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ガイア女神地球の総人口よりもその数が多いHPやブログの中から、今ここにいらして下さってどうもありがとうございます♪ (^人^)1年間に放出される太陽エネルギーが水素爆弾なら100発に相当するという噂もある最近・・・残暑お見舞い申し上げます。 m(_ _)m宇宙飛行士さん達は写真では地球の美しさは絶対に伝わらないと言います。他にも彼らがよくおっしゃるのは「宇宙空間から見た地球には国境線がなかった。」あまりにも当然の事なのですが、いつも国境線が引かれた地図を眺め続け、北朝鮮が、中国が、インドが、パキスタンが、アフガニスタンが、イランが、イラクが(←全部つながっていますでしょ?)・・・とメディアなどが違いを見て分けて語っているのを繰り返し摺り込まれているうちに、思わず意識の中にもくっきりと【線】が入っていたりしますよね。宇宙飛行士さん達のコメントが興味深いのでいくつか引用させて頂くと:宇宙から地球を見ていると、この地球に生まれて死んでいった人々、現在生きている人々、これから生まれてくる人々を思う。そして自分はその無数の人間のひとりであると改めて思う。次に考えるのは、私達の存在は何かという事であり、短い生を精一杯楽しみ、かつ十分に他と分かち合って生きるにはどうしたらよいか、という事である。ロドルホ・ネリ・ベーラ飛行士(メキシコ)宇宙を飛行していると、飛行士のものの考え方や感じ方はすっかり変わってしまう。宇宙から太陽や星や地球を眺めていると、生命の不思議に打たれる。そして、いっそう生命をいとおしみ、他人に対してはより優しく忍耐強くなる。少なくとも、私の場合はそうだった。ボリス・ヴォリノフ飛行士(旧ソ連)見下ろすと、大河がゆるやかに蛇行し、ひとつの国から別の国へとどまることなく流れていた。又、巨大な森林地帯が国境をいくつも越えて広がっていた。大洋が異なる大陸の岸を洗うのも見た。二つの言葉が頭に浮かんだ。「共有」と「相互依存」だ。私達は1つの世界なのだ。ジョン・デヴィド・バートゥ宇宙飛行士(アメリカ)世の中に対して、自分の存在を証明してやろうなどと思わなくなり、自分のエネルギーを外に向けるより、内に向けるようになった。家庭、家族、自分の内的精神状態とか、そういうものを第一義的に考えるようになった。ドン・アイズリ宇宙飛行士(アメリカ)絵画を見る時でも、鼻がぶつかるくらいの距離から見ようとしたら、何も見えない。巨大なパターンであればあるほど、より遠くから見ないとパターンが見えてこない。私が宇宙に出るようになってやっと見えるようになったパターンがあったという事だ。ジェリー・カー宇宙飛行士(アメリカ)宇宙に行くと、こう考える。ここにこそ宇宙がある。宇宙では、文明を持つ人間が、古代からのさまざまな圧力から解き放たれる。そして、自由に学び成長する機会を与えられる。幼児の心のように、宇宙はいまだ、恐れや憎しみや貪欲や偏見で、汚されていない。ジョン・グレン・ジュニア宇宙飛行士(アメリカ)嬉しかったのは、宇宙には調和があり、目的があり、創造の力があることを感じた時だ。悲しかったのは、人間がそれを知りながら、それに反対する行為をしているのに気づいた時だ。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。エドガー・ミッチェル宇宙飛行士(アメリカ)地球の表面にへばりついている人間は、結局、平面的にしか物事が見えていない。平面的に見ている限り、平面的な相違点がやたらに目につく。・・・しかしその違いと見えるすべてのものが、宇宙から見ると、全く目に入らない。マイナーな違いなんだよ。宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的な違いはみんな消し飛んで同じものに見える。相違は現象で、本質は同一性である。人間も、種族、民族は違うかもしれないが、同じホモ・サピエンスに属するものではないかと感じる。対立、抗争というのは、すべて何らかの違いを前提としたもので、同じものの間には争いがないはずだ。同じだという認識が足りないから争いが起こる。ドン・アイズリ宇宙飛行士(アメリカ)宇宙から地球を見た者にとって、またこれから見る何百、何千という人々にとって、その体験はものの見方を根底から変えてしまうものだ。この世界で私たちの分かち合うものは、分け隔てるものよりはるかに大きな価値がある。