考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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2021.04.26
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210426分:手を入れた3「本論のまとめ~世界哲学」:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学




……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……



筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。
特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。
で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。

(――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす――
――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。

・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。

・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。
それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。


(――ちなみに・・・、筆者は警察と連絡を取りあっているのである――)


・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・



本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。
本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。
「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。
「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。

「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日’18・今加筆中の#3は、#882である)

筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。
(・・・付記・・「転生はある、といった文章を読んで納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって(既述)」・・・)






毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・
さて、今回は・・・
1月13日'18・の分が膨大じゃすたので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・





グチを一言・・・

筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。


・・・つひでに・・・
筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。
加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす(その後からそれらをなすこともある程度ある)。
それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。
何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。


・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・
――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――;
・・・ついでに・・・
「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、
「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。
おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。
「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――・・・


☆☆☆――筆者も、カタいことばかり書かれた文書を読むのは苦痛であることもある。
そんな時は「フニャケた」文章を読みたくなるもんだ。
読者の方々も同じでせふ。
筆者の書くものに、ジョークやユーモアの部分がなかったら、「こんなもん、読みたくねえ~」と、読まれない度合いが高まるでせふ。
ということで、時々、ジョーダン・ユーモアを盛り込んだ「フニャケた文章」を書くのは、読者の方々のためでもあるし、筆者の息抜きでもありもうす――☆☆☆



……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……




☆☆☆






加筆内容など・ピックアップコーナー




加筆形式の論#3(膨大な量になった)(既述かつネット上掲載の「本論の基稿」とは別なる草稿)への加筆




加筆用(どこかに挿入)……といっても、このセクションは本二冊分ぐらいになった……:



(手を入れた3)



――このセクションは、「本論と本スレッド全体」の総まとめ・概観図・鳥瞰図・俯瞰図・大観図・大局図としていいのではないか、と思うので、当分、これに手を入れていこう・遊びングも入れながら・・・

・・・(・・・それにしても、加筆し杉て、読みに草が増殖・繁茂しすぎてきているなあ・・・書きに草も同じく、なんだが・・・
・・・後の方にまとめて注sとして書くやり方もいくらかとってはいるんだが、それでは、わかりにくくなるという面がでてくる。
必要なところに加筆すると、理解がしやすくなるのだが、それでも読みにくくなる、という面も発生する。
どっちにしても一長一短があるわけである・・・これもまた質の対生成の一種なのでアール・・・
それと、加筆するのに最適な個所を探そうとすると、時間がかかりすぎるしメンド草草が増殖・繁茂するので、やる気がうせる、ということもあるのでアール…よって、テキトーなところに加筆することも多いのでアール・・・で、さらに読みに草が増殖・繁茂する、ということになるのでアールス・・・)――


さて、以下、こういった領域は筆者の大好物なんだが――こんなのがないと面白くない――、「トンデモない、トンデモだ~~」、と苦りきる方もおられることでせふ。

しかし、心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を、科学的に推し進めていけば、そういった領域に至るのである(最後の方で、あらためてそれを簡潔に記そう)。
――・・・そして本スレッド全体を全部まとめると、「世界哲学」になる・・・――

ほんの少し前に戻って・・・
しかも、人類のほとんどが、なんらかの宗教に属しているし、ほとんどの宗教sが、だいたい以下のような内容の一部を、文学的に説いているのである。

さらに、タネもシカケもないマジック(超常現象の一種)とか超常現象・奇跡という事象sは実際にあるのである・そのことは、本論の多くの部分sが正しいことの証拠・証明・実証にもなっている――既に何回かどこかに既述しているとおりである――・・・テレパシーもあるのである・・・――。

(・・・注:
証拠:証明のための事実や事象や物など。
証明:現実として必ずしも証明されていない可能性をもつ。
・・たとえば、数学での証明などは、現実とは何の関係もない内容をもつものがある。
そのほか言葉や記号だけで証明のような内容を構成した証明もある。
実証:現実として証明されていること
・・・)

まさに、世界は神秘と不思議と謎に満ち満ちている・・・である。

そういうことなので、
以下の記述内容を拒否する前に、虚心坦懐・頭(心)を空っぽにして――頭に先入観・固定観念などが詰まっていると、真っ先に否定してかかりがちなので、それらをはずして――、
その上で眉に唾をつけて、まずは冷静に熱くなって見ていただきたい。
すると、以下の中に腑に落ちるところがあることに気づくのではないでせふか・
(腑に落ちる=意味が内臓に落ちて心から納得する・・・そして、ヘソが鳴るわけでア~ル・つまり、「鳴るヘソ、ナルヘソ」と納得するわけでア~ル・伴JK)・・・(「腑に落ちない」は一般的であるが、「腑に落ちる」はさほど一般的でない・しかし昔の作家さんたちは使っている・・・であるから、筆者がネット上で最初にそれを用いたときは、『「腑に落ちない」の反対は「腑に落ちる」であって、~~』と記した)・・・(ついでに・・・日本語に、「あいつは腹ができている」、という表現があるが、「あいつはガッツがある」の「ガッツ」は、エイゴで、腸・ハラワタ・内臓という意味である・・・発想が同じじゃじゃじゃ・・・じゃがいもじゃじゃじゃ・これはダジャレジャジャジャ・・・)・・・。


さて、
以下のタトエで、この世界全体を説明してみよう・・・トンデモな結論がいろいろとでてくるんだが・・・
・・・(ワクワク)・・・(惑惑)・・・(獏獏・バクバク)(ここで遊びを入れたんだが、読みにくくなったので、うしろに移した)・・・


・・・その前に一言・・・
「こういった文章を読んで納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって(既述)」・・・


・・・その前に二言目を・・・繰り返しにもなるけれども・きわめて重要なことなので・・・
上にも述べた「タネもシカケもないマジック(超常現象の一種)がある」、ということが、本論の多くの部分sの証拠・証明・実証になっている・・・
…「タネもシカケもないマジック(超常現象の一種)」を為すのは知性体(後ろの方に詳述)である…知性体は物理や化学的法則の実態を破ったりコントロールしたりできるのでアール…この世界はほんとにもの凄くできているのでアールス……

・・・もう一言書いておきませふ・・・
一般的に、「女性に生まれることは、男(田んぼの力・牛馬の代わり)に生まれることに比べて、損じゃじゃじゃ・(だからじゃじゃ馬になるのじゃじゃじゃ・JK)」といった風潮があると思うけれども、それは「100パーセント解決される」ということも、このセクションなどでわかるので、女性陣は期待されたい・・・(田んぼの力どもは失望することになる、ということは書かないでおこう・・・なぜなら・・・「そこらあたり」を何者かが肯定することになるからだ・・・と、こう書くと、さらなる誤解・曲解が発生することはまちがいない・・・女性陣も田んぼの力どもも誤解・曲解に至りそうだ・・・こう書いただけでは意味がわからないでせふが・・・いやはや、文章を書くということはむずかしいもんじゃらす・・・うへっ沈没・・・)・・・

・・・それにしても、男は「田んぼの力=牛や馬の代わりの力」などとは(笑)カンジ悪いなあ・(感じも漢字も悪い・笑)・・・
・・・「田んぼの力(男)」ついでに・・・
engleeeeseの「boy」の原義は、「足枷をかけられた人→奴隷」だそうだ。
いったいどういう経緯でそうなったんだろう・・・ヒデーもんじゃな・・・
ということは、英語圏の男はすべて、「昔、奴隷(今は成年)」か、「今、奴隷(今、少年)」ということになるではないか・・・(ここで、「笑」、などとは書かないからな・・・書きたくなるんだが書かないからな・・・)・・・
ともかく、英語圏のGuys・
(元もとGuyは、野郎とか、やつ、といった意味をもっている・・・しかし今ではGuysを女性にも用いるようだ・皆んな、という感じで・・・このGuyの語源を辿ると、歴史の非常な重さを感じさせられる・・・)・
・・・やり直して・・英語圏のGuysは、この問題の張本人を探しだし、なんとかすべきではないだろうか・・・そして、boyをboya(日本語で少年の意味にもなる・これは「お坊さん」からきている・昔の一時代、男児の頭を剃る風習があったそうで、それはお坊さんの頭と同じであるところからきたらしい・女の子にも「ボウヤ」をつかっていた時期があったらしい)に改めればいいのではないだろうか・・「a」をつけるだけで奴隷から脱出できるぜよ・・・


