全17件 (17件中 1-17件目)
1
坂本龍馬(さかもと・りょうま)世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる世の人は我を何とも言はば言へ我がなすことは我のみぞ知る自筆詠草(京都国立博物館蔵・重要文化財)世間の人々は私を何とでも言うならば言うがいい。私が為すことは私だけが知っている。註龍馬十八歳頃の作と伝わる。青春の逸はやる客気かっきと、「栴檀せんだんは双葉ふたばより芳かんばし」を地でいく悲壮な覚悟が漲みなぎった見事な一首。ゆはゞ(ゆはば):原文のまま。「言はば(言わば)」の土佐弁(訛り)という。「言ふ」の未然形「言は」に仮定条件の接続助詞「ば」が付いたもの。もし言うのならば。■高知県立坂本龍馬記念館・関連ページ* 論語・学而篇冒頭「人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや。──世間の人々が自分を認めてくれなくても恨まず憤(いきどお)らず、穏やかな心でわが道を貫く。これもまた立派な人ではあるまいか。」などを踏まえる。【参考書籍】宮地佐一郎 龍馬の手紙(坂本龍馬全書簡・関連文書・和歌詠草)かの有名な「日本を今一度洗濯いたし申し候」の文言を含む姉・乙女宛書簡全文などの肉筆原文写真版や、その読み下し文などの第一次史料を網羅した、龍馬・幕末維新史ファン必携の名著。(・・・ただし、文章は比較的平明ながら、現代語訳が付いていませんので、古文の知識がないと、細かい言い回しなどで少々ハードルが高い部分はあるかも知れません。)
2010年11月24日
コメント(0)
坂本龍馬(さかもと・りょうま)またあふと思ふ心をしるべにて 道なき世にも出いづる旅かな慶応2年(1866)頃また逢えると思う心を道標(みちしるべ)にして道のない世にも出てゆく旅だなあ。註最晩年の龍馬が旅に出る際、妻・龍(りょう)に贈った歌と伝えられる。坂本龍馬の妻・お龍(ウィキペディアより) (著作権保護期間満了につき、この写真の転載は許可されています。)
2010年11月23日
コメント(2)
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、このところ立て続けに、お金にまつわる話が出てきている。〔1〕 坂本龍馬が勝麟太郎(海舟)の命を受け、海軍創設に絡んで、越前福井藩主で幕府政事総裁職だった松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)から「1000両」を調達したこと。〔2〕 のちの三菱財閥創業者・岩崎弥太郎が、土佐での雌伏の青年時代、材木を1本「60文(もん)」で売りさばくなどして、商才を発揮しはじめたこと。〔3〕 龍馬が、のちに妻になる楢崎龍(ならさき・りょう)の妹の借金の抵当(かた)の「5両」を肩代わりしたこと。・・・などである。僕の知る限り、ドラマツルギー上の脚色や誇張はもちろんあるが、これらはすべて基本的に史実である。さすがのNHK、時代考証はおおむねしっかりしている。土佐藩過激派の剣客・岡田以蔵が、龍馬の斡旋で、こともあろうに尊皇攘夷を標榜する土佐勤皇党の政敵の首魁の一人である開国派幕臣・勝海舟の用心棒(ボディガード)を一時務めたのも事実であり、事実は小説よりも奇なりというほかはあるまい。それはともかく、江戸後期・幕末の貨幣価値は、比較的時代が近いこともあって論拠も多く、かなり明解に解説できる。結論的に言えば、江戸後期の「1両」は、現在の貨幣価値の約10万円に相当する。購買力平価(平たくいえば、「平均した物価」)による、大体の定説である。むろん、学者・研究者によって多少の見解の相違はあるが、そう大きな異論はない。強いて言えば、もう少し高いかもしれないという程度であろう。したがって、龍馬が引き出した1000両とは、現在の約1億円に当たる。また、お龍を救った5両は、50万円である。たかが50万円と思うかもしれないが、「基本的人権」もない時代、人一人の命は安かった。また庶民は日銭が基本で、一両小判を目にしたことさえない者が多かった。さらに「1両(金)」は、「4分(銀)」である。すなわち「1分(ぶ)」とは、約2万5千円である。大好きな藤沢周平の時代小説などを読んでいると、しばしば、ワケありのご大家(たいけ)様の用心棒代が「あごあし付き(飲食代持ち)の一日一分、二分」というような記述に出くわすが、これは2万5千円とか5万円ということである。額についてはよく分からないが、体を張る以上、まあ妥当なところなのだろうか。そして、「1分」が「1000文(もん)」である。ゆえに「1文」は、約25円である。つごう、1両は4000文ということになる。早起きは三文の得という諺があるが、これは「75円の得」ということである。・・・なるほどと思う(?)「二八(にはち)蕎麦」というものは現代にも伝わっているが、蕎麦粉の配合比率(8割)を意味するようになったのは近年のことであり、本来の意味は2×8=16文という盛り蕎麦の値段の相場を意味する。いかにも江戸っ子らしい駄洒落のたぐいである。なにしろ、本来「烏賊幟(いかのぼり)」だったものを、現在全国共通語の「凧(たこ)」にしてしまうぐらいの洒落っ気である。つまり、二八蕎麦16文は、16×25=400円である。名の通った蕎麦屋の盛り蕎麦一枚400円というのは、まあ妥当なところであろうか(・・・今の相場からすると若干安いかも知れないが)。そんなわけで、岩崎弥太郎が手にしたのは、材木1本につき60×25円=1500円である。元値や諸経費がいくら掛かったかは知らないが、大雑把に見て確かに儲かるであろう。のちに巨富を築く才覚の、栴檀は双葉より芳しの逸話であった。ところで、今年の大河ドラマにも多少の関わりがあるが、このブログサイトの最初の方の記事で、土佐藩祖・山内一豊の妻・千代が、結婚するときに持参した「10両」で夫に立派な馬を購(あがな)わせて、主君・織田信長の馬閲の儀で大いに面目を施し、ひいて出世の糸口になったという、戦前には教科書にも載っていたという有名な「内助の功」の逸話があるが、この「10両」が、現在の貨幣価値でいったいいくらぐらいなのかを考察したことがある。その結果、戦国時代末期の1両は現在の100万円強に当たり、10両とは現在の1000万円以上。すなわちこの馬は、言うなればメルセデス・ベンツSクラス1台であると結論付けた。これは、今でもおおむね正しいと思っているし、当時の馬を今の自動車に擬えるのも、我ながらなかなか適切な感じもする。徳川260年の間に、貨幣経済の着実な発達とともにゆるやかなインフレーションも進行し、物価はほぼ10倍に高騰したということである。米相場の管理に腐心した、「米将軍」こと八代将軍・吉宗の事績はよく知られている。ちなみに、現代の事例を挙げれば、1969年に発生し世間を震撼させた「3億円事件」は、現在でいえば「15億円事件」であるといわれている。わずか40年で5倍の物価高騰・インフレになっている現代から見れば、まことにゆるやかな歩みであったと思われる。それにつけても、現在の日本経済のデフレーション局面はまことに憂慮すべき状態であり、明日から始まるという「子ども手当」の支給も、大した乗数・波及効果は期待できず、焼け石に水といった状況だ。菅直人財務大臣は全く打つ手なしのご様子だ。ここはやはり、日銀の金融緩和政策が待たれるところであろう。・・・と書いたが、デフレ対策としての金融政策(金融緩和、インフレ・ターゲットの導入)などには激しい賛否の対立があるようだ。諏訪哲人さんからのコメントでご教示いただいた。詳しくはこちらなどを参照。なるほど、これはしろうとの手に負える問題じゃないかも~。
