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2004 6/30(水)高校のバザーの準備会へ行く。毎年この季節のようだが、去年はさすがに行けなかったので。午前中は雨と雷がひどく、新幹線も止まったらしい。shinは午後から地区センターの日だ。「出かける時間、昼食の時間をよく考えて準備してね」と言って私は出かけた。両親も外出の予定があり、shinが一人。帰宅後聞いてみると、天気も悪く地区センターは休もうかと思ったらしいのだが、天気予報では午後から晴れると言ったので出かけた・・・と言う。おお、そうそうそれでいいのよ。今のshinに必要なものの一つは、この判断力。地区センターではお習字があったらしく、団扇に「望」と書いて持って帰ってきた。もともと字は上手くない人なのだが、なかなかよく書けている。長女の「お父さん、上手いじゃん」の言葉にもまんざらでもない様子。2003 6/30(月) *入院17日目*月曜日のファックスを送信しました。会社からは、診断書の提出と7/2の面会申し込みの連絡がありました。「いよいよ来たか」という感じです。shinの様子を家族に、家族の様子をshinに伝えるためにデジカメを買いました。リハビリ室では他の患者さんを写さなければOKと言われました。PTでは平行バーにつかまって立つ練習です。重心が左に傾くので、右に体重をかけるように先生からアドバイスを受けていました。リハビリが終わり、「ありがとうございました」と挨拶をしながら、S先生と右手で握手をしていました。リハ科のDr.Mに7/2の対応について相談しました。本人とはまだあわせない方がよい、情報は小出しにする、傷病手当金については質問してよいのでは・・・とアドバイスを受けました。やはり何でも専門家に聞いてみるものだと思いました。毎日何回も「今日は何日?」と聞きます。最初は根気良く教えていましたが、だんだん私の対応も雑になってきているのが分かります。反省。今日は6/30だと教えると「そうか、もう半分過ぎたな」「明日はイッピか」と言いました。「何月の?」と尋ねると「7月だろ」。へー分かってるんだ・・こんな時がちょっと嬉しい瞬間です。夕食後私が「ちょっとキツイな」と言うと「早く帰っていいよ」と言ってくれました。帰るタイミングはいつも難しく、さながら私は小児病棟のお母さんのようでしたが、今日は人の事も考える余裕も出てきたのでしょうか。気が変わらないうちに、早く帰りました。
2004.06.30
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2004 6/29(火)今日から長女の期末試験スタート。修学旅行があるため、他学年より早くあるらしい。買い物の途中でヒマワリと朝顔が咲いているのを見た。今年は梅雨らしくない天気が続き、お水も心配でもあるがもう植物は夏を感じているのだ。季節が変わるのは好きだったが、今の気持ちは微妙。ゆっくり進みたい気もする。2003 6/29(日) *入院16日目*次女と病院へ行きました。途中食事用の滑り止めマットを購入しました。左手でスプーンを持って食事をしていますが、食器がスルスル動きます。かと言って右手で押さえる事はできません。(これは高い買い物でした。100均で売っている滑り止めで十分だった事が後日分かりました)昨日ハイだった分、今日はちょっとお疲れモードです。でも次女と会えたのは嬉しかったらしく、涙ぐんでました。ベットの上のshinを次女がスケッチしました。(H病院にいる間、ベットサイドに貼ってましたが、今は電話横のコルクボードにピンで留めてあります)ちょっと虚ろな目がshinの状態を物語っています。夕食は毎日デイルームで摂っていますが、ここには自販機の他にオーブントースターや電子レンジ、水道もあります。夕食を待つ間、タオルを絞って電子レンジでホットタオルにし、右手を暖めるのが日課になりました。今日はホットタオルを渡すと自分で右手を包んでいました。新しい記憶も少しは残っているのでしょうか。新しい滑り止めマットを使って今日の夕食は完食でした。やはり食器が動かないので、食べやすかったようです。マットの説明をしましたが、分かったかどうか。
2004.06.29
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2004 6/28(月)数日前から血圧が高かった義父が病院へ行き、腎機能を指摘されて帰宅。アルコールは棚に上げて、「食事の塩分じゃないの」ときた。shinの退院後から1日の塩分量は7gを目標に料理をしていたので、塩分過多は有り得なかったが「あら大変。じゃあお義父さんのは特別うすく作りましょうね」と答えた。フフフ、私は意地悪なのだ。shinは午後OT。退院後は暫く一緒に行っていたが、最近はほとんど一人で通院している。駅まで徒歩20分。JRと私鉄を乗り継いで約1時間で着けるようだ。当初はパスケースの出し入れから始まり、階段の位置取り、電車の乗り降り、信号の確認・・など課題も多く、車で行ったがよほど楽だったが、退院後8ヶ月経ち、外出に関しては殆ど問題もなくなってきている。