ドナルド・ウィリアムズ飛行士(アメリカ)宇宙の暗黒の中の小さな青い宝石。それが地球だ。地球の美しさは、そこに、そこだけに、生命があることから来るのだろう。ジム・アーウィン宇宙飛行士(アメリカ)人間という種に対する義務感を強く感じた。・・・この体験の価値は、人類に対して持ち帰って伝えるべき価値だ。・・人間はガイアの中で生きている生物であることを自覚して生きていかなければならない。ガイアにとって人間は何ものでもないが、人間はガイアなしでは生きられない。ラッセル・シュワイカート宇宙飛行士(アメリカ)実験中は窓から離れているように、と言われていた。ドロップ・ダイナミック・モジュールで忙しかった私は、飛行の最後の日まで外を見るひまがなかった。はじめて窓の外を見た私は、圧倒されてしまった。中国の話に、若い女の子をいじめるために送られた男達がその女の子の美しさに打たれ、その子を傷つけるどころか彼女の護衛になってしまったという話がある。宇宙からはじめて地球を見て、私も同じように感じる。この地球を愛し、大切にせずにはいられない。テイラー・ワン宇宙飛行士(中国/アメリカ)彼らの発言からは個人差や個々のお国柄があまり感じられず、誰もが意識の最も深い同じ部分を振動させて話しているような気がします。宇宙飛行士さん達の言っている事は時々ヴェーダの言葉のようにも聞こえるんですよ。ヴェーダでは「自分自身の本質は宇宙そのものである」と言うのですが、もしかしたら人間は自分の内側に飛んでいっても、地球の外側に飛んでいっても同じ事を感じるのかもしれませんね。ご近所の月や火星を金星の写真を見ただけでも、地球がどんなにきれいで魅力的な星なのか容易に想像つきます。人類初の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンの有名な「地球は青かった」は、正確には「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」なのだという話もあるのです。中に住んでいると巨大過ぎて意識出来にくいし時には破壊的で強烈な一面もある偉大な母なる地球様も、外から見た途端に何としてでも守ってあげたくなる可憐な美女に変身してしまう所がおもしろいですよね。地球の美しさの理由は多分星全体の約70%を占めている海、そして私達の身体の約70%を構成している水の存在。この快適な水の惑星に住んでいるなんて超ラッキー、ガイア(地球)様には心からの愛と感謝を♪微力ですがせめて、エアコンは必ず28度以上に設定し、いつもエコ・バッグとマイ・お箸を持ち歩き、なるべく公共の交通機関を使い、出来るだけ中性洗剤は使わないように、海や山からはゴミを持ち帰るようにいたします。
2007.08.27
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シヴァ神エーカンバレーシュバラ、又はエーカンバラナータは星の数ほどある「再創造のための破壊神」のシヴァ神様の別名の1つ、でも私がこの名前を見たのは南インドのタミル・ナードゥ州の州都チェンナイ(旧マドラス)から南西77kmの距離にあるカンチープラムだけだったと記憶しています。エガーターラーという非アーリア系のチェンナイの守護女神がいるのですが、タミル語感から察するにこの方とも何らかの関係性があるのかもしれません。この女神様もチベット密教風のターラーという語尾がミステリアスですよね。そんな非アーリア系のドラヴィダ文化がインドで最も濃いタミル・ナードゥ州に位置するカンチープラムは、ヒンドゥー教の7大ティールタ(聖地)の1つ、南インドのヴァラナシ(ベナレス)とも言われる重要な場所。7大聖地とは、1・アヨーディヤ、2・ウッジャイン、3・ハリドワ-ル、4・マトゥラー、5・ヴァラナシ、6・カンチープラム、7・ドゥワールカ、そして7ヶ所の中でも南インドにあるのはカンチ-プラムだけです。4C頃に開かれたカンチープラムはパッラヴァ朝の首都として栄え、続く9C頃からのチョーラ朝でも隆盛を保った古都。高さが100mにも及ぶゴープラム(切石を積み重ねたドラヴィダ様式建築の尖塔)が建ち並び、敷地面積もこの町最大のエーカンバレーシュバラ寺院の内奥に祀られている巨大なリンガは、南インドの5大リンガの1つを形成しています。寺院の内庭には樹齢3500年のマンゴーのご神木があったのですが、残念ながら2005年の大雨で無残にも倒れてしまいました。