・・・少し遡って・・・
・・・一方、「好」とか「妙」「娘」「安」「要」などといった、女性にとってカンジのいい、いい意味の漢字もアールス・・・



(付記:以下で用いている「局所場・部分場」と「大局場・全体場・非局所場」は、本論での用語sであって、物理学用語とは異なるところがある。
「局」は元もと、「全体の中の一部分」といったような意味なので、そこに問題はない)



・・・さて、前置きが長くなったが・・・

現代物理学は「場s=フィールドs」でさまざまを記述~説明する。

場場場場場場~~である。

馬場馬場馬場馬場馬場~~である。
(婆婆婆~~ではない)
(爺爺爺~~でもない)
(爺婆磁場磁場~~は、場の一種・場のひとつ、であるが・・・爺婆はジョーダン戯れであるが、爺婆の間でも場ができ、引き合ったり反発したりするので、一種の場の元となる、と言える)
(馬場の「馬」、はジョーダンであって、場のことである。しかし、馬場は馬関連の平地という場のことなので、あながち不適当なジョーダンでもない)

(・・・ちなみに、「場・ば」、は「庭・にわ」の転だそうだ。だから大和言葉である。
かなり前、「場」の読み方について、「ば(訓)」と「じょう(音)」のどちらが音なのか訓なのか首を傾げていた時に(どちらも音に思えた)、辞書sをひいたことがあって、そこは知っていたのであるが、「にわ→ば」は今回知ったのだった(あるいは忘れてしまっていたのかもしれない)・・・)
(参考:訓読みの言葉は大和言葉であるが、ごくゴクごくゴクわずかながら漢字語から派生し変化した訓読みの言葉もある・・・と、ゴクゴクお茶を飲みながら付記しておこう・・・お茶飲めば ノドが鳴るなり 法隆寺 ・JK戯れ・・・(「ほほう JKと戯れるわけか」)・・・何をおっしゃるウサギさん、それならお前と駈け比べ、向こうのお山の麓まで・・・ん? ではないのでアール・・、JKの意味が違うではないか・・・(ウサギとカメの歌を援用した))


さてそこで、
それ「場」を援用して、全世界全部を「エネルギー一元方式」で説明してみよう。

ここでは、「意識のそと・外界、には何があるかわからない、何らかのデータベースと情報(データs)があるとしか言えない」という立場(既述)をとらず、
普通一般の見解「見たとおり、聞こえたとおり、触れたとおり、そういう物質的世界がある」という立場にまずは立とう。


さて、そこで、
☆場をタトエで説明すると・・・
「水蒸気(のような微細なエネルギー・何か)=基本的なエネルギー素子s、が空間に満ち満ちている、それが『場』である」、
というタトエのモデルで説明するとわかりやすいだろう☆
――それは「空間と、タトエとしての水蒸気」である・・以下、それを単に水蒸気と記すこともある――

――現代物理学においては、空間~真空にもエネルギーが存在する、となっている・・・それもここでの補強材料になるだろう――


(・・・参考・・・ここで用いる「タトエ」という言葉について・・・

「比喩」という言葉の系統には、直喩、明喩、暗喩、隠喩、諷喩、などがある。
ここで用いる「タトエ」は、「直喩・明喩」に属する(~~のような、とタトエる)。
で、比喩の「喩」自体が、「喩え(タトエ)」、という意味である。
「比喩」は、「比べて喩えること」といった意味である。
「喩え」のほかにも、「例え」、「譬え」、といった表記もある。

であるから、大きく捉えれば、「タトエ」=「比喩」であり、「タトエ」としては、「暗喩」「隠喩」など・
(~~のような、とせずに、「白髪のことを、頭に霜を置く」といったふうにタトエる・・・隠して暗にタトエるどころか(直截にタトエてないから、暗とか隠と形容しているのはわかるが)、「露骨タトエ」だな~・・・「露骨喩」とした方がわかりやすいと思う)・
をも含む、としてもいいはずである。
・・・「諷喩(ヘンテコリンな字が登場・・言葉の風・言葉の風味雰囲気でタトエるといった意味だろうか)」というのもあるが・それは、タトエだけで、言いたいことを告げるやり方、といったところか・・
・・・あと、「換喩」というのもあるが・それは、シンボルに言い換えてタトエる、といったところか・・・

・・・さて・・・
で、そういった漢字sや単語sが、あまりにも、うぜらしかったので(うざかったので)、「タトエ」としたのだった(・・・「タトエ」が一番わかりやすいと思う・・これは実用主義にあるが、筆者もカッコつけて難しい単語を使うこともある・滑り止めである・・・)。

・・・以上、日本語と日本語の漢字体系のクオリア・qualia研究のヒトカケラとして・・・

・・・それにしても、漢字の専門家でない人たちにとっては、そういった漢字体系や言葉や読み方などのあまりの煩雑さに、アホクサビリティを満腔に満杯に感じるのではないだろうか――少なくとも筆者は感じるんだが――・・・

・・・外国人で日本語を勉強する人たちにとっては、さらに遥かに超煩わしいことだろう。

・・・日本語には長所が満載されているんだが(既述)、そこはそのままにして、日本語において、そういった煩雑なところsを大きく減らすべきだと筆者は思うのでアールス・・・

・・・そこで、日本語を簡略化して、しかも充分に日本語としての用を成すところの「(未来)ニホンゴ(未来日本語)、(未来)やまとの言の葉(略して、『言の葉・ことのは』)」、あるいは「第二ニホンゴ(日本語)」、という言語体系を創ったらどうでせふか・・・

・・・そうすれば、「言の葉、未来日本語」は、世界的に受け入れられるでせふ・・・


・・・それにしても・・・いやはやイヤハヤ・・・これは少し上の「漢字の体系や漢字を用いる言葉sにおける意味や読み方などの煩雑さ」についての嘆きでアール・・・


・・・ついでに・・・

筆者の分析によれば、単語の並べ方から言えば、日本語は「手順言語」であり、エイゴは「反手順・結論優先言語」である・既述。
両者の「基本的な文」においては、主語を除いて、語順がみごとにひっくり返る・それは感嘆するほどである。
で、日本語の語順が「手順」どおりであるという文例を示そう。
「私は、机の上で、割れた陶器とそのカケラに、接着剤をつけて付け合わせる(こういったケースにおいては、付け合わせる、という言葉は普通は使わないが、他にいい言葉が見つからない・あ、そうだ、組み付ける、がいいかな・・一番かんたんなのは、接着する、であるが、直前に、接着剤、と記しているので、それを使うのを避けた、ということもある・それとエイゴとの語順を際だたせるために・・・あ、そうか、接させ着ける、でもいいんだな・・・で、料理においては、付け合せる、と使う・付け合せ、とかも)」
語順どおりに準備とやることが進む・すなわち「手順言語」と呼べる。
この文は、基本的な文ではないので、エイゴで正反対の語順にはならないところがありそうだが(主語を除いて)、
筆者が大昔(笑)分析のために用いた基本的な文は、
「私は、まな板の上で、包丁でタマネギを切る」(実際は、魚を切る、だったんだが、魚君に敬意を表して、ここではこうかえた)だった。
これだと、エイゴでは見事にひっくり返る(主語を除いて)。

で、
いちばんわかりやすい例として――これは文ではないが――、
郵便物の宛て先と宛て名を書く順序を考えるとよい。
それを国際郵便物とすればもっと面白い――エイゴ式では国名が最後にくるところと、ファーストネームが最初にくるところが笑える――。