リハビリの先生方も退院後は、「○さん、早く一人で来れるようになってね」 「今日はどうやって来たの」等とshinの外出にはいろいろと心配してくれたが、もう一人が当たり前になってきたので、とりたててこの件については質問もないようだ。2003 6/28(土) *入院15日目*PTでつかまり立ちが出来ました。今日は本人もやる気があるようで、リハビリも調子が良いのが分かります。子供たちがハイハイ、つかまり立ち、ヨチヨチ歩き…とできる事が増えた時は本当に嬉しかったものですが、十数年後にまたこんな日が来るとは思ってもいませんでしたちょっとした動作でも、右手を使おうとする意識が出てきたように思います。手を洗う時、ホワイトボードの字を消す時、食事の時…うまく使えない時が多いのですが、諦めないでほしいと思います。Dr.IにCTの写真を見せてもらいました。少しずつ脳のハレが引いてきているようです。しかし血腫が吸収されてしまわないと脳のダメージの程度は分からないそうです。これから6か月がリハビリも最重要なので、しっかり励むべし…そんな話でした。また脳出血には前兆はなく、脳外の医師でも脳出血に当たる人がいる・・との話を聞きました。数日前、shinの前兆を私が気がつかなかったのではないか…と義母から言われた事がずっと刺さっていましたが、ちょっとだけ気持ちが楽になりました。
2004.06.28
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2004 6/27(日)日曜日は、まず求人広告に目を通す。仕事を辞めて1年が経つが、shinと少し距離を作り、私がいない事に慣れてもらうためにも仕事を始めたいと思っている。しかし両親は万一の時のためにスタンバイして欲しいらしいので、とりあえず土日の仕事を探しているのだが、なかなか条件が合わない。何より最近は、一年間の疲れか、私の体調が悪く、これで働けるのか…不安になったりするのだが。決まるときは決まる・・そう思う事にしている。2003 6/27(金) *入院14日目*午前中、近所のOさんにケアマネージャーについて相談しました。介護保険を利用するにはケアマネさんは不可欠ですが、これは利用者が探さなければいけないとの事。私はまったく心当たりがありません。Oさんの紹介でケアマネさんにも連絡がつきました。保険課の調査日も決まりました。やはり何事も一つずつしか片付かないと思いました。前夜の様子が気になったので、早めに病院へ行きました。トイレが間に合わなかったらしく、シーツ交換の真っ最中でした。水分はたっぷり摂らせたいけれど、トラブルも起こると言う事です。何を優先したらよいでしょうか。今日はPTはお休みでOTのI先生と柔軟体操のあと、両手を組んで上下左右に動かしていますが、昨日より落ち着いてリハビリに取り組んでいます。よしよし。車イスとベットとの移動も、随分上手くなりました。コツをつかんだのでしょうか。夕食までデイルームで、shinのパーソナルデータをインプットしました。名前・年令・住所・家族構成…教える度に感心しています。磁石着きの数字で遊んだりもしますが、数字に関しては大変「薄い」ようです。ただ左手にしているデジタル時計は読めたりするので、マダラにでているのでしょうか。近くのショッピングセンターで七夕飾りが風に揺れていました。病気回復を短冊に書きました。沢山の願い事が吊るされています。人間の願いは人の数、いやそれ以上にあるのでしょう。病院の玄関にも笹があったので、近いうちに短冊も用意されるかもしれません。
2004.06.27
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2004 6/26(土)今週は私の体調が悪い。今日は中学校の授業参観だが、たった10分の距離なのに歩いても歩いても学校に着かないような気がする。数学の授業だったが立って見ているのがつらい。帰りもシンドイ道のりだった。昨年shinが倒れた日、彼は長女の授業参観を終えて帰宅後自宅で倒れたのだった。もしかしたら私も血管切れちゃうかも・・なんて思ってしまうほど不調の1日だった。2003 6/26(木) *入院13日目*抜糸した傷口を左手で触り傷口が開いてしまったため、もう一度縫いました。…と病室に着くなり看護師さんの説明です。どのような状況だったかは分かりませんが、リハビリの前にすっかり体力と気力を消耗しているようです。一応リハビリ室に行ってはみたものの、先生の問いかけにも積極的に答えず、OT.PT共にほとんどリハビリが出来ないまま終了です。先生も無理はしない方針らしく、あっさりとしていました。夕食をデイルームで待つ間、気分を変えてみようかと数字遊びをしてみましたが、数字に関してはとても「薄い」事がわかりました。PTのS先生がデイルームまで、食事の様子を見学に来ました。いつもは沢山喋るのに今日は口数も少なく、先生の質問にも顔の表情と左手だけで答えています。先生にも申し訳なかったのですが、良くあることなのでしょうか、先生はあまり気にした様子もありません。病室に戻りましたが歯磨きはせず、顔を拭いたら寝てしまいました。よほど疲れたのでしょう。こんな日もある…そう思うことにしました。毎日毎日一喜一憂すると私もかえって疲れてしまいます。長期戦になるのは分かっているのだから、上手に乗り切らないといけません。しかし、今日は疲れました。西棟との連絡口にあるベンチで30分ほど仮眠を取って帰りました。