この寺院の壁面には涅槃仏や結跏趺坐で坐る仏陀のレリーフがあり、元々は仏教寺院だったのではないかと言う学者さんもいらっしゃるように、カンチープラムはタミルでは13Cに衰え、17Cには滅んでしまった古代の仏教の中心地の1つでもありました。中国に禅をもたらしたと言われるボーディダルマ(赤いダルマさんのモデルでもある菩提達磨)、大日経とともに密教の2大経典を成す金剛頂経をやはり中国に伝えたヴァジュラボーディ(真言八祖の第3祖の金剛智)など、日本とも縁の深い仏教僧達の出身地説もあるようです。花嫁衣裳にはカンチ-・サリーか、ヴァラナシ・サリーか、ダッカ・サリーを着るのが若いインド女性の夢とよく言われるようにカンチ-プラムは絹織物の名産地。そのハンドルーム(手織り)の伝統はパッラヴァ朝にまで遡り、金や銀の糸で模様を施した高級な美しいシルク・サリーは南インドの保守的なバラモン女性などからも愛好され続けています。【海のシルクロード】はもう1つの壮大なネットワーク・システム、シンガポールには現在も多くのタミル人が住んでいますがそこから日本までは海上を船で進めばあともう一息です。(海のシルクロードつながりで良かったらこちらもどうぞ~。)タミル語はインドのタミル・ナードゥ州だけの言語ではなく、スリランカやシンガポールでも公用語の1つ。「日本語=タミル語起源説」の大野晋さんによれば、「コメ、ナヘ、アゼ、タンボ、カネ、タカラ、オル、ハタ、マツル、ハカ、アハレ、サビ」などの何百という単語にその類縁性が認められるそうですよ。大野晋さんのお説をほんの少しご紹介:<日本に来たのはタミル語という言葉だけではなく、米、金属、機織りなどもともにやって来ました。この文明複合体は当時としては圧倒的なパワーを持っていた、今のインターネットなどと同じような猛烈なテクノロジー。ですから日本人達はそれについていって消化したいと考え、ものの単語や文章をはじめ「係り結び」も「五七五七七」も覚えて全てがそこへ巻き込まれいたのが朝鮮半島からの文明が流入する以前の弥生時代の事でした。「カミ、モノ、ハラエ」などの古い祭祀は用語も内容も、何故か古代日本語と古代タミル語ではほとんど同じなのです。>インダス文明を築いたインドの原住民のドラビタ族の仲間であるタミル人は、BC1500年頃にアーリア人の侵入を受けてインド南部へと追いやられました。アーリア人の築いた文明はその言語のサンスクリット語に象徴されるように圧倒的に優秀なものだったので、それに対抗する事は困難を極めたようです。タミル語はその起源をインダス文明に遡り、さらにメソポタミア文明へと遡ることが出来ます。そこに大野晋さんの説を加味すると、日本語の起源は遠くシュメー人の文明まで遡れる事になり海と陸のシルクロードが微妙に交差し始めますよね。ウラル・アルタイ語族に所属し、中国語の漢字を使い、「ハナッカラ」の「ハナ」は韓国語で「1」の意味、そんな日本語の起源についてはタミル語説の他にも諸説が存在しています。シュメール語説、ヘブライ語説、アラビア語説、マオリ語説、ポリネシア語説などなど、よく考えてみると意味不明の「チャント」「キチント」などは韓国語、「ソイヤ、ソイヤ」や「ワッショイ」などはアラビア語、「エッサホイサッサ」などはヘブライ語がそれらのルーツなどの興味深いお話の数々。人間も国境も言葉も常に変化し続けている生き物なので真実の所は不明ですが、いくつかの類似語があるとちょっとそんな気にもなって来ます。意識を拡げて心を柔軟にして、音から導かれるイマジネーションを遊んでみるのもおもしろいかもしれませんね。インダス文明にその起源を持つとも言われ、ヨーガのグル(師)の中のグルでもある最もポピュラーなエーカンバレーシュバラ=シヴァ神様も、BC1000~BC500に成立したリグ・ヴェーダでは暴風雨の神格化である荒ぶるルドラ神様(咆哮を上げる者という意味)の別名として以外にもマイナーに登場。後には仏教にも取り入れられ、 不動明王 、 降三世明王 、大黒天、伊舎那天、大自在天などにもなりました。シヴァ神様は名前も姿も変化も神話もゴシップ・ネタもやたらと多い中々のプレイボーイ、これは多分元々の南インドの地元神をヒンドゥー化する際に都合の良いキャラだったからなのでしょう。上の図像はシッダ・アーサナ(半跏趺坐)もクールな、深~い瞑想状態のヨーギ(ヨーガの修行者)・ヴァージョンです。
2007.08.13
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