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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日にある三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註苗字の表記は「安倍」とも。遣唐使として唐に長らく滞在していた仲麻呂が、仲秋の名月を眺めながら望郷の念に堪えず詠んだ名歌。ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」などのそれと同じ。そちらに顔を向けること。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。「遠ざかる」の造語成分「さかる」の語源。 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2024年09月18日
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大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193 / 小倉百人一首 23あの月を見ていると限りなく思いが溢れてきてたまらなく切ないんだ。私ひとりのために来た秋ではないのだけれど。註平安朝の知識人・学者だった大江千里の、やや理屈っぽくて洗練された持ち味がよく出ている秀歌。月を見て一献傾けて、さまざまな物思いに耽ってうるうるしている自分のセンチメンタルな主観を、もう一人の冷静で客観的な自分が批評して(茶化して、 あるいは照れて)いるような歌。・・・「ひとりボケとツッコミ」みたいな(?)また、言外に「わが身ひとつの秋である」と言っているも同然とも解される、一種の恍惚・多幸感・エクスタシー。月は古来、なぜか知らねどこういった感覚を僕たちにもたらすのである。こういった、明らかに読み取れる(頭の中で作った)観念性は、日本の伝統的な詩歌では概して好まれず、けなす人はぼろくそにけなす。明治期の巨人・正岡子規はその筆頭である。俳句の方では、完全にアウトである。子規子は、ひと言で言えば「和歌」を「短歌」に革(か)えた人である。写生・写実(リアリズム)を短歌表現に導入した。その影響は深く現代に及んでおり、不詳わたくしめもその主張を基本的には正しいと思っている一人である。だが、今の目で見ると、この一首の軽やかな観念性・論理性は、360度転回して、嫌味ではなく、むしろ近代的な感性の秀歌と評していいのではないだろうか。「こそ・・・けれ」は、強調の係り結び。
2024年09月16日
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よみ人知らずわが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が大岩となって緑の苔が生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集 775○ 君が代 小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 註 もとは、当時の若者の相聞歌(恋歌)風の、一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」にはその種のものが多いので、一理あるといえる。 しかし、初の勅撰和歌集であった古今和歌集の「賀歌(祝賀の歌)」の部の劈頭に、編者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上された時点で「わが君」の意味は「日本国天皇」と確定し、天皇の長寿を祝賀し祈念する歌となった。 このおよそ100年後、当時広く読まれた詩歌の詞華集(アンソロジー)である藤原公任きんとう編の名著『和漢朗詠集』で、初句が「君が代は」となり、陛下と皇室の弥栄いやさかを祈る趣意がさらに画然たるものとなった。第一級の碩学だった公任が古今集の本歌を知らないはずはなく、写本の過程での改変ではないかといわれる(まだ印刷術はなかった。念のため)。 この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった日本海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。 この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。 この一連の過程に亘って、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から学習院など各学校独自の判断により、祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年(1893)8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、追認・公認した。この日が「君が代記念日」となっている。 これらの経緯から見て「君が代」がわが国の国歌であることは自明であり、むしろそれゆえにこそであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は法制度上も最終的に決着した。歌詞の内容としては、イギリス国歌『ゴッド・セイヴ・ザ・キング(クイーン)』(神は王・女王を救う)と同様、君主を讃えるものとなっている。 京都・西芳寺(苔寺) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2024年08月11日
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紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ古今和歌集 84 / 小倉百人一首 33大空の光ものんびりのどかな春の日になぜ落ち着きもなく桜の花は散るのだろう。註千年の時を超えて、本当にそうだよなあと思わせる名歌。ひさかたの:もと「天(あめ、あま)、空」にかかる枕詞(まくらことば)で、転じて「日、月、雨、雲、光、星、夜」など天象に関わる語に冠し、さらに「都、鏡」などにかかる。語源は「久堅」(永久に堅固に存在するもの)などとされる。下二句は、「など、などてか」(なぜ、どうして)、などの疑問語が省略された形と解され、文脈からこれを補って読むのが定説。しづ心:穏やかな心。静謐な、落ち着いた心。「しづ心なく」は、おそらく「ひさかた」と対比されている。
2024年04月11日