2004.06.26
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2004 6/25(金)3月に受けた人間ドックのつながりで、今日はピロリ菌の呼気テスト。1週間除菌薬を飲み、その効果を見るようだ。朝食抜きの為、9時前に病院に着いた時から調子が悪い。私は食事を抜くと不調になる体質らしく、ある時間を越えると、その後食事を摂ってもリセットできない。だから人間ドックも検査も好きではないのだが、今は私が病気になる訳にもいかず、仕方がない。今日はshinはフィットネスの日だ。水曜日の夜、入院仲間のTさんと電話で約束をしていた。退院後しばらくは電話で話すのは苦痛だったようだが、最近は取ったり自分から積極的にかけたりするようになってきている。それでもshinにとって電話で約束をしてどこかに出かけるなんてスゴイ事なのだ。雨が降ったり止んだりの天気だったが、帰りがけに見かけたshinはキャップを被って傘はささずに駅へ急いでいた。後から聞くと、駅も間近だったので折りたたみ傘を出すのが面倒だったらしい。雨の日の外出は杖と傘があるので、何かと大変だ。2003 6/25(水) *入院12日目*昨日の不在を詫びるため朝一番で会社に電話をしました。また7月の2週位に訪ねます・・と言われました。昨夜、両親と介護保険について話をしました。shinもこれからどうなるか分からないし、両親の体調についても予測がつかない…私も適切な対応を取る為に専門家のサポートがあれば安心できる…そのような事を話すと、あっさり「手続きを取ろう」と言う話になりました。区のケアセンターで両親の介護保険の申請手続きをしました。これから聞き取り調査や主治医の意見書等を資料として検討がされる事になるそうです。いつもより遅く4時ごろ病院に着きました。「オッ久しぶりだね」・・・いつもと時間が違うことがわかったのでしょうか。今日は点滴と導尿管が外れ、頭の傷口の抜糸もされたようです。左の傷口がちょっとビチョビチョしています。義母とshinは傷に弱いのを思い出しました。今日から本格的にリハビリがスタートするそうで、OTはI先生(女性)PTはS先生(男性) と担当も決まりました。どちらも若くてキビキビした方です。時間が許せばリハビリの見学をしたい・・とお願いしたところ快くOKが出ました。うまくコミュニケーションが取れるといいなと思いました。右足に関しては思ったより動くので、先生も私もビックリしました。昨日はズドーンと落ち込みましたが、やはりやってみなければ分かりません。「諦めないぞ」と改めて思いました。明日のリハビリも楽しみです。しかし動けることが分かると勝手に車イスを動かしたり、寝返りをうって逆カメ状態になったりと、心配も出てきました。自分の能力を正しく理解出来ていないので、一応説明はするものの不安です。ナースセンターにも事情を話しておいた方がよさそうです。ナースセンターで勧められ、車イスは売店でレンタルしました。私が選んだ種類では後で困る事が分かり変更しましたが、最初に専門家のPTの先生に相談するべきだった…と反省しました。
2004.06.25
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2004 6/24(木)特に予定のない日。次女の中間テストも最終日なので、今日は部活もあり。やはり弁当を持って出かけてくれた方がありがたい。2003 6/24(火) *入院11日目*リハ科の医師の診察があるとの事で11時からスタンバイしました。病棟では食事は病室でもデイルームで摂ってもよいらしく、昼食・夕食はデイルームを利用しました。各階の東南の角がデイルームになっており、食事や面会で使えます。見晴らしもよく明るい部屋です。テーブルが9セットぐらいありますが、食事の時間は利用者も多いようです。ちょっと買い物に出ている間に、会社の方がいらしたようです。私も連絡を受けていなかったのですが、ナースセンターの判断で、本人には会わせなかったようです。shinの現状を考えれば適切な判断だったでしょう。3時過ぎにリハ科のDr.Mの診察がありました。本人の様子を見ながら、ベットサイドでの診察でした。その後、ナースセンターで詳しい話です。いきなり「重度障害1級ですね」 続けて「足のマヒは回復の見込みもありますが、手はちょっと・・・社会復帰は、今の会社には・・・う~ん」「えええっ、重度障害って何?1級ってどんな事?」予備知識も何もなかったので、いきなり専門的な話で、おまけにシビアな話で頭が真っ白になりました。血の気がすーっと引いていくのがわかります。これから一体どうなるの・・・またしても振り出しに戻った感じです。リハビリについては、ここではPT(理学療法)とOT(作業療法)のみでST(言語療法)はなく、より専門的なリハビリのためには転院が必要だそうです。脳卒中のリハビリの効果は、個人差はあるものの6ヶ月が一つの区切りと考えられているそうです。するとshinは今年一杯がその期間にあたりますが、それ以上やっても無駄なのでしょうか・・・。いろんな事が頭の中をグルグル回ります。ダレカタスケテ!リハビリはやってみなければ分からない・・・と思うことにしましたが、すぐに展望が開ける訳ではないのは確かです。