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今回はニューヨークの地下鉄事情をご紹介したい。ニューヨークのManhattanは地下鉄網が張り巡らされており、地下鉄を利用をすれば移動に困ることはあまりない。下の地図と見ていただければ納得していただけるのではないだろうか。各路線に数字とアルファベット割り振られていてそれを見ながら乗り換えをすると便利のようである。2007年に行った時は「メトロカード」という地下鉄専用の日本のSuicaのようなカードを購入して搭乗したのだが、電子化が進み今ではApple Payやデビットカード(非接触決済可能なものに限る)でも支払いが可能になっている。(ネットの情報によるとメトロカードは段階的に廃止され、いずれ電子決済に一本化されるという。あの黄色いお馴染みのメトロカードに慣れていた者からすると時代の移り変わりを感じるし、少し寂しい気もする。)電子決済をするためには事前登録が必要になる。グーグル、フェイスブック、アップルIDを持っていれば新たにアカウントを作成する必要はなく、OMNYというサイトを経由してアカウントと電子決済の情報を紐づければ準備完了だ。登録が無事完了すると"Your travel card has been added."とお知らせのメールが届く。あとは設定したカード(もしくは携帯電話)を地下鉄の電子端末に近づけるだけで非接触決済が行われる。詳細はOMNYの公式サイトを参照していただきたい。チュートリアルビデオがあって初めてのNY渡航者にもわかりやすい。↓リンク↓OMNY公式サイト改札口のゲートがこのようになっている。"TAP HERE"と表示されているところに事前登録したスマートフォンもしくはクレジット(デビット)カードを近づければ通過可能だ。ちなみに距離は関係なく1回の乗車で$2.9となっている。(2023年9月現在)一週間以内に12回以上乗車すると残りの数日間は無料になるシステムだ。こちらがNYの地下鉄だ。日中はだいたい10分に1本ペースで運行していた。電光掲示板に表示されているアルファベットが路線を示している。同じフォームでも違う路線の電車が行き交う場合があるので乗り込む前に正しい車両に乗車しているか確認をする必要がある。ちなみにuptownが北(Bronx方面)、downtownがManhattanの南(つまり自由の女神方面)となっているので逆方面に行かないよう方角にも注意されたい。NYの旅行を検討される際はOMNYの事前登録と行き先へのルート確認をおすすめする。きたろう
2023.09.29
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前回に続いて9/11 Memorial Museumについて書きたい。私は午前中の10時20分頃入場したが昼過ぎになると館内はだいぶ混み始めてきた。平日でもかなり人が入っていたので週末はさらに混雑が予想される。平日のなるべく早い時間に入るとスムーズに入場ができるろう。また入場時には空港の手荷物検査並のセキュリティチェックがある。(ESTAの導入や厳しい入国審査も2001年9月11日の同時多発テロが契機だったような気がする。)入ってすぐに我々を出迎えてくれるのがWTCの三叉槍(tridents)と呼ばれる外壁支柱である。支柱をよく見てみると柱に”SAVE”と書かれた文字が見える。これは瓦礫撤去作業中、職員たちが後日9/11の追悼施設が作られる可能性があることを見込んで目印をつけたのだという。後ろに見える人と比べるといかに巨大な支柱であるかがお分かりだろう。イスラム教過激組織アルカイダ(Al-Qaeda)に属しているメンバー19名がCalifornia行の旅客機を次々とハイジャックしてWTCやペンタゴンに衝突するまでの航路が描かれている。1機は乗客と乗組員がハイジャックメンバーに応戦し、飛行機を操舵していたハイジャッカーが急遽航路を変更してPennsylvaniaのShanksville付近に墜落した。飛行機の乗客、WTCやペンタゴンで働いていた人々合わせて3000名の命が失われた。この数字はアメリカ国土で起きた1日における国外からの攻撃による死者数としては最大である。また、アメリカ国内の救助活動中に亡くなった消防及び警察職員の死者数も最多となった。マンハッタンは埋立地で地盤が緩く、超高層ビルを建設するには大変不向きな立地であった。この問題を解決するために建物全体を覆うような形で地下にスラリーウォール(Slurry wall)というコンクリートの壁を作って水による侵食を防ぐことが可能となった。その少し変わった工法から通称バスタブと呼ばれていたらしい。ただし、バスタブとは逆に水を入れるのではなく、中に入っていた水を最後に抜くのが大きな違いがあった。9月11日の崩落のインパクトでこのslurry wallが決壊していたらその近くを走っていた地下鉄にも甚大な被害が出ていたという。この巨大なslurry wallが二次被害を食い止めてくれたらしい。それにしても地上の公園の真下にこんな広い地下スペースがあることに驚いた。まるでエヴァンゲリオンに出てくるネルフの本部のようである。2983枚の水彩画が並べられていて、真ん中には”NO DAY SHALL ERASE YOU FROM THE MEMORY OF TIME. Virgil”と刻まれている。この文字はWTCの瓦礫の中の鉄をリサイクルして作られているのだという。しっくりくる訳が咄嗟に浮かばないが「どんなに月日が流れてもあなたから時の記憶を消し去ることはできない」(筆者訳)と訳すと読者にも伝わるだろうか。ローマの詩人Virgilによる”The Aeneid”という作品からの引用だそうだ。2983枚は同時多発テロで亡くなった死者数の数と一致している。2011年9月11日の空の青さを忘れないでほしいという願いが込められている。飛行機が衝突していつ倒壊してもおかしくないビルの中に入っていった消防隊員のストーリーも紹介されている。また追突直後WTC建物中から助けを求めて911に電話する人々の叫び声やテレビのニュースでテロ事件のことを知って親族が咽び泣きながら話す留守番電話の音声を聞くと当時の混沌とした状況がひしひしと伝わってくる。どれだけ大きな力が加わればこんな太い鉄骨がこんなにも曲がってしまうのだろう。工事現場でよくみる頑丈そうな鉄骨が粘土のようにぐにゃぐにゃになっていた。当時の爆発と倒壊の凄まじさを物語っている。館内には途中で体調が優れなくなった人のための非常口や涙を拭くためのティッシュやゴミ箱が至る所に用意されていて9/11メモリアルは他の施設とは明らかに異なる。歩いていると鼻を啜る音が至る所から聞こえてくる。撮影禁止エリアで写真が手元にないのだが、2983名の犠牲者の顔写真が並んでいるエリアで複数の日本人の名前が目に留まった。当時のWTCにはアメリカだけでなく多くの外資系企業がビルの中に入っており、日本企業も勿論含まれていた。近くにあったタッチパネルで遺族から寄せられた犠牲者の写真と簡単な紹介文を読むことができた。たまたま私と同い年で企業派遣でニューヨーク駐在していた方がいた。旅客機の中にも若い日本人が搭乗していたという。志半ばでこの地で命を落とした犠牲者を思うといたたまれない気持ちになった。アメリカで起きた事件ではあるが、犠牲者の出身国は日本のみならず沢山の国に及んでおり決してアメリカで起きたアメリカ国内の事件ではない。国を跨いで国家ではないグループが他国を攻撃するというグローバルテロリズムの象徴となった歴史的事件ではないだろうか。余談になるが、その後アメリカはアフガニスタンから軍を撤退させるまで20年間も戦争を続け、多くの犠牲を払った。勝者なき戦争によってアメリカの絶対的地位も崩れていった。クリント・イーストウッド監督が描いた「アメリカン・スナイパー」を観るとアフガン戦争の負の側面が描かれている。(刺激が強い映画なので心臓の弱い方や小さいお子さんには注意が必要である。)アメリカの同時多発テロは22年も前の出来事だが、アフガン戦争はつい2年前まで続いていた。アメリカの軍撤退を待っていたかのように今度はロシアがウクライナに侵攻している。アメリカ同時多発テロ以降の国際情勢は今もなお不安定な状況にある。出口付近にはアルカイダ(Al-Qaeda)がどのようにテロ組織に発達していったのか紹介するビデオクリップがあった。遺族がこの映像を見てどのように思うのか少し気になったが、被害者だけでなく加害者の視点も含めないと全貌がわからないと館は判断したのだろうか。その真意はわからないが、半日では時間が足りないくらいの内容であったことは間違いない。午後予定されていた研修の開始時刻が迫っていたので後ろ髪を引かれる思いで出口に向かった。今回グラウンド・ゼロを訪れて幼いながらも鮮明に覚えていた映像に様々な証言を付け加えることができた。まさに点を線で結ぶ経験ができた気がする。これからもこの点と線を大事にしながら今後の留学生活を送りたいと思った。帰り道NYの美しい夜のスカイラインを眺めながら”NO DAY SHALL ERASE YOU FROM THE MEMORY OF TIME.“が幾度となく頭の中で木霊(こだま)していた。最後に犠牲者に追悼の意を表したい。黙祷。きたろう
2023.09.27
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9/11祈念博物館は地上部分が誰もが立ち入ることができる祈念公園、地下が有料施設となっている。今回は地上部分の紹介をしたい。22日のスケジュールは午前中が9/11 Memorial Museumの訪問、午後がNYUの施設での研修となっている。New Yorkに到着してすぐにSubwayに乗り込みCラインの終点であるWorld Trade Centerを目指した。後ほどNYの公共交通機関についても紹介するが、Manhattanはそこら中に地下鉄の線路が張り巡らされている。渋滞に巻き込まれる心配もなくおすすめだ。乗ってみて改めて思い知らされるのは日本の電車の清潔さだ。世界から称賛される日本の交通機関だが、海外の電車やバスに乗るとその理由がわかる気がする。WTC駅に到着すると早速以下の看板が目に入ってきた。駅校舎内は改修せずに当時の姿を残していることを知らせる掲示板だった。事件があった当日もこの廊下を通って何千人もの通勤者がWTCのビルに向かっていたという。9月11日の朝はニューヨーク市内の小学校の新学期初日の日でもあったようで、快晴のもと多くの小学生が学校に向かっていた。WTCに向かう通勤者の中には家庭を持っている人がいて新学期初日を迎えた子どももいたかもしれない。平凡な一日が始まり、そして何事もなく終わるはずだった。数時間後に起きる歴史上最大規模の組織的テロリスト攻撃を誰が予見できたであろうか。WTC駅を降りると巨大な地下スペースが広がっていた。上を見上げると白い支柱の間から自然光が降り注ぐように設計されていて非常に開放的だ。2007年に訪れた時はこのような建築物はなかったはずである。これも追悼施設と一緒に作られた施設だろうか。外から見た外観はこのようになっている。白い鳥が羽を広げているようにも見えるし、手の指を交差させて祈りを捧げているようにも見える。白を基調にした教会のような美しさであった。日本で建築物を作る際の優先事項は巨大な地震にも耐えうる耐久性であろう。複数の海洋プレートが重なり合う上にできた島国日本の定めだ。建築デザインよりも安全性が求められ、複雑なデザインは安全性の観点から嫌われる傾向があるように思える。地震の確率が非常に低い東海岸北部では石造りの歴史ある建築物やこのような重力に逆らうような面白い建築物に出会うことができる。2007年訪問時にあった高い工事フェンスはなくなりグラウンド・ゼロは美しい公園になっていた。WTC North TowerとSouth Towerの跡地に沿って縁取られた巨大な空洞となっていて四辺の縁から一斉に大量の水が滝の如く流れている。中央にもさらに正方形の空洞があり、水が二段階に落ちて行く仕組みだ。西洋のような下から上に噴き上がる華やかさは一切なく、水はただただ下に落ちていく。流石に鹿おどしはないが、まるで重力に従って落ちる水とその音色を楽しむ日本庭園のようだ。煌びやかさはないが、水が一斉に水面にぶつかる音は心に静寂をもたらしてくれる。縁の部分には犠牲者の名が刻まれている。CNNのニュースでは名前が彫られた溝の部分に生花が添えられていた。そう、ここは同時多発テロの博物館であると同時に3000名近くの尊い命が失われた墓地(追悼施設)であり、当時の様子を示す貴重な遺構でもある。カテゴリーに分類するのが非常に困難な施設なのである。縁の部分に刻まれた名前が水の流れに乗って中心部の正方形の空洞に吸い込まれていくようにも見える。事件前の景色に詳しい人にとってはWTCの建物が水に流されてなくなってしまったような錯覚に陥るかもしれない。曲線がない無機質な構造とこの巨大な空洞から一種の虚無感のようなものを感じずにはいられない。まだ施設の中に入れず終わりが見えなくなりつつあるが、書き始めたのであれば最後まで投げ出さず書き切ることがせめてもの犠牲者への弔いのような気もしている。きたろう
2023.09.26
