41歳ニートと俺とおかんと親父の話

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2025.12.04
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テーマ: カフェ話。(2107)
カテゴリ: 日常

まいど、俺や

平日の昼下がり、近所のカフェでコーヒーすすってる。

周り見たら、サラリーマンはおらん。

いるのは俺と、おばあちゃんと、ノマド気取りの人間ひとり。

この静けさ。

カフェラテの泡の向こうに、“社会の外側”の景色が見える気がする。

カフェは現代の“避難所”

カフェってな、面白い場所や。

みんな何かしら“逃げて”来てる。

仕事から、恋愛から、家から、自分から。

コーヒー片手にスマホいじってる人、

本読んでるふりしてボーッとしてる人。

そこに共通してるのは――

“今だけは許されたい”って空気。

だからカフェって、社会の“緩衝地帯”なんや。

一杯400円で買える静寂

コーヒー400円。

決して安くはない。

でもな、あの“音”が値打ちあるんや。

BGMとミルの音。

カップを置く小さな音。

誰も喋らん10秒の沈黙。

あれ全部、無職には高級な癒しや。

無職の俺が気づいた“働く音”と“生きる音”

昔は職場のキーボードの音が、“生きてる証”やった。

今はカフェのコーヒーマシンの音が、“生きてる実感”や。

働く音は「生産のリズム」やけど、

生きる音は「呼吸のテンポ」。

カフェの中には、それがちゃんと混ざってる。

無職の罪悪感が溶ける時間

たまに思うんや。

「平日の昼間にコーヒー飲んでええんか?」って。

でも飲んでるうちに気づく。

これは罪やない、再起動の時間や。

社会に戻るためでもええし、戻らんでもええ。

カフェのテーブルは、人生の中立地帯や。

親父の皮肉

防大卒の親父が言う。

「昼間からコーヒーなんて、現役のときは許されへんかった。」

せやろな。

けど今は俺が、その“許されんこと”をやってる。

なんかそれだけで、ちょっと勝った気になるわ。

おかんのやさしい一言

おかんは言う。

「働いてなくても、休む時間は大事やで。」

おかん、ほんまにそう思ってるかはわからんけど、

その優しさが一番効く。

カフェインより沁みる。




結論

昼間のカフェで飲むコーヒーは、

無職のリハビリであり、人生のご褒美や。

誰かに見せるためやなく、

自分をゆるすために飲む一杯。

それは、

“働かない罪”を、“生きてる実感”で洗い流す時間”や。







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最終更新日  2025.12.04 12:00:07
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