私の仕事のことも考えなければいけません。やっと見つけた仕事でしたが、これから先shinも両親もどうなるか分かりません。それを考えると自分の仕事を続ける自信も今は無いのです。病院の帰りに職場へより、事情を説明しまいた。10日もそのままにしていたので、ある程度あちらも予測していたのでしょう。あっさりと辞める話になりました。たった4週間の勤務でしたが、本当に充実した時間だったので悔しさもあります。(しかし1年経ってみると、果たしてこの決断が良かったかどうか大きな疑問です。)shinの障害の程度の事、自分の事・・・などドロドロの気分でしたが、「暫く会えない」と言った両親に「重度障害で身障1級」なんて今は言えない気がします。今日のshinの様子で良かったことのみを話しました。(これからしばらくそんな日が続きます)弟に相談してみました。障害の程度については、もう少し時間が経たないと分からない事もあるのだから落胆しないでいいし、両親にもあせって話す必要はない・・。またセカンドオピニオンについても検討してみてはどうか・・と言われました。やはり一人で悩んではいけません。悪いほうにしか考えないし、誤った方向へ進んでも気がつかない事もあります。まだまだ諦めないつもりです。昨日は一般病棟へも移り、せっかく明るい気分になれたのに一転しました。ジェットコースターの急降下のようです。
2004.06.24
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2004 6/23(水)水曜日は地区のリハビリ教室の日だ。今日は新しい方の参加があったらしい。その方は脳卒中に当たったのは5年ほど前らしいのだが、「高次脳」と分かったのはつい最近の事らしい。今月はTVでも「高次脳」関連の番組が多かったが、病院によっては脳卒中や交通事故などでも「高次脳」の指摘がなく、適切なリハビリが進まない患者さんも多いとか。2003 6/23(月) *入院10日目*昨日までの夏日とは変わって、梅雨らしい天気です。1週間分の報告を兼ねて、会社にファックスを送りました。メールも考えましたが、ファックスの方がshinの状況を多くの人に伝える事になるかも・・・そう思ったからです。このファックスは毎週月曜日、shinが退院するまで続けました。shinの落ち着き方や様子を考え合わせ、11~13時の面会は止めて16時~にしてみる事にしました。私がいると食事も自分でとろうとしません。少しずつできる事を増やさなくてはいけないのかもしれません。夕方ICUのインターホンを押すと、「○さんは5階病棟へ移られました」との返事です。事前には聞いていなかったので、嬉しい・・と言うよりびっくりです。病棟へ上がってみました。廊下も広く、病室もゆったり作ってあります。shinは5人部屋の一番手前にいました。「あ~びっくりした」と私。「イヤイヤ君(私の事)のせいで、本当にヒヤヒヤさせられますよ」・・・ムムと言う感じでしょうか。しかしこの1週間の事を考えると家族にも早く知らせたく、帰りを待たずに電話をし、長女にはメールを送りました。
2004.06.23
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2004 6/22(火)今日から次女(中1)の中間テストが始まる。2学期制になったので夏休み前のテストはこれだけらしい。結構緊張しているらしく、朝からソワソワしていた。かわいいものだ。とても暑い1日で、shinも予定がなく昼寝をしていた。2003 6/22(日) *入院9日目*病院の前に福祉機器専門店へ行き、角度を変えられるスプーンとフォークを買いました。なるべく一人で上手く食べられるようになってもらいたいので。3時ごろ着きましたが、車イスに座ってフットバスをしてもらっていました。左足はくすぐったいのか上げています。昨日よりイスにもキチンと座れているようです。こんなところにも少しずつですが良い変化は見られます。今朝はヒゲ剃りも少し自分でやったそうです。点滴が左に移っていたので、右手には私が置いていった軽いデジタル時計を着けていました。時計を着けていれば見ようとして右手も動かすでしょうか。しみじみと顔を見ると1週間で痩せたのか、皮膚がちょっと弛みメガネが大きく見えます。氷水をよく飲みますが、スイノミのしくみがよく分からないらしく、何度かこぼしました。日曜日のICUはちょっとだけノンビリした雰囲気が漂っています。手術の予定もなく緊急の患者さんが来れば別ですが、看護師さんたちもお顔に余裕があります。ここのICUには思ったより沢山の看護師さんたちが働いていていました。若い男性もいます。重たい患者さんのシーツ交換や体位を変える時など、先輩看護師さんたちからよく声がかかっているようでした。また、この病院は電子カルテのシステムを取り入れているようで、看護師さんたちはよくノートパソコンを開いてはパチパチと入力しています。分かる患者さんにもそうでない患者さんにも「△△さん、今から~しますがいいですか?」と必ず声がけをしています。家族への対応も、なるべく余計な心配をしなくて済むような適切な説明があったり、家族の健康状態を心配してくれたりと、暖かいものを随所に感じました。夜勤の看護師さんは夕方「今夜の担当の◎◎です」と声をかけてくれます。今日の看護師さんは、私ががんばりすぎているように見える・・・と言いました。たしかにそうかもしれません。でもこの状況で、どうリラックスしてよいのかもわかりません。ただ、家族のことも気にかけてくれている・・・その事が今の私にはただ嬉しかったのです。今日のshin夕食は角度スプーンを早速使ってみましたが、私がいるとなかなか一人で食べようとしません。午前中は看護師さんに「いくつなの」と年令を聞いたそうです。失礼なヤツ。
