41歳ニートと俺とおかんと親父の話

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2025.12.03
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テーマ: 失敗談(198)
カテゴリ: 俺の哲学



まいど、俺や。
この歳になると、ふと思い出すんや。
「あのときの自分、何してんねん」って。
寝る前に急に頭の中に浮かんでくる、
恥ずかしさで布団の中でジタバタする、あれな。
でも最近、気づいてん。
恥って、時間が経ったら“話題”になる。
そう考えたら、ちょっと救われるやろ?
恥は“生きてきた証拠”や
恥ずかしい過去があるってことは、
それだけ挑戦してきた証拠や。
何もしてへん人間は、恥もない。
恥をかいた分だけ、人生に“動き”がある。
俺なんか高校の文化祭でギター弾こうとして、
イントロでコード忘れて「C」しか押されへんかった。
けどいま思えば、あの緊張と失敗が、
今の“図太さ”を作ってくれたんやと思う。
恥は“経験のラベル”や
人間の脳って、失敗した出来事ほど強く覚えるらしい。
つまり、恥をかく=学びのデータが増えるってことや。
過去の恥を引きずるより、
「ええ経験させてもろたわ」って言い換えるだけで、
記憶の意味が変わる。
そこに“人生のセンス”が出るんや。
黒歴史はネタ化してこそ価値が出る
昔の自分がアホすぎて笑えるとき、
もう“許せた”ってことや。
たとえば、初デートで財布忘れたとか、
LINE誤送信して地獄見たとか、
ああいう話、時間経つと最高のネタになる。
人の心を打つのは、成功談より失敗談や。
笑って語れる黒歴史ほど、
人を安心させるもんはない。
親父は恥を誇りに変える人やった
防大卒の親父が昔言うた。
「訓練中に失敗せん奴は、訓練してへん奴や。」
つまり、恥をかくのは努力の証やってことや。
親父も昔、敬礼の角度間違えて教官に怒鳴られたらしい。
それを笑いながら話す姿が、めっちゃカッコよかった。
恥を隠すより、語れる人になるほうが強い。
おかんは恥を“武器”に変える達人
おかんなんて毎日なにかしら恥かいとる。
この前なんか、
「スーパーで財布落としたけど、八百屋の兄ちゃんに拾ってもらってな、
ついでにピーマン安してもろたわ」やて。
普通なら恥ずかしい話を、
どや顔で武勇伝にしてくる。
恥を笑いに変えた瞬間、人間は自由になるんや。
恥を共有できる人が“仲間”になる
「うわーやらかした!」って笑い合える人。
それが、ほんまの友達やと思う。
ええことばっか語る人より、
恥を見せられる人のほうが信用できる。
人は強さより、弱さに共感するからな。
恥を話せるってのは、心のオープンさの証や。
無職の恥は、もはや芸風
無職であること自体、
一昔前なら“社会的な恥”かもしれん。
でもな、今は思う。
「ネタになるやん」って。
働かんでも生きてる、
それを笑って話せたら、もう勝ちや。
人生のトーク力=恥の消化力やな。
恥を“消さずに、抱える”強さ
恥ずかしい過去を忘れようとすると、
余計に苦しくなる。
せやから俺は、
その恥を「思い出の一部」として置いとくようにしてる。
笑えるようになったら、
それは“傷”やなくて“模様”になる。
人間の深みって、そういう“恥の跡”でできてるんやと思う。




恥を笑えたら、もうそれは誇り
過去の恥を話題にできるようになったら、
それはもう克服やなくて、昇華や。
人に見せたくなかった記憶ほど、
誰かの笑顔や勇気になることがある。
恥は、時間を経て“味”になる。
笑いながら語れるようになったら、
もう人生の達人や。


俳句で締め
黒歴史
笑えるうちは
金の味





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最終更新日  2025.12.03 08:20:04
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