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フランスからアメリカに送られた自由の女神(Statue of Liberty)はニューヨークのランドマーク的巨大建造物だが、アメリカの「自由」の象徴でもある。フランスの彫刻家であるFrederic August’s Bartholdiによってデザインされ、21年の歳月をかけて建築されたという。土台にはEmma Lazarusの詩が彫られている。Give me your tired, your poor,Your huddled masses yearning to breathe free.南北戦争が終わり、奴隷制も廃止され、新たに建国された国は次の100年を見据えていた。激動の時代にこのフランス革命を経て独立したフランスからアメリカにこの自由の女神が与えられた意義は当時の時代背景を考慮すると非常に大きい。完成した1886年当時、自由の女神はニューヨークで一番高い建造物だけでなく、世界一高い建造物であったとされる。93mの巨大な像はフェリーで近づくにつれて丘で見るよりずっと迫力があり、着物のシワまで緻密に表現されており見る者を圧倒する。自由の女神とエリス等にはフェリーでしかアクセスができない。事前にオンラインでチケット購入したい。チケットはクレジットカードで購入が可能だ。私はフェリーの運賃、Ellis Island National Museum of Immigration, Statue of Liberty Museum, Statue of Liberty’s Pedestalの入場券込みで$24.8であった。The Battery Parkの近くにはStatue of LibertyとEllis Islandのフェリーを勧誘する悪徳業者がいる。彼らは正規料金より高い金額を観光客に請求して、小さいボートで自由の女神やエリス島を回るのだが、島には一切上陸できずそのままLower Manhattanに帰港してしまう。高額なお金だけ支払わされ、それよりも安いチケットが提供するサービスを一切受けられないのだ。必ず自由の女神を見たいのであれば公式サイトから事前購入するか、The Battery Park内にある発券場で購入されたい。↓↓リンク↓↓Statue City Cruises自由の女神のモデルは設計したBartholdi’sの母親らしい。王冠から発せられている七つの光は七つの海と七つの大陸を表しているらしい。デザインに込められたBartholdiのメッセージが非常に興味深い。一部Pedestalの展示より抜粋:“‘Liberty’ was a controversial idea in the 19th century. To many people it suggested violence and revolution. Laboulaye and Bartholdi agreed that their monument should not be seen as leading an uprising, but rather as lighting the way, peacefully and lawfully. A key element was the name they gave to the Statue: Liberty Enlightening The World”日本語の意訳(筆者による)「『自由』は19世紀において物議を醸す考えであった。多くの人々にとってそれは暴力や革命を意味した。LaboulayeとBartholdiはこのモニュメントが紛争を扇動するものではなく、むしろ平和と法によって道を切り開くものとして見なされることを願った。名付けられた像の名前を見ればそれは明らかだ:世界を啓蒙する自由」昔は自由の女神の王冠(Crown)まで行くことができたが、ニューヨークで起きた同時多発テロ以降閉鎖一時的に閉鎖されていた。私がネットでチケットを検索した時はCrownへの入場券は表示されていなかった。私が予約した時にはすでに売り切れになっていたのか、それともそもそもクラウンはテロ以降解放されていないのかその真相はわからない。Liberty Islandまで行く機会があれば、是非台座(Pedestal)の内部やStatue of Liberty Museumも併せて訪問されたい。土台部分の内部がちょっとした博物館になっていて女神の建築過程や自由の女神を題材にした美術品を眺めることができる。また、Statue of Liberty MuseumにはOriginal Torchが展示されている。現在女神が握っているTorchは1986年の大規模補修工事の際に交換された新しいものである。写真:Original Torch個人的にはこのフェリーツアーは非常におすすめだ。家族連れであればフェリーでの移動は子供が大変喜ぶだろう。また、Liberty Islandからニューヨークの超高層ビル群を臨む景色は格別である。Ferry Dockを降りてそのまま直進するとManhattanの超高層ビル群を背景に写真を撮影することが可能だ。ニューヨークの旅を彩る思い出の写真になることだろう。次回はEllis Islandについて書くこととしたい。きたろう
2024.01.17
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以前洒落た英語の広告をご紹介した。その後も何度か面白い英語の広告表現に出くわす機会があった。(過去の記事はこちら)まずはニューヨークで見つけた巨大広告をご覧いただきたい。Apple社が最近リリースしたiPhone15の広告である。iPhone15の機体の上に大きく“Newphoria”と書かれている。この単語が目に入った瞬間「あぁ、なるほどな」と思わず頷いてしまった。勿論newphoriaなんて単語は存在せず、Apple社が勝手に作った造語である。この単語をよく眺めてみると二つの解釈ができるのだ。読者の皆様にも是非写真をもう一度よく眺めてから下にスクロールをしていただきたい。一つ目が解釈が新発売の電話であることを意味する“New Phone”である。二つ目がスペルは異なるもののNewphoriaという音から自然と連想されるeuphoriaという英単語だ。Collins Online Dictionaryには“Euphoria is a feeling of intense happiness and excitement.”と定義されていた。Collins Online Dictionary-Euphoriaまた、ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(一時的な)強い幸福感[興奮]」と定義されていた。つまり、このiPhoneの最新作を手に入れた時に押し寄せる幸福感をこの造語たった一語で表しているんだ。革新的な商品を次々と世に出すApple社らしい粋な英語表現だ。さて次はホリデーシーズンにテレビで流れていたCMからご紹介したい。まずは以下の写真をご覧いただきたい。CMの制作主はお菓子の老舗であるGHIRARDELLIである。このシーズンになると大手ショッピングモールの目立つ場所には必ずこの会社のお菓子が所狭しと並んでいる。さてCMの最後に流れたCaptionが非常に凝っていて思わずクスッと笑ってしまった。Captionには“Makes the holidays a bite better”と書かれている。ただ、ここには誤りが一箇所あるのだがお分かりだろうか。再度この画像を眺めていただき一度考えてから下にスクロールをしていただきたい。正しくは“Makes the holidays a bit better”でbiteのeを削除しなくてはならない。これでようやく「ホリデーシーズンを少しだけ良くします」という意味が成り立つ。制作者は意図的に間違いを犯して視聴者に強いインパクトを残そうとしているのだ。“a bit”は「少しだけ」という副詞なのだが、eを加えることで全く異なる意味になる。ここでは”a bite”で「一口」という意味に大変身を遂げるのだ。つまり、本来は非文法的な文であるが、「(GHIRARDELLIのチョコは)はホリデーシーズンの一口を彩ることができますよ」と暗に仄めかしているのだ。以上、学校では教えてくれない英語の洒落た広告シリーズをお楽しみいただけただろうか。きっと一つ目の広告にあるeuphoriaは入試との関連性が低く学習単語帳から弾かれてしまうだろうし、二つ目に関しても学校で学ぶことはきっとないであろう。しかし、このような洒落た広告に英語の楽しさが隠れていたりする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.16
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ここ最近sickにも様々な種類のsickがあることに気づいた。1. heart-sickニューヨーク滞在中にお世話になるはずだった友人がコロナ陽性になってしまい直前で宿泊することができなくなってしまった。お見舞いの言葉を送ると以下のメッセージが届いた。“I’m heart sick about this. I should have been more careful while being out. It’s my fault.”日本の受験ではbe sick of/ aboutで「〜にうんざりする」と覚えるが、そこにheartを付け加えることでかなり強い失望を表現することができるようだ。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にもしっかり「≪文»しょげた、気の滅入った;ひどく不幸な」と定義されていた。2. sea-sickこちらも同じくニューヨーク滞在中に出会した表現だ。フェリーに乗って自由の女神(Statue of Liberty)とエリス島(Ellis Island)を訪問することにした。前日は夜中も目覚めてしまうほど雨と風がひどく翌朝も案の定、海面は濁り三角波が沢山立っていた。フェリーは定刻より40分遅れての運行開始となったのだが、近づいてくる船はだいぶ揺れている。隣にいた観光客が笑いながら以下のように話していた。“Wow! Look at that. I am gonna get sea sick!!”辞書で調べるまでもなくここでのsickは「海の病気」ではなく、「船酔い」である。なお、車酔いの場合はcar sick、飛行機酔いはair sickという。面白いのは日本語では酔った時に乗っている乗り物の名前が入るのに対し、英語では乗り物を揺らすものに焦点が置かれることだ。船を揺らすのはもちろん海(sea)で飛行機の場合だと大気(air)が機体を揺らすことになる。車の揺れはエンジンによって動いている車なのでcar sickとするのが適切なのだろう。以上見てきた通り、sickの守備範囲は非常に広く、「病気」だけで語義を捉えると思わぬ落とし穴があるようだ。なんとなくsickが使われる時は「外的な要因によって気分/体調が悪くなる状態」くらいに捉えておくといいのかもしれない。写真:Statue of LibertyとEllis Island行のフェリーそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.15
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アメリカで家族向けの家探しをしていることは前回の記事でお話した。過去の記事はこちら。仲介業者の方と車の中で会話している時にある英語表現に出会った。郊外の方にでて古き良きアメリカの住宅風景を眺めていた時、この地域の奥にはさらに有名な高級住宅街があると教えてくれた。本当に大きな家は大きなゲートがあって外から家が見えないようにようになっているのだという。そのような人々は現地の人は"old money"と呼ぶらしい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(昔からの)財産家」と記載があった。Old moneyの家は大抵丘の上にあってプライベートプールと広々した芝の庭が完備されている。入ったことがないのでわからないが、きっと日本では考えられない広さの部屋がいくつもあるのだろう。数百万ドルを超える物件がこの州の郊外にはいくつもあるというから驚きだ。似たような表現にはbe born with a silver spoon in one’s mouthがある。直訳すると「銀のスプーンを咥えて生まれてくる」となる。起源は調べたことがないのでわからないが、これで「お金持ちの家に生まれる」という意味なる。日本だと御曹司(おんぞうし)がこれに一番近い表現だろうか。後日、ニューヨークでタクシーに乗って暫くすると気前のいい40代の男性タクシードライバーが話をし始めた。彼の話によるとこのあたりは富裕層が沢山住んでいるらしい。やはり彼の口からは"There are a lot of old money(s) in this town.(加算だったか不加算名詞だったか記憶が定かではない)"と以前不動産仲介業者と話していた時に登場した単語が再び出てきた。しかし、今回はold moneyの他になんと"new money"という新たな単語が出てきたのだ。彼の説明ではold moneyが何世代も続くお金持ちを指すのに対し、new moneyは90年以降たった一代で富を気づいた富豪をnew moneyと呼ぶのだという。さらに面白かったのが、old moneyはお金持ちであることを悟られないように少し古びた高級車(ベンツなど)を乗るのに対し、new moneyは煌びやかな高級車(フェラーリなど)を乗り回す特徴があるのだという。彼は"They don’t know how to spend money.(奴らはお金の使い方をわかっていないのさ)"と皮肉めいた口調で話していた。その真否はわからないが、その地域に数十年住んでいて日頃から車を眺めている彼だからこそわかる鋭い洞察(astute observation)なのかもしれない。日本語でold moneyが「御曹司」であれば、new moneyはまさに「成り金」が適訳だろうか。アメリカの郊外に行く機会があれば、庭の手入れ具合や家の大きさにも是非注目していただきたい。アメリカ社会の断片がそこから見えてくるかもしれない。追伸、写真:ニューヨーク、タイムズスクエア近くのカフェ暫く外出をしており、ここ数日ブログの更新が滞ってしまっていた。旅先での出来事については明日以降順次ご紹介していくつもりだ。それでは今日も良い一日を。きたろう
2024.01.14
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先日物件を探すために不動産仲介業者と一緒に郊外のエリアに行った。ドライブをしながら気づいたのが、同じ通りでも街の景観が虹色の如くどんどん変わっていくのである。場所によってはゴミが散乱していて荒れている地域、浮浪者やホームレスがフラフラ歩いている地域、窓が割れた車、タイヤがパンクしたまま放置された車がある地域も存在する。都市部外れの少し荒れた地域を抜けてさらに郊外の方に進むと一軒一軒の家が大きくなり、各家庭にはガラージとドライブウェイと呼ばれるガラージに通じる私道までしっかり整備されている。万華鏡(kaleidoscope)のように変化する景色を眺めながら大学の先生が以前このように言っていたのを覚えている。“Our community is one of the most deeply segregated areas in the United States.”(私たちのコミュニティーは全米で最も格差によって分離されている地域の一つだ。)友人にもあの通りの向こうとあの地域は治安が良くないから絶対一人で夜歩かない方がいいとオリエンテーションで忠告を受けた。面白半分でも絶対に行ってはいけないとネイティブが言うのだから相当危険な地域なのだろう。大学の地域は大学によって雇われた警備員が24時間体制で警備にあたっているため、学内コミュニティの安全は守られている。警備を雇うお金はどこから来ているかというと勿論我々が支払っている学費である。安全はお金を払って自分で守るというのがアメリカという国なのかもしれない。銃社会のアメリカでは100%安全な地域は存在しないのかもしれないが、安全とされる地域の物件はそれなりに値段が高く設定されていて、ある程度所得のある人しか落ち着いた地域には住めないようになっている。自然と似通った所得の人々が集まり、その学区の教育の水準が高まるとその地域の家賃がさらに高くなる。貧困層はその地域に住めないため質の高い教育には最初から手が届かないようになっている。このような図式を見るとやはりアメリカは資本主義国家のメッカなのだと思わずにはいられない。因みに家賃がどんどん高騰して住んでいた住民が家から追い出される現象がアメリカでは起きている。このようにして貧しい人々を追い出してそのコミュニティを浄化しようとすることを英語ではgentrificationという。 ※以前Carlos Lopez Estrada監督のBlindspotting(2018)という映画を視聴した際にこのgentrificationという現象がアメリカ各地で起きていることを知った。生々しくアメリカの人種差別やgentrificationによる悲惨な現実が描かれている。かなり激しい銃撃や暴力シーンがあるので視聴する際はご注意いただきたい。安全な地域に住もうとすると毎月高額の家賃を固定費として支出しなければならないし、支出を抑えようとすると今度は住む地域の治安が気になり始める。英語ではこのような状況をcatch 22と言ったりするが、まさに板挟みの状況である。また、住む地域によって人種のバランス(demographic balance)が異なるのがさらに厄介だ。黒人、白人、アジア人、ヒスパニックのコミュニティが存在して何も知らずに家を選ぶと自分たちだけその地域で浮いてしまうなんてことも考えられる。アメリカではこんな光景を目の当たりにすることもある。窓は木材の板で塞がれ、目の前にはゴミの山ができている。家のメンテもされていないため外観もボロボロである。(上部に焦げたあとがあるので火事が以前起きたのかもしれない。)日本は利便性と築年数で家賃が決まることが多いような気がする。アメリカの家探しは検討事項が多すぎて色々考えているだけで頭がパンクしそうになった。手数料が発生してしまうが、アメリカで住む際はその地域に精通した仲介業者を介して契約すると良いだろう。冬休み期間になるべく足を運んで、自分の目で物件だけでなく地域の様子も見ながら家探しをしたい。それでは皆さん今日も良い1日を。きたろう
2024.01.10
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今回が秋学期の振り返りの最終回となる。週ごとに学習事項をまとめるだけでもかなりの時間を要した。改めて自分で読み返しても非常に濃い秋学期だったと感じる。きっと春学期はこれまで以上に濃密な時間になることだろう。どんなに忙しく大変であっても心の奥底に困難を楽しむ余裕を持っていたいと思う。余裕がなく追われるだけの日々はどこか虚しい。秋学期の反省を生かして春学期はさらに飛躍したいと思う。授業名:Approaches to Teaching English and Other Modern Languages Week 1 Course Introduction自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、生成AIツールの扱いについて確認。Week 2 Historical Overview of Language Pedagogy I教科書(2冊)チャプターリーディング。文法訳読式授業(通称GTM)からコミュニカティブアプローチ(CLT)までの通史を扱った。各方法の背景を眺めると当時の外国語の在り方や学習目的を垣間見ることができた。言語教育はその時代を映す鏡のように思えた。日本では急速にスピーキングのニーズが高まっているが、それはビジネス界で外国人との交流が増えているからであろう。しかし、高校入試や大学入試に変化の兆しは見られない。社会の変化に入試システムが追いついていないようだ。Week 3 Historical Overview of Language Pedagogy II教科書のチャプターリーディング(7章)。グループに分かれて、各教授法を分析した上で発表するという授業だった。こちらの授業では各個人の貢献(contribution)が求められる。また各グループの発表に対して質問やコメントをせねばならず自分たちの発表だけでなく他者の発表にも集中を切らさずに見なければならない。まさにstudent-centered learningが実践されている。Week 4 Communicative Language Teaching I教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本。教授がコロナ禍で作成したビデオを視聴して知識を得た上で授業に臨むスタイルだ。英語では同期型授業をsynchronous session、非同期型授業をasynchronous sessionというが、この授業は2つのタイプをうまく組み合わせた授業となっていた。つまり、授業外ではビデオを視聴し、授業中はビデオで出てきた用語を使ってディスカッションをする形となっている。ビデオはコロナがなければ存在していなかったと思うが、非常によく授業がデザインされている。Week 5 Communicative Language Teaching IIビデオレクチャー1本、論文1本。Dell Hymesが提唱したCommunicative CompetenceをベースにCommunicative Language Teachingの基本理念を学んだ。またその強みと弱みを授業中に議論した。非常に大きな可能性を秘めているが、教師に英語の運用能力が求められる気がした。また、パフォーマンス評価にはそれなりのトレーニングが必要となる。ペーパー試験が重視されるアジア諸国にはなかなか馴染みにくい教授法なのかもしれない。Week 6 Lesson Planning I教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)。授業計画に関する授業であった。授業をデザインする上で必要な基礎知識を学んだ。Week 7 Context Shaping the Language Classroom論文2本、ビデオレクチャー1本。教える上で様々な文脈が存在する。年齢、教える人数、国、EFL/ESL、教材、カリキュラムなど数えだしたらキリがない。一つ一つの要素がどのような影響を与えるか教室内で議論した。年齢の特性なども踏まえた上で教えることで教育効果を最大限に引き出すことができるはずだ。Week 8 Teaching Interaction教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本、論文1本。主に外国語のスピーキング、ライティングの指導法について学んだ。Week 9 Teaching Vocabulary教科書のチャプターリーディグ、ビデオレクチャー1本。語彙の基本的な習得理論と語彙の提示方法について学んだ。語彙をimplicitもしくはexplicitに提示することで生じる学習者の認知力の差についても議論した。日本では単語帳を用いてexplicitに提示することがメジャーだが、ここももしかしたら改善の余地があるかもしれないと授業を受けながら思った。Week 10 Teaching Grammar教科書のチャプターリーディング、ビデオレクチャー1本、論文1本。Week 11 Teaching Literacy教科書のチャプターリーディング(2章)、ビデオレクチャー1本。Week 12 Assessment教科書のチャプターリーディング(2章)診断的評価、形成的評価、総括的評価の違いやそれぞれの特性について学んだ。個々の特性に応じて評価を下すことができれば理想的だが、日本の一斉授業のスタイルできめ細かな評価をするのは困難だと思ってしまった。Week 13 Lesson Planning II論文1本。この授業ではアメリカの外国語の教室を3つ見学してその様子をレポートにするという課題が出されていた。本から理論を学ぶだけでなく実践から学ぶ機会があったのは非常に有り難かった。Week 14 Workshop for Final Paper2000ワードのレポートについて教授に質問できる日となっていた。教授が焼いてくれたクッキーや各自持ち寄った飲み物や料理を味わいながら秋学期を振り買った。教授が履修者に寄り添って授業を進めてくれて非常に学びの多い授業であった。理論と実践を繋げようとする姿勢が窺え大変プラクティカルな内容であった。グループで議論した内容をオンライン掲示板に毎週アップロードするという課題が出され、毎週末ズームでクラスメイトと議論した。個人での作業だけでなくグループでの作業が求められるのが印象的だった。毎週末議論を重ねる過程でクラスメイトとの仲も深まった気がする。やはり授業のデザインの仕方次第でクラスの雰囲気が変わることを実感した。学びの雰囲気作りの重要性をこの授業を通じて再認識した。有難いことにこの授業でもAをいただくことができた。ただ、このAは私個人に起因するものではなく、グループでの作業を評価してもらった結果だと思う。グループワークの比率が他の授業と比べて大きく、そこでの高評価がAにつながった。グループでの作業は勿論時にストレスを伴うが、グループワークを通じて他者と協調するために必要なコミュニケーション能力が高まった気がする。
2024.01.09