2004.06.22
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2004 6/21(月)今日はST,OT,PTの3本立てリハの日で、10時過ぎに家を出る。私は1日のんびり過す。たまにはこんな日もなくっちゃね。2003 6/21(土) *入院8日目*精神的にも随分落ち着いてきたので、子供たちに会わせる事にしました。長女の学校が終わるタイミングに合わせ、午前中は家でゆっくりできました。長女は入院当日の様子を知っていますが、次女はshinが病気になってから初めての面会です。夫々の反応がちょっと心配でしたが、長女には手をしっかり握ってやっていました。次女はグーッと自分の方へ引き寄せて抱きしめていました。「ああ、分かったんだ」 そう思うと胸が熱くなりました。看護師さん達も様子を見守っていましたが、「感激しちゃった」と後から言われました。写真を見るとすごく興奮していましたが、二人の娘に会っても落ち着いて対応できたので(もちろんちゃんとした話はできませんが)安心しました。子供たちも父と会え、認識してもらえた事で、嬉しかったようです。両親も会ってくれたら・・・切実にそう思いました。車イスに座ってフットバスを体験したり、TVで野球観戦をしたりしました。病前からスポーツは大好きでしたが、今日の中日・広島戦はあまり興味がなさそうです。でもホームランを告げるアナウンサーの興奮した声には、以前の顔で反応していました。夕食は、いきなりおかゆの器を持って飲みました。おつゆもお茶も飲みます。喉が渇いていたのでしょうか。言えないのかな・・・と可哀相に思います。おかしなshin「○さん、お通じでそうですか」「う~ん、それはやはり、その時にならないと分からないでしょう」「明日も来たほうがいい?」「トーゼンでしょ」午前中は看護師さんたちとの会話で、ずっと語尾に「ザマス」を付けていたらしく、「○さんって、以前からこんなにおもしろいキャラですか」なんて聞かれたりしました。無意識とは言え、ICUの中でちょっと和ませてくれるshinは可笑しくもあり悲しくもあり・・・です。帰宅すると会社から速達が届いていました。ドキドキしましたが7月分の給与明細などで、今回の事については何も触れてありませんでした。きっと会社側も対応について検討中なのでしょう。
2004.06.21
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2004 6/20(日)長女の弓道の応援に東京武道館まで行く。かなり遠いので8時に家を出て、10時過ぎに最寄の駅に着いた途端、「終わったから」のメール。競技時間が分からないので何となくイヤな予感がしていたのだが。武道館に着くが、剣道の試合も同時に開催されており、漸く人ごみの中から探し出した娘はすでに着替えも済ませ、写真も取れなかった。トホホ。しかし初めての所なのでむせ返る若者の熱気の中を探訪することにした。剣道場は、弾ける「動」。大きなスペースを12ブースに区切り熱戦が繰り広げられている。対して弓道場は「静」の場。特に競技の順番を待っている間は「静謐」そのもの。今どきの女子高生がこんなにも静かにできるのか・・・と意外な一面を見た。座って帰りたいので行きとルートを変える事になり、ルート選択はshinに任せた。すると路線図を見ながらあれこれ考え、簡単に決定できたのにはちょっとびっくり。乗り換え時もいつもより足取りも軽くスムーズに歩く。そうか、「任せるね」の一言がこんなにshinを生き生きとさせたのだ。つい効率や失敗を考えてshinの能力を過小評価していたのかもしれない。反省。これからはどんどん任せる事にしよう。2003 6/20(金) *入院7日目*酸素マスクが外れ、昼食より経口食になりました。おかゆやスープ、とろみをつけた煮物やヨーグルト等の献立でしたが、全体量の1/3程をガツガツと食べました。一週間ぶりの食事です。口に入らなかったり、こぼしたりと左手での食事は大変ですが、やはり本人も嬉しそうで見ている私も「また1歩進めたかな」と思いました。油断すると自由になる左足をグッとベッドからはみ出させ、下に降りようとするので、私は左側に座るようにしていました。夕方からは右向きに体位を変えたので私も右側に座り、いろいろとしゃべりました。気持ちも少しずつ落ち着いてきているようですが、意識障害はまだあり、笑わせてくれます。頭の傷口が気になるらしく左手でよく触るので、頭にネットを被りました。これも結構笑える図です。帰宅するとshinの弟のTさんが来てくれたとの事。当初は連絡しない・・・と両親は言っていましたがやはり嬉しかったのでしょう。二人ともちょっと和やかな顔になっていました。昨夜義母と話し込みましたが、いろいろとショッキングな事も言われました。どうしても通じないものも人間にはあるのだと思う事にしました。