2010年05月31日
コメント(6)
「そして平井の収次郎ハ誠にむごいゝ いもふとお可を可”なげき い可斗ばかり可」坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書状 全文文久3年(1863)6月29日付〔下〕私、しおけして(死を決して)、ながくあるものとおぼしめしハやくたい(益体、無益なこと)ニて候。然しかるに、人並のよふに中々めつたに死なふぞ死なふぞ。私が死日シヌルヒは、天下大変にて生いきておりてもやくにたゝず、おろんともたゝぬよふニならねバ、中々こすいいやなやつで死シニハせぬ。然しかるに、土佐のいもほり(芋掘り)ともなんともいわれぬいそろふ(居候、次男坊)に生ウマレて、一人の力で天下うごかすべきハ、是これ又天よりする事なり。かふ申まうしても、けしてけしてつけあがりハせず、ますますすみかふて(住み替えて)、どろの中のすゞめがい(蜆貝)のよふに、常につち(土)をはな(鼻)のさきゑつけ、すなをあたまへかぶりおり申候まうしさうらう。御安心なされかし。 穴かしこや弟 直陰大姉 足下今日ハ後でうけたまハれバ六月廿九(二十九)日のよし。天下第一おふあらくれ(大荒くれ)先生(姉・乙女)をはじめたてまつり、きくめ石(菊目石)の御君ニもよろしく。むバ(乳母)にもすこしきくめいしの下女──とくますやへいてをりたにしざいごのこんやのむすめ──にもよろしく。そして、平井の収次郎ハ、誠にむごいむごい。いもふと(妹)おかを(加尾)がなげきいか斗ばかりか、ひとふで(一筆)私のよふすなど咄はなしてきかしたい。まだに少しハきづかいもする。かしこしもまちのまめそふも、もをこわれハせんかへ。けんごなりや、なををかしい。京都国立博物館蔵〔現代語訳〕私はすでに死を決しており、長くこの世にあるものと思し召されるのは、無駄なことでございます。しかし、人並のようにそうそうめったな事で死のうか死のうか。私が死ぬ日は、天下大乱で生きていても役に立たず、おろん(胡乱?)とも立たぬようにならねば、それまでは中々こすっからい嫌なやつとして(生き抜いて)死にはせぬ。しかし、土佐の芋掘りとも何ともいえぬ居候の分際に生まれて、一人の力で天下を動かすべきことは、これまた天より命じられたことです。こう(大きなことを)申しても、決して決して付け上がりはせず、ますます世の中を流れ歩いて、泥の中の蜆(しじみ)貝のように、いつも土を鼻先へくっ付けて、砂を頭に被っているのでございます。ご安心下さい。 あなかしこや(敬具)弟 直陰大姉 足下〔追伸〕今日は、あとでお聞きすると6月29日の由。天下第一大荒くれ先生(姉・乙女)をはじめ、菊目石の御君(おんきみ、不詳)にもよろしく。その乳母と下女──徳増屋へ行っている田螺在郷(田舎)の紺屋(染物屋)の娘──にもよろしく(文意不詳)。そして、平井の収二郎(の死)は、まことにむごいむごい。妹・お加尾の嘆きいかばかりか、(慰めに)一筆(別便の手紙で)私の様子など話して聞かせたい。(もう離れてしまった女性ですが)まだ、少しは気遣いもするのです。かしこ新町の豆惣(?)の店は、もう壊れはせんかえ?堅固なら、なお可笑しい(文意不詳だが、姉・乙女にはすぐ了解できる類いのジョークであろう)。(拙訳)
2010年05月17日
コメント(2)
坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書状 全文文久3年(1863)6月29日付〔中〕* かなりの長文のため、三つの段落に分けて掲載しています。先日下され候御文のうちに、ぼふず(坊主)になり、山のをく(奥)へでもはいりたしとの事聞へ、ハイハイヱヘンをもしろき事兼而かねて思ひ付おり申候まうしさうらう。今時は四方そふぞ(騒々)しく候得さうらえども、其ぼふずになり太極ヽヽはなはだごくごくのくされくされたるけさころも(袈裟衣)をかたにかけ、諸国あんぎや(行脚)にでかけ候得さうらえバ、西はながさき(長崎)より東はまつまへ(松前)よりヱゾ(蝦夷)までもなんでもなく、道中銀ハ一文も用意におよばず。それをやろふと思へバ先まづつねのシンゴンしう(真言宗)のよむかんをんきよふ(観音経)、イツカヲしう(一向宗)のよむあみだきよふ(阿弥陀経)、これハちとふし(節)がありてむづかしけれど、どこの国ももんと(門徒)がはやり申候まうしさうらうあいだ、ぜひよまねバいかんぞよ。おもしろやおもしろや、をかしやをかしや。夫それより、つねにあま(尼)のよむきよふ(経)一部、それでしんごんの所へいけバしんごんのきよふ、いつかふしうへいけバきよふをよみいたし これはとま(泊)るやどの事ニて候 ほふだん(法談)のよふな事も、しんらんしよふにん(親鸞上人)のありがたきおはなしなどする也。まち(町)をひる(昼)おふらい(往来)すれバ、きよふ(経)よみよみゆけバ、ぜに(銭)は十分とれるなり。これをぜひやれば、しつかり。おもしろかろふと思ひ申候。なんのうきよ(浮世)は三文五厘よ、ぶんとへ(屁)のなるほど、やつて見よ。死しんだら野べのこつ(骨)は白石、チヽリやチリチリ。此事このことハ必々かならずかならず一人でおもい立事たつことのけして(決して)相ならず候。龍ハはやしぬるやらしれんきに、すぐにとりつく。一人でいたりやこそ、それハそれハおそーしいめ(恐ろしい目)を見るぞよ。これをやろふと思へバよく人の心を見さだめなくてハいかん。おまへもまだわか(若)すぎるかと思ふよ。又けしてきりよふ(器量)のよき人をつれになりたりいたしたれバならぬ事なり。ごつごついたしたるがふぢよふばんバ(強情婆)のつよばんバ(強婆)でなけれバいかん。たんほふ(短砲・拳銃)をバ、さんゑぶくろ(三衣袋)の内にいれ、二人か三人かででかけ、万々一の時ハ、グワンとやいて(やって)、とふぞく(盗賊)の金玉までひきたくり申候。