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私は今、切実に結婚したい。縛られる関係は嫌だけど、婚姻とかそういう形でなくて、ちゃん持続できるパートナーを見つける、と思っている。入籍とかどうでもいいことだけど、そのほうがクリアなら、それもいいかもしれない。どうなるかわからないけれど。 いろんなところで自分に対する意見を聞いたりするとき、もっとも多い答えが、「結婚とか、入籍とか、そういった形式には興味がないんですね、あなた・・。」というもの。本人は気がついていなかったが、そうかもしれない。自分のことを自分で理解するには、時間がかかるのだ。それに気がつくのに、ずいぶん遠回りした。 でもたまに「自分に合う人は、この世にいないんじゃないかなあ、もう無理かも。」と悲しい気持ちになることもある。いや、しょっちゅうある。 で、マーフィーやら、引き寄せの法則やら、いろいろ実践しているので、毎日、「私にふさわしいパートナーを送ってください。」と祈っていたところ、なんと、実家の隣の方から、「うちの甥とつきあいませんか?」とご紹介があった。しかもそれを、近所の方が丁寧にお手紙を書いてきてくださったのである。 ・・・正直、笑ってしまった!なんかわからないけど、引き寄せたぞー(爆)!恐るべし、引き寄せの法則!まさかこの歳で見合いの依頼とは・・(一回もしたことないのに!)。 理由は「同郷の人を探している。」ということだった。私はできる限り、遠い血の人がいいと思ってるのに・・そんなの合うわけないじゃん!!! 同郷どうし意見が合いやすいと思われたのかもしれないが、私はとても自由度の高い人間なので、私を支え、港になってくれる人じゃないと無理だと思う。私が船なので、相手が待っててくれないと(笑)。 そんな事情も知らず、紹介くださった近所の方。きっと私の見た目だけ見たのね・・そんなしおらしい女性じゃないのですよ。お友達ならいいけど、それも難しいかもなあ。 父および、周りの九州男児を見て、「九州の男だけは嫌だ!」と思って九州を出てきたのに! ぴったりくるパートナーが見つからなかったら、一人で人生をエンジョイするのもありかな、と思う今日この頃。自分のポリシーを曲げてまで、誰かといても全然幸せじゃないから。 ずっと「理想の女性」を追い求めて、何年も探している男性を知っているけれど、最近は痛々しささえ感じる・・そして自分の身にも重ねてしまうのだ。 誰もが、自分にマッチするパートナーを探しているんだね。 とにもかくにも、「宇宙にお願い」「引き寄せの法則」は働いているのだな、と実感。この実験、まだまだ続きます。 さて、なんて返事したらいいかな。
2007年10月29日
この前、たまたま話しかけた人も、やっぱりスペイン人だった。アラブ系か、アメリカ人かと思ったのに!「意識するものは拡大する!」これは間違いない。 そもそも何人っていうのも、くだらないような気さえしてくる。日本は単一民族だけど、他の国の人はいろいろ混じっているから・・・。アラブ人に見えた彼も、「100%スペイン人です!」と言っていたけれど、その容姿からして、イスラム800年の支配の間に、どこかでイスラム人が入ってるんだろうと思う。昔のことは、誰にもわからないしね。 この人も言っていたけれど、「日本がいいです。このままずっと住みたいです。」とのこと。超流暢な日本語。1年ちょっとの勉強でそれはずるい!と思うが、人間、情熱をかたむけられたら、なんでも上達するんだなあ、と感心する。 私がスペインのほうがいいと言うと、「なんで?どうして?スペインちょっと危ないです・・。日本は安全。」と言う(まただ!)。「あなたEU圏内どこにでも住めるのに、なんでよりによって日本なのよ?」「ユーロが価値が上がって暮らしはいいですけど、日本が好きなんです。」と彼。「あなたもしかして・・おたくなの?」「いえ、日本の勉強が好きなだけで、おたくではありません!」 ほおー、スペイン人初のおたくに会ったかと思った・・。 