PR
サイド自由欄

名前:よしだ まりこ
性別:女性
愛車のママチャリ”チャーリー”に乗って、片道2時間ほどのサイクリング。どこへでも行っちゃいます!
ゆる~い感じで、毎日、更新しています♪暇つぶしにでも遊びに来てください。
当ブログの詳細は
ホーム
をご覧ください
公式サイト

↓
LINEスタンプ・絵文字 ↓
⇒
スタンプ・絵文字
↓↓
Twitter ↓↓

@myc3389d
↓↓
Facebook ↓↓
↓↓
Threads ↓↓
↓↓
Instagram ↓↓
●ブログのイラスト専用
@myc3389d
●漫画シリーズ
myc3389d_manga
●シルバニア村の人形劇
@myc3389d_sylvanianfamilies
#私シルバニア村に引っ越しました
思っていただいた方
お友達を、大募集中です ★
今年は、大阪夏の陣から、ちょうど400年なんです。
てなことで、今回は、大阪の陣にスポットあてます
桜門です
こちらは、大阪の陣の際に、秀頼が、ここで陣を取っていたそうです
秀頼は、背格好もよく、頭も良く切れ、きちんと命をだしていたと言われています。
ちなみに、この桜門をくぐり、上を見上げると、家紋があります。
見づらいですが、この家紋は、豊臣の家紋なんです
明治政府が作ったときに、徳川でなく豊臣の家紋にしたのは、それだけ、豊臣が大阪の人たちに愛されていた証な、そぅです。
天守閣に向かうと、豊臣時代の大阪城跡も、あります
夏の陣の絵も、ありました
しかし、この絵の中には、秀頼が出ていないんです。
徳川家が、豊臣家のことを、忘れさすために、そうしたという説もあります。
そんな、思いとは、逆に、いまだ、大阪城には、豊臣家の跡が残っているんですね。
大阪の陣で、有名な真田幸村の城・上田城とも友好関係らしいです。
この真田幸村など、一度は、盛り返します。
そこで、秀頼がいざ、出陣しようとするとき、どこかで寝返ったという話が入り、動けなくなり、、、
母である淀と、悲しい最期を迎えます。
その地が、天守閣の裏手(桜門を表としたら。。。)に、あります。
どこや
ありました
道から離れたところにありました。
そして、まったく関係ないところに、ひっそりと、淀殿の墓があります。
では、秀頼は
秀頼は、実は生き延び、鹿児島にて幸せに暮らしたという説があり、そこにも墓があります。
桜門に、戻ってきました
そこから、鳥居が見えます
そこを、まっすぐ行くと、、、
秀吉さんが居ます
この秀吉像の左にあるのが、豊国神社といい、秀頼、秀吉、あと、秀長(秀吉の兄)を祭神として祭っています。
京都の豊国神社の別社として、建てられました。
というのも、秀吉の墓は、京都にある豊国廟にあります。
では、秀吉の正室である、ねねは、、、京都にある高台寺に眠っているそうです。
ここは、ねねが、秀吉の菩提を弔うため建立した寺なんです。
みんな、バラバラに寝ているんですね。。
400年たっても、なお、大阪のヒトに愛される、豊臣家を様子を見ることができる、大阪城でした
本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
「大阪城にやってきた!その2 大阪の陣の巻」
にも、掲載しております。
また見たいと、思っていただいた方
お友達を、大募集中です
【明治時代】明治天皇大久保御小休所 2025.06.29
【江戸時代】明石城 とき打ち太鼓 ~閉… 2024.10.20
ついに杉山家が判明する 2024.10.01
カレンダー
カテゴリ
キーワードサーチ