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どこから書き出せばいいのだろうか。こうして9/11国立祈念博物館をブログに投稿することすら不謹慎だと非難する関係者、または遺族の方もいらっしゃるかもしれない。安易にネット上に投稿すべき内容ではないと判断し、訪問から数日じっくり情報を消化することにした。数日経って写真を見返しながら自分が感じたことをここに綴りたい。投稿することで自分の記憶の風化を防ぐこともできるし、9/11が起きた時にまだ生まれていなかった日本の高校生、大学生が9/11を知るきっかけになるのではないかと考えた。また1ドル150円に届こうとするドル高円安の状況で海外渡航はいまだに難しい。(2023年9月現在)円安が落ちついた時に9/11 Memorial Museumに9/11以降に生まれた日本の若者が足を運ぶことを願いつつ訪問の記録を残したい。一つの記事にまとめるほどの文章力がないため複数回での投稿になることを最初にお許しいただきたい。 Times Squareでの記念撮影、5th Avenueでのショッピングも結構だが、9/11を抜きにしてManhattanを語ることはできないだろう。それほどアメリカ全土、いや全世界を震撼させた出来事だ。2001年9月11日、私は当時日本の公立中学校に通う13歳の中学校1年生だった。雲一つないNew Yorkの青空に突如2機の飛行機が現れ低空飛行したままワールドトレードセンター(以下WTC)1と2に激突した。また、別の飛行機はアメリカの国防総省の本庁舎であるペンタゴン(その建物の正五角形の形状からそのように呼ばれている)にも墜落した。後に語り継がれる「アメリカ同時多発テロ事件(通称ナイン・イレブン)」が起きた瞬間だ。たちまち真っ青の空が煙で曇り始め、まもなくNew Yorkのランドマーク的な存在であった2つのタワーは崩落した。中学校1年生だった私は何が一体起きているのか理解できぬまま、何度もエンドレスで流れる速報映像をただただ日本から眺めていた。どのチャンネルにしても同じ映像が流れていて、事件の規模と重大性を物語っていた。それから6年後の2007年の春、当時日本の私立大学通っていた大学1年生の私(当時18歳)はNew Yorkにいた。大学が提供する短期留学でペンシルバニア州に1ヶ月ほど語学留学をしていて、フィールドトリップで1日だけNYに行く機会に恵まれた。この時グラウンド・ゼロ(跡形もなくなってしまったWTCの跡地を人々はそのように呼んでいた)に行ったのだが、工事フェンスに囲まれていてフェンスの内側がどうなっているのか確認することはできなかった。当時のグラウンド・ゼロの写真を保存していたパソコンが壊れてしまい手元に掲載する写真がないのが申し訳ない。後述するが、瓦礫の撤去作業が終わった後も訴訟問題が長引きスムーズに追悼施設が完成したわけではない。凄惨な事件が起きた場所にできた施設が観光地化して商業施設のようになることを恐れ猛反対した遺族もいたという。この祈念博物館が完成するまでにもいくつものドラマが存在するのである。超高層ビル群のど真ん中にぽっかりと何もないスペースがあり不気味な不自然さがあったのを今も覚えている。それからさらに16年後、アメリカ同時多発テロ事件から22年後の9月22日に私は再びNew Yorkに降り立った。特に特別な意味はないが、事件後22年後の22日訪問ということでなぜか数字が綺麗に並んでいた。実は事件後22年経過を知らせるCNNのニュース番組を直前に見ていてこのミュージアムが紹介されていた。2007年の当時工事フェンスで囲まれていたグラウンド・ゼロには慰霊碑(cenotaph)ができていて、さらにその地下には当時を振り返る展示品が飾られていた。翌週別件の用事でちょうどNYを訪問する用事があった。気がつけば9/11 Memorial Museumの公式サイトでチケットを購入しようとしていた。今回9/11 Museumを訪問することで当時13歳の自分がテレビで観た9/11と初めてのアメリカ渡航で見たグラウンド・ゼロを線で結ぶことができるのではないかと考えた。どれも眺めている出来事は一緒だが、年齢や立場が異なればまた見えてくるものは異なるはずだ。訪問してアメリカの栄光とその光によって生じた影の部分を垣間見た気がした。現在一般チケット$33, 学生$27で貧乏学生の私にとっては割高だったが、それでも訪問する価値がある場所であった。ゆっくり回ったら1日過ごせてしまうだろう。それほど展示方法に工夫が施され、当時の様子が生々しく伝わってくる。施設のことを一切触れていないが、長くなってしまったのでここで一旦終わりたいと思う。きたろう
2023.09.25
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アメリカの大学は学費が高いことで有名だが、その分リソースも豊富である。私が通っている大学のキャンパス内には大小含め図書館が14あるらしい。図書館のパンフレットには"Find a place to work, study, create, and collaborate in our libraries! Our 14 library locations offer: designated areas for quiet study, reservable rooms and booths for group study, computers, monitors, and other technology, different kinds of seating, lighting, and software to suit your particular needs"と記されている。これは10年以上前に留学した時にも受けた衝撃だが、アメリカの大学では図書館が真夜中まで開いているのである。以下の開館時間案内掲示板を見ていただきたい。ご覧の通り学期中は週7日開いていて、金曜と土曜日を除いて夜12時まで利用できるようになっている。行けば大体開いていてまるで日本のコンビニに立ち寄るような感覚で利用できてしまうのだ。遅くまで勉強した女子学生をシャトルバスで自宅まで送り届けるサービスまで存在する。キャンパスの近くに住んでいる場合は警備員が自宅までエスコートしてくれるらしい。これなら遠くに住んでいる親御さんも安心して学生を学校に送れるだろう。大学図書館が遅くまで開いているだけでなく、帰宅時のフォローまでする手厚さには脱帽である。日本とは違って公共交通機関が発達していないアメリカではキャンパスの近くに住むほか選択肢がなく、多くの学生がキャンパスの周辺に住んでいるから提供できるサービスとも言えるだろう。リーディングの課題が終わりそうにないので気分転換も兼ねて週末に図書館に行ってみると学生が熱心に課題に取り組んでいた。意外に思われるかもしれないが、アメリカの学生は勤勉である。熱心な学生に囲まれると自然と私も課題に取り組む意欲が湧いてくる。週末の図書館の様子をご覧いただきたい。かなり席が埋まっていることがお分かりだろう。特に窓際の席は人気が高い。学期が始まった直後でこれだけ埋まっているとテスト前はどうなってしまうのか。こちらはリーディングルームと呼ばれる部屋で私語が禁止されている。ページを捲る音とキーボードを打ち込む音だけが響く不思議な空間だ。つい先日課題に追われて夜21時過ぎに図書館を出ようとしたら受付の警備員が船を漕いでいた。「おいおい警備員が居眠りをしていいのか?立派な職務放棄じゃないか。」と思いつつも気持ちよさそうに寝ているので起こす気にはなれなかった。こんな場面に出くわすのもアメリカならではだと思う。暗闇に包まれたキャンパスを歩きながら自分が朝から晩までキャンパスの敷地内で過ごしていることに気がついた。まるでキャンパスの住人になった気分だ。この空間で学びたくで遥々日本からやってきたのだ。どんなにインターネットの技術が発達しても歴史ある建物と熱心な学生によって醸成されたこの独特な空間は絶対に生み出せないと思う。この環境に感謝してまた明日も頑張ろうと思う。きたろう
2023.09.20
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アメリカは非常に多様性を重んじる国だと思う。宗教、人種、言語が異なる人々が世界中から集まるからであろうか。この他者を認めようとする姿勢は性的マイノリティに対しても一緒だ。以前オリエンテーションの記事でgender pronoun(s)を自己紹介の時に述べることがマナーになりつつあると書いた。違ったpronounを使いことで意図せず相手を傷つけてしまうことを防ぐための措置である。自己紹介で聞きそびれてしまった場合は面倒くさがらずに"Could I ask your pronouns?"と相手に聞いてほしい。友人に「初対面の相手にpronounを質問するのは失礼か?」と聞いてみたところ、「むしろ聞かないことが失礼だ」と答えてくれた。日本ではgender pronoun(性別を指す代名詞)を訊く文化が存在しないため驚かれるかもしれないが、pronounを聞くことはアメリカではごく自然なことらしい。見た目だけで勝手に判断するのが一番リスクがあり大惨事に繋がりかねないので避けた方がいいだろう。また、私が通っている大学では各建物の中に必ず一つall gender restroomを設けることがルールになっている。実際にキャンパス内を歩いているとよくall gender restroomを見かける。しかも下の写真からもわかる通り、一つだけでなく同一建物内に複数のall gender restroomがあるのだ。アメリカは私が思っている以上にジェンダーのバリアフリー化が進んでいた。また、lactation room(授乳室)もキャンパスの至る所に用意されている。幼い子供がいる学生に対する配慮を感じることができるだろう。繰り返しになるがアメリカは学びたいと思う者を両手を広げて温かく迎えてくれる。日本の大学はどうだろうか。10年前に私が通っていた日本の大学には授乳室やオムツを換えるスペースはなかったような気がする。そもそも家庭を持っている学生が大学に通うことを大学はあまり想定していないような気もする。日本でも性的マイノリティに配慮した動きが見られ始めているが、ハード面はまだまだ進んでいないような気がする。アンケートに答える際、大体性別欄は「男性」もしくは「女性」の2択であることがほとんどである。アメリカの場合は必ずといっていいほどprefer not to declare(申告することを望まない)といった第三の選択肢が用意されている。二者択一を迫ることで苦しむ人がいるをアメリカは知っているのだ。アメリカのいい加減すぎるところにたまに辟易することもあるが、おおらかで多様性を重んじる姿勢は見習いたいと思う。きたろう
2023.09.19
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I recieved the following email from the university a couple weeks ago. It seems that the number of the COVID cases are increasing here in the US. -------------------------(Some modifications are added to the original text)Dear Community Members,The Pennsylvania area is experiencing an uptick in COVID-19 cases. Although the increase is relatively small, experts suggest that caseloads are likely much higher than the official numbers.I want to assure you that the safety of our community here is my highest priority. And so I’m asking each of you to do your part by following the most up-to-date public health guidance:If you've been exposed to COVID but aren't symptomatic, the CDC recommends that you wear a mask for 10 days after your exposure.If you're experiencing symptoms of COVID or any viral illness, please stay home and test yourself. If you feel well enough to work and can do your job remotely, please contact your supervisor about working from home. If you don't feel well, please use your sick time and focus on getting better.If you test positive for COVID, isolate immediately. The university's guidance states that if you test positive for COVID, you must isolate for 5 full days and mask diligently for an additional 5 full days. During the 5 days of masking following isolation, you should eat alone, maintain social distancing, and avoid in-person meetings when possible.Many public health experts also recommend wearing a mask in crowded spaces such as buses and busy stores. I want to stress that it's always okay to wear a mask. You don't need to explain yourself or apologize for it. Similarly, if anyone asks you to mask up when entering their study or office space, please honor their request with grace.As you can imagine, sharing public health guidance about rising COVID rates is not the way that I wanted to kick off the fall semester. But taking these small steps now is the surest path to a safe and successful year.----------------------------A couple days ago, I also received a message from my wife, who still lives with our kids in Japan, telling me that our older child tested positive for COVID in the first week of the semester. What a challenging way to start off the fall semester... Now, my family needs to stay at home. I especially feel sorry for my child, who was very excited to meet friends after a long summer break.It is frustrating that I cannot do anything to support my family from the US. I am a graduate student but also a father at the same time. No matter how far away I live from my family in Japan, my heart is always with them. I just hope that the COVID symptoms are mild, and my child will get better soon.
