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2015.03.10
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カテゴリ: ドラマ
あしたのジョー1



監督 曽利文彦
出演 山下智久 伊勢谷友介 香川照之 香里奈 杉本哲太

 「あしたのジョー」大好きです。マンガはもちろん単行本を持っていますし、アニメも「2」はリアルタイムでしっかり観ています。(「1」の時はちょっと年齢的に間に合っていません。マンガの連載も。当時はまだ幼児でした。)当時、毎週のTV放送の時間は必ずTVの前に陣取って、食い入るように見ていました。(そして、嘔吐物をキラキラで表現するという画期的な画面に、なぜか感動していました。)
 実はずいぶん古いマンガなんですよね。「週刊少年マガジン」に1968年から1973年まで連載していた、高森朝雄原作ちばてつや作画のマンガです。同時に連載していた「巨人の星」(梶原一輝原作川崎のぼる作画)と2大看板作で、当時「少年マガジン」は大人気でした。その人気の中心は大学生で、当時、電車の中で「少年マガジン」を開く大学生が揶揄されたり、学生運動のバイブルとして、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」と言われたほどです。そういえば、『我々はあしたのジョーである。』と言っていた(マンガのラストになぞらえて、『燃え尽きるまで戦う。』という意味のようです。)のは、よど号ハイジャック事件の犯人(赤軍派)でしたね。ジョーのライバル力石の死の際には、架空の人物にもかかわらず、実際の葬儀が行われた、というのは有名なエピソードです。
 ちなみに原作者の高森朝雄というのは、梶原一輝です。先行していた「巨人の星」と同時に掲載されるということで、同じ原作者の作品が同時に掲載されているのはまずい(?)ということで、別のペンネームにしたということだそうです。
 アニメの方は、「1」は1970年から1971年にかけて放映されており、お話の内容が、雑誌の連載に追いついてしまったため、途中で打ち切られていたそうです。そこで、おそらくは、TVスタッフの中に熱狂的ファンが居り、途中で終わっているのが心残りだったのか、「2」のTV放映が始まったのが、1980年でした。
 そんな僕ですから、昨今のかつての人気アニメ・マンガの実写映画化の風潮にのって作られたこの映画、絶対に観てみなければ、と思っていたのです。だって、「デビルマン」みたいなことがあったらいやですものね。(でも、そうだったら、このブログで、思いっ切りこき下ろしてやりますけどね。)

 昭和40年代、東京の下町で殺伐とした生活を送る矢吹丈(山下智久)は、その天性の身のこなしから、元ボクサー・丹下段平(香川照之)にボクサーとしてのセンスを見出されます。 

 そこでジョーは、チャンピオンレベルの力を持つプロボクサー・力石徹(伊勢谷友介)と運命の出会いを果たし、ふたりは反目しながらも互いの力を認め、ライバルとして惹かれ合うようになっていくのです。
 一足先に少年院を出た力石は、財閥の令嬢・白木葉子(香里奈)の支援による恵まれた環境のなか連戦連勝、圧倒的な強さでエリート街道をひた走ります。
 一方のジョーは、橋の下のオンボロジムで段平と二人三脚の特訓を始め、野性むき出しで“クロスカウンターパンチ”を得意とする人気ボクサーとなっていきます。
 やがて力石は世界タイトルに手が届くところまで上り詰めますが、世界戦の前にジョーとの決着を望み、葉子を困惑させます。
 ジョーも、力石戦実現を強く求めていましたが、ふたりの間には、そのキャリア、実力の差もさることながら、ボクシングでは決定的となる階級の差もあったのです。
 しかし、力石は命を削るかのような超過酷な減量に臨み、ふたりの宿命の対決が実現されるのです。

あしたのジョー2

 全体的な印象としたは、とってもいいです。まず何と言っても時代を昭和40年代のままにしたのがいいです。この物語、その背景に流れる時代感、貧困とか、汚さとか、格差とか、そういうものが非常に大事なんですよね。映画の冒頭の絵から、スタッフがいかにこの作品を愛しているかがうかがえ、非常にうれしかったです、(「デビルマン」とは大違いですね。)
 そして、主役2人の肉体改造、すごいです。
 山Pに関しては、はっきり言って、ジャニーズということもあり、ちょっと不安があったのですが、まさにボクサーという肉体、見事に作り上げましたね。その不幸な生い立ちからくる悲壮感溢れるジョーの雰囲気も見事演じていましたね。(でも、実は原作のジョーは最初けっこうお調子者でクレイジーなヤツなんですけどね。悲壮感溢れるジョーは物語の後半のジョーです。)ちょっと山P見直しました。(まあ、ジャニーズだからといって、バカにしちゃいけませんね。岡田君も生田君も山田君もいますから。)
 でも、はっきり言って、力石役の伊勢谷さんに完全に喰われています。というか、彼がすごすぎるんですね。お話上それがなかったら決して成り立たない、力石の人間の限界を著しく超えた過酷な減量、それを見事自らの肉体で表現していました。計量時に露わにされるその肉体の衝撃は、原作を見事に再現しています。前回も書きましたが、やっぱり彼はクレイジーな男が非常にうまいです。現大河「花燃ゆ」の吉田寅次郎(松陰)役も、もっとクレイジーに演じてほしいですね。まあ、天下のNHKの大看板番組の実質的主役としてはそうはいかんか。
 そして、丹下段平、さすが香川照之です。「龍馬伝」「半沢直樹」と同じく見事な怪演です。まさに丹下段平、見た目も言動も見事に再現されています。一部ネットで、「実写映画の中で1人だけマンガ」とか、「あんな人は実際にはいない」とか、けっこう言われています。でも、考えてごらんなさい、あの容姿以外の丹下段平を、あなたは丹下段平と認識できますか?あの個性あふれる特異な容姿、その個性があまりにも強すぎるがために、それがあまりにも有名になり過ぎたがために、丹下段平は丹下段平であるがゆえに、あの容姿でなければならないのです。それよりも、香川さんが持前の演技力で、あの滑稽な容姿を違和感なくシリアスな物語にマッチさせていたことをほめるべきでしょう。


