまり、この「ふと」が、日常から旅へと導く重要な橋であると言いたいのである。この橋がなんらかの原因で通行不能になった時すでに、「悪い状態の日常(悪旅をまねく日常)」に落ち入っている。その時人は、それに気付いていないのだが、やがて、あのズレがしだいに大きくなり、それに気付かざるを得なくなり「悪旅」がやって来る。そしてこん度は、自己を見つめなければと、逆に意識をとがらせて日常生活の重要さを忘れてしまい、自己に収縮してしまう。さらに深みにはまっていく。どちらにせよ、旅と日常を切り離した時に、狂って来たのである。 ここに至って、旅と日常とが二つの別のものとしてはとらえられなくなって来る。すなわちこの二つは、「生」というものが<旅⇔日常>という回路を息づく場合の形式なのである。だから絶えずその間を行き来していなければ病気になってしまうのである。これが「悪旅」である。そして、そのリズムがスムースに行なわれている場合、<楽旅⇔良い状態の日常>という回路が成立している。この時、「旅→日常」の作用を「慣れ」が行なうとすれば、「日常→旅」が「ふと」なのである。そして、今の僕達にとって、この「ふと」をどうつかむか?という問題は、非常に重要な事ではないのだろうか? さて、この「ふと」自体は何でもない事である。単なる気紛れだとしてそのまま放ってしまえば、消え去っていくような事である。それに身を委ねてみなければどうしようもないのである。その時始めて、旅が始まるのである。身を委ねる。すなわち、その思いもままにやってみる事。あるいは、考えてみるだけでも良い。しかし、これが実は困難な事なのである。――日常生活で慣らされてしまっている「身体」、「頭」に取っては。時間とお金が充分あったとしても、である。 つまり問題は、感受性と、頭(考え方)と、それに伴う身体なのであるから。先ずは、それを感じなければ話にならず、次に、気紛れ、雑念として、良く考えもせず打ち消してしまえばそれまでで、又、怠惰によっても始まらない。 要は、感受性を豊かに、頭を柔軟に、身体を軽くしておけば、必ず楽旅が「ふと」おとずれるだろう。そしてきっと、あの喜びを体験出来る。 ――― 明日何が起こるかわからないからおもしろいんだ。 いつも、今日はどんな出会いがあるのかしら、 と思って部屋を出るの。…etc. ――― このような感慨も、出所はここに在るのである。すなわち、「生」の喜びである。実際、一瞬先の事すらわからない。わからないながら、絶えず動いている。これが、「生」である。 そして、「ふと」をつかむ、という事は、僕達にとって、この「生」を取り戻そうとする運動に、他ならない。 さて、冒頭の逃避行を遂行出来ずまま、この旅も終わりに近づいて来た。胃の具合も良くなって来た所で、華麗なる終止符を。 BON! VOYAGE. 『 なにかを思いついても、 それを十分以内に 実行に移さなければ、 そいつは夢の世界に 消え去ってしまう。 』 <バックミンスター・フラー> Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- 完結編です。一つの文章を3日に分けて掲載しました。これは、大学時代に友人達と3人で作った同人誌で発表したものです。名前を『Rooling Game』(ろおりんぐげえむ)と言います。その3号からの転載です。1976年12月22日発刊。「完全不定期刊行物」と但し書きがあります。1975年からスタートして、この3号で止まったままです。でもまあ、完全不定期ですから、また何時、続刊されるか分かりませんが(笑)。 文中の作家さんは、藤本儀一さんです。バックミンスター・フラーは、言わずと知れた奇才の建築家・宇宙論者ですね。この言葉は、当時の『雑誌:宝島』のスクラップから引用したものです。 色が変わっている箇所は、ルビに黒丸が付いていた文字です。(その1)(その2)も、同様に編集し直そうと思います。 ~ ローリング・ゲーム 3号(原版および復刻版) ~ さて、今日はこれから地域ボランティアと仕事です。東京は、曇り空ですがおだやかな昼下がりです。自転車で行こうか、車にしようか迷っています。 まあ、なんとかなるさ~。 「ふと」したタイミングを頼りに動きたいと思うわたしです。
2007/05/18
