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日曜日、日本へ行く前に、髪の毛にストレートパーマを掛けようと思って、やっと決心して、家の近所の美容室へ行った。 「あの~、どれぐらい時間を掛かりますか?」 「3時間ぐらいです!」と言う答えを聞いて、「えっ?!3時間も?」 「結構手間を掛けるので…」 「まぁ、仕方がないから、お願いします!」 天然パーマの私はストレートの髪の毛を持つ女の子たちを憧れていた。しかし、日本でしようと思ったら、すごくお金を掛けるので、なかなかできない。だから、いつも上海に戻ってきてから、日本の料金より半分以下安い値段でやってもらっていた。今回もそうだけど、でもやっぱりいつものように時間を聞いてしまった。 最初は、美容師と楽しく話をしていて、時間が経つに連れて、まったく動けなくて、ずっと座ったままなので、段々と疲れてきた。それで、話も徐々に少なくなってきた。 とても不思議に思っていることは、美容師の忍耐力! 私なら、途中であきらめてしまいそう。 3時間が経った。 髪の毛はまっすぐになってきた。 それでも、最後の薬をつけて、15分を待たなければならなかった。 お腹はペコペコで、なかなか帰って来ないので、お婆ちゃんが美容室に来た。 明日は中国の建国記念日なので、店はとても忙しくて、お婆ちゃんの座る場所はなくて、仕方がなくて、先に帰った。 この15分は、頭も動いてはならないので、もう限界になった。 今まで、一番時間を長く感じる時だった。 4時間近く掛けて、やっとできた! やっと終わった! 綺麗になるための代償!多きかった!;) 本当にお疲れ様!<終>
Sep 30, 2005
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今週に入ってきてから、お母さんは毎日私のベッドで、一緒に寝るようになった。 何故かしら?いつも一人で寝たいお母さんなのに? 今から振り替えてみると、小さい頃から、お母さんと一緒に出掛ける時に、手をつないで歩く時はほとんどなかった。一緒に同じベッドに寝る時もほとんどなかった。亡くなったお父さんが単身赴任で年に何回しか家に戻って来ないにも関わらず、お母さん、私、弟、3人はそれぞれのベッドで寝ていた。 なのに… その答えは、10月2日私はまた日本へ行くことにあった。 残り半年間で、私の留学生活はすべて終わることになる。 7年半年間と比べると、この半年間はものすごく速いもの! でも、半年間だけでも、家から離れ、上海から離れ、家族と別れ、友達と別れ… 一番悲しくなるのは、私。 一番離れたくないのは、私。 弟のこのパソコンに新しい中国の歌が入っていて、一番好きな曲が流れていて… 金曜日 土曜日 そして、日曜日 もう残り3日間しかない! 再びカウントダウンのムードに入って… 悲しい歌声に連れられ… 決して誰にも見せられない今のこころ<終>
Sep 29, 2005
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上海に帰ってきて、初めて浦東へ行った。 私は、生まれてからずっと浦西に住んでいるので、浦東に対してはほとんど行かなくて、全然詳しくなかった。しかし、今の浦東はその当時のとはまったく違った風景になっていた。 この7年半年間の上海の変化は地元出身の私にとっても信じられないぐらいのものだった。 約束の時間になっても、なかなか友達の姿は現れなかった。 上海に帰ってきたら、もう一つの慣れなければならないことは、時間と約束を守ることのなかなかできないこと。 遅刻しないように、タクシーを飛ばしてきた私は今日もいつものようにまつばかり。交通や仕事の事情で時間と約束をなかなか守れなくて、一週間前に組んだスケジュールでもドタキャンされることもあって、遅刻するのが当たり前のように。 考えてみれば、それも理解できる。だって、一人のスケジュールが仕事の急な用事で崩されたら、もう一人や二人のスケジュールが崩される。そして、それが大きな輪のように、すべての人に影響する。今日中に急に用事が入ることは多いそうで、苦笑! 一人で、浦東のバンド沿いに歩き、穏やかな日差し、穏やかな風、そしてもう穏やかになった私の心。 ある意味で、慣れてきた。 でも、こんな一人で過ごした時間もすごく素敵なものだった。 バンド沿いの【REDDOT】に入って、コーヒーを飲みながら、友達を待つことにした。 待つ時間45分、やった現れた。 平然に本を読んでいた私を見ると、友達はちょっとびっくりした。 謝ってくれた。 それで良い! 2時間ぐらい話をしていて、各自に家に帰った。 離婚したばかりなので、早目に帰って、娘さんと食事するように勧めた。 車で送ってもらわないことにして、地下鉄を乗って帰ることにした。 さすがの大都会なので、人が多くて多くて… でも、初めて戻ってきた3日間と比べると、もう頭は痛くならなくなった。 段々と、慣れてきた。 文句があっても、慣れなくても… 自分さえ今のままにちゃんと時間と約束を守ることができるようにすれば良い!自分自身から。<終>
Sep 28, 2005
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上海に帰ってきて、2週間も経った。 なのに、上海の大学の親友のWinndyとはずっと会っていなくて… お互いに会いたくても、仕事と家庭を持つ彼女は、独身の私とは違って、なかなか時間を作れなかった。 やっと、今日会って来た。 大学時代の私達は、勉強ばかりしていて、一番の楽しみは、毎月古本屋へ本を買うこととケンタッキーへ行くことだった。学校の勉強以外は、一緒にパソコンの勉強へ行ったり、英語の勉強へ行ったりして、恋愛するなんて誰も思わなかった。 今から考えてみると、素敵な青春時代を勉強に尽くしてしまって、同じ年頃の他の友達とは違った大学時代を過ごしてきて、ちょっと残念… 何で恋愛しようと思わなかったのかしら?、と今になった二人とも不思議に思っている。 何故? 何故? 私には彼女がいたから 彼女には私がいたから それが理由かしら? しかし、ちっとも悔いのなかった大学時代を一緒に過ごしてきた。 本来は、一緒に実習先の上海市の重点小学校に就職する予定だったが、私は上海で初めでできた私立小学校の校長先生に選ばれて、二人は違う小学校へ。 それでも、同じ国語(中国では【語文】と言う)教師として一緒に教案を検討して書いたり、同じ担任として出会った子どもと保護者の問題をアドバイスをしたり、同じ新人教師として励ましたりしていた… 一緒に小学校一級教師に認定された時の喜び、いまだに忘れられない。 あまりにも似ているので、一つの表情、一つの動作だけでも相手の思っていることが分かってくる。 私達を悩ませたこともあった 悲しませたこともあった 苦しませたこともあった それでも、私の記憶の中にあるのは、二人の笑顔、二人の笑い声 彼女も、きっと同じ 日本へ留学に行って、彼女とは年に3回しか会えない。 でも、再び会うと、いつもいつも昔のままの親密感が湧いてくる。 さすがの親友、私が何も言わなくても、彼女はもう私の一番やりたい仕事、私の夢を語ってくれた。 さすが! 「来年、あなたが帰ってきたら、また一緒に頑張ろう!」 「うん!約束するね!」 息子さんが家で待っているので、2時間で晩御飯を食べてから各自に家に帰った。 再び別れることに、悲しさはなかった。 お互いに相手のこころにいるから Winndy、大好き!(*^3^*)<終>
Sep 27, 2005
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今日も、どこへも行かなかった。 久し振りに朝寝坊をして、10時に起きた。お母さんも弟も仕事で出掛けて、家には私一人しかいなかった。 いつものように、家事を済まして、一人で朝ごはんを食べた。 もうすぐ日本に戻らなければならないので、修士論文の第三回中間発表のレジュメを早目に完成させたい。 それからずっとパソコンの前に座って、手元の資料やデータを参考しながら、集中してレジュメを書いていた。ずっとお母さんが仕事で帰ってきて、「ご飯だよ!」と呼ばれた時まで、まったく動かなかった。でも、全然疲れを感じていなくて、反って充実した気分で一杯だった。 お婆ちゃんとお母さんが親戚のお姉ちゃんの家へ出産見舞いに行ってからもご飯を一粒も口に入れなかった。 このいきよいで、最後まで頑張ろうと3時までレジュメを仕上げた。 やった! 今度はパワーポイントを作ること。 明日にしようと思ったが、やっぱりこのいきよいで頑張ろうと。 正直に、レジュメを書くよりもパワーポイントを作る方がややこしくて、特に図やグラフや表を入れるのに。 家のパソコンは、中国語のXPなので、文字の表示はすべて中国語で、しかし、私はもう日本語でパワーポイントを作るのに慣れたし、ちょっと違ったところもあって、なかなかうまくできなくて… それでも、やらなければと自分の頑固さが現れた。 でも、その頑固さのお陰で、最後の最後まで頑張ってきた。 30ページのパワーポイントを仕上げた。 やった! できた喜びはお母さんまで伝染してしまって、お母さんも私と同じぐらい嬉しくて嬉しくて… 本当に、頑張ってきて良かった!途中で放棄しなかった良かった! さっそく、ゼミの教授先生に添付メールでレジュメを送った。先生からのアドバイスをいただきたくて。 やった!<終>