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前回の記事に引き続き秋学期の振り返りをしたい。うろ覚えの部分もあるため内容に誤りが含まれている可能性があることを予めご容赦いただきたい。授業名:Linguistics in EducationWeek 1 Introduction教科書のチャプターリーディング。自己紹介、コースの概要説明、評価の仕方、課題の説明。Week 2 Lexicon and Morphology教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。語彙の分類や生成方法について学んだ。接頭辞、接尾辞については学部生の頃に学んでいたので少しアドバンテージがあったのが大変助かった。改めて英語の語彙の形成プロセスは多様でかつダイナミックであることに大変驚かされる。Lexical rulesを用いて語彙学習をすると非常に効率よく覚えられるような気もするが、いかがだろう。backformationやblendingといった語彙形成プロセスについてもこの週に学んだ。Week 3 Phonetics教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。この週から英語の音声学の分野を学んだ。自然に身につけた音も科学的な視点から学ぶと新たな発見が沢山あった。口腔図(口の中の断面図)は大学生の頃から何度も眺めてきた図である。こちらも大学生の頃の知識が大変役立った。卒業して10数年経過しても染みついた知識は脳内にしっかり記憶されていたことが嬉しかった。努力して獲得した知識は決して無駄ではないらしい。母音と子音の違い。そして一つ一つの音声の出力方法を学んだ。Labiodental, fricatives, affricatesといった基本的な音声学の用語もこの週に学んだ。課題1提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。発話の形態素や語形変化(inflections)を詳しく見ることで発話者の誤りや癖を見つけ出すことができた。Week 4 Phonology教科書のチャプターリーディング、論文3本。前週に続き言語の音声について学んだ。音声学は物理的な側面に焦点を当てるのに対し、音韻論は実際の発話に焦点を当てているように思えた。詳しくphonological rulesについて学ぶのは初めての経験だったが、大変有益だった。この2週だけでだいぶIPA(International Phonetic Alphabet)の正確な表記方法について学ぶことができた。Week 5 Syntax教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)、論文2本。Syntaxはいわば文法構造の学問分野である。学部生の頃にも散々学び既習事項であるもののかなり苦手意識のある分野でできれば避けたかった箇所である。特にTree structureと呼ばれる文の分析(parse)は非常に難解でほろ苦い大学生の頃の記憶が一気に蘇ってきた。卒業しても苦い記憶は脳裏の奥底にしっかり残っていて自分でも驚いてしまった。この辺りもNoam Chomskyの生成文法(Generative Grammar)についても学んだ。課題2提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。書き起こす作業にかなり手こずったが様々な分析方法を学ぶことができ大変参考になった。Week 6 Semantics教科書チャプターリーディング、論文3本。MetaphorやModalityについて学んだ。言語によって比喩の使い方、指示語の使い方が異なるのは非常に興味深かった。Week 7 Pragmatics教科書(2冊)のチャプターリーディング、論文2本。この週は文脈が発話に与える影響について学んだ。新出情報と既知の情報を相手にどう提示するか、それによって発話のイントネーションや文の構造にどのような変化が生じるのか文献を読みながら学んだ。英語を外国語として学んできた身としてはまさに目から鱗であった。また、とある研究によると英語学習者はpolitenessがネイティブ話者より低いという結果も出ているようで教育的示唆に富む内容であったと思う。課題3提出:3人にインタビューを実施して、そのインタビュー結果を元に分析を行うという課題だった。10個の文を与え、文法的に許容できるかできないかを判断してもらう。ネイティブと非ネイティブで文法の寛容度に大きな乖離があり非常に興味深い結果が得られた。研究の大変さと楽しさを垣間見た気がする。Week 8 Speech act and Conversation教科書のチャプターリーディング、論文3本。この辺りからだんだん言語学から社会言語学の色彩が強くなってきた印象がある。最初の5週は古典的な言語学を学んだが、後半に行くにつれて社会の中で言語がどのように機能しているか学んだ印象がある。相手によってどのように話し方が変わるか考察した。言語のformalityやpolitenessについて知識を深めることができた。Week 9 Digital Tech and Language Use論文4本。機械翻訳やテクノロジーの進歩が言語学習にどのような影響をもたらしているか学んだ。機械翻訳の歴史や生成AIの基本的な仕組みについて学ぶことができ、非常に知的好奇心をそそられた週であった。この週で中国からの留学生と一緒にグループプレゼンテーションを行った。オンラインで入念なリハーサルもして本番を迎えたが、発表時はやはり緊張した。なるべくアイコンタクトを取って、英語の発話ペースにも気をつけるようにした。教授からは”Thank you for your great presentation!”とお褒めの言葉をいただいた。課題4提出:自分で作文した文章を機械翻訳にかけて、その正確さを評価するという課題であった。昨今はChatGPTやDuolingoの台頭で外国語教育の意義そのものが問われつつある。機械翻訳もまだまだ改善の余地があることがこの課題から判明した。Week 10 Age factors in Language Acquisition 教科書チャプターリーディング、論文2本。臨界期仮説(The Critical Period Hypothesis)に関する論文を読み込み授業内でディスカッションをした。言語はとにかく早期に始めるのが良いという考えがあるがそこには問題がいくつもあることがわかった。家族をつれてアメリカに住む者としては大変興味深かった。自分の子供たちが言語をどのように吸収するのか近くで観察したいと思った。Week 11 Language and Thought教科書チャプターリーディング、論文2本。この週ではSapir-Whorf Hypothesisという有名な仮説を文献を読みながら検証した。言語が思考にどれほど影響を与えているかという問いだが、決定的な答えがまだ導き出せていないというのが個人的には興味深かった。詳しく調べるためには被験者を隔離して言語との接点をなくす必要があり、倫理的な問題があるようだ。英語ではよく”Which came first: the chicken or the egg?”ということがあるが、言語と思考の関係を学びながらこの質問がふと脳裏をよぎった。Week 12 Language Variation教科書チャプターリーディング、論文4本。この週のトピックは言語の方言だった。英語学習者は「スタンダード英語」を学んでいるが、実は英語の方言は多種多様で奥が深いことがリーディングで明らかになった。また、ネイティブスピーカーの文法への寛容度も年代によって変化をしていることも大変興味深かった。またこの週でKachruのWorld Englishesについても学んだ。African American Vernacular English(AAVE)についても学んだのもこの週だ。※エッセイ課題1を提出した。Week 13 No ClassWeek 14 Language Acquisition教科書チャプターリーディング、論文2本。第一言語、第二言語問わず「言語の習得プロセス」について学んだ。babblingから始まり、赤ん坊がどのように言語を学んでいくかを学んだ。まさに自分の子供が言語を学んでいる真っ最中で重なる部分が多々あった。言語習得には特殊なインタラクション(交流)が必要であることもわかった。テレビの前に置いておくだけでは言語の習得はなかなか促進されないらしい。これは大人の言語習得にも同じことが言えるような気がした。 ※エッセイ課題2を提出した。Week 15 Presentation and Discussion最終週は自分が作成したレポートについてプレゼンテーションを行った。最後の方は意識が朦朧になりながら課題に取り組んでいたため、正確に自分が何をしていたのかあまり正確に覚えていない。※エッセイ課題3を提出した。最終的にこの授業の成績でAをいただくことができた。読み込む論文の量も他の2つに比べて一番多く最も苦労した科目であったのは間違いない。そんな大変な科目でAをとれたことは自分にとって大きな自信となった。サイのツノのように一歩ずつ進めばゴールに辿り着けることがわかった。春学期以降も今回得た教訓を胸にどんな困難が待ち受けようとも一歩一歩確かな歩みを続けたい。上記からお分かりの通り、大学院では扱う文献の量が桁違いに多い。授業は3つしか取らないのだが、とにかく一つの授業の課題の量が日本とは比べ物にならないのだ。文献を読んだことを前提に授業が展開するため、文献をスキップした上で授業に臨むとディスカッションにうまく入っていくことができない。
2024.01.08
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春学期を迎えるとまた目まぐるしい日々が始まるだろう。来学期は秋学期よりも1つ授業科目を多く取ることが決まっていため秋学期よりも慌ただしくなることは必至である。備忘録として秋学期に履修した授業3つについて書き留めておきたい。シラバスを見ながら書いているが所々うろ覚えの箇所がある。教科書や論文を一つ一つ照らし合わせながら書いているわけではないので不正確な箇所があることはご容赦いただきたい。授業:Introduction to Applied LinguisticsWeek 1 Orientation自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、Plagiarism など違反事項の確認、Week 2 応用言語学という学問とは?論文3本、オプションでもう1本の計4本。全て応用言語学に関する論文である。全て違った角度から応用言語学を定義しており、すべての論文を読んだ上でどのようにこの学問を定義するかという授業であった。従来の言語学、また教育言語学(Educational Linguistics)とどう異なるのか議論するのは非常に面白かった。Week 3 応用言語学が扱う問題論文2本。論文を読んだ後にリスポンスをCanvasに提出しなくてはならない。抽象的な描写が多くなかなか具体化していくのが難しかった。Week 4 応用言語学者の活動論文2本、オプションでもう一本の計3本。応用言語学というより社会言語学(sociolinguistics)に近い内容出会った。言語学者がどう問題を見つけ出し、その問題にアプローチしているか学んだ。Week 5 言語学習の概念化論文2本、オプションでもう一本の計3本。談話(discourse)という枠組みの中で言語学習がどう体系化されているか学んだ。言語と文脈は切り離そうとしても切り離せない。文脈が与える影響について学んだ。課題:初めて長めのレポートを提出した。自由度が非常に高い課題で、自分で問題を提起してその解決策を模索しなくてはならずかなり時間を割いてレポートを仕上げた。論文のフォーマットも慣れておらずスタイルを合わせるのにも苦戦した。結果的に100点中95点を獲得することができた。教授からもお褒めの言葉をいただき自分の投資した時間と努力は無駄でなかったと実感できた瞬間であった。Week 6 Academic Discourse Socializationとそのプロセス論文3本、教科書のチャプターリーディング。この辺りからリーディングがかなり重くなってきた印象だ。読む内容の難易度もかなり難しくなってきて一度読んだだけでは内容が頭に入ってこないことが多々あった。Week 7 議論の提示方法論文2本、ビデオ1本、オプションの論文1本の計4本。論文の書き方を再度学んだ。引用の方法や出典の書き方を復習した。特にPatchworkとPlagiarismの微妙な違いは興味深かった。知らぬうちにAcademic Dishonestyに手を染めないようこれから気をつけたいと思った。Week 8 学術論文でのコミュニケーション方法論文2本。レトリカル・シチュエーション(読む人の背景知識、目標、目的)を意識した論文の書き方を学んだ。アカデミックな論文であっても読み手を意識したわかりやすい文体を心がけたい。Week 9 応用言語学との関わり方論文1本、教科書約60ページ。Week 10 言語とアイデンティティ論文4本、オプションで1本の計5本。アイデンティティ、人種について深く扱った。日本のような比較的homogeneousの国家ではこのようなトピックは扱われたことがなかったので非常に新鮮であった。raceとethnicityの違い、Raceとracismの違いについて授業中に議論をした。アメリカ国内で人種差別を受けたクラスメイトもいて聞いていて心が痛む場面もあったが、アメリカ社会の現実を目の当たりにしたような気がした。自分が日本で育ちそのようなトピックに関心がなかったせいかもしれない。人種問題に対して無知すぎる自分に少しだけ腹が立った。Week 11 リサーチメソッドこの辺りから論文の課題は無くなった。その代わり自分で図書館に行き興味のある論文を探すようタスクが与えられた。与えられたリーディングをこなすのも大変だが、自分の興味に関連する論文を探し出して読み込む作業もそれはそれで非常に大変だ。Week 12 論文課題準備、Week 13 論文課題準備と教授からのフィードバックWeek 14 最終試験に向けて復習課題:レポート提出自分で課題を見つけ、論文を引用しながら解決策を探るという課題であった。いくつか与えられたパターンに応じて書き方を変えなくてはならず、最終的には3000〜4000ワードほどのレポートになった。Canvasに提出したあと両手を天井に突き上げ、心の中で大きく叫んだ。それほど時間をかけたし、達成感を感じた瞬間であった。成績のことはひとまず置いておいて次週やってくるファイナルに向けて机に向かうことにした。この時期は他の授業でも課題が山場を迎え、休む時間がないほど勉強した。授業が終わったら図書館へ、そしてアパートに戻って睡眠をとって、また翌朝図書館に向かう生活を続けた。時間を惜しんで書物に耽り、勉強したのは何年ぶりだろうか。学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた。Week 15 最終試験最後に2時間のテストが待ち受けていた。10数年ぶりに受けるテストはこれほど緊張するとは思わなかった。いくら勉強しても頭の片隅には常に不安が付きまとうのである。どんなに今までの論文を読み込んでも自分が完璧から程遠いように思えてしまう。軽く負のスパイラルに陥っていたが、友人からのアドバイスもありなんとか前向きになり試験を乗り越えることができた。最終的にこの授業はAをいただくことができた。最初は課題のペースについていくのに必死で苦労したが、後半は授業内でのディスカッションにもなれ自分からどんどん発言できるようになっていた。教授や友人が自分の発言の後に頷いてくれると自分の自信につながった。教授がディスカッションがしやすい環境を用意してくださったのも非常にありがたかった。発言をすると”Thank you.”/“I appreciate your remark.”など言ってくれるのだ。自己肯定感を高めるような助言があるとクラス内の発言はより多くなる気がした。あとはクラスのサイズの問題だろうか。私の大学では最大でも人数が17人ほどになっている。教授は17人でも「人数が多すぎる」と不満を漏らしていた。日本ではいまだに30人~40人での一斉授業が当たり前に行われている。そこでディスカッション中心の授業をしろというのにそもそも無理があるようだ。一人一人の発言に耳を傾けるためにはクラスのサイズを15名程度まで減らさないと物理的にディスカッション中心の授業は成立しないだろう。きたろう
2024.01.07
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アメリカの東部もだいぶ気温が下がり朝方は水溜りが凍る日も出てきた。また雪が散らつく日も増えてきた。毎日のように通うため、図書館の警備員と世間話をするようになった。その日は雪がかなり降っていた。お気に入りの図書館に入って雪を振り払い、かじかんだ手を温めてから図書館のゲートを通過した。いつもの警備員がいつも通り座っていて僕が入るとニコッと笑顔を送ってくれた。私が”It is snowing hard outside.”と話しかけると以下のように返事があった。“Yeah, it is a squall! They say it is gonna taper off around noon.”一瞬私の頭に”??”が浮かんだ。「ん?スコール?」私の聞き間違いのような気もしたが、彼女は確かにスコールと発していた。家に戻って辞書を開いて納得した。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「(時に雨や雪を伴う)突風、スコール」と書かれていた。スコールというと東南アジアで突発的に発生する熱帯地域の大雨を想像していたが、冷たい地域でもスコールは使えるらしい。私はずっと寒い地域の大雪はblizzard一択だと思っていたが、squallという選択肢もあるらしい。ちなみに2文目にあるtaper offには「徐々に弱まる、(弱まって)次第に止む」という意味がある。天候を表す際に使える便利な表現だ。併せてチェックされたい。それでは良い1日を。きたろう追伸、ついに本ブログのカウンターが10,000を突破した。今後とも海外の英語表現や留学の手続きなど有益な情報を発信していきたい。今後とも温かく見守っていただけたら幸いである。
2024.01.06
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「心の支え」を英語にするにはどうしたら良いだろうか。先日ピッタリの訳に偶然遭遇した。英語にしにくい日本語の表現は実は日常の中に埋もれていると日々感じている。私の友人は現在男手一つで生後2ヶ月の子供を育てている。子供の母親は子供には一切暴力を加えていないが警察官によって逮捕され現在拘置所にいるらしい。事前の調査もなく現行犯で生後2ヶ月の子供の母親を逮捕できるのだからアメリカの警察の権力は日本に比べて非常に強いようだ。銃社会であるが故に警官の権力を高めておかないと治安が維持できないというアメリカならではの事情もあるようだ。(私は逮捕された現場に居合わせたわけではないので、どのような経緯で彼女が逮捕されたのか全くわからない。友人の話では母親が自分で911に電話をして警察を呼んだ張本人が逮捕されてしまったのだという。それほど彼女は産後ホルモンバランスが崩れ錯乱状態の上、アルコールを大量に摂取しまったらしい。それが児童虐待と勘違いされたのではないかと私は勝手に思っているが、真相は正直わからない。)母親は誰とも接触できない上、子供との面会とも許されず精神的に参っていると友人は複雑な心境を打ち明けてくれた。食後の短い夫婦の電話が家族の絆を保っている唯一の手段なのだという。I am a mental spot for her right now. (今は僕が彼女のメンタルスポットなんだ)友人はさりげなくmental spotと言っていた。日本語にするとまさに「心の支え」がしっくりくるだろう。心が落ち着かせられる隠れ場のような意味合いだろうか。きっと声を聞くだけでも母親には大きな救いになっているだろう。母乳がないため、友人は粉ミルク(英語ではformulaという)を与えているが母乳と味が違うためかすぐに赤ん坊は吐き出してしまう。吐き出してはミルクを飲ませ、飲ませてはミルクを吐き出す。その繰り返しである。今は給料が出た状態で仕事を休めているが、ずっとは休めないらしい。アメリカの警察は母親を逮捕できてもその後のことは全く考えていないらしい。友人もこの制度には憤りを感じているらしく、警察に家族を引き離す権利があるのかと不満を漏らしていた。この大きな試練を乗り越えて家族がまた一つになれる日がすぐに訪れることを願っている。きたろう
2024.01.05
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ペットの後始末を英語で訳そうとしてもなかな的確な役が見当たらない。うまく訳せない時はうまくPhrasal Verb(日本語では句動詞と呼ばれる)で処理してみるとすんなりいくケースが多い。道を歩いていると以下のような標識に出くわした。Clean Up After Your Pet、つまり「ペットが歩いた後を片付けろ=あと始末をしろ」となるわけだ。 「犬のフン」という直接的な表現を避けた美しい婉曲表現(euphemism)ではないだろうか。出会った時に一人で立ち止まって感動してしまった。婉曲表現といえば足が早い食品に使われるperishableという表現を紹介した記事が記憶に新しい。(過去の記事はこちら)英語にはこのような婉曲表現が多々存在するのである。例えば、トイレ(toilet)はあまりに直接すぎるためにrestroomやbathroomが好まれる。ペットのフンはdropping(s)と言われたりするが、フンを「落下物」と呼ぶことも立派な婉曲表現だ。カフェに入って店内が混み合っていたとする。テーブル席が数席空いているが隣には見知らぬ人が座っている。このような状況で”I want to take this seat.”と言うとかなり高圧的な印象を相手に与えてしまう。文法的に誤りは全くないし、意味は通じるが英語圏の人は決してこのような英語を発しないのである。英語圏に一定期間生活したことがある人であれば”Is this seat taken?”/“Is someone sitting here?”/ “Do you mind if I sit here?”と言うだろう。自分が座りたいことを主張する前にこの席の利用状況を周囲の人間に確認するのである。ネイティブが習わずに自然と身につけるサバイバルスキルの一つである。このような言い回しを研究している学問がPragmatics(語用論、意味論)と呼ばれる分野である。学んでみると非常に面白いのだが、日本の英語教育は残念ながらこの分野まで行き届いていないような気がする。語用論を学んだところでなかなかテストのスコア向上に直結しないため授業内容から切り落とされているようだ。日本の言語教育が無味乾燥で文脈がないと批判されるのはこのような側面を無視し続けたからである気がしてならない。人が言語を生きるために用いてコミュニケーションをとっている以上、Pragmaticsは避けては通れないと私は考えている。しかし現実に目を向けるとどうだろうか。日本ではテストのスコアによって合否の結果が決まるテスト至上主義の風潮が非常に強い。Pragmatics(語用論)は教育産業のPragmatism(実利主義)によってその価値がかき消されてしまっている。語源は一緒で両者のスペルは非常に似ているが、内包する意味は全く異なる。言語を学ぶ際はその文法、単語がどのような文脈で使われるのか意識してもらいたい。なぜなら言語は文脈のない「真空(vacuum)」では存在できないからだ。ちなみに住んでいるアパートのキッチンにもこのclean up after〜という表現が使われている。今日も良い一日を。きたろう
2024.01.04
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I woke up in the morning of the New Year’s Day in the US to see the news that a powerful earthquake hit Noto peninsula region in Ishikawa, the north west coast of Japan on January 1st. The magnitude is reported to be 7.6 with seven in the Japanese seismic scale. There is a high risk of tsunami in the coastal area and subsequent earthquakes for the next couple of days. The evacuation order has been issued for the local residents. The casualty number is not yet available at this point and much remains unknown amid the ongoing confusions.The new year’s festive mood was suddenly disrupted by this natural disaster. We humans are all immune to the uncontrollable power of the Earth.An image of CNN reporting the earthquake as a breaking news. The world is deeply concerned about Japan. I pray for people in Ishikawa and those who are affected by the disaster.