さて、
郵便物の宛て先と宛て名は、配達されることを目的として書くわけである・これがここでの着目点である。

で、
郵便配達関係の方々は、日本式では、頭から読んでいけばよいが、エイゴ式では、尻尾(後ろ)から読まなくてはならない・
(この後者はアホクサビリティに満ちている感じがする)・
(配達関係の方々をバカにしている感もでてくる・・エイゴ圏のGuysよ、配達関係の方々に敬意を表せよ、といったところか)・
(ただし、目的地に近づくにつれて、後者の書き方でも、さほど悪くはなくなるが)

以上、これで、「手順」と「反手順・結論優先」の意味がよくわかると思う。


・・・ついでに、戯れを・・・
エイゴの「in」は、「に」と訳せるケースがある程度あるが、「ni(に)」と「in」も、みごとにひっくり返っているではないか・笑・・・
ちょっと違うが、「de(で)」と「at」「no(の)」と「of」もいくらかそんな感じだ・・・


さて・・・
上述のように、日本語は手順言語であるが、日本語の中の漢字構成語は、エイゴとほぼ同じ語順になっている。
よって、日本語は両方の要素sをもつ、ということになる。


・・・ついでに・・・
初期のラテン語においては、動詞が最後尾にくることが多かったそうである・・・(ここから言うと、初期のラテン語はたぶん、手順言語だったのだろう)・・・(ついでに…ギリシア語においては、語順は比較的自由なんだそうだ)
しかし、時を経るにつれて、動詞の位置が変化していったそうである・・・
(・・・ついでに言うと、ドイツ語では、たしか不定形(というのだと思う)では、手順言語式に単語を並べるのだと記憶する(ウロ覚えだが・・・遥か昔の記憶によればということなんだが・・・)・・ドイツ語において不定形でない普通の並べ方は、かなり英語的だと思う・オボロ記憶によれば・・・(ここの書き方はちょっとむずかしい・・それはどういうことかというと、過去形で書いたところを、現在形に直して、「記憶が薄れている」と付け足したのだが、そうしないと、何かヘンだからである・・つまり、過去のオボロな記憶にもとづいて言うばあいは、過去形にしたくなるところであるが、それをやると、文章のほかのところsと整合性がとれなくなるので、直したのであった・・・メンド草草…)・・・


・・・ここで付記を・・・

上述の、
「エイゴ式では国名が最後にくるところと、ファーストネームが最初にくるところが笑える」の「ところが笑える」についてなんだが、これは慣用されているので、不自然さは感じない。
これは元もと、「ところ『を』笑える」なんだろう。
それに強調の「が」を付して、「ところをが笑える」になり、「を」が欠落して、「ところが笑える」となったと考えられる。
そこからいくと、どこかに書いた、「○○で、本が売っている(本が何を売っているんだい? と突っ込みたくなるではないか)」も悪くはない、ということになるが、こっちは広く慣用されているということがないし、教科書的な本には絶対にでてこないので、「方言扱い」になると思う(意味はわかるが、筆者にとって心の居心地が悪い)。

・・・動詞によって、そういった「が」の用い方の慣用度に差があるようだ。


・・・それから・・・

「好き」という単語はややこしい。
「好き」は「好く」の連用形だと思うが、連用形は「名詞」扱いされる(慣用・既述)(元もとは連用形は用言(動詞・形容詞など)にかかる)。
「好く」は現代ではほとんど用いられない・あちこちの方言たちにおいては、使われているようであるが? 

「ぼくは、君を好く」などと言うと、古代に戻ったような優雅な雰囲気がでる・しかし、口で言っただけだと意味のわからない人たちもたくさんいそうだ(筆者もわからん)(文字で示すとわかるが)。
このばあい、現在では、「ぼくは、君が好きだ」となる。
「ぼくは、君が好き」とも言う。

A・これも元もとは「ぼくは、君を好きだ」→「君」を強調して「ぼくは、君をが好きだ」→「を」が欠落して「ぼくは、君が好きだ」となったのだろう。

ちょっと離れた上にある「ぼくは、君を好く」を、「ぼくは、君が好く」とすると、意味不明の文になるではないか(「ぼくは、君が好くものを好く」、などとなりそうだ)・このことからも、上述「A」が理解されるだろう。

で、「好き」は連用形であるから、動詞(ここでは助動詞だが・・ある種の「だ」は動詞扱いでもいいと思うんだが)にかけて、「好きだ」となるわけであるが、「好き」は名詞としても扱える。
上述「ぼくは、君が好き」においては、「だ(である)」が省略されている・・・言葉(言語)というのはこんなふうにして変化していくんだなあ・・・

以前書いた文章の中で、この「好き」の扱い方に迷ったことがあって(その文章は、このスレッドにも載せたと思う)、今、ここではっきり理解しておこうと思って、これをも書いたところでアール・・・


:以上、参考・・・)



・・・長々しい遊びングと参考の前に戻って・・・

で、
☆その水蒸気(タトエの)は、超絶に極めてさまざまで複雑な振動――言ってみれば音・波動・波動模様――をもてる・何らかのエネルギー・☆『何らかのエネルギー・これは、形象や意味と価値などと、それらの実現を駆動する精神的なエネルギーなど、という精神的なエネルギーだろう・
(それらをまとめて「理念と・その内容の施工力」「理念と・その内容実現の施工力」と呼んでもいいだろう)・
(ここも重要である)・
(高度な「心器・知性体(後述)」はある程度そういう精神的なエネルギーをもつ)』☆・
を得て――。
もちろん、そのタトエの水蒸気自体もエネルギーであるし、「場」からいくらでも、そういった水蒸気はでてくるし、引きだせる、のである☆

(この直上についていえば、注釈はあとにつけた方がいいんだが、流れに沿って書いた・・・読みにくい・・・で、うしろに載せる再掲の版sでは、そこをくふうした・・・)

――以上、それは、精神的な場、形而上的な場・非物質的で抽象的な場、イデア・実相の場、でもある――

(タトエとしての水蒸気は、「エネルギー量子」から成っているのではないかな? 
最小エネルギー量子は、「h×1(Hz)」(hはプランク定数)である(というか、最小エネルギー量子は、「h×1(Hz)」なるエネルギーのカタマリである、と言った方がいいのかもしれない・・「h×1(Hz)」の単位は、エネルギー(ごく微小なエネルギーの値をもつ)、である)・
《これについては、既にさまざま詳細に述べている》・
《ほかにも、「電磁波のHzは自然数にならないだろう・偶然に定まった秒の定義からいくと・・・それが正しいとするとうんぬん・・という問題についても長々と検討して載せている》・

・・・参考として・・・
・・・1個の光子は、多くのエネルギー量子sがまとまってできている、という理解でいいだろう・・その周波数の数、エネルギー量子がまとまってできている、と・・・
・・・で、1個の光子が原子核にある電子に、定まったエネルギーを与えると、そのエネルギーの分だけ、光子はエネルギー量子sを失い、それに応じてその光子の周波数が低下する・・その事象は、光子分割であると見なせる――どこかにも記述している・・・二重スリット実験などの具体的なイメージ描写という試論において――)


それが「あの世・霊界」という「大局場・全体場」である。

「あの世・霊界」を満たす、そういった水蒸気は、さまざまで超複雑で非常に精密な波動文様状態にある(この部分については、うしろの方で再検討することになる・・心器が扱うタトエとしての水蒸気と意識器が扱う水蒸気の形態が異なるからである・・そこをかんたんに言うと、「ツブツブ(粒子性・デジタル性)」と「波動(波動性・アナログ性)」の違いがそこにある)――その波動の文様・模様・態様は、「基本的には」崩れない・現実世界のさまざまな存在のごとく――
そこをタトエて言えば、「長い時間・期間、形を変えない雲」のようなものである(現実の雲は形を変えていくが)――
つまり、
☆そういった水蒸気を、「局所場・部分場」という実態が束縛して拡散させない、ということである(「局所場・部分場」と「大局場・全体場・非局所場」、についての詳細は以下に徐徐に述べていく)☆・・・

・・・しかしそこにおいて変転していく風物・存在もある・夢の中のように・現世(この世)においても変転していく存在sや事象sなどは多い-それとも同じである・・・
(基本的に、長い時間のうちには、ほとんどすべてが変化変転していく。
変化変転しないのは「自分という意識」と、「最も基本的な法則」だけである《それでも、自由意思・意志はある》)・・・――
それが霊界の風物・存在である。