2023.09.17
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For those who have never been abroad, it would be difficult to imagine what it means to live abroad. Some point out that Japan is a safe country with a low crime rate and its public transportation is among the best in the world. One undeniable fact is that it possesses a beautiful food culture, which is now known around the world and continues to attract many tourists. Once you step out of the city, you'll find beautiful forests, rivers, and oceans that remain untouched. Perhaps there is no reason to leave Japan, after all. As long as we stay here, we can communitecate in Japanese and there is no strong need for studying foreign languages.I admit that Japan is a beautiful nation, which I find to be quite true after settling in the U.S.. However, that does not mean that we do not need to go abroad. I would like to share with our readers my opinion on why people in Japan, especially young people, should study abroad.First and foremost, you cannot evaluate your nation from various different points of view if you only live in one place. You can only make comparisons after becoming familiar with the social systems of other nations. In modern society, we can gain information from books and the internet. However, nothing is more powerful than the knowledge that you acquire from direct experience. I can tell that Japan has a great public transportation system because I know from my experience that the one in the U.S. is not so efficient.Next, for many of us, including me, Japan is a place where we feel comfortable and safe. Humans instinctively seek protection and safety. We dislike uncertainty and unpredictability, which are basically causes of threat and anxiety. However, we will fail to adapt when a sudden change occurs suddenly. We already know that our world is changing rapidly at a speed that no one can measure. Humans were too slow to respond to COVID-19 because we were unprepared. We never thought that generative AI, such as Chat GPT, can create human-like sentences in the blink of an eye. I don't intend to scare our readers. However it is important to know that staying in a comfort zone for too long doesn't guarantee a stable future especially in times of uncertainty.Living in a foreign country alone, away from your close family, is a true challenge for many of us. However, at the same time, it is a great learning opportunity. You will be tested on how resilient and flexible you are when faced with crises in an unfamiliar land. We should acknowledge that choosing an easier path will ultimately spoil us and not prepare us for the future.At my college, we have a dominant proportion of international students from China, followed by India and some countries in the Middle East. I don't mean at all that this trend is bad per se, but I am the only Japanese student in my program, and there are only a handful of Japanese scholars in other programs on campus. This is probably due to the spread of the COVID virus in 2020 and 2021, and the recent weakening yen against the US dollar. Sadly enough, I must tell you that there has been a sharp decline in Japanese students in the U.S., and Japan is losing its presence, at least within the community here. You may be able to witness what you didn't expect you would see. This kind of surprising moment is another fascinating aspect of going abroad.
2023.09.16
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大学(院)では中学校、高校で行うホームルーム(HR)の時間はなく、大学からの連絡は全てメールで届きます。従って定期的にメールボックスをチェックするのが大学院生の日課になります。履修申告の連絡からソーシャルイベントの案内までありとあらゆる学内の情報がメールで送られてきます。つい先日就職活動に関するメールが届いたのですが、その中に面白い表現があったのでご紹介します。注目していただきたいのは"The World Is Your Oyster"と書かれたタイトルです。直訳すると「世界はあなたの牡蠣(カキ)である」となりますが、これだと意味が分かりませんね。こういう時は成句もしくはイディオム表現である可能性が非常に高いです。Oxford Languagesによると"you are in a position to take the opportunities that life has to offer."と定義されています。つまり、「人生は君次第でいくらでも豊かにできる、君の人生は可能性に満ちている」という励ましの言葉なのです。似たような表現に"The sky's limit"があります。こちらは「空が限界地点だ=可能性は無限に広がっている」という意味になります。どちらも非常に前向きな励ましの言葉になりますが、"The world is your oyster."の方がやや文学的で畏まった印象を受けます。インターネットでこの表現を調べてみるとWilliam Shakespeareの"The Merry Wives Of Windsor"という作品で登場しその後広まっていった表現だそうです。Let's Learn Englishというサイトに定義、例文などが分かりやすく載っていたので共有いたします。↓リンク↓Let's Learn English 先行きがわからなく一人で立ち向かわなくてならない就職活動は時に孤独で不安が常に伴います。そんな不安な時に"The world is your oyster! Take the advantage of what your life has to offer!"と励まされたら就職活動も前向きに乗り越えられそうですよね。私が社会人を経験して30代にしてアメリカで勉強できているのは無理だとかやめておけと言われ続けた時期がありました。しかし諦めずに可能性を信じ続けた結果、道が拓けて今アメリカにいます。そして応援してくれる周囲のサポートが暗闇の中を歩く自分を照らす光になりました。孤独だと思って歩いていた道も振り返ってみると足跡がくっきり残っていて実は当時思っていたほど暗闇ではなかったと思うこともあったりします。きっと不透明な将来を考え込みすぎると周囲が見えなくなり、不安の中おのずと暗中模索の状態に陥ってしまうのだと思います。私も真面目な性格で考えすぎてしまう気質があり不安に駆られると抜け出せないタイプの人間です。受験勉強や就職活動と一緒で不安でもゆっくりと歩みを止めないことが大事だと思います。私が留学を考え始めたのはちょうどコロナが蔓延した2020年あたりで今から約3年前した。常軌を逸した計画だと笑われても紆余曲折を経てここまで来ることができました。人生がどう転ぶかなんて結局誰にもわからないのです。自分の可能性を信じ始めた瞬間からあなたの人生はすでに動き出しているはずです。世界でたった一人の唯一無二の存在である自分を信じるところから始めてみましょう。「自分はできない」と否定から入ってしまっていたら可能性の扉は閉ざされてしまう気がします。Remember: THE WORLD IS YOUR OYSTER. You are in the best position to take the opportunities that YOUR life has to offer. Do not let your life take over by others.では良い1日を。きたろう
2023.09.15