全然誰とも話さないので、私が話しかけたのだが、理由は、「恥ずかしいから。」ということだった。???恥ずかしがるスペイン人!!日本にいる(またはマッチする)外国人の方、結構「恥ずかしい」という言葉を知ってる人たちだ。 でも私が普段スペインで見かけるスペイン人とかに、恥ずかしがったりする人はいないなあ・・。好き放題しゃべってる。いやーびっくりしたー。 結局、お互いないものねだり。彼はおいしいバルや生ハムをあきらめ、私は納豆を食べるのをあきらめて、異国に住むのか。 お金と体力の続く限り、ヨーロッパに通いたい私と、日本に住みたい彼。 ついに認めざるをえない・・「日本って本当にいい国なんだ!」 最近、私の活動ってなんだろう?と考えてしまう。 誰の意見が正しいとかは言えないけど、日本がそうとういい国だということは認めるしかない。資源もない、こんなへんぴなアジアの島国だけど。あとは経済が持ち直すだけ!!!がんばれ日本!!! 海外で、日本人でよかったと思うことは、度々ある。日本人であるだけで、とても扱いがよくなったり、親切にされる。「どこに行っても、いつも私は親切にされる」と思っているせいか、どんなところに行ってもほとんどいい思いしかしない。あの評判の悪いパリでさえ、全員親切だった。 結局は、自分の信じている世界を見ているということなんだろうな、と思う。 私の見るスペインは、楽しくて笑える国なのだ。
2007年10月27日
今、「非生産的で、バカらしいことにどれだけエネルギーを注げるか?」という実験をしている。でも、本当の意味でバカになるのは難しい。意識的にバカにならないと、すぐ理性が「こんなことをしてなにになるの?」と考えてしまうから。 先日、「ナマステインディア2007」に行った。というのも、去年行ったサイキックの人が、「あなたは前世、インド人でした。」と言ったから。そして、彼女によると、来年の3月にインド人に出会う予定らしい。 私は一切インド人に興味なし。でもこのフェアなら、インド人がどんな感じかわかるだろうと思って行ってみた。 確かにインド人はたくさんいた。・・顔も存在感も濃い。でもなにも懐かしくない。カレーを食べたら胃にもたれてしばらくは食べたくないし、本当に私は前世インド人だったのだろうか・・?と思う。 そして昔から疑問だけど、インドの女性はとてもきれいなのに、男性はひげまみれで素敵じゃないのか?映画スターもひげまみれのおっさん。 ついに会場で「これは素敵!」という感じのインド人には出会えなかった。 インド人と言えば、モロッコやエジプト人などのマグレブ国に並ぶ商売人、というイメージがある。私は、どうやってもインド人にはかなわないような気がするのだ。 ナマステインディアには、インド雑貨ショップが多く並んでいて、一人のインド人が「これは安すぎる!」と日本人店員にいちゃもんをつけていた。高くてもよくないけど、安すぎるのもよくないということらしい。価格破壊??さすがインド人。 が、会場でひとつわかったのは、働いている日本の女性たちが、「インドが好き」と言っていて、世の中に「インドに惚れてる人」がいる、ということ。 私のラテン狂いのように、インドに取りつかれている人がいる(いるでしょうね)ということを知れたのは、とてもよかった。 意識をインド人に向けて世の中を見ていると、東京には意外にもインド人らしき人たちがたくさんいることに気がつかされる。もしかしてパキスタン人とか、近隣の人たちかもしれないけれど、それっぽい人たちが街にあふれているのだった。前からいたはずなのに、私には今まで見えていなかったのだ。 そして気がつけば、インドの本を読み、インドの旅行について調べたりしている。 でも来年の3月にインド人男性に会わなかったら、このインドブームも終わると思うし、そのサイキックの話を信じるのも終わりになるだろう。 こんな非生産的でバカらしいことに、日々エネルギーを注いでいるのでした。 ここまでお読みくださって、ありがとうございます。
2007年10月25日