そこにはさまざまな「霊界人=霊人=知性体――過去にはこの世に生きていた――過去にはこの世の人間に宿っていた――」たちが住んでいる。
「霊界人」も、そういった水蒸気の、極超複雑で超絶精密精妙な波動で構成されている――それは意識内容(心的内容)に対応している、と言える(どの心器の心的内容《~意識内容》に対応しているのか、それはちょっと複雑であるが)――・
(A・(上でも少し触れたが)ここでは、表現として、「心的内容(エネルギーのもつ粒子性を扱う)」を用いるか、「意識内容(エネルギーのもつ波動性の態様にある)」を用いるか、考え中学生になっている(若返ったのでアール)・・・だから書き方がヘンなのでアール・・・うーん、ふーむ・・・それはどういうことなのか後ろの方でわかるし、その解明・解決もついていく・・・)

((上にも少し述べたが)「心的内容」と「意識内容」は同値・等価であるが、情報構造・情報形態が異なる・何度も既述・うしろにもタトエをもってそれについても述べよう)――。


・・・参考・・・
ちなみに、チベット仏教などでは、霊界人のことを「微細身(日本語訳で)」と呼んでいる? チベット仏教とは別に、「玄身」という言葉もある? 「隠り身(かくりみ)」もある? (以上、ウロ覚えだが)(3つめのそれは、「隠身」で、漢文なら、「身を隠す」ということだが) ・・・おんぼろオボロ記憶によると、そうだったと思う・・・(要確認)・・・
・・・こう書いたのは・・・
つまり、これも霊界人が存在する根拠のひとつになるのではないか、と考えて記したところでアール・・・
:以上、参考・・・

210424
「霊界人=知性体」は「心器」をもつ。
「霊界人」が「意識器」をもつかどうかは今のところわからない・・・という決めつけはよくない・
(――ここはややこしい・霊界に存在する知性体において質時間回帰が起こるのかどうか、とか、など――)・
(上のカッコ内の「A」もそれと関連があるのでアール・・・

1・霊界人=知性体も「意識器」をもつとすれば、それは、「生前(前回、肉体をもっていた時代)」の「心器(知性体)」と「意識器」が組み合わされていない・組み合っていない――それは質時間回帰という事象実態があるためである(それらが組み合わされていると、質時間回帰の支障になる・既述)・・・
…であるから、「上述1・もつとすれば」は否定され、霊界人=知性体は「意識器」はもたない、という結論になる。
(霊界人には意識器がなくても霊界人として成立する)・・・――。

霊界に存在する「心器」も「意識器」も「霊界人」が属する全体場にあって、その一部である「局所場・部分場」である・
(直近上述「1」の条件がつく)・
(霊界人は意識器をもたないだろう・・それについてはさらに詳しくうしろの方で検討しよう)――

「意識器」は壊れない・永遠にそのまま存在する――
「心器」は変化変転していくし、消滅することもある(超長期の間には消滅していくだろう)――・
(その根拠・論拠は、本スレッド全体+アルファに既述・このセクションにもそれを記そう)――。


さて、「霊界」という「大局場・全体場・非局所場」にはさまざまな領域sがある――それは「現世この世」にもさまざまな地域sがあるのと基本的に同じである――。

(上述しているとおり、このセクションで用いる「局所場」という単語は、物理学の一領域における正式用語――数学的な「点」を意味する――ではなく、「部分場」という意味である。
ただし本来、「局所」という言葉は、「部分」という言葉と(ほぼ)同じであるから、そこに問題はない――「局(所)」の基本的な意味は、「全体の中の一部分」といったところである――)

カッコの前に戻って・・・
それをゴクかんたんに言うと、
地獄、煉獄、極楽・天国、である。
それら、地獄、煉獄、極楽・天国、もそれぞれが多くの階層(s)(領域s、地域s)にわかれている。
それは、類は友を呼ぶ、という法則の実態によって、似たような霊界人たちが同じ領域に集まり、その中で、それぞれの領域sの風物・存在なども生じてきたし、生じるし、生じていくからである――それらは意識内容に対応している・・・というよりも意識内容(心的内容に(と)等価)そのものである(繰り返しになるけれども、意識内容と心的内容は等価・同値であるが、情報形態が異なる…カンタンに言えば、アナログとデジタルの違いである)――。


で、地獄の最深部における苦しみは言語に(を)絶するが(阿鼻叫喚)、それは「質時間回帰則の実態」によって、そういう事象実態になるのである(うしろの方で、そこらをより詳細に検討しよう)。
「質時間回帰則」=「ある体験をしたら、将来必ずそれと正反対の体験を同じ量経験することになる、という法則」
からでてくる法則sの3っつであるところの・・・、
1「他人に為したとおりを将来必ず自分が受けることになる」と、
2「いい思いをしたあとは、それと正反対の苦しい思いを同じ量体験することになる」と、
この2番目と似ているが、
3「快楽を受けると、その正反対の痛苦や死の恐怖を同じだけ受けることになる」、
という法則sから、そういう事象実態が生じるのである・

・・・質時間回帰なる事象実態から生起する事象sは、そのほかにもいろいろある・既述している・・・

・・・質時間回帰は、この世に生きているときにも起こる・・・

・・・「質時間回帰則」とは、
「体験s元戻り則」、
「体験sプラスマイナスゼロ化則」、
「万人平等化則」、
「科学的カルマの法則」、
などと言い換えることができる・その詳細とともにネット上に既述している・・・

・・・「質時間回帰」を最も簡単に表現すると・・体験・経験ということ(事象)についていえば、無数の種類の体験・経験たちが、無数に存在し、今の生を生き・そして転生を続けていくと、それらの体験・経験sをすべて満遍なく経験していく、と言える・それらの存在確率に応じて(厳密に言えば、その統計をとることになるが)・・・
――「それらの存在確率に応じて」という意味は、タトエていうと、世界にはさまざまな物質sや物sが存在するが、タトエば、希少な貴金属や宝石を手にする機会は非常に少なく、ありふれた物質や物を手にすることは非常に多い・・体験・経験も同じくそうである・・ありふれた体験を経験することは非常に多く、非常に稀な体験を経験することは非常に少ない・・そして、その「多さ・少なさに応じて」まんべんなく体験していく・・そういう意味である――。


さて、
さまざまな宗教書sや預言書sは、地獄の様相や苦しみを詳細に描写している・絵sにもなっている(している)――そういった文献sをも参考にしてこれらを述べているところである・心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)にもとづいて――。

・・・注・・・
類は友を呼んで集まる(類は友を呼ぶ)(そこでは何らかの「引き合う力」が働く)(エイゴではたしか、同じ羽の鳥たちは共に集まる、とか言うんだっけか? )が、霊界人たちが集まったその領域の中においては――特に地獄や煉獄においては――、「反発しあって」いがみ合い・混乱・闘争が起きる・・・まるでこの世と同じである・・・この世も地獄の一種か(非笑・否笑・不笑・無笑・笑うわけにはいかない)・
・・・この世も本質的には意識内容・心的内容の世界であるから「この世も地獄の一種である」のは当然である。
もちろん、「天国の一種でもある」のも当然である。
――それら「天国と地獄」は時を異にして人たちに(を)訪れる・・・
…「楽あれば苦あり・苦あれば楽あり(最後に「楽」がくるように書いた)」、
「楽は苦の種、苦は楽の種」、
「禍福はあざなえる縄の如し」、
「人間万事塞翁が馬」、
「沈む瀬あれば、浮かぶ瀬あり」
「捨てる神あれば、拾う神あり」
…などと、その他のコトワザや故事-成句はそこを言い当てている・・質時間回帰である・・・――・・・