Sep 26, 2005
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今日も8時前に起きた。日本から戻る前に、家に帰ったら一杯朝寝坊しようと思っていたのに、全然実現できなかった。 友達の相談に乗ってばかりで、こころのエネルギーが足りなくなった気がして、ちょっと疲れたかも。 それで、今日と明日はどこへも誰とも会わないことにした。 家事を済ませたから、ずっとパソコンの前に座って、この4日間の日記を書いていた。音楽を聴きながら。 今日は、何も考えたくない。 今日は、ただボーとしたい。 こころにまかせて... お母さんは、私の大好きな海老を一杯買ってきた。 「一杯食べてね!向こうではなかなか買わなくて、食べられないでしょう?」と。 確かに、日本の海老は高くて、私にとっては贅沢! お母さんの震えている声を聞いた瞬間、目が潤んできた。 「うん!やった!一杯食べるよ!」と隣の部屋に逃げてきた。 何も考えていないのに、何故か悲しい気分… 分からない! 追求したくない! 来週の今頃はもう上海から離れて、日本にいる。 昼ごはん、お母さんと一緒に久し振りにラーメンを食べた。 嬉しそうに海老を食べていた私を見て、お母さんは笑っていた。 「お母さん、見て、私、16匹も食べたよ!」― 日本では考えられない贅沢! 「もっと食べて、たくさんあるからね!」 確かに、皿にはまたたくさんあった。 「うん!夜、食べるから。今はもうお腹が一杯!」 決して安くないこの種類の海老は、私にとっての最高の珍味。そして、感じるお母さんからの愛。 分かっている。 お母さんは、もう私が日本へ行くのをカウントダウンしている。 「後、半年間、頑張ってね!」と私に言っているように感じる。 8年間、確かに短くない月日! 私自分の固執で選んだこの道! 電話が来た。 友達からの誘い。 断った。 ちょっとだけでも、自分に時間を。自分に余裕を。 自分を愛して。 なかなか自分を愛せない自分を。 自分に一番厳しい自分を。<終>
Sep 25, 2005
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今夜、同窓会があった。 98年の春に神戸YMCAで、一緒に日本語を勉強して、そして友達になった留学生の同窓会。 あの頃の友達は、日本で就職して、日本人と結婚して、日本で生活を送っている友達がいる。しかし、殆どは大学を卒業してから帰国して、上海の地元出身の人も、そして、地元ではない人も上海で就職して、安定の生活を送っている。 彼らの就職先は、日本語という能力を生かして、日系の貿易会社。高収入をもらっている彼らにとっては、上海での生活は日本よりずっと良い!そして、彼らの口から良く聞くのは、「今、日本の留学生活を思い出すとあの頃は本当に大変だった。日本での生活はもう良い!やっぱり国が良い!上海での生活は日本と比べたら本当にこれこそ人間らしい生活…」 そして、「あなたも早く帰ってきたら!」と私に勧めてくる。 留学生としての生活は、就職してからの生活とは違う。 家族や親戚や親友のいない日本は、自分の国での生活とは違う。 昔の思い出話はいつもの話題で、まるでお爺ちゃんとお婆ちゃんたちが昔話をしているように、そして、今でもついつい日本語を中国語の中に混ぜたりして、懐かしくさせる。 そう! あの頃は、120円の缶を一つも買えなかった。いいえ、買えなかったではなく、節約するために、買おうとしなかった。外食は、とても考えられなかった。 こんな生活、もう二度と送りたくないのは当たり前。 彼らの成功をともに祝い、そして、これから更なる良い生活を祈り、未来はとても明るいもの。 めでたしめでたし!!! 今度は、私の番。 貿易会社で就職した方が良いという人もいれば、自分の大好きな学校で好きな仕事をした方が良いという人もいた。どっちにしろう、これからの私の生活が良くなるようにと祝福してくれていた。 有難う有難う!!! 家庭のある人は早目に帰らせて、残ったのは私とYMCAの時の親友の2人だけだった。 「ねぇ、一緒に新天地へ行こう!私がおごるから。」と彼女は私を誘った。 「うん!行こう!久し振りなので。」 彼女は地元出身の私よりも上海に詳しくて。高収入の彼女は、日本にいた頃よりずっとお金を軽く見ている。 確かに、暮らし方は違う!日本の留学生活と比べたら、当たり前に。 彼女に連れられ、あるPubに入った。 そこのステージにはフィリピン出身の4人歌手が踊りながら歌っていた。とても素敵な声で、私の好きな英語の歌も歌ってくれた。 各自に一杯飲み物を注文して、歌を聴きながら話をしていた。 「ねぇ、踊ろう!」 「えっ!?そこで?」と私は指を席の前の狭い所を指しながら聞いた。 「うん!ほら、他の人も踊ってるじゃない!?」 中国の大学で、リードして、クラスのみんなをクラスのパーティーに踊らせた風景が目の前に。 「私はもうちょっとしてから踊るから、踊ってきて」と彼女の誘いを断った。 踊りたくないではなくて、気分はそこまで乗ってないから。まぁ、恥ずかしいという理由もあって。 まったく飲めない私は、グラスの三分の一も飲んでなかったのに、もうふらついた実感がした。やっぱりあのカクテルは私にとってきつかった。 「やばい!私、酔ってるかも!」 「えっ?!こんなで?それならゆっくり飲んでね!」と彼女は隣の席でリズムに合わせて体をゆらゆらしていた。 歌とリズムが次第に激しくなって、彼女は他のお客さんと一緒に踊っていた。やっぱり、一人だから、恥ずかしくて、なかなかリズムに乗れなくて、自分をすべて出せなかった。 彼女は踊りながら、目線で私を誘っていた。 つい、私のそこに立った。あの中国人よりも外国人の多い場所に。 もうここに立っている以上楽しく踊らないと、と彼女の踊る姿を見ながら、アドバイスをして、一緒に楽しく踊っていた。 何年振りなんだろう?こんなに楽しく踊れたのが。 彼女と一緒に店を出て、タクシーに乗った。 このような夜は、私の世界ではなかった、と夜景を見ながら、思っていた。私の周りの友達はもう殆どこのような夜とお別れした。それもそうだけど、家庭を持つ人はこんな所になかなか来られない。<終>
Sep 24, 2005
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今朝、6時半のモーニングを食べに行って集合時間に間に合うために、早く起きた。 思ったよりこのホテルのモーニングは美味しくなかったが、お婆ちゃんもお母さんも自分の好きな料理を選んで、文句を言わずに食べていた。 昨日の山登りがかなりつきかったせいか、3人ともふくらはぎに異変が起こった―痛みを感じて、階段を下りる時に、重たく感じていた。 私もまさかこんな違和感を感じるのが自分でも信じられなかった。普段の運動不足でもあって。そして、昔よりは年をとったからかしら?嫌だけど、仕方がない!ウウウ! 今日は、豪華遊覧船を乗って、3000個以上もある千島湖の有名な島に上がって、観光した。 さすが西湖と太湖よりも綺麗な湖!身も心もあの美しい風景に惹かれて、すべての不快や悩みが吹っ飛んでしまいそうで、ただそこにいて、ただ体で感じて、まるで一枚の巨大な中国画のいるように。 3人遊覧船の頂上に上って、安全のためにお婆ちゃんとお母さんを椅子に座らせ、ガイドさんの紹介と説明を一つ一つ指で指しながら伝えていた。 5つの大きな有名な島に上ったが、それぞれの風景が違っていて、見所が一杯だった。その中に一番綺麗なのは、梅峰という所だった。 山頂で、千島湖を見ると、思わず「すご~い!綺麗~!」と叫んでしまった。 お婆ちゃんとお母さんにたくさんの写真を撮ってあげた。記念に、思い出に―この頃、あっちこっち痛いとお婆ちゃんが言っているので、今度はいつ一緒に旅に出られるのが分からなくて… お婆ちゃんとお母さんの笑顔は、私の幸せだった! 本当に、この計画が良かった! お婆ちゃんにびっくりさせ、お母さんに念願を実現させ、そして、私に素敵な永遠の思い出をくれて。 来年、大学院を卒業して、上海に帰ってきたら、再びこのようなチャンスを作ることができるように。 昼ごはんは船の中で各自に注文していた料理を作ってくれた。一番新鮮な野菜と魚と海老!ちょっと高かったが、大満足な2人を見ると、私も大満足。 食後に、また二つの島へ。 足が疲れていたので、お婆ちゃんは最後の島を登って観光することを放棄して、船の中で昼寝を。お母さんも私もそばに座って、外の風景を見ていた。 2時に、ホテルに戻って、荷物を取って、再びバスに乗って上海に帰ってきた。高速道路が渋滞なかったので、7時にはちょうどバスの通り道で、家の近所に下ろしてもらって、歩いて3分で家に帰ってきた。 疲れたが、でもこの旅は本当に楽しくて、良かった! 最高の旅だった!<終>
Sep 23, 2005