現在、スペイン語の先生と、フラメンコの先生を探している。・・難航してる。ただ、セビジャーナスを習いたいだけなのに、それが意外と難しい。 でも、それに焦点を合わせると、その情報が集まってくる、という体験をたくさんするようになった。 スタバに入ったら、隣がスペイン語を話す人が10人もいたり、やたらとスペイン人に会い始めたりするのだ。 先日は、カナリア諸島から来たスペイン男3人に会った。一人はダンスの先生で、あと一人はパール会社の社長、あと一人はよくわからない。「カナリア諸島はパールが有名なんだよ。あ、でもこれはタヒチのブラックパール(笑)」と自分の腕につけていたパールを見せてくれて、私はずっこけた。自分とこのパールをしてこんかい!「知ってる?タヒチのパールは日本人が技術を伝えたんだよ。」と私が言うと、「そうそう、知ってる!日本のパールはすごいよね。今回はミキモトにも行ったよ。写真も撮った!」と妙にパールの話で盛り上がった。「なんで東京に来たの?」と私は彼らに聞いた。「とにかく行きたかったから。日本大好き!東京は便利!」と大絶賛。「私はね、スペインが好きで、何回も行ってるのよ。だったら交換しましょうよ!」と言って大笑いになった。 カナリア諸島と言えば、むしろアフリカに近い島。そんな遠いところから(つまり私も十分遠いところからスペインに行っているけど)、途中のヨーロッパには見向きもせず、彼らがバケーション先に日本を選んでくれたのなら、これはおもてなししなくては!となぜか思う私(注:酔っ払っていた)。 というわけで、しばらくいろいろと話をした。ダンスの先生はややクールで無口、パール社長が典型的なスペイン人という感じ。でもダンスの先生もある意味ティピカルかな。物静かなスペイン人もいますもんね。 それにしても、スペイン人、やっぱりおもしろすぎ・・。 なんと3人とも英語が出来たので、途中からスペイン語を話すのはあきらめた。カナリア諸島は観光客が多いので、英語が話せるのだろうか?よくわからない。スペイン本土ではありえないと思う。「スペインの男をどう思う?」と聞くので、「マッチョで、愛情が多すぎる(笑)。彼女や奥さんがいても、ちょっと他に素敵な女性がいると、そっちに行きたくなる!」と私。「そんなことないよ!パッションが多いと言ってよ!」と言い訳する。「じゃ、スペイン人とつきあったことある?」とまた聞くので、「ないよ。」と答えると、「今度つきあって、各国の男性をジャッジしてよ。」とパール社長。「わかった。スペイン男、TOO MUCH AMOR。マイナス5点とか?」と私が言うと、大爆笑。さすがスペイン人、リアクションが大きくていい♪ 日本は便利で美しく、大きく、なにより安全だということだった。電車も走ってるし、便利だね、と。だよね、スペインだと、気が抜けないもん。 他には、「日本の女性はなぜ髪の毛がきれいなのか?」という質問があった。確かに、クセ毛の人は少ないし、ボサボサの髪の人なんかいない。「日本の女性は、特に髪の毛と肌に気を使ってるのよ。」と私。「日本の女性は美しい。」と彼らは大絶賛。「そーお?私はスペインの女性のボンキュッボンスタイルが好きなんだけど(とスペインの女の子のマネをする)。胸があいてる服とかさ(笑)。」「NO--!絶対に日本女性のほうが、センシュアル(セクシー)!スタイルもいい!」と言い張る。やっぱり、そうですか、そうですか、そんなもんですか・・。「私、毎回、スペインで服買ってるのよ。ああいうのは日本に売ってないから。」と言うと、「そうなの?日本の服のほうがスタイリッシュでいいのに!」と、ことごとく否定された。 今まで何回も同じ意見を耳にしている。バンバーン!と迫力系ラティーナよりも、楚々とした日本女性のほうがいいということか。お互いないものねだりなんだね・・。「このまま朝まで起きていて、そのまま成田に行ってロンドン経由で帰るんだ。」と異様に元気な3人。「マドリッドで1泊するから、明日の夜はマドリのクラブに行くんだよ(笑)。」と言う。さすがスペイン人、そうでなくちゃ!!! カナリア諸島ということは、マドリッド行き自体、旅行みたいなもんである。ロンドンでも飛行機を降りずに日本まで来てくれて、ほんと、ありがとね!という気持ちに私はなった。「今度、カナリア諸島に来る時は連絡してね。案内するから。」と、メールアドレスをくれた。スペイン人は親切。みんな連絡先をくれる。 それもあって、行きたい国や場所が多すぎて忙しい。再来年くらいまで、予定がつまってる! そうやって考えると、案外人生は短い。「非生産的でバカげてることを、どれだけ楽しむかが人生だよな」と私はあらためて思ったのだった。 スペインでフェリアに参加、とかね。