:以上、注・・・


煉獄は地獄よりはいくらか楽な領域である(地獄よりはちょっと軽い地獄)が、それでも、そこでの霊界人たちは非常に苦しむ。

極楽・天国についても、さまざまな宗教書sで、詳細に描かれている(そこは平安で平和だそうだ・・・ただし、ナンとかカンとかほにゃららら・・・aki,to,manneri,to,umukoto.to,SJK(質時間回帰)の状態になる・・・)・・・
・・・さらに言うと、そういう環境にいると、マイナスの質時間を多く積み上げるのである(――困ったもんだ・・・いや当然のことだ――)・
・・・そして質時間回帰が天国の霊界人たちを襲う・・・つまり、天人たち(天国にいる霊界人たち)も徳(質時間のプラス)を失って墜落するは必定・・・

・・・ここで、できたばかりの成句として「天人娯衰(天国にいる霊界人は、幸福を使い果たし、マイナスの質時間を積み上げ、地獄に落ちる)」があるのである・・つまり、いい思いをしていると、後はその正反対になるということである――これにも万人が納得すると思う――(うしろの方で、そこらをも・より詳細に検討しよう)。

・・・さらに別な一面について加筆すると・・・天国・極楽においても、霊界人たちの間で反発は起こるはずである・100パーセント当然ながら・・・

(・・・ここで連想した・中間子を・・・それと、電荷のプラスとマイナスをも・・・これについて書くと長くなるので、これだけのメモに留めておこう・・・)


で、さまざまな宗教書sや預言の書sによると、「地獄に落ちる人たちは途轍もなく多い」、「天国に行く人たちは途方もなく少ない」、・・・そういうことだそうである。
――つまり、ほっておくと、ほとんどの人たちは、いい思いだけをしたがる・快だけを受けたがる・プラスだけを得たがる、ので、そういうことになるのである・・・質時間回帰である・・・――


さて、こういった方面のいろんな書sには、「転生するにあたって、霊界人は転生先を選んで生まれてくる」、などと書いてあるものがある・
(原始仏典(うしろに詳述)にはそういった記述はない)・
(転生するのは意識器(既述・後述)である)・・・
仮にそうであるとするならば、ほとんどの霊界人たちは恵まれた人間に転生しようとするはずである。
ところが現実はまったくもってそうではない。
であるからそういった記述は・・・没・・・没・・・ボツでアール・・・
そこのところに言及すると・・・霊界にある意識器たちが各々蓄えている質時間の総量にしたがって、転生先は決まるという要素sがきわめて多い(大きい)はずである…それを、「転生するにあたって、霊界にある意識器は転生先を選んで生まれてくる」と表現するのであれば、それは花丸である――つまり、質時間回帰するところの人物に生まれてくる、という意味であれば、花丸なのである――)・
(・・・霊界人という存在は、「意識器だけをもつ霊界人=意識器」と「心器だけをもつ霊界人(こっちを霊界人という・・意識器とは異なる)」に分かれるのだろう・・この問題については、上でも少し触れたが、うしろの方で、より詳細に検討しよう・・今の段階ではすっきりとした結論はだせない・でない・・・)。

(…後日追記・・意識器は転生するが、霊界人=知性体(人間から昇天した心器)は転生しない(人間にマトワリつくことはできる))


それから、
1・地獄に落ちた霊魂は、転生するのに途轍もない時間がかかる・・罪を償はないうちには、転生できない、と書いてある本sもある。
あるいは、
2・地獄に落ちた霊魂は、転生するのに途轍もない時間がかかる・・本人が気づいて善なる心にならないうちには、転生できない、と書いてある書物sもある。
・・・これらについて検討してみよう・・・

転生するのは「意識器(意識の主体・意識体)」である。
質時間回帰の中にあるのは(も)「意識器(意識の主体・意識体)」である――「意識器(意識の主体・意識体)」の経験・体験(の総計・質時間・既述)が質時間回帰する――。

筆者が今までそういったさまざまな本sを読んできた印象では・・・、
地獄で苦しんでいるのは「知性体」だと思われる(ほかの根拠sについては後ろの方に記そう・既述してもいる)。
「知性体」には意識し味わう能力はないのである。

・・・ここで、かん違い・誤解・曲解が生まれそうであるが・・・、
質時間回帰は完璧におこるのであるから、その中で「意識器(意識の主体・意識体)」は、地獄の苦しみを受けることもあるのである・・しかしそれは、肉体に宿っているときにのみ受けるのだと思われる(その根拠については後ろの方に記そう・既述してもいる)・・・

・・・「意識器(意識の主体・意識体)」が霊界にあるときに、質時間回帰する苦しみを受けるかどうか、という問題がここにはある・・・

そこを考えるに・・・
情報形態から考えると、
霊界にある情報形態sは次のどちらなのか、
3・エネルギー粒子sによるデジタル情報、
4・エネルギーが流動・波動化した情報、
それらのどちらなのか・・・
両方なのか・・・
という設問がでてくる・・・

それは両方だろう。
なぜなら、エネルギーのツブツブ(タトエとしての水蒸気)が、粒子性と波動性をもっているはずであるから(量子力学の基本)である(――ただし、本論においては、その「波動性」は、量子力学的確率の世界にはなく、そういったエネルギーのもつ波動実態の世界にある――)。


(加筆)


さて、
「意識器(意識の主体・意識体)」は、情報を受け、意識し味わうだけである――知性体(心器)から情報を受けて、その情報を意識し味わうだけである――
自ら情報をつくりだすことはない。
しかも、霊界にいる「意識器・意識の主体・意識体」と「心器・知性体」はくっついていない(組み付いていない。ペアになっていない・既述&後述)。

・・・ということは、霊界にいる「意識器(意識の主体・意識体)」には質時間回帰は起こらないということになる。

・・・であるから、
もし、上述「1」と「2」が共に正しければ、霊界にいる「意識器(意識の主体・意識体)」は永遠に転生しない、ということになる。

――そういうことはない・・転生はあるのである・・人間には必ず意識器が宿るのであるから・・そして意識器の総数は生まれてきた~生まれてくる~生まれていく人間たちの総数よりも遥かに遥かに少ないのであるから(それについても詳細に既述)、数の比からいって「転生」はある、という結論に至る・・ほかの根拠もある・それらを詳細に既述している――。

つまり、上述「1」と「2」は、「心器・知性体」について言っている、と言うしかない。

しかしそこに矛盾もいくらかある・・・
「心器・知性体」は質時間回帰しない、
質時間回帰するのは「意識器(意識の主体・意識体)」である。
・・・ということは、「心器・知性体」と「意識器(意識の主体・意識体)」がくっついていれば、転生する存在はない、ということになりそうである。
・・・しかし、そんなことはない・・・
5・『「意識器(意識の主体・意識体)」はマイナスあるいはプラスの質時間を抱えたまま、転生する』のである。
6・「実際、新しく生まれてくる人たちの、種々の恵まれの度合いは極めてさまざまである」ことが、「5」の裏づけ・証拠・証明・実証になっていると言えるだろう・・・

もし仮に「1」と「2」のように、質時間を清算してから転生するのであれば、「5」のような実態にはならないはずである。

つまり、ここでの論理展開においても・・・、
10「心器・知性体」と「意識器(意識の主体・意識体)」はくっついていない、という結論になる。
要するに、霊界には、
「意識器(意識の主体・意識体)」だけをもつ霊界人=意識体
「心器・知性体」だけをもつ霊界人=知性体
というふたつのタイプの霊界人たち――「意識体」と「知性体」――が存在するということになる(しつこく書いた)。

で、
11・地獄に落ちるのは、「心器・知性体」である。

12・転生するのは、「意識器(意識の主体・意識体)」である。

ということになる。


・・・以上、一応ながら、論考・論理的思考経過の記述とそこからの結論である。


・・・しかし、カッコつけて、論考・論理的思考経過と言っても、アラがあることを(は)免れ得ない(難い)・・・


うーん、ふーむ・・・


・・・さて、こういうときは・・・これしかない・・・
・・・以上の検討をもとにした中で、
「さらに」、貧弱な洞察力と直観による結論を記そう・・・

A「意識器(意識の主体・意識体)」は、霊界にいるときには質時間回帰しない。

しかし、
B・転生するのは、「意識器(意識の主体・意識体)」である。

C・「心器・知性体」は、苦しむ情報を受けてもつくりだしても、もともと、それを意識し味わうことはなく、従って苦しむこともなく、よって質時間回帰もしない。

D・それにもともと、「心器・知性体」は転生しない・既述・・・


・・・よって、ここでも、上述3・『「意識器(意識の主体・意識体)」はマイナスの質時間を抱えたまま、転生する』、と同じ結論に至ったことになる・
――数か所で、異なる論理展開からでてきたところの結論たちが一致したのである! (…ややこしいが…)――。