2004.06.20
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2004 6/19(土)両親は二人で内科へ。shinは午後からKさんと身障者の集まりへでかけるので次女と三人早めの昼食をとる。shinが用意をしている間、迎えにきてくれたKさんと雑談。Kさんは脳梗塞2年目で、装具は着けているが歩行も自立。運転ができるので行動範囲が広く、身障者グループとの交流も活発に行っている人だ。暑い季節でもマヒ側にはつらいのでエアコンはかけないとの事。扇風機の風でもイヤという人もいるらしい。その点shinは感じているのかいないのか・・・病前と変わらないようだが。昼前に出かけたが帰りは道路も混んでいたらしく、7時過ぎだった。病後初めての(遅い)記録かも。こんな事も、本人も家族も慣れていかなくては。特別疲れた様子もなく、人前に出るのもだんだん慣れてきたようだ。2003 6/19(木) *入院6日目*連日11時台は処置や検査で入室できない事が多いため、遅く出てお昼前に着きました。でもやはりCT検査に向かうところでした。はぁ。当然ですがICUは入室には厳しく、まず入り口のインターホンで患者名を名乗り、入室のOKを貰います。入り口は3つの自動ドアを通過せねばならず、一箇所毎にフットペダルを踏んで入ります。最後のドアを入った所で入念に手洗いをします。でも白衣やキャップの着用はありません。患者が検査などで不在の場合、家族は廊下で待たされます。30分程度で検査より帰ってきました。眠っている様子です。Dr.Kは「新たな出血も見られないので、ドレナージも抜きます。ICUはいろんな意味で不自然な環境なので、時期を見て一般病棟へ移します」と言われました。やった・・・脱ICUは近いかも!ちょっと先が見えた気がしました。ドレナージを抜かれた前頭部は剃髪してあったので、河童のお皿のようになっています。傷口は縫合してあり絆創膏が左右にはってありました。ちょっと笑える頭ですが本人は傷が気になるらしく、しきりに左手で触ります。今日もY子ちゃんがお昼に誘ってくれました。貴重な昼休みなのに・・・。感謝です。台風が九州直撃の話題をふってみました。shinは「その件に関しましては、何ともお答えのしようがありません」 !!!意識障害もこれからどう推移するのか分かりませんが、笑わせてもらおう・・・と思いました。看護師さんが近くにいると、一緒に控え目に笑ってくれます。昨夜ちょっとショッキングな次女の手紙(私あて)を読み、今朝二人で話し合いました。父の事がショックだったのでしょうか。「絶対に命を自分で止めてはいけない・・・」と言い聞かせました。こんな時shinに相談できたら。
2004.06.19
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2004 6/18(金)2時がリハ科のK先生の診察予約だったが混んでいて、診察室へ入ったのは3時だった。1ヶ月に1度の診察だが入院以来、丁寧に話を聞いて下さる先生です。「昨年7/16の入院から、いろいろありましたが発病から1年経ちましたね。ここまで来てあせってこけても勿体無いから、これからも社会復帰を目指してゆっくりがんばりましょう」としみじみと言って下さった。そうなのだ。先週のH病院の脳外の受診の際、患者の家族として聞きたかった言葉は、この、1年を振り返る言葉だったのかもしれない。この1週間ずっとモヤモヤしていた気分がK先生のこの言葉ですっきりと晴れていった。患者だけでなく家族の気持ちも軽くする・・・これも医療の一部だと私は思うのだが。病院の帰りに寄ったスーパーで「あの素晴らしい愛をもう1度」が流れていた。この曲はICUでshinがよく口づさんでいた。本人は覚えていない・・と言ったが、好きな曲だったらしい。2003 6/18(水) *入院5日目*母と11時に病院ロビーで待ち合わせましたが、ICUに入れたのは昼前でした。昨夜はあまり寝なかったらしく午前中はずっとウトウトしていたようです。母が呼びかけましたが、分かったのかどうか・・・。午後の飛行機で帰る母を地下鉄の駅まで見送りました。1時にY子ちゃんと待ち合わせです。Y子ちゃんは学生時代からの親友で、3年前にご主人の転勤により隣の区に引っ越してきました。今日は休みの日なのにお昼を一緒にしてくれ、14日からの経緯をゆっくり聞いてくれました。(彼女の勤務先がH病院のすぐ近くなので、少ない昼休みを私と一緒によく過してくれました。本当に彼女は私にとって今でも力強く大きな存在です)1日血圧が高めで午後もウトウトモードでした。昨日のスーダラ節はICUでもちょっと話題になったようです。何かと優しい声をかけてくれる主任さんは「ICUでスーダラ節を歌ったのは○さんぐらいかも・・・」と言われました。今日のshinの言葉。「オレハガンバルゾ」 「ツマンネェヨ」 「オレハアルクンダ」「ダメダ」今日のshinの歌「あの素晴らしい愛をもう一度」 1番エンドレス。一緒に小声で歌うと泣けてきて、私は最後まで歌えません。母が来てくれた事、Y子ちゃんと会えた事で少し気持ちが楽になりました。取り敢えずの目標は「脱ICU」です。また明日からがんばらなくては!!