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(つづき) ◇ 「旅」を追っての旅立ち さて、「他人の日(たび)」の中で人は何に出会うのだろうか? 国鉄サンのキャッチフレーズではないが、曰(いはく)、「自分に出会う」というのは本当である。全くの他人に接する時、人は、今まで身に付けていた地位、名誉、職業…etc. などの「立場の衣」を脱ぎ捨てて、一対一の裸の人間として対処しなければならなくなる。そこでどうしても、むき出しの自分に出会うのである。しばしば、今まで気付いていなかった、あるいは忘れていた新たなる自分に出会って、驚くのである。そうして、旅から帰ると、新しい目を持って物を見ることが出来るようになっているという訳である。 では、旅に出てから人は変わったのであろうか? そうとも言える。しかし正確には、日常生活において、もうすでに変わっていたのである。ただ、そういう自分に気付いていなかっただけの事である。冗談ではなく、僕達は日常生活においては、多かれ少なかれ自分を見失っているらしいのである。ここでもう一度、「自分の日」に戻ってみなくてはならない。 「自分の日」=日常生活というのはだいたい同じようなことの繰り返しである。毎朝目を覚まして、顔を洗って、歯を磨いて、…etc. 。つまり、一つのリズムがあって、そのリズムを繰り返すことによって生活しているのである。そして僕達はしばしばそれに慣らされていて、いつも同じだなあと感じている。又、自分に対しても、無意識に固定したヴィジョンを持っている。大ていの場合は、過去のある一時においてのヴィジョンを現在にまで持ち続けているのである。 しかし、ここで良く考えてみると、いつも同じであるハズは決してない。一人の人間に生命のエネルギーがあり、外界からさまざまな刺激を受けているのであるから、時とともに確実に変化しているのである。だが、僕達はその変化に気付かず、以前のヴィジョンを持ち続けている。ここに、ズレが生じて来る。そしてそのズレは、刻々と大きくなっているのである。つまり、この点で、僕達は日常生活において自分を見失っているというのである。 このズレを発見するという事が、旅において自分に出会うということであり、旅の主要な内容なのである。 この時、人は、当然こんなハズではなかったという感情にとらわれ、うろたえる。そしてもし、そのズレが大き過ぎた場合には、かなりの精神的ショックを伴い、ひどい時には、生存があやぶまれることすらある。これを悪旅(バッド・トリップ)という。一方、適当なズレで気付いた場合には、それはひとつのひらめきとなり、発見となる。時には、全身で受けても余りあるような喜びを伴うことすらある。これを楽旅(グッド・トリップ)という。 誰だって悪旅はしたくない。楽旅を望んでいる。では、楽旅をするにはどうしたら良いのか? それには、その出発点である日常生活を良い状態にしておく事である。では、日常生活を良い状態に保っておくにはどうしたら良いのか? それには、楽旅をすることである。…と、これでは話にならないが、実際そうなのである。つまり旅と日常とは、切っても切れない関係性を持って来るのである。 でもやはり、それでも話にならないので、そういう、良い「旅と日常」のリズムを作るための手がかりだけでもさぐってみなければ済まない。 それは、「ふと」思った時をどうつかむか、という事である。(つづく) Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- 昨日の続きです。ほとんど「若書き」ですが、あえて編集を施すことなくそのままに転載しています。手打ちの時、何度も書き直そうという衝動に駆られましたが、その都度、原文に戻って、誤字脱字もそのままにしました。そういう方針です。もっとも、縦書きから横書きへ変換する時や、ルビをふるところは儘ならなかったので、表記は変わっていますが…。約30年の時を隔てた転載です。そこんとこ、想像で読み替えて下さいませ。 今日は、東京は変な天気でした。昼間に突然通り雨に見舞われたり、天気雨が降ったり…。 わたしは、だいちの学校公開へ行ったり、近所で所要を済ませたりと、地域での日々を楽しんでいました。昼間は「自転車の日」。学校へ行ったり、市役所へ行ったり、ボランティアの場所へ顔を出したりしていました。お陰で、夜はコタツでそのまま寝入ってしまいました。一夜明けて、今日は絶好の晴れ間に恵まれるようです。 下の写真は、連休あたりに、近所で撮った光の写真。雲間から太陽が半分顔を出して、見事な光の演出を見せていました。「ふと」思わず車を止めて、車中から激写したものです。東京の夕方の空の演出も満更ではないでしょう。 ~ 光の演出 ~
2007/05/15