2007年10月18日
先日の前世療法、なんだか夢だったような気がする。本当に見たのかな・・?私の願望じゃないのかな?と思ったりする。 でもあの頭に浮かぶ言葉はなんだろう?とも考える。 家に帰ってから、セラピストのサイトをあらためて読んでみた。そこには、室井滋さんの退行の様子が載っていたが、その時の室井さんの息子の名前が「ダダ」というのだ。これを読んだからかな? 名前がイメージされる時、頭の中に「ダ」という言葉がやってくる。「ダ・・・ダのつく名前・・ダダ?」だからダナでもいいしダイでもいい。ただ「ダ」の含まれるなにか、という感じがする。本当に「感じ」がする。ただ、それだけ。 そして、家にあったチュニジアのガイドブックを見てみた。バラバラとしか見てなかったが、一ヶ所だけ「フェニキア」という記述がある。これを読んだかどうか?記憶にない。チュニジアとフェニキアが関係してることすら忘れていた。それとも潜在意識の中に記憶として残っていたのか?・・よくわからない。 頭で考えて疑いだすと、キリがない。でも人生、考えてもしょうがないこと、理屈ではどうにも説明できないことがたくさんある。あとは自分の感覚を信じるだけだ。 とにかくやってみたことはよかった。それがどんな気分で、どんな気持ちをもたらすかがわかるから。
2007年10月13日
人生で初めて、ヒプノセラピーを受けた。数年前から、受けるならこの人!と決めていた方にやってもらった。まあ、長い道のりだった(笑)。 昔、あまりにも貧乏すぎて、セラピーに行くお金すらなかった。でも希望を持ち続け、強い願望があれば、なんでも叶うと思う。ワイス博士の本を読み、セミナーに出て、ついにその時が来た。私は過去生療法を受けるのだ! 予約は1ヶ月以上前からお願いしてあった。お会いしたセラピストは、ほぼ想像どおりの方。私が会いたいと思う方は、うまくは言えないが、なにか共通項があるように思う。自立していて、過去に困難があってもそれを自力で乗り越えてきた、強さや潔さのある大人の女性。そんな人に惹かれる。 今まで、ワイス博士のCDを聞いて自分で過去生退行したりや、集団で過去に退行したり、または現世の子供時代に退行するというのはやっている。でもイマイチ、ビジョンがクリアに見えたわけでもないので、今回も「ちゃんと自分で見えるのかしら?」とかなり不安に思っていた。 というわけで、セッションが始まっても、途中までそんなに集中できていたとは思えなかった。でも「トンネルが・・・」というあたりから、だんだんぼわーんと意識が深くなっていき、私は「どこの時代に行くのかしら?街に行きたーい!」と思っていたのに・・・着いた場所は、夜の山、谷あいのようなところだった(がっかりした)。 その時、私は、ぐーーんという音とフィーリングを感じて、一人の男の子の中に入った(ような気がした)。すごく不思議な感じ。セラピスト「どんなところにいますか?」私「夜。山にいる。」「誰と一緒ですか?」「キツネ。」あとで考えると、他の動物のようだったが、自分は子供なのでよくわからない。私はその動物と共に月を見ていた。「あなたは何歳ですか?」「6歳。」「誰と住んでますか?」「お父さんとお母さん。」「お父さんから、なんて呼ばれていますか?」「うーん・・・・サミ。」 6歳もサミも、心の中に唐突に浮かぶ数字や文字だ。なんでサミなのか?よくわからない。なにより不思議なのは、自分のしゃべり方が子供なことだ。