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前回の記事ではEastern State penitentiaryの構造や建物内の様子についてお話しした。今回は服役者とアメリカでの刑務所の現状について綴りたい。Cell Blockを練り歩いていたのだが、85,000人を収容していただけあって各棟を回るだけでかなりの体力を消耗した。少し休憩がてら中庭(yard)に出ることにした。Cell Block3とCell Block4の間のスペースは囚人たちにも開放されていたという。しかし、休憩時間は1日たった30分程度しか許されなかったと書かれていた。中庭の中央に大きなオブジェのようなものがあり近づいてみるとそれが棒グラフになっていることに気がついた。これは1910年から2020年までのアメリカ国内の服役者の数を示している。明らかに過去40年で急速に服役者が増えていることがお分かりだろう。さらに1970年と2020年の棒グラフには色分けがされていて比較できるようになっている。-------日本語訳(筆者訳)------人種とアメリカの刑務所制度急速なアメリカの服役者の増加に伴い全人種グループの囚人の数は増え続けているけれども、黒人とラテン系の人種コミュニティーはその中でも大きな影響を受けている。(黒人とラテン系人種コミュニティーの囚人が著しく増加している)1970年(代)では半分以上の囚人が白人であった。それが2020年には32%まで減少していた。一方で黒人とラテン系の囚人はアメリカの囚人の60%を占めている。(彼らは総人口のたった30%であるにも関わらず。)なぜこのような現象が起きているのか。多くの学者は人種、貧困、質の高い教育への機会損失と高い犯罪率の強い相関関係を指摘している。その他にどのような要素がこのトレンドに関与しているのだろうか。我が国はこの危機に対してどのように対処すべきだと思いますか。-----------------------「アメリカンドリーム」という言葉があるほどだからアメリカでは誰にも平等に機会が与えられ夢を叶えるチャンスがあると思っている人は多いのではないだろうか。私もアメリカンドリームをテーマにした映画を数多く見てきたし、今回の留学も自分の夢を叶えるためにやってきた。しかし、人々が描くアメリカとこのグラフが意味するアメリカには埋めようとしても埋められない乖離があるような気がしてならない。それが「肌の色」という我々がどんなに努力しても及ばない部分によって生じてしまっているとしたら独立宣言(Declaration of Independence)に掲げられた"All men are created equal."という建国の大原則に背いていることになるのでないだろうか。この立体棒グラフの側面にはさらに面白いデータが掲載されていた。まずは写真をご覧いただきたい。これは10万人に対して何人囚人がいるかまとめたグラフである。なんと驚くことにアメリカは10万人対して囚人の数が655人で不名誉にも世界第一位に君臨しているという。我が母国である日本の順位が気になって上からよく探してみたがなかなか見つからない。昔は治安が先進国の中で一番良い国と言われていたが、最近ニュースで殺人事件や強盗事件の報道を目にする回数が増えてきた気がする。中間くらいに位置しているかと思いきや……棒グラフの根元付近に小さく"Japan"の文字を発見することができた。左が死刑制度がある国、右側は死刑制度がない国、もしくは廃止した国になっているので下から5番目(6番目)に位置しているわけではないことを付記しておく。それにしても10万人に対して40人とは大変驚いた。日本の場合銃が認められているアメリカに比べて殺人の数が少なく軽犯罪のほとんどが略式起訴で処理されていることも影響しているのかもしれない。Cell Blockの展示ではプリズン・ギャング(Prison Gangs)の問題も紹介されていた。囚人の増加に伴い、刑務所内でのギャングが増加しつつあるという。ギャングに入ることでギャングから目の敵にされることを防いでいるという。アメリカ当局も対策を講じていてギャングリーダーを他のメンバーから引き離したりギャング達による刑務所内での暴力行為を取り締まったりしているようではあるがプリズン・ギャングは勢いを増し続けている。The United States Department of Justiceのサイトには有名なギャンググループの名前やそのメンバーシップを意味するタトゥーまで掲載されていた。↓リンク↓The United States Department of Justice一度メンバーになってしまうと脱退することができず、刑務所から出ても再び犯罪に手を染めて刑務所に戻ってきてしまうという。アメリカの大規模刑務所が更生施設ではなく新たな犯罪の温床となってしまっているのはあまり知られていないのではないだろうか。因みにThe United States Bureau of Justice Statisticsによるとアメリカの刑務所システムの維持費は世界一で毎年800億ドル(約11兆8220億円?)もの費用がかかっているようだ。Eastern State Penitentiaryを後にした時に"How do you think our nation should address this crisis?"という問いが重くのしかかった。奥には高層ビルが立ち並び街はどんどん発展を遂げているのにこの空間だけ時が止まっていて当時の重苦しい雰囲気を引きずっている。背景とのコントラストが美しくも何処か切ない。時折雨も降り注ぎどんよりした分厚い雨雲は私が刑務所を出た時のモヤモヤした気持ちを代弁しているかのようであった。きたろう
2023.09.13
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大学院で研究をしながら博物館や史跡を巡り様々な視点からアメリカを眺めたいと考えている。今回はPhiladelphia市内にあるEastern State Penitentiaryを訪れた。Philadelphia Museum of Artの近くにあり、市街地からバスで10分ほどで着く。刑務所がこんな市内のど真ん中にあって当時の近隣住民は心配にならないのだろうかと思ってしまった。ちなみにこの刑務所は1829年に囚人の収容を始め1971年に閉鎖となっており、今は刑務所内で当時の様子を伝えるツアーが実施され観光客で賑わっている。正面の入り口から重厚感が伝わってくる。10mほどある高い塀に囲まれており囚人が出られないようになっている。また、監視塔が設けられ当時は監視員が四六時中見張っていたのであろう。パンフレットの冒頭にはこのように書かれている。Eastern State was the world's first true penitentiary, a building designed to inspire penitence- or true regret- in the hearts of prisoners.Its sky-lit cells held nearly 85,000 men, women, and children over its long history, incluidng bank robber "Slick Willie" Sutton and "Scarface" Al Capone. The prison stands today in ruin, a haunting world of crumbling cellblocks and a surprising, eerie beauty. 最初の一文は非常に美しく、この最初の行を読んだだけでこの場所に来て良かったと思えてしまった。このpenitenceはregretよりもさらに深い「後悔や自責の念」を意味する。その後悔を促す(inspire)するために作られた最初の施設がこのEastern State PENITENTIARY(刑務所=後悔を促し更生を目的とする施設)なのだという。刑務所というとprizonやjailの方が馴染みがあるかもしれない。The University of Phoenixのサイトにわかりやすい説明があったのでそちらを引用させていただく。"Jails are typically used to detain people awaiting trial or sentencing, and prisons house people who have been convicted of a crime. The main difference between jail and prison is the length of time an offender is incarcerated. (下線部筆者)University of Phoenix, Different types of incarceration: Jail vs. prison vs. detention center explained, Retrieved September 11, 2023, fromhttps://www.phoenix.edu/blog/jail-vs-prison-vs-detention-center.html#:~:text=Prison%3A%20A%20facility%20that%20holds,A%20prison%20focused%20on%20rehabilitation.また同ページにはPrisonとPenitentiaryの違いを以下のように説明している。Prison: A facility that holds convicted criminals. Penitentiary: Designed for long-term incarceration and typically holds offenders with life sentences or death sentences. ここからもpenitentiaryには服役の年数が長く凶悪犯罪者が収容される施設であることがわかる。刑務所の中を巡ると、服役者の当時の服役生活や人種ごとの犯罪率の格差、現代のアメリカが抱える社会の歪みを垣間見ることができた。写真を交えながら施設の中を少しだけご紹介したい。まずこれがEastern State Penitentiaryの模型図である。中央から放射状に各棟(Cell block)が広がっている。この棟が全部で15棟ある。収容者が増えるにつれて収まらなくなり、増築した跡が見られた。この模型を見た時ふと家族旅行で北海道に行った際に立ち寄った網走刑務所がふと思い浮かんだ。確か網走刑務所も同じように中央から放射状に棟が伸びていて同じような構造になっていた。このように中央から放射状にした方が死角が少なく監視がしやすいのであろう。両者の決定的な違いは素材だ。網走刑務所は木造であるのに対しEastern State Penitentiaryはモルタルのような素材で作られている。網走刑務所の形状は公式サイトから形状を確認していただきたい。↓リンク↓網走監獄Cell Block9から中央に向かって撮影した写真。両サイドに見える扉がcell(牢屋)である。3〜4畳くらいの広さであろうか。普通車がピッタリ収まるくらいと行った方が適切だろうか。兎に角狭かった。誰とも話すことなく孤独を味わいながら独房で月日を過ごした罪人たちは何を考えて生きていたのだろうか。刑務所なのに暗いジメジメ感がなかったのは天井に窓があったからであった。窓すらなく外の世界との接点を完全に遮断する刑務所が多い中この刑務所には天井に窓があり光が降り注いでいた。この光を見上げながら囚人たちは希望を見出していたのだろうか。Eastern State Penitentiaryができる前の刑務所は上記の写真のように囚人たちは大きな一つの部屋に収容されていたらしい。囚人たちが暴れていて無秩序な様子が描かれている。罪人の罪の意識を促すために用いられたのが独房での「孤独」であった。他人との接点を断ち、一人で己の罪と向き合い対話を重ねることで自分が犯した罪(sin)と向き合うことができると設計者は考えた。つまり、設立当初は牢獄は罰ではなく懺悔の手段として用いられていたらしい。どうやらこの刑務所から独房(cell)という概念が誕生したと考えられるのではないだろうか。大胆にもタイトルに「刑務所のモデル」と題したのはこのような理由からである。他にも興味深い展示が沢山あったのだが、思いの外長くなってしまったため一旦ここで終わりにして残りは次回書きたいと思う。きたろう
2023.09.12