(加筆)



・・・ここから転生における別な着眼に進もう・・・

「転生」つまり「意識器の転生」は、女にも男にもまんべんなくなされていく・・質時間回帰則が存在するので、質時間回帰則の実態の中で、転生していく・・・。
現在までのところ、ある年齢までは男の人口が多い時代や地域sが多い、というケースが多いのかもしれないが、そこをも乗りこえてそうなっていく。
一般的に女の方が長生きするので、それによってもその問題(事象)は補正されるだろう。
それも質時間回帰則の実態のひとつの現われ(表われ)である。

繰り返すと、
「人間は・意識器は」、女にも男にも転生していくのである。
そこでは、上にも少し述べたが、生まれてくる男女比という実態があるので・
(ある年齢までは一般的に男の方が少し多い・・・これに関連して・・一人っ子政策の地域では非常に困ったことが起こる(mabikiなど・・男女構成比が崩れる)・・・しかし、そういった地域では、一人っ子政策をとらないと、別な困ったことが起きる・・・質の対生成である・・・さらに時代を経るとさらに困った事態に陥る)・
その比に応じて、女または男に生まれる回数が定まるだろうが、「非常に長い年月のうちには、その比は1対1になるのではないだろうか」=「任意の意識器が女に宿っている総時間と男に宿っている総時間が1対1になる」「男っぽい女、女っぽい男、という存在sがあることも織り込まれて1対1になる」――。

それらについて補足すると・・・
質時間回帰は任意の意識器が女または男に宿っている総時間に関係する・それぞれが同じ総時間になるはずである(質時間回帰の真骨頂のひとつ)。
で、一般的に女性の方が長生きなので、それによって人口における男女比(一般的にある年齢からは逆転するが、それを含めて)についての補正効果もでてきて、そういうことの結果「上述の『総時間が1対1』」になるだろう、ということになる。


・・・参考・・・
「質時間回帰則」は、科学的に記述された法則であり、その記述・解説も既に何度もあちこちで微ニイリ細ヲウガッテなしている。
しかし、それだけでは具体性に乏しいので、「質時間回帰則の実態」について、既にあちこちで、手をかえ品をかえ、より具体的できわめて詳細に既に説明している・
・・・その検証についても既述している・・・


・・・ついでに・・・離れた上で論じたことにつけ加えると・・・
「生命エネルギー(仮説・既述)」というエネルギーは、「タトエとしての水蒸気」・「あるいは、それから成るエネルギー」なのかもしれない・・・
・・・さらにそれは、離れた上述の「最小エネルギー量子は、「h×1(Hz)(hはプランク定数)」、なのかもしれない・・・

・・・

210425
さて、次に、この現世・この世「物質世界」の説明をなしてみよう・・・

「物質世界は、タトエとしての水蒸気が冷やされて生じた・生じる世界である。
水が液体、氷が固体、である(タトエとしての水と氷――タトエとしての水蒸気が冷やされ多量凝縮されて、それぞれタトエとしての水と氷になる――)・
――つまり、相転移(エネルギーなどの関係で状態が変わること)が起こる――

――気体(普通に言う水蒸気をも含めて)は、微細な固体の集合体である・液体もそうである・・・分子・原子間の引き合う力が、気体、液体、普通に言う固体(物体)の順に強くなっている・・・
・・・ただし、気体のばあいは、重力で地球に引き止められていないと、宇宙空間へと拡散していく(それでもわずかずつ宇宙空間にでていく)。
重力が弱いところでは、「容器・フタ付きウツワ」に容れて密閉しておかないと、同じく拡散していく・・それは、地上においても同じくそうである。
この「容器・フタ付きウツワ」は、「まとめる力・束縛力」をもつ部分場・局所場のタトエにもなる――


・・・で、これは、はしょったが、場の量子論においてもう少し厳密に言うと、さまざまな物質・すべての物質は、場sから相転移して(カンタンにいえば、凍って)生じたさまざまな素粒子sから成っている・・この表現はわかりやすくするための叙述なんだが、こんなもんだろう・・・



――以下これをここに入れるのが妥当だと考えたので記そう・・・参考・・・

上に記した物質世界にある「この「容器」は、「まとめる力・束縛力」をもつ部分場・局所場のタトエにもなる」について言うと、さらに、後ろの方でタトエとして、「ドンブリ」による説明もなしているのも併せて言うと、
霊界でのそういった「束縛力・器(容器)」も「エネルギーなどの関係で相転移を起こして生じる」のだろう・物質化しない程度の範囲で――。
そこには、先述している「精神的エネルギー」が関わっている可能性が非常に高い(これについては後述しよう)。

:以上、参考・・・


そして、「タトエとしての水と氷」が複雑でさまざまに組み合わさって種々の風物・存在――物質的な――ができてきたし、できているし、できていく――つまりそれが、大自然界の物質的森羅万象である――。

1・人間もその一種である――肉体は物質と物質の組織sの集合体である――が、人間には、『タトエとしての水蒸気』でできた『心器』と『意識器』が宿っている――それらは霊界にある『心器(知性体)』と『意識器(意識体)』と素材も構成も種類も同じ範疇に属する・・・というよりも同じである・・・――。

・・・注・・・
――人間一人ひとりも、各々がひとつの「局所場・部分場」に束縛され、まとめ上げられている、と言える・
――社会に存在する人間たちも同じく、さまざまなことsに束縛されている・・それら「さまざまなことs」も場sの一種sだと考えていいだろう――・

・・少し前に戻って・・
そうでないと拡散して人間として成立しない・・・物質的存在のすべてがそうである・・・それは、心器と意識器、霊界の多くの存在s、についても同じであることは上に述べているとおりである――・・・

・・・で、人が死ぬと、その人の『心器』と『意識器』は『霊界・あの世(知性空間)』に移行する、と「表現できる」(わかりやすくするためにこう表現しよう・ここでは)――より正確にはいくらか離れた下に記そう・・・
離れた上述「霊界人も『意識器(意識体)』をもつが、それは、『生前』の『心器』とは組み合わされていない・組み合っていない――それは質時間回帰という事象実態があるためである(既述)――」にある『生前』とはそういう意味においてである・・・

(…霊界における知性体(霊界人)は、意識器を持たないだろう(既述)・・この点については、検討中、という状態にあるので、ここまでにおいてはすっきりとは記述できていない・・しかし後の方ではスッキリと記述する予定にある…)

・・・ちなみに・・・
「死後の神の裁き(死後における神による裁き)とか、最後の審判」という妄想内の概念があるが、「死後の裁き」と「最後の審判」を為す(成す)のは、神ではなく、「質時間回帰則の実態」である・・・(「神」については後ろの方に記そう)・・・さらに、「最後の審判」という概念は、めちゃくちゃに支離滅裂である(・・・最後の審判などという事象実態はない・・・それについては詳細に書く気はしない。本論を読めばその意味がわかるはずである・・・さらに、特定の人物が、人類の罪を背負う、などということも完璧に不可能である・人間の罪(質時間のマイナス)は、それぞれの人間が背負うのである・・・まあ、それらは、大昔の荒くれ者たちを導くための方便だったと思われる…)(男の肋骨から女を神がつくったとかも書かれている文献sもあるが、女性が人間の基本形である…それについても、筆者は検討してさまざまな根拠を挙げている)(・・・そういった昔からの概念・考え方は、アホクサビオリティに満ち満ちている・アホ草そのものである・・・そういった人類の営みは・・以下略・・・)・・・