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紀貫之(きのつらゆき)一目見し君もや来ると桜花 けふは待ちみて散らば散らなむ古今和歌集 78花をひと目見て帰ったあなたがまた来てくれるかなと桜の花は今日は待ってみて(もし来てくれないと)散るならば散ってしまうよ。(・・・だから、散らないうちにまた来てね。)註和歌としては珍しく、笑いの要素がある一首だが、やや理屈っぽい生真面目な諧謔・ユーモアが、いかにも作者らしいと思われる佳品。写真:栃木県宇都宮市・八幡山公園にて筆者撮影。
2024年04月08日
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紀貫之(きのつらゆき)やどりして春の山べに寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける古今和歌集 117(田舎の寺院に)泊って春の山べに寝た夜は夢の中にも桜吹雪が散っていたんだよなあ。
2024年04月08日
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風のなごりには水のない空に波が立っているのだなあ。註繰り返し打ち寄せる花吹雪を波に見立てたか、それとも、それを見ている作者の目にあふれた涙の海に立つ波か。
2024年04月06日
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在原業平(ありわらのなりひら)世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし古今和歌集 53世の中にまったく桜がなかったとしたら(今日は咲いたか、春の嵐でもう散ってしまったんだろうかなどと毎日やきもきすることもなく)春の心はのどかで平穏なのだろうなあ。註人口に膾炙した和歌史上の名歌の一つ。上品なユーモアを感じさせる。たえて:(否定語を従えて)「まったく、全然、すっかり(ない)」を表わす副詞。語源は動詞「絶ゆ」だが、ニュアンスは異なり、独立した別語と見なされる。この造語法は古語動詞「敢あふ」と副詞「あへて(あえて)」などの関係と同様。せば・・・まし:「せば」は過去の助動詞「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」がついたもので、「~だったとすれば」の仮定条件となる。同様の文脈は、現代語でも「~だったとすれば」のように(英文法でいえば)過去形になる。反実仮想(事実に反した想像)の助動詞「まし」と対応して上記のような構文となる。のどけからまし:文法的には、形容詞「のどけし」(のどかな様子だ)の未然形の一つ「のどけから」に、「まし」が接続したものと解される。語源論的に見れば「のどけく・あら・まし」が約つづまったものである。
2024年03月28日
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よみ人知らずわが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が大岩となって緑の苔が生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集 775君が代 小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 註 もとは、当時の相聞歌(恋歌)風の、一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」にはその種のものが多いので、一理あるといえる。 しかし、初の勅撰和歌集・古今和歌集の「賀歌(祝賀の歌)」の部の劈頭に、編者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上された時点で「わが君」の意味は天皇と確定し、陛下の長寿を祝賀し祈念する歌となった。 その約1世紀後、当時広く読まれた詩歌の詞華集(アンソロジー)である藤原公任きんとう編の名著『和漢朗詠集』で初句が「君が代は」となり、陛下と皇室の弥栄いやさかを祈る趣意がさらに画然たるものとなった。第一級の碩学だった公任が古今集の本歌を知らないはずはなく、写本の過程での改変だったともいわれる(当時まだ印刷術はなかった、念のため)。 この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡『蓬莱山』の歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった大山巌など海軍首脳部高官らが取り上げ、曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれて、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付け、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。 この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。 この一連の過程に亘って、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から学習院など各学校独自の判断により、祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年(1893)8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、政府として事実上公認した。このため、8月12日は君が代記念日とされている。 これらの経緯から見て「君が代」がわが国の国歌であることは自明であり、むしろそれゆえにこそであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は法制度上も最終的に決着した。 京都・西芳寺(苔寺) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2024年02月23日
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僧正遍昭(そうじょう・へんじょう)秋の野になまめきたてるをみなえし あなかしがまし花もひととき古今和歌集 1016秋の野に艶あでやかに咲き競う女郎花おみなえしがああ うるさいなあ花の命はほんのひとときだけれども(その色香が私を惑わせる)。
2023年11月04日
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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日にある三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註苗字の表記は「安倍」とも。遣唐使として唐に長らく滞在していた仲麻呂が、仲秋の名月を眺めながら望郷の念に堪えず詠んだ名歌。ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」などのそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2023年09月29日
