PR
カレンダー
カテゴリ
| 彗星探検家 木内鶴彦さんが6月に来鹿 決定 ・・・と 聞きながら わたしは存知あげてない プロフィールをみたのち いろいろ 検索してみた。 うーん。。 臨死体験で新たな人生観に気づき 天体観測をはじめられたのね。 「星を通じて地球の大切さを伝える」のが役割なのだと。 やはりキーワードは 地球 さあ!! 鹿児島で木内鶴彦さんと どのような共振の場にしようかしら ワクワク((o(*^^*)o))ワクワク 【木内鶴彦さんのプロフィール】 1954年6月4日、長野県南佐久郡小海町生まれ。 初めて観測した彗星は小学校5年生の時。 その彗星が池谷・関彗星でありそれ以来彗星に興味を持つようになる。 その後、航空自衛隊に入隊。 しかし生死をさ迷う病気をした事から、新たな人生観に気づき航空自衛隊を退官。 地元の長野県へ戻り天体観測を続ける。 1983年11月より本格的な彗星捜索を始め、 1990年3月16日、チェニス・木内・中村彗星(1990b)発見でデビュー。 1990年7月16日、土屋・木内彗星(1990i)発見。 1991年1月 7日、メトカーフ・ブリューイントン彗星発見。 早くも彗星探索会のスターとなった。 1992年9月27日、ペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星発見。 スイフト・タットルは、最初82年に回帰が予報されたがどこからも検出の報告がなかった。 マースデンが再計算の結果、10年のずれで92年に回帰することを予報する。 その予報に従い木内鶴彦が眼視的に再発見した。 数々の成果により、93年には国際天文連合より小惑星に「木内」と命名される。 さらにスイフト・タットル彗星は 2126年8月14日に地球に衝突の可能性があるとして、 映画「アルマゲドン」や「ディープインパクト」のモデルともなっている。 1994年7月16日から20日、 シューメーカー・レビー彗星の木星衝突時にはオーストラリアで 観測を行い、TBSテレビが取材に同行した。 主な著書 「宇宙の記憶」「生き方は星空が教えてくれる」 DNP・大日本印刷「銀座の学校」での講演をビデオにした「ハロー彗星。“感・察・学”」、「科学朝日」「シンラ」などの雑誌などにも積極的な執筆活動を行っている。 臨死体験で得た情報 http://www.kojobunko.net/100/2.html (Special thank you) 木内さんは22歳の時に臨死体験をしたそうである。 一度死んで、約30分 後に蘇生した。普通では考えられないことで、 立花隆さんに言わせると「臨死 体験」ではなく「死亡体験」だと。 そのとき木内さんは、死んでいる間にどういう体験をしたかというと 過去未来をいろいろ旅をしてきたそうである。 そこには、膨大な意識の情報があった。 まず死という体験をしてみて、最初に解ったことが、 肉体と意識とは別 であるということ。犬や猫や植物やバイ菌や、 いろいろなすべての生き物は実はひとつの意識体だということが解った。 臨死体験の中に、中年の自分がいて、あるお寺の畳の大きな部屋でアジアの留学生に星を通じて地球の大切さを一所懸命に話す自分がいた。また60歳くらいの自分の姿を見た。荒れ果てた大地、木もなんにもない砂漠のような状態のところにたたずむ自分。そこにかすかに、同じ時刻の同じ場所の映像があった。それは、緑の多いところで子どもたちに星を見せているじいさん。そのじいさんが自分らしい。これは割合でいうと99.999%は砂漠のようなとこ ろにたたずむ自分、0.001%は緑の中にいる自分。 そして、自分が中年になったとき、実際に高野山のお寺の畳の大きな部屋で、アジアの留学生に話す自分がいた。臨死体験のときに見た光景と、まったく同じ経験をしたそうである。木内さんが60歳になるのは、あと10年くらい先だそうだが、砂漠のようなところにたたずむ自分もたぶん現実になるだろうと言っていた。が、0.001%はすばらしい世界になる可能性もあるそうで、それはまったくお金のいらない社会、これが実現すると人間の進化の道となるそうだ。さて、私たちはどちらを経験するのだろうか・・・ |
ユミリー開運風水術 ( サプライズ編 ) 2009年07月29日
草場一壽さんの観音力カード * * 募集中 *… 2009年03月13日
3月の開運行動 by 李家幽竹オフィシャルサイト 2009年03月02日