これは多くの退行のケースを読んでいると、子供は子供のしゃべり方をするので、それと同じみたい。 こんな感じで、セラピストの質問に私が答えていく形を取る。私は、アジアより西の国で育った。髪は黒く、目も黒い。テントのようなものに住んでいた。お父さんは外で働いて帰ってきた。農業か、狩りか、そんな感じがする。「次の場面に行ってみましょう。1、2、3」 サミは18歳になって、鎧のようなものを着て、闘っていた。私が自分で過去生退行をした時はローマ兵だったので、よっぽど闘うのが好きというか、昔は闘ってばっかりだったんだろうな、と思う。隣りの国から攻めてくるので、私は国を守るために闘っていた。 その次の場面では、私は23歳。腕をケガしてテントの中で横たわっていた。ここは誰かの家。右側に女性がいて、看病してくれていた(ような気がする)。気のせいだろうか? でもなんとなく、自分は寝ていて、左腕をケガしており、女性が私の右側にいるという気がした。彼女は、同じ村の人で、たぶん幼なじみとか、そんな感じだったと思う。彼女は優しくて、いつもそばにいてくれた。「彼女が今の人生で誰だかわかりますか?」とセラピストの方は質問したが、誰だかわからない。妹のような気もしたけれど、ちょっと違う感じがした。 またまた飛んで、私は35歳。この数字もなんとなく思うもので、根拠はないけど、そう感じられる。サミは彼女と結婚していて、二人の男の子がいた。私は山に囲まれた高台の土地で畑を耕していて、二人の子供は向こうのほうで遊んでいた。妻は、私の近くにいた。「二人の子供たちの名前はわかりますか?」「・・・ライミとダダ。」私は答えていた。「何歳ですか?」「4歳と7歳。」「彼女の名前はなんでしょう?」「・・ララ。」 ライミもダダもララも一度も考えたこともない名前だけど、その文字が頭に浮かぶ。「そこはなんと呼ばれている国ですか?」1回目に聞かれたときはよくわからなかった。でも2回目、私は答えていた。「・・フェニキア?」 なんだ突然フェニキアって?!と思う。フェニキアについて考えたこともなければ、その言葉を発したのも、高校生以来かも。なによりも自分の中にフェニキアというボキャブラリーがあることにびっくりした(あとでだけど)。 その前に、私は時代を1300年と答えていたが、これはあとで考えると、紀元前1300年のような気がする。そうだとすると、フェニキアという答えとつじつまが合うのだ。私が見た光景は、AD1300年にしては、えらく質素で素朴だった。頭の中に1300と出たので、たぶんBCだったんだろう。「なにもなかったけれど、幸せでした。」とサミ(私)は答えていた。なんにもなかったけれど、妻と子供たちがいて幸せだった。特にララは献身的で、私をいつも支えてくれた。私は家族の中心で、うれしかった。なんとなくライミは、私の今生の父のような気がした。私は子供たちを愛していた。 また指示があって、次の場面へ飛んだ。サミは、暗くて狭い牢獄に入れられていた。ここに私の閉所嫌いが関係しているようにも見える。「つかまりました。」「なにか悪いことをしたのかしら?」「・・・だまされて、連れていかれました・・・隣の国に。」「私は美しかった。彼女(ララ)も美しかったし、幸せだったので、誰かにねたまれました。」とサミは答えた。私に見えるサミは背が高く、筋肉のしっかりついた、均整のとれた体型をしていた。ララは優しい女性らしい姿をしており、髪は明るいブラウンで長かった。二人はお金はなかったが、愛しあっていた。 結局、サミは「家族に会いたい」と思いながら(ここで涙が出る私ことサミ)、最後は殺された。たぶん首をくくられたような感じがする。 その後、私は上の世界に行って、ふわふわしていた。セラピストは言った。「この人生であなたが感じたことはなんでしょう?今のあなたにどんなメッセージがありますか?」「・・・人を簡単に信じてはダメ。」「人を見る目を持つように、ということですね。他にはありますか?」「ララを探しなさい。彼女が支えて助けてくれる。」 確かに、彼女の献身が私の支えになっていた。