2024.01.03
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オレゴンを旅している間、友人の自宅に何日かお世話になった。友人宅でいくつか日米の文化の違いを感じる瞬間があったので紹介したい。1.日本のお土産文化友人宅に泊めていただくことになったので東海岸のお土産をいくつか準備した。友人宅に着いてお土産を渡すと大変驚かれた。友人に「日本では他人のお宅にお邪魔する際はお土産を準備するのがマナーなんだ」と説明すると、友人は首を傾げた。友人曰く、アメリカでプレゼントを渡す際は双方向でなければならないという。片方だけがプレゼントを受け取ると受け取った側は不意打ちをされた形になってしまうらしい。なぜ日本ではわざわざプレゼントを用意するのか英語で説明を試みたところ、相手から「You are the gift!(お前がわざわざ来てくれたことが一番のプレゼントだ!)」と反論されてしまった。その言葉がグサッと胸に刺さったし、そう言ってもらえたことがすごく嬉しかった。日本のわびとさびの文化も非常に美しいが、物ではなく言葉で気持ちを表現する大切さをこの旅で教えてもらった気がする。2.アメリカでのテーブルマナー食事をしながら話題は食事中のテーブルマナーに及んだ。日本では食事前の「いただきます」、食事後の「ごちそうさま」を言うことが重要とされるが、アメリカではアメリカのテーブルマナーが存在するらしい。友人は子どもができたら以下の三つは必ず守らせたいと話していた。調味料を取る際、隣の人のお皿を跨いで手を伸ばさない。無言で席を立つ。肘をつきながら食べる。3については日本でも一緒のような気がするが、1と2についてはアメリカ独自のマナーのような気がした。アメリカでは食事中に立ち歩くことも行儀が悪いとされるため、調味料が欲しい場合はタイミングを見計らって“Could you pass me the salt, please?”と他人に取ってもらうようにするといいだろう。また、無言で席を立つと「料理が美味しくなかった」、「会話の内容が不適切で不愉快な思いをした」というメッセージを同席者に発してしまうらしい。必ず料理を出してくれた人への感謝の気持ちと”May I be excused?(席を立ってもよろしいですか)”と席を外すことを相手に知らせることが非常に重要らしい。家族での団欒を大事にするアメリカの家庭ならではルールだと思った。それは核家族化と共働きが急速に進む日本では薄れてきてしまっている光景なのかもしれない。物質的に豊かになっても家族での食事の時間は大事にしていきたいと話を聞きながら思った。「日本では音を立てながら食べることが許されるユニークな国だよね?」と質問があったので「麺類(ヌードル)を食べる時は音を立ててもいいけど、それ以外の食べ物に関しては基本的に音を立てるのは失礼になるよ」と回答した。友人はどうやら断片的な情報で拡大解釈してしまっていたらしい。味噌汁になぜかレンゲがあったりと日本人には理解できないことがアメリカでは起きていたりする。我々の理解する日本文化とアメリカの人々が理解する日本文化にはギャップがある。急速にグローバル化していく世の中でも文化の違いを感じる場面は多々存在する。そのギャップ一つ一つに遭遇するたびに留学は面白いと感じている自分がいる。レンゲ入りの味噌汁:きたろう
2024.01.02
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2023 is about to finish. I am still in the United States without returning back to Japan given the fact that the flight ticket back to Japan can exceed over $2000, which is obviously not easy to afford for an economically struggling student like me.I admit that the year 2023 was one of the most dramatic years that I have ever experienced in my whole life. I was admitted to a top graduate school that I longed for since 2020. I left Japan and embarked on my new academic journey in my mid-thirty. I spent some sleepless nights, being worried about the uncertain future of my journey brings. No matter how you think that you are strong and resilient, you can become fragile and vulnerable in a place, where you constantly are tested who you really are. Sometimes we must admit that we cannot survive alone and sometimes it is important to seek support around you. Another big concern was my family that I left in Japan. Apart from my family, I had to learn to live my own life without the support of my family, which I used to take it granted back in Japan. I realized that my family is a huge mental spot for me. Nothing can provide me a comfort and relief than a video chat with my family on weekends. Their bright smiles and cheerful voices are my source of my power that propels me forward. I am grateful that we are still virtually and mentally connected, although we are not allowed to see each other in person. Hopefully we will be reunited soon.The academics at graduate school was very demanding. They required me to read 100+ pages of scholarly journals and to submit brief reports on the readings on a weekly basis. I had a very difficult time catching up with the speed of coursework for a couple of weeks after the fall semester. I was just going back and forth between my apartment and the library almost everyday. In mid-November, I felt slightly more comfortable with the rigorous work at the institution. Surprisingly, I have made so many friends on campus, although most of them are almost ten years younger than me. Now I enjoy every moment of my classes. The professors constantly inspired me to push my boundaries. Coming this far, this journey made me think that it is never too old to learn something new. For someone who is pursuing a dream, age might be just a number that goes up each year. However silly it may sound, your journey will begin once you set a new goal. Your grit will take you there as long as your unflagging motivation continues. I would like to conclude my blog article by quoting Nelson Mandela. He said, “It always seems impossible, until it is done.” Most people unfortunately give up halfway through before even they start because they simply believe it is impossible. The truth is that no one knows the difficultly of the task until you buckle down to the business. We need to invest in our time and energy, believing in some potential return that we will earn from our investment. I will continue to work hard until I hit the wall. When I hit the huge brick wall, I will think how I can break or climb over the wall. Many thanks for your time reading my blog. May your 2024 be filled with great joy!
2024.01.01
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アメリカロードトリップ(その1)では旅の概要、アメリカロードトリップ(その2)ではロードトリップの注意事項について述べた。今回は美しいオレゴンの景観を紹介したい。Oregon Caves:残念ながら12月下旬はVisitor Centerが閉鎖されており鍾乳洞の中に入ることはできなかった。洞窟内には何万年もかけて自然が作り上げた大理石の彫刻が広がっている。次回オレゴンを訪れる機会があれば是非鍾乳洞ツアーに参加してみたい。今回はオレゴントレイルを少しだけ散策してきた。こちらも手付かずの自然が残されており歩き回るだけで日々の疲れが吹き飛びそうだ。奥の方は急勾配の山道となっているためしっかりした登山の装備が必要そうである。また、ここにきたらOregon Chateauも一緒に訪れたい。1934年に建てられ当時の面影を残している。国指定の建造物の一つだ。こんな立派な建物が山のど真ん中にあるから驚きだ。Oregon Caves Chatequ:Oregon trail:現地情報誌ライトハウス・シアトル:自然世界「南オレゴン」の蠱惑(こわく)(4)オレゴン・ケイブ Oregon Cavesについて知りたい方はReiichiro Kosugi氏のブログが大変有益である。日本語で書かれた記事では最もOregon Cavesについて書かれているサイトだ。Oregon Cavesの成り立ちやChateauについても詳しく書かれており訪れる前にこの記事を読んでおくべきであった。National Park Service:Oregon Caves National Monument & Preserve こちらのサイトでOregon Cavesの紹介がされている。ツアー参加を計画している方はこのサイトにある動画を視聴することをお勧めしたい。ビデオでも紹介されているが、簡単に注意事項を抜粋しておく。・40s°Fに適した防寒着・滑りにくく、トレイルに適したシューズ・天井が低く、曲がりくねった通路・500段以上の階段・低く突き出た岩の天井・子供は42インチ以上必要(ツアー中の子供預かりサービスはない)・バッグパックの持ち込み禁止(近くに荷物を入れるロッカーがある)予約サイト:Recreation.gov 見学ツアーに予約しないと鍾乳洞の中には入ることができない。こちらのサイトで事前予約が可能となっている。オレゴンの中核都市の一つであるユージーンから大体車で4時間か5時間ほどかかる。また、Oregon Cavesまでは予想以上に山道の連続で道幅も狭いため、十分注意して運転をしていただきたい。Oregon Coast:Eugeneから126号線を走り続けFlorenceに出た。そこでトイレ休憩をしたのちLincoln Cityまでひたすら海沿いの101号線をドライブし続けた。左には雄大な太平洋が広がり、右側にはオレゴンらしい生い茂った森が続く。波の音を聞きながら素敵な景色の中運転していると自分の日々の悩みがちっぽけな物にみえた。美しいものがあれば車を止めて海を眺め、景色を楽しんだら車に戻る。そしてまた綺麗な景色があれば車を止めて景色を楽しむ。この101号線は全てが自然が作り出した映画のセットのようであった。オレゴンのロードトリップに行かれる機会があればHeceta BeachやCannon Beachの二つは大変美しくお勧めだ。何時間眺めていても飽きない光景が広がっている。心が疲れた時、少し一人になって落ち着きたい時ににふらっと立ち寄りたくなる場所であることは間違いない。両サイドには広大な田園風景が延々と続いていて移動中も常に楽しめるのがオレゴンのロードトリップだ。今回オレゴンを旅して海、山、そして平地と全ての景色が楽しむことができた。次回来ることがあればMount HoodやCrater Lake、Painted Hillsあたりの東側のオレゴンも是非回ってみたい。豊かな自然、アットホームで温かいオレゴンの人々を名残惜しみつつ帰路に着いた。追伸、この投稿が今年度最後の投稿になります。8月中旬にこのブログを開設してから130日が経過しました。その間9400人近くの方がこのブログを訪問してくださりました。(2023年12月31日現在)皆様の足跡やコメントがこのブログを続ける原動力となっています。いつまで続くかわかりませんが、来年度も不定期に今のアメリカの様子をお届けできたらと思います。コロナと長引く円安で海外はいつの間にか遠い存在となってしまいました。ネットを介して海の向こう側に広がる世界と日本を近づけることができたら嬉しいです。いつも私の稚拙な文章をお読みいただきありがとうございました。2024年もよろしくお願いします。きたろう
2023.12.31
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前回のアメリカロードトリップ(その1)に続いてアメリカのロードトリップについて書きたい。スマホのアプリがカーナビの代わりになると前回の記事でお伝えした。今回は運転ルートを計画する際に注意した方がいいことをお示ししたい。ガソリンはこまめに入れる。無理な長距離移動は避ける。なるべく移動は日中に済ませる。現地の交通ルールを勉強しておく1:ガソリンをこまめに入れるガソリンはこまめに給油しておくことを強くお勧めしたい。人里離れた場所や山道はガソリンスタンドが一切ない。しかも次の町まで60マイル(約100キロ)なんてことは国土が広大なアメリカではよくある話だ。山道の途中でガス欠になって身動きが取れなくなってしまったら最悪である。助けを求めても人里離れていたらレッカー車が車で数時間はかかってしまうだろう。ガソリンメーターの半分を過ぎたら給油する習慣をつけておきたい。私は毎朝ハイウェイに乗る前に給油することを心がけた。それでも一日中運転すると一気にメーターの半分くらいまでガソリンを消費してしまう。次の目的地まで車で5時間〜6時間はアメリカではごく普通のことである。日本では考えられないが、このロードトリップ期間ほぼ毎日のように給油をしていた。ToyotaのCamryで決して燃費の悪い車ではないのにメーターがどんどん減っていくのはとんでもない走行距離が原因である。2:無理な長距離移動は避ける一日中休憩を含めずアクセルを踏み続ければ500マイル(約800キロ)くらいは運転ができるかもしれないが、かなり過酷なロングドライブであることは間違いない。今回のロードトリップでの1日の最長運転距離は270マイル(約434キロ)だったが、朝から夕方までほぼ運転をしていた。私のようなアメリカの道に慣れていない人であれば一日大体300マイルくらいが限界のような気がしている。この距離はハイウェイの有無、車線の数、交通状態によって大きく変動のであくまで参考の距離としていただきたい。3:なるべく移動は日中に済ませる運転は日中に済ませておくことを強くお勧めしたい。夜は視界が悪くなり事故の確率が高まる。また、山道は日没時間が早く暗くなるのが早い。山間部を通過予定の場合は明るいうちにうねり道を通過しておきたいところだ。日中の混雑を避けてあえて夜間に移動をするアメリカ人もいるが、それができるのは現地の運転に相当慣れているドライバーだからできることだと思う。4:現地の交通ルールを勉強しておく右側運転、左ハンドルということを除けばほぼ日本の交通ルールと違いはないのだが、アメリカにしか存在しないローカルルールが沢山存在する。例えば赤信号でも左側から車がきていなかったら右折できてしまう交差点が中にはあったりするのだ。また、スクールバスが止まっている時は追い越してはならず、バスが発車するまでずっと後ろで待っていなければならないルールも存在する。日本の交通ルールが世界のスタンダードだと思って運転すると痛い目に遭うだろう。事故が起きしまったら海外からやってきた外国人は非常に不利になることは明らかである。自分の身は自分で守らなければならないというのが海外生活の鉄則である。トラブルに巻き込まれないためにも事前に現地の交通ルールを勉強しておきたい。私の場合、アメリカの免許を取得した際に基本的な交通ルールを徹底的に頭に叩き込んだ。その知識が今回大変役に立ったと感じている。詳しくはアメリカの自動車免許を取得した際のブログ記事前編と後編を参照されたい。以上、アメリカでロードトリップを検討されている方の参考になれば幸いである。次回からはロードトリップで回った景色を載せながらオレゴンの魅力に迫りたいと考えている。日本での知名度はかなり低いがその魅力は無限大でその美しさは日本の尾瀬や白神山地に匹敵するのではないかと思っている。きたろう
2023.12.30
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以前の記事でお伝えしたとおり12月末に一週間ほどアメリカ西部オレゴン州へ旅に出ていた。ポートランド空港でレンタカーを入手し、人生で初めてアメリカでのロードトリップが始まった。アメリカは右側運転、左側ハンドルである。慣れるまでは左側の車線に入ろうとしてしまったり、ウインカーのシグナルを出すはずがワイパーになってしまったりと戸惑いの連続であった。空港で受け取ったレンタカー:Toyota Camry白のスポーツカータイプでなかなかいい感じだ。車内モニターはBluetooth連携も可能で、Google Mapsの地図をモニターに表示することができた。音楽アプリを開けば車内のスピーカーから音楽を楽しむことができて非常に助かった。ただし電波が飛んでいない山道や人里離れた地域に行くとデータの読み込みができなくなり、音楽が止まるだけでなく地図の読み込みもできなくなる。山道は基本一本道なのであまり迷うことはないと思うが、一つ曲がる箇所を間違えるだけで致命的なミスに繋がることも考えられる。長距離運転をする際は必ずルートの事前確認が必須だ。レンタカー会社でカーナビを借りることも可能だが、GPSの精度が非常に悪く正直使い物にならない。以前某レンタカー会社のナビを使用して到着地に全く到着できず酷い経験をした。それに比べてGoogle Mapsやアップルの内蔵アプリMapsの精度は素晴らしい上にどちらも無料のアプリだ。アメリカでロードトリップを検討している方がいたら是非Google MapsかMapsを強くお勧めしたい。スマホホルダーを事前に購入しておくと運転しながらルートを確認することができて非常に便利だ。スマホホルダーはアマゾンで大体10ドル〜20ドルくらいで購入できる。ルート:PortlandーBeavertonーEugeneーOregon CavesーAshlandーEugeneーFlorenceーLincoln CityーPortland詳細は以下のマップをご覧いただきたい。引用:Google Mapより借用ポートランドの上はワシントン州、アッシュランドの下はカリフォルニア州である。まさにオレゴン州を上下に横断した形になる。約810マイル以上(1310キロ)の長距離運転の旅を通じて新たな発見と出会いが沢山あった。人生初となるアメリカのロードトリップを通じて得たものをこのブログに書き記したい。今後アメリカのロードトリップを検討されている方の参考になれば幸いである。きたろう
2023.12.29