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大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193 / 小倉百人一首 23あの月を見ていると限りなくもの思いが溢れてきて切ないなあ。私ひとりのために来た秋ではないのだけれど。
2023年09月28日
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小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 / 小倉百人一首 9うるわしかった桜の花の色は衰えてしまったのね。虚しく徒いたずらにわが身が世の中に古びてゆく。降る長雨を眺めながらもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。な:詠嘆や念を押すニュアンスの終助詞。~のね。のだなあ。ふる:古語動詞「古ふる、経ふる」(現代語「経へる」の語源)と、(長雨が)「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いに耽る)」の連用形と、名詞「長雨(当時は「ながめ」と読んだ)」の掛詞かけことば。
2023年03月27日
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小野小町(おののこまち)思ひつつぬればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを古今和歌集 552 思いながら寝たので、あの人が見えたのかしら。夢と知っていたなら覚めなければよかったのに。註大伴家持「夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきてかきさぐれども手にも触れなば(夢の契りはつらい、目覚めて手探りしても何も触れないのだから)」(万葉集741)松岡映丘『うたたね』うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふものは頼みそめてき古今和歌集 553 うたた寝に恋しい人を見てからは、夢ってものを頼りにしはじめたのよ。註うたた寝の夢幻境は誰しも好きだろうが、特に古来、文人・詩人たちに愛されてきた。大詩人ステファヌ・マラルメの傑作『半獣神の午後(牧神の午後)』も、真夏の森の木陰で半獣神ファウヌス(パン)がうたた寝をして美しい妖精(ニンフ)たちの幻影を見るという詩である。それにしても、現象としては似てるが、「居眠り」と言ったのでは、まるっきり風情がないね。なお、うたた寝の「うたた」は「現(うつつ)」と同語源ともいわれる(国語学者・大槻文彦)。藤原隆信「うたたねの夢や現(うつつ)にかよふらむ覚めてもおなじ時雨をぞ聞く(うたた寝の夢は現実と往還するのだろうか、目覚めても夢の中で聞いていたのと同じ時雨の音を聞いている)」(千載和歌集407)いとせめて恋しき時は むばたまの夜の衣をかへしてぞ着る古今和歌集 554とっても(あなたが)恋しくてたまらない時は夜の衣を裏返しにして着るのよ。 註当時、寝巻き(またはその袖)を裏返して寝ると、恋しい人を夢に見るという伝承があった。また、恋するもの同士がそうすると、お互いを夢に見るとされていた。民俗学者で歌人だった折口信夫(しのぶ)は、この歌を「呪術的」と評している。万葉集2812「吾妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖かへししは夢に見えきや(君に恋しているのに逢うすべがないので、白い寝巻きを裏返したのが夢に見えたかい?)」同2813「わが背子が袖かへす夜の夢ならしまことも君に逢へりしがごと(ダーリンが袖を裏返した夜の夢らしい、本当にあなたに逢えたみたいね)」世評にたがわず、歴史的才女・小野小町の和歌は天才的といって差し支えないだろう。コケティッシュでキュート、そこはかとなく妖艶・エロティックでもあるが、和歌という短詩形式のせいもあって、決して重くならず、軽やかな洒脱さをまとっている。・・・和歌の評語としてはどうかとも思うが、小悪魔的。
2022年11月13日
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紀貫之(きのつらゆき)夕月夜ゆふづくよ小倉の山に鳴く鹿の こゑのうちにや秋は暮るらむ古今和歌集 312上弦の月の夜小倉の山でしきりに鳴く鹿のもの寂しい声のうちに秋は暮れるのだろうか。註夕月夜:一般名詞としては「上弦の月の夜」を指すが、ここでは「小倉山」に掛かる枕詞(まくらことば)として用いられているので、必ずしも訳出する必要はない(・・・が、訳してもかまわないと思う)。「小暗(おぐら)し」(ほの暗い)の語呂合わせで掛かる。鳴く鹿:牡鹿の求愛行動。や・・・らむ:「や」があるので疑問形。小倉:こうした歌からの連想で、小豆の粒あんを鹿の体の斑点の模様に見立てて「小倉」と呼ぶようになり現在に至る。
2022年11月12日
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき神のまにまに古今和歌集 420この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。秋の祭礼における「初穂」(その年の初めての稲の収穫を奉納するもの)もこの類い。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。
2022年11月11日
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)長しとも思ひぞはてぬ 昔より逢ふ人からの秋の夜なれば古今和歌集 636 (「秋の夜長」というけれど)長いとも言い切れないよね。昔から逢う人によっての(長くもなり、短くもなる)秋の夜だから。註和歌短歌・俳句では一般的にあまり好まれない「理屈」の歌だが、これだけ気が利いた理であれば「いとをかし」である。からの:~によっての。~に左右される。思ひぞはてぬ:「はてず」は現代語「果てず」と違い、「・・・し切らない」の意。そう言い切ることはできない。結論付けられない。
2022年11月10日
