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清少納言(せいしょうなごん)枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているの(が、すてき)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわ。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの、また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんかが降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう言葉では言い表わせないわ。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、(冬の朝に)とってもはまっているわね。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、格好悪い。(拙訳)【原文】春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2014年04月18日
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清少納言(せいしょうなごん)枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているの(が、すてき)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわ。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの。また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんかが降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう言葉では言い表わせないわ。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、(冬の朝に)とってもはまっているわね。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、カッコ悪い。(拙訳)【原文】春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。枕草子 (ビギナー向け抜粋抄本)【送料無料】価格:620円(税込)
2012年03月25日
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清少納言 枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているの(が、すてきね)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわね。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの。また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんかが降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう、言葉では言い表わせない。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、とってもハマっている。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、ダサいのよね。(拙訳)【原文】春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2009年04月03日
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ふと読みたくなったので、再録します。なお、このほかの「枕草子」現代語拙訳は、左サイドバーの「ものぐさ枕草子」カテゴリーから入って下さい。このほかにもご紹介すべき名文の章段はたくさんあるんですが、ごらんの通り、入力するだけでもなかなかの大仕事でね~、気が重いざんすよ~清少納言 枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいたの(が、すてきね)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわね。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの。また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんか降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すっごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう、言葉では言い表わせない。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、とってもハマっている。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、ダサいのよね。(拙訳)春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2007年10月22日