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予定通りに、お婆ちゃんとお母さんを連れて【千島湖(杭州市淳安県にある村で、1958年に2つの村によって合併され、作られた観光地)】旅に出た。 6時半出発するので、5時に起きなければならなかった。欠伸ばかりしていた私と違って、お婆ちゃんとお母さんはとても元気そうで、まるで子どもが遠足に行くようにワイワイと話をしていた。 5時間半の旅は、とてもきついものだったが、私にとっては寝るに最高のチャンスだった。途中で、2回も寝てしまった。ハハハ! やっと、【海外海ホテル】に着いた。 初めての旅行は、お婆ちゃんにとって、すべてが新鮮なものだった。まるで、子どもが別世界へ来たようにあっちこっち見たりしていた。 「このホテル、すごい!」 「うん!ここは4つ星のホテルで、ここで一番豪華なホテルらしいよ!」とお母さんがガイドさんから聞いた話をお婆ちゃんに伝えた。 この旅行の値段でこんなホテルに泊まれるなんて!!! 少し休憩してから、3人で昼ごはんを食べに行った。 ここの料理はさずか都会とは違って、美味しくて、安くて、量が多くて、冷菜一つ、メイン料理2つ、スープ一つとご飯しか注文しなかったのに、あんなにたくさん出てきて、3人ともお腹が一杯一杯になった。 午後はガイドさんに連れられ、千島湖森林バーへ。 470メートルの山を登ることは、78歳のお婆ちゃんにとってはかなりの挑戦だった。 この旅行団体の48人の中で、一番年上のお婆ちゃんは、お母さんと私の手を借りながら、笑顔を絶えずに、休憩しながら、みんなと同じように終着点に着いた。 ご褒美に、お婆ちゃんの大好きな小豆のアイスを買ってあげた。まるで子どものように喜んで食べていたお婆ちゃんはとても可愛くて、強く見えた。 さすが2時間半の山登り、疲れ来たお婆ちゃんはホテルに戻って、シャワーを浴びてからいつの間にか寝てしまった。 2時間近く寝て、お婆ちゃんが起きて、「お腹空いた!」って一言で、お母さんと私を笑わせた。 着替えて、ここの一番にぎやかな町に出た。 一つのレストランを選んで、2階に行ったら、ちょうどその窓口の席から広場に行われていた音楽ネオン噴水のSHOWがはっきりと見えるので、大興奮していた私達三人がそれを見ながら、すごく美味しい地元料理食べながら、話をして、最高の一夜を過ごした。 もう既に眠りについたお婆ちゃんとお母さんは今夜どんな夢を見るのだろう?<終>
Sep 22, 2005
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昨日、上海師範大学の沈教授が私に【上海星雨児童康健院】を紹介して下さった。 今日、早速蒋院長に連絡して、許可を得て見学に行った。 蒋院長の息子さんは自閉症児で、上海に来る前にずっと北京で行われている「特殊教育」の元で訓練と勉強をしてきた。その何年間の間に、蒋院長はたくさんの自閉症児の保護者たちと出会って、上海から戻ってきたら自ら様々な困難を克服して、臨床心理士の資格を取った上で、この施設を立ち上げた。 都会の中心から離れているため、その場所を見付かるには大変時間を掛けてしまった。それもそうだけど、こんな所だからこそ家賃が安くなるのだろう? やっとこの施設を見付けて、2階にある院長室へ。 院長室へ行くそのわずかな距離なのに、目に入った風景は私の想像から外れていた。もっと良い環境だと思ったが、しかし、あの階段、あの床、あの校舎、あのトイレ… 何故?、といった質問が頭に浮かんできて、そして、この質問を持ちながら院長室に入った。 その答えは、私のこころを痛く感じさせるものだった。 普通教育の教育者と政府の官僚は特殊教育へ理解がかなり少なくて、例え軽度の自閉症児でもどんな幼稚園や学校へ行っても拒絶されて、普通教育を受ける権利が得られない。そして、蒋院長のような本当に自閉症児のために施設を作ろうとしている教育者はなかなか政府や他の機構から協力を得られなくて、反って厳しい状況におかされてしまう。 外来の収入の低い就労者の子どもたちは軽視されて、その子どもたちのために作った幼稚園や学校は段々と撤去されていて、子どもたちの教育を受ける権利もそれにつれて抹殺されてしまった。 自閉症児に指導をする目的は普通教育に戻したいためだが、しかし、例えここで良くなって退院した子どもでも普通教育へ行ったら、自閉症児と聞くと、自分の学校の成績や名誉を守るために、受け入れてくれない。 そこで、蒋院長はこの二つの見捨てられたグループ子どもたちのために、この施設に健常児と障害児をともに入院させた。良くなった障害児が健常児と一緒に活動や勉強するチャンスが得られた。 しかし、蒋院長のこの熱意は、政府教育局へ届けなかった。 現在、施設にいる2つの外来の子どものクラスを直ちに閉鎖し、その2つの子どもを他の所(地元へ)に転院させるといった指令があった。 蒋院長は何とかしてこの2つのクラスの子どもたちを守ろうと孤独に戦っている。 あのナミダの陳述、こころが刻まれたように痛くて痛くて… 日本での自閉症児に関する勉強と実習を元に、できるだけ、蒋院長と主任に問題点とアドバイスをした。 丸々一日、蒋院長の話を聞いたり、見学したり、相談に乗ったり、そして、一緒に昼ごはんを食べたりして、私はまるでこの施設の中の一員のような存在になった。 この7時間、蒋院長にとっては物足りなくて、また会いたい、また話をしたい、アドバイスをもらいたいとなかなか私を帰らせて下さらなかった。そして、自分の家庭の問題も私に打ち上げた。それを来週に時間を作ってからに約束した。 正直に、児童指導、教師指導、保護者指導などについては経験と勉強によってアドバイスができるが、しかし、管理者という立場になって物事を考えたことがなくて、今日は初めて管理者としてのアドバイスを求められた。そこで、初めて自分が管理者としての才能があることに気付いた。 正直に、蒋院長の家庭問題を解決することが出来るかどうかに大きな自信はない。でも、それでも、ただ話をちゃんと聞いてあげるだけでも、孤独な挑戦者の彼女にとっては一つの慰め。同じ教育者として、彼女の小さな支えになりたい! 小さな力しかないけど、でも、私はこの施設、ここの真の愛を持つ教師に協力したい! 中国に特殊教育が必要! 中国の障害児たちにとって、このような施設が必要! その子どもたちも生きる権利と教育を受ける権利がある! こころが痛い! 中国の教育現状、特殊教育の現状に。 ハードウェアを向上させると同時に、ソフトウェアをより向上させないと、益々大きな問題をもたらす恐れがあるのに。 <終>
Sep 21, 2005
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今日、12時半に上海師範大学の沈教授と会う約束があった。 11時40分、家を出て、バス停へ行ったら、ちょうどバスが来た。普段なら結構待たされるので、ラッキーだった! 交通渋滞を予想して、早目に家を出たが、しかし、12時にはもう着いてしまった。 どうしよう? お茶でも飲んでから行こうかなぁ~と思ったが、その近所に喫茶店はなかった。 仕方がなくて、沈教授の研究室へ向かった。 それでも、早過ぎた。 エレベーターを待っていたら、3人先生が来た。 この中に、沈教授がいるのかしら、と想像していたら、私の前に立っていた男性の先生の手に「沈先生へ」と書いていた手紙が目に入った。 まさか?! まさかこの方が沈教授? 12階に上がって、ずっと外で25分待っていた。12時半になったとたん沈教授の研究室のドアにノックしたが、誰もいなかった。 沈教授に電話したら、会議中でもうちょっと待ってということで、再び待つことになった。 1時過ぎて、やっと先生が現れた。―先ほど、エレベーターで会ったあの先生だった。 沈教授は、箱庭療法を中国で普及しようと思っていることを私に打ち上げて下さって、甲子園大学の先生との共同研究の論文を見せて下さった。やる気満々で、羨ましくて… 私の日本での勉強と研究などについて詳しく聞いて下さって、率直に「どうですか?卒業したら、うちの大学の心理相談室に来る気ありますか?もし、あるなら、履歴書を書いて、私に送ってきて、何とかして来年卒業したら、ここで働けるように上に言ってみるから。」 その相談相手は大学生と社会人で、教師という資格ではない。 もう一つの選択肢が目の前にあった。 これが私のやりたいことなのかしら?<終>
Sep 20, 2005
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今日は、どこへも行かないことにした。 一日、ずっと家にいても、退屈を感じなかった。 が、 弟の談話で、気分がどん底に落ちた。 「お姉ちゃん、お姉ちゃんはずっと自分一人のことしか考えていない!良い職場だったのに、仕事を辞めて、日本へ留学に行って、今、自分のレベルは高くなったが、しかし、私達の家は昔のまま。大雨や台風の日、天井から水が入ってきて、いつもいつも私とお母さんと二人でバケツを置いたり、床を拭いたりして、こんな家、私もう嫌!結婚だって、こんな家、誰が私の嫁に?…あなたが日本へ行かなかったら、新しい家に住めたのに…私は、病気でなかなか良い仕事を見付けなかったけど、それでも、私は自分なりに頑張っている。しかし、こんなに仕事を頑張っているのに、なかなか良い収入が得られなくて…お姉ちゃん、もっと家のことも考えて!勉強ばかりではなく!…もうこんな所に住むのが、嫌!…」 こころが、刻まれたように、千切られたように、痛くて、痛くて… 私のせい! 私のせいで、お母さんと弟をこんな生活を送っている。 上海出身だからって、お金持ちな人が多いと思っている人が多い。しかし、私の家は、お父さんの病気、弟の病気で、このような家に住んでいる。 色々な困難をを乗り越えてやっと、勉強できるチャンスを手に入れて、自分の長年間の夢を実現できたが、しかし、その結果は、お母さんと弟に苦労させてばかりで。 博士号、やめるしかないんだ。 もうそれ以上、辛い思いをさせたくない。 お母さんと弟に、平凡な生活を送らせてあげたい。 あの日、大学への進学をあきらめることにした。 きょう、博士への進学をあきらめることにした。 家族のために。 誰かの「ために」という言葉が、一番嫌いなのに、しかし… 現実と理想には、必ずズレガ生じる。 この選択肢、再び私の目の前に置かれた。 そして、再び同じ答えを出した。 私はこの答えを出すしかない。 悔しい? 悲しい? でも、そういう気持ちにならないように。 視点を変えてみよう。 家族の幸せを考えよう。 そう!そうするしかない! 決めたなら、笑顔を家族に。 そう!笑って!新たな明るい未来だけを考えて。 <終>
