南風一の世界

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2024/02/10
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  今日は従妹の命日    南風一

昨夜ブログの過去の記事を見ていて
従妹の命日のことを思い出した
戸籍謄本を取り出してみると
死亡日時は令和16(西暦2004)年2月10日午前5時10分ごろと
書かれていたので
ちょうど今日が20年目の命日に当たると知った

私が従妹に会ったのはまだ実母に抱かれていたとき(すなわちゼロ歳のとき)が
一回目
それから実父(私の叔父に当たる)の7回忌の命日のとき

法要にお参りして
また養母に連れられて西の方の養母の家に向かって帰るとき
「ばいばい」と手を振っていた姿が二回目

従妹の誕生日は昭和43(西暦1968)年9月だから
従妹は35歳で亡くなったことになるが
亡くなるまでに(いや正確には亡くなって以後も)三回目の出会いがないままに
この世とあの世の別れとなってしまった

小学生時代以降に従妹とは一度も会っていないから
親身になって話したこともないから
死亡という事実を知ったからといって特に感慨もあろうはずもないが
ただそういう女性がいたという知識を持っているに過ぎないのに

(自分の胸の内にというか、脳の中に)

従妹の方だって
もし天国から下界を見ているのならば
単なる従兄に過ぎない私のことを
生涯2回しか会ったことがないのに

私を認識すらできないのに
(私のことを)とやかく思うことなど根本的に無理だろうから

結局私が従妹の命日のことに思いを馳せるのは
従妹にとっては何の意味もないことに過ぎなくて
何のことかな?という結果になる

そういうわけで
私は4年前に従妹の博士論文主査を務めた指導教官から貰ったEメールを
読み返してみて
従妹の大学院生時代とその後の2年間の非常勤研究員時代の
指導教官から見た従妹の研究生活ぶりを想像してみるだけである

そんな従妹と従兄という関係も
この世には存在したのだなと頭の中だけで考えている
特に悲しいとか可哀そうだなという感慨を持つような間柄ではないけれど
それでもやっぱり従妹は可哀そうだったかなという
感想を抱いてしまう

今日は20回目の従姉の命日だけど
そんなことを考えているのは
私以外の誰一人いない
(多分ではなく絶対的に従妹のことを覚えているのは私以外には誰もいない)


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Last updated  2024/02/10 03:48:15 PM
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