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アメリカが誕生した場所と言ってもいいだろうか。1776年7月6日、アメリカの独立宣言(The Declaration of Independence)が採択された場所がPhiladelphiaにある独立記念館(Independence Hall)だ。さらに約10年後の1787年にはアメリカ合衆国憲法(The U.S. Constitution)が制定された場所でもありアメリカの礎はこの場所で築かれたと言っても過言ではないだろう。なぜWashington D.C.やNew YorkではなくPhiladelphiaでこのような重要な文書が作られたかというと、1790年から1800年まではPhiladelphiaはアメリカの首都として機能しており、当時は政治や経済の中心を担っていたからである。(今でも全米で6番目に人口が多い都市と言われ街は活気に満ちており決してその後衰退していったわけではない。Quaker教徒であったWilliam Pennが自由を求めて切り拓いた街は今もその美しさを残している。)さてそれでは早速写真と共にツアーを振り返りたい。ホールの入り口には"The Birthplace of the United States of America"と書かれたプレートがあった。煉瓦造りの建物は外観も非常に荘厳である。左に見える大きな時計台も有名な時計台で当時の絵画にもしばし登場するらしい。ホールに入ると当時の法廷を見ることができた。家具や椅子は後から取り付けられたが、議長席の後ろにある絵画は当時からずっと飾られているらしい。独立前はイギリスの紋章がこの法廷にあったが独立と共に取り外されたという。これが独立宣言が制定され、また署名が行われたとされる有名なAssembly Roomと呼ばれる部屋です。一番奥の大きな議長の椅子は当時のままらしい。ツアーガイドがこの部屋に入って開口一番"This is a place where it happened and where everything began."と言っていた。ここでの"it"とはまさにイギリスからの独立を指しており、独立が成立してアメリカが誕生したことを意味している。世界史の資料集などを見ると上記の写真と酷似した絵画があるのではないだろうか。この密室で約250年前新たな歴史が刻まれたと思うと身震いがした。ツアーガイドが最後に面白いエピソードを紹介してくれたのでここでも共有したい。この当時から原形をとどめている議長の背もたれには太陽の彫刻が施されている。Benjamin Franklinは署名をする直前にこの彫刻を見ながら、「この若い国の太陽が明けようとしているのか、それとも沈もうとしているのかわからなかった。けど今ようやくそれが夜明けだと分かった。」と話していたらしい。Franklinの発言と太陽の彫刻はこちらのサイトで拡大写真が見れるのでそちらを参照してほしい。↓リンク↓議長席の太陽とBenjamin Franklinの発言アメリカの誕生秘話を聞いてさらにアメリカ史に興味が湧いた。「日本に比べるとアメリカの歴史は浅くて大したことない」とどこかで聞いたことがあるが私は決してそんなことはないと思う。どの国にも深い歴史があって歴史の価値は決して長短で計れるほど単純なものではない。アメリカは独立から約250年の間にとんでもない変化を遂げている。「民主主義」が生まれた国から我々も何かを感じて学ぶべきではないだろうか。そして私も日本から来ている留学生として私なりに「日本」を発信していきたいと考えている。アメリカで気づいた歴史認識の違いについても今後触れていきたい。歴史ある街に住んでいることに感謝して、勉学に励みながらさらにアメリカへの理解を深めていきたい。歴史を学ぶことで今アメリカで起きている事象をより深く理解できるのではないかと思っている。※インディペンデンスホールのツアーは事前予約が必要です。ツアーは20分で短めですが、1$のみで大変安いので訪れる機会があればLiberty Bellと一緒に見学することをお勧めします。予約は以下のサイトから可能です。↓リンク↓Recreation.govきたろう
2023.09.10
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前回は途中で終わってしまい失礼しました。今日は前回の続きからお話したいと思います。1.書類を揃える2.DOT(Department of Transportation)で筆記試験を受けて合格する3.実技試験(road test)を受けて合格する。1.と2.についてはこちらの記事をご覧ください。3.実技試験(road test)を受けて合格する。仮免許(Learner's Permit)が発行されたら実技試験の予約が可能になります。実は実技試験には2種類の予約方法があります。1.車を試験場に持ち込んで実技試験を受ける。(仮免許の状態なので条件を満たした同伴者が必要)2.試験場で車を借りてそのまま試験を受ける。1.の場合、Learner's Permitの他に以下の書類を揃える必要があります。・保護者証明書(18歳未満の場合)↓リンク↓Parent or Guardian Certification Form・車両保険証・車両登録証・同伴者の運転免許証準備が整ったら以下のサイトから必要事項を入力して予約が可能となります。↓リンク↓予約サイト2.の場合はDOTが認定している第三者機関(教習場兼試験場)で試験を受けることになります。ペンシルバニア(PA)では以下の場所で実技試験を行なっております。DOTのサイトに行くと試験場のリストがあるはずなので行かれる地域のDOTサイトで場所をご確認ください。↓リンク↓教習所兼試験場リスト私は到着直後大学の友人も近くにおらず(そもそも授業が始まっていないのでいるわけがない)、身寄りがなかったため教習所で実技を受けることにしました。筆記試験のおかげで交通ルールはある程度把握しておりましたが、流石に左ハンドル右側運転に慣れていないため実技テスト(road test)と簡単な教習(prep test)がセットになっているコースを選びました。大学院の授業が近づいていたためなるべく早く試験を受けたいと伝えると2日後の早朝8時からなら大丈夫だと言われそのまま予約を済ませました。試験と教習合わせて140$でした。日本の25万〜30万円ほどかかる教習料金に比べたらかなり割安です。こちらが路上試験の会場でした。普通の一軒家と外観は変わらずこの看板がなければきっと素通りしてしまっていたと思います。教習車といっても普通の車で教官の足元にはブレーキは全くついてません。教習車用のマークやステッカーもなく、日本のサーキット場のような練習場を想像していた私は日米の教習所の違いに大変驚きました。(たまたま私が予約した試験会場がこのような会場だっただけなのかもしれませんが)15分程度の教習で左ハンドル右側運転の感覚をなんとなく掴みいざ本番に臨みました。路上試験はこの写真の駐車場の奥にあるスペースで縦列駐車をした後、いきなり公道に出て10分程度運転をします。市街地からはかなり離れているので交通量は少なく道幅も広かったので非常に運転しやすかったです。教習官の英語をしっかり聞き取りその指示通りに行動することが合格の秘訣だと思いました。縦列駐車も最初は左ハンドルで普段の右ハンドルと見え方が違って戸惑いましたが、教習でなんとかコツを掴み何とか枠内に納めることができました。縁石に乗り上げたり、車の一部がポールに当たってしまうとその場で不合格になると言われました。なお、切り返しは3回まで認められます。路上テストを終えて車のエンジンを切ると試験官が満面の笑みで"Congratulations! You passed the road test!"と言ってくれました。きっと教習と路上試験よりも試験場までの移動時間の方が長かった気がします。日米の免許制度の違いに戸惑いながらも路上テストに合格できた喜びを噛み締めながら帰路につきました。一週間ほどするとDOTからCamera Cardが届きました。郵便物と合格印が押された仮免許証(Learner's Permit)を持ってDOTに行くと上顔写真の撮影を行い免許証をその場で発行してもらえました。 きたろう
2023.09.09
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今回ではアメリカ(PA)で自動車免許を取得する方法を紹介します。アメリカで免許を取得するためには大きく分けて3つのステップがあります。1.書類を揃える2.DOT(Department of Transportation)で筆記試験を受けて合格する3.実技試験(road test)を受けて合格する1.必要書類を揃える必要書類は以下の通りです。・DL-180・DS2019(ビザ関係書類)・I-94(入国証明証)・居住を証明する書類2通・SSN(Social Security Number)もしくはA letter of denial(SSNを発行できないことを証明する書類)・免許申請料(2年有効は約35$、4年有効は約50$)・DL-180:Penn DOTのHPからダウンロードが可能です。↓リンク↓DL-1802枚目はMedical Provider(医者)に記入してもらう必要があります。大学に通っている人は大学のMedical Center、もしくは近くの医療機関でも記入してもらうことが可能です。私は近くの医療機関でDL-180を記入してもらいました。40$程度で書類を発行してもらうことができました。血圧と身長、体重を計測した後に問診がありました。"Do you have any pre-existing conditions?"や"Do you have a problem with your heart? Have you experienced a surgery in your body?"といった5分程度の質問を受けて問診は終わってしまいました。日本で生まれ育った自分からすると手を抜いているように思うのですが、アメリカらしいと思えばアメリカらしいですね。・DS2019私はJ-1ビザで入国をしています。自分の身分を証明する書類でパスポートと同じくらい重要な書類なので失くさないようにしてください。・I-94入国を証明するものでアメリカに入国してからパスポート情報等を入力すると発行できるようになります。データファイルではなくプリントアウトした紙が必要なのでご注意ください。↓リンク↓I-94・居住を証明する書類2通私は賃貸物件のLease-agreementと銀行口座開設の際に銀行に発行してもらった書類を持っていきました。インターネットの契約書、Electricity Billでも可能だそうです。・SSNもしくはA letter of denial私は米国で収入がなくSSNを所有していないのでSocial Security AdministrationでA letter of denialを発行してもらいました。詳細はDOTのサイトをご確認ください。↓リンク↓DOTサイト・免許申請料日本とは比べ物にならないほど安いです。またアメリカには教習所のような学校がなく、独学で勉強して仮免許を取得するようです。仮免許を取ったら両親の車で練習して親の車で路上テストを受けるのが一般的です。2.DOT(Department of Transportation)で筆記試験を受けて合格する書類が揃ったらいよいよ最寄りのDOTで筆記試験を受けます。必ず試験を受ける前に勉強をしておきましょう。アメリカは日本と違って右側運転ですし、道路標識も異なります。事故を起こしてしまったら勿論損害賠償責任を問われますし、留学生という立場で事故を起こすと裁判ではかなり不利に働く可能性があります。「 日本で免許を取得しているから大丈夫」と思わずにしっかり対策をして試験を受けましょう。過去問はDOTのサイトに掲載されています。↓リンク↓TEST YOUR KNOWLEDGEChapter 2, Chapter 3, Chapter 4の巻末に過去問があります。各チャプターを一読してから巻末の問題を解くことをお勧めします。筆記試験は基本的にこのChapter2〜4の中から出題されます。18問中15問正解したら筆記試験合格です。パソコン画面に問題が表示されるのでどんどん正解だと思う選択肢を選んで"Continue"ボタンを押していきます。最後の問題を解き終わるとすぐに"Congratulations!"という文字がスクリーンに表示され自分が合格したことを確認できました。筆記試験の前に視力検査があります。円のどこかが欠けていてその欠けている方向を指すランドルト環ではなく小さいアルファベットを読み上げていく試験でした。しかも私がGをCと言い間違えると視力検査官が"That's not C."と教えてくれました。慌てて訂正して正解することができました。日本ではあり得ない話ですが、こんないい意味で大雑把なところもアメリカの良いところです。(笑)視力検査と筆記試験に合格すると仮免許(Learner's Permit)を即日で発行してもらえます。こちらの書類があれば運転免許を取得して数年経っている熟練ドライバーが同乗していることを条件に路上に出ることができるようになります。なおLearner's Permitの有効期限は1年間でそれまでに路上テストを合格する必要があります。一人で運転ができるようになるよう早めに路上テストの予約をしましょう。ステップ1、ステップ2でだいぶ長くなってしまったのでステップ3は次回にしたいと思います。自動車免許取得までの道はまだまだ続きます。きたろう
2023.09.08
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アメリカの自由の象徴といえば"Liberty Bell"だろう。Liberty BellはPhiladelphi市内のIndependence Hallの塔に設置されていたそうだが、ヒビ(crack)が入ってしまい今は同市内にあるIndependence National Historical Parkの展示室で静かに眠っている。厳しい手荷物検査等があるが入場料は無料だ。貴重な文化遺産を無料で市民に公開する施設がアメリカには多くあり懐の深さを感じる。Liberty Bellはただの鐘ではなくアメリカの自由を象徴する重要な文化遺産だ。元々はThe State House Bellと呼ばれていたが、1830年代の奴隷制度廃止運動支持者(Abolitionist)によってLiberty Bellと名付けられ今日もその名で親しまれている。現代の鐘とは違い、当時の鐘は様々な金属が混じっていて純度が高くなかった。純度が低い上に巨大なLiberty Bellは衝撃に弱く、使い始めてまもなく最初のヒビが入ってしまった。ペンシルバニア議会はJohn PassとJohn Stowの2名を雇って鐘を修理したが、その後金属疲労により再び鐘に大きな亀裂が入ってしまった。1846年に亀裂がさらに拡大し使用の中止を余儀なくされたという。鐘の内側には二つの大きなボルトによる修復と金属で縫い合わせて亀裂を塞ぐ修復が施されている。体の名称が鐘に使われているのが非常に興味深い。胴体部分がWaistで大きく開いている部分がMouth, 縁がLipらしい。MLBのPhilliesのロゴも実はこのLiberty Bellである。本拠地球場のスタンドに飾られているベルをよく見てみるとしっかりベルには亀裂が入っている。(そしてPhilliesの選手がホームランを打つたびにこのベルが左右に揺れる仕組みになっている。)自由のために独立し、そして今も自由を追い求め続けるアメリカにおいてLiberty Bellは自由のシンボルでありアメリカの歴史になくてはならない存在であり続けるだろう。亀裂が入っても完全には壊れず均衡を保ち続けている。まさに分断が起きていてもバラバラに空中分解しない今のアメリカを象徴しているようである。後日Independence Hallについても記事を書く予定だ。追伸、ブログを開設して約二週間が経つが、すでにブログの訪問カウントは800に近づいている。(2023年9月6日時点)インターネット社会で似たようなブログが乱立する中で「家族留学奮闘記」の記事を読んでくださる本ブログの読者に感謝したい。引き続き今の「アメリカ」、そして留学に役立つ情報を発信していきたい。私もコロナ禍で外出ができない中、海外留学をしている方のブログを通じて留学の手続きやエッセイのヒントを得た。このブログが私の次に留学する人の海を超えるきっかけになれば幸甚である。きたろう