 まず、白木葉子お嬢様、完全にミスキャストですね。ここまでの葉子お嬢様っていうのは、高飛車でわがままで、ツンケンしたお嬢様、はっきり言って非常に嫌な女なんです。(力石とジョーのおかげで、この高飛車なお嬢様がだんだんと丸くなっていくんですよ。そして最後の告白です。)香里奈さんは一応、ツンケンした演技をしていますが、人の良さがにじみ出てます。きれいで上品そうならいいってもんじゃあないんですよ。彼女は「こち亀」の麗子さんがお似合いです。そうですね、今なら、すっかりいじめ役が板についてきた菜々緒さんなんかいいですけどね。
 それから、少年院のエピソードが短かすぎるのも気になりました。西の存在が薄すぎるとか、ジョーの成長に欠かせない青山君というキャラが消されているとか、そんなことは言いません。ジョーと力石の関係性に深みが感じられないということが言いたいのです。力石が超過酷な減量に臨んでまでジョーとの対決を熱望していたにしては、その理由が「ただひとり引き分けた男がいることが許せない。」では説得力がないです。お話を熟知している僕らは、ジョーと力石の関係は理解できますが、この映画で初めて見た人には、「こいつ、自分を何様だと思ってるんだ。」と反感を買うだけじゃないでしょうか。
 もうひとつ時間の都合上でしょうか、消されているのが、ドヤ街の八百屋の娘、紀ちゃんの存在です。何かと丹下ジムの世話を焼いており、ジョーに片思いし、ジョーが全く気がないと気付いて結局は西と結婚した紀ちゃん、彼女は、ジョーとの最初で最後のデートで、物語のラストにつながる重要なセリフを引き出しているのです。そう有名なあの「真っ白な灰」です。この映画から紀ちゃんが消されているということは、「2」は絶対にないということを表しているのでしょうか。この物語がラストまで描かれることはないという意味でしょうか。
 僕は、「あしたのジョー」の物語は、力石が死んで初めて始まる物語だと思っています。(「タッチ」と一緒だね。)ジョーがなぜ、“真っ白な灰”になるまで戦おうと思ったのか、なぜ、後半のジョーに悲壮感が漂っているのか、そこは最大のライバル力石の死という事実がジョーの心の奥深くこびりついているからです。彼は天才的チャンピオン・ホセ・メンドーサと戦いながら、自分の中の力石の亡霊と戦っているのです。だから、このまま「2」が作られないとしたら、この「あしたのジョー」の映画が完結しないということではないでしょうか。なるほど、この映画でジョーが完全に力石に負けているのはこういう意味だったんですね。
 重要なキャラが消されている半面、時折意味ありげにアップになる黒ずくめの男(杉本哲太)、結局全くセリフもなくジョーたちに絡むことなく、その割には結構有名人を起用している、原作には出てこないキャラ、いったい何だったんでしょうか。僕はこの後、力石の死によりスランプに陥り、草拳闘の舞台にまで落ちぶれていったジョーを、ひょんなことから助けることになるゴロマキ権藤を「2」の伏線のために登場させているのだろうと思っていましたが、Wikipediaで調べたら、安藤洋司-杉本哲太、とありました。ええ!何もんやあ?紀ちゃんとか青山とか重要なキャラを消しておいてなんでこんな無駄なキャラを出さなきゃいかん?まったく意味わかりません。


あしたのジョー3

 ということで、根強いファンの多いにもかかわらず後編は決して作られないであろう、偉大なる名作マンガの映画化前編、または、あまりにもプライドが高すぎたために、すべてのものに勝たなければならないと思い込み、自ら破滅の道を選んでしまった悲劇の男の物語、を今回は紹介しました。
 ただ、「2」を作るんだったら、山Pがおっさんにならないうちに作っとかないかんぜ。何しろ、この後ジョーも過酷な減量に苦しむことになって来るからね。金竜飛戦では、その減量にまつわるエピソードが重要だからね。
 余談ですが、有名な“蛇口に針金”がしっかり描かれていて、嬉しかったです。しかし、あの葉子お嬢様が1人で黙々と蛇口を針金で縛っている姿を想像すると、ちょっと笑えますけどね。(その姿こそ菜々緒さんにぴったりですね。ニヤつきながらやっていたら最高です。)





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Last updated  2015.03.10 16:04:40
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