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「ふと」思った時から旅へ 今から僕は旅について何か書こうとしているのだけれど、時間は迫って来るし、どうも筆の方は進まないし、さっきから、何枚も原稿用紙を無駄にしてしまっている。それに今、少し胃の具合が良くない事もあって、書きながらも頭の中のある所では、しきりに逃避行をもくろんでいる。と言っても僕の逃避行とは、ちょっと喫茶店へ行ってコーヒーを飲みたいとかと言う他愛の無いものでしかないのだが。しかし、こう言ったものも、逃避行、すなわち旅の一形式の他ならないのである。 ◇ 旅とは「他人の日」 「旅」ということばの由来は、「他人の日」であると聞いた事がある。「他人の日」の真ん中の二文字が抜けて「他日(たび)」になったというのである。もっともこれは、テレビか何かで聞いた話で、正統性の如何はわからないが、僕としてはとても気に入ってしまったことばである。そこでここは、この、「他人の日」にこだわって話を続けていこうと思う。これならば、少々胃の具合が悪くても書いていけそうな気がする。 「自分の日」ではなく「他人の日」が、「旅」だという事である。まさに要を得た定義ではないか! つまり、「自分の日」というのは日常生活の事であり、そこから抜け出して全く知らない他人の土地へ行き、他人に会い、他人のメシを食い、他人に囲まれて生活し、…etc. というのが旅の意味である。 ここでおぼろげにも、あの御存じの「旅」の姿が見え始めて来る。アンアン・ノンノのお姉さん方の顔や、ディスカバー・ジャパンのポスターなどが、目の前に散らついて来るではないか。 しかし、もし旅というものがこれだけの意味で終わるものであれば、僕はこんな所には居ないのである。もう、とっくに、さっき思いついた逃避行を遂行して、今頃は喫茶店でコーヒーをすすっている頃である。 否、旅というものは、そんな所で、とどまっているような代物ではない。たとえば、旅ということばだけ取っても、僕たちの回りにイヤという程ころがっているではないか! それらの旅、すべてに共通するものは一体何なのか? 僕はこれから、この「旅」という不可解なものを追いつめて行って、この両手でふん捕まえてやろうと思い始めている。(つづく) Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- 昔、発表したものを、原文のままに掲げています。20歳の頃の文章です。縦書き、二段組みの簡易ガリ版刷りの焼き直しです。『アンアン』と『ノンノ』は、いまだ健在でしたっけ。 国鉄はJRに変わり、時代は進んでいます。『ディスカバー・ジャパン』のキャッチフレーズはまだ耳に残っていますよね。 まあ、時代を遡って読んでくださいませ。 昨日、東京はうす曇でしたが、午後から晴れ間が差して来ました。気温は26~27度ほども上がったでしょうか。わたしは職場のテニス大会で汗を流して来ました。ダブルスの個人成績は3勝1敗。しかし、仲間のお陰で団体成績は見事に4連勝で優勝しました。賞品は大したことは無いのですが、優勝カップのキンキラキンには心弾みました。 さて、下記の写真は、東京ミッドタウン。連休入りに旧友に会うために都内まで遠出した時のものです。建築家の友人に案内され、スムースに都内を遊泳。ちょっと、おのぼり気分のわたしでした。六本木・赤坂界隈はどんどん新しく模様替えですね。これも、またいい一人・二人旅でした。 ~ 東京ミッドタウン外観 ~ ~ アーケードに鯉のぼり ~
2007/05/14
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旅の整理をしていたら、収拾がつかなくなってしまいました。伊勢の旅は途中切れですし、連休はだいちと近辺の旅にあちこちでかけていました。一人の旅も連休中にありましたし、ご報告を一杯溜めてしまっています。そこで、ここは心機一転。そもそもの旅のエッセイを近日中にUPしたいと思いました。何せ、日々が旅の日常なので、仕方がありません。30年位前に上梓したたびのエッセイを先ずは挙げておこうと思います。お楽しみにしていてください。このブログのスタートの原点でもあります。どうぞみなさま、お楽しみに。下記の写真は、会津の旅の一こまです。白虎隊で有名な『鶴ヶ城』が桜にショーアップされている光景です。今夜は、写真でご勘弁を。それではみなさま、よい週末をお過ごしください。 ~ 会津の旅より ~
2007/05/10
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