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枕草子 角川第146段(新潮144段、岩波151段)かわいいもの 瓜に描いた子供の顔。雀の子が、チュッチュッと“鼠(ねず)鳴き”すると、躍り上がって飛んで来るの。一、二歳ぐらいの幼子が急いで這ってくる途中に、すごく小さな塵があったのを目ざとく見つけて、とっても可愛らしい指にとらえて大人なんかに見せてんの。メッチャ可愛い。頭がおカッパの女の子が、目に髪が掛かったのを掻きあげもせずに、首をかしげてものなど見ているのも、キャワユイ~。大柄ではない殿上人の子供が、装束を飾り立てられて歩くのも、可愛い~。愛らしい幼子を、ほんのちょっとの間抱っこして遊ばせて可愛がっていたら、抱きついて寝ちゃったの、すっごく桐島可憐なの。雛人形の道具。蓮の浮き葉のすっごく小さいのを、池から取り上げたの。葵のすごくちっちゃいの。何でも何でも、小さいものは、みんな可愛いの。ものすごく色白で太った幼子の1歳ぐらいなのが、(大人の)二藍(濃紫)の羅(うすもの)なんかを、丈を長めにして、袖を襷(たすき)に結わえたのが這い出してきたの、また、小さい子が袖ばっかりになったみたいのを着て歩くのも、みんな可愛い。七つ八つ九つぐらいの男の子が、声は幼げでいて、(難しい漢書などの)本を朗読してんの、すっごく可愛い。鶏の雛が、脚を長く出して白くて愛らしく、お尻をからげたつんつるてんの着物のような格好で、ピヨピヨとかしましく鳴いて、人の後ろや前に立って歩くのもすてきね。また、親鶏がいっしょに連れ立って歩くのも、みんな可愛いわね。雁の卵、ガラスの壷。〔雁(かり)のこ、瑠璃(るり)の壷(こ)よ。・・・ザブトン10枚よっ!〕(拙訳)註:「うつくし」は「うつくしむ(可愛がる)→いつくしむ」と同語源で、ほぼ「可愛い」の意味に相当する。現代日本語「美しい」とはかなりニュアンスが異なる。原文の「二つ三つ」は数え年(生まれた時に1歳、正月ごとに1歳を加える)なので、現在の満年齢でいうと、0歳数ヶ月から2歳に当たる。当時ハ行は、パピプペポと発音したことは定説。したがって原文「ひよひよ」は「ピヨピヨ」と発音した。「ひよこ」の語源がよく分かる。うつくしきもの瓜にかきたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来るみちに、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。かしらは尼剃ぎなるちごの、目に髪のおほへるを、かきはやらで、うちかたぶきて、ものなど見たるも、うつくし。 大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。 雛の調度。蓮の浮き葉のいと小さきを池よりとりあげたる。葵のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、みなうつくし。 いみじう白く肥えたるちごの、二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣長にて、たすき結ひたるがはひいでたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、みなうつくし。八つ九つ十ばかりなどの男児の、声はをさなげにて文読みたる、いとうつくし。 にはとりのひなの、足高に、白うをかしげに、衣短なるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに、たちてありくも、をかし。また、親の、ともにつれてたちて走るも、みなうつくし。 かりのこ。瑠璃の壷。
2007年02月22日
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枕草子 角川第183段(新潮180段、岩波188-190段)病気は、胸、もののけ、脚の気。それに、ただなんということもないけれど、ものが食べられない気分。十七、八歳ぐらいの人が、髪がとってもきれいで身の丈ほどもあって、その先はすごくふわゆらふさふさしてるの。とってもふくよかで、ものすごく色白で、顔が可愛らしくて、いいわ~と思える女の子が、歯をメチャクチャ患って、垂らした前髪もぐしょぐしょに泣き濡らして乱れ掛かっているのも知らず、顔も真っ赤にして押さえているのは、ホント、すてきなのよね~。九月あたりに、白い一重のふんわりしたのに袴のよく合うのを着けて、紫苑の着物のすごく上品なのを纏って、胸をひどく煩っているので友達の女房(キャリアウーマン)なんかが次々来てお見舞いして、部屋の外の方にも若々しい公達がたくさん来て、「大変お気の毒なことです。いつもこんなにお苦しみなのですか?」なんてお座なりに言う人もいる。心を掛けている人は、本当に可哀想だと(人知れぬ仲などはまして人目を忍んで、そばに寄るに寄れず)思い嘆いているのがホントにすてき。とっても麗しく長い髪を引き結わえて、吐こうとして起き上がった様子も、可愛らしいわね。陛下にも聞こし召されて、おまじないの御読経の僧侶の声のいいのをお遣わし下さったので、枕元に几帳を引き寄せて、隔てて座らせた。さほどでもない狭さなので、お見舞いの女性が大勢来てお経を聞いたりするのも丸見えで、ちらちら見ながら読んでいるのは、こりゃバチが当たるよ~、と思われたわよ。(拙訳)註:胸:不詳だが、この文の場合、結核(肺病、労咳)のことではないようである。角川ソフィア文庫版は、註釈で結核説を真っ向否定している。結核の場合、当時は不治の病。この文の場合、胃酸過多による胸やけの悪化したもの、みたいな感じか。・・・「太田胃散」でも服用すると利くだろうか。