Sep 19, 2005
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陰暦の8月15日、中国の伝統的な“中秋節”。 真丸の月の下で、一家団欒で、月餅(日本語では「ゲベイ」という)や、枝豆や、里芋などを食べながら、月を鑑賞し、ワイワイする。 この日になると、家族や故郷を思い出し、特に家族や故郷から離れている中国人は最も家族と会いたくなったり、故郷を思い出したりする。 http://music.fzbm.com/zhongqiukuaile/zhongqiu.html 今夜の月は、とても丸くて明るかった。 団欒の日なので、私と同じように、友達もみんなそれぞれ自分の家族と一緒に過ごしていた。 会わなかったが、携帯のメールや電話を通して、お祝いの言葉を送ったりして、一日だけで30通以上ものメールがあった。やっぱり、“春節”の次に二番目大きなのは“中秋節”で、そして、上海に帰ってくると、そのにぎやかな雰囲気を味わうことができる。 中国人は、やっぱりこのような盛大な祝日が一番好きで、他者との関係もより良く作れる。 ニュースで、上海のバンドの風景が撮られた。 人が多くて多くて、びっくりするぐらいの人数だった。やっぱり、中国人はにぎやかな雰囲気が大好き! そこには、地元の人もいたが、やっぱり最も多かったのは、地元ではない人だった。それもそうだけど、地元の人はほとんど家で家族と一緒に過ごしていて、あの人ごみの一員になるのを恐れている。私もその中の一人だった。その代わりに、家族と一緒に楽しく過ごすことができた。それは何よりも幸せなこと! 今年の“中秋節”、上海に帰ってきて本当に良かった!<終>
Sep 18, 2005
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今日も友達との約束で、出掛けた。 土曜日、上海の町は人で溢れていた… 人が多すぎる! 大阪よりも、東京よりも、どこへ行っても人、人、人… 人の話し声と叫び声、車のクラクションとエンジンの音、大きなスクリーンの中から出た音…聞きたくなくても、自然と耳の中に入ってくる。 エネルギーの溢れる町上海―私の地元、8年前とはずいぶん変わっていた。まるで、別世界から来たような気がする。 ... 広場の一角の洋食屋さんで、友達と話をしながら昼ごはんを食べた。日本ではなかなかこんな優雅に昼ごはんを食べる時間はなかった。 友達が行ってから、一人でスタバーでコーヒーを飲みながら、余所見をしていた。 家からバスで15分のこの場所、大きく変わっていた。今は、上海の最もにぎやかな都会の中心の風景の中の一つになっていた。 地元の人、外来の人(同じ中国人)、外国人、一つの小さな世界! 上海語も、標準語も、英語も、日本語も、そして私の聞いても分からない言語があっちこっちから聞こえてくる。もう当たり前のような存在になっていた。 上品な人も、マナーの良い人も、ちょっと行儀の悪い人も、みんなそれぞれの自分を意識的に、無意識的に表現していた。 ふっと時計を見ると、あれ? そうか、上海と日本は一時間の時差がある。腕時計は日本時間のままだった。 たった、一時間の差もないのに、こんなに違うように感じていた。 この私を生まれ育った土地、こんなに見知らぬ世界に変わっていた。 この土地から出て、そして、この土地に帰ってくる。 当たり前のこと! 再び、この土地の生活に慣れるように努めるのが当たり前なこと! 慣れないのではなく、慣れようとするかどうか。この土地の生活に適応できるように努力するかどうか。ただ良くない所をばかり指摘するのではない。 今の時間なら、日本にいる私は何をしていた? そして、今の上海にいる私は何を感じていた? ... 来年の春には、私は日本から離れて、この土地に戻ってくる。 この土地のすべての変化を受け止めるこころの準備と勇気がもう出来ている。どんなに醜い所があっても、どんなに慣れない所があっても… ... 私は一滴の雫のように、この海に戻ってき、そして、前へと進み…<終>
Sep 17, 2005
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今日は、すごく疲れた。 約束通り十時に、集合場所に着いたが、しかし、二人の台湾人の友達は待っても待っても現れなくて、30分以上遅刻して来た。 この頃の上海はとても暑くて、毎日33℃、34℃ぐらい。 この30分だけで、汗がびしょびしょになって、熱中症になってしまいそうだった。 久し振りの三人の集まりで、喋ることが一杯一杯だった。もちろん、一番多かったのは、二人の子どもさんの教育の問題だった。子どものいない私なんだけど、やっぱり子どもが大好きなこともあって、少々教育にも詳しいので、相談相手になることを慣れた。 三時ぐらい解散して、各自の用事のため違う方向へ。 やっとバスが来て、乗って帰ってきたら、Jodieからメールがあった:王校長先生は今日西部の校舎にいるので、代わりに会う約束をしてくれたって。 しかし、校長室へ何回も何回も電話を掛けても誰も出てくれなくて、すごく困ってしまった。夜7時に約束があるので。 5時になって、電話を掛けても王校長先生が出てくれなかった。 こうなったら、行くしかないと、早速お土産を持って、家を出た。 学校に着くと、ちょうど知り合いの先生とばったり会って、ただいま会議中で、校長室で待つようにと案内された。 待って30分、校長先生がやっと現れた。 それからはずっと私のことを聞いてくれて、そして、私の進路についても詳しく聞いてくれた。 校長先生の思っていることは分かっている:うちの学校に来てって。 二つの学校、二人の校長、そして、この二人とも私の昔の師匠。どっちをとるかは難しい。どっちも傷付けたくないので、困る。 後半年間があるので、もうちょっと考えてみよう。 久し振りに会って、校長先生は私に喋ることが一杯で、なかなか席から立てられなくて… 6時過ぎでも、終わりそうもなくて、仕方がなく、校長先生に友達と約束があることを告げた。そして、許しくれた。 慌てて、タクシーを拾って、家を寄って、頼まれた日本から買ってきたものを持って約束の場所へ向かった。 しかし、金曜日なので、交通渋滞で、なかなか車が動かなくて、幸い時間通りに着いた。 後輩に頼まれた物を渡して、ちょっとだけ喋ったら、すぐ彼女と別れて、もう一人の友達との会う約束場所へ向かった。 やっと、座られて、もう晩御飯を食べる気もなれなくて、ちょっとだけ食べたら、それからずっと飲み物ばかり飲んでいて、喋っているだけだった。それでも、2時間近くずっと喋り続けていて、そして、先ほどこの店に来るためタクシーを30分も待っていたせいか、すごく疲れを感じた。 睡魔に襲われて、やっぱり早く帰ろうと友達とバイバイして、家に戻ってきた。 今日は、本当に忙しくて、とても疲れた。Zzz…<終>
Sep 16, 2005
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朝から何回も上海師範大学の先生に電話を掛けていたが、なかなか見付からなくて…携帯に電話しても良いが、しかし、上海では両方通話料金が取られるので、できるだけ携帯に掛けないようにしようとした。 昼ごはんを食べてからもう一度掛けてみたが、あいにく研究室も相談室もいなくて、仕方がなく携帯に電話した。 やっと沈先生と連絡が取れた。簡単に会話して、「来週の火曜日に私の研究室に来て、そこで詳しく話をしましょう」と約束をした。 ... とても良い知らせだった。 ... しかし、ほぼそれと同時に、事件が起きた。 弟が急に家に帰ってきて、慌てて引き出しの中から何かを取り出した。 「どうしたの?」 「おねえちゃん、バイク、盗まれた。」 この知らせは、私とお母さんに大きなショックを与えた。特に、お母さんは涙目で弟を見詰めて、弟に失望した顔をしていた。 お母さんはきっとこころが痛くて、たまらないのだろう? お金はもちろん、お母さんの8ヶ月以上もの退職金ぐらいだったので、ショックでこころの中で涙を流しているのだろう?そして、最も辛く感じたのは、自分の息子の出来の悪さ。 「いくつになったら、大人になれるの?」と弟への口癖を私にぶつけた。 「昨日、夜遊びしなかったら、こんなことはないのに…」 「もう何もやってあげたくない!」 「本当に…」 バイクが盗まれたのは弟のせいではない。このことは分かっている。しかし、お母さんの気持ちも十分に理解できる。 今のお母さんは、弟に対して悲しい気持ちで一杯だろう? もうこんな息子はいらない! 失望した気持ちで溢れている。 お姉ちゃんの私にもお母さんと同じような気持ちで一杯だが、しかし、冷静にならないと状況が悪くなる一方。 まず、自分の気持ち、そして、お母さんの気持ち。 爆発しそうなお母さんの気持ちは何とかしないと。 そして、ちゃんと弟と話をしないと。 甘やかされてばかりの弟、彼の問題にはお母さんの教育方法に問題があると言っても良い。でも、今はその責任を誰が取るというよりも問題解決に目を向けた方が良い。 ちょっと大変だけど、その役割は私が担うしかない。 どうか、無事に解決できるように。<終>