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在原業平(ありわらのなりひら)ちはやぶる神代かみよも聞かず龍田川たつたがは からくれなゐに水くくるとは古今和歌集 294 いにしえの霊威なる神々の時代の話でさえ聞いたことがない。龍田川が深紅に水をくくり染めにするとは。註川面を覆う紅葉の景観を、川の水を「括くくり染め」にしたものと見立てた。濃艶華麗で洒落た趣向の、人口に膾炙した名歌。人気料理「竜田揚げ」は、この歌に基いて名づけられたという。ちはやぶる:「神」「氏」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「千早振る」と表記されるが、語源は「逸(いちはや)振る」(荒々しく勢いがあるさま)とされる。* 竜田川* からくれなゐ(唐紅)水くくる:「(川の)水を括り染め(絞り染め)にする」の解釈が定説だが、古来「水が潜(くぐ)る」(当時は濁点表記はなかった)の説もあり、もともと作者が意図的に両義性 ambiguity を用いたという見方もできるかも知れない。
2022年11月09日
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歌川広重 月に雁 こむんな夜が又も有あらうか月に雁凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓たまずさの恋文を運んでくるという初雁のように初めて貴女のお声を聞いてからというもの私はぼうっとして中空にものを思うばかりだなあ。註初雁はつかりのはつかに:「初雁」(その年初めて渡ってきた雁)が、叙述を兼ねつつ「はつかに」(初めて、かすかに、ちらりと)を導く序詞(じょことば)になっており、さらに「なかぞら(中空)」のイメージに掛かっている、和歌のお手本のような技巧。
2022年10月30日
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紀貫之(きのつらゆき)夕月夜ゆふづくよ小倉の山に鳴く鹿の こゑのうちにや秋は暮るらむ古今和歌集 312上弦の月の夜のほの暗い小倉の山に牡鹿が牝鹿を呼んで鳴く寂しげな声の谺(こだま)する中に秋は暮れてゆくのだろうか。註夕月夜:一般名詞としては「上弦の月の夜」を指すが、ここでは「小倉山」に掛かる枕詞(まくらことば)なので、必ずしも訳出する必要はない(・・・が、訳してもかまわないと思う)。「小暗(おぐら)し」(ほの暗い)の語呂合わせで掛かる。小倉山:現・京都市右京区にある山。後に藤原定家によって小倉百人一首が編まれた場所でもある。上掲歌などからの連想で、小豆の粒あんを鹿の体の斑点の模様に見立てて「小倉(あん)」と呼ぶようになった。和菓子の「鹿(か)の子」もその類い。下の句は、「や」があるので疑問形である。
2021年11月20日
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小野小町(おののこまち)秋の夜も名のみなりけり 逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを古今和歌集 635「秋の夜長」というのも、言葉だけのことなのね。恋しい人と逢っている時にはあっけなく明けてしまうんですもの。註プレシャス・タイムはあっという間に過ぎ去る。ひとつの無常観。名のみなりけり:名目、題目だけなのだなあ。逢ふといへば:逢う場合には。逢う時ともなれば。ことぞともなく:「ぞ・・・なく」は係り結び。「ことともなく」(特段の事もなく、あっけなく)を強調した言い回し。ものを:形式名詞「もの」に、接続助詞とも終助詞とも解し得る「を」がついた連語で、活用語の連体形に接続し、上の句を体言化して、悔恨、愛惜、不満などの気持ちを表わす。このまま現代語でも用いる。cf.)「あの時、ああしておけば良かったものを」。
2021年11月20日
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉もみぢの錦にしき 神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の一面の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註忙しくて奉納の用意が出来なかったので、代わりにこの山の美しい紅葉全部をまとめて神様に捧げます、という洒落た趣向の一首。この堂々たる言い草に、神様も笑って許すのではないか。・・・「この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして」(作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子)みたいだなと、ちょっと思う(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。旅の折などには布または紙の細かに切ったものを持参し、道祖神(土地の神々)に奉り、旅の無事と神の加護を祈った。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには絹や紙を用いて現在に至る。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。みてぐら。にぎて。秋の祭礼などにおける「初穂(はつほ)」(その年の初めての米などの収穫)や「真榊(まさかき)」の奉納もこの類い。この風習は現代にも残るが、「玉串料」「初穂料」などとして金銭で納めることが多い。とりあへず:手に取れず。準備・用意ができず。現代でも使う「とるものもとりあえず」という言い回しに原義が残る。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。「(幣ぬさを)手向たむける」と掛けている。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。 紅葉 / 御幣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年11月11日
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在原業平(ありわらのなりひら)ちはやぶる神代かみよも聞かず龍田川たつたがは からくれなゐに水くくるとは古今和歌集 294 / 小倉百人一首 17霊威なるいにしえの神々の物語でも聞いたことがない龍田川が深紅に水をくくり染めにするとは。註川面にひしめく一面の紅葉を、川の水を括り染めにしたものと見立てた、濃艶優美で洒落た趣向の名歌。ちはやぶる:「神」「氏」などに掛かる枕詞(まくらことば)。一般に「千早振る」と表記するが、語源は「逸早(いちはや)振る」とされる。■ 龍田川水くくる:「水を括(くく)り染めにする」の意が定説だが、古来「水が潜(くぐ)る」(当時は濁点表記はなかった)の説もあり、もともと作者が両義性 ambiguity を意図したとの見方もできるかと思う。
2021年11月09日
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よみ人知らず木この間まより洩もりくる月のかげ見れば 心づくしの秋は来にけり古今和歌集 184木々の隙間から洩れてくる月の光を見れば物思いを尽くす秋が来たのだなあ。註心づくし:思いを尽くすこと。物思い、憂愁、メランコリー。現代語「心尽くし」とニュアンスはかなり違う。かげ(影):光。後世、「光が作り出す形」などのニュアンスを経て、現行の「陰、蔭」の意味が生じた。