もののけ:怨霊(に取り憑かれること)。今でいうと、何らかの慢性疾患に、精神的な抑鬱状態が重なったようなものか。脚の気:脚気。ビタミンB1欠乏症。ビタミンB複合体が多い胚芽(米ぬか)を摂取せず、肉食をしないことによって起こる。悪化すると死に至る。後世、江戸時代には白米常食による「江戸わずらい」として恐れられた。樋口清之「おもしろ雑学日本意外史」(三笠書房・知的生き方文庫)によると、平安貴族の死因は、おおよそ肺結核が55%、脚気が20%という研究結果もあるという。平均寿命も、せいぜい35歳ぐらいだった。背景には、運動不足とストレスによる免疫力の低下もあったろう。当時の主食は玄米だったので、適量を食べていればビタミンB群は摂取できたはずだが、現在の炊いた(「煮る」ことの一種)ご飯と異なり、蒸し飯(いい)だったので、食感は非常にパサついて、とてもたくさんは食べられない代物だった。僕も玄米を食べたことがあるが、味はまあまあ悪くないが、これが毎日ではちょっとキツイな~と思った。まして蒸し飯ではキビシイね。おかずも、運輸流通・冷蔵庫のない時代とあって干物ばかりで、あまり食欲をそそるものではなかったようである。虫歯も、口腔内の糖質などの富栄養が背景にあると思われるから、これらはすべて当時の王侯貴族ならではの“特権的”病気だったともいえる。非常に贅沢な生活をしながら、食生活は糖質・炭水化物に著しく偏った、一種の栄養失調状態だったとも言われる。さらに、当時すでにけっこう発達した医学もあったが、平安貴族は医師を呼ばず、不例(病気)の時はこの文のようにもっぱら当時舶来のモダーンな先進思想であった仏教・密教の加持祈祷に頼った。宗教のもつ心身症(最近ではガン発生への精神的ストレスなども指摘されている)や精神病などへの一定の癒す力・治癒力は認めるが、これでは治るものも治らなかったろう。なお、庶民は野山を駆け巡る比較的健康的な生活をし、動物性蛋白質、すなわち肉類も食べ、またその日その日を生きるのに精一杯で、もののけに取り憑かれる暇もなかった?十八、九:数え年(生まれた時に一歳、正月ごとに一歳加える)なので、現在の満年齢でいえば、16~18歳に当たる。八月:太陰暦(旧暦)なので、現行の太陽暦(新暦)ではほぼ9月頃。( )内「人知れぬ仲・・・」のくだりは、能因本(写本)のみに存在。この部分は、どうも贋作臭いように思われる。病は、胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えていみじう色しろう顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくておさへてゐたるこそをかしけれ。八月ばかりに、白き単(ひとへ)なよらかなるに袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など数々来つつとぶらひ、外のかたにもわかやかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ。」など、ことなしびにいふもあり。心かけたる人は、まことにいとほしと(人知れぬ仲などはまして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず)思ひなげきたるこそをかしけれ。いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。〔寸評〕病気の話題でさえ半ば面白がり、いわばエンタテインメントにしてしまう、清少納言さまの超絶の美意識の面目躍如たる文章である。19世紀末にフランスの詩人シャルル・ボードレールが詩集「悪の華(病気の花)」を以って西洋世界に呈出した、病的なデカダンス(頽廃)の美が、わが国ではすでに900年も前に清少納言によって見出されていた。・・・ただ、こういう才気走ったところにカチンとくる人もいるのは世の常で、強烈であからさまなエリート意識もあいまって、彼女が嫌いという人は、政敵でもあった紫式部をはじめ、当時も今も少なくない。
2007年02月20日
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枕草子 角川、新潮第40段(岩波43段)虫は、松虫、蜩(ひぐらし)、蝶、鈴虫、蟋蟀(こおろぎ)、きりぎりす、われから、かげろう、蛍。蓑虫は、とってもしんみりするわ。鬼が生んだ子だというので、親に似てこれも恐ろしい心を持っているんだろうと、親のおんぼろな着物をひっかぶせて、「今に、秋風が吹いてくる頃には迎えに来るからね、待ってんだよ。」と言い置いて逃げて行っちゃったのも知らず、風の音を聞き分けて、八月頃(現在の九月頃)になると、「ちちよ、ちちよ」と儚(はかな)げに鳴くのが、めちゃくちゃしみじみあわれなのよ。ぬかづき虫、これがまたじーんと来るのよね。一寸の虫でも道心を起こして、ぬかづいて歩いてるらしいわよ。思いがけず、暗いところでピョコピョコお辞儀して歩いてるのは、ホントすてきだわね。蝿ったら、「憎らしいもの」の中に入れた方がよかったぐらいの、可愛げがないものもあるかしら。いっちょまえに「人民の敵」なんかにするほどの大きさでもないけど、秋口なんか、もうどんなものにでも止まるし、顔なんかに濡れた足で止まったりなんてね~。人の名前に付いてるのは、もう「あっち行ってて」よね。夏虫、とってもすてきで、愛らしいの。灯し火を近くに引き寄せて小説など読んでいると、本の上なんかに飛び歩いてんの。すっごくすてき。蟻は、すごく憎たらしいけれど、身軽さはものすごくて、水の上をすいすい歩き回るのは、ホントにすてきだわね。