今の人生であんな風に感じたことは一度もないような気がする。 そして、「家族と過ごす時間が少なくて、残念だった。」とサミは言った。 この後、催眠から目が覚めた私に、セラピストの方は言った。「フェニキアって、今のレバノンのあたりですよ。私の義理の母はレバノン人なんです。」 へえええーー。だんな様がヨルダンの方だと、プロフィールに書いてあったけれど、フェニキアがその近くだったとは。というか、ヨルダンやレバノンがアラビア語圏だとすら知らなかった!今までレバノンのことなんて、ほとんど考えたことがない。 そして、さらに驚くことを彼女は言った。「私の義理の弟はサミって言うんです。だからびっくりしました。」「えー!ほんとにある名前なんですか?男の人の名前?」私は驚いた!私が適当に答えた(わけではないが、頭に浮かんだ名前)サミ君は、実際にある名前だったのだ!感動!サミーなら聞いたことあるけど、サミなんているの?!と思ってたのだ。「ダダやララはどうでしょう?」「たぶん、ニックネームのようなものじゃないでしょうか。」とセラピストの方は言った。なるほど、それならわかる。 ここで私は、数年越しで彼女に退行催眠をお願いした意味がわかるような気がした。これらはすべてシンクロニシティなのだ。 家に帰ってからフェニキアについて調べてみた。サミは山のほうにいたようだが、その昔、フェニキア人たちは地中海一帯を支配し、チュニジアにカルタゴという都市を作っていたらしい。ちょうど私は、次の旅先をシチリアやマルタ島、チュニジアにしようと思って、ガイドブックを見ていたところだった。なんて不思議なつながりなんでしょう! チュニジアに行きたいな、と思ったのは、この前パリに行った時、タクシーのおじさんがチュニジア出身で、「いいよー、チュニジア!」としきりに勧めたから。マルタはともかく、フェニキアに関係する土地に行くことに今となってはワクワクする。ずっと前からシリアに行きたいのも、フェニキアだからなのかも。「出来事のすべてはつながっている」そんな気がする。 さて、「ララを探しなさい。」というサミ。でも本当に私は彼女を見たのかな・・・?全部夢のような気がする。今までの人生で、あんなに優しくて、私に尽くしてくれる人はいなかった。あまりのことで、終わったあと、カフェで呆然としてしまった。 私は家族の中心でとても満足だった。今世でも自分が中心になりたい私。この男らしい私を支えてくれるララ、果たして彼女(彼)は見つかるでしょうか?
2007年10月10日
芸術の秋!秋がやってきた! 日本に帰ってきてから、非常にテンションの低かった私。ようやく解決の糸口が見えてきました。なんたって、あと半年でスペインに戻るので!、誰からも強制はされてないのですが(笑)、次の準備にとりかからなくてはならないのです。 10月は4月に続き、いろんな講座が開講されるタイミングなので、なにかを始めるのにはうってつけ!が、ここでも、私の「選び好き」が邪魔をする・・。 私のソースのひとつは「選ぶこと」。スリーインワンによると、私はこだわりの強い赤ちゃんだったので、大人になっても100か0みたいな性格をしています。 というわけで、スポーツクラブに入る前に、まずはウェアを見にいって、気に入るものを買い、それから見学に(疲)。が、行ってみると「なんか違う・・」と思う私。体動かせればなんでもいいじゃん!と自分をうながすのですが、どうしても気分が乗らない。狭い空間で必死に踊っている生徒さんたちを見て、すごい圧迫感。 踊りはもっとちゃんと習わないとうまくはならないな、と思って、たぶん断念。他のダンスのクラスを探そう。 というわけで、これからフラメンコとスペイン語のクラスを決めるために、見学の旅です。これがまた、先生や時間の都合が合うかどうかで、決めるのに時間がかかります。でも、今回は半年限定なので、適当なところで手を打つかもしれません(打てればいいのですが・・)。自分の勘しだいです。 日本に帰ったあといろいろ考えて、私はアートに近い暮らしをしていたら、満足だということをあらためて感じ、毎日をアートにすることに決めました。