わたしのこだわりブログ(仮)

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2013年10月07日
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星 ラストにブリュッセルのBack numberを入れました。


カエサルのガリア戦記(紀元前58年~紀元前51年)によれば当時欧州のこのあたり(西ヨーロッパ)にはベルガエ(Belgae)と呼ばれるケルト人が定住していたと言う。

紀元前51年この地はローマに征服されてガリア・ベルギカ(Gallia Belgica)と呼ばれる古代ローマ帝国の属州の一つになった。

属州はその後アウグストゥスの時代になってからライン川左岸からフランス東北部にわたる地域が加わり現在のベルギーおよびオランダ、ルクセンブルク含む一帯がガリア・ベルギカ(Gallia Belgica)州になったそうだ。
Belgicaが現在の国名のルーツになったのは言うまでもない。

さて、今回は中世を今に残す広場、グラン・プラス(Grand-Place)を紹介する予定ですが、まず中世とは? ・・から入りたいと思います。

ブリュッセル(Brussels) 1 (グラン・プラス 1 中世)

グラン・プラス(Grand-Place)
ゲルマン民族の移動とフランク王国
ゲルマン民族と中世


ゲルマン民族の移動とフランク王国
3~4世紀頃から、ゲルマン民族のガリア(Gallia)侵入が始まる。
(ガリアとは古代ローマ人がつけたケルト人の呼称である。)

要するにローマ帝国が管理していたケルト人の居住する土地に大量に移民して来たのがゲルマン民族である
(それも長い時間を掛けて半端ない数で移民してきたのでガリアは混乱したのである。)

やがて ゲルマン人ははフランク王国(481年~987年)を建国した
(フランク王国の初代メロヴィング朝を開いたのはそもそもゲルマン民族流入のストッパーの為に定住させられたローマの傭兵であったゲルマン系のサリ族だそうだ。)

その フランク王国は5世紀~9世紀、特にカール大帝(742年~814年)時代には西ヨーロッパのほぼ全土を支配 するまでに拡大 し、彼は西ローマ帝国の皇帝となった。


ところでケルト人とゲルマン人は実は非常に近しいゲルマン語派にある関係だ。インド・ヨーロッパ語族と言う言語体系で見れば、ほぼ同族なのである。

ウィキメディアコモンズより借りてきました。


青・・カール大帝時代のフランク王国
赤の教皇領 を除いて後は フランク王国の影響のある土地 である。

ギリシャやローマ帝国の文化が継承され、改宗してキリスト教文化圏となり、ゲルマン的要素が持ち込まれる。広域な文化圏はあらゆるものを取り込んだ。
フランク王国の建国によって、これらが融合した新しい文化圏が中世ヨーロッパを作り上げる事になった


ゲルマン民族と中世
ところで「ローマ帝国は蛮族により滅んだ」・・と聞いたり読んだ事があると思うが、このわかりにくい蛮族こそが、実はゲルマン民族を指していたのである。

進入してきた蛮族も改宗すれば蛮族ではなくなる。
つまりカール大帝を排出したフランク王国はかつて蛮族と呼ばれたゲルマン人の一派により作られた国であり、国も大きくなり馴染んでしまえば出自が解らなくなる・・と言う事である。

ローマ帝国が滅んだ理由の一つにゲルマン民族大移動の影響があった事は事実 である。
カエサルが帝国の拡充(領土の拡大)をやめて守りに入った時に攻めのローマは力を止めた。
結果、ゲルマン民族の流入を許し帝国の治安は崩れたのである。


中世とはいつか?
ゲルマン民族の移動が収束して古代ローマが崩壊。
フランク王国により新しい欧州の文化が始まった時が中世の始まりだ

もっともこの中世は非常に長い時を刻むのである。


グラン・プラス(Grand-Place)
1998年、ユネスコの世界文化遺産に登録 されたのがブリュッセル(Brussels)の中心にあるグラン・プラス(Grand-Place)だ。
それは 中世の姿をそのまま残した市民広場 なのである。

グラン・プラス(Grand-Place)の地図から
pict-グランプラス地図.jpg
ブリュッセル中央駅(Brussels Central)から徒歩2分くらいにある。

地図の右下になるブラバン公の館前から撮影。
pict-グランプラス 2.jpg
広場は約170m×70mのスクエア型で左が市庁舎、右が王の家。
後は中世のフラタニティ(fraternity)の一つであるギルド(craft guild)ハウスが建ち並んでいる

その建物のほとんどは17世紀以前に建築されたもので外観はそのまま、内装だけリノベーションされて今も現役である。

とは言え、今はギルドは無い。こう見えてこの広場はレストラン、ティールーム、チョコレート屋のオンパレードなのだ。

市庁舎とギルドハウス側
pict-グランプラス 3.jpg
南西に位置するので、どうしても光線のかげんで綺麗にとれない側である。しかも、2週間近く滞在して雨が8割の最悪の日々号泣
本来人だらけの広場で人が少ないのは雨or夜遅くなってからの撮影だからである。

王の家とギルドハウス側
pict-グランプラス 4.jpg

市庁舎前から王家の家とブラバン公の館方面
pict-グランプラス 1.jpg

ブラバン公の館
pict-グランプラス 5.jpg
今回写真は広場概要にとどめます。

ブリュッセル Back number


ブリュッセル(Brussels) 1 (グラン・プラス 1 中世)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 2 (グラン・プラス 2 北東面ギルドハウス)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 3 (グラン・プラス 3 西面ギルドハウス)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 4 (グラン・プラス 4 西面ギルドハウス 2)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 5 (グラン・プラス 5 市庁舎 ガーゴイル)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 6 (グラン・プラス 6 ブラバント公の館)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 8 (サンカントネール公園とフェスタ)

リンク ​ サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)
リンク ​ サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)
リンク ​ ブリュッセルのコイン・ランドリー(苦戦物語)
リンク ​ イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1
リンク ​ イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル)

リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 9 (芸術の丘・ Mont des Arts)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 10 (ロワイヤル広場界隈)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 11 (王宮)
リンク ​ ブリュッセル(Brussels) 12 (漫画センターとオルタとタンタン)

リンク ​ ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館(Musée David et Alice van Buuren)
リンク ​ 小便小僧(Manneken Pis) le Petit Julien

鉄道
リンク ​ ユーロスター(Eurostar)
リンク ​ ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)
リンク ​ ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)

ブルージュもシリーズあります。
リンク ​ ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)

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Last updated  2021年12月14日 14時45分48秒
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