で、もちろんそこ「物質世界・この世」には、ふたつの意味で、「水蒸気」もたくさん存在する。

その水蒸気について言えば・・・

(上にもいくらか述べたが)ひとつの範疇には、「タトエの水蒸気」が冷やされ凝縮してでできた「普通の意味での水蒸気」がある・・・「普通に言う水蒸気」も、「場」にある「水蒸気・タトエの」、でできている(相転移して生じる)――これは、現実世界にある物質的な水蒸気である・・他の気体sも同じくそうである――・
(物質的な水蒸気は水分子はバラバラで1個ずつ離れている状態にあると考えられ、湯気は水分子が複数個くっついている状態にある――両方が混じって存在するケースもあるだろうが――これもエネルギーなどの関係で状態が変わるという実態の現われである――
・・・ついでに・・・
日本のH2ロケットの打ち上げでは、白い湯気がもうもうと立ちのぼる・・それは、水素燃料と酸素が結合して・つまり水素が燃えて・水蒸気になり、それが空気で冷やされて湯気になるからである・・・液体燃料ロケットの中では、水素燃料ロケットが最も技術的に高度で、効率がいい(コストは高いが)・・・(固体燃料ロケットも技術的にかなり高度であるが)・・・。水素燃料以外のロケットでは、湯気はそれよりかなり少なくでるか(空気で冷やされて)、湯気はほとんどでないか、である・・・)――


・・・カッコの前に戻って・・・

もうひとつの範疇には、霊界(知性空間)の項で述べたように、非物質的・精神的世界を構成する「場を満たしている水蒸気・タトエの」がある。
そして、「物質世界・この世」にも、それから成る世界がある…それは心や意識の世界である。
それは、超絶複雑にして超精妙な波動の世界である(心器における「ツブツブ・デジタル情報の世界」については既述しているし、うしろにも記そう)。

つまり、それ「タトエの水蒸気と、それから成る非物質的・精神的世界――意識内容・心的内容のような世界」は霊界にだけ存在するのではない、と表現・記述(叙述)できる。
人間のもつ『心器』と『意識器』、それに加えて、『心的内容』と『意識内容』はそこに属する・存在する(上述『1』においてもそこに言及している)・
――つまり、それら「心器」と「意識器」は、現実世界と霊界(知性空間)に同時に存在するのである。
しかし人は現実に縛られているので、普通は現実世界だけに、「心器・心と心的内容」と「意識器・意識と意識内容」が存在するように人には思えるのである(ちうまり、普通一般には、脳にそれらが存在すると思われている)・
――離れた上述「人は死ぬと、その人の心器と意識器は霊界・あの世(知性空間)に移行する」という表現は、正確にはそういうことである・
(・・・そこでは、肉体だけが離散消滅・雲散霧消する――ただし肉体の構成要素sは消滅することはない・肉体の構成要素sはバラバラになって、散らばってしまう、ということである・・・量子情報という概念sがあるが、これ「肉体の構成要素sはバラバラになって、散らばってしまう」については、そこではどう考えるのだろう・・・)
――

・・・さて・・・
眠っていて見る夢の世界は、霊界そっくりである。夢の中の世界には、記憶にあるものがいくらか混じっていることもあるが、記憶にないものの方が遥かに多い・(人によって異なるかもしれないが)
・・・これも不思議な事象・実態である・・・まあ、夢の中の世界は、霊界の一種か、霊界そのものなんだろう・・・

・・・で、脳の働きだけで夢の内容を創りだすことは絶対にできないだろう・
脳の働きについての知見を総合すると、そういう結論に至る・
なぜなら、「脳はバラバラの情報要素sを統合・総合する能力をもたない」からである・・・
よって、「心器」と「意識器」というフィールドたちが存在するはずである、という論理展開も可能である――これについても、もっと深めて考えていこう・
――(「心器と意識器が存在する」という論証は、いくつかのやり方で徹底して既述している。ここのやつは、新たな論法にある)――・・・
(こう述べたが、しかし、夢の世界の一部が脳が創りだすフィクションの世界であるという可能性も排除しない・・…つまり、夢が霊界の世界であることとは別に、脳が勝手につくりだした世界も夢の中にはあるだろうということ)・・・

・・・ちなみに・・・
「心」と「意識」を自分から取りだして、目の前に置こうとしても、それは、できない相談である。
「霊」と「魂」を自分から取りだして、目の前に置こうとしても、それもできない。
みなされ、同じではないか! (笑)
――これは、まずはジョーダンめいたフニャ論でもあるが、ある程度説得力があるのではないだろうか? 
(「フニャ論・ふにゃ論」についてはどこかで詳細に既述・・かなで書いたり、カタカナで記したりしている・・・)・・・

・・・で、「ジョーダンめいたフニャ論」といっても、しかし、本論でそれらが同じ何かsであることを論証している。
本論においては、既存の単語を最大限に活用して(既述)、本論に則って、
「心=霊」「意識(器)=魂」と定めているのである。
それは、「心、霊、意識(器)、魂」、という特定の概念・内容――あいまいながら――をもった言葉sが既にあるのであるから、そこらの理解とそれらのイコール関係を本格的に本論で論証・解説しているといえる。
本論を理解すれば、それは「ジョーダンめいたフニャ論」ではないことが確認・認識されるはずである・・・

210426
・・・人の身体と脳や臓器sについては、ほとんどすべての人が、それらは物質的に存在するということを知っている(ここでは、「外界には何があるかわからない、という論」の立場には立たない)・・・
それは、現在における科学的知見・知識である・・
で、A「その物質的仕組みは図示すればかなりの程度説明できる・既述」・・
しかし、
「心」「意識」「霊」「魂」については、「??? ・・・」という状態・実態にある・すべての人たちが・・
それらは、上の「Aと」異なり、図示して説明することができない・・
本論において初めてその説明ができるようになったのである・既述・・・

・・・そこらの解明などをも、本論や本スレッド全体で追究しているのである(ほかにもさまざまを追究している)・・・

で、上にも述べたが、
心と意識、霊と魂、について言うと、「心(器)=霊」、「意識(器)=魂」、といえる・今ある単語を有効に活用すれば・既述――。


・・・参考再掲・別なセクションからの・・・
・・・参考・・・物理学の「場の理論」における「場(フィールド)s」は、目に見えず、手に触れず、あるかないかわからないなんらかの存在である。
しかし、磁石はくっつきあるいは反発し(磁場の励起)、静電気によってごく軽い物体はくっつきあるいは反発し(電場の励起)、電磁場を飛ぶ(走る)電波は現実にさまざまな通信・配信・交信などに役立っている。
同じように、「心」=「心器というフィールド」(=霊)も、「意識」=「意識器というフィールド」(=魂)も、目に見えず、手に触れない。
しかし、心脳科学(仮説)で明らかにしているように、それらは実際に存在する、と言うしかない・・・。
:以上、参考・・・



(今回は以下略・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・)



――以上、このセクションは、特に重複が多い。加筆しまくり、遊びまくった結果、構成もよくない状態にある。
強くハゲしく読みにくい。
整理ダンスに整理するように整理ダンスを踊るのは先の話しである・・・
・・・整理ダンスにフラダンス、フラダンスにフラメンコ、このセクションを整理するには、フラフラになるくらいやらないとならないだろう・・・――



・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・






加筆用(どこかに挿入):


…以下、断定調で記そう・メンド草草なので…

「情報発受信物質」sによる情報発受信がなければ、人間におけるすべては成りたたない(だろう)・・・それは非物質的世界の大元にもなっているだろう…哲学の基礎にもなる…・・・

どこをどう検討しても、どこをどう考えてもそうである(という結論に至る)・・・

たとえば、既述しているように、
遺伝子(ここでは、DNAの一区画)たちのもつ情報量は極めて小さい・・それをもとに蛋白質が生合成される・・その蛋白質のもつ情報量は途轍もなく大きい…
…そこにおいては、情報量が飛躍的に増大しているのである・しかもそれは有効にして有用であって意味がある…
…さて、そこの対応関係をつけたのは知性体たちだろう・それは収集したさまざまなデータsと知見と試行錯誤を通してのことだろう…それ以外の可能性はないだろう…偶然によってだと永久にそんな実態にはならないだろう…

