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先日、この冬一番の積雪を記録。関東地方は雪が降らない。正確には、降るには降るが積もらないという意味だ。もともと太平洋側ということで雪が降ることも稀であるし、ましてや積もったりすることなんて本当に少ない。私が関東地方に遠征に来てから早4年が経とうとしているが、その中でも明らかな積雪として認識出来たのは両手の指で数えられる程だ。とは言っても5センチや10センチくらいなので微々たるものなのだが(笑)雪は雨と違って処理が非常に難しい。それに雪が降るだけならいいが、積もるとなると公共交通機関にも影響が出る。ダイアが乱れるだけならばまだいいが、最悪の場合電車そのものがストップしてしまうことも考えられる。車よりもむしろ電車の方が発展している都会の場合、そのようなことが起こってしまうのは致命的だ。ならば雪国のような雪に強い電車にすればいいのだが、前述の通り雪が積もる機会の少なさ故そのような策が施されることはない。ままならないものだ。まぁそういったマクロな見方ではなくミクロの見方をすると…通行の阻害になるというレベルの雪が降った場合、雪かきの必要性が生まれる。私の生まれ育った場所は雪国だったこともあって、雪かきというのは冬の恒例行事のようなものだ。今でこそ温暖化の影響か何なのかはわからないが、雪がそれほど積もらなくなってきたとは言え、それでも都会で積もるそれよりは明らかに雪の量が違う。故に雪かきも恒例行事となってしまうわけだ。今回はそんな雪かきについての話。先日の雪は、私の地域でも5センチくらいは積もった。流石にそれくらい積もると雪かきをするらしく、近くの商店街では雪かきを行っていたようだ。しかしそのやり方が実に表面的であることに気づいた。雪は積もったすぐが一番除去に適している。しかし夜間に積もる雪などはすぐに除去することが難しい。なので活動時間帯になったらすぐに雪そのものを完全にどかしてしまう必要がある。どかす場所は水が流れる場所であったり、通行の邪魔にならない場所が好ましいのだが、何故だか私の地域の周りでは、雪を表面的にしかどかさない。道の半分しか雪をどかさないのが主流らしかった。最初は私の家の周りだけかとも思ったのだが、どうやらそうではないらしい。歩けるスペースさえ確保出来れば後は雪かきをしないという一貫したスタンスを感じた。恐らくはそれが積雪地帯ではない場所の普通の雪かきなのだろう。あながち間違っているとは言えないものの、その方法では朝になって雪が凍った時に非常に厄介な存在になってしまうことが想像に難くない。もう少し確実性のある雪かきをして欲しいとも思ったのだが…地域性を考えると仕方ないのかもしれないと感じてしまった今日この頃だった。因みに…関東に越してきてから、等間隔で道端に設置されているポストのようなオレンジ色のタンクを見かけなくなった。最初は何故ないのかわからなかったのだが、その理由は1年も経った頃に理解出来た。見慣れると別に何でもないのだが、見ないと見ないでなんだか寂しいと思ってしまうのは私だけだろう(笑)
Mar 4, 2012
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久しぶりの友人より連絡が入った。その人と知り合いになったのは何時頃だっただろうか?少なくとも1年前とか2年前とかそんな時期ではない。もっと昔に知り合い、そして連絡を取るようになった。具体的な知り合い方なんて覚えていない。しかし古い友人になればなるほどそんな感じなのではないだろうか。はっきりと記憶に残っているものは確かに多いが、そうやっていつからつるむかわからない出会いの方が人生では多いように思う。その友人とは一度だけ会っただけだ。まぁ世間的にはこれを友人と呼ぶのか微妙なところなのかもしれないが、少なくとも私は友人だと思っている。その一度だけ会ったというのももう数年前になる。何故会ったのか、その時何を話したのか、そのようなディテールもまた記憶がおぼろげだ。ただ、その人がどんな人で、どんな感じの雰囲気なのかは結構覚えている。それだけで十分なのではないかとも思う。古い友人ならば、何年会わなくても結構顔や雰囲気などは覚えていたりするものだ。友達付き合いとは不思議なものだ。私にはもっと昔から知り合いの友人が名古屋にいる。もう何度もブログに登場しているし、このブログの1日目の内容を書いた時にすぐ横にいたくらいだ。少なくともこのブログ以上の歴史があることになる。その友人とは、今は住んでいるところが遠いせいもあってか、平均すれば2年に1度くらいしか会っていない。勿論その間に連絡はしているが、実際に会うのは大体2年に1度くらいだ。それでも実際に会えば話は弾むし、別に気まずいというようなこともない。私は常々そういうのは友人として最高のスタンスなのではないかと思う。よく「毎日のように連絡をする」だとか「頻繁に会う」とか「共通の趣味を持っている」というようなことを友人の定義として挙げている例を見かけるが、私はそういうものよりももっと友人としてのあり方のようなものがあるように思う。上述の友人とは毎日連絡をしないし、頻繁にも会っていない。趣味も多分全然違うだろう。だけど私とは長い間友人として接してくれている。だからこそ私は友人の本当の資質というのは、その人そのものにあるように感じる。どんなに他の要素が足りなくても、その人自身を認めていれば友人としての付き合いはずっと続くだろう。少しばかり雰囲気に依存した話になってしまったが、友人として大切なことはシンパシーだ。連絡を毎日する、頻繁に会う、趣味が合う、そのようなものを越えての人としての魅力を感じなければやはり友人にはなれないのだろう。だからこそ人間関係というのは面白い。そういう友人を沢山作れる人を、或いは人として魅力的な人と呼ぶのではないかと感じた今日この頃だった。
Mar 3, 2012
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