2021年09月23日
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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日の三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註苗字の表記は「安倍」とも。遣唐使として唐に長らく滞在していた仲麻呂が、仲秋の名月を眺めながら望郷の念に堪えず詠んだ名歌。ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」などのそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月21日
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大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193 / 小倉百人一首 23あの名月を見ていると限りなくもの思いが溢れてきて切ないなあ。私ひとりのために来た秋ではないけれどね。註平安朝の知識人・学者だった大江千里の、やや理屈っぽくて洗練された持ち味がよく出ている。月を見て物思いに耽っている自分のセンチメンタルな主観を、もう一人の冷静で客観的な自分が批評して(・・・茶化して、 あるいは照れて)いるような歌。・・・ひとりボケとツッコミみたいな(?)また、言外に「わが身ひとつの秋である」と言っているも同然とも解される。一種の恍惚・多幸感・エクスタシーである。こういった、明らかに読み取れる(頭の中の)観念性は、日本の伝統的な詩歌では概して好まれず、けなす人はボロクソにけなす。明治期の巨人・正岡子規はその筆頭である。なにしろ、ひと言で言えば「和歌」を「短歌」にした人である。その影響は深く現代に及んでおり、不詳わたくしもその主張を基本的には正しいと思っている一人である。・・・が、今の目で見ると、この一首の軽やかな観念性は全体としてそれほど嫌味ではなく、むしろ近代的な感性の秀歌と評していいであろう。「こそ・・・けれ」は、強調の係り結び。
2021年09月21日
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よみ人知らずきのふこそ早苗とりしか いつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く古今和歌集 172ついきのう早苗を取って植えたのだったが稲葉をそよがせて秋風が吹いているのはいつからだろう。註「こそ・・・しか」は強調の係り結び。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形(すでに終った動作を示す活用形)で、疑問形ではない。逆に下(しも)の句は「か」や「や」が省略されているが、「いつ」があるので疑問の意味。 田ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月10日
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風のなごりには水のない空に波が立っているのだなあ。註繰り返し打ち寄せる花吹雪を波に見立てたか、それとも、それを見ている作者の目にあふれた涙の海に立つ波か。
2017年04月13日
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小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 / 小倉百人一首 9うるわしかった桜の花の色は衰えてしまったのだなあ。虚しく徒いたずらにわが身が世の中に古びてゆく。降る長雨を眺めてもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。な:詠嘆や念を押す意味の終助詞。~のね。のだなあ。ふる:古語動詞「古ふる、経ふる」と(長雨が)「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いをする)」の連用形と、名詞「長雨(当時は『ながめ』と読んだ)」の掛詞かけことば。* これをまとめると、「わが身世に古る」と「眺めせし間に」の文脈を「降る長雨」が繋いで(ジョイントして)いる。これを私は「鎹かすがい構造」と名付けたい。 Cf.) 類似の技巧が、唱歌「蛍の光」の歌詞にも用いられている。「いつしか年もすぎの戸をあけてぞ今朝は別れゆく」。鎹(かすがい)
2017年04月13日
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき 神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註忙しくて奉納の用意が出来なかったので、代わりにこの山の美しい紅葉をまとめて神様に捧げます、という洒落た趣向の一首。・・・「この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして」(作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子)みたいだなと、ちょっと思う(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。旅の折などには布または紙の細かに切ったものを持参し、道祖神(土地の神々)に奉った。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには絹や紙を用いた。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。みてぐら。にぎて。秋の祭礼などにおける「初穂(はつほ)」(その年の初めての米などの収穫)や「真榊(まさかき)」の奉納もこの類い。この風習は現代にも残るが、「玉串料」「初穂料」などとして金銭で納めることが多い。とりあへず:手に取れず。準備・用意ができず。現代でも使う「とるものもとりあえず」という言い回しに原義が残る。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。「(幣ぬさを)手向たむける」と掛けている。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。 紅葉 / 御幣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月17日