Sep 15, 2005
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今日も、いつものように、9時ごろに起きた。お母さんも弟も仕事に行って、一人でゆっくりと家事と洗濯をやっていた。日本にいる間は、ずっと一人の洗濯物していなくて、家に帰ると家族三人の洗濯物、三人の食器洗いをやるので、家族と一緒にいるという実感が味わえる。 元々家事をするのが大好きな私にとっては、三人分の家事をするのは負担ではなく、喜びと感じる。 やっぱり、家族って良いなぁ~ 昼ごはん、お母さんと一緒に食べた。そんなに高級なものではないけど、ごくごく普通の家庭料理なんだけど、それだけでも嬉しくて嬉しくて… 「やっぱり、あなたが帰って来たら、お母さんの代わりに一杯やってくれて、ずっとお喋りをしてくれて、本当に嬉しい!」とお母さんが真剣そうな顔をして、私に言った。 「お母さん、もうすぐですよ!来年になったら、もうずっと家にいるからね!」 私のいないこの7年間、お母さんはきっとすごく寂しかったのだろう?いいえ、益々寂しく感じているのだろう?特に、私の友達と出会うたびに、他の一家団欒の風景を目にする時に。 もうお母さんには、寂しい思いをさせたくない。 ... お母さんが仕事へ行って、私はパソコンに向かって、上海の学校の情報を調べることにした。しかし、修士論文のことは常に頭の中から浮かんでくる。焦っていることが十分に分かっている。でも、もうちょっとだけ、もうちょっと就職のことを調べてみたい。 とその時、一通の新しいメールが入ってきた。 何だろう? 開けてみると、上海師範大学の先生からのメールだった。 帰ってきて良かった。ぜひ一度上海師範大学で、私と会いたいということだった。 短い言葉だったが、その気持ちが十分に伝わってきた。 私って、どんなに幸せなんだろう? 正直に、話を聞いて下さるだけでもすごく嬉しい!私にとって、一つのチャンス!大きなチャンス!結果どうなるかは考えないで、焦ってはならない。そう、それだけでももう一つの選択肢が増えてきた。 嬉しくて嬉しくて… 明日、先生の教えて下さった電話番号を掛けてみよう。 やった!<終>
Sep 14, 2005
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今日は、親友のJenniferの新しい勤め先の小学校へ彼女と会う約束した。 以前、私達が勤めていた小学校の校長先生がこの小学校の校長に任命された。彼女は私の師匠でもあったので、日本で買ってきた和菓子を持って家を出た。 「すみません、ここへ行きたいんですけど」と運転手さんに伝えた。 「ここ?って、どこの道へ走れば良いかなぁ?」 「えっ?!」そんなこと、私に聞いても、正直にJenniferが教えてくれたこの住所、私の日常生活範囲にかなり外れている場所。そう、私の頭の中ではずっと田舎のイメージだった。 「まぁ、とりあえず車を出しますね!」 「えっ?!」これで良いかしら? 運転手さんは、信号待ちの間に、地図をチェックして、一人でぶつぶつ言いながら、場所を探していた。 「もう分かったのですか?」 「まぁ、とりあえず行きましょう!」 「えっ?!」そののんきの運転手さんが私に最大の不安を与えた。 ちょっと、信号だよ! ちょっと、前に車があるよ! ちょっと、このままで行っても大丈夫? 痛っ、痛っ、痛っ! 乱暴! ちょっとゆっくり走ってよ! ちょっと乗客の安全を第一に考えてよ! 恐れ恐れに、やっと学校の前に着いた。良かった! ... この校長先生とは7年ぶり! 「Jacqueline、本当に変わったね!街で出会ったら、まったく分からなくなると思うよ!」 私はそんなに変わったのだろうか? 確かに、8年前と比べたら、外見からも内面からも変わったと思う。 校長先生と30分近く話をしていた。もちろん、話題は私の日本での勉強と今度の就職について。 「相変わらず、勉強が好きで、真面目だね!昔のままに。その時、もし学校から出なければ、あなたはもう管理職に就いているのよ!…まぁ、こうやって、自分の大好きな勉強ができて、昔のままの夢と勤勉さを持ち続けて、きっと良い教師になれる。…どう、私の学校に来ないか?語文(国語)を一クラス教えて、学校心理をあなたに任せる。やりたい研究、日本の先生の方々との共同研究も一緒にやろう。どう?…まぁ、確かに、外資系の会社に就職すると比べると給料は4,000元ぐらいしかないけど。どう?…考えてこらん!…もし、ここよりも良いところがあればそこへ行っても良い。…」 「はい!分かりました。考えさせて下さい!」 「はい。ゆっくり考えてね!でも、本当に待っているから。」 正直に、その場で「はい」と答えたかった。でも、やっぱりもうちょっと他の所も、今上海の学校教育の現状を見てみたい。 再びこの校長先生と一緒に仕事できるなら、私のやりたい仕事を実現できる気がする。私に自由な発揮する空間を与えてくれると思う。そして、何よりも、教育への熱意と理念が最も似たもの同士だから。 隠せない嬉しさ! 夢、希望! ... 校長先生と話をして、Jenniferと一緒に学校を出て、Jodie、Cindy、Ericと一緒に晩御飯を食べに行く約束の場所へ向かった。 「Jacqueline、さっき、理事長が呉校長に何とか彼女をうちの学校にくるように、と言っていた。」 本当に、嬉しかった! 理事長からいただいた理事長自筆の中国画を手に持って、こころが感激で一杯! 久しぶりに、昔の仲良い同僚と一緒にワイワイ言いながら、羊肉のしゃぶしゃぶを食べて、懐かしい話、一人一人の夢を語り、こんな私を理解してくれる友達がいることに、私はとても幸せと感じる。 彼らは、本当に私をちゃんと理解してくれていて、私にとって何が一番求めているのかをちゃんと分かっていて、そしてずっと私を応援してくれている。 もちろん、外資系の会社で働くと給料はかなり高いが、でもそれは私のやりたい仕事ではない。いいえ、仕事ではない!職業! みんなから、また一杯一杯のパワーをもらった。 私って、本当に幸せ! 本当の意味の友達がいることに。最高!(^0^V)<終>
Sep 13, 2005
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昨日、上海15号台風のため、上海行きの便が飛べない恐れがあると報告されて、待って待って、出発1時間前に、やっとアナウンスから飛ぶことにしたが、しかし、上海の上空で台風に影響される恐れがある場合はまだ関西空港に戻るかもしれないと。 恐れ恐れに、急いで出国手続きを済ませて、出発20分前に、11番搭乗口に着いた。ちょうど、上海へ出張する後輩とばったり会って、私の荷物を持っててくれた。本当に助かった。 緊張しながら、後輩と一緒に飛行機に乗って、彼は他の方に頼んで、席をチェンジしていただいた。2時間しかない空の旅だったが、彼と一緒に昔話をしていて、本当に楽しかった。台風に対する恐れも感じなくなった。 びっくりすることに、わずか2年なのに、彼の息子さんはもう1歳半になった。本当にめでたし話だった! 「もうパパだね!」 「うん!責任重大だよ!」と彼はパパらしい顔をしていた。 ... 飛行機、無事に予定通りに着陸した。 ほっと安心した。 入国手続きを済ませて、荷物を取りに行く時には、もう私を迎えに来てくれた弟を見付けた。外で、私を待っていた。 ... 家に着いてから、雨は急にひどくなって、風が強くて強くて、日本のあの14号台風と同じ強さかも。 親戚や友達が帰ってから、やっと落ち着いて、お母さんと話ができた。段々とお母さんも疲れたようで、早く寝ようとした。 が、その台風のせいで、なかなか眠られなかった。 何時ぐらいに寝たがまったく覚えていなくて、起きたら、もう9時すぎになった。お母さんも弟も仕事へ行って、家は私一人だけだった。 もう寝る気がしないので、起きて、掃除.洗濯などを済ませたら、ちょうどお母さんが昼ごはんを食べに戻ってきた。簡単に雑炊ご飯を作って、お母さんと一緒にテレビを見ながら食べた。 お母さんはやっぱりテレビが大好き!一つ一つのドラマの内容を私に紹介してくれた。ハハハ!さすがお母さん! ... 今日は、以前勤め先の小学校での親友のJodieの誕生日。毎年の夏休み、上海に帰ってきた時には、必ず彼女と彼女と可愛い娘さんのAppleと一緒に他の友達と一緒にBirthday Partyをするが、今年は、私達三人しかいなかった。それでも楽しくて楽しくて、いっぱい笑って、いっぱい喋って、いっぱい食べて、いっぱい写真を撮って、最高の誕生日会だった。 Appleは、相変わらず私と親しくて、姉妹のようだが、しかし、考えてみれば、中学校2年生の彼女と私とはしまいになるはずがない。しかも、私は彼女のお母さんの同僚だったし。 「大丈夫よ!Apple, Jacquelineをお姉ちゃんと呼んで!」とJodieはいつもこのような言葉を口にする。 確かに、Appleは本当に優しくて、思いやりのある子で、今時の中学生と比べると、よぼどに心が綺麗で、とても純粋な女の子! Apple,大好き!!! 今日は、最高の日! 思い出になる一日! もう疲れた。昨日はあまり寝られなかったので。 Zzz…<終>