(拙訳)【原文】虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず暗き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋などただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。 註原文の「鈴虫」は、現在のマツムシ。「松虫」は、現在のスズムシ。「きりぎりす」は、現在のコオロギ。後世、江戸初期の松尾芭蕉の名句「むざんやな甲の下のきりぎりす」(「奥の細道」所収)も、コオロギの意味である。「はたおり」は、現在のキリギリス。「われから」は、不詳。ガガンボなどか?「ひを虫」は、現在のカゲロウ。ミノムシ(ミノガの幼虫)が鳴くのかどうか知らないが、「ちちよ」は「乳」に掛けている。ザブトン2枚。「ぬかづき虫」は、現在のコメツキムシ。「蝿が人の名前に付いている」というのは、当時は少なからず実例があった(「蝿麿」など)。中には「糞麻呂(くそまろ)」という例もあったことが知られている。「夏虫」は、ウスバカゲロウとかガガンボ、セセリチョウやら小さな甲虫類などを総称して指しているものと解されている。当時、火に寄ってきて身を焦がす夏虫は、恋に身を焦がす男女と二重写しになって、ロマンティックなイメージがあった。夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり(夏虫が身をいたずらに滅ぼすことも、同じ恋の火によるものだった) 古今和歌集544
2007年02月19日
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枕草子 角川、新潮第39段(岩波42段)気品があるもの薄紫に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の卵。かき氷に甘葛(あまずら)の蜜を入れて、新しい銀のお椀に入れたの。水晶(クリスタル)の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかったの。めちゃめちゃかわいい稚児(幼子)が、苺なんか食べてるの。(「ちご」と「いちご」のお上品なシャレにもなってるのよ。・・・ザブトン3枚だわね 。)(拙訳)あてなるもの 薄色に白襲の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷(ひ)にあまづら入れて 新しきかなまりに入れたる。水晶(すゐさう)の数珠(ずず)。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。 汗衫(かざみ):一重または二重の、主に夏季の軽装の上着。国風文化の中で、後に宮中の女官や童女の正装と見なされるようになった。
2007年02月19日
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枕草子 角川第239段(新潮236段、岩波254段)星は、昴(すばる)、彦星、夕づつ。夜這い星、ちょっとすてきね。・・・尻尾さえなければ、もっとね 。星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。註まいて:「まして」の音便。この段は、短い割には註釈が要りますね。昴:羽子板星、プレヤデス星団。現在、オリオン座の右上にほのめいている。彦星:牽牛星、鷲座アルタイル。天帝(北辰、北極星)の娘・織姫(織女、琴座ヴェガ)との七夕伝説は古来有名。夕づつ:宵の明星、あかぼし。金星、英語ヴィーナス。月を別とすれば、地球にもっとも近い天体なので、非常に明るい。また地球から見て太陽に近いので、早朝の日の出直前または夕方の日没直後にしか見えず、また惑星であるから軌道上の位置によって見えたり見えなかったりし、見える場所も一定しない。「素朴天動説」の古代人には、ことのほか神秘的であったろう。2月下旬現在、夕方6時ごろ、南西の低い空に妖しくきらめいている。夜這い星:彗星、ほうき星。太陽系内の小惑星の一部。楕円軌道を描くため、定期的に地球に近づき、太陽のエネルギーを受けて微細な物質を放出するのが、しっぽのように見える。
2007年02月19日
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枕草子 角川第254段(新潮251段、岩波269段)すべてのことよりも、情があることこそが、男はもちろん女にとっても、すばらしいことだと思われるわ。こともなげな言葉だけど、切実に心の深くからではなくても、気の毒なことを気の毒とも、かわいそうなことを「本当に、どんなお気持ちだったことでしょう」とか言ったというのを人伝てに聞いたのは、差し向かいで言われるよりもうれしいわ。何とかして、この人に、「お情けが身に染みましたよ」と分かってもらえないかな~と、ホントにいつも思っているのよ。必ず心配してくれる人、見舞ってくれるはずの人は、当たり前のことだから、とりたててどうってほどのことはないのよ。そうじゃないような人が、受け答えを親身になってしてくれるのは、うれしいことなのよね。とっても簡単なことだけど、ザラにはありえないことなのよね。だいたい、善人で、実際に才能もないわけじゃないという人は、男も女も、めったにいないみたいだね。はたまた、そういう人も多いだろうね。(拙訳)よろづのことよりも情(なさけ)あるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心深く入らねど、いとほしきことをば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ。」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひていふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがな、と常にこそおぼゆれ。かならず思ふべき人、とふべき人は、さるべきことなれば、とり分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも後ろやすくしたるは、うれしきわざなり。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人多かるべし。註:最後の一行のつながり方は、今ひとつ“あやし(ワケ分からない)”。印刷のなかった時代、写本の写し間違いでもあろうか。