京都国立博物館蔵〔現代語訳〕先日下されたお手紙の中に、世を捨てて坊主になり、どこかの山の奥にでも入りたいとのお気持ちを拝し、ハイハイエヘン、お待たせいたしました、面白いことをかねてから思いついておりましたので申し上げます。ご存知の通り、今どきは四方八方騒々しい世の中ではありますが、はなはだ極々の腐れ腐れた袈裟衣を肩に掛け、諸国行脚にお出かけになれば、西は長崎から東は北海道・松前より奥地の蝦夷までも何でもなく、道中の路銀は一文たりともご用意に及ばない。それをやろうと思へば、まず普通の真言宗徒の読む観音経、一向宗の読む阿弥陀経、これはちょっと節があるので難しいが、今はどこの国も門徒が流行っておりますので、ぜひとも読まねばいかんぜよ。・・・おもしろやおもしろや、おかしやおかしや。それから、普通に尼の読むお経(般若心経など)を一部、それで真言の所へ行けば真言の経、一向宗へ行けばその経を読み──これは泊る宿のことでござる──法説・法談のようなこととか、親鸞上人のありがたいお話などするのである。町々を昼に往来する時は、お経を読み読み行けば、銭は十分貰えるのである。これをぜひやれば、しつかり。面白かろうと思うのでございます。何の浮世は三文五厘よ、ブンと屁の鳴るほどやってみよ。死んだら野辺の骸骨は白石、チチリやチリチリ♪(三味線の音)この事は、必ず必ず一人で思い立っては決してなりませぬ。この龍馬は囃し立てるかも知れんきに、すぐに調子に乗る。一人で行っては、それはそれは恐ろしい目を見るぜよ。これをやろうと思えば、よく人の心を見定めなくてはいかん。お前さまも、(出家するには)まだ若すぎるかと思うよ。また、決して器量のよい別嬪さんを連れにするようなことがあってはならぬ事である。ごつごつした強情婆(ごうじょうばんば)の強婆(つよばんば)でなければいかん。短砲(拳銃)をば、三衣袋(さんえぶくろ、旅支度)の中に入れ、二人か三人かで出かけ、万々が一の危急の時は、グワンと撃って、盗賊のキンタマまで引ったくるのでございます。(拙訳)註第1段落と打って変わって、実姉・乙女への「人生相談の回答」(?)。この頃、乙女は婚ぎ先の名家・岡上家での不和で実家に帰っており、世をはかなんで出家したいというような手紙を弟・龍馬に出したものと推測されている。それに龍馬が応じたもの。勝気だったという姉・乙女の気性・性格を熟知しての上であろうが、姉の苦しい胸のうちを茶化しまくりふざけまくりの、何とも天衣無縫・八方破れの文面で元気づけ、慰めている。抱腹絶倒、恐れ入る。・・・今、シコシコ引用しながら、なんか毒ガス時代のビートたけしが喋ってるみたいだと思った(笑)
2010年05月16日
コメント(0)
「日本ニツポンを今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書状 全文文久3年(1863)6月29日付〔上〕* かなりの長文のため、三つの段落に分けて掲載します。この文ふみは極ごく大事の事斗ばかりにて、けして(決して)べちやべちやシャベクリにハ、ホヽヲホヽヲのいややの、けして見せられぬぞへ六月廿(二十)日あまりいくか(幾日)ゝ、けふの日は忘れたり。一筆さしあげ申候まうしさうらう。先日、杉の方より御書拝見仕候つかまつりさうらう、ありがたし。私事も、此せつハよほどめ(芽)をいだし、一大藩 ひとつのをゝきな大名(越前藩・松平春嶽)に、よくよく心中を見込みこまれてたのみにせられ、今何事かでき候得さうらえバ、二・三百人斗ばかり私し預候得あづけさうらえバ、人数きまゝにつかひ申候よふ相成あひなり、金子きんすなどハ少し入よふ(入用)なれバ、十・廿両の事は誠に心やすくでき申候。然しかるに、誠になげくべき事ハながと(長門、長州)の国に軍ユクサはじまり、後月より六度の戦に日本甚ハナハダ利すくなく、あきれはてたる事ハ、その長州でたゝかいたる船を江戸でしふふく(修復)いたし、又長州でたゝかい申候。是皆これみな、姦吏カンリの夷人イジンと内通いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二・三の大名とやくそく(約束)をかたくし同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本タイホンをたて、夫それより江戸の同志 はたもと大名其余段々 と心を合せ、右申所の姦吏を一事に軍いくさいたし打殺うちころし、日本ニツポンを今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。此思付このおもひつきを大藩にもすこむる(頗る)同意して、使者を内々下サルヽ事両度。然しかるに龍馬、すこしもつかへ(仕官)をもとめず。実に天下に人ぶつ(人物)のなき事、これを以てしるべく、なげくべし。京都国立博物館蔵〔現代語訳〕この手紙は、大変大事なことばかりなので、決してぺちゃぺちゃお喋りな人に見せては、「ホホウ、ホホウ」の「嫌やのう」(といった反応になるのが関の山だから)、決して見せてはならぬぞえ。6月20日余り幾日か、今日の日が何日か忘れた。一筆さし上げ申します。先日、杉の方(不詳)よりのお手紙を拝見いたしました、ありがたい。私も、この頃はずいぶん芽が出て、ある大藩・一つの大きな大名(越前藩・松平春嶽公)によくよく志を見込まれて信頼され、今何事か事変が起こっても200~300人ほども私に預けられたので、大人数を意のままに使えるようになり、費用なども少し入用であれば10両20両は誠に心安く工面出来るようになりました。(10両は、現在の貨幣価値で100万円前後に相当。)しかしながら、長門の国(長州)でいくさ(下関戦争)が始まり、先月より六度の交戦で、日本側は甚だ不利な状況で、(加えて)あきれ果てたことには、その長州で戦った外国の軍艦を江戸(幕府)で修復し、また長州に送って戦わせたということです。これらは皆、幕府側の腹黒い売国奸物官僚・佞臣(ねいしん)らが夷人と内通したことによるものです。右記の奸吏らはかなりの勢力があり、大勢ではありますが、龍馬は2・3の藩と約束を固くし同志を募り、朝廷からまず神州を保つという大本の思想を掲げ、ひいては江戸の同志、旗本・大名その他各位と心を合わせ、右に申した姦吏らを一撃の闘争のもとに打ち殺し、日本を今一度洗濯いたし申すことにすべきとの神願でございます。この一念を大藩に(申し上げたところ)すこぶるの同意を得て、内々に使者をお遣わし下さること二度。されど龍馬は、仕官を求めた(単なる仕官運動をした)わけでは全くないのです。実に、天下に物の道理を分かる人士がいないこと、これを以って知るべく、ただ嘆くべしでござるよ。(拙訳)
