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岡田@隊長さんFreepage List
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報道者の問題を取り上げる報道機関が日本には
一社もない。
これは事実でありお互いの傷を隠す体質なのが良く分かる。
教育がこの流れを受けて
「人を傷つけない振り」を学びながらいかに卑屈に
相手を貶めても「報道の自由」という免罪符を
振りかざせば多少の教育を受けたものは黙ってしまう。
責任を棚上げした報道機関は「報道の暴力」によって
構成され正義など存在しない。
企業に就職する人々も
己の価値観が分からないから 従うこと以外は「悪」であると
自己判断できないことに気がつかない。
そうした捻じれた集団催眠教育を受けた人々に
悟らせるには 多少のインパクトは必要である。
不要論を唱える人々は、己の「催眠」が解けることを嫌う。
どちらが異端かは組織の外の評価である。
企業が業績を落とし結果倒産している会社は
管理職の無能と無責任に寄るところが大きい。
取締役など一人で良いものを多くすることで
企業の機能を大きく損なっている。
合議制の企業運営も時には独裁的に起こしても
利益追求が目的であるならば
批判するほうに偽善に満ちた意図がうかがえる。
若い人々にいま求められているものとは
己の価値観を周囲に関係なく振舞える豪胆さが必要である。
「自分の力を奮えない」と言うのは
己に対するいい訳であり、自分への批判である。
自分が経営者であれば、いかに自分の存在に生産性が無いか
理解できなければ いずれ早晩リストラの対象である。
生産性がある人材は いやでも会社が見捨てたりはしない。
待遇も良くなりそれに奢らない者であれば
役員への道も遠いものでもないのが現状である。