でもうっかりすると、すぐそれを忘れてしまいます。 今までの人生で最も充実していた時を考えてみたら、エレクトーンをやっていた17年間でした。何時間でも弾いていて、曲を作って、幸せだった。なので、長い間遠ざかっていた楽器演奏に、また戻ってみようと思います。 最近書くこともやめていましたが、それも復活しました。きっかけはフランス人と話したこと。 フランスで、フランス男とこんなことがあった、あんなことがあった、これどう思う?と話していたら、「ソレ、オモシロイ・・。書いたほうがイイです。」と彼。「今、書いてるのよ(ちょい中断してるけど)。」と私が言うと、「あ、そのエピソード、ボクもカキマス、ジブンノホンニ。モシモ、カイタラ、インゼイのパーセンテージ、アゲマス。」と言うので、「巻頭に「ありがとう、キアラ」と入れてね。」と私は言った。どうやら、彼も日本人について、フランスで本を出したいらしい。 私が書くことは誰も期待してないし、締め切りもないし、やりとげなくても、文句言われない。だんだん「書かなくてもいいか・・」「これ、おもしろいかわかんないし・・」と私は後ろ向きになっていった。誰と話したわけでもなく、すべて自分の脳内で会話されていた!怖いよー!こうして私は落ちこんでいった。 が、ほんのささいな一言で人は元気になれる。フランス人に言われて、また書き始めることができるようになった。 一人でもおもしろいと思ってくれる人がいたら、それでいいじゃん。なんで人の評価をそんなに恐れていたんだろう?少なくとも、私にはおもしろかったんだから。 人からよく思われたい、おもしろいと言われたい、そんな欲と自意識過剰から、私はなにも書けなくなっていたのだった。 お金にまつわる本もたくさん読んだけれど、結局最高の投資は「自己投資」ということで、下半期はいろんな講座やセミナー、興味あることに参加してみることにした。今までは、お金の心配がありすぎて、自己投資なんかできなかった。無駄なことばかりして、お金をドブに捨てたみたいな後悔もあった。けれど、「おもしろくない」と感じることも自己投資。自分に合わないものをひとつ発見しただけで、それは無駄ではないのです。 人生に無駄なし!イエイ! この秋は忙しくなりそうです。
2007年10月06日
最近私はローテンション。なにもしたくないし、ただただぼーっとしてるか寝ていたい。たぶん急に寒くなったのと、このところ天気が悪かったのが原因のようだ。この冬、日本で越せるだろうか・・?むむむ。 さて先日、ラテン系バンドのライブに行った。行くまでは、立っているのもやっとだったのに、行って3分で元気になった(笑)。うーん、やっぱり音楽の力は偉大だなあああああ! 終わってから、バンドのメンバーたちが別の場所に移動するというので、一緒に移動した。私のお友達が彼らの知り合いなのである。 がしかし、たかだか渋谷から六本木の移動に、1時間以上かかってしまった。というのも、飲み屋にひっかっているメンバーと話したり、いつの間にか誰かいなくなったり、なにかがないと探しに行く人がいたり、おじいさんは「早く行こう!」とか言い、全然意見がまとまらないからなのだ。そして誰も急いでないし、誰もなにも知らない。「いったいどうするの?」と言いつつ、路上で50分が過ぎた。やっとここで、車に乗る気になってくれ、2組に分かれ、最初の1組はタクシーに乗り込んだ。 私たちもタクシーに乗ろうとしたところ、一台の台車(スタッフ?)が。「今から六本木行くよー。」ということで、乗せてもらう。あいかわらず計画性がないし、六本木に行くなら行くで、最初から言ってちょうだいな・・横でさんざんもめてたのに・・。 こうしてようやく車に乗りこんだ我々。そこから見る渋谷は、エキサイティングなアジアの一都市。ラテン人に囲まれ、スペイン語を話してると、自分も外国人のように思える。 友達は言った。「この人たち、どこに行ってもこの調子なんだね・・。」「ほんと、ラテンだよね。ここ、日本じゃないみたい。」 毎回思うことだけど、ラテンの人は急がない。