2010年05月16日
コメント(0)
坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書簡文久3年(1863)5月17日付此頃このごろは天下無二の軍学者 勝麟太郎といふ大先生に門人になり、ことの外ほかかはいがられ(可愛がられ)候さうらうて、先まずきやくぶん(客分)のよふなものになり申候まうしさうらう。ちかきうちにハ大阪より十里あまりの地ニて兵庫といふ所ニて、おゝきに海軍ををしへ(教え)候所をこしらへ、又四十間五十間もある舟をこしらへ、でしどもニも四・五百人も諸方よりあつまり候事、私初栄太郎(甥・高松太郎)なども其海軍所に稽古学問いたし、時々船乗のけいこもいたし、このせつ兄上(坂本権平)にもおゝきに御どふい(同意)なされ、それはおもしろい、やれやれと御もふし(申し)のつがふ(都合)ニて候あいだ、いぜんももふし候とふり(通り)、軍いくさでもはじまり候時ハ夫それまでの命。ことし命あれば私三十歳になり候を、むかしいゝし事を御引合なされたまへ。すこしヱヘンがをしてひそかにおり申候。達人の見るまなこハおそろしきものとや、つれづれ(徒然草)ニもこれあり。*猶なほヱヘンヱヘン。 かしこ五月十七日 龍馬乙女大姉御本右の事は、まずまずあいだがらへもすこしもいうては、見込のちがう人あるからは、をひとりニて御聞きおき。 かしこ宮内庁三の丸尚蔵館 所蔵〔現代語訳〕近頃は、天下無二の軍学者・勝麟太郎という大先生の門人になり、ことのほか可愛がられまして、まずは(「弟子」より格上の)「客分」のようなものになったのでございます。近いうちに、大阪より十里あまりの地の兵庫という所で、盛大に海軍兵学技術を教えますところを創設し、また四十間五十間もある艦艇をこしらへ、弟子達も400~500人も諸方より集まるということです。私どもの栄太郎(甥・高松太郎)などもその海軍伝習所で稽古・学問をいたし、時々実地の乗船の稽古もしております。この節、兄上(坂本権平)におかれましても大いにご同意され、「それは面白い、(思いっきり)やれやれ」と申されましたことはまことにありがたく好都合でありますが、以前にも申し上げました通り、戦(いくさ)でも始まりました時は、それまでの命です。今年、命があれば三十歳になりますが、昔言ったことを引き合わせてお考え下さい(文意不詳。姉・乙女には即座に分かる内容なのであろう。大義のために命を捨てる覚悟があるというような趣旨だと推察される)。少しひそかに(得意然とした)「エヘン顔」をしております。達人の見る目は恐ろしい(ほど真実を見極める)ものとか、「徒然草」の一節にもありましたね。さらに、エヘン、エヘンでござるよ。 敬具5月17日 龍馬乙女大姉へ(追伸)右に書きましたことは、まずまず親しい間柄にもちょっとでも言うと、(土佐脱藩浪人が、幕府重臣の勝の元にいることなど政治的に微妙な問題があり)お考えの違う人がいて誤解・曲解を受ける恐れがありますので、お一人でお聞き置きいただき、ご他言無用に願います。 敬具註龍馬29歳。持ち前の天真爛漫のユーモアが溢れているとともに、諸般の情勢の緊迫と、それに対峙しようとする覚悟もうかがえる闊達自在の名文。龍馬の息遣いが聞こえるようである。これを書いた直前の文久3年(1863)2月25日、勝麟太郎海舟の取り成しで、土佐前藩主で事実上の最高権力者・山内容堂によって、当時死罪にも価した龍馬の脱藩の罪は正式に赦免されていた。宛先の実姉・乙女(おとめ)は3歳年上。芸事から武芸百般を嗜む女偉丈夫の「はちきんはったか」の土佐女性で、「坂本の御仁王様(おにおうさま)」とあだ名されていたという。文中の兄・権平(ごんぺい)は、土佐藩の公用で京都滞在中、意気軒昂な龍馬と対面し、上機嫌で激励していた。*「徒然草」第194段「達人の見る目は、少しもあやまる所あるべからず(練達の者の見る目は、真実を捉えて少しも誤ることがないだろう)」(吉田兼好)
2010年05月03日
コメント(0)
坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書簡文久3年(1863)3月20日付扨さても扨も、人間の一生はがてん(合点)の行いかぬハ元よりの事、うん(運)がわるいものハふろ(風呂)よりいでんとしてきんたま(睾丸)をつめわりて死ぬるものもあり、夫それとくらべて私などはうんがつよく、なにほど死ぬるば(場)へでゝ(出て)もしなれず、じぶんでしのふと思ふても又いきねバならん事ニなり、今にては日本第一の人物勝麟太郎殿という人にでし(弟子)になり、日々兼而かねて思付所おもひつくところをせい(精)といたし申候まうしさうらう。其故それゆゑに、私年四十歳になるなるころまでハうちにハかへらんよふニいたし申まうすつもりにて、あにさん(坂本権平)にもそふだん(相談)いたし候所、このごろハおゝきに御きげんよろしくなり、そのおゆるしがいで申候。国のため天下のため、ちからをつくし申候。どふぞおんよろこびねがいあげ。 かしこ三月二十日 龍乙様御つきあいの人ニも、極ごく御心安き人ニは、内々御見せ。 かしこ宮内庁三の丸尚蔵館 所蔵〔現代語訳〕さてさて、人間の一生は合点のいかないものだとはもちろんのことですが、運が悪いものの中には、風呂から出ようとして滑ってキンタマをぶっ潰して死ぬものもありますな(笑)それに比べて私などは運が強く、どれほど死ぬような場面に出ても死ねず、自分で死のうと思っていてもまた生きねばならないことになり、現在では日本第一の人物・勝麟太郎殿という人に弟子入りし、日々、かねてから思っていたことの実現を目指して精進しているところです。ですから、私は(大願成就のため)年齢40歳になる頃までは実家には帰らないようにするつもりで、兄さん(坂本権平)にも相談しましたところ、この頃は大いにご機嫌もよろしくなり、そのお許しが出たところでございます。国のため天下のため、力を尽くしております。どうぞ、お喜び下さいますようお願い申し上げ。 敬具3月20日 龍乙様(追伸)お付き合いのある方々にも、ごく心安い方には、(この手紙を)内々お見せ下さい。 敬具
2010年05月02日
コメント(0)