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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日の三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註苗字の表記は「安倍」とも。遣唐使として唐に長らく滞在していた仲麻呂が、仲秋の名月を眺めながら望郷の念に堪えず詠んだ名歌。ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」などのそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。* 春日山(奈良県奈良市) 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月16日
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藤原敏行(ふじわらのとしゆき)秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる古今和歌集 169秋が来たと目にははっきり見えないけれども風の音にはっと気づかされたなあ。註古今調特有の理屈っぽさもやや感じられるが、繊細な感覚と端正な言い回しで秋の訪れを詠った秀歌。さやか:亮(さや)か。分明。はっきり、くっきりしていること。「爽やか」とは語源的に無関係。ね:打ち消し・否定の助動詞「ず」の已然形。おどろく:気づく。目が覚める。はっとする。現代語「驚く」の語源だが、ニュアンスは異なる。れ:自発の助動詞「る」の連用形。自然とそうなる意味。「ぞ・・・ぬる」は強意・整調の係り結び。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「音」と「おどろく」が掛けてあるのかも知れない(当時、濁点表記はなかった)。 秋 鰯雲 煙樹ヶ浜(和歌山県日高郡美浜町)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2016年09月20日
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リオ五輪表彰式での「君が代」のテンポが、今まで聴いたことがないほどゆっくりしていて、金メダル選手たちからは息が続かず歌いづらいという声もあったが、あれはあれで非常に荘厳な感じがして、僕はすごく気に入っているよみ人知らずわが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が大岩となって緑の苔が生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集 775○ 国歌 君が代 KIMIGAYO National Anthem of Japan○ 君が代 小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 註 もとは、当時の相聞歌(恋歌)風の、一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」にはその種のものが多いので、一理あるといえる。 しかし、初の勅撰和歌集・古今和歌集の「賀歌(祝賀の歌)」の部の劈頭に、編者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上された時点で「わが君」の意味は天皇と確定し、陛下の長寿を祝賀し祈念する歌となった。 その約1世紀後、当時広く読まれた詩歌の詞華集(アンソロジー)である藤原公任きんとう編の名著『和漢朗詠集』で初句が「君が代は」となり、陛下と皇室の弥栄いやさかを祈る趣意がさらに画然たるものとなった。第一級の碩学だった公任が古今集の本歌を知らないはずはなく、写本の過程での改変だったといわれる(当時まだ印刷術はなかった、念のため)。 この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡「蓬莱山」の歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった大山巌など海軍首脳部高官らが取り上げ、曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれて、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付け、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。 この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。 この一連の過程に亘って、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から学習院など各学校独自の判断により、祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年(1893)8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、政府として事実上公認した。このため、8月12日は君が代記念日とされている。 これらの経緯から見て「君が代」がわが国の国歌であることは自明であり、むしろそれゆえにこそであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は法制度上も最終的に決着した。 京都・西芳寺(苔寺) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2016年08月12日
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小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 / 小倉百人一首 9うるわしかった桜の花の色は衰えてしまったのだなあ。虚しく徒いたずらにわが身が世の中に古びてゆく。降る長雨を眺めてもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。な:詠嘆や念を押す意味の終助詞。~のね。のだなあ。ふる:古語動詞「古ふる、経ふる」と(長雨が)「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いをする)」の連用形と、名詞「長雨(当時は『ながめ』と読んだ)」の掛詞かけことば。* これをまとめると、「わが身世に古る」と「眺めせし間に」の文脈を「降る長雨」が繋いで(ジョイントして)いる。これを私は「鎹かすがい構造」と名付けたい。 Cf.) 類似の技巧が、唱歌「蛍の光」の歌詞にも用いられている。「いつしか年もすぎの戸をあけてぞ今朝は別れゆく」。鎹(かすがい)
2016年04月04日