2023.09.07
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留学中のきたろうです。今回は日常会話で役立つスラングを紹介します。キャンパス内で以下のような会話がございました。友人A: We can grab something nearby and explore the town. 友人B: I'm down!友人A: Great! Will get ready soon.皆さんはこの"I'm down!"はどのような意味が込められていると思いますか?どうしてもdownと聞くとネガティブな印象を受けてしまいがちだと思います。英語の表現でもdownが付くと否定的な意味を持つことがほとんどです。(例:turn down, feel down, look down on..., etc )しかし、ここではどうやら肯定的な意味で使われているようです。私は状況が理解できず友人たちと別れてからすぐにネットで検索をしてみました。すると、スラング辞書の定番であるUrban Dictionaryには"When you agree with someone. Mainly used to agree to do something."と記載されていました。Urban Dictionary, Retrieved September 5, 2023, fromhttps://www.urbandictionary.com/define.php?term=I%27m%20down自分が前回アメリカに留学していた時は「その話いいね!(その話乗ったよ!)」と同意する時は"I am up for it!"と言っていたような気がしますが、10数年の時を経ていつの間にか上昇(up)ではなく下降(down)になっておりました。今でもI'm up for it.が通じるのか今度さりげなく会話の中で使ってみようと思います。(皆が"I'm down."を使用している中一人だけおじさんが"I'm up for it."と言うのは少し勇気が入りますが。)変な顔をされてしまったらその表現は頻度が落ちて古臭く(out-dated)なっているということです。言葉はナマモノで常に進化を遂げていると感じた次第です。特にスラングは流行り廃りのサイクルが非常に早いのが特徴です。アメリカの地で語学を学習している者として言語の栄枯盛衰にも敏感であり続けたいと思いました。きたろう
2023.09.05
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こんにちは、米国留学中のきたろうです。Philadelphia市内に"Tell Tale Heart"や"The Black Cat"といった作品で知られる文豪Edgar A. Poeの家に行ってきました。国指定の歴史的建造物に指定されているのですが、入場料は無料で並ぶこともなく家の中に入れてもらうことができました。ドアには"Knock once before you come in."と書かれておりドアのノックを叩くと館内のスタッフが出迎えてくれました。この家はPoeが妻のVirginia Clemm Poe、義母のMaria Poe Clemmの3人で1843年から44年の間に住んでいた家です。Philadelphia市内を何度か引越しをしていたようですが、市内で現存の建物はこの家だけだそうです。この家のceller(地下室)でPoeの有名な作品である"The Black Cat"が誕生したと言われています。この家でPoeは"The Black Cat"や"The Gold-Bug"を発表し作品が世間に受け入れられ成功を収める一方、妻のVirginiaは結核を患い日に日に病魔に冒されていったそうです。Cellerは昼間でも暗くどこか不気味な雰囲気を漂わせていました。作品にも出てくる黒い猫が置かれていました。このようなさりげない演出もいいですね。世界で初めて推理小説を書いた人物とされ、その後の文学界に多大な貢献をしてPoeですが、彼の人生は苦難に満ちていました。PoeはEliza, David Poeの次男としてBostonに生まれます。母親は俳優として人気を博しておりましたが、父親のDavidは鳴かず飛ばずの俳優人生を送っておりました。母親は結核を患い24歳でこの世を去ります。この時父親はすでに失踪しており2歳にして両親を失ったPoeはRichmondに住んでいたJohn, Fanny Allan氏に預けられます。その後Virginia大学を中退しWest Pointというアメリカ軍の候補生を養成する学校に入りますが、そこも卒業をすることなく退学してしまいます。作家として身を立てることを志していた頃14歳の離れたVirginiaと出会い結婚しますが、そのVirginiaも結核を患いPoeの母親と同じく24歳で亡くなります。この度重なる不幸がPoeの身の毛がよだつような薄気味悪い作風にも影響を与えたと言われています。近代日本文学で最初に推理小説を書いたとされる江戸川乱歩というペンネームは文字通りEdgar Allan Poeから由来しています。シャーロックホームズを執筆したArthur Conan DoyleもPoeから多大な影響を受けたとされています。日本で大人気のマンガである「名探偵コナン」もPoeがこの世にいなかったら存在していないかもしれません。庭にはRaven(カラス)の像が。。。(Baltimoreを拠点にするNFLチームThe RavensはPoeがBaltimoreで育ったという理由でravenをマスコットに使用しているそうです。)以上あまり夜は近寄りたくないPoeの住んでいた家でした。暑い日が続きますが、たまにはクラシックなゴシックホラーに浸ってゾクっとひんやりする夏も楽しいかもしれませんね。それではこのあたりで失礼します。きたろう
2023.09.05
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こんにちは、米国留学中のきたろうです。オリエンテーション期間にMural Art Tour(壁画ツアー)に参加しました。Philadelphia市内にある壁画をガイドさんと巡るツアーでした。市内の散歩がてら参加したのですが、建物の一面に描かれた巨大な壁画に思わず息を呑んでしまいました。ガイドさんによると実際には直接壁に描いているわけではなく、事前に正方形の特殊な粘着性のある壁画用紙に描いた後にクレーン車で一枚一枚貼り合わせて巨大壁画を作っているようです。これらの壁画は全て壁画アーティストによって描かれ、作品に対してもお金が支払われているようです。したがって落書き(graffiti)とは全く異なり、一つの芸術作品として認識されているようです。1枚の写真はReginald Dwayne Betts氏とTitus Kaphar氏による壁画です。タイトルは"Declaration"(宣言)です。アメリカ市民がDeclarationと聞いてまず思い浮かべるのが"The Declaration of Independence"(独立宣言)です。独立宣言はここフィラデルフィアで1776年7月4日に署名され、アメリカの建国日と定められています。この黒人女性の顔の上に描かれているのも独立宣言なのですが、黒く塗りつぶされている箇所がいくつもあります。このアーティスト二人は刑務所から釈放された人々との対話を通じて、独立宣言に明記された"All men are created equal."と今のアメリカが抱える大きな矛盾をこの壁画に込めたのだそうです。今のアメリカ社会において実現されていない部分は全て黒塗りになっているとのことでした。まさにアメリカの巨大風刺壁画と表現すればいいのでしょうか。駐車場に面したビルに描かれたこの壁画は今のアメリカが抱える問題をリアルに表現しているような気がしました。こちらは2枚で一つの作品となっています。アーティストはJosh Sarantitis氏とKathryn Pannepacker氏の2名。作品のタイトルは"Finding Home"(家探し)です。特に注目していただきたいのが、壁画の上部になります。正面から見ると"IN"の文字があります。そして、細い路地の方に行くと今度は"VISIBLE"の文字が見えます。正面の文字と路地に描かれた文字を合わせると"INVISIBLE"、つまり「目に見えない、肉眼では確認できない」という一つの単語が完成します。この壁画はPhiladelphiaの都市部で問題になっている貧困やホームレスの意識を高めるために描かれたそうです。正面からだけでは問題の本質はわからないままで、角度を変えてみることで初めて今まで見えなかった問題が可視化されるというのが絵のテーマになっています。正面の俯いている男性は紙を握っていてそこには"My home is where I feel I'm family."と書かれています。路地に描かれた手は俯いている男性に向かっておりまるで手を差し伸べようとしているようにも見えます。市街地に行くとかなり高確率で地下鉄の階段や路上にホームレスを見かけます。お金をせがむメッセージを書いたボードを持って道路のど真ん中に立って信号で止まっている車に声をかけるホームレスもいます。一枚目の壁画同様今のアメリカ社会を的確に描写している壁画だと思いました。3枚目の写真は6名の壁画アーティストによって描かれた作品です。(作者不明)タイトルは"How To Turn Anything Into Something Else"(何かを何か別のものに変える方法)です。この作品はPhiladelphiaの小学生が描いた絵をベースにアーティストたちが描いたものだそうです。子どもたちの想像力が結集して非常にパワフルな壁画となっています。大人になるにつれて失われていく想像力や発想力を掻き立ててくれる作品でした。自分が面白いなと思ったのは木に心臓がついていて水を汲み上げて上に届けている部分です。木に心臓がついていてまるで動物のような生命力を感じると共に重力を無視して水を上に組み上げる心臓の力強さは圧巻でした。童心を忘れずに生きていきたいと思わせてくれる作品でした。最後の写真はAmy Sherald氏による作品でタイトルは"Untitled"(無題)です。Amy Sherald氏はアメリカで初めて黒人大統領となったBarack Obama大統領の夫人であるMichelle Obama氏の公式肖像画を描いた人物として一躍有名になりました。若い黒人女性のまっすぐなまなざしは力強さがありつつも優しさに包まれているような気がしました。他にもまだまだたくさん壁画があったのですが、数が多くて全ては紹介できませんでした。特に印象に残ったMuralをブログで紹介しました。気になった人は公式サイトも是非ご覧ください。↓リンク↓Mural Art Philadelphia日本もこのような団体があってアーティストが活躍できる場があったら面白いなと思ったのですが、壁画=落書きというイメージが強い日本ではなかなか馴染まないのかもしれませんね。けど、高い建物がたくさんある日本だからこそできるMural Artもあるような気もします。美しい壁画に包まれた東京を勝手に想像している私でした。では皆さん良い1日を。Kamel
2023.09.04
