January 22, 2009
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先日お伝え致しましたようにわたくし達は、何の落ち度もないのに理不尽な先輩達の身代わりに五厘坊主になってしまいました。

「あぁ…やはり卓球部になんてはいるんじゃなかった…髪を伸ばして吹奏楽でトランペットを吹いていれば良かった…中学の頃組んだバンドだってまだ解散してないのに“坊主頭”のロックドラマーなんて惨めだぁ~~」と、ふさぎ込んだ日々を送っていたのです。

サンプラザ中野でも登場していれば「ランナー」なんかをコピーしたりもしたのでしょうが、当時は「ハゲ頭の芸能人」と言えば笑点の「歌丸師匠」くらいしか思いつきませんでした。しかし原色の着物を着て「大切りで座布団を取られる」事にもなりません。
だからといって、パンクロックに変身して坊主頭を狂ったように振り回して怒鳴りまくる程の根性もありませんでしたので、出来損ないの陸軍士官候補生のような様でとぼとぼと周囲の視線から隠れるように登下校していました。

しかし二年間我慢して新入生の頭を刈るまでは、卓球部を辞めないと堅く心に誓っておりましたからサボって顧問の先生に首にされる訳にはいきません。全然楽しくなかったのですが渋々練習は休まずに出ていたのでした。

その頃は多球練習もありません。初心者であったわたくしは、まともにボールを打つことが出来ませんので、先輩や中学からの部員に相手されず練習はボールを打つよりも球拾いとトレーニング・ランニングの占める割合が圧倒的に多い日が続きました。

本当に苦しかったのですが、それが怪我の功名となり“リトル肥満児”のわたくしは、2ヶ月後には体重が10キロ以上も落ち、身長170センチ体重63キロと標準的な体型となっていました
すると今まで苦手としていたスポーツが自分でも信じられないほど出来るようになり(苦手なのに卓球部に入るとは…卓球をなめるなシリーズに掲載されそうですが…)球技大会ではソフトボールで活躍することができ、16キロを走る校内マラソンでは450人中23位となり卓球部の中では2位の好成績を残したのでした。

ここでも後輩をいじめるためだけの卓球部の伝統がありました。それは50位以内に入らないと、次の日再度16キロを走る事です。
前日は自信がなく中々寝付けなかったのですが、自分でも予想していなかった23位でゴールした時の爽快感は今でも忘れることが出来ません。

しかし一番嬉しかったのは、わたくしを卓球部に売った友人が103位で次の日「自転車の先輩に付き添われて、筋肉痛に泣きながら走りに行った事です。」
自分の23位よりも数十倍嬉しかったですね「ほら!バチが当たったぞっ!きりきり走れっ!」と校門の影に隠れて満面の微笑みで彼を見送った事を思い出すたびに今でもニヤニヤ笑ってしまいます。

そんな事していましたから、大会では1年間1度も勝つことなく「万年1回戦ボーイ」と呼ばれていましたが、ボールを打って惨めな思いをするよりも「トレーニングとランニング」に勤しむ毎日が楽しく感じるようになっていたわたくしなのでした…  お前は陸上部かアホ… 








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Last updated  January 22, 2009 06:07:32 PM


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