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JR京都駅から東に抜け、河原町通を北上したのだが、途中、人っ子一人いない地区に入り、ここはいったい何だろう?と思ったのだが、あとで知るところによると宝仙地区という、被差別部落だったようだ。
珍しい明治時代の建物が駅近くにあった。何かと見ると、 柳原銀行 とあったが、まさか今日は日曜なので開いてはいまい、と通り過ぎた。
新しい道が通っているし、側道脇には珍しい市営第三銭湯、なるものがあった。
そのときも、疑問に思ったのが、「市営の銭湯?そんな珍しいものは見たことがない、、、」
しかし、、、、人がいないのだ。
道の脇のお寺も門が閉まっていて、厳重な閉じ方だ。そこも人の気配がない。
少し入った民家の狭い路地に猫が2匹いたので近づいたら、猫は縁の下に逃げ、なんと路地には黒い子猫の死体が。
黒かったので遠目には分からなかった。
かわいそうに、,,,亡くなって数日はたっている。うちの猫たちとは大違いだ。
うちの猫たちは幸せだ。調子が悪いと猫は嫌でも、獣医さんにまで連れて行ってもらえる。
のたれ死にすることもなく、餌も十分もらえる。(ミッチーなどはおなかが空いたら、なんでも食べにくる)ミッチーなどはのたれ死にしてもおかしくない状態だったのに、りっぱに成人?して、もう2年にもなる。
どうも猫が居た前のお宅は人が住んでいないらしい。蜘蛛の巣が玄関に貼っていた。
それほど人の気配がない地域であった。
京都にも、こんな駅近くにこのような場所がある、ということに驚いた。
JR京都駅の真東だ。確かに河原町通を八条まで下ったところなのだが、今まで車でも其処は通ったことがなかった。
通る車でさえ、まばらだ。そこまで行って北上するには外れているからだろう。
たいてい大宮通か、堀川通りを北上する。
息子の模試に付いて行かず、また駅から歩かなかったら、一生知らなかったことかもしれない、と思った。
考えてみれば、京都には昔から三条河原、六条河原といった処刑場があった。その関連なのかもしれない。
京都という土地は昔の都、約140年前まで日本の首都であったのだから、何があってもおかしくないはずだ。
いつも京都の良い面ばかりしか見ていないが、光があれば影もある。
京都国立博物館からバスで駅まで戻りった。バスの中では韓国人らしき旅行者が、日本人のの女の子にアメをあげていた。
駅地下で少し遅い昼食を取った。本当はイオンモールの中のお店で食べたかったのだが、荷物も多くなっていて、其処まで荷物をさげ、歩く元気はもう無くなっていた。
この日歩いた距離はあとで地図で計ってみたのだが、ざっと 4、5キロメートル にもなった。
帰宅後は膝の裏が痛かった。(苦笑)
先々月、足を捻挫してから、長距離を歩くことはなかったので仕方ないだろう。
駅で息子を待つこと30分以上。なんと帰りの電車では塾の先生と同席することになってしまい、ゆっくりしようと思っていたのだが、緊張の連続だ、,,,(笑)
当然、塾の先生と言っても私より大分若い、独身の先生のようだ。
以前から塾の中では1番話しやすい先生ではあるが、やはり息子の先生とあっては気を遣う。
細川家の秘宝展の感想はまた後日に。
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