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This is going to be my first installment in English. The major reason why I will write in English is simply because I want to be able to express my true inner voice other than in my first language, Japanese.My bold but reckless plan to go to the US with my family dates back to around 2020 when the COVID-19 crisis hit the whole nation. All of a sudden, most economic activities came to a halt with the state of emergency issued by the government of Japan. The word "pandemic" was just a term in a dictionary to me, which didn't have any practical connection with my world. I never imagined that I would see a TV reporter in a very serious mood briefing the outbreak of an unknown infectious disease spreading all across the world. With the sudden disruptions caused by the deadly virus, people were forced to confine themselves at home to reduce the risk of being contracted with the virus and of spreading it nationwide. Following the government order, almost all facilities, including schools, stores, and restaurants, were shut down. It was actually my first time staying in my house for such a long time with my family without going to work. Looking back, one of the fortunate things during the state of emergency, if I am allowed to say, was that I was able to spend much more time with my family, playing with my sons, cleaning up my house, doing laundry for my family, all of which I had never done before the pandemic. I started to see my existing world from a totally different perspective. At the same time, I had some time to reflect on my past and to think about my future. I started to hate myself for the fact that I always stayed in my comfort zone, where I have a house, my beloved family, a very rewarding job, but tell my kids to be more ambitious at the same time. I intuitively thought that I am a hypocrite because I do not practice what I preach to my kids. That was a sudden revelation that came out of the blue during the tumultuous times in 2020. The COVID-19 forced people into a closed space but indeed opened my eyes to a new journey.Before my departure for the US, people often asked me, "Why do you go now?" or "You already have a decent job. What's the point of getting a master's this time?". My answer was, "It's never too late to learn. I am not going just for the degree. I am going for myself and my family." There is no right or wrong answer for our life. If you strongly believe your choice is right, that might be YOUR right answer. Steve Jobs once said at Stanford commencement, “Have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.” I wish to be true to his saying, especially at a turning point in my life.I would like to conclude with a famous poem by Robert Frost.The Road Not TakenTwo roads diverged in a yellow wood, And sorry I could not travel both And be one traveler, long I stood And looked down one as far as I could To where it bent in the undergrowth;Then took the other, as just as fair, And having perhaps the better claim, Because it was grassy and wanted wear; Though as for that, the passing there Had worn them really about the same,And both that morning equally lay In leaves no step had trodden black.Oh, I kept the first for another day!Yet knowing how way leads on to way, I doubted if I should ever come back.I shall be telling this with a sigh Somewhere ages and ages hence:Two roads diverged in a wood, and I— I took the one less traveled by, And that has made all the difference.Written by Robert Frost
2023.09.02
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おはようございます。米国で留学中のきたろうです。アメリカの大学は非常に多様性を重んじているように思えます。オリエンテーション期間も何度も"Diversity","Equity", "Inclusion"といった言葉を耳にしました。きっと様々なバックグラウンドを抱える学生が世界中から集まってくるからなのでしょう。性別、人種、信条、国籍、年齢といった枠組みを超えて学びたい人が集まって形成される共同体(コミュニティー)が心地よく過ごせるように大学側も様々なところに配慮をしているようです。様々な大学の取り組みの中で今回ご紹介したいのが、大学の施設のど真ん中にあるFamily Resources Centerです。この施設は子供がいる大学(院)生のために設けられた場所になります。入った瞬間ここは幼稚園の遊び場なのではないかと思うほど豊富な遊具がありました。部屋の真ん中にはテーブルが設置されており保護者は子供を遊ばせながら勉強することができるようになっているようです。事前にオンライン登録をすれば学生は勿論ですが、配偶者と子供も施設内に入ることができます。遊び場の隣には絵本の読み聞かせをする部屋まで準備されていました。1枚目の写真がアクティブに遊べる「動」だとしたら、下にある2枚目の写真は「静」でしょうか。勿論、棚にある絵本は全て英語で書かれているため英語が苦手な場合は苦戦するかもしれません。しかし、担当者のお話ではここで幼児や保護者向けの英語のレッスンも無料で受けられるとのことでした。就学前のお子さんがいる場合でもきっとこのスペースは楽しめると思います。写真を撮り忘れてしまいましたが、この他にもイベントルームや授乳室、お茶や電子レンジが置かれた小さなキッチンスペースまであって子育てをしながら研究に励む学生へのサポートが整っておりました。日本の大学は18歳から4年間学んだ後にそのまま2年間大学院で学ぶという固定観念があって、このような家族帯同者向けのサポートが乏しいような気がします。アメリカの大学は社会経験がある社会人も腕を大きく広げて歓迎しており、学生だけでなくその配偶者や子供のことも考えて支援をしているように思えました。このようなきめ細かい配慮からアメリカの大学の経営努力をひしひしと感じる次第です。家族で留学する際は自分のみならず家族全員がハッピーであることが非常に重要です。研究のクオリティで大学を選ぶことも一つですが、大学が提供する家族向けサービスや住む環境に目を向けることも忘れてはなりません。アメリカにある全ての大学でこのような施設があるとは限りません。家族留学を検討する際は事前に説明会等で問い合わせることをお勧めします。それでは皆様今日も良い1日をお過ごしください。Kamel
2023.09.01
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こんにちは、米国留学中のきたろうです。先日アメリカに行ったら必ず実行すると決めていたメジャーリーグの試合観戦に行ってきました。勿論目的はベーブルース以来の二刀流と呼ばれる大谷翔平選手を見るためです。早めに行ってオフィシャルグッズストアを覗いたのですが、やはりビジターの試合ということもあって大谷グッズは見つかりませんでした。WBCで活躍したターナー選手、そして大谷選手の元同僚のマーシュ選手のユニフォームが並んでいました。(レプリカジャージは180$くらいしたので購入は断念。汗)地下鉄の駅を降りると正面に大きな球場が見えてきました。しかし、ここで落とし穴がありました。MLBの試合では厳しいバッグポリシーがあるようで、リュックサックや透明なハンドバッグ以外は持ち込めないことが会場に到着してからわかりました。チケットを購入した時もこのような注意は一切なく、まさに寝耳に水状態でした。セキュリティーに"This cannot come in!"(これは持ち込み禁止だぞ)と怖い口調で注意されてしまいました。近くに移動式のロッカーがありそこでバッグを保管してもらうことにしましたが保管料に10$かかり思わぬ出費がありました。きっと他の球場も同じようなセキュリティー対策をしているはずなのでMLB観戦を検討している方はご注意ください!!念の為何が許されて何がダメなのかわかりやすく表示している看板を見つけたのでここに共有しておきます。(自戒の念を込めて)球場の中は広々していて非常に開放的でした。日本のドームは天候に左右されないので一年中快適な環境下で野球が観戦できるメリットがありますが、夜風を浴びながら広々とした球場で見る野球も悪くないなと感じました。ラッキーなことに試合開始前に大谷選手のウォーミングアップ姿を間近で見ることができました。10m先に会いたかったスーパースターがいると思うと胸の高まりを抑えることができませんでした。敵地での試合ですが、大谷人気は絶大です。エンジェルズのジャージをきているファンは大体トラウト選手の27番か大谷選手の17番のジャージを着ていました。エンゼルスのウォームアップを眺めていたら台湾出身の方から話をかけられました。甥っ子が台湾からアメリカに遊びに来ていて大谷の試合に合わせてチケットを予約したそうです。二人ともWBCの日本代表ジャージを着て大谷に声援を送っていました。大谷人気は日本にとどまらず海の向こうにも及んでいるようです。海を超えて様々なプレッシャーやリスクと対峙しながらも活躍し続ける大谷選手に尊敬の念を抱くと共に、大谷選手の活躍を生で見ることができてに大いに励まされました。ここまで絶好調の相手だけあって結果は6-4でエンゼルスは敗れました。大谷選手は5打数1安打1四球(申告敬遠)でした。残念ながらホームランを拝むことはできませんでしたが、怪我をしながらも出場を続けて結果を残す大谷選手を見て感動しました。野球発祥の地で大谷選手が出場するゲームを観れたこと、球場でtake me out to the ball gameを歌えたことは一生の宝物です。それにしても物価高騰に加えてボールパークの値段調整もはいり球場内の食べ物の値段がすごいことになっています。お水は6.5$、屋台で売っているようなホットドッグは9$、お酒は12〜16$と日本では考えられない値段となっています。勿論球場内への飲食物の持ち込みは禁止されているので、観戦を検討されている方はチケット代の他飲食代などの諸経費も計算の上で観戦を検討してみてください。
2023.08.30
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おはようございます。米国留学中のきたろうです。前回は日米の大学のオリエンテーションの違いについてご紹介しました。オリエンテーション期間に撮影した写真をいくつかご紹介します。(個人情報保護のために画像を修正しています。ご了承ください。また写真の転載はお断りしています。ご理解のほどよろしくお願いします。)写真1:留学生向けオリエンテーションスライド写真2:講堂で行われた全体オリエンテーション写真3:お酒を飲みながら友人と絵画に勤しむPainting with a Twist写真4:オリエンテーション期間に提供された朝食。コーヒーも無料。写真5:アイスクリーム。サイズが大きくて全部食べ切ることができない。写真6:Welcome Back Receptionで提供された食事
2023.08.29