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30年近く日本に住んだ上でアメリカのクリスマスを経験するとその違いに驚かされる。大きな違い1:ほとんどのお店は営業していないそもそもクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日であって、クリスマス前後で盛り上がるショッピングセールとは全く関係がない。家族や友人同士が集まって家の中で暖をとりながら楽しく会食するのが一般的なアメリカでのクリスマスだ。日本ではお正月に親戚が集まって挨拶をするが、アメリカのクリスマスはそれに近いかもしれない。クリスマスシーズンに実家でゆっくりして年始は1月3日や4日あたりから仕事がスタートする。正月の三が日の感覚がアメリカには存在しないらしい。クリスマス前後は従業員が帰省してしまうため多くのお店(商業施設、飲食店)は営業していないのだ。クリスマスの日に街を歩いてみたが、営業しているのはクリスマスを祝わない中華料理店くらいで95%くらいのお店は閉まっていた。クリスマス前は街全体がクリスマスムードで活気づくがクリスマス当日はどこか寂しく閑散としている。クリスマス当日にクリスマスセールのために外を出歩く日本人とは大きな認識のギャップが存在する。大きな違い2:クリスマスは家族のイベントクリスマスというと恋人がプレゼントを交換する日というイメージが日本では強いがこれも行き過ぎた日本の商業主義によって作られたストーリーである。繰り返しになるが、アメリカのクリスマスは家族や友人同士が集まって家で楽しく会食するイベントである。イルミネーションに恋人たちが無数に集まる光景をアメリカが見るときっと違和感を覚えるだろう。アメリカでも各家庭が庭を電飾したりするが、大規模なイルミネーションは行われない。そしてイルミネーションスポットに入るために入場料を支払うというシステムも商業主義に駆り立てられた企業が作り上げた寓話に過ぎないのだ。アメリカの家庭が庭を電球で装飾するのは地域住民やその家に住んでいる子供たちを喜ばせるために行うものであり、そこに日本のクリスマスが求めるロマンチックな要素はあまり感じられない。もしクリスマスまでに恋人ができなくてがっかりしている若者がいたら是非安心してもらいたい。それは日本が独自に作り出したクリスマス文化で、本来のクリスマスの目的とは似ても似つかないからだ。クリスマス装飾をするのは構わないが、クリスマスの誤った価値観を押し付けようとすることには断固反対である。本来皆が愛を確認する日であるはずなのに、日本ではクリスマスと資本主義相まって持っている者とそうでない者の間で分断が生じてしまっていると思うのは私だけだろうか。近所の家:大きな違い3:クリスマスマーケットクリスマスシーズンになると公園や広場などでクリスマスマーケットが開催される。出店などが並び人々はクリスマスのオーナメントやキャンドルを購入する。また飲食店も並びローカルフードに舌鼓を打つ。ペンシルバニアのクリスマスマーケットでは即席のスケートリンクやメリーゴーランドも設置され子供達も喜ぶ場となっていた。クリスマスマーケットには老若男女が集まり、常に活気に満ちている。日本のクリスマスは一定の顧客をターゲットにしていてどこか排他的な印象を受けてしまう。もっとオープンで老若男女が楽しめるアメリカのクリスマスマーケットのような場が日本でも増えていってほしい。クリスマスマーケット:子供が楽しめるメリーゴーランド(1回5ドル):今日も良い1日を。きたろう
2023.12.28
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西海岸旅行中、夕食の買い出しのために友人とスーパーに行く機会が何度かありました。そこで出会った英単語をご紹介します。因みにこの英単語は有名な学習英和辞典にも掲載されておりませんでした。友人がYumm sauceというソースが見つからず店員に尋ねると、”That should be on the endcap of the last aisle.”と回答がありました。このendcapがどの辞書にも掲載されていなかったのです。日用的に使われていて使用頻度も高そうな単語なのに学習英和辞典に掲載されていないのは正直意外でした。このendcapは通路の端の陳列棚を指します。通路の内側より目立つこともありendcapはその通路の主力商品や新作商品が置かれていることが多いと思います。まだイメージがわかない方はこちらのサイトをご覧ください。Yumm Sauce:辞書にも掲載されていない単語を発見するととても嬉しいですね。自分だけが知っている単語のような気がして少し誇らしい気持ちになります。店員さんの発言の中にaisle(発音注意!)という単語が登場してました。これは「通路」という意味がございます。飛行機に乗った時もアナウンスで”Please make sure to clear the aisle all the time.”(通路を塞がないようにしてください)とキャビンアテンダントが話していました。というわけで本日はgrocery shopで頻繁に使われるendcapとaisleを紹介しました。きたろう
2023.12.27
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ブログの更新が滞っていたが、秋学期が終わったので西海岸に一週間ほど旅に出ていた。物価の高騰でどんなに安いホテルでも80ドル以上してしまう。奨学金に頼りながら生活する私にとっては痛い出費だ。しかし、折角異国の地にいるのに誰とも話さずずっと自分の部屋に引き篭もっていても面白くない。幸い西海岸に数名友人が住んでおり、友人の自宅を転々としながらロードトリップをすることにした。一週間の放浪記を順次本ブログに書き記していきたい。アメリカ人の友人宅にお世話になっている期間にアメリカ南部の伝統的な料理を教えてもらった。レシピを忘れる前にここに書き残しておきたいと思う。用意するもの:玉ねぎ大きいのを1玉〜2玉、ホワイトマッシュルーム、オイスターマッシュルーム(ない場合は別のエリンギ等でも代用可能と思われる)、牛の挽肉、ニンニク3つ〜4つ、卵3つくらい、バター、パン粉、黒胡椒、カイエンペッパー、グレイビーソースの素2〜3袋、まずは玉ねぎ、ホワイトマッシュルーム、オイスターマッシュルームを適当な大きさに切る。ニンニクは細かくみじん切りにする。牛の挽肉をボールに入れて卵とパン粉を入れて素手で揉み込むように混ぜる。混ぜながらニンニクを4分の3ほど足す。塩、黒胡椒を少々振りかける。均一に混ざったらハンバーグパティのように手のひらサイズに丸める。少しそこが深めのフライパンバターを入れて、十分にフライパンが温まったらパティを焼き始める。小さいコンロでグレイビーソースを作り始める。焦げないようにかき混ぜながら黒胡椒、カイエンペッパーを追加する。とろみがで始めるまで弱火で炒める。肉が両面ある程度焼き上がったら予め切っておいた具材(玉ねぎ、キノコ類)、残りのニンニクをフライパンに投入する。とろみがついたグレイビーソースをフライパンに追加する。中火で野菜とお肉を一緒に煮込む。再度カイエンペッパーを加える。(下の写真のような状態)しっかり中まで火が通ったら、お米もしくはハッシュドポテトの上に完成したハンバーグとグレイビーソースが絡んだ野菜を乗せる。煮込んでいる写真:野菜を早く投下しすぎると肉が生の状態になってしまうし、野菜の投下が遅れるとお肉が焦げて固くなってしまう。肉の焼き加減と野菜の追加のタイミングがカギを握っているようだ。本来はハッシュドポテトの上にハンバーグを載せるらしいのだが、ジャガイモがなかったため今回はご飯の上に乗せて食べることとなった。ご飯との相性がバッチリでまるでハワイのロコモコを食べているようであった。いつか家族にもアメリカの南部料理を振る舞ってみたい。料理の完成!きたろう
2023.12.26
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このブログでは以前連邦議会議事堂(The US capitol)を前編と後編に分けて紹介した。かなり時間が経過してしまったが、記憶を呼び起こしながらスミソニアン最新の博物館について書きたい。「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」(National Museum of African American History and Culture)は2016年9月にオープンした。開館のオープンニングセレモニーには当時大統領だったオバマ大統領も駆けつけ祝辞を述べた。奴隷がアメリカ大陸に連れてこられた経緯から奴隷解放運動、公民権運動、そしてヒップホップカルチャーと非常に充実した展示になっている。他のスミソニアン博物館に比べると小さく見えるが、地下3階、地上4階の巨大な空間が広がっている。ゆっくり展示を楽しみたい人は少なくとも3時間〜4時間くらい確保しておくことをお勧めする。他のスミソニアン博物館同様無料だが、大変人気のある博物館であるためオンライン上で事前の予約が必要となる。入り口でQRコードを係員に見せる必要があるため注意されたい。地下は主に黒人の1400年〜現代までの歴史の展示、地上の建物は黒人の文化を発信するコミュニティスペースとなっている。地下の展示:30名以上は収容できそうな巨大エレベーターに乗リこむと、ドアが閉まりゆっくりと下降する。壁には年号が刻まれており、下に降りていくにつれてその年号が遡っていく。まるでエレベーターがタイムマシーンで下に行くに連れて過去にタイムスリップしている感覚に陥る。エレベーターは1400年の年号になってところで止まった。まさに1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、入植者たちが未知の地で開拓を始めた時期である。白人は自由とチャンスを求める冒険者として、黒人は未開の地を整地する労働者としてアメリカの地にやってくる。地下3階は大航海時代のアメリカの展示が広がっていた。地下3階から地上に向かうに連れて現在に近づいていく展示の仕方になっている。テーマパークさながらの演出に驚いてしまった。生々しい展示に目を覆いたくなるような箇所もあるが、それが黒人が歩んできた歴史であり苦悩でもある。アフリカ系アメリカ人が自由を獲得するために歩み続けてきたレガシーがそこにはある。黒人の子供用の手錠(shackles)や奴隷保有者が奴隷を罰するために使っていたムチ(whips)、奴隷がモノとして扱われ売られた際に発行される売買契約書、厳しい環境に耐えられず逃げ出した奴隷を報じる新聞記事や見つけた者への懸賞金の案内など貴重な展示品の数々がある。人種隔離政策(segregation)の展示からも肌の色の違いによって生じた大きな格差社会を垣間見ることができた。地上に近づくにつれて、Martin Luther King. Jrや慈善家として活動するOprah Winfrey、アフリカ系アメリカ人初の大統領となったBarack Obama氏が登場する。地上に出ると前面ガラス張りの建物に自然光が差し込んできた。地下の薄暗い展示室から出てきた私にはその光が黒人がこれからの未来に抱く「希望の光」(a glimmer of hope)のようにも見えた。地上の展示:地上は主にアメリカで活躍したアフリカ系アメリカ人のスペースとなる。見どころはオリンピックや国内スポーツ(NFLやMLB)で大活躍した黒人選手の展示ある。きっとテレビで見聞きした選手の展示を見つけることができるだろう。選手が使用したスポーツ用品も展示されており、アメリカのスポーツファンにとってはたまらないスペースになっている。また、二階と三階は常に有名な黒人アーティストによる音楽が流れていて、視覚だけでなく聴覚からもアフリカ系アメリカ人の文化を学べるようになっている。有名黒人アーティストのレコードや音楽楽器の展示もあったので音楽が好きな方にお勧めしたい。地下の展示は薄暗く重厚感があったが、地上の展示は音楽やスポットライトのような照明が設置されており地下とは違うポップな印象を受けた。ワシントンDCに行かれる予定があれば是非訪問をお勧めしたい。オープニングセレモニーの一部はこちらから視聴可能である。きたろう
2023.12.18
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以前アメリカの大学キャンパス内でイスラエル-ハマス間の戦争に対する抗議デモが行われているとお伝えした。過去の記事はこちらを参照していただきたい。その抗議デモがきっかけとなって大学の学長が辞任に追い込まれるというショッキングなニュースが入ってきた。この事件を調べていくと、言論の自由(freedom of expression)はどこまで許され、学内の行動規範(code of conduct)の違反はどこから適用されるのかという非常に難しい問題に直面することが明らかになった。今回は学長が辞任に追い込まれたペンシルバニア大学に焦点を絞ってお話しすることとする。なるべく偏りがないように中立的な視点で出来事を時系列にまとめたい。9月25日:Palestine Writes Literature Festivalというイベントが催される。パレスチナ芸術、文化、ダンスなどが学内で発表されたという。ただし、この発表の中にはパレスチナ人をイスラエルから解放するよう求めたり、ヨーロッパの侵略及び植民地化を批判するような表現があったようである。その後数週間から数ヶ月にわたって、学内では不穏な空気が流れ始めたという。10月16日:100名以上のペンシルバニア大学コミュニティーの人々がメイン図書館の前に集まった。このイベントはパレスチナの一致団結を呼びかけるために結成された。また、学長であるLiz Magill氏の学内での対応の遅さへの抗議デモであった。その後、大小様々な規模の集会デモが学内で行われることになる。この辺りからパレスチナの旗が学内で散見されるようになる。10月20日:ペンシルバニア大学内のユダヤコミュニティーを中心に400名以上がイスラエルを支援するために学内をイスラエルの国旗やポスターを掲げながら練り歩いた。デモンストレーションを通じてユダヤコミュニティーに対する差別的な発言やハマスを擁護するような言動を学内から排除するようペンシルバニア大学に求めた。二回目の大規模デモは11月3日に行われる。11月14日:数十名のペンシルバニア大学関係者が学内の建物の1階一部を占拠し始める。この建物占拠はペンシルバニア大学のイスラエルーハマス戦争への対応を強く抗議するために行われた。この占拠は学内関係者が立ち上げたFreedom School for Palestineという組織によって行われガザ地区での戦闘行為の中断と戦争の休止(ceasefire)を強く求めた。建物に立て篭もった関係者には警察とペンシルバニア大学警備によるIDチェックが行われた。12月5日:ペンシルバニア大学学長であるLiz Magillが米国国会教育委員会(The United States House Committee on Education)で証言を求められる。聴取に招集されたのはLiz Magill氏に加え、ハーバード大学学長のClaudine Gay氏、マサチューセッツ工科大学(MIT)のSally Kornbluth氏、ユダヤに関する研究をしているPamela Nadell氏の4名だった。この聴取はインターネットで公開され、Liz Magill氏の一部の発言に対して批判が集まり始める。この聴取の翌日にペンシルバニア大学の公式インスタグラムでMagill氏は発言の修正と謝罪を迫られる。12月9日:Liz Magill氏がペンシルバニア大学に辞任届を提出する。11月下旬から12月中旬は学業が忙しく全くニュースを追えなかったのだが、12月5日のpublic hearingから一気に学内がバタバタした印象を受ける。因みに聴取で似たような発言を繰り返していたハーバード大学のClaudine Gay氏にも辞任を求める声が集まったが、大学当局はGay氏の続投を発表している。同じような批判が集まっても大学間で対応が異なるのは大変興味深い。東海岸の大学構内で行われているデモを通じてパレスチナーイスラエルの問題にも興味を持つようになった。双方にそれぞれ譲れない主張があり、事態の収束をしようと大学が取り締まりを強化するとそれがさらに火に油を注ぐ形となってしまった。国際問題は様々な利害関係が幾重にも絡み合っており一筋縄にはいかないことを目の当たりにした。ご興味のある方はアイビーリーグの学長が米国議員とどんなやりとりをしたのかユーチューブビデオもご覧いたければ幸いである。議会での聴取はこちら(全編)。参考資料:The Daily Pennsylvanian, December 7th issueThe Daily Pennsylvanian, December 11th issueきたろう
2023.12.17
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この一週間は学期末試験のためブログを全く更新できませんでした。学期末の図書館は席を確保するのが難しくなるほどアメリカの学生も必死に勉強に取り組みます。自分は一夜漬けが向かない人間であるため、コツコツと地道に積み重ねないと周りの人達についていけません。この数週間は夜の10時もしくは11時辺りまで図書館に篭って、家には寝るためだけに帰ってまた翌朝図書館に向かう生活を送っていました。全力を尽くしたレポートと試験がどうなっているのか楽しみです。さて、今日はスーパーで買ったグレープフルーツジュースに書かれた英語表現をご紹介します。因みに英語では100%の果汁飲料をjuiceと呼びます。それ以外の飲料にjuiceは使えないのでご注意ください。炭酸飲料はsodaと呼ぶことが多いですね。ラベルにあるperishable, refrigeratedは英検準1級レベルの単語でpasteurizedは英検1級レベルの難単語です。それでは早速意味を確認してみましょう。まずperishableは「(食べ物が)腐りやすい」という意味があります。腐るというとrottenという表現が思い浮かびますが、直接的すぎてそんな表現が書かれていたら購買意欲が湧かないですよね。こうゆう婉曲表現(euphemism)が英語にはたくさん存在します。この腐りやすいというのを受けてkeep refrigeratedとなるわけです。ここでは「要冷蔵」と訳すのが適切でしょうか。最後のpasteurizedはどのような意味でしょうか。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店書店)には「<牛乳・ビールなど>を低温殺菌する」とありました。パストゥール(Pasteur)というフランスの科学者・細菌学者から由来しているようです。つまり、低温殺菌を開発した人にちなんで「パストゥール化させる」というのが「低温殺菌する」という意味を指すことになります。温度の華氏を英語ではFahrenheitと言いますが、これもこの温度計を発明した人物に由来します。英語では発明した人物の名前をそのままその発明品の呼び名にしてしまう傾向が日本語よりも強いがします。それでは良い1日を。きたろう
2023.12.16
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以前書いたゴジラマイナスワンのレビューに続いて映画に関連した英語の表現を取り上げます。私の中でゴジラ熱が冷めならぬようなのでもう少しお付き合いください。X(元Twitter)を眺めていたら以下のような呟きを発見しました。“Godzilla Minus One” has become the highest rated blockbuster film of 2023 on IMDb. ここで注目したいのがblockbusterです。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「《略式》映画・本などの大ヒット作」と記載がありました。Merriam-Websterオンライン辞書にも以下のように定義されております。“one that is notably expensive, effective, successful, large, or extravagant” 引用元:Merriam-Webster Online Dictionary 人気を表現する際にこのblockbusterが頻繁に使われるようです。壁を破って爆発的に人々に受け入れられる様子を思い浮かべてもらえたらと思います。因みにここでのbustersは人ではなく人気を博した作品を指すのでご注意ください。 IMDbはInternet Movie Databaseの略でオンライン上での映画等の情報をまとめたデータベースサイトの総称のようです。ゴジラマイナスワンが2023年に上映された映画の中で最も高い評価をIMDb上で獲得したことを報じるニュースでした。ゴジラマイナスワンの北米での快進撃はまだまだ続くようです。P.S.ちなみに私はいつもblockbusterと政治でよく使われるfilibusterを混同してしまいます。(汗)あとbusterといえばゴーストバスターズ(Ghostbusters)(1984)でお馴染みですね。ここでのbustersには「破壊者、やっつける人」という意味があります。 これも初期のCG技術を用いた画期的な作品なので映画が好きな人には観てもらいたい作品です。きたろう
2023.12.09