2004.06.18
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2004 6/17(木)退院後ずっとお薬は一包化にしてもらっていた。特に朝食後の薬は降圧剤を含め種類も量も多いので飲み忘れが恐く、一袋にまとめてもらっていたのだが、お薬の管理能力を高めるためにも、いつかキリの良いタイミングで一包化を止めてみようか・・・と話をする。shinはまだ自信がないらしく、今後の課題となった。2003 6/17(火) *入院4日目*午前中は機嫌が良く「スーダラ節」などを歌っていました。植木等が好きだったので自然と出てきたのでしょうか。状態もかなり落ち着いてきていたこともあり、看護師さん達もクスクス笑ったり「○さん、ご機嫌ね」と声を掛けてくれたりします。そんな時は左手をパッと上げて答えているようです。意識障害はずっと続いており、話すようになってはきたものの脈絡は通じません。「トコトンヤル」 「オレハガンバルゾ」 「モウイイヨ」 「カエローカ」 「オマエハヘンダ」などなどいろんな言葉が出てきました。鼻の管を通して経管栄養が始まりました。400ml×3回 で600kcalだそうです。これも一つの進歩でしょうか。本人に教えると「オレハ食いたい」 「何か食べさせろ」 「腹減った」 「トコトン食うぞ」と喜ぶどころか話が違う方へ行ってしまいました。「食べる」関連の話は要注意です。九州の実家の母が来てくれました。「shinさん、分かる?」と尋ねると頷きます。母はshinの手を握り力づけてくれました。興奮するかと思っていましたが、気持ちも落ち着いているようで安心しました。夕方「今日来てくれた人は誰だっけ」と尋ねたら、一言。「シラネエ」。がっかり・・・と言うよりはshinとの会話は意識障害もあってICUの中に漂う緊迫感や緊張感と大きくズレがあり、不謹慎にも私は笑いを堪える事が度々でした。スタッフが持っている医療用携帯の着メロの「花のワルツ」にも反応します。曲目は答えられないものの長いフレーズを口ずさみます。次女が発表会で弾いた曲だったので覚えていたのでしょう。午後からは機嫌が悪く足のマッサージなどをして気分を紛らわせました。これから自棄になったり短気を起こしたりする事もあるかもしれません。そんな時の「気分転換テク」は沢山あったがいいと思いました。
2004.06.17
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2004 6/16(水)shinは午前中、昨年11月より通っている地区のリハビリ教室へ。いつもは午後からなのだが、今回はスポーツメニューらしく時間変更だとか。昨日コピーし封筒の宛名書きをした書類を「配達記録」で出してもらう。この「配達記録」がなかなか覚えられないらしい。書類のコピーや宛名書き、郵便局での投函は私がずっとやっていたが、少しずつshinに任せることにした。「高次脳」は新しい事は苦手なのだが、何度か繰り返すうちに行動パターンが定着していくらしいので、仮に失敗してもあきらめずにチャレンジしてもらおうと思っている。両親も外出するので、「お昼はリハの仲間の方と外食でもしたら…」と言っておいたのだが、汗をかきかき1時ごろ帰宅した。2003 6/16(月) *入院3日目*朝一番に会社へ連絡しました。上司の方も驚いた様子でした。私の職場にも連絡です。とりあえず職場の先輩に連絡をしていたので、責任者まですでに伝わっていました。先の見通しは全然立たない状況でしたが「しばらくお休み」でOKになり、ちょっとホッとしました。ICUに入ると昨夜も興奮したらしく抑制帯がまた増えていました。落ち着いているところを見計らって14日からの事を説明したりするのだけれど、やはり理解できていないのでしょう。ベットから起きよう起きようとします。その度に体がワナワナするほど力み、目を見開き、「あぁ、また血管切れそう」等と思うのですが、本人は分かっていません。午後からshinの上司のFさんとKさんが駆けつけて来てくださいました。ICUに入れる事はできないので、廊下で14日からの説明をしました。まだ何の見通しも立たない状況でしたので「しばらく病欠にしましょう。お大事に」と言われました。