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こんにちは、アメリカに留学中のきたろうです。今日は海外の大学のオリエンテーションをご紹介したいと思います。私は日本の大学に通ってからアメリカの大学院に来たため日米間のオリエンテーションの違いに大変驚きました。ここでは3点ほどご紹介したいと思います。①期間が長い(留学生用のオリエン二日間、アメリカ国内の学生と混じって三日間、プログラム用のオリエンテーションが一日の合計6日間)②朝食、昼食、夕食が提供される③きめ細かいマイノリティーグループへの配慮があるアメリカの大学のオリエンテーションは日本の大学よりも期間が長く、またコンテンツも非常に充実しています。どのセッションでも必ず"Congratulations! Welcome to our campus!"と笑顔で話してくれて新入生の帰属意識を高めてくれます。また、驚くことにオリエンテーション期間は朝食、昼食、夕食が大学から提供されました。日本では正直考えられないことです。食事の準備は片付けを気にせずイベントに参加できるのは非常に有り難く、浮いた時間で友人づくりやオリエンテーションの説明に専念することができました。オリエンテーション期間は着替えてキャンパスに足を運び、帰ってきたらそのまま寝てまた次の日のオリエンテーションに参加するというサイクルを繰り返しました。オリエンテーション期間は必ずネームタグを付けるのですが、名前の横にpronounsのシールを貼ることになります。これはGender Pronounsといって自分を指す代名詞を相手にどう使用してもらいたいか示すものです。男性であればHe/His/Himになりますし、女性であればShe/Her/Hersになります。どちらでもない場合にはThey/ Their/ Themを使用します。中にはHe/ Theyのように二つ以上のPronounsを使っている方も実際にいました。会話の中で間違ったPronounsを使用して不快な思いをしないようするための配慮だと考えられます。言語の壁があってコミュニティに入りにくい留学生のためのオリエンテーションもあって、大学側のきめ細かな配慮を最初のオリエンテーションから感じた次第です。備忘録としてオリエンテーションのスケジュールを載せておきます。【初日】留学生向けオリエンテーション9:00-10:00 Bfreakfast & Opening Session10:15-11:00 Immigration and Documentation 10111:00-11:30 Presentation by International Exchange Office11:30-12:00 IT session12:00-13:00 Resouces for Navigatign Around the City/ Making Your Campus Your Home13:00-14:00 Lunch14:00-15:00 Campus Activity15:00-16:00 Snack Break and Activity16:00-17:30 Dinner and Cultural Sharing Activity【二日目】留学生向けオリエンテーション9:00-10:00 Bfreakfast 10:15-11:15 Library Presentation11:20-12:30 Academic Policies and Procedures12:30-13:30 Lunch14:00-17:00 Mall Trip17:30- Grab and Go Dinner【三日目】全体オリエンテーション9:00-11:00 Bfreakfast & Opening Session11:30-12:30 Lunch11:30-14:00 Grad Resource Fair13:00-14:30 Presentation by Academic Advisor14:30-15:30 Learning Resources Presentation15:30-16:30 Academic Integrity17:00-19:00 Big Prize Trivia and Dinner【四日目】全体オリエンテーション9:00-10:00 Bfreakfast 10:15-11:00 DEIB(Diversity, Equity, Inclusion, Belonging) Presentation11:30-12:30 Library Presentation12:45-13:30 Lunch14:00-15:00 Professional Headshots/ Dealing with Imposter Syndrome/ Canvas course requirement15:15-16:15 Student Involvement Fair17:00-18:30 Painting with a Twist【五日目】全体オリエンテーション9:00-10:00 Bfreakfast11:00-14:00 Museum Private Tour/ Slavery Campus Tour/ Mural Tour15:00-17:00 Welcome Back Reception(A taste of local food, Free SWAG, Big Prize Giveaway, Photo Booth, etc.)【六日目】プログラムオリエンテーション9:00-10:00 Bfreakfast & Opening Session10:30-12:00 Program Orientation12:00-14:00 City Tour by Peer Advisors30代後半の自分にとっては盛り沢山で少し疲れた一週間でしたが、たくさんの友人にも恵まれ授業前の楽しい一週間となりました。オリエンテーション前は友人ができるか不安で誰も知り合いがいない高校に入学した新入生のような気持ちでした。社会人を経験して10数年ぶりに学生に戻ったという大きな環境の変化も不安を助長していたのかもしれません。けど、一旦コミュニティの中に入れば自分の居場所はあるのだと思うことができました。オリエンテーションを開催してくださったスタッフと大学の配慮に感謝です。アメリカの大学は確かに学費が非常に高いですが、その分お金を投じて学生にもしっかり還元していると思いました。統計ソフトやその他非常に使い勝手が良いサイテーションツールのライセンスが付与されています。研究を進める上でこのようなツールは必須であり、このような点は日本の大学も学ばなくてならないと思った次第です。長くなりました。オリエンテーションについては書きたいことが書ききれなかったので次回にします。留学を検討されている方の参考になれば幸いです。Kamel
2023.08.28
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おはようございます。留学中のきたろうです。本日もオリエンテーション期間に出会った表現をお伝えしたいと思います。大学院で成功するためにはチェックボックスにチェックマークを入れていくだけではなく、自分から主体的に動いて研究していくことが重要だとプレゼンターの方はお話しされていました。その流れでプレゼンターが次のように発言されました。"Your research does not work in a cookie-cutter approach!"クッキーカッターといえばクッキーを作る際に使われる銀色の抜き型をイメージされる方が多いと思います。しかし、上記の文ではハイフンがついてapproachを修飾する形容詞として用いられています。形容詞で用いられる場合、は「特徴がない、ありきたりな、決まりきった」といった意味になります。日本語でも特徴がないことを「型にはまった」と表現することがございますが、それに非常に近い感覚だと思われます。研究は自分が疑問に思ったことを探究心を持って行わないといけないなと改めて思った次第です。
2023.08.25
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こんにちは、大学院留学中のきたろうです。21日(月)から入学者向けのオリエンテーションが始まり慌ただしくなってきました。オリエンテーション前日は「万が一友人ができなかったらどうしよう、年齢的に一人浮いてしまったらどうしよう」と考え込んでしまい眠れない夜を過ごしました。まさか入学した直後でその先を心配する新入生の気持ちを再び30代で味わうとは思いもしませんでした。さてオリエンテーション期間によく耳にした表現をここでご紹介したいと思います。表現の相手に寄り添って二人三脚をするように説明したい時に用いるのがwalk somebody throughです。直感的にwalkからは「歩く」という動詞の意味を思い浮かべますが、実は「(誰かと)寄り添って歩く」という意味があり、そこからさらに比喩的に派生して「(寄り添うようにわかりやすく)説明する」という意味ができたと考えられます。"We are going to walk you through the application functions first."一語一義的に「説明する」=explainで覚えている学習者がとても多いと思いますが、explainではwalk somebody throughのような相手の歩幅を合わせて説明しようとする丁寧さや親近感は伝わりません。ゆっくり丁寧に説明する姿勢が伺えて初日の緊張がほぐれると同時にさりげなくもとてもオシャレな動詞の使い方に感動した次第です。上記の文を参考にしながら以下のような例文を作ってみました。<例文>"If you are not familiar with it, no worries! I am going to walk you through it together."walk somebody throughを用いることで相手に手を差し伸べる姿勢を示すことができるのです。是非プレゼンや道案内で使ってみてください。きたろう
2023.08.24
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おはようございます。きたろうです。今日は役立つ英語表現をご紹介します。お願いしにくいことをお願いしなければならない状況はどの国に行っても発生してしまう。Noと言われてしまいそうなこと、いわゆるダメで元々であることを相手にお願いする際に使えるのがby any chanceだ。米国に滞在してまだ二週間ちょっとだが、この表現に遭遇する機会が2回あった。週に1回ペースで使われる表現と思えばネイティブの間でもかなり頻度が高い表現と言えるだろう。1回目の場面:飛行機内で座席の上にある収納棚(overhead bin)に荷物を入れていると目の前に座っていた女性がこのようなことを仰りました。"I came with my daughter and my husband, but somehow our seats are separated. By any chance, do you mind switching your seat with a seat of my husband, who is just sitting nearby?"2回目の場面:喫茶店で大学の課題をしていると隣のテーブルでパソコン作業をしていた女性から急に話をかけられました。(海外だと知らない人から突然話しかけられるのはよくある話です。決して驚かないようにしましょう。)"Do you have an iPhone battery charger, by any chance? I need to charge my AirPods, you know."いずれにしてもこちらの返答がNoになる可能性が高いことを見越して低姿勢でお願いをしていることがわかる。by any chance=「もしかして、ひょっとしたら」と丸暗記していた学習者がいたとしたら上記のような文脈(context)も加えてもらいたい。机上の文字情報だけの熟語ではなく、生きた表現として立体的に脳内に飛び込んでくるはずです。余談ですが、因みにこの二つの質問、私はどちらも快諾しました。あなたなら上記の2つの質問にどうお返事しますか。大体3秒以内に返事をしなければ自然な会話は続かないでしょう。沈黙が続くときっと躊躇っていると思われNoだと捉えられてしまう恐れがあります。日常会話の場合は特に瞬発力が求められるような気がします。では良い1日をお過ごしください。きたろう
2023.08.22
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はじめまして、日本から留学している会社員きたろうと申します。コロナ、円安、海外での物価高騰の影響で島国日本から海外に留学することは以前よりも難しくなってしまっていると感じています。グローバル化が進みモノ、ヒト、カネが四六時中飛び交っているはずなのに、実際には日本国内にいるヒトだけが停滞してしまっているような気がするのです。最近では若者の「内向き思考」も強まっているという報道もあり、海外と日本の間には大きな隔たりができてしまっているようにも感じられます。ワクチンの普及とともにだんだんと2020年〜2021年に比べればコロナの水際対策は緩和の方向に進んでおります。(2023年8月現在)私は家族を連れて米国で留学をすることを2年〜3年前から計画しており、今回その計画を実行に移すことにしました。決して現時点での生活に余裕があるわけではなくドル高円安傾向や米国内の物価高騰であちらでの生活に不安が全くないわけではございません。しかしながら現地での生活は家族、そして私にとって一生の財産になるような経験になるのではないかと考え留学を決意しました。私も留学をする際、インターネット上にある様々な先輩ブロガーの記事を参考にさせていただきました。自分の受けた恩を次の方に渡すことをpay it forward(恩送り)と英語で言いますが、次の方へバトンを渡したいという思いでブログを開設することにいたしました。私の駄文が今後留学される方のお役に立つのであればこれほど幸せなことはございません。年齢を問わず、高校生、大学生、そして私のように社会に出て働いているけれども今後の人生のために留学を検討されている社会人の方にもお読みいただけたら幸いです。留学をしながらの更新となるため、頻度はかなり遅めだと思います。ゆっくりマイペースで続けていけたらと思います。温かく見守っていただけたら嬉しいです。きたろう
2023.08.22
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