Sep 12, 2005
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ダイアリー6月2日 月曜日 晴れ 偶然、だったのだろうか。 その日は寝坊してしまって、閉まる寸前の電車のドアの隙間に滑り込んだ。いつもと違う車両。少し息を整えて、乱れてしまった髪を整えてから、いくつか先の駅で友達が乗ってくるいつもの車両へ向かおうとして。 そして、彼と出会ってしまった。 一目見ただけで、目が離せなくなってしまう。胸が苦しい。顔は多分赤くなっている。どうも私は恋愛と縁がないような気がしていたのだが、まさかこんな事になるなんて。 ドアにもたれて友達と話していた彼が、不意にこちらを向いた。視線は、あわない。私はずっと、下を向いていたから。 そして、学校の最寄り駅に着くまで、私はずっと下を向いたままだった。 彼も同じ駅で降りる。どうやら同じ高校の生徒らしい。 6月3日 火曜日 曇り 私らしくない。ずっと彼の事を考えていた。自分でもどうにも説明のつかない期待を抱きながら、昨日と同じ車両に乗る。 いた。当たり前のように昨日と同じ場所で、昨日と同じように友達と話している。 当たり前のように頬を熱くしてうつむいてしまう私。胸がどきどきする。困った。こういうのには慣れていない。 話がしたいな、と思った。話なんて大層なものでなくていい。ちょっだけ、一声だけかけてみたい。それで気が済むのかと言えば、きっとそんな事はないのだろうけれど。 彼の友達が、彼の事を榊原と呼んでいた。どうやら榊原君と言うみたいだ。 「榊原君……」 思わず呟いてしまって、慌てて周囲を見回してしまった私はきっと変に見えただろう。榊原君もちょっとだけ不思議そうにこっちを見ていた。 ……恥ずかしい。 6月4日 水曜日 曇り 友達には悪いが、今日も昨日と同じ車両に乗る。昨日と同じに乗っている榊原君。 私が車両に乗ってきた途端にこっちを見られた。慌ててうつむく私。うう、昨日の変な女とか思われていたらどうしよう。 うまく気持ちの整理がつかない。昨日と同じ姿でそこにいる榊原君に対するこの安心と焦燥が入り混じったよくわからない感情。 もう少し自分はハキハキした人間だと思っていたのだが、どうやら買いかぶりだったようだ。頭の中で気持ちがぐるぐる回っている。 ホームに着いた時、偶然同じタイミングで降りそうになって、榊原君が道を譲ってくれた。 「あ、あの、ありがとう」 ちょっとどもった。 「いや」 とだけ応えた榊原君の顔は、うつむいたままの私には見えなかった。 でも、少しだけ前進。 6月5日 木曜日 雨 榊原君が乗っていない。 彼の友達は乗っているから、私が車両を間違えたとか、榊原君が車両を間違えたとかではないみたい。 多分、遅刻したか風邪でもひいて休んだだけなんだろうけど、なんだか、とても不安になる。 もう、あの榊原君の姿が見れないような気がして、昨日ちゃんと話をしていればよかったと、そんな後悔で頭がいっぱいになる。 どうしよう、どうしよう、どうしよう。 明日になれば多分また会えるんだろうけれど、それは私の知っている榊原君じゃないかもしれない。そんな事はないんだろうけれど、ああ、自分の考えがまとまらない。 6月6日 金曜日 晴れ 榊君がいた。前と同じ姿のままで。私は嬉しいような頭にくるような、よくわからない気持ち。 明日明後日は学校がお休みで、何故だか私は今日しかないような気がしてきた。 心臓が、痛い。緊張して喉が渇く。ぐっと、指が白くなるくらいのグーをつくる。 「あ、あのっ 榊原君っ」 改札を出た所で、彼に後ろから声をかける。榊原君と、当然その友達が振り返る。 私の顔はきっと、リンゴのように真っ赤だったと思う。 「話がっ 話があるんです!」 自分でも何を言ってるかよくわからなかった。とにかく人前で言うには私のなけなしの勇気じゃ足りない。 榊原君の手を掴んで引っ張っていく。あー、何をしているんだ私は。 ちょっとびっくりしながらも、案外素直について来てくれる榊原君。 通学路から少しだけはずれた裏路地。 「話って?」 人通りはない。私は大きく深呼吸をして、もちろんそんな事でどきどきがおさまる訳がない。 「あの…あの! 私、ずっと榊原君の事、気になってて、ずっと言おうって思ってたんだけど……!」 人と話す時は相手の目を見るように教えられたけど、そんな余裕なんてない。 「……何?」 榊原君の、少しだけ何かを期待しているような声。もしかしたら榊原君は、これから私が言おうとしている言葉がわかっているかもしれないと思った。 もう一度だけ深呼吸する。一気に言わないと、絶対最後まで言えない。睨むように榊原君の目を見る。静かに見つめ返してくる榊原君。めげそうになったけれど、ここまで来て引き返す事なんてできなかった。 「あの! チャック! ズボンのチャックっ 何で月曜から今日まで全開のままなんですか!? 何かの罰ゲームですかっ それともそういう健康法ですか!? 親が泣きませんか!」 言った。ついに言った。この一週間気になって食事もろくに食べられなかった。 榊原君はゆっくりとズボンのチャックを上げると、私の両肩に手を置いた。 「ありがとう。君みたいな女の子を待っていた」 「……は?」 何故か、ちょっとだけ涙ぐんでる榊原君。 「俺、好みのタイプを聞かれてさ、『例えばズボンのチャックがあいてたらたとえ他人でも突っ込むような娘』って答えたんだ。そしたら奴等、口を揃えてそんな奴はいねーとか馬鹿にしてさ……」 「えっ? あの……えっ?」 「俺と、付き合ってくれないか」 「あの、あの……あ、あ…ああ」 大きく息を吸い込んで。 「あほかーっ!?」 私は榊原君を思いっきり殴り倒した。 6月15日 日曜日 晴れ 「なんで私デートなんかしてるのっ!?」 「まぁ、恋愛なんて何がきっかけで始まるかわからないって事で」 そんな話。 ... 8時半に、二人はもう目覚めた。10時まで、また一杯一杯喋った! やっぱり楽しい! この日記を読んで、ももちゃんと一緒に爆笑してしまった。 すごく面白い! ... もう12時になった。私もそろそろ仕度しないと。 二人抱き合って、別れの挨拶をして、彼女は自分の家に帰った。 来年の夏、上海で会う約束した。 お互いに元気で頑張ろうって。 もうすぐ時間! 4時15分の便で、上海へ。 では、ここに遊びに来られているお友達の皆様、またね! 元気でね!上海でのお土産話を楽しみにしててね! 行ってきま~す!♪(*'-^)-☆<終>
Sep 11, 2005
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明日、上海に帰る。 が、急いで買い物を済ませて、図書館へ向かった。 図書館しかいないSPSSのソフトを使って、データの最終チェックするため、行かなければならないんだ。 10月8日、修士論文の第3回中間発表があるので、発表用レジュメとパワーポイントを上海に帰ったら、作成する。だから、肝心なデータがすべて揃わないと、結果と考察が書けない。 ... 6時前に、家に戻って、2時間ぐらいで荷物をすべてまとめた。 それで一安心! ... 約束通り、いとこが家に遊びに来た。今日、会ったら、今度は来年になる。私が上海から戻ってきたら、彼女はいない。 いつものように、一杯一杯お喋りした... 彼女はアメリカでの留学生活に、自分自身に対してあまり自信がなくて、色々な不安を持っているようで、カウンセリング的な会話をした。 すべて、終了後、すっきりした彼女の顔を見ると、ホッとした。 「お姉ちゃんって、すごい!何かカウンセラーに見えた。すご~い!...」 私にしたら、当然のことなんだけど、彼女は自分のことをちゃんと見詰めることができて、これからどうすれば良いかちゃんと自分で考え出して、そんな自分、そんな私に感動した。 「うん!ももちゃん、本当に偉いだね!」 深夜の2時前まで、一緒にテレビを見たり、話をしたり、「コナン」の漫画を読んだりして、時間が経つのをまったく気付かなかった。 ... 「お姉ちゃんのベッドって、気持ち良いなぁ!家に帰りたくないよ!まだ喋りた~い!」 「来た時に言ってたでしょう?泊まっていたらって」 「やった!」本当に可愛い!ももちゃんは! ... ふっと気付いたら、喋っているうちに、ももちゃんはもう私の隣に寝てしまった!疲れたのだろうね! 久し振りの添い寝、再びももちゃんの小さい頃の事を目に浮かび、嬉しくて嬉しくて... ... 一緒に、頑張りたい! 自分の夢に向かって...<終>
Sep 10, 2005