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82年前の12月7日早朝(日本時間では8日)、突然旧日本海軍がハワイオワフ島の米軍太平洋艦隊の拠点に奇襲攻撃を仕掛けた。その攻撃によって米軍は壊滅的な被害を受けた。アメリカの主力戦艦とされる「アリゾナ」と「オクラホマ」がこの攻撃によって海底に沈んだ。早朝の奇襲攻撃をアメリカは想定しておらず、戦艦4隻と航空機180機以上が一瞬にして破壊され、兵士民間人含め多くの死者数を出した。この出来事が引き金となって日本とアメリカは戦争状態に陥り、他国も巻き込みながら第二次世界大戦が始まった。アメリカは”Remember Pearl Harbor”を合言葉に国民が一致団結し、ムードは戦争一色となる。日本軍による奇襲攻撃は壊滅的なダメージを与えたが、結果的には武器の製造力、資源、兵士の数でも圧倒的に上回る米国を本気にさせてしまったのだ。アメリカで購入した手帳にはしっかり以下の文言が7日の欄に刻まれていた。"National Pearl Harbor Remembrance Day"日本の歴史の教科書では真珠湾攻撃は12月8日に行われたと記載されている。たかが数十時間の時差による違いかもしれないが、そこには埋めようとしても埋められない溝が存在する。どちらが正しいかはさておき歴史はいつも我々が生まれ育った国の視点で描かれるのが常である。グローバルな時代で生きる我々には偏りが生じないよう片側の視点だけでなく、両サイドの視点から客観的に史実を眺める必要があると感じる。我々が玉音放送が流れた8月15日に黙祷を捧げるようにアメリカの人々は12月7日にパールハーバーでの出来事に思いを馳せる。(日本が正式に連合軍に敗戦を宣言したのは1945年9月2日、米国戦艦ミズーリの船上で調印式とされる。)ウクライナやガザ地区で起きている状況を目の当たりにすると平和は尊く、そして脆いように思えてしまう。先人が紡いできた平和をこれからも大事にしたいものだ。写真:海底に沈む戦艦アリゾナ真珠湾には今も燃料タンクから漏れた重油が浮いている。戦争の生々しい傷跡だ。きたろう
2023.12.08
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。友人7人と試聴した映画は日本を代表する映画制作会社東宝が配給元である「ゴジラマイナスワン(Godzilla Minus One)」である。ゴジラが誕生してから70周年、そして記念すべき30作目となる節目の作品だという。それだけに東宝の気合いを感じた。監督はALWAYS 三丁目の夕日(2005-2012)、永遠のゼロ(2013)、STAND BY ME ドラえもん(2014)を手がけた山崎貴監督。主演はNHKの朝ドラも務めた神木隆之介、浜辺美波の磐石のキャスティングである。妖怪大戦争(2005)を映画館で観た者としてはあどけなさが残る神木君(もはや君付けでは失礼)が大物俳優になっていて時間の経過を感じずにはいられない。幼少期からゴジラを見て育った自分にとってアメリカで日本の映画を見ることはなんとも不思議な経験であった。原子力核兵器の実験で生まれたゴジラは人間の生活圏に侵入し破壊を繰り返す。世界の征服を試みる絶対的権力者が作り出したメカキングギドラとメカゴジラさえ生身のゴジラには敵わない。ゴジラの前では人間は無力であり、ゴジラは生態系のトップに君臨する神のような存在なのだ。それはゴジラの英語表記からもお分かりだろう。ゴジラをGOJIRAではなく”GOD”ZILLAでなのだ。決して人間や他の怪物たちと手を組むわけでもなく、敵を倒すと深い海の中に戻っていく。まさに孤高の生物界の王者と呼ぶべきだろうか。今回の映画では初期のゴジラのオマージュとも言える作品だろう。時代背景の設定も私が観てきた映画の中で最も古く、「特撮の神様」とも呼ばれた円谷英二が編み出したミニチュア模型を用いた撮影技法(電車が行き来する場面等)がふんだんに用いられている。また、昭和の景色が特殊映像技術で美しく表現されていると思いきやALWAYS三丁目を手がけた山崎貴監督が指揮を取っていると知り合点がいった。つまり、この映画は日本の強みとされるミニチュア模型を用いた特撮手法と最新のVFX技術が融合した前代未聞の映画作品と言えるのではないだろうか。内容は勿論だが映像だけでも十分に楽しめる作品となっているのだ。初期のゴジラのモチーフを踏襲していると思える箇所はゴジラと核兵器との関係性である。大学生の頃一般教養(通称パンキョー)で履修した社会科学の授業でゴジラの初期の映画を視聴した。試聴後に教授が学生にこう言い放った。「ゴジラは原子爆弾だ。そう考えるとゴジラは単なる怪獣映画ではなくなる。」幼少期からゴジラのファンであった私にとってそれは衝撃の事実であった。ゴジラは自然界に元々いた生き物ではなく核兵器の実験によって誕生した怪物であり、人間が生み出す核兵器の象徴でもあるのだ。ゴジラの破壊は核兵器の破壊をほのめかしていて、ゴジラへの恐怖は我々が作り出した核兵器への恐怖を意味しているのだ。実際にゴジラマイナスワンでもビキニ沖の水爆実験の描写があり、ゴジラの誕生背景が忠実に再現されている。また、ゴジラが登場する前に深海生物が浮きだすという現象も水爆実験による被害を暗示していると思えば、説明がつく。このような細かい設定からも山崎監督のゴジラの原点へのこだわりが感じられる。時代が第二次大戦直後の日本(1940年後半)で主人公が特攻隊にも関わらず戦禍を生き延びた兵士という設定はかなり大胆だ。戦争は様々な人の思いが交錯し、場合によっては制作者側が意図しない感情を生み出す可能性が大いにある。ましては第二次世界大戦中日本はアメリカと戦っており、当時のアメリカからしたら日本は敵対国である。米軍の船に飛行機ごと突撃することを命じられた特攻隊(Kamikaze Pilot)が私の隣に座っている友人にどう映るのか正直想像がつかなかった。また、戦後の貧しい昭和の時代背景も事前の情報が必要なはずである。戦争というセンシティブな内容、そして戦後の時代背景は非常に複雑ですんなり受け入れられるとは言い難い。北米での上映決定は少なからずリスクがあり、大きな賭けだったに違いない。最後に主人公である敷島がゴジラに突撃する場面がある。私はこのシーンがある映画の場面と重なって見えた。ずっと気になっていたが最後のエンドロールで「永遠のゼロ」を撮影した山崎貴監督の名前を見つけてすべての謎が解けた。「永遠のゼロ」では米国の戦艦に突撃する宮部久蔵(岡田准一)するシーンがある。パイロットの宮部の表情には曇りがなく、ただ一点だけを見つめている。余計なBGMはなく画面に映し出された顔を観客は見つめる。映画館の静寂に包まれた暗闇の中、映画の登場人物と見つめ合う演出は今まで経験したことがなく脳裏に焼き付いていた。「永遠のゼロ」と「ゴジラマイナスワン」の唯一の違いはその後のストーリーの有無である。「永遠のゼロ」では特攻隊が戦艦に向かう途中で幕を閉じるのに対し、「ゴジラマイナスワン」はその後が描かれる。絶望の中(マイナスワン)の中でもあがき、もがく中で命の尊さや生きることの大切さを山崎監督はゴジラに込めたのかもしれない。ゴジラ映画なのにエンディングで泣きそうになるのは監督がゴジラとヒューマンドラマという通常決して相容れない2つを一つの映画に凝縮したからかもしれない。ゴジラが破壊を繰り返すだけの映画であればゴジラの人気はとっくに衰えていただろう。怪獣であるにも関わらずどこか人間らしく人情深い部分がゴジラにはあるのだ。ゴジラには少年の心を鷲掴みにして離さない魅力があるような気がしてならない。今回ゴジラマイナスワンが公開されてゴジラの人気は日本を超えてアメリカに到達していることを肌で実感した。「ゴジラマイナスワン」がアメリカでどのように受け取られるのか非常に楽しみだ。映画を視聴した後もゴジラの咆哮とゴジラのテーマソングが脳内でループしている。留学のブログなのに映画のレビューを書いてしまい大変恐縮である。ゴジラ愛に免じてお許しいただきたい。「ゴジラマイナスワン」公式ホームページより引用きたろう
2023.12.07
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先日は友人に誘われてアメリカの映画館で映画を鑑賞した。アメリカの映画館が10数年前と比べて変貌を遂げていたのでそのことについて今日は書きたい。(ワシントンの旅行記を楽しみにされていた方がいたらすみません。時間ができた時に続きを書きたいと思います。)今回お世話になった劇場は私の住んでいる地域では最大手のAMCである。土地が広大にあるアメリカならではスタイルである。複合施設ではなく、映画専用の建物で入り口から両サイドにシアターが広がっている構造だ。まず、驚いたのはシートの広さである。横幅は日本の映画館シートの1.5倍はあるだろうか。飲み物を置き場も二つ用意されている。特筆すべき点は全席完全リクライニングシートになっていることだ。足を完全に伸ばした状態で映画を楽しむことができるのだ。これは非常に贅沢な映画の視聴方法だと思った。10数年前にはこれほど豪華なシートはなかった。言葉では説明しづらいので以下の写真をご覧いただきたい。映画はレイトショーで22時30分からスタートした。フルリクライニングではあまりにも心地よくて途中で眠りに落ちてしまいそうだったので水平にならない程度に傾けることにした。昔は10ドル前後で映画を観ることができた記憶があるが、コロナで客足が遠のいてしまったのかチケットの値段は日本の水準に近付いてしまっていた。一人当たり$14〜15あたりが相場だ。ポップコーンや飲み物をオーダーするなら$20〜25程度用意しておいた方がいいだろう。それにしても先週の金曜日は濃い1日であった。夕食を友人8人で食べた後22時30分過ぎから映画をみた。映画試聴後は友人の家に戻って朝の3時か4時辺りまでテレビを見ながら談笑した。30歳半ばの私にとっては12時過ぎ辺りから10歳以上年下の若者のエネルギーに圧倒されてしまいバッテリー切れ状態になってしまった。1年前まで朝7時30分から夜遅くまでせっせと働き会社員をしていた自分がアメリカの地で学生生活を送っている。友人宅でお酒を片手に友人とゴジラの感想を英語で述べている。体力的に毎週は出来そうにないが、学期に1度か2度はこんな日があると非常にいい気分転換になる。映画に誘ってくれた友人に感謝したい。次回はゴジラマイナスワンについて簡単なレビューを書きたい。(ネタバレ注意)きたろう
2023.12.06
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前回の記事に続いてThe US Capitolツアーの概要のこのブログに書き残しておく。今後ワシントンDCを訪問する方の参考になれば幸いである。ツアーは10分程度の連邦議会議事堂の建設歴史や連邦議会の役割を説明するビデオから始まった。ビデオの中で何度も強調されていたフレーズが”e pluribus unum”というラテン語だ。アメリカ合衆国のモットーとされていて英語に訳すと”Out of many, one.”、日本語に訳すと「多くの中から一つに」(筆者訳)となる。各州の多様性を重んじつつも一つの国としての結束を大事にするアメリカらしい標語である。アメリカ紙幣にもフレーズが刻まれているので、日本円から米ドルに換金する機会があればぜひ”e pluribus unum”を探して欲しい。南北戦争(The civil war)で兵士が血を流している間も建設が行われていたというから驚きだ。まだまだ国が形作られていない状況下で国の未来のために人々は連邦議会議事堂を建設していたことになる。また、ガイドによると多くの黒人奴隷もこの議事堂建設に関わったらしい。裏返すとピラミッドの建設同様、奴隷制度がなければこんなにも巨大で荘厳な建築物は不可能だったのかもしれない。巨大な歴史的建築物に圧倒される一方で権力を具現化するために奴隷が払った犠牲を我々は忘れてはならない。実際にビジーセンターの中央空間は「奴隷解放ホール(Emancipation Hall)」と呼ばれている。議事堂建設に多くの奴隷労働者が関わったためその功績を称えるために名付けられたという。The US capitalツアーの最大の見どころはロタンダ(the Rotunda)と呼ばれる連邦議会議事堂中心部にあるドームである。この作品はConstantino Brumidiによって1865年に描かれたという。作品の名前は「ワシントンの神化(The Apotheosis of Washington)」。ガイドによるとこのロタンダに描かれたフレスコ画(Fresco)には無数の象徴(symbolims)があるという。中央にいるのが建国の祖で初代アメリカ大統領を務めたジョージ・ワシントンである。フレスコ画が頭上に描かれているため、まさに雲の上にいる神格化したワシントンを見上げているようである。左手を挙げ、右手は本を指している。まさに大統領演説前の宣誓(inaugural oath)のようである。ワシントンを囲んでいるのが13人の人々である。この13という数字にも意味があって一人一人が当時の東部13州を表している。アメリカは入植当時東側の13州で始まりその後西部に開拓し拡大していった歴史を持つ。アメリカの地図を見てもらうと右側の州は西部の州に比べて小さく曲線が多いのがお分かりだろう。これは最初の13州の名残が残っているためである。西部は広大で区切りとなるような大きな山や川がないため、人工的に州の境目を作っていった。州の区切り方はアメリカの歴史が色濃く反映されている。そして、忘れてならないのが冒頭にも登場した”E PLURIBUS UNUM”という標語である。建国の時からこのフレーズが存在し、この国を形作ってきたことを示している。この絵からいかにキリスト教の教えがアメリカに浸透しているかお分かりだろう。アメリカの国家を聞いても”God”が登場するし、紙幣にも”In God We Trust”と刻まれている。移民の流入によって宗教の多様化が進んでいるアメリカだが、原点にはキリスト教があることがこの絵画から強く伝わってくる。フレスコ画の下にあるのがフリーズ(Frieze)と呼ばれる帯状の装飾がある。帯状になっていて写真に収めるのが難しかったのでここでは一部だけ紹介するが、アメリカの建国からの歴史が刻まれているという。写真右側に映っているのがアメリカ大陸を発見したコロンブスを乗せた船だそうだ。そして、左側に映っているのが初めて有人飛行に成功したライト兄弟と彼らが開発した飛行機だという。つまりフリーズにはサンタマリア号がアメリカに到着した1492年からライト兄弟が飛行機のプロトタイプを完成させたアメリカの数百年の歴史が描かれていることになる。アメリカの歴史に詳しい方なら1日中滞在したくなるような空間であることは間違いない。ロタンダの隣が彫刻ホール(Statue Hall)となっていて各州を代表する著名人の彫刻が並んでいる。彫刻の完成度とホールの美しさに言葉を失ってしまった。ホールの美しさには訳があって、このホールは下院の本会議場として以前使われていたらしい。国の政治がまさにこの場所で行われていたと思うと身震いがした。他にも沢山貴重な展示があったのだが、この辺りで筆を置きたいと思う。ワシントンDCは政治、司法、行政の中心であると同時に文化発信の拠点であることは間違いない。次回は国立アフリカ系アメリカ人博物館、リンカーンメモリアルについて書くつもりだ。きたろう
2023.12.04
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美しい白亜のドームを中心に南北に伸びる巨大な建造物がワシントンD.C.にある。各州から選ばれた議員(Congressmen)がこの建物の中で日々議論に議論を重ね国の重要課題に取り組んでいる。実はこのCapitolは建物中に入ることがあり、見学ツアーも実施されていることはあまり知られていない。私も見学ツアーがあると知らず、当日の朝にツアーの存在を知った者だ。予約していないと入れないかと思いきや、荷物検査をして建物内部に入ることができた。係員から”Do you have a reservation?”と聞かれた。追い出されるのを覚悟して”I’m afraid I don’t.”と答えると、”Okay, that’s fine. Just go down stairs and find a board that says ‘a tour without a ticket’. Then wait in line until you are called”と言われた。さすがスミソニアンミュージアムも無料で公開しているアメリカだけある。国の資産を一般市民に公開しようとする姿勢が素晴らしい。ワシントンD.C.に訪れたらスミソニアン博物館と併せてCapitolもおすすめしたい。ワシントンD.C.は計画された都市でこの議事堂を中心に都市が形成されている。つまり、この議事堂を中心に東西南北が決められ、住所や通りの番号もこの議事堂を基準に振られているのだ。政治のみならずアメリカの首都ワシントンD.Cの中心なのである。右側(北側)の建物が上院(Senate)で左側(南側)の建物が下院(House of Representatives)となっている。アメリカは2院制を採用しているため、同じ建物であっても上院と下院は完全に独立しているようだ。間近で見ると大変迫力がある。連邦議会といえば大統領の就任式が行われる場所としても有名だ。新しく任命された大統領が誓いの言葉を述べるシーンを見たことがある人もいるのではないだろうか。実はこの連邦議会は2021年1月6日、トランプ元大統領の熱狂的支持者によって襲撃されているのだ。トランプ元大統領が”The election was stolen!”と選挙の不正を主張し、X(元Twitter)で襲撃を呼びかけたとされている。バイデン現大統領就任直前で起きた事件でアメリカの政治分断の根強さをアメリカ全土ならず全世界に印象付ける結果となった。また、民主主義を牽引するアメリカで起きたショッキングなニュースは世界を駆け巡り、アメリカの民主主義の歴史に汚点を残してしまった。長くなってしまったので内部については後日綴ることとする。きたろう
2023.12.03
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Baltimoreの次に向かった目的地はアメリカの首都であるWashington D.C.である。こちらでは国会議事堂、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館、リンカーンメモリアル、第二次世界大戦記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、ホワイトハウスを見学した。全ては網羅できないと思うが、記憶が新しいうちにこちらのブログにも順次書き残したいと思う。フィラデルフィアに帰る当日はバスの発着所であるUnion Stationに16時50分までに着く必要があった。友人とジョージタウンエリアでブランチを楽しんだ後、15時50分頃余裕を持ってUnion Stationに向かうことにした。ホワイトハウスあたりまでは順調に駅に近づいていたのだが、ホワイトハウス周辺で事件があったのか警察車両が道を塞いでいて大渋滞が起きていた。また、サンクスギビング休暇最終日ということもあって道路全体が混み合っていた。時計に目をやるとすでに16時15分過ぎになっていた。流石に焦り出してバス運転手に今後の予定を聞いてみると”I want you to back away.(後ろに下がっていなさい)”としか言われない。Googleマップで調べてみると徒歩で27分と表示された。UberかLyftの選択肢も残されているがこの渋滞ではなかなか思うように進まないだろう。しかも、配車にどれほどの時間がかかるのかすらわからない。外は冷たい雨がしとしとと降り注いでいた。さてどうするか。決断の時は迫っていた。このままではバスに乗り遅れて最悪の場合フィラデルフィアに帰れなくなってしまう。ここでずっと考えていても打開策はないだろうと判断し”I don’t want to get stuck here forever.”と呟きながら外に飛び出した。走り始めた時にはすでに時刻は16時25分になっていた。雨が降りしきる中とにかく全力で走った。周囲はだんだん暗闇に包まれ街灯が点灯し始めた。予報は5℃前後となっていたが、雨と風の影響で体感はきっと2℃くらいだろう。ふとアカデミー賞を受賞したトム・ハンクス主演のForrest Gump (1994)という映画にも主人公がワシントンD.C.を全力疾走する場面があるのだが、走っている間ふとそのシーンが記憶の片隅から蘇ってきた。30代半ばになって雨が降り注ぐ中ワシントンの市街地を全力疾走しているアジア人がどこにいるだろうか。幼少期のForrest Gumpは足が悪く友人からいじめを受けるが、足がとてつもなく速く、その特技を活かしてアメリカンフットボールを始めて大活躍をする。走りながら自分とForrest Gumpをどこか重ねていた。この旅がどのような結末を迎えるのか自分でも全く想像がつかない。しかし、とにかくForrest Gumpのように足が動く限り走り続けよう。きっと自分を信じて走り続ければどこかに辿り着くはずだ。Forrest Gumpの中で有名な一節がある。“Life is like a box of chocolates, you never know what you’re going to get.”(人生はチョコレートボックスのようだ。何が得られるかわからない。)16時46分にバスに飛び乗った。激しい息切れにバスの中の乗客から好奇の目なざしでみられた。気温差でメガネは一気に曇り始め周囲がよく見えない。気温は5℃以下のはずなのに身体中が燃え上がるような熱を帯びていた。座席についてようやく私は胸を撫で下ろした。こうしてトラブルに見舞われつつも3日間における旅は幕を閉じたのだった。バスは漆黒の闇に包まれた中ハイウェイをただただ進み続ける。座席横の窓に映る自分の顔を見つめながら再度ゆっくりとForrest Gumpの一節を口ずさんでいた。“Life is like a box of chocolates, you never know what you’re going to get.”ユニオンステーション前の各州の旗。ジミーカーター元大統領夫人のロザリン・カーターが11月19日に逝去された。それを受けての半旗掲揚と思われる。それでは良い1日を。きたろう
2023.12.02