28日(日)、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の第1部が完結した。これで、壮大な導入部というべき第1部“Season I RYOMA THE DREAMER”が終わり、4月から第2部の“Season II RYOMA THE ADVENTURER”が始まるらしい。なお、詳しいストーリーやレビューは、楽天ブロガー仲間で「大河アナリスト」である(?) のの雪さんのブログと、そこに付いている多数の力作トラックバックに譲ります~最終回は、よかった~っ、泣けたよ~。まさに前半のクライマックスだった。坂本龍馬が毒入りの茶を飲んで血反吐を吐いて死ぬ、衝撃的な(岩崎弥太郎の見る幻想)シーンが、実は翌朝、夢にまで出てきて、魘(うな)されて目が覚めた次第である。ただ、後に龍馬の後ろ盾の一人となり、明治政府においても維新の功臣として重きをなした後藤象二郎ともあろう者が、龍馬への単なる嫉妬から岩崎弥太郎に暗殺指令を出し、茶に毒を盛らせるだとか、当代一流の人物であった武市瑞山(半平太)ともあろう者が、藩の重臣・吉田東洋に「お前が大っ嫌いじゃ~」と罵られて足蹴にされたぐらいで恨み骨髄になって暗殺司令を出すとかは、いくらなんでも歴史的真実から見て皮相じゃないかとは思った。・・・子供のケンカじゃないんだから大の大人の、当時のひとかどの武士が、日本国の未来をかけて政治闘争・イデオロギー闘争をやっているのであるから、そんな私憤で動くとはちゃんちゃらおかしいよね。また、龍馬と弥太郎が初めて対面したのは、それぞれそれなりに出世を遂げていた時期の長崎だったそうで、若き土佐時代には互いに見たことも会ったこともないというのが歴史的事実らしいから、そうだとするとこれまた作りすぎの感は否めない。そんなに作り話ばかりしなくても、歴史はありのままそのままそれ自体で十分面白いと、僕なんかは思うんだけどね~。・・・とはいうものの、こういう時代考証的な細々としたことは、言い出すとキリがなくて、真実追求と大野暮コンコンチキは紙一重だというのも確かであろうから、これにて口を噤むことにする。まあ、ドラマとしては抜群に面白いので、諒としませう。さて、次回からはいよいよ、修羅の巷の土佐から命懸けで脱藩した龍馬の、悩み苦しみながらも幕末の動乱の中を青龍のごとく飛翔してゆく、縦横無尽・神出鬼没の活躍が始まる。その一方で、歴史の激烈な混沌は容赦なく前途有為の青年達を呑みこんで行き、今活躍している登場人物のほとんどが死屍累々となって斃(たお)れてゆく、血で血を洗う悲劇が展開されてゆくことになる。視聴者としても、心の準備が必要であろう。第1部最終回は、幕末の混沌のエネルギーが渦巻き、身辺にも危機が迫り、もう土佐にくすぶっているわけにはいかない龍馬の置かれた状況と気持ちが、おおむね腑に落ち納得できた。
2010年03月31日
コメント(2)
坂本龍馬直柔りょうまなおなり自筆 父・坂本八平直足はちへいなおたり宛書簡 全文嘉永六年(1853)九月二十三日付〔現代語訳〕一筆啓上申し上げます。爽やかな秋の気配が増して来ましたが、ますますご機嫌うるわしいことと拝察申し上げ、目出度千万(めでたせんばん)のことと存じたてまつります。また、私は相変わらず無事に暮らしておりますので、ご安心下さいませ。兄(権平)のお手許(てもと)に「アメリカ騒動」の顛末について申し上げましたので、ご覧になったことと存じます。まずは急用がございましたので、早忽の乱文をお目にかけ失礼いたしました。異国船対処の件は先日免ぜられましたが、来春はまた人数に加わるものと思っております。恐惶謹言九月二十三日 龍尊父様御貴下[追伸]ご書状を下さり、ありがたき次第でございました。金子(きんす)もお送り仰せ付けられ、何よりの贈り物でございました。異国船が方々に来たということでございますから、いくさも近いうちにあるものと存じます。その節には、異国人の首を打ち取り、凱旋帰国いたすでありましょう。かしこ(拙訳)〔読み下し文〕一筆啓上つかまつりさうらふ。秋気次第に相増しさうらふところ、いよいよ御機嫌よくならるべくござり、目出度千万と存じたてまつりさうらふ。次に、わたくし儀、無異に相暮らし申しさうらふ、御休心下さるべくさうらふ。兄おん許にアメリカ沙汰申し上げさうらふに付き、ご覧あらせらるるなりとさうらふ。まづは急用ござさうらふに付き、早書乱書をご推覧あらせらるるなりとさうらふ。異国船お手宛ての儀は先に免ぜられさうらふが、来春はまた人数に加わり申すべく存じたてまつりさうらふ。恐惶謹言九月廿三日 龍尊父様御貴下御状を下さり、ありがたき次第に存じたてまつりさうらふ。金子(きんす)御送り仰せ付けられ、何よりの品にござさうらふ。異国船処々に来たりさうらふよしにさうらへば、いくさも近きうちと存じたてまつりさうらふ。その節は、異国の首を打ち取り、帰国つかまつるべくさうらふ。かしく(文責:くまんパパ ── 大体は合っていると思うが、無手勝流の読み方なので、細かいところは自信がない。誤りがあれば、どうぞご忌憚なくご指摘をお願いたてまつりそうろう。)〔原文〕一筆啓上仕候。秋気次第に相増候処、愈々御機嫌能可被成御座、目出度千万存奉候。次に私儀無異に相暮申候、御休心可被成下候。兄御許にアメリカ沙汰申上候に付、御覧可被成候。先は急用御座候に付、早書乱書御推覧可被成候。異国船御手宛の儀は先免ぜられ候が、来春は又人数に加はり可申奉存候。恐惶謹言九月廿三日 龍尊父様御貴下御状被下、難有次第に奉存候。金子御送り被仰付、何よりの品に御座候。異国船処々に来り候由に候へば、軍も近き内と奉存候。其節は異国の首を打取り、帰国可仕候。かしく(野島家所蔵)註嘉永6年(1853)旧暦6月3日(新暦7月8日)のペリー艦隊(黒船)浦賀来航に始まる騒動の渦中で書かれた、生々しい肉声。この時、龍馬19歳。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の第5回「黒船と剣」(1月31日放送)に登場した手紙の全文。故郷・土佐の家族の喜びようも、確かにあのようであったろう。
2010年02月02日
コメント(0)
先週から今週にかけて、栃木県立と宇都宮市立の両図書館で山ほど本を借りてきて、しだり尾の冬の夜長の晩酌の肴として読み耽っているところである。一円も金がかからないのが、何といってもいいよね~僕の場合、おのずと和歌・短歌関係の専門書が多くなってしまったが、一般書で最も気に入ったのがこの本である。龍馬の手紙坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草坂本龍馬/宮地佐一郎著〔講談社学術文庫〕こいつはスゴイや。文句なし。儲けた気分だ。つとに筆まめで知られる坂本龍馬の真筆書簡は、残っているだけでも100通以上になるというが、どれもこれも真情溢れ、非常な長文だったり、俗語交じりの(今でいう)口語体のものも多い。その全書簡がそのまま活字になって、詳しい解説が加えられている、歴史ファン待望・垂涎の本。特に、実姉の坂本乙女(ひいては実家)宛ての手紙は、おなじみ「・・・ぜよ」の語尾も躍りまくり、読んでいてものすごく楽しい。まさに天馬空をゆくが如き人間像が生き生きと呼吸していて、ページを繰るたびにわくわくする。妻お龍宛ての手紙は、お龍がある折にまとめて焼き捨ててしまい、わずか1通しか残っていないというのが、返す返すも悔やまれる。残っていれば、すべて間違いなく重要文化財クラスだったろう。残った1通の手紙には、以前にご紹介したこの歌などが含まれている。ただ、あえて難を言えば、すべての自筆書簡に詳細な註釈と写真版が付いているのだが、逐語的な現代語全訳はないので、古典文を読みつけていない方には、多少ハードルが高い部分があるかもしれないことである。・・・とはいうものの、読書百遍、意自ずから通ずという。大丈夫だ~。平安時代じゃあるまいし、たかだか百数十年前の幕末の文書だから、すでにけっこう現代語に近く、虚心に読めば意味はだいたい分かりまする。歴史居士、なかんづく幕末フリークの皆様には、必読の書であると思う。龍馬の手紙■ この本についての読者レビュー