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今週の日曜日に上海に帰るのに、やることが一杯で、焦ってばかりで...正直に、自業自得と分かっている。自分が自分をこんなに忙しくさせてしまったから。古くからの友達に言われた通り、自分のせいだと。(苦笑い) 今日は午後一時の実習へ行く前に、図書館へ昨日のレポートをプリンタアウトして、事務所へ提出する予定だったが、あいにく、平日は午後1時から開館となっていて、ちょっとがっかりした。 まっすぐ実習先へ向かって、途中で先生から電話があって、今日ケースの子が来られなくなったと。あぁ~!またがっかりした。 それでも、いつものように先生の所へ行った。この前の集中講義の素晴らしい内容を先生に伝え、そして、講義を受けた感想をべらべら一杯喋った。先生も私の影響ですごく笑っていて、本当に楽しかった!(^0^) 帰りに、先生は気を使って下さって、私に餞別を。 「先生、いらないです!」 「こら、受け取って下さい!礼儀だからね!」とわざと怖い顔を作って。 でも、私も頑固者だから、いらないならいないんだ。だって、先生は心の相談室を頑張ってやっていて、大変だから。そして、いつもいつも私に隠さずに自分の知っていることや経験を教えて下さっていて、これで本当にもう十分だから。 「もう~本当に頑固な子だね!」 本当に良いんだもん!いらないんだもん!もう本当に先生からたくさんのものをいただいているから、感謝の気持ちが一杯で。 ... 先生の所を出て、まっすぐヨドバシカメラ梅田へ行った。友達にデジタルカメラを頼まれたので。実は先週も行ってきたが、在庫なしだったので、明日は行く時間がないので、今日行かなければならなかった。 幸い、予約しておいたので、無事に入手した。 これで、ちょっと一安心。 ... 久し振りにあの古い友達と大阪で会って、一緒に晩御飯を食べに行った。一杯一杯喋って、冗談を言ってばかりで、笑ってばかりで、本当に楽しかった! やっぱり、お互いに良く知っている友達だから、気楽にいられる。 ... 大阪から戻ってきて、図書館へ行った。 そこには誰もいなかった。 「学校臨床心理学研究」のレポートをもう一度チェックして、プリンタアウトした。それをホッチキスでとめて、事務所へ持って行った。 このレポートの締め切りは20日だが、私は日曜日に上海に帰るので、早目に提出したと言う理由をちゃんと事務所の方に了承していただいて、扱っていただいた。 良かった! ... 明日はもう予定が一杯入っていて、きっと忙しいだろう。 まぁ~、後二日だから。 もうすぐ上海に帰る日がやってくる! Yeah!<終>
Sep 9, 2005
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台風が来たあの晩、怖くてなかなか寝られなくて、そして、三日間の詰め詰めの集中講義で疲れて、とうとう朝寝坊をしてしまった。 いいえ、朝寝坊といっても、ずっと夢を見ていて、頑張って夢の内容を覚えようとして、余計に疲れて、睡眠効率がかなり悪かった。 9時半に起きて、シャワーを浴びてから、集中して集中講義のレポートを帰国する前に書いて出そうと思ったが、体がだるくてだるくて、どうしても集中できなかった。 駄目だ! こんずっとパソコンの前に座っていても... と、家を出て、以前の勤め先の二人の校長先生への和菓子を買いに行ってきた。 外は暑くて暑くて、家にいる時よりも疲れてしまった。 昼ご飯を食べたら、眠気に襲われた。 駄目だ! ここが勝負なんだ! 今寝てしまったら、レポートも書けないし、夜も寝られなくなる。 好きな音楽を掛けて、しばらく自分を安定させた。 幸い、いとこと一緒に晩御飯を食べる約束の6時半までは一つの課題を完成させて、二つめの課題に入った。 そして、今、日付は変わったが、レポートは順調に書き終わって、良い出来で満足!これで、明日実習へ行く前に図書館へレポートをプリンタアウトして、事務所まで提出すれば良いと。 もうすぐ上海に帰るのに、またまたやることが一杯で... もうちょっとだ!頑張れ! 眠たい!もう寝ないと。Zzz... <終>
Sep 8, 2005
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まるまる三日間の「学校臨床心理学研究」が、終わってしまった。 満喫した気分! その気分は、一枚の絵で表した。 ... 「じゃ、これから紙を配ります。その紙の真ん中には一つのハートが描かれている。所々に線が切れているところがあるが、特に意味はないです。クレヨンでそのハートを使って、今のあなたの心境を描いて下さい!」 先生の指示を聞いて、さっそくピンクのクレヨンを使おうと思った。 「先生、ピンクのクレヨンありますか?」 と話を聞いて、もう1箱のクレヨンを私に下さった。 ... この講義を受けてとても良かったという今の私の心境をわくわくしながら描いた。 何でこれはカウンセリングと関係があるのだろうと疑問を持った時に、先生から再び指示があった。 あぁ~ そういうことなんだ! あまりにも感心してしまって、興奮していて、一緒にグループを組んだ他の受講生から、 「あなたにとって、この講義は本当に良かったですね!子どものようなピュアなこっちまでわくわくさせてくれる絵を見事に描きましたね!」 本当に嬉しかった! ... 今日も、理論と実践をたっぷり含んだ一日だった。 何個かピア・サポートのトレーニングしかを受けていないのに、こんなにカウンセリングの基本を実感できるのは思いもよらなかった。 人を理解するのは、こんなに難しくて、わくわくさせるもの。 相手のことを十分に理解できるまで、分かったようなふりをしたり、判断をしたりするのは最もカウンセリングに相応しいことが実感できた。 この三日間、本当に私が描いた絵と同じように、私にとっては本当に大きな意味のあった集中講義だった。 先生から、名刺をいただいて、ぜひぜひこれからも先生からの指導を受けたくて… 受講生の私達はみんな大人、でも先生から一杯一杯教わった。 何よりも肯定的な自尊感情と自己効力感をより良くなって、エネルギーを一杯一杯いただいた。 ☆;*・☆;*・私もこんな素敵な先生になりたいなぁ~!☆;*・☆;*・<終>
Sep 7, 2005
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昨日から風が強くて強くて、飛ばされてしまうぐらい。 台風14号が日本上陸! すごく強い台風が。 しかし、朝起きたら、雨が全然降っていなくて、太陽もちらちらと顔を見せてくれたりして、涼しくて良い天気! 台風って、来るかしら? 天気予報では台風14号は今夜九州上陸で、明日には近畿地方に。 でも、今の状況から、大雨は降りそうもない。 警報は、本当になるのかしら? いいえ、なって欲しくない!!! 絶対嫌だ!!! 明日の講義が無事に行われるようになって欲しい! 今日の講義はやっぱり最高だった! 先生のあのスクールカウンセリングに対する熱意、私達にぜひ身に付けて欲しい願望、そして理論に基づいた学校教育現場で実施できる5段階ブリーフカウンセリングの演習指導の姿勢、私達はたくさんのパワーをいただた。 これだったら、やれそう! こうしたら、より良くカウンセリングがスムーズにいく! ここを注意したら失敗と危険を防ぐことができる! 演習で、知識も技能もいただいた。そして、最も嬉しく感じているのは、このようなステキな先生と出逢って、このような講義を受けることができて、私って何という幸せなんだろうということ。 ... 台風、台風、お願い: ここに来ないで下さい! もう一日でも良いから、もうちょっと待ってて! 私達にこの集中講義を最後まで受けさせて下さい! 明日の講義は、どうしても受けたいのです!<終>
Sep 6, 2005
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朝の9時から、午後の6時まで、つめつめに「学校臨床理学研究」の初日が無事に終わった。 肉体的には、正直に疲れたが、でも私も受講生の皆さんと同じように笑顔が溢れていて、大満足できた。 今まで、私達にとって一番望んでいた講義だと言っても過言ではない。 今日は、学校教育現場の現状分析、ケースの実態把握・見立て・方針の実践について教えていただいた。その中でも、一番良かったと私達が思ったのは、学校教育的心理指導と援助サービス介入プロセスの中でのスクールカウンセラーとしての介入し方を身に付けるための事例研究だった。それも、ただの事例を提示するのではなく、一人で考える・グループで考えるという時間を下さって、いかに問題に焦点を合わせ、見立てと方針をたてることができるようにと、ケースを取ってからのプロセスの全過程を見せ、実践をさせ、力をつけようとこの講義を工夫させてくれたことにあり難く思っている。 本当に、良かった。 大満足な講義!万歳! 明日の演習も楽しみ!<終>
Sep 5, 2005