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BaltimoreのPoeの家から徒歩で約15分歩いたところにあるWestminster Burying GroundにPoeは今も安らかに眠っている。このモニュメントは1875年の11月に建てられたらしい。Baltimoreの市役所を設計したGeorge A. Frederickによってデザインされ、建設に10年の歳月がかかったという。Frederickはこのモニュメントに対して以下のコメントを残している。“My idea in designing this monument was to produce something simple, chaste, and dignified, to strike more by graceful outlines and proportions than by crowding with unmeaning ornament.”派手な飾り付けはせずにシンプルの中に美を追求したことがうかがえる。1847年に結核で息を引き取ったPoeの妻であるVirginiaと1871に亡くなった義母であるMariaも1885年にこの墓地に移され、1977年には二人の名前もモニュメント追加された。Westminster Churchの裏側にはPoeがはじめに埋葬されていた墓石がある。墓石の近くにはRavensの羽がそっと置かれていた。Poeは私の研究外なのだが、今回Poeにまつわる場所を巡り非常にPoeという人物に興味が湧いた。休暇中にPoeの作品を読んでみたいと思う。コナンドイル、江戸川乱歩、漫画「名探偵コナン」の生みの親である青山剛昌氏にも多大な影響を及ぼしたとされる推理小説の生みの親の苦悩多き人生から学べることはたくさんあるような気がする。エドガーアランポーの簡単な半生についてはこちら。きたろう
2023.12.01
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9月上旬の記事でPhiladelphia市内に唯一残るEdgar Allan Poeの自宅を紹介した。今回はBaltimoreにあるEdgar Allan Poeの自宅を紹介したい。前回紹介した家は1843年から1844年の間、Edgar Allan Poe、彼の妻であるVirginia、義母のMariaが住んでいた自宅であった。彼の代表作の一つである「黒猫」や暗号小説の草分けとされる「黄金虫」はPhiladelphiaの自宅で書かれたと言われている。今回紹介する家はそれよりも前にポーが数年住んでいたとされる家である。ここで祖母Elizabethが所有する家に転がり込み、従兄弟のVirginia(のちに結婚してポーの妻となる)とHenry、叔母のMariaと暮らしていた。Baltimoreの中心地から少し離れた場所にあり決して裕福なコミュニティとは言い難い。5人が住むには狭い家だ。当時のPoeが置かれていた厳しい経済状況がこの家から伝わってきた。建物入り口:バックヤード:この家でPoeは詩人からから小説作家に転身することになる。この家で”Berenice”をはじめとした作品が誕生した。また、1835年9月21日にVirginiaとの結婚式がBaltimoreの地で執り行われた。その約14年後の1849年10月7日にPoeはこのBaltimoreの地で謎の死を遂げる。まだ40歳での早すぎる死であった。残念ながら私が訪れた日は博物館の休館日で中に入ることは許されなかった。しかし、Philadelphiaの自宅とBaltimoreの自宅を巡ることでEdgar Allan Poeの素顔に迫ることができたような気がする。アメリカのみならず世界を代表するミステリー作家は没後約170年が経っても私を魅了し続けている。次回はEdgar Allan Poeが眠る墓地を紹介する予定だ。きたろう
2023.11.30
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ベーブルース博物館の展示物が非常に興味深く今回で2本目の記事となる。1本目はベーブルースの野球の成績について紹介した。今回はベーブルースと日本野球の関わりに焦点を絞ってみたい。ベーブルースの名が日本でも知られているのには訳がある。1934年10月28日にベーブルースを含めたアメリカのオールスターが日本で親善試合をするために来日していたのだ。東京での歓迎は凄まじく、パレードでは米国野球界のスーパースターを見るべく人が殺到した。その後阪神甲子園球場で行われた試合には80,000ものファンがチケットボックスに並んだらしい。博物館にはベーブルースが日本から持ち帰ったとされる品が多く展示されていた。まさかアメリカの野球選手の博物館にやってきて日本の国名を目にするとは思わなかった。宿泊先であったであろう帝国ホテルがプレゼントした旅館浴衣が展示されていた。ルースの娘のJulieによるとルースは米国に帰った後も日本の浴衣を寝巻きに使用していたらしい。確かに実際に展示品を見ると首回りが擦れてほつれており、使い古されている印象を受けた。またその近くには阪神甲子園球場と阪神タイガースが博物館に寄贈したレリーフが置かれていた。さすが2023年に日本シリーズで優勝するチームだけあって行き届いた配慮に驚いた。書かれていた英文と日本語訳をご紹介する。英文:“Babe Ruth was part of a team of American All-Stars who toured Japan in 1934 and played at Hanshin Koshien Stadium. That visit and Ruth’s tremendous appeal to the Japanese people, led to the birth of the baseball culture there. This is a replica of a sculpture from Hanshin Koshien Stadium, a baseball icon in Japan. Sculptor Yutaka Matsuoka was commissioned to create the piece to commemorate Ruth’s visit and friendship. This plaque is presented by Hanshin Koshien Stadium and the Hanshin Tigers baseball team to celebrate the opening of Sports Legends at Camden Yards, and to recall the US-Japan baseball cultural exchange and friendship between the two countries started by the Babe, with hopes of building a stronger relationship through baseball.”日本語:「ベーブ・ルースは、1934年全米オールスターチームのメンバーとして訪日し、阪神甲子園球場で素晴らしいプレーを披露した。ルースの訪日は、日本中に野球本来の愉しさを伝え、今日の日本の野球文化の礎を築いた。このレリーフは、日本を代表する野球場、阪神甲子園球場がその親善の偉業を称え、彫刻家松岡氏に依頼し、制作したものを復刻したものである。この度総合スポーツの記念館が新設されるにあたり、日米野球文化の友好の歴史を偲び、これからも野球を通じた友好関係が広がることを願って、阪神甲子園球場と阪神タイガースが共同で、ここに贈呈する。」さすが日本の野球の聖地である甲子園ならではの粋な計らいだ。しかもこの博物館の素晴らしいところはベーブルースの展示にとどまらないことである。なんと日本のホームラン王である王貞治のバットまで置かれていた。王貞治の言葉がまた素晴らしいのでご紹介させていただく。(王貞治が活躍していた頃はまだ私は生まれていないので、英文から王貞治の発言を再現してみたい)英文:“714 was just a number for Babe. Even though his record was later surpassed by others, it doesn’t mean they are better than him. He was more than a home run hitter…he was a superstar who still lives at the summit of baseball history. No one can deny this history.”日本語訳:(筆者訳)「714本はベーブにとって数字に過ぎない。きっと彼の記録は誰かによって塗り替えられるが、それは彼よりも秀でているというわけではない。ベーブはホームランバッター以上の存在なんだ。彼は野球史の頂点に君臨するスーパースターだ。誰もこの歴史を否定できない。」記録を塗り替えてもリスペクトの気持ちを忘れない王貞治の謙虚な気持ちに心が洗われる気がした。このベーブルースが来日してから約15年後に第二次世界大戦が始まり、日米両国の友好ムードは一気に冷めて敵対国となってしまう。日本兵は米国兵に向かって”To Hell with Bebe Ruth(ベーブルースと一緒に地獄に落ちろ)”と叫んで侮辱していたという。アメリカ人のベーブルースへの愛を逆手に取ったのだ。あれだけ愛されていたのに、政治的状況によってその愛は憎悪に置き換えられてしまう。戦争の主導者はありとあらゆる手段で憎悪を増幅させる手段を探る。ベーブルースも憎悪を生み出すための材料に使われてしまったのだ。ベーブルース博物館は野球の楽しさのみならず、スポーツの尊さも教えてくれる貴重な博物館だ。戦争によって引き裂かれてしまったが、近年アメリカで野球をする日本人が増えてベーブルースの人気は高まっている気がする。日本人はベーブルースを愛し、ベーブルースは日本を愛していたのだ。スポーツが育む慈愛の心は清く尊い。この博物館でアメリカ人の野球への愛、また日米野球の関係についても学ぶことができるだろう。入館料は大人$13、子供5歳~13歳$7、シニア$11となっている。バルティモアに立ち寄った際はぜひお勧めしたい。私のようなにわか野球ファンでも十分楽しめる。きたろう
2023.11.29
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今回はオリオールズで台頭を表したベーブルースがレッドソックス、ヤンキースに移籍した頃に絞ってベーブルースが残した偉大な記録を綴りたい。ベーブルースは1914年7月9日に$160,000でオリオールズからレッドソックスに移籍することになる。レッドソックスでは6シーズン在籍し、レッドソックスを3度のワールドシリーズチャンピオンシップに導いた。1919年の最後のシーズンには打率.322、29本のホームランを記録した。当時レッドソックスの球団オーナーであったHarry Frazeeは新たな劇場作品の制作費を捻出するためにスター選手であったベーブルースをライバル球団であるニューヨークヤンキースに$125,000で売ってしまった。その後スターを失ったレッドソックスは2004年まで86年もの間ワールドシリーズのタイトルから遠ざかってしまうのだ。これは米国ファンの間では「バンビーノの呪い(The Curse of Bambino)」と呼ばれている。ベーブルースの破竹の勢いはヤンキースに移籍しても変わらない。当時ヤンキースは球団が誕生してから7年経って一度しかア・リーグ3位に入っていない弱小球団であった。1920年から1929年の間にベーブルースは自らのバットでチームを勝利に導き、6度も一位獲得に貢献するのである。ルースの活躍によってチケットの売れ行きは好調となり新たな球場建設への機運は高まっていった。ヤンキース球場の別称が「ベーブルースが建てた球場」(House that Ruth Built)と呼ばれるのは彼の功績なくしてヤンキースの新球場建設は話題すら上がらなかった可能性があるためだ。まさに球団の救世主のような存在だったのである。ヤンキースは新球場での初陣に勝利し、ベーブルースは当然の如く新球場で最初のホームランを放った。漫画でも描けないようなことをベーブルースはやってのけたのだ。残念ながらベーブルースが建てた球場は老朽化に伴い現在は使われていない。ベーブルースを擁したニューヨークヤンキースが大谷を獲得しがる理由がここからもお分かりだろう。写真1:カムデンヤーズの近くにあるベーブ・ルース像写真2:カムデンヤーズ(バルティモアオリオールズの本拠地)フィリーズの本拠地であるCitizen Bank Parkと比較すると面白い。Citizen Bank Parkの写真はこちらの記事を参照。カムデンヤーズの方が歴史が古く、全米の中でも人気のボールパークらしい。バルティモアの旅はまだまだ続く。きたろう
2023.11.28
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ようやくThanksgiving休暇に入り9月に授業が始まってからゆっくり時間を気にせず寝れるようになった。今週はゆっくり過ごしながら来週に控えている課題やレポートを少しずつこなしたい。昨今の円安でなるべく自炊をするように心がけているが、それでも3食全て自分で用意することは容易いことではない。朝食と夕食は自分で用意して、お昼は大学の学食で済ませるのが最近の定番となりつつある。今回の記事はアメリカの大学の学食ではどのような食事が提供されているのかご紹介したい。もちろん大学によってはbuffetスタイル(食べ放題)で提供しているところもあるし、メニューも全く異なる。あくまでサンプルの一つに過ぎないことをご注意いただきたい。味と値段が釣り合っているかどうかについてはご想像にお任せすることにする。メニュー1:寿司(マグロとアボカド)値段:$8.99昔は海外で生物を食べたらお腹を壊すと言われたが、寿司が普及しておりスーパーでも購入できるようになっている。味も決して悪くない。メニュー2:弁当値段:$13くらい寿司、スパイシーチキン、ご飯とその上に乗っている餃子、そしてサラダという日本ではあり得ない組み合わせである。ちなみにこの商品名は「Bento」である。アメリカ人のイメージするお弁当はこのような感じらしい。メニュー3:ブリート値段:$11くらい丸いふわふわの生地の中にライス、チキン、ビーン等が沢山詰まっていてお腹が空いている時に食べたくなる一品だ。私の大学ではbeef, chicken, shrimpの3種類があってどれも美味しい。レポートや課題に追われているときに食べると元気が湧いてくる気がする。私の勝負飯のような存在だ。メニュー4:チキンテンダー値段:$8.5くらい名前の通り、チキンを揚げたものです。これに1,000円以上支払うのであれば、私はファミリーマートのチキンを4つ頼みたい。これを頼むたびにアメリカの物価は高いと痛感する。メニュー5:ハンバーガー値段:$13くらいアメリカの典型的なランチメニューだろうか。美味しかったが、やはり高額だ。毎日食べていたらそれだけで破産してしまいそうである。メニュー5:照り焼きチキンボール値段:$8.5テリヤキソースがかかっていて個人的にはかなりハマっているメニューだ。ただ量は少なめで4時ごろになるとお腹が空いてくる。この量でも1000円以上するから驚きだ。日本で500円以下でお昼が食べられていた頃が懐かしい。もちろん今回紹介したのは学食メニューの一部に過ぎない。ただおかわりの通り、メニューは大体8ドルから14ドルくらいが相場だ。留学を検討されている方はこのあたりの出費も考慮されたい。きたろう
2023.11.24
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出国前は140円だった円は現在150円前後をうろうろしている。このまま160円170円を突破するのではないかと主張する専門家もいるほどだ。異次元の金融緩和政策と低金利によって米ドルとの格差がどんどん開いてしまっているらしい。輸出業者はドル高円安の恩恵を受けるのだろうが、国外から輸入して商売をする企業は大打撃であろう。ガソリンなど完全に輸入に頼らざるを得ない商品は値上げが相次いでおりリッターあたり180円を超えるガソリンスタンドもあるという。日本の経済は成長しておらず賃金は上がらないのに物価だけ高騰していくのは家計への負担は増すばかりであろう。私は現在アメリカにいて思うことは日本の存在感がこのアメリカの地でも薄れていることだ。コロナ禍で日本からの留学生は元々激減していた。そこに拍車をかけたのがドル高円安である。1ドルが150円を超えてしまっては年間40,000ドルの学費を支払える家庭は限られる。学部生に至っては4年間学費を納入しなければならないため4年間の学費で家が購入できてしまうほどの金額である。英語力と専門知識がたとえあったとしても経済的な理由で留学を諦めなければならない状況が続いているのである。コロナによる渡航規制期間を含めれば約4年間留学のチャンスの芽が摘まれてしまっている。私が通っている大学でも留学生はほとんど中国からの留学生で日本からの留学生をキャンパスで見かけることはほぼない。私のキャンパスでは日本人は絶滅危惧種のような存在なのである。10数年前アメリカの西部に留学した時はオイルマネーで潤ったサウジアラビアの学生が目立っていた。政府から全額給付型の奨学金が出ているようで真っ赤な高級車を乗り回しているサウジアラビアの学生をよく目にした。勿論今通っている大学でも中東の学生を見かけるが、現在の中東の不安定な政治状況も相まって昔のような煌びやかな印象はあまり受けない。改めて国の経済力と留学生の割合は相関関係にあるのだと思う。アメリカでのインフレ、そして記録的な円安によって日本の学生は海外で学びたくても学べない状況に陥っている。それはまさに日本は気付かぬうちに数百年前の鎖国のような状態になっていることを意味しているように思える。志ある学生が日本に閉じ込められている状況が長引けば長期的に見て日本の損失は非常に大きいし、世界と日本の距離は離されていく一方である。留学者数減少に伴う損失を防ぐための妙案がないものだろうか。やはり色々策を練る前にまずはこの歴史的円安の是正が最優先事項のような気がしてならない。きたろう
2023.11.21
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以前の記事で船便は発送から到着まで75日かかったと書いた。最近は最低気温が10℃を下回り、最高でも15℃前後になる日が増えてきた。スーツケースに冬服を詰めたものの今ある冬服だけで東海岸北部の寒さを乗り切れるか心配になり急遽日本から冬服を送ってもらうことにした。10月20日に発送してもらい私のアパートには10月30日に届いた。船便だと2ヶ月半以上かかるのに対し、航空便は10日程度しか日数を要さなかった。やはり急ぎの場合は絶対に空輸をお勧めしたい。また、空輸の方が船便より荷物の状態がよかった。前回の記事でも書いた通り、船便は四隅が凹み一部段ボールが破けてしまっていた。今回は一箇所小さな穴が空いていたが、大きな破損は見受けられなかった。空輸なら必ず綺麗な状態で届くとは言い切れないし、荷物の大きさや重さといった他の要因もあるので国際郵便を出す際は空輸であれ海上輸送であれ一定のリスクが生じることは避けられない。段ボールを開くと息子の手紙が同封されていた。厚手の長袖やセーターよりも、家族からの手紙が一番嬉しかったし、心が温まった気がした。これから秋学期の追い込み時期に入る。寒さも授業も厳しくなる一方だが、手紙を読み返しながらなんとか乗り切りたい。今日も良い1日を。きたろう
2023.11.14
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最近イスラエルとハマスの間で起きている戦争の抗議活動をキャンパス内で目撃することが多くなっている。アメリカの大学では世界中から学生が集まるため、ユダヤ教徒の学生とイスラム教徒の学生の両者が同じ場所に居合わす状況が生まれそこで軋轢が生じている模様だ。大学当局も対応に苦慮しているようで連日学長と学部長から学内の抗議活動に対するメッセージが私のメールボックスに届く。許可なく転載することはできないのでこちらは載せられないのだが、教授やスタッフに対して脅迫メールが届いているケースもあるようである。実はこのCNN10のYouTube動画の中にも私が現在通っている大学が映っている。私のキャンパスでもデモが一部過激化して警察に身柄を拘束されたという噂を聞いた。このニュースを見るとまさに戦争は現在進行形で起きているのだと実感する。↓↓動画リンク↓↓Tensions ignite across US college campuses, November 3, 2023アメリカの大学は世界中から学生が集まるため世界の縮図のようである。世界情勢に敏感になるのもこのアメリカの地にいるからであろう。今世界で何が起きているのか世界中の学生の声に真摯に耳を傾けつつ日本人としてどのようなスタンスをとるのが正解なのか模索したい。ロシアのウクライナ侵攻、歴史的な円安ドル高、そして今回のイスラエルとハマスの戦闘状態と歴史の転換機に遭遇しているような気がする。日本にいる大学生と高校生には動画を試聴して、国内のニュースだけでなく世界で起きている事象にも是非注目してもらいたい。平和な世の中が訪れることを願ってやまない。イスラエル・ハマスの報道がされるようになってからよく耳にする英語表現:Anti-semitism: ユダヤ教、もしくはユダヤ教徒に対する嫌悪や嫌がらせ、反ユダヤ主義思想Islamophobia: イスラム教、もしくはイスラム教徒に対する嫌悪や嫌がらせ、反イスラム主義思想 きたろう
2023.11.12