2010年01月21日
コメント(0)
坂本龍馬(さかもと・りょうま)世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる龍馬詠草(重要文化財・京都国立博物館蔵)世の人は私を何とでも言うならば言え。私が為すことは私だけが知っている。註ゆはば:原文のまま。土佐弁(訛り)の「言はば(言わば)」。「言ふ」の未然形「言は」に仮定条件の接続助詞「ば」が付いたもの。もし言うのならば。■高知県立坂本龍馬記念館・関連ページ〔参考〕論語・学而篇冒頭「人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや。──世間の人々が自分を認めてくれなくても恨まず憤(いきどお)らず、穏やかな心でわが道を貫く。これもまた立派な人ではあるまいか。」
2010年01月10日
コメント(2)
昨夜3日、待ちかねたNHK大河ドラマ「龍馬伝」第1回を見た。維新革命前夜の混沌のエネルギー渦巻く世相をリアルに体感した。時代劇初出演で大役・坂本龍馬役に挑む福山雅治をはじめ、姉の乙女役・寺島しのぶ、盟友・武市半平太役の大森南朋、好敵手・岩崎弥太郎の香川照之など、俳優陣もそれぞれ見事なハマリ役で、演出も気合い十分。アカデミー賞で格がついた広末涼子も初恋の人役で華を添えている。ドラマの展開は、今後ますます期待できると思った。主演の福山については、さっそく先ほど今年最初の「おもいっきりDON!」で、中山秀征がモノマネをして笑わせていたほど、なかなか印象的な存在感を発揮している。なお、佐藤直紀氏の手になる音楽は、大河にふさわしい雄大なスケールを持ちつつ、反面大河には珍しいと思われる繊細な感覚を併せ持った曲調で、独特の聴き応えがあり、異彩を放っていると思った。さて、明治維新は、新政権を樹立した方(薩長土肥・官軍側)が天皇を戴いていたので、儒教思想上「革命」ではなく「維新」という名目になるが、武士階級による事実上の(デファクトな)革命であったことは、あらゆる識者が指摘しているところである。議会制民主主義が作動していない前近代的な「硬構造」の社会では、矛盾はかくも爆発的に解消される(・・・何となく、今の“将軍様”の北朝鮮を連想してしまうのは僕だけだろうか?)。アジアで、当時日本だけがよく成し遂げ得た、世界に誇るべき歴史段階であった。あらゆる意味で行き詰まり破綻していた徳川幕藩体制の諸矛盾を解決するには、コペルニクス的転回が必要であり、当時逼塞していながら京都に存続していた天皇(制)という権威がまず見出された。そこにキューピッドとして天から遣わされたのが、天衣無縫で融通無碍で野放図なほど破天荒な坂本龍馬という青年であった。そして自らの天命を果たし終えた彼は、再び天に召され、星になり伝説となった。その道のりが、一年かけて描かれる。楽しみすぎる。同じ時期、龍馬と同郷ながら、武士としては最下層で激しい差別のもとにおかれていた地下(じげ)浪人出身の三菱創業者・岩崎弥太郎にとってみれば、まさにブルジョワ革命勝利への道程であったろう。・・・が、いきなり冒頭、岩崎に「国賊」「天誅」と刺客が襲い掛かるシーンには恐れ入った。三菱グループ数万人社員は苦笑して見ただろう。確かに、岩崎が明治維新の過程において「死の商人」的な役回りを演じたことも事実だと思うが、その結果倒幕・維新は成就し、日本の近代が開幕したのだから、「国賊」はどう考えても言いすぎだろう。「国民の恩人」に近い。昭和戦後の、極左過激派によって頻発した、あのいや~な爆弾テロの時代を想起させられた。いつの時代にも短絡的な不平分子はいるものだ。その岩崎弥太郎を狂言回しにして、一大ドラマは始動した。それにしても、陰険、陰惨、陰湿そのものの、聞きしにまさる理不尽な土佐藩内の差別であった。・・・土佐藩祖・山内一豊とその妻を描いた数年前の大河ドラマ「功名が辻」(・・・懐かしいね)の最後の方でも少し触れられたが、この地域をもともと支配していた土豪らと、関ヶ原ののちに徳川家康の厳命で強引にこの地に入ってきた山内家家臣の歴史的・感情的対立に端を発しているのだろうが、しかしあまりにもひどい虐待(ハラスメント)である。見ていてつらかった。でも、こういう耐え難いほどの抑圧・忍従・屈辱がバネになって、その後の維新のエネルギーに転化していったんだろうな~と思って見ていた。・・・というよりも、明治維新が、下級武士による上中級武士への「クーデター」の側面を持っていたという説が、記憶に新しい「篤姫」の西郷隆盛や大久保利通らの群像と合わせて、改めて裏付けられたような気がした。
2010年01月04日
コメント(0)
2010年NHK大河ドラマ龍馬伝オフィシャルウェブサイト今年のNHK大河ドラマ「天地人」の最終回で、徳川家康がついこないだ天下を掌握したばかりだと思ってたら、来年の大河では、早くもその徳川政権・江戸幕府の崩壊過程と、新しい日本の夜明けが描かれるぜよ~・・・歴史はつながっているぜよ~出演者情報キャストの皆さんも僕が大好きな面々揃いで、今からもう狂喜乱舞の有様です~主役・福山雅治さんの坂本龍馬は、扮装した姿をちらりと一瞥しただけで一目瞭然、完璧にハマり役~!!あの才気溢れている感じもいい。・・・龍馬は「のろま大将」では務まらないぜよNHKは木村拓哉にもオファーをかけたが、ジャニーズ事務所との交渉がご破算になったと一部報道で伝えられた。でも、これで結果オーライだったね。三菱創業者・岩崎弥太郎役の香川照之、も~見る前から得心盟友・武市(たけち)半平太の大森南朋、凄みがあるな~。初恋の人・平井加尾にはアカデミー賞女優・広末涼子。豪華だな~。そして、龍馬に幼時から大きな影響を与え、龍馬との間に多数の往復書簡が残されていることでも知られる、姉・坂本乙女(とめ)役の寺島しのぶも、この人以外に考えられないぐらいの申し分ない最高のキャスティング。父・坂本八平の児玉清さんは、実生活でも歴史通の知識人。ベテランにふさわしい雅量と滋味溢るる芝居を期待したい。・・・坂本家跡取りの兄・権平役の杉本哲太なんて、顔見てるだけで泣けてくるな~(笑)・・・そして、ああ、龍馬が終生愛し続け、霧島に日本最初・本邦元祖の新婚旅行に行った最愛の妻にして同志の「おりょうさん」こと楢崎龍には、日本の女優で現在僕が最も好きな真木よう子さま。も~嬉しすぎて眩暈(めまい)がするぜよ。渾身の体当たり演技を期待している。勝海舟の武田鉄矢は、どうなんだろう?ちょっと田舎臭くて、生粋の江戸っ子の勝麟太郎にはどうかなとも思うが、最近は貫禄も付いてきたし、OKか。西郷隆盛の高橋克美は、・・・今回はコメディタッチかな?でも、やる時はやる役者だからな~、期待している