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明日からの三日間は集中講義があるため、午後には大学に戻らないと。その前に、いとこと会う約束した。 2年前から、アメリカへ留学している彼女と会うのは2年ぶりだった。 11歳も離れているせいか私から見るといつも彼女を子どものように見てしまう。小さい頃のあの可愛くて可愛くてずっと私のそばにいていた女の子。 ドンドンとドアがノックされて、ももちゃんが部屋に上がってきた。 「うあぁ~大人になったね!」 「えっ?!そう?思う?お姉ちゃん、私も21だからね!」と相変わらず可愛い笑顔を見せながら私のそばに来た。 しばらく、私の部屋で喋って、彼女を連れて昼ごはんを食べに行って、やっぱりそこでも一杯一杯喋った。 勉強の悩み、彼氏との良好な関係、将来への願望、バイトのしんどさ… そして、彼女のあの「お姉ちゃん、私、日本に帰ってきたけど、全然楽しくない…」との一言で、ドキとした。 両親の離婚について、まったく彼女に語っていない私は、どこかでちゃんと彼女の心境を聞いた方が良いと思っていたが、やっぱり口に出せなかった。 自分の両親のいる日本に戻ってきたのに、小学校2年生から今までずっと育てられた環境に戻ってきたのに… あの寂しすぎる一言は、なかなか頭から離れなれなくて。 ... 彼女の両親、要するに私に伯父と伯母が日本に来る前には、あんなに幸せだった。伯母の病気で大変だったけど、家族みんなのサポートをもらっていながら、誰から見ても幸せな夫婦、幸せな家庭と思われていた。 そう!私の憧れでもだった。 特に、私が小さい頃から大好きだった伯父と伯母の家の書斎は、勉強が好きとさせてくれた。そして、伯父と伯母と同じような博学で、上品で優しい人になろうという目標をたたせてくれた。 しかし… 外国の生活で価値観、人生観、世界観はこんなに変わるんだと実感した。 ガッカリした気持ちで一杯だった。 なって欲しくなくて、泣きたくなりそう。 世界で一番幸せな家庭と思っていた憧れが崩される時に、どんなに辛いことなんだろう? そして、「積み木崩し」のようにバラバラになったこの3人家族は、これからどのように生活してくるのだろう? やっと手に入った豊かさ、積み崩しを及ぼした。 積み木崩しの始まりは、誰でも予想できなかったのだろう? ... あなたは、本当にこれで良いの? あなたにとって、これは本当の求めている(求めていた)幸せ? 自分に問い合わせてみよう。 本当の幸せを失わないように。<終>
Sep 4, 2005
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今日は、バウムテストの勉強会に参加して、事例分析の資料を参加者の皆さんに提示して、アドバイスをいただいて、とても嬉しかった。やっぱり、実践が何よりも大事。そして、プロの先生の方々からのアドバイスが聞けることは大切。 ナちゃんからの電話があって、彼女と一緒にお茶を飲みに行く約束した。 「えっ?!直くんは?連れて来なかったの?彼と会いたかったのに...」 「ちょうど仕事の用事で出てきたから、一緒に連れてこられなくて、また今度あなたが上海から帰ってきた会えるじゃないか?」 「うん!そうだど...もう~直くんは本当に可愛いからね!あぁ~会いたかったのに...」とぶつぶつ言い続けた私だった。 私達の共同の親友のことについて、そして私の進路について、色々と語って、と彼女はいきなり泣き出した。 ビックリした! 「あなた、きっと覚えているのだろう、日本に来たばかり頃の事?あの辛かった日々!あなたなら、きっと覚えている。...色々あって、すごく頑張ってここまできた。...あなたは誰よりも勉強に頑張ってて、バイトも一生懸命に、勉強とバイトを両立するためにあんなに寝る時間を削って、あぞび時間を削ってきたじゃない。私、あなたこのままに上海に帰って欲しくない!日本で博士号を何とか頑張って取ってから帰って欲しい!もう辛い思い、苦労なんかして欲しくない!...中国の現実は、あなた、いいえ、私達が思ったよりも甘くないから。もっともっと自分の夢を大切に!教授になってよ!...教授になることは決して楽ではないことが分かるけど。博士へ進学したかったのだろう?また大変になるかもしれないけど、何かあったら、私がいるから。もうちょっとここで頑張って欲しい!...彼女みたいに帰ってから後悔して欲しくないから...」 分かる! 本当に良く分かる! ナちゃんが私に伝えたい思い。 大学で教えながら博士号を取るという黄先生が私に勧めて下さった考え方は本当に大学で許されるかどうかは今の私には分からない。現在の中国の大学についての情報はまったく知らないから。 だから、今度上海に帰って情報を収集したいんだ。それで、自分の将来を決める。悔いのないこれからの人生を。 慌てて決めるのではなく、色々な情報を十分に収集分析してから決めること。慎重に考えて、行く道を探して、選択して、進めていくこと。 ナちゃんが私への思いは、私がエちゃんへの思いと同じもので、だから彼女の思いはこころから感じるのだ。 有難う!ナちゃん!本当に! ... エちゃんについての話が続いた。彼女のことが心配で、親友として一緒に考えようとしていた私達二人の思いはエちゃんに伝えるのだろうか? ... やっぱり子どものことが心配で、彼女は早く帰った。 そこに一人で座っている私の心境はとても複雑なものだった。過去の事、現在の事、そして、未来の事について色々な思いが湧き出した。 ... こんなに私のことを心配してくれる友達がいて、本当に嬉しかった。 進路については、真剣に考えて、慎重に決める。 ... もう友達を泣かしたくない! ナミダよ!止まれ! 私の愛する友達に幸せを。 笑顔を。 <終>
Sep 3, 2005
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昨日もやはり深夜の2時まで「EMDR」の実習逐語記録を書いていた。今まで、逐語記録をやったことが亡くて、今回は初めでだった。 「EMDR」のカウンセリング実習のすべての過程をボイスレコーダに録音して、終了後ケースレポートを書くだけで、簡単だと思った。 が、 思ったよりすごく時間を掛けた。 やはりいくら日本語が上手になったと言っても、文書を一つ一つ聞き取ることはすごく大変なことだった。ちょっと一つの単語が聞き取れなかったり、聞き逃してしまったりしたら、もう最初から聞き直さないと駄目。 この逐語記録のために、買ったボイスレコーダはもちろん初めて使うので、分割、更に分割…何回も何回も繰り返した。 関西弁は、聞いたら大体分かるが、自分で喋るのはやっぱり物足りない。今度はクライエントの喋っている関西弁を一つずつ聞き取れて、記録していくレポートだったので、より時間が速く経ってしまった気がした。 今朝、起きてから昨日書いた内容を、午後1:15の夜間の図書館の会館に間に合うようにをもう一度チェックした。 今まで書いたケースレポートの中で一番枚数の多いものだった。 ... 昼ごはんを食べて、まっすぐ図書館に来た。 今日も誰もいないかなぁと思っていたが、一緒にEMDRを勉強している方がそこにいた。 「EMDRのケースレポートを提出しに来たのですか?」と聞くと 「いいえ、私はパスするわ!もうやることが一杯でね!」 「そうですね!やってもやっても終わらないのですね!私も焦って焦って、10月8日は第3回目の修士論文の中間発表なので、それ以外もたくさんの集中講義、レポートがあってねぇ…」 「そうよ!9月27日中間発表なのに、こんなたくさんのやらないことがあって、もう自転車をこいでいるような感じ。大変!」 「あぁ~でも、頑張らなくちゃね!自分で選んだ道ですから。」 「そう!そう!」 ... これから沈黙が続き、聞こえてくるのはキーボードにタッチする音とクーラーの音だけだった。 ... よし!できた! わぁ~ここの紙はいつか真っ白の綺麗な紙になった。 印刷機から一枚、二枚、三枚、四枚… 手に取った瞬間、満足感が溢れた。 やった! ... これからは明日のバウムテストの勉強会に提示する事例の作成。 本当にやってもやってもやることが一杯。その間にしか読書できない。でも、その分で心はすごく充実していて、喜びが次から次へと感じられる。<終>
Sep 2, 2005
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今日は、蘇州大学の先生を会いに琵琶湖へ行ってきた。 学部の先生のお友達の紹介で、はじめて彼女と出逢ったのは、講演会だった。 今まで会ったこともない他人だったのに、不思議なことにお互いにすごく親近感があって、まるで姉妹のようだった。 石山駅に着いて、彼女が迎えに来てくれた。 あのとても優しい声、優しい話し方、そして話し内容、本当にとても惹かれるものだった。 私達は、どこか似ているところがあった。そういうのが失礼かもしれないけど、でも本当にそんな感じがした。まるで本当の姉妹のようで、教授という彼女の肩書きを忘れさせるぐらい親しい感覚だった。 私の来年の帰国後の就職について、たくさんのアドバイスをしてくれた。そして、友達も紹介してくれて、私のために彼らにメールをしてくれた。 何という優しい人なんだろう? 是非、私と一緒に仕事をしたいという彼女の熱意に感動されて、何と感謝したら良いか分からなくなる私だった。 ... 「やっぱり、大学で教えながら、博士を取って、それからちょっとずつちょっとずつ自分の夢に向かっていこう。とても大変だと思うけど、でも、何かあったら私に連絡して、全部教えるからね!私は、あなたを信じてる。」 何という心強い言葉なんだろう? そう!自分の夢を諦めないで!いくら現状が大変であっても! まず、頑張ってみること! ... 彼女と出逢って、本当に良かった! 嬉しくて嬉しくて... <終>
Sep 1, 2005
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