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チボリ公園でも写真枠を使いすぎたので・・余り枠は出なかった・・・。
フレデリクスボー城 2 (教会堂)
デンマーク王国(Kingdom of Denmark)
フレデリクスボー城(Frederiksborg Slot) Part 2
国立歴史博物館
J.Cヤコブセン(1811年~1887年)
城の古い部分はフレデリック2世(1534年~1588年)の時代に建てられたものだそうです。中でも1580年に建てられた城の北方「浴室」と呼ばれる娯楽用の小館Badstuenは浴用の為に一室を設けた事で名付けられています。
その後息子クリスチャン4世(1577年~1648年)によって城は 北欧の最も壮麗な城の一つとして1600年頃から建設が始まっていますが、王家の主たる居城として使用されたのは最初の100年間で以
降 、(現女王の夏の宮殿である)
フリーデンスボー城(1720年建設)に移されたようです。
本丸の城に渡る橋
ただの掘りだと思っていたけど城そのものが湖の中だったわけで、水上の城郭でした。
城の正面玄関
国立歴史博物館
1859年城は火災
にあい、その修復の為に国民による自発募金をしたそうですが、王はそこを居城とせず、実業家のJ.Cヤコブセン(カールスベア・ブルワリー)の提案でデンマーク国民の歴史的な記念の城として残すよう 1878年に博物館を設立。
しかし、当時の政府は資金上の参加を拒み、 J.Cヤコブセンのカールスベア財団が運営
していたようで、 いつ国立になったのかは不明
です。
J.Cヤコブセン(1811年~1887年)
1847年創設のデンマークで有名なカールスベアのビール会社のオーナー
です。
ビールに宝冠が描かれているのは、デンマーク王室御用達の印なのだそうです。
(1904年デンマーク王室御用達になり瓶に宝冠マークの使用が許可)
J.Cヤコブセンの死後遺産が財団に寄付された為に財団の財産は莫大になったと言われていますが、この城の修復にも莫大な資金を投じたようです。
城の入り口から城門を振り返った所。
西棟には教会堂があります。 宮殿入り口左の塔です。
1536年のルーテル派の宗教改革により国王が教会の最高権威者となった事により、王室の教会は他の部屋以上にきらびやかな造りに見受けられます。
特にここは1660年~1848年までの間、王位継承の「塗油の儀式」がされた教会でもあるようで、教会の王への賛美だと解釈されているようです。
銀と黒檀でてきた祭壇は1610年の作。二階のオルガンは1616年作。
後部にはパイプオルガンの管の部分が・・・これも豪華。
実はここはデンマーク王室の最高勲位の騎士団、エレファント勲章勲騎士( Knights of the Order of the Elephant )の本拠でした。
1450年頃クリスチャンの結社から始まって1693年、フレデリクスボー城内の教会堂に勲位授与の聖堂が置かれた。
象と櫓がデザインされた勲章です。
王国の紋章にもエレファント勲章が描かれています。
リンク エレファント勲章 とデンマーク王室の王冠
王国とその所領土の紋章が描かれている椅子やアーチ、ステンドグラスなどは国家君主を賞賛するルーテル派の礼拝堂の特徴なのだそうです。
クリスチャン4世は城の教会を一般教区の礼拝に使用する事を許可していたようで、それは今も継承されているようです。(要するにヒレロズの教会なのです。)
城はつづく
リンク フレデリクスボー城 3 (ノルマン人とヴァイキング)
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