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大伴黒主(おおとものくろぬし)春雨のふるは涙か さくら花ちるを惜しまぬ人しなければ古今和歌集 88春雨が降るのは(人々の)涙か。桜の花が散るのを惜しまない人はいないのだから。註ふるは:降るのは。活用語連体形の準体言用法。「こと」「もの」「ところ」(また、それを略した「の」)などの体言が省略されている。(人)し:強調・整調の助辞(副助詞)で、特定の意味はない。
2016年04月04日
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伊勢(いせ)見る人もなき山里のさくら花 ほかの散りなむのちぞ咲かまし古今和歌集 68見る人もいない寂しい山里の桜の花はほかの花が散ってしまった後に咲いたらいいのになあ。(・・・そうすれば落ち着いてゆっくり見られるのにねえ。)
2016年04月03日
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在原業平(ありわらのなりひら)桜花さくらばな散り交かひ曇れ 老いらくの来こむといふなる道まがふがに古今和歌集 349桜花よ、空も曇るまで散り乱れよ。老いの神がやって来るという道が紛れてしまうほどに。註老いらく:動詞「老ゆ」の連体形「老ゆる」に、「もの、こと、ところ」などを漠然と示す形式名詞「あく」が付いて約つづまったもの。老いるということ。転じて、老いという摂理、またそれを支配する神などを意味する。cf.) 同様の造語構造の語に「曰(いは)く」「のたまはく」「語らく」などがある。
2016年04月03日
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風のなごりには水のない空に波が立っているのだなあ。註繰り返し打ち寄せる花吹雪を波に見立てたか、それとも、それを見ている作者の目にあふれた涙の海に立つ波か。
2016年04月02日
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紀貫之(きのつらゆき)やどりして春の山べに寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける古今和歌集 117(寺院に)泊って春の山べに寝た夜は夢の中にも桜吹雪が散っていたなあ。
2016年04月02日
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紀貫之(きのつらゆき)一目見し君もや来ると桜花 けふは待ちみて散らば散らなむ古今和歌集 78花をひと目見て帰ったあなたがまた来てくれるかなと桜の花は今日は待ってみて(もし来てくれないと)散るなら散ってしまうよ。(・・・だから、散らないうちにまた来てくださいね。)註やや屁理屈じみているような生真面目な諧謔・ユーモアが、いかにも作者らしいと思われる佳品。
2016年04月02日
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紀貫之(きのつらゆき)春霞なに隠すらむ桜花さくらばな 散る間をだにも見るべきものを古今和歌集 79春霞は何を隠しているのだろう。桜の花は散っている間さえも見るべきものなのに。
2016年04月02日
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大伴黒主(おおとものくろぬし)春雨のふるは涙か さくら花ちるを惜しまぬ人しなければ古今和歌集 88春雨が降るのは(人々の)涙だろうか。桜の花が散るのを惜しまない人はいないのだから。註ふるは(降るは):降るのは。活用語(ここでは動詞)の連体形の準体言(見なし体言)用法。「こと」「もの」「ところ」(また、それを略した「の」)などの体言が省略されている。古典文学には頻出。この用法は、現代語でもしばしば韻文的・懐古的(レトロスペクティヴ)な効果などを狙って「言わぬが花」「貼るはサロンパス」「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」などと用いられる。(人)し:強調・整調の助辞(副助詞)。特定の意味はない。和歌で頻用される。現代短歌でもしばしば用いられる。
2016年04月01日
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紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ古今和歌集 84 / 小倉百人一首 33大空の光ものどかな春の日になぜ落ち着きもなく桜の花は散るのだろう。註ひさかたの:「天(あめ・あま)、空」にかかる枕詞(まくらことば)。転じて「日、月、雨、雲、光、星、夜」など天象に関わる語に冠し、さらに「都、鏡」などにかかる。語源は「久堅」または「久方」とされる。下二句は、「など」(なぜ、どうして)、「などてか知らねど」(なぜかは知らないが)などの疑問語が省略された形と解され、これを補って読むのが定説。しづ心:穏やかな心。静謐な、落ち着いた心。* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2016年03月30日
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在原業平(ありわらのなりひら)世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし古今和歌集 53世の中にまったく桜がなかったら(今日は咲いたか、はたまたもう散ってしまっただろうかなどとやきもきすることもなく)春の心はのどかだろうなあ。註たえて:(否定語を従えて)「まったく、全然、すっかり(ない)」を表わす副詞。語源は動詞「絶ゆ」だが、独立した別語と見なされる。この造語法は古語動詞「敢あふ」と副詞「あへて(あえて)」などの関係と同様。せば・・・まし:「せば」は過去の助動詞「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」がついたもので、「~だったとすれば」の仮定条件となる。同様の文脈は、現代語でも「~だったとすれば」のように(英文法でいえば)過去形になる。反実仮想(事実に反した想像)の助動詞「まし」と対応して上記のような構文となる。のどけからまし:文法的には、形容詞「のどけし」(のどかな様子だ)の未然形の一つ「のどけから」に、「まし」が接続したもの。語源的に見れば「のどけく・あら・まし」の約つづまったものである。
2016年03月28日