2007年02月18日
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枕草子 角川第253段(新潮250段、岩波268段)男はホント、もう何ともありえないぐらい奇妙奇天烈な心地のものではあるわよね。とっても清純な人を捨てて、すごく醜い人を妻に持つのも、奇怪だわよ。公の場所に出入りする男、いいところの息子などは、たくさんいる中にいいと思う女の子をこそ選んで、お思いなさればいいのにね。近寄るまじき高貴な女性であっても、すばらしいと思うような人を、死ぬほど愛し抜きなさいませよ。立派な人の娘、まだ見ぬ人などでも、器量よしと聞いたらもう、何としてでも・・・と思うのが男なんじゃないの。しかるに、女の目から見てもダサいと思う女を思うのは、いったいど~ゆ~ことなのよ?顔かたちがすっごく良くて、心もすてきな人で、字もきれいに書き、和歌もしみじみ詠んで恨みの手紙を送って来たりするのに、返事は小ざかしくしながら寄り付かず、つつましくさめざめ嘆いているのを見捨てて行くなんてことをするのは、呆れ果てて義憤すら感じて、傍目(はため)の気分までブルーになると思うんだけど、本人の身の上では、ちっとも心苦しさを思い知らないんだね~。(拙訳)男こそ、なほいとありがたくあやしきここちしたるものはあれ。いと清げなる人を捨てて、憎げなる人を持たるもあやしかし。公(おほやけ)所に入り立ちする男、家の子などは、あるが中によからむをこそは、選(え)りて思ひたまはめ。及ぶまじからむきはをだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人の娘、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。 かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれによみて、恨みおこせなどするを、返りごとはさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたるを、見捨てて行きなどするは、あさましう、公腹(おほやけばら)立ちて、見証(けんそ)のここちも心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。
2007年02月18日
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きららかにをかしをかしすてきすてきと言へるひと YES I LOVE 清少納言
2007年02月17日
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枕草子 角川、新潮第27段(岩波第30段)過ぎ去ったことが恋しいもの(賀茂の祭りの時からそのままになっていた)枯れた葵。人形遊びの調度類。二藍、海老紫染めなどの端切れが、押しつぶされて本の中なんかに挟まっていたのを見つけたこと。また、ある折にジーンとした人からの手紙(和歌)を、雨など降って退屈な日に探し出したこと。去年の夏扇。(拙訳)過ぎにしかた恋しきもの枯れたる葵。雛遊びの調度。二藍(ふたあゐ)、葡萄染(えびぞめ)などのさいでの、押しへされて草子の中などにありける、見つけたる。また、をりからあはれなりし人の文、雨など降りつれづれなる日、さがし出でたる。去年(こぞ)のかはほり。 註:「かはほり」は、「蝙蝠(こうもり)」と同語源。
2007年02月17日
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清少納言 枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいたの(が、すてきね)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわね。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの。また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんか降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すっごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう、言葉では言い表わせない。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、とってもハマっている。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、ダサいのよね。(拙訳)春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2007年02月17日
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