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ここまで社会人、そして研究者の側面から大人留学の意義を述べてきた。今回は個人的な話になるが、一人の父親の視点から留学する意義を考えてみたいと思う。今回の記事が「大人留学の意義とは」の締めくくりとなる。父親として留学する意義:「留学するなら家族も一緒」という妻との約束があったためそもそも単身での留学は想定していなかった。私自身子どもたちに日本の外の景色を若いうちに見せてあげたいと思っていた。私が海外に飛び出したのは高校3年生の研修旅行、本格的に海外に行きたいと思い始めたのは大学生になってからだった。もっと早く海外に行っていたら自分の視野はもっと広がっていたのではないかと思うことすらある。留学を決意した際に自分が海外の地で新たなことに挑戦している姿を子どもにも見せたいと思った。プロスポーツ選手が子どもに自分が出場している姿を見せたいと思う心境に似ているのかもしれない。自分の背中を見せながら自分が生きる上で大事に思っていることを伝えることができたらそれほど幸せなことはない。家族と一緒に海外の地で暮らせるのも社会人留学の特権だと思う。勿論、自分だけでなく家族のウェルビーイングもケアもしなくてはならず、一緒に暮らすからこそ発生する問題も多々あることも事実である。今は円安もあって不安は尽きないが、留学が終わって日本行きの飛行機に乗った時に子どもが「もっとアメリカに暮らしたかった」と言ってくれることを願って今はとにかく前を歩み続けたい。人手不足とされる今の日本の社会構造では大人留学はしにくい環境にあるが、大人留学がこれからのスタンダードになっていくことを願っている。特にこれからの人生は100年と言われている。学びの期間が20年でその後80年学びなしに働き続けるのはあまりにも非現実的ではないだろうか。専門性を高めてその後所属企業のみならず社会全体に貢献することができれば、社会人留学のメリットは非常に大きいはずである。留学は決して高校生、大学生の特権ではないと考えている。どの世代で留学しても必ず得られるものがあるはずだ。これからも地道に有益な情報を提供しつつ留学の裾野を広げていけたらと思う。現実からかけ離れていると鼻で笑われてしまうかもしれないが、私はそれでも理想を追求し続けたい。きたろう
2023.11.11
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前回の記事は社会人として留学する意義を考えた。今回は研究の視点から大人留学の意義を考えてみたい。なお私は研究業績をあげているわけでもないし、著書があるわけでもなくごく普通の会社員である。しかし大学院に入学するためには自分の分野を定める必要があり、研究分野は出願や大学院の選択に非常に大きな影響を与える。留学と研究は切っても切り離せない関係だ。研究者として留学する意義:読者の中には大学院進学であれば日本国内でいいじゃないかと思われるかもしれない。しかし、私は海外の大学院進学を選んだ。どうせ大学院に進学するのであれば、自分の価値観を根底から覆すような経験をしたいと思ったからだ。自分が慣れ親しんだ日本よりも海の向こう側に渡った方がそのような経験が沢山できるのではないかと考えた。沢山の論文を読み込みクラスメイトと議論をしてその議論の内容をレポートに落とし込む作業が秋学期以降繰り返されている。その全てを英語で行なっている。英語の語学力は勿論だが、英語で議論を継続する力も求められる。英語の知識を知っているだけでは歯が立たないのだ。是非これから留学を検討される人は英語を実際に使う機会を設けるよう心がけてほしい。また、折角自分の専門性を高めるのであればその道の第一線で活躍されている研究者から学びたいと考えた。欧米の大学は潤沢な研究資金があり、その資金を人材確保や研究費のために惜しみなく費やす。(その分年間の学費も非常に高額になるのは以前述べた通りだ。)自分が読んだ専門書の著者本人から少人数で指導を受けることができるのは大変幸せなことだ。研究環境の上でもアメリカは非常に優れていると感じている。また、アメリカは成果主義で学生からの評価が低かったり、業績を残していないとすぐに解雇されてしまう。そもそも年功序列という概念がアメリカには存在しないのだ。厳しい世界だが、厳しい世界だからこそ高い教育・研究の水準が保たれているような気もする。また、世界中から集まった学生と一緒に学べるのも海外で学ぶからこそ得られる経験だろう。アメリカは国籍を問わず優秀な学生が集まってくる。様々なバックグラウンドを抱えた学生と一緒の教室で学べるのは非常に刺激に満ちている。日本ももっと留学生の割合が増やしたら英語の能力も学びの質も変わってくるのではないかと密かに思っている。以上研究の視点から大人留学を考えてみた。次回は父親としての視点から留学の意義を書くつもりだ。それでは良い1日を。きたろう
2023.11.10
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秋学期も残り一ヶ月ほどなり授業と課題に追われブログの更新がなかなかできずにいる。今学期も佳境を迎え期末テストや学期末のレポートが重く乗り掛かり始めてきた。ここからが渡米してから最大の正念場を迎えそうである。気を抜かずに一つ一つ丁寧に課題を仕上げていきたい。アメリカの広い空を見上げながらふと自分はなぜ今この瞬間にアメリカの地にいるのだろうと思うことがある。奨学金のエッセイや研究計画で散々書いてきた内容なのだが、渡米した後でさらにこの問いが自分に向けられていることを感じている。社会人、研究者、そして父親の視点からこの留学の意義を再考したい。社会人として留学する意義:私は社会人になって10年が経過し現在30代である。企業では中堅の役職にいて、まさに働き盛りの世代と言ってもいいだろう。様々な仕事を任せてもらえるようになり、多くの仕事を抱えながらもそれなりにやりがいを感じていた。安定した給料もいただき、衣食住には困らず生活できていた。留学せずに日本に留まるという選択肢もあったが、私は敢えて挑戦することを選んだ。日本社会で10年以上働いてきて、社会人として専門性がこれからさらに求められてくると思ったからだ。もし労働市場が今まで以上に流動的になった時に10数年前に取得した学士号だけで家族を支えていくのは心許ないように思えた。人生は何が起こるか全く予想ができない。自分が今の会社から解雇されない保証はどこにもないのだ。また、修士号を取得して自分の専門性に磨きをかけたら今後の長い人生を歩む上でプラスになると考えた。社会人になっても学びたいと思う自分の気持ちに正直でありたいと思ったのが留学を決意したきっかけだ。スキルアップができれば新たなチャンスが生まれるかもしれない。MBAであればそこから仕事のチャンスが巡ってくることだってある。大人の留学はまさに自己のアイデンティティーの再定義の機会であり、新たな学びと出会いに満ちている。海外留学は高校生や大学生に限った話でないことをここから発信できたらと思う。次回は研究者として留学する意義について綴りたい。きたろう
2023.11.09
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前回掲載しようと思って載せ忘れてしまった写真があったので続編としてこの記事を書きたい。以下の写真をどのように英語で表現するだろうか。There are some snacks.でも問題ないのだが、ハロウィーンの時期になるとなぜかcandiesが好まれる傾向にある。大学院でも教授がハロウィーンの日にお菓子を用意してくれたのだが、その時もsnackは使われず"take some candies!!"であった。しかし袋の中にあるのはチョコレートやキャラメルでコーティングされたお菓子ばかりでキャンディ(飴)は見つからない。こういう時に大変役立つのが、学習英和辞典である。日本の学習者に対象を絞って編纂されているため日本語を母語とする英語学習者がよく陥る思わぬ落とし穴について丁寧な解説がついている。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「《日本語の「キャンディー」があめを指すのに対して、あめだけでなく、砂糖、チョコレートやフルーツなどを使った甘いお菓子全般をいう」と書かれていた。同様にスーパーアンカー英和辞典第3版(小学館)にも「キャラメル・チョコレート・ドロップなど砂糖菓子一般をさす」と書かれている。ここからは辞書には書かれていない個人的な考察になるが、お祝い事やイベント時に配布されるお菓子はcandyが使われることが多いような気がする。アメリカの小学校にはお菓子の持ち込みが可能で、お菓子を食べる休憩時間まで設けられていることがある。その時間のことをsnack timeと呼ばれることが多い。今までそれをcandy timeと呼ぶ学校を私は聞いたことがない。そして、ハロウィーンで配られるお菓子をsnackと呼ぶアメリカ人もいない気がする。アメリカ人も無意識の内にsnackとcandyを使い分けていて、実はcandyはお祭りや行事といった文脈で使われる傾向があるのではないかというのが私の仮説だ。実際に調査をしたわけではないし、アメリカの友人に聞き取り調査もしていないのであくまで私の憶測だと思っていただきたい。ちなみにハロウィーン前にスーパーに買い物に行くとハロウィーン売り場ができている。子供たちはそれぞれお気に入りのキャラクターになりすまして近所を練り歩き"Trick or treat!!"と言いながらお菓子をもらうのがアメリカのハロウィーンだ。前回留学した時は一軒家に住んでいて近所の子供達が何人も遊びに来たのが今も記憶に残っている。子供達を家に誘導するためにたくさん飾り付けをつけたり、イルミネーションを飾ったりするのだ。ハロウィーンやクリスマス前は夜に住宅街をドライブするだけでも各家庭の飾り付けを眺めることができ日本とは一味違ったハロウィーンを満喫できるだろう。非常にレベルの高い装飾もあり地域によってはどちらの飾り付けが優れているか競い合っているようにも思えてしまう。ハロウィーンが終わり、次は11月下旬のサンクスギビング休暇である。何をしようか計画を練っている。きたろう
2023.11.05
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アメリカ東部は秋が深まり気温も華氏50度ほどまで落ちてきた。朝晩は冷え込みが激しく厚めのジャケットがないと寒さをしのげなくなってきた。先日は日本にいる家族からスーツケースに収まらなかった冬服一式と手紙が届いた。暫く会っていない息子の手紙を読むと体だけでなく心も温かくなる。これから秋学期は佳境に入り、期末の試験やレポート提出が待ち受けている。日本から届いた冬服を着て体調だけは崩さないようにしたい。先週は10数年ぶりにアメリカでハロウィーンを迎えた。学生だった頃はショッピングモールでゾンビの衣装を着てパーティをしたりしたが、30半ばになって学生のハロウィーンパーティに行く意欲も全く湧かず、仮装姿の若者に脇目も振らずに図書館でゆっくりと研究に勤しんだ。こども達がいたらきっと近所を練り歩いてハロウィーンのイルミネーションを楽しんだり、パンプキンを彫ってJack-o’-lanternを作っていたかもしれない。こうして静かなハロウィーンを過ごしたわけだが、街を歩いているとハロウィーンの装飾が沢山あり、街全体がハロウィーン一色で活気に満ちているのを見ているだけも楽しめる。これからアメリカはサンクスギビング、クリスマスと年末に向けてイベントが続いていく。課題やレポートに追われずゆっくりできる年末が今から待ち遠しい。キャンパス内の至る所にハロウィーンの装飾があった。この建物は大学院生専用の勉強スペースで3種類のコーヒーが無料で飲むことができる。きたろう
2023.11.04
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ここまで「仕事・育児しながら海外大学院に出願するということ」と題してシリーズで海外大学院の出願手続きについてご紹介してきた。今回は番外編として出願が終了してから出国するまでの手続きについてご紹介したい。大学院の出願は大体12月〜1月にかけてピークを迎える。昨年の年末年始は出願の記憶以外ほとんどない。実家に帰って新年の挨拶を交わしたが、常にエッセイの題材が脳内を去来していた。出願が完了すると"Thank you for submitting your applications!"と画面に表示される。あれだけ時間を費やして死に物狂いでやってきたのに、何とも呆気ない幕切れである。提出した後に何度もポータルサイトを訪れ書類の漏れがないか確認をした。1月以降先方からも何の音沙汰もなく空白の時間だけが流れていった。3月を過ぎてから何の前触れもなく"Your Decision Now Available"と書かれた件名のメールが続々と届き始める。家族と共にポータルサイトにある通知を開くと"Congratulations!"で始まる文面が目に飛び込んできた。年甲斐にもなく大声を出しながら思い切りガッツポーズをしてしまった。2020年から3年かけて積み重ねてきた努力が報われた瞬間である。追い求め探し続けてきた最後のパズルのピースが見つかってすっぽりとはまった瞬間であった。2020年はピースはバラバラだし、そもそも完成させるためのピースが揃っているのかもわからないい状態だった。そして最大の問題は完成図がどのような光景なのかすらわからない状態からピースを繋ぎ合わせなくてはならなった。最後のピースが揃った時に今までの霧が一気に晴れていくようであった。結局6校に出願して5校から合格をいただくことができた。さらに朗報はそこで終わらなかった。合格だけでなく15,000ドル〜30,000ドルの奨学金を大学から出してもらえることが判明したのだ。これは出願時には全く想定していなかったことで完全に嬉しい誤算であった。ドル建て奨学金の最大のメリットは為替レートの影響を受けないことだ。円建てでの奨学金では為替レートの影響をダイレクトに受けてしまう。2023年10月31日現在為替レートは151円となっており、米国内の物価高と相まって日本人留学生を取り巻く環境は非常に厳しい。私が今アメリカの地で研究に励むことできているのは決して私に経済力があるわけではなく、ドル建てでの奨学金があるからである。誤解を避けるために申し上げると、ドル建てでの奨学金をうまく組み合わせてもこちらでの生活は決して楽ではない。こちらでの学費と生活費を全て現在のドル円レートで換算したら想像を絶する。厳密な計算はしていないがきっと年間1000万円は超えてしまうだろう。日本国内の私立文系の大学であれば4年間の学費を払えてしまうかもしれない。大学のランキングはさておき値段だけで判断したら日本の大学に通うメリットは大きいように思える。特に国内の大学の学費を支払って海外の提携校と交換留学ができる制度があればその制度を利用した留学を強くお勧めしたい。為替レートで考えれば日本の大学の学費の方が圧倒的に安く、費用に対して得られる効果が大きいだろう。少々脱線してしまったので話をもとに戻したい。合格通知と奨学金通知を受け取った後はZoomでウェルカムセッションが3月下旬に次々と行われた。学部長からお祝いの言葉をいただき、教授や大学院生からその大学の魅了を大いに語ってもらった。まさか5校も合格をいただけると思わず嬉しい反面、思わぬ葛藤が生じることとなった。いただける奨学金の額は異なるし、プログラムの内容、教授の専門性、立地や現地の治安もそれぞれ異なるからだ。様々な角度から天秤にかけながら迷いながら最終的に一番行きたいと思っていた学校に行くことにした。3月下旬には渡航外来病院(トラベルクリニック)で海外渡航に必要なワクチンを接種した。5月以降は荷造り準備や壮行会などで瞬く間に時間が過ぎていった。7月からはビザの申請をしながら仕事の引き継ぎをしなければならず多忙を極めた。壮行会で激励の言葉をもらうたびに留学の実感と同時に新生活への不安と焦りが少しずつ生じ始めた。また、家族と一緒に過ごせる日数が減るにつれてだんだんと家族と別れる寂しさが込み上げてきた。新しい生活への期待、不安、そして寂しさが同時に込み上げてきて自分でも当時の心境をうまく表現する言葉がなかなか見つからない。出国前夜には家族が壮行会を開いてくれて、妻の手料理と長男が書いてくれた手紙に思わず涙が溢れた。家族が書いてくれた手紙は机の上に飾ってあっていつでも眺められるようになっている。研究が行き詰まった時や落ち込む出来事があった時に読み返すと自然と元気が湧いてくる。いわば私の元気の源だ。多くの人の支えがあって私は研究に専念できていること肝に銘じながらこのシリーズを終えたい。最後に出国までの流れを時系列に並べたい。12月〜1月 出願手続き3月上旬 合否結果発表3月下旬 Welcome Zoom、渡航外来受診、進学先決定4月〜 デポジット支払い、各所挨拶回り、荷造り準備、アパート探し5月〜6月 ビザ申請7月 仕事引き継ぎ、荷造り最終チェック8月 出国後半はだいぶ荒いまとめ方で大変恐縮である。出国前は非常に慌ただしくなる。大事なことは後回しにせずどんどん処理していくことが重要だ。野球と一緒で来た球を見逃すことなくどんどん打ち返していく瞬発力が必要である。きたろう
2023.11.01
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前回は奨学金の手続きについて一通り流れをご紹介した。後編となる今回の記事では海外大学院の出願についてお話ししたい。海外大学院と言っても大学ごとに出願の時期、提出書類、応募資格は異なるので一概には言えないというのが本音だ。私は米国に限定して出願したので米国の大学院に限定して話を進めたい。留学生であれば避けて通れないのが英語運用能力を証明する書類の提出である。ETSが行なっているTOEFL、British Councilが実施しているIELTSのスコアを義務付けている大学がほとんどだ。最近ではDuolingoの使用を認める大学も増えてきた。相性の良し悪しがあるので自分の特性を鑑みながら一番スコアが出やすいテストを探して欲しい。何の根拠もなく一つの試験に固執するのが一番よくないパターンだと思う。目的はあくまで大学院に合格することであって、TOEFLやIELTSで高得点を取得することではないのだ。あくまで英語の試験は手段であって目的ではないと私は考えている。私の場合、最初はTOEFLを受けていたが、スピーキングが伸びずノンネイティブの私はどんなに話し方や表現を工夫してもコロンビア大学やハーバード大学が求める25点を越えられなかった。一回の試験に245ドル(10月24日現在36707円)もサラリーマンの懐にはかなり痛手でこのまま受け続けると留学をする前に破産しかねないと思い、すぐにIELTSに切り替えた。IELTSは本家のBritish Councilの他に委託を受けた英検、IDP、JSAF、バークレイハウスといった団体が実施しており実施団体によっても値段が異なる。25380円〜27500円(2023年10月23日現在)で受験が可能だ。円安ドル高の昨今の為替レートではIELTSの方が圧倒的にお得である。スピーキングテストは対面でネイティブ(全員綺麗なブリティッシュアクセント)と行われるのがTOEFLとの大きな違いだ。私は対面の方が自然なコミュニケーションが生まれやすくスコアもIELTSの方が出やすかったのでIELTSに切り替えたのは正解だと今でも思っている。しかし、TOEFLのライティングでは27点を出したのにこちらではなかなか7.0に届かなかった。大学院入試でつまずきやすいのはスコアメイキングかもしれない。しかし、大学院に入ってしまえばその後TOEFLやIELTSのスコアで競争することは一切ないのであくまで入試に突破するための試練だと思って取り組んでもらえたらと思う。実際こちらにきてIELTSの勉強はアカデミックライティングのいい練習になったと思う。スコアメイキングについてはまだまだ書きたいことが沢山あるのだが、他にも出願に必要なことが沢山あるので次に進みたい。英語の勉強を進みながらやらなければならないことは推薦者の選定である。前回の奨学金でも推薦者の一筆が必要だったが、大学院でも推薦者の推薦状が必要となる。大体大学が求める推薦状の数は平均三通である。奨学金の推薦文をお願いする際にやんわりと大学院出願の際にも推薦文が必要になることをお願いしておくのが得策だと思われる。相手への負担を軽減するためにも自分の長所や研究内容は英文で推薦者に送っておくのがマナーであろう。推薦者も多くの仕事を抱えながら非推薦者のために時間と労力をかけて推薦文を作ってくださるのだ。非推薦者に全てを丸投げするのは御法度だ。実際に推薦者と何度もメールのやり取りをしながら自分の経歴や留学の必要性などを丁寧に説明した覚えがある。決まりはないが推薦文の依頼は少なくとも締め切りの半年前には打診をしておくと相手も心の準備ができると思う。また、案外大変だったのが成績証明書(大学卒業証明書)の提出だ。アメリカ国外を卒業した学生は成績を認定された第三者機関に提出してGPAを算出してもらわないといけないのだ。これが非常に煩雑であった。なぜならば、私は学部生の頃に1年間海外留学をしており、そこで取得した単位を日本の大学の卒業単位に読み替えていたからだ。第三者機関に成績証明書を送付した後に数値化できない成績がありこのままではGPAが出せないと書類を国際郵便で送ってから二週間後に連絡が届いた。早速留学していた大学に連絡をしたところParchmentというシステムを使えば成績証明書を第三者機関に直接送ってもらえることが判明した。Parchmentでアカウントを作成して必要事項に入力すると日本にいながらアメリカからカナダへの第三者機関へと成績証明書を発送することができた。本当に便利な世の中になったものだとつくづく思うと同時にアメリカはこのような大学と第三者機関の間での連絡システム構築がしっかりしており驚かされる。私はWES(World Education Services)という機関に成績の読み替えを依頼した。成績は4段階中3.81という自分でも信じられない高数値になった。卒業して10年以上が経過するのに自分の成績を見て喜ぶのは何とも不思議な感覚である。就職先が決まっていたためか卒業時は自分の成績を見ても何とも思わなかった気がする。