…ここも、ここでの論(情報発受信物質と心的内容と非物質的世界関連の論)における重要ポイントである。

そこらの追究の詳細は既述している・・・(遺伝子が先か蛋白質が先か、それらについてのデータについてや知性の活躍、などなど、非常に複雑な考察となっている)・・・



・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・




…お遊びコーナー…



…これはついこの間知ってオドロ木桃の木サンショの木状態になってノケゾッタ話しナリサ…

いくつかの漢和辞典sを調べて、その中のひとつで知ったことナリスが…

「色」は象形文字ナリ…
その象形の形とは…女性がかがんでいて、かがんでその女性の上にのった男性、その二人が身体をすり寄せてS○Xするさまを描いたもの…なんだそうだ…
…そういえば、「色気」とか「色事」とかそっち方面にも使われるなぁ…
…筆者は、「色」ってのは、英語でいえば「color」(元々の意味として)だとばかり思っていたのだったナリサ…

…それにしても、「色-いろ」と、「erotic」や「eros(恋愛の神)(性愛)」から日本語になった「ero」の発音はよく似ている…
それは偶然なんだろうが不思議な話しナリス…
そういえば、たしかこんな成句があるなぁ…「erootoko kaneto tikaraha nakarikeri」(タイプミスというか入力ミスあり)…





…これは英単語についての話しナリサ…

英単語で、いくつかの構成要素s(たぶん、(古代)ギリシャ語やラテン語起源が多い? )から成るものは、日本語的に並べられて構成されているようだ(手順言語的に)(わずかに例外はあるようだが)…
…といっても、少し検討してみただけでアールが……






…以下、魚たちの名前ナリ…

あい(鮎(あゆ)を「あい」ともいう)
こい(鯉)
きす(魚のキス)

…これらの3点セットは、


キス
から名づけられた、ということを知っている人はどこにもいないナリサ…




(筆者は、小説を数編、ネット上に載せている…ほかにも昔書いたのが数編PC内にある…しかしそれらは、物語の形をとっているものの、質の科学と質時間回帰が主要なテーマであり、さほど面白くないので(書いているときは面白かった)、まだネット上には載せていない)




・・・つひでに…ヒマ人コーナー・・・

(上略)


…直上の記述から連想したので…

かなり前、ブログsに載せた替え歌、それプラスαを、心と肩の力を抜くために載せてみよう…

♪オータマジャクシはクジラの子

♪ナマズの孫ではないわいな

♪そーれが証拠にカエル君 変身力を身につけて クジラに変身したんだぜ

♪だーから オータマジャクシはクジラの子

♪ナマズの孫ではないんだぞ♪

…さて、プラスα…

一方 クジラ君は…

♪カエル君の変身事件を知って クジラ君も変身力を身につけたとサ

♪そしてクジラ君は 「換える」ではなく カエルに変身したんだとサ

…ここで妖精のアリエールちゃんとアリエーヌちゃんが笑いながら同時に声をあげて言うには…
「これで、カエル君とクジラ君の交「換(換える)」条件が成立したんだわさわさワサビ-辛っ」


・・・以上、ヒマ人コーナー・・・


(下略)




(上略)




加筆用(どこかに挿入):



現実の世界において、「光・光の世界」ほど精妙・精緻な表現をできる媒体・存在はない。
「音波・音の世界(言葉や音楽など)」もある程度そういう性質をもつが、光の世界に比べて情報量と精妙・精緻さが圧倒的に違う・小さい・少ない。

意識の世界は、タトエると、「光・光の世界」に近い、と言える…それは光の世界よりもっと精妙にして精緻であるが。

「タトエとしての水蒸気・(知性空間にある)(既述)」、は、エネルギーの最小単位のような存在であって、それは光と同じく波動性と粒子性をもっている。
「タトエとしての水蒸気」を粒子として扱う(デジタル)のは「心器」である。
「タトエとしての水蒸気」を流体・波動化した存在・情報(アナログ)は、「意識器」の中で生じる――ここは、書くのがむずかしい。ここ「意識器の中で生じる」を「意識器が扱う」と書こうと思ったが、すぐに、それはちょっとおかしいと思い直したのだった――。
そこを簡潔に書くには「意識器の中で生じる」がいいと思うが、それもちょっとヘンだ。
そこらを詳しく説明すると・・・
意識器にはある意味で能動性がない・つまり心器のような能動性がなく、その意味においては受身である。
しかし、意識し味わうという能動性をもっている。
「心器」から「意識器」に入れられた情報――粒子情報の一群――は、流体・波動化されて、アナログ情報となる。
その内容を、意識器は意識し味わう。
・・・そういうことである。

ついでに補いを入れると・・・
光などのもつエネルギーはどこまでも薄めるということはできず、最小単位をもつ――このことは粒子性の根源である――。
そして、その最小単位のエネルギーを含めて、そういったエネルギーは波動性(ある意味、アナログ性といってもいい)と粒子性(ある意味、デジタル性といってもいい)をもつ。
――ここでいう波動性とは量子力学的確率に係わるそれではなく、そういったエネルギーがもつ波動の性質のことである――。


・・・付記・・・

物理学の古典論においては、
「エネルギーはいくらでも薄めることができる」とか、
「波動は波動であり、粒子は粒子であって、それらは別々の実体・実態である」といった感じであったが、量子力学によって、それらは覆されてしまったのである…量子力学の方が「より正確」である、と・・・


・・・上述といくらか関連のある参考(連想したので)-別なセクションから…プラス加筆・・・

(上略)

・・・以下これは、このセクションのずっと後ろに書くべき内容なんだが・・・

結論をまず記そう・・・

後ろの方にでてくる、「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」(三人の数学者が『一応』証明している)問題の「マイナス1/12」がどこからでてくるか、という問題なんだが・・・

数学においては、線には幅がないという設定をしている・
(数直線についてもそうだろう)・
(点には位置だけがあって大きさはない、ともしている)。

しかし、現実においては、幅のない線もなければ、大きさのない点もない。
いちばん小さな素粒子を点とみなしても、大きさはある(揺らいでいるが)し、それを並べて線にみたてても、線に幅がでてくる。

さて、そこで、線に「1/12π(単位なし!)」の幅があれば、その「マイナス1/12」を「見える形で理解」できる(上述にある「揺らぎ」があったとしても、その平均値をとる、とする)。
……ということは、点(上述)の直径も「1/12π(単位なし!)」であるのかもしれない……

(後略)

・・・これで物理学における発散問題は解決するのかもしれない…
……もうひとつ、詳細に既述している「プラス∞と∞とマイナス∞は隣り合って並んでいる(プラスゼロとゼロとマイナスゼロは隣り合って並んでいる)」という数学理論において、「∞の絶対値は、不思議なことにゼロである(プラス∞とマイナス∞の絶対値はそれぞれ無限大だが)」によっても、物理学における発散問題は解決するのかもしれない……
…それと、詳細に既述しているように、その理論から言えば、宇宙がビッグクランチを起こしたら(起こすか否かも詳細に検討して既述)、ビッグクランチの実体-実態のもつ無限大の重力が反転して無限大の斥力になって、ビッグバンを起こす、のかもしれない・・・
……

(加筆)

・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・





加筆用(どこかに挿入):


人間の美醜についての感覚・認識はどこからくるのか? 
ひとつには、
A・タンパク質などの情報発受信物質が発受信する心的内容起源情報スペクトルによっているだろう
それと、
B・心器のもつ傾向性にもよっているだろう
さらには、
C・慣れ・慣習(これはここでは、自分の属する社会・民族における一般的な傾向、という意味である)によっているだろう

で、「A」「B」「C」は、複雑に絡まっている-「A」「B」「C」それぞれが他のそれぞれに大きな影響を与えているだろう

…以上は、「人間の美醜についての感覚・認識」だけではなく、
その他人間に関わる多くの実態においても、そう言えるだろう

(加筆)


・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・




(加筆)




(下略)





☆☆☆





by西山浩一(C)(春楽天・世界人)
研究者も西山浩一
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Last updated  2021.04.26 11:30:50
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