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よみ人知らずわが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が大岩となって緑の苔が生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集 775○ 国歌 君が代 KIMIGAYO National Anthem of Japan○ 君が代 小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 註 もとは、当時の若者の相聞歌(恋歌)風の、一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」にはその種のものが多いので、一理あるといえる。 しかし、初の勅撰和歌集であった古今和歌集の「賀歌(祝賀の歌)」の部の劈頭に、編者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上された時点で「わが君」の意味は「日本国天皇」と確定し、天皇の長寿を祝賀し祈念する歌となった。 このおよそ100年後、当時広く読まれた詩歌の詞華集(アンソロジー)である藤原公任きんとう編の名著『和漢朗詠集』で初句が「君が代は」となり、陛下と皇室の弥栄いやさかを祈る趣意がさらに画然たるものとなった。第一級の碩学だった公任が古今集の本歌を知らないはずはなく、写本の過程での改変だったといわれる(まだ印刷術はなかった。念のため)。 この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれて、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付け、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。 この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。 この一連の過程に亘って、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から学習院など各学校独自の判断により、祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年(1893)8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認した。 これらの経緯から見て「君が代」がわが国の国歌であることは自明であり、むしろそれゆえにこそであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は法制度上も最終的に決着した。 京都・西芳寺(苔寺) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014年12月23日
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小野小町(おののこまち)今はとてわが身時雨しぐれにふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり古今和歌集 782今はもう時雨が降ってわが身も古びてしまったので木の葉が萎れるようにあの方の言葉も変わってしまったのだなあ。註なんとも救いがない寂寥感溢れるやるせない歌だが、ここまで切ないと、いっそすがすがしいぐらいかも。「(時雨が)降る」と「(わが身が)古(ふ)る」が掛けてあるとともに、「時雨」が「涙」の縁語。また、「(葉が)うつろふ」(しおれる)と「(言の葉が)うつろふ」(変化する)が掛けてある。
2014年12月01日
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歌川広重 月に雁 こんな夜が又も有あらうか月に雁凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)憂うきことを思ひつらねて かりがねの鳴きこそ渡れ秋の夜よな夜よな古今和歌集 213つらく悲しいことを思い連ねて連れ立って雁たちは鳴いて渡ってゆけ。秋の夜ごとに。 註つらねて:(思いを)「連ねて」と(かりがねが)「列ねて」が掛かっている。かりがね:語源的には「雁(がん)の音(ね、鳴き声)」の意だが、雁そのものをも指す。
2014年11月29日
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓たまずさの恋文を運んでくるという初雁のように初めて貴女のお声を聞いてからというもの私はぼうっとして中空にものを思うばかりだなあ。註初雁はつかりのはつかに:「初雁」(その年初めて渡ってきた雁)が「はつかに」(初めて、かすかに、ちらりと)を導く序詞(じょことば)になっており、さらに「なかぞら(中空)」のイメージに掛かっている。
2014年11月29日
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猿丸太夫(さるまるのたいふ、さるまるだゆう)奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の こゑ聞くときぞ秋はかなしき古今和歌集 215 / 小倉百人一首 5奥山に積もった紅葉をさくさくと踏み分けて鳴く牡鹿の嬬恋つまごいの声を聞くときに秋はしみじみせつないなあ。註古今和歌集では「よみ人知らず」、「小倉百人一首」では猿丸太夫作に擬せられている名歌。花札の(旧暦)十月「紅葉に鹿」の取り合わせはこの歌に因んだもの。俗に「そっぽを向く」「無視する」ことを意味する「シカト(鹿十)」は、この花札の絵柄から来ているという。(とき)ぞ・・・かなしき:強意の係助詞「ぞ」の係り結びで、文末は形容詞「かなし」の連体形。この語法の起源は倒置法ともいわれる。かなし:現代語「かなしい(悲、哀)」の語源だが、古語としてはきわめて多義的で、簡明な現代語訳は不可能。「心にしみる、強く心ひかれる、胸がいっぱいになる」「いとしい、かわいくてたまらない」「悲しい(哀しい)、切ない」などの感情を包含するきわめて重要な語。現代語「かなしい」においても、こういった豊かなニュアンスは完全には失われていないように思う。 ニホンジカウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年11月02日
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よみ人知らず秋の野に人まつ虫のこゑすなり われかと行きていざとぶらはむ古今和歌集 202秋の野に人を待つ虫の声がするという。その人とは私のことかとさあ行ってたずねてみよう。註「人待つ」と「松虫」が掛けてある。とぶらふ:訪れる。尋ねる。問う。現代語「弔う」の語源だが、ニュアンスは異なる。古今集の「よみ人知らず」は、当時の民謡のようなものが多いとされるが、素朴で戯笑的な内容から見て、その典型例であろう。 秋 ペテルスブルグ Petersbergウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年09月14日
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