とにかく進まない。さあ行こう!と言ったあと、グダグダになるのがお決まりなのだ。そしてどこの国に行こうとも、マイペースを貫く。 この方たちは世界的なバンドで、ツアーで海外を回っているのに、どういうわけか、マネージャーがついてない(いるはずだけど、解散は各自。マネージャーが取りしきって連れていったりとかしないという意味)。帰りたい人はホテルに帰り、遊びたい人は、それぞれ出かける。ホテルの位置もよくわかってない人もいるし、そのホテルも、案外質素(失礼)なホテルにお泊りだ。 それでも迷子になる人もないし、みんななんとかなっている。そこがすごい。 そしてびっくりするのは、見た目はおじいさんでも、夜中になっても元気でいることだ。リハの後、7時半から演奏したあと、この元気さ!私なんか、眠くて、目が細くなってるというのに・・。体力の違いを思い知る。 この人たちに限らず(バンドの方たちはちゃんとしてるほう)、ラテンの人たちを見てると、生きる希望がわく。「人生なんとかなる!だいたいでもOK!終わりよければ、すべてよし!」 このくらいアバウトでも、どうにかなっていくものだ。これは見習いたい。 おかげですっかりとまではいかないが、かなり元気になった。体力がないので、私は次の日、寝込んでしまったが、彼らは元気に活動してるんだろうな。
2007年10月04日
先日、拡大鏡を買ったことはお話したと思う。これ、いろいろよく見えるのです・・・そして、この頃すごく思ってたことを実感した! それは、なんかそれなりに年とったよね・・・ということ(笑)。 先日掃除していて、5年前の写真を久々に見たが、やっぱり若い。全然変わってないと思ってたのに、違う。苦労なく、美しく映ってる!変わってないと思ってる自分がおめでたい! そもそも、この年まで、「年とったなあ」と思うことがほとんどなかったのが、すごいことなんでは?と思う。独身で子供もいないので、まわりの人から、おばちゃんとか呼ばれたことがないし、そういう扱いも受けたことがないので、気がつかなかった。スペインやイタリアでは、いまだにセニョリータか、シニョリーナと呼ばれている。さすがにフランスでは、「マダーム」と呼ばれてましたけど。 このところ、大人が幅をきかせている国にいたために、さほど自分の年齢について、考える必要がなかった。が、日本にいると現実問題にぶちあたる。先日書いたように、「男は女性の年齢を聞きたがる」という事実に気づく。別に何歳でもいいじゃんよ! ついに私は、なにかをターンしたということを実感した。年をとることを、成長と考えるか、加齢ととらえるか?その姿勢で今後の人生は変わってしまう。今までの先輩たちは、年を重ねるということを、どう前向きにとらえていったのだろうか?ぜひ教えてほしい。 私の母は、よく言っていた、「若いってすばらしいわ。」失ったものを懐かしがっていた。これがもし前向きな人だったらどうだろう?「年をとるのも悪くないわよ。」と繰り返し私に洗脳してくれてたら? 私はいろんな意味で、年をとるのが怖い。 最近、山口智子さんがメディアに露出しているが、あまりにもお変わりなく、さらに美しいのでびっくりしてしまった。その上の年代にも、まだまだ黒木さんとか、桃井さんとか、美しい人はたくさんいる(ただし、元々がキレイに生まれついているが)。女優さんと比べるのはなんだが、一般の人も、それなりに美しく年を重ねるのは、可能なんじゃないか?と思うので、今後はそれを追求していきたい。 間違いなく、年はとった。でも今のほうが若い頃よりもキレなくなったし、落ちこみも少なくなったし、とにかく落ち着いた。知恵も増えた。そして、今のほうが、若い頃より体型のめりはりもできてるし、モテるということだけは、心の希望として、誰かにお伝えできればと思う。 今後10年を見据えて、心して自分の人生に取り組む。人体実験はまだまだ始まったばかりだ。
2007年10月02日
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