その3
(・ 太字
部分は、本の引用。
顔マークのあとの 緑文字
は僕の個人的コメントです。)
・ 夫婦
のどちらかに問題があるときって、いっぽうが我慢している間は、問題は解決しません。
お互い嫌な気持ちになって、はじめてわかることがあるんだよね。
それで 喧嘩になってもいいの
。
喧嘩しながら仲よくなるから
(笑)。
夫婦はね、我慢しちゃいけないんです。
・嫌なことは嫌と言っていいんだ。
(p62)
これはまた、僕の苦手な分野です。
「嫌なことを嫌と言う」
このシンプルなことが、なかなかできません。
いや、家族の中ではけっこう言ってるかな・・・。
家族だからこそ、こういうことが大事なのかもしれませんね。
でも、自分が嫌なことを嫌と言われると、嫌なんですよね。
人間は、勝手な生き物かもしれない。
やっぱり家族も、夫婦も、人間関係はすべて修行ですなあ。
・ 強引
な人があなたの人生に出てくるということは、 自分が嫌だと言えるようになるための修行
なの。
・ 勇気を出してはっきり「ノー」を言うことだよ。
・ 嫌なことを嫌だと言えないままだと、一生困っちゃうからね。
(p64)
自分はけっこう強引なくせに、人が強引だと、いらつくんですよね・・・。
ここでも、やっぱり人間関係の修行が課されていると思います。
勇気が足りないのかな。
嫌われる勇気!
あの本は、衝撃でした。
もう一回読み返そうかな。
(オーディオブック版も持っています。)
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 [ 岸見一郎 ]
・お子さんが 「嫌だ」と言えるようになるための練習
をさせてあげた方がいいと思います。
・最初は口ごもってもいい。
練習しているうちに、だんだん言えるようになりますよ。
(p64-65)
こういう練習って、ほんと、大事です。
通級指導教室でも、することがあります。
むしろ、僕自身に一番、その練習が必要かもしれない。
「言う練習」とか「断る練習」とか、今の学校教育では、軽視されているかもしれない。
でも、やってみることで分かることや身についていくことって、多いです。
僕が演劇的な学びを重視する理由も、そこにあります。
自分自身が、やってみないと分からないたちでしたから。
学校にはいろんな子がいて、今思い返してみれば、「嫌なことが嫌と言えない子」だけでなく、「嫌なことは嫌と言える子」にもたくさん出会ってきました。
よく考えると、その子たちはとても尊敬できる面を持っていたわけです。
僕は、その子たちに教えられて、育ってきたのかもしれません。
担任した子の、「いや、です。」とにこにこしながら言っていた、ゆっくりはっきりした口調を、今でもまざまざと思い出します。
あの子に、学ぼう。
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