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しかし、中学、高校、社会人となるに従い、だんだん善悪の区別が出来なくなる。
何故だろうか?
一言で言えば「都合」がそこにあるきがする。
都合により支配され善悪が出来なくなるのである。
だから都合が合わなければ「人間関係」が成立しなくなるのである。
子供の社会ならこれが「いじめ」の入り口である。
大人の都合が平行線になるとトコトン敵対視して話し合いすら出来なくなる。
夫婦なら最悪である。
お互いの都合が交じり合わない限り物事は最悪の方向に向かう。
心根の優しい順に淘汰されていくのである。
そして、気がつかないほうは、一生懸命に言い訳と理屈を考え編み出そうとする。
自分が、都合のいいように支配し始めるのである。
教育の現場で起きている
「いい学校」とは保護者にとって都合がいいだけで
こどもにとっては決して「いい学校」ではない。
親の都合で塾に通い、意味も無く高校受験をし、
目標も無く大学受験をし、社会に放り出されれると
親の都合で家に押し込められる。
こんな社会に誰がしたのか?
子供の頃身近に起きていた「いじめ」を見てみぬ振りし他人事で成長してきた人々の都合が社会を変化させたのだろうか。
子供の喧嘩すらしたこともない、地域では大人しくしていた子供が
社会でも打たれない釘として生きてきた現在。
何をこどもに期待するのだろうか?
意味の無い社会へと進む危機感が無いのならば
何もしない事が最良の結果であると信じる大人が多ければ
明日、いま生まれてくる子供は不幸でしかない。
大人の都合で子供の未来を奪うことが慣習化しているならば
相手の都合に身をゆだねる努力も大切だが
切磋琢磨することも己を知るために求められるものではないだろうか。
信じる力が欠乏しているいま
求められるのは、新しい時代に生き抜く
人間力ではないだろうか。
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