2009年11月25日
コメント(0)
先日、このブログの記事でも触れたように、再来年2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役・坂本龍馬役をいったい誰が演ずるのか、このところ龍馬ファン・歴史ファン・大河ファン・芸能ファンなどの熱い関心を集めていたが、ウルトラCとしてあり得るかも知れないと囁かれていたミュージシャン・俳優の福山雅治(39)に決定した。きのう6日、NHKが正式に発表しニュースなどでも伝えた。「キムタク」こと木村拓哉“本命説”が世上を駆け巡っていただけに、これは一大ドンデン返しと言ってもいいだろう。これによって、木村拓哉に内定した模様だという「日刊ゲンダイ」の記事、およびこれを引用する形で書いた先日の僕のブログ記事も、世紀の大誤報となっちまいますただ~この場を借りまして、伏してお詫び申し上げます~。本当にすみませんでした~。気分としては、小室哲哉容疑者に近い感じです~ネット上を見渡しても、どうもフォローする情報が全然ないので、もしかして、これヤバイのかな~と思っていた矢先であった。NHKがジャニーズ事務所と水面下で交渉したのは事実だと思う。ただ、大河ドラマといえば、丸1年半ぐらい週の半分は拘束される大仕事。また、これに加えて一種の「国民的行事」みたいな面もあり、撮影・収録以外の拘束も、うんざりするほど押し寄せる。もちろん、プレッシャーも並大抵じゃないだろう。キムタクといえば数年先のスケジュールまですでにびっしり決まっているような超人気者。スケジュール面や上記の点などで折り合いが付かなかったという観測がもっぱらだ。事実、「新選組!」の時は、主演の人気者・香取慎吾くんのスケジュールがタイトで、しばしばいわゆる「香取待ち」的な状態が生じ、NHK側も嫌気が差したという報道もある。そこまで無理してキムタクでいかなくてもいいんじゃないの~という腹がNHK側にあったことも推測される。・・・ところで、結果として、福山雅治の龍馬、なかなか悪くないのではないかと思う。具体的な名前が挙がっていた数人の中では一番好きである。ちょっとあまりにも男前の色男に過ぎるかな~とは思うが、ビミョ~に優男ではなく、男気も感じられる個性である。彼がMCをやっているFMラジオ番組など聴いていると、目から鼻へ抜ける才気煥発さが横溢しており、龍馬の実像に案外近いような気もしている。本当は、彼と上川隆也あたりを足して2で割ると理想的かなとも思うが、無いものねだりをしても詮ないことで~・・・再来年が、本当に楽しみだよ~ん 福山龍馬でNHKの“悪夢”払拭?【スポーツニッポン新聞 2008年11月7日06時02分配信】 福山雅治(39)が2010年1月にスタートするNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主人公・坂本龍馬を演じることになった。同局が6日、発表した。NHKドラマ初出演で、時代劇も初挑戦となる。龍馬が主人公の大河は過去2番目に低い視聴率14・5%(関東地区、ビデオリサーチ社)を記録した「竜馬がゆく」(68年)以来。同局としては福山の起用で悪夢を払しょくしたいところだ。 大河にとって龍馬は“鬼門”。68年に司馬遼太郎さんのベストセラー「竜馬がゆく」を北大路欣也(65)でドラマ化。期待を集めたが視聴率は伸び悩み、「幕末物は当たらない」というジンクスを生んだ。 それだけに失敗が許されない今回は、ドラマ「CHANGE」(主演・SMAP木村拓哉)「ガリレオ」(主演・福山)などを手掛けた福田靖氏を起用。主人公も視聴率が取れる俳優として、「ガリレオ」で平均21・9%を獲得した福山に白羽の矢が立った。 鈴木圭プロデューサーは当初から「福山さんしかいない」と考え、昨年末に出演を打診。福山は「本当に自分でいいんですか」と悩んでいたというが、3度の面会やラブコールを送り続けた結果、先月末に承諾を得た。一部では木村にも出演を依頼し断られたと報じられたが、鈴木氏は「一切、浮気はしてません」と報道を否定した。 龍馬の地元・高知では、02年に県議会が橋本大二郎知事(当時)に「観光の追い風に、キムタク龍馬が実現できるよう積極的要請を」と申し入れするなど、キムタク龍馬の実現が県を挙げての悲願となっていた。 鈴木氏は「福山さんは今回描きたい“進化し続ける人”という龍馬像にぴったり。俳優として今まさに成長期」と力説。福山が、物語の舞台のひとつとなる長崎市出身ということにも触れ「それも(演技の)バックボーンになるはず」と期待を寄せた。 福山は来年デビュー20周年。21年目を大作でスタートさせる。「一日も早く剣術の練習をしたい」と意欲を見せているといい、「2010年という時代だからこそ、このスタッフだからこそ表現できる“坂本龍馬”を作り上げたい」とコメントした。
2008年11月07日
コメント(0)
先日このブログの記事でもご紹介した通り、再来年2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役・坂本龍馬役をいったい誰が演ずるのか、このところ歴史ファン・芸能ファンの熱い関心を集めていたが、どうやら、キムタクことSMAPの木村拓哉に内定した模様。この情報は、大手マスメディアの中で初めて、「日刊ゲンダイ」のゲンダイネットが先ほど配信した。なお、情報の確度につきましては、僕は責任持てませんので、悪しからず~あくまでも「ゲンダイ」が言っていることである。ただこれは「東スポ」ではなく「ゲンダイ」であるから、そうそうデタラメなことは書かないとは思う* あ、このギャグは、考えてみたら関東地方以外の皆さんには分からないかもね~。「東京スポーツ」は、日頃からデタラメな記事ばかり書いていて、読者も承知で、それが売りになっている“スポーツ娯楽紙(?)”。