大学4年間サボらずに授業を出席し続けた当時の自分に感謝した。WESは読み替えを完了すると"Evaluation Completed"というメッセージと共に各大学に成績(大学卒業証明書)を電子送付してくれる。ここで気をつけなければならないのは成績証明書(大学卒業証明書)の原本データも卒業した日本の大学から各出願先の大学に送らなければならないということだ。WESから届いた証明書と私が卒業した大学から送られた証明書の2点が揃って初めて証明書が受理されたことになる。日本の大学がParchmentのシステムに加盟していれば送付が圧倒的に楽なのだが、日本の大学はまだParchmentに加盟しておらず別途手続きが必要になった。この辺りのシステムが整理されるともっと日本の学生が海外に進学しやすくなるのではないかと思った。そして、最後にエッセイである。エッセイは「自分の思いを大学に伝えるラブレター」である。なぜあなたが大学院に行く必要があるのか、行くことでどのようなメリットがあなた、そして大学にあるのか丁寧に書いてほしい。私はエッセイに一切お金をかけなかったが、添削サービスはいくらでもあるのでそちらを利用するのも一つの手なのかもしれない。ただ、添削サービスを使っても落ちる時は落ちるので最終的には自分の責任でエッセイを提出することを忘れないでほしい。自慢をするわけでもなく、卑下するわけでもなくあくまで等身大の自分を描く必要があると感じている。自慢話ばっかりラブレターに書いても相手は引いてしまうだろうし、謙虚すぎてもあなたの魅力は十分伝わらないと思う。限られた文字数で自分のエッセンスを引き出してもらいたい。大体米国の出願は12月〜1月に向けて大詰めを迎える。師走の時期は仕事が立て込んでいて全くエッセイの校正に時間を割く余裕がなかった。年末年始の休業に入ってから突貫工事で一気にエッセイを仕上げた。クリスマス・お正月はお祝いムードはゼロで受験生のごとくとにかく机に向かった。子供が寝かしつけた後に再び起きて作業をするのは正直辛かった。仕事の疲れと睡魔に襲われながら暖かい布団を抜け出さなければならないのだ。このままぬくぬく心地よく朝を迎えられたらどんなに幸せだろう何度願ったかわからない。冷え切った自分の部屋で毛布に包みながら必死に書いては消して、書いては消して、また書いてという作業をただただ繰り返していた。パソコンを開いたまま寝落ちしていたこともあった。それほどエッセイの作成は壮絶だった。きっとタイムマネージメントが上手な人はこんな状態には陥らないのだろうが、仕事と育児をしながら出願準備をしているとどうしても目の前のことが優先になってしまい顕在化しにくい大学院入試の準備が後回しになってしまった。自戒の念も込めてここに反省点を書き残しておく。本当はエッセイのコツや英語の勉強方法についても触れたかったのだが、今回は手続きにフォーカスしてお話しした。最後に時系列で流れを整理したい。2020年:英語の勉強開始2021年:TOEFL受験、IELTSに切り替える。IELTS対策本を買い漁る。2022年:推薦文の依頼とご挨拶、TOEFL受験2022年夏以降:エッセイ着手、CV(履歴書)作成開始2022年11月頃:WESにGPA算出依頼、大学の成績証明書と卒業証明書発行、IELTS受験ラッシュ2022年12月:銀行の残高証明書発行、エッセイ最終校正、2023年1月:ビデオエッセイ提出、出願締め切り2023年2月〜3月:合格発表結果発表から出国までの流れを「番外編」でご紹介することとする。追伸、ブログ開設から二ヶ月か経過しようとしているが、そろそろカウンターが5,000を越えようとしている。仕事、育児、学業で忙しい中、電車内や隙間時間に読んでくれている読者に深く感謝申し上げたい。この留学紀がインターネット上の共有知となってスクリーンの向こうにいる未知数の読者の今後に役立ったら嬉しい限りだ。きたろう
2023.10.26
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前編は奨学金についてお話ししたい。ごく一部だが各種奨学金制度についても本ブログで扱ってきた。高校生についてはこちら、大学生・社会人についてはこちらを参照していただきたい。奨学金の獲得の有無は大学院入試において非常に重要な2つの意味を持つと考えている。一つ目は経済的負担の軽減だ。アメリカの大学の学費は日本と比べ物にならないほど高額である。学部によっても費用が異なるので単純化はできないが、基本的には日本円で年間600万円700万円が当たり前の世界である。寮費や航空運賃、医療保険料、教科書代金、食費や交際費を全て入れたら1000万円は超えてしまう勢いである。私はごく普通の会社員で決して裕福ではないし、普通のサラリーマン家庭に生まれたため実家が裕福なわけでもない。さらには子供がいて守るべき家庭もあり、家のローンだってしっかり残っている。周囲からは「子供の養育費や家のローンを使い込んでまで自分に投資する必要ある??」とまで言われた。正直正論すぎて反論できなかった。しかし、お金がないということを理由に自分の夢を諦めたくはなかった。お金がなければ世の中に還元することを条件に支援してくれるスポンサーを探せばいいのではないかと考えた。会社員で家庭を持っている私にとってまさに奨学金の獲得は十分条件ではなく必須条件となった。二つ目の意味は大学出願時のアピール材料だ。奨学金が付いているということは大学からしてみれば学費を支払える能力があるという安心材料にもなる。また、何かの受賞歴と一緒で選考を通過した優秀な学生というイメージを相手に与えることが可能となる。ただし同時に注意も必要だ。私自身肩書きに寄りかかるのはあまり好きではないし、寄りかかり過ぎると自然とおごりが生じる。あくまでアピール材料の一つとして考えてほしい。アメリカの大学は合否を総合的に判断するので、一つの材料で合否が決まることはまずない。奨学金獲得で安心しすぎてその他の部分で手抜きをすればその箇所が尾を引いて不合格になるということもあり得るのだ。奨学金は決して水戸黄門の紋所ではないので注意したい。私の場合、大学院留学入試を大雑把に時系列で並べるとスポンサー(奨学金)の獲得→職場への申請→大学院の出願という流れになる。勿論オーバーラップしている箇所があり、前回の記事でもお伝えしたとおり綱渡り状態であった。実際職場への申請はスポンサーの結果発表より前に提出しなければならず、一時期は背水の陣の状態に陥った。「これで万が一奨学金がつかなかったらどうしよう」と思うたびに少しネガティブな気持ちになっていたことを今でも思い出す。なんでそんな一か八かの選択肢を取るのかと質問がきそうだが、私が留学するにはその選択肢しかなかったように思える。世の中は自分中心で回っているわけではないし、全ての手続きには手順と締切が存在する。私の都合のために待ってくれる組織なんていないのである。特に会社員で大学院留学をする場合はどこかのタイミングで腹を括らなければならない瞬間がやってくるだろう。応募する奨学金を絞り込んだら、応募条件、応募書類、締切等を確認してリスト化することをお勧めする。注意しなければならないのは奨学金の応募する数である。自分は結局三つの財団に応募したが、それでもタイムマネージメントが非常に大変だった。闇雲に応募すると二ヶ月〜三ヶ月後に結果的に自分の首を絞めることになるのでやめておいた方がいいと思う。特に社会人の場合普段の仕事をこなしながら同時並行で応募書類を準備しなければならないので精神的、肉体的負担が大きい。最終的には三つの内一番希望していた団体から内定をいただくことができた。残りの二つからも合格をいただけることを願ったが、残念ながら不採用の通知が後日届いた。どんなに全力を尽くしてエッセイを書いても突破しないこともある。受験と一緒で奨学金の獲得も御縁だと思っている。面接官との相性もあるだろうし、当日の質問事項によっても相手の印象が左右するだろう。自分を大きく見せることなく、等身大の自分の魅力を最大限発信してほしい。自分が大学院留学を検討し始めたのは確か2020年あたりである。ちょうど東京五輪が延期するかしないか揉めていた頃であった。妻にもこの辺りで「留学に行きたい」と打ち明けた気がする。妻からの返事は「家族を連れて行ってくれるならいいよ」であった。家族が帯同するとなるとお金がさらにかかることが想定された。奨学金獲得と留学は計画当初からセットで考えていた。奨学金の応募には自分の志望動機書のみならず推薦者の推薦文も必要であった。大学の指導教官、前職の上司、現職の上司にメールで事情を話し、コロナによる行動規制が緩和されたあたりを見計らって手土産と共に直接ご挨拶に伺った。コロナで数年ぶりの再会であったが、そんなブランクを感じさせないほど話が盛り上がった。一通り留学の決意に至った経緯を話して、丁寧に推薦文のお願いをすると全員快く引き受けてくださった。応援してもらえることが嬉しかったし、頭を下げてお願いしている相手にベストな結果を届けられるよう頑張ろうという気持ちが芽生えた。それと同時にもう引き戻せないプレッシャーもひしひしと感じ始めたのもこの頃だ。メディアが発達してメールで済ます文化が浸透しているが、私は大事なことは面倒臭がらずに直接足を運んでお願いするべきだと思う。膝を突き合わせることでお互い胸襟を開いて話ができると思う。5月末に書類選考があり、それを突破すると7月に二次書類選考がある。二次の書類選考は和文、英文、大学証明書、英語を証明する書類などを提出しなければならない。それを突破すると9月中旬から10月にかけて面接が行われる。かなり準備をして面接に臨んだが、かなり研究内容について突っ込まれ躊躇してしまう場面もあった。自分の研究内容を英語でうまく表現できない場面もあり、自分の不甲斐なささえ感じてしまった。面接はズームで行われたのだが、あまりにも厳しい質問が続きエネルギーを使い果たして面接終了後、真っ暗になったパソコンの画面を5分程度ずっと見つめている自分がいた。気づけばワイシャツがびっしょり濡れていて面接の緊迫感を物語っていた。その日家に帰って妻から「どうだった??」と聞かれた。正直に「全力を尽くしたけど手応えがあるかどうかはわからないな」と答えた。その後二ヶ月は全く音沙汰がなかった。しかし、大学院入試の準備は進めないとスケジュール的に間に合わない。序章でも伝えたが、本当に未確定の状態で物事を進めなければならないのは本当に辛い。ピースが一つでも揃わなければ今まで重ねてきた努力が水の泡になってしまうからだ。夢は潰えてしまうかもしれないがとにかく自分を信じて前を向いて走り続ける以外方法がなかった。12月中旬、突然"Selection Result of xxxxxxx"と書かれたメールが届いた。添付ファイルを開いてみると奨学金の内定通知であった。2020年の夏あたりから2年の半年の月日が流れようとしていた。気持ちを抑えることができず、職場のビルを飛び出して妻に電話した。「通った!通った!合格してた!」周りの目を憚ることなく叫んでいた。妻も喜んで「よかったね。おめでとう。」と言ってくれた。自然と涙が込み上げてきて頬を伝っていた。嬉し涙なのか重圧から解放された安堵の涙なのか自分では区別がつかなかった。その日は仕事が一切手につかず足早に家路につくことにしたのを鮮明に覚えている。時系列に流れを整理したい。2020年夏:留学を決意、英語の勉強開始2020年10月:奨学金の情報収集2021年前半:推薦者にメールで推薦文の依頼、ご挨拶2021年年末:エッセイ着手、応募書類の準備2022年前半:エッセイ校正、2022年5月:一次書類選考提出締切2022年6月:一次選考結果発表、追加書類準備2022年7月:二次書類選考提出締切2022年9月〜10月:最終面接選考2022年12月中旬:結果発表文字で並べるのは簡単だが、この行間にはここでは書けないような生々しい数々のドラマがある。平凡な毎日が一つの決断でこんなにも変化するものかと自分でも驚いている。私の留学は現在進行形だが、全てが終わった時にあの決断が自分と家族にとってプラスに働けば嬉しい。奨学金を獲得しても渡米はまだ決まっていない。ここから厳しい大学院入試の道のりが始まるのであった。(大学院入試編に続く)きたろう
2023.10.25
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出願手続きをどこかで記録に残しておきたいと思いながら、あまりにも怒涛すぎて書く暇もなく気づけば渡米していた。「時間があった時にやろう」というスタンスでいると全くやらないのが自分の性格だ。先延ばしせずにちょっと大変な時にでも無理やり予定を詰め込んでしまった方が自分の性に合っていると思い始めている。週末も課題にずっと追われている(論文6本+プロジェクトのZoom meeting2本)が現実逃避するかのようにブログに逃げ込んでいる自分がいる。昨年の今頃は何をしていたかなと思い返したらちょうど奨学金の選考の真っ只中であった。職場から休職の許可が下りるかわからない、奨学金が合格できるかわからない、海外の大学院に合格できるかわからない、TOEFLやIELTSのスコアはなかなか向上しないという不安の連続との戦いだった。不確定要素がありすぎてずっと暗闇のトンネルの中を目印もなくただただ走り続けているようであった。あれだけ胃に穴が何個も開きそうな状態だったのに、1年経つと他人事のように客観的に当時の様子を振り返っている自分がいるのが不思議だ。ピースが一つでも揃わなければ自分はアメリカに来られなかったと思うとまさに1年前は本当に綱渡りのような人生を歩んでいた。決して自信があったわけでもないのによくあんなリスクを背負って挑戦したものだと自分でも驚いている。きっと私がこうしてパソコンに文字を打ち込んでいる最中も暗闇のトンネルの中を走り続けている社会人、大学生、高校生がいるんだと思う。私のやり方が最適解とは思わないし、むしろこんな向こうみずなやり方は悪い例かもしれない。しかし、私の文章で励まされる人が多少なりともいることを願ってこのブログを綴りたい。私の場合、大きな壁として立ちはだかったのは大学院入試と奨学金の確保だ。会社への申請も大変だったが、申請方法や時期は各会社で異なるだろうし、このブログで紹介したところであまり参考にならないと思う。したがって、大学院入試と奨学金の大まかなスケジュールをここに残したい。気をつけていただきたいのがこれは決して所謂ハウツーブログではないということだ。留学は私の記事を読めば成功するほど簡単じゃないし、これを読んで奨学金を確保できる可能性が上がるわけでもない。自分の英語に自信があったわけではないが、海外進学専用の塾にも一切通わなかった。英文のエッセイの添削もお金を一切かけなかった。正直そこに時間とお金を割くほどの時間と余裕が当時の自分にはなかった。今思えばかなり常軌を逸した方法で専門家からしたら「ありえない」と一蹴されてしまうかもしれない。決して正攻法とは言えないアプローチ方法だが、仕事と育児をしながら大学院出願した30代の会社員のくだらない記事がトンネルの中にいる誰かを勇気づけて次の一歩の役に立つのであればと思いここに記録を残しておく。とここまで書いて長くなってしまったのでこの記事を序章として詳しくは次回にしたい。記録を残した手帳を日本に残してきてしまったため頭に残っている記憶を呼び起こしながら書くつもりだ。したがって一部記憶違いがあることを最初に付記しておく。(課題がかなり溜まっているのでアップに時間がかかることが想定される。ご容赦いただきたい。)きたろう
2023.10.24
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前回は高校生対象(海外の学士号取得を支援する奨学金プログラム)の奨学金を紹介した。今回は海外大学院進学を目指す大学生、社会人が応募できる奨学金をご紹介したい。フルブライト奨学金人数:大学院留学プログラムについては約20名支給額:授業料40,000ドル。他に生活費、家賃手当て等も別途支給。(2023年10月現在)日米の相互理解を促すためにウィリアム・フルブライト上院議員によって設立された奨学金制度である。学費のみならず生活滞在費のサポートもあり非常に充実しているのが特徴である。進学先は米国のみ、また留学後は自国滞在義務などもあり条件がいくつかある。詳細は公式ページを参照されたい。孫正義育英財団奨学金人数:約35名支給額:給付対象となる内容に応じて合理的に必要と認められる金額を支給。(2023年10月現在)ソフトバンクCEOを務めている孫正義氏が立ち上げた財団によるプログラムである。研究分野は不問でとにかく未来を切り拓き将来のリーダーとなりうる若者を支援することが支援の目的となっている。平和中島財団奨学金人数:20名支給額:月額30万円及び往復渡航費(2023年10月現在)神山財団海外留学奨学金人数:若干名支給額:年間100万円X2年間が上限(2023年10月現在)JASSO海外留学支援制度人数:151名(前年度実績)支給額:月額8万9,000円~14万8,000円(留学先地域により異なる)、実費額(各年度250万円を上限、予算の状況に応じ300万円まで支給可能)、新規採用者の支援開始時に16万円を支給(2023年10月現在)番外編トビタテ!留学JAPAN高校生対象の奨学金でもご紹介したが、こちらのトビタテ!留学JAPAN(通称トビタテ)は大学生でも応募が可能だ。確か留学期間は1年未満で短めのプログラムにはなるが、採用人数が多いのが特徴である。短期でもいいから学生のうちに留学をしておきたいと思う学生におすすめだ。繰り返しになるが留学は情報戦でもある。相手の大学から国外にいるあなたに手を差し伸べてくれることはまずない。自分で積極的に情報収集をして、すべてを鵜呑みすることなく自分で咀嚼しながら有益なものを吸収していくサイクルを繰り返しながら牛歩でもいいから進むことが重要だと思う。きたろう
2023.10.23
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渡米して2ヶ月が経過したが、円安ドル高の状態がずっと続いている。このところずっと148円〜150円を彷徨っている感じだ。(2023年10月現在)大学院の場合、学費の支払いは1年〜2年で限られているため多少円安でも割り切って支払えるかもしれないが、大学の場合は4年間で一度入学したら卒業するまで基本的に学費を支払い続けなければならない。また、アメリカの大学は学費に加えて寮費も支払わなければならないため年間の教育費が$80,000(約11,988,400円)ほどになる。4年間通うとなると$320,000(約47953600円)必要となる。勿論、学費は各大学によって異なるため今述べた金額はあくまで目安に過ぎないが、日本の大学とは比較にならないほどの支出が見込まれる。アメリカは大学からの奨学金が日本よりもずっと充実しているがかなり優秀な成績や顕著な課外活動を収めていないと全額学費補助は難しいであろう。経済的負担を減らすためにできることは給付型の奨学金に応募することだ。今回は高校生が応募できる奨学金をいくつか紹介したい。柳井正財団海外奨学金プログラム人数:予約型、合格型合わせて40名程度金額:年間US$95,000(英国は£65,000)を上限とし、4年間(英国は原則3年間)支給(2023年10月現在)米国、英国のトップ50の大学に入学することが条件になるが、寮費も含めてこれほど手厚くサポートしてくれる奨学金は稀で国内トップレベルの奨学金プログラムと言えるだろう。笹川平和財団奨学金プログラム人数:40名程度金額:年間US$95,000(英国は£65,000)を上限とし、4年間(英国は原則3年間)支給(2023年10月現在)柳井財団に並び有名な全額給付型の奨学金プログラム。こちらも規模としては国内トップレベルである。番外編トビタテ留学JAPANこちらは短期留学となるが、官民協働での留学支援事業となる。留学未経験で英語はまだ少し心配だけどそれでも外国に行ってみたいと思う高校生に是非検討してもらいたい。これ以外にもロータリー奨学金や各自治体の奨学金プログラムなど様々な奨学金が存在する。情報収集から留学はすでに始まっている。きたろう
2023.10.22
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10週と5日(75日)。これが何を意味しているかお分かりだろうか。国際郵便(船便)で荷物を送った際に日本からアメリカ東部に届くまで要した合計日数である。丸々2ヶ月以上の日数がかかった。あまりにも届かないので途中で紛失してしまったのでないかと心配になったほどだ。当初はSAL便で送りたかったのだが、コロナ禍で物流が乱れSAL便のサービスは現在停止してしまっている。空輸はもちろん早く届く利点があるが、その分料金は割高で船便の2倍〜3倍する。出国前で出費が嵩んでいたためなるべく安く荷物を送付したくて今回は船便を選択した。送る内容物が主に書籍で緊急性がなかったのも船便を選んだ理由である。料金については重さや大きさによって異なるので詳しくは郵便局の公式サイトを参照していただきたい。発送方法によるスピードの違いは以下の図が非常にわかりやすい。※郵便局「国際郵便早見表」より抜粋(2022年6月1日現在)それにしてもダンボールの破損が凄まじかった。きっと重ねられたり投げられたりして破けてしまったのだろう。日本からアメリカの地まで何とか耐えてくれたと思うとダンボールにも労いの念が湧いてきた。ダンボールの角には大きな穴が開いておりいつ中の荷物が飛び出てもおかしくない状態であった。大事な研究書物が無事届いてくれて本当に良かったと思う。これで本格的に研究に励むことができると思うと身の引き締まる思いだ。なるべくダンボールはガムテープを多めに巻いて補強を施したい。中の身物が飛び出ないようビニールに入れるなどの工夫も必要だろう。壊れやすいものは絶対に入れず、クッション材等を詰めて運搬の際の衝撃に備えた方が良さそうだ。船便で海外に送られる方は地域にもよると思うが、想像している以上に日数がかかることを覚悟されたい。きたろう
2023.10.18
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