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dokidoki1234さん
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昨年の7月、
心配していたかえでの施設入所は、何とか無事にスタートを切った。
それと同時に、私の鬱病の治療も始まった。
治療といっても、簡単にいえば薬を飲んで寝ているだけ
最初に受診した時に、一週間分の薬を処方してもらった。
一週間後にまた受診する。
眠れない日が続いていたので、抗鬱剤の眠気を誘う作用を利用して眠れるといいな、
と思っていたけど、期待したわりには、ほとんど効果はなかった。
2度目の診察の時、眠気が起こらず、相変わらず眠れないことを伝えたら、
睡眠導入剤を処方された。
それがなんと、かえでの飲んでいる レンドルミン
という薬と同じものだったので、
なんだか笑えてしまった
入眠剤を飲み始めると、やわらかく自然な眠気が来て、久々に眠れるようになった。
私が処方された抗鬱剤は、即効性ではなく、
何日か飲んでいるとだんだん効いてくるものらしい。
だから、飲んですぐにはこれといって変化はなかったけど、
副作用のせいかなんとなくだるくて、一日中眠かった。
眠れない日のことを思えば、まだいいかな?と思うことにした。
私はすごく血圧が低くて、もともと朝は苦手。
以前、献血をしに行った時、血圧が低すぎて採ってもらえなかったことがあった。
採ってもらえないほど低いなんて・・・と思って、いくつなのか聞いたら、
なんと上が 79
だと言われて、びっくりした!
家に帰って父親にそれを話すと、
高血圧の父は 「オレは下がそれくらいだ」
と言った。
そんなわけで、とにかく朝は苦手な私。
鬱病の症状に、午前中、特に朝に気分が沈む人が多いらしい。
私も、苦手な朝がもっと苦手になった。
それでもみんなの朝食を準備しなくてはいけないし、高校生はお弁当が要るし、
朝はものすごく鬱状態が強かったけど、それだけは何とかしなくてはと思って、
ギリギリに起きて、朝食とお弁当を作る。
下の娘はいつも早起きなので、私より先に起きてお湯を沸かしてくれたり、
洗面所やトイレのタオルを替えてくれたり、
その後、私の部屋に来て 「お母さん、起きれる?」
と聞きにきてくれた。
いつの間にか、下の娘が来てくれるのが目覚まし時計代わりになっていた。
でも、どうしても起きられない時もあった。
そんな時は、娘達は自分で卵焼きを作ったり、
ご飯とふりかけ(我が家のお得意^_^;)で、朝食を済ませてくれた
高校生の娘のお弁当が作れない時は、コンビニのや購買のにしてもらった。
週に2~3日(半分くらい)は、そんな日があったと思う。
でも、コンビニや購買で調達するのは可哀想だし、本人もやっぱり味気ないらしく、
「おにぎりだけでもいいから」
というので、
本当にだけ作った時もあった。
っていうか、娘が自分で作ればいいんだけど、
私が出来ないのに、娘に言うのは申し訳なく思ってしまった。
ここでも、私が子離れできなかったのかもしれない(T_T)
かえでが入所したのが昨年の7月からなので、私のこんな生活も同じ時期から始まった。
もうすぐ夏休みだから、そしたら早く起きなくてもいいし、お弁当も作らなくて済むから、
と自分に言い聞かせるようにしていたような気がする。
朝食の支度とお弁当がなんとかできると、私は少し食事をとって、洗濯機を回して
また布団にもぐって、ほとんど午前中は寝ていた
洗濯物を干すのは、昼近くになってからが多かった。
夏なので、強い日差しですぐに乾いてくれるのが幸いだった。
とにかくだるくて、なにもやる気が起きなかった。
いろいろ考えていると、訳もなく泣けることは相変わらず続いていたけど、
もう考える事も面倒臭くなって、今まで眠れなかった分を取り戻すかのように眠り続けた。
午前中は、とにかく何も出来ず、寝ているだけ。
昼食くらいから何とか起き出して、午後からが私の活動時間になった。
比較的、昼頃から夜にかけては、鬱状態が軽くなっていく。
そんな時に肝心の 夫
はどうしていたか、というと・・・
それでも夫なりに私のことを理解してくれたようで、
私が夕食の支度が出来ない時(週に1~2回はあった)は、
お弁当やお惣菜を買ってきてくれたり、
娘たちを巻き込んで、一緒に簡単な料理を作ってくれたりした。
食事のあとの洗い物もやってくれることがあった。
今までほとんどやったことがない夫が、キッチンに立つこと自体、すごく珍しいことで、
とてもありがたかった。
私がいないと困るというのが、やっとわかったみたいだった。
でも、洗い物をした後のキッチンは水浸し
後始末のほうが大変だったんだけどね・・・
その後 「オレがやってやった」
と恩着せがましい言葉がなければ、
ほんとにいい夫なのになぁ(-_-;)
それでも、ここまで変化した夫を褒めておこう。
「ありがとね~」
と感謝の言葉(+_+)
父も、知り合いのAさんの息子さんが鬱病で療養しているという話を聞いていたので、
鬱病の人に 「頑張れ」
という励ますような言葉を言ってはいけない、と前から言っていた。
私が鬱病になってしまったと話すと、
「まあ、ゆっくり休めよ。
Aさんも、鬱病は必ず治るからって言ってたし、
のんびりすりゃいいさ」
と言ってくれた。
一番気がかりだったPTAの大きな3つの役員の仕事は、ほかの人に任せることが多くなり、
はじめはすごく気にしていたのだけど、もうどうしようもないので、任せればいいや、と
少しは開き直ることも出来るようになっていた。
養護学校のPTAの仕事は、
子供を送っていってそのまま先生と打ち合わせをすることが多かったけど、
かえでは入所してるし、私は寝たきりだし、ほとんど副会長さんがやってくれて、
電話やメールでいつも連絡を取って、お願いするような状態だった。
先生も副会長さんもほかのお母さん達も、みんな温かくて本当に救われた
子供会の役員も6年生の学年委員も、一緒にやっていた方が頑張ってくれて、
心配しながらも、何とかなるもんだと思ったりもした。
病院の先生も、
「人に甘えたり任せたりする事も、あなたにとっては勉強です」
とおっしゃったけど、私は今までそれがなかなか出来なかった。
全部を自分でやろうとしていた。
人に任せて、イライラしたり心配するなら、自分でやった方がいいと思っていた。
そのほうが早いし、自分で納得できるから。
家族や友達の温かい協力の中で、私は思いっきり甘えさせてもらった。
でも、こんな図々しく何もやらずに寝ているだけでいいんだろうか?
そんな思いも強くて、とても複雑な気持ちもあった。
「性格はなかなか変えられないけど、考え方を変えることは出来る」
自分の中で葛藤しながら、苦しむのだけど・・・