テキト~な憶測記事がたまに当たっちゃったりして、書いた記者が慌てたりする(例えば、ちょっと古いが「長嶋・親子鷹」は「東スポ」が最初に書いて、半年後に実現した)。SMAPの全員がジャニーズ事務所と契約更改し、一部で囁かれていたSMAPの解散と事務所からの独立が少なくとも2年間なくなったというニュースの中で言及した。「キムタク」説を最初にスクープしたのは、「週刊新潮」6月14日号だったようである。その後もNHKと木村の所属するジャニーズ事務所が水面下で交渉しているという情報が一部マスコミで伝えられたり、これを打ち消すような情報(おそらく、NHK側のカムフラージュの意図的リーク)が流されたり、いろいろと芸能界の「大人の事情」もからんで、水面下の駆け引きが続いていた。・・・なお、キムタクにつきましては、下手なことを書くとコメント欄炎上の危険もなきにしもあらずですので、コメントは一切差し控えさせて頂きます~ SMAPの独立&解散が急になくなった事情【日刊ゲンダイ(講談社) 2008年11月1日 10時00分配信】●所属レコード会社問題 これまで何度も報じられてきたSMAPの“独立&解散”説に終止符が打たれそうだ。騒動の発端となっていた所属レコード会社の移籍を巡る問題が決着したという。 根拠になっているのは今月中旬にSMAPが所属するビクターエンターテイメント(以下ビクター)と2年間の契約を更新したこと。今年で結成20年を迎えるSMAPは91年にビクターからデビューし、現在では同社のドル箱的存在だが、独立&解散説の浮上とともに囁かれたのがレコード会社の移籍話だった。「ビクターがSMAPを手放すという情報が業界を駆け巡っていたのですが、経営難なのに“ドル箱”のSMAPを手放すわけがない。SMAPのメンバーもそれぞれが契約書にサインしたそうです。もし移籍するということになれば、SMAPのジャニーズ事務所からの完全独立も十分あり得るし、中居正広と稲垣吾郎はジャニーズに固執しているので、独立はイコール解散ともっぱらだったのですが……」(音楽プロデューサー) 当初、SMAP獲得を狙っていたのが大手のユニバーサルミュージックとエイベックスの2社といわれ、とくにエイベックスにはSMAP関係者と親しい元役員がいることから有力視された。一方、ユニバーサル移籍はジャニーズ幹部の意向とされた。だが、SMAPは結局、ビクターとの契約更新を選んだわけだ。 このことで、少なくとも2年間は独立も解散もなし。現在はSMAPも順調だという。「木村は韓国の映画やNHK大河ドラマ出演の内定情報もある。中居、香取、草なぎも映画・ドラマが立て続けに決まっている。稲垣は菅野美穂との結婚を年内発表の予定です」(芸能プロ関係者)“独立&解散”説が再燃するのは2年後か。
2008年11月01日
コメント(4)
再来年2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役がいったい誰になるのか、ネット上ではあれこれ熱く取りざたされている。多少ミーハーな話題ではあるが、大河フリーク&坂本龍馬崇拝者である僕にとっても、十分射程圏内にある関心事である。ネットすずめによると、本命・木村拓哉、対抗・織田裕二、大穴・オダギリジョーあたりではないかという。ウルトラCで、福山雅治もありかな~といった情勢らしい。NHKがジャニーズ事務所と交渉しているという、具体的なメディア情報もある。ガラからいうと、香取慎吾クンなんかけっこう合ってると思うんだけど、こともあろうに「新選組!」で、真っ向敵方の近藤勇をやっちゃってるもんな~。まだけっこう記憶に新しいうちに、まさかアウェーの龍馬ってわけにいかないだろ~。あの時の龍馬は江口洋介。なかなか颯爽としていた。・・・待てよ、再登板もありうるかな~。上川隆也だと、風格はあるが、龍馬の目から鼻へ抜ける才気煥発な感じがちょっと無理かな~?・・・ちょっと鈍重?(・・・勝手なこと言ってすいませ~ん^^;)それに、すでにTBSのスペシャルドラマでやっちゃってるらしいし。これはNHKのプライド(?)からいって致命的かも~・・・いろいろと調べてみると、龍馬本人の実像は、島田紳助みたいに、多少軽薄さもあって口の上手い、よく気が利く男だったんじゃないかな~というフシもあるし~さて、役者にとっても、この役は信長、秀吉、家康、大石内蔵助、西郷隆盛などと並んで、最高の勲章であることは自明だろう。役柄のチャンピオンの一つだね~。なにしろ、太平洋を眺めながら、「日本の夜明けは近いぜよ~」などという、ものすごいセリフを軽々と吐く人物である。もちろんこれは、明治以降の小説・演劇・映画などで磨きぬかれた台詞だとは思うが、本物の龍馬も、これに類するような言葉をけっこう吐いていたと、十分に想像される。このセリフを、誰に言わせるか?今年の大河で勝海舟を演じている北小路欣也が、若かりし頃演じたこともある。この時の妻・楢橋りょう役は、当時天下の美女・浅丘ルリ子。いろいろと、芸能界の“大人の事情”もからんで、水面下の激しい闘いが繰り広げられているらしい。気をつけて書かなければならないが、歴史&龍馬ファンの目から見ても、このあたりの面々なら、まあOKを出せるぜよ~。今年の玉木宏も悪くないが、篤姫と小松帯刀のドラマの中では、あくまでも一介の脇役に過ぎないよね。キムタクの美青年龍馬もいいし、織田裕二の男っぽさの土佐っぽ龍馬もいいであろう。・・・やっぱり1年間クローズアップで見るんだから、キレイな方がいいかな~しかしジャニーズだと、芝居がやっぱりちょっと弱いかな~?個人的には、松田優作の龍馬は見たかったな~、クシュンワクワクドキドキ、気になって仕方がないよ~ん。ところで、坂本龍馬の短い生涯での天馬のごとき活躍は、当時陽の沈むことなき大英帝国であったイギリスの世界戦略に上手く乗っかっていたからだという指摘がある。薩長同盟前後の立ち回り方を見れば、冷たい歴史学的分析としては、なるほどその通りかも知れない。否定しない。・・・が、それは、龍馬本人に大きな器があったからこそなしえたことであって、龍馬という人物の評価に、寸毫も瑕疵を与えるものではないと、僕は確信する。それにしても、天保6年(1835-6)生まれの同い年だったという小松帯刀は34歳、龍馬は33歳で非業の死を遂げている。今より平均寿命は短かったとはいえ、やはり若い。若すぎる。イエス・キリスト35歳より短い。激動の時代、歴史の巨大な1ページを開いた男たちの、なんという熱くて骨太で短い人生だったのだろう。幕末物は歴史的背景が錯綜して難しいので、一般的には人気薄だともいわれるが、その反面、一部では熱狂的なファンを有する。僕もその一人である。・・・いずれにしましても、さらに情報収集してみます~
2008年10月14日
コメント(6)
全17件 (17件中 1-17件目)
1