昨年の11月に転職したばかりなので、会社がこれからどんな対応をするのか見当もつかず、徒に心配になります。FさんとKさんの話をすると理解できたのか「そうか、悪かったなぁ」と答えました。尖足防止のために、靴下とスニーカーを履かせました。マヒしたままにしておくと足首から先が伸びた状態になってしまいリハビリにも差し支えるそうです。何か思い出してくれれば・・と今まで使っていたスニーカーを履かせましたが、歩くのかと勘違いをして、また起き上がろうとします。いつかこれを履いてまた歩くことが出来るようになるのでしょうか。ナースコールが鳴ると「エリーゼのために」が聞こえます。聞こえる度に何かしら反応するので「何の曲だっけ?」と聞くと「分からない」。「エリーゼのためにでしょ」 「ふーん」等と言いながらも、かなり長いフレーズを口ずさんでいます。「そうか・・・思い出せる物もあるんだ」そう考えると僅かですが気持ちも軽くなります。記憶の引き出しは沢山開けてあげたい・・・と思いました。酸素マスクをし、沢山のチューブやコード、転落防止の抑制帯が体を取り巻いている姿は痛々しく、今のshinが置かれている状況を物語っています。週が明け、違う先生方も回診に来てくださいました。Dr.Iと若いDrが二人です。現状の簡単な説明がありましたが、shinは若い先生に「お久しぶりです」と挨拶していました。この意識障害は一体どうなるのでしょうか。子供たちの写真をボードに貼って、点滴棒に吊るしました。名前は答えられませんが、「分かる?」と尋ねると頷きます。でもだんだん興奮してきたので外しました。初めて手浴をしました。ぬるめのお湯に片手ずつ浸けてあげると、右手も感じる事ができるのか気持ち良さそうにしています。ついでに合谷のツボもマッサージしてあげました。今、私に出来ることは他に何があるのだろう・・・。
2004.06.16
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2004年 6/15(火)梅雨の晴れ間が続き、お天気なのはありがたい。久々に予定の無い日だが、義父のPCの先生が来る。shinは昼食後、walkingに出る。ついでに市民税の払い込みと書類のコピー、書店での買い物を頼む。市民税は昨年8月より所得が無い状態なので、病前の一月分よりも少ない年額だった。(複雑な気分)メモして行ったこともあり3つの用事はすべてクリア。こんな事ならスーパーの特売洗剤も頼めばよかったかな…とちょっと欲が出る。元気な人には何でもない事も、脳出血や交通事故等の後遺症から起こる高次脳機能障害がある人には、順番に何かを行ったり、その順番を覚えたりする事が困難な場合があり、shinもそれにあたる。高次脳機能障害については、いずれまた。2003年 6/15(日) *入院2日目*体内時計により5:30には目が覚めましたが、もう少し寝る事にしました。次に目が覚めたのは7時でした。睡眠時間が短かったわりには頭はスッキリしています。洗濯物を干したり畳んだり。日常の雑事はどんな時にも、いつものペースで溜まります。走り出したら止まらないのです。身支度、昼食の準備、夕食を整えて義父と車に乗りました。11時が面会時間のスタートで、ちょうどにICUに入ることが出来ました。お昼前頃Dr.Kが来て下さり昨夜からの説明がありました。心配されていた再出血は無かったらしいのですが私が帰った後、また暴れたらしいのです。本人も現状が理解できておらずパニックに陥ったままのようです。言葉は昨日より少し分かるようで、こちらの問いかけにもかなり反応出来るようになっています。午後からCT検査があり、ドレナージ挿入手術の効果で水頭症の症状もかなり良くなり「脳のシワ」も見えるようになってきたとの事。少しほっとします。義父は3時過ぎに帰宅しました。(これから両親は約70日間shinと会いませんでした)ベッドサイドでマヒのある右手をマッサージしているうちに涙が溢れてきました。昨日は自分の事を結構冷静かも…なんて思ったのですが、1日経つとどうでしょう。いろんな事が頭の中を駆け巡り、涙が止まりません。他の患者さんもたくさんいらっしゃるので、堪えようとしますが、ダメです。その内看護師さんが気配を察して、私の隣に座り背中をさすりながら、話を聞いてくれました。本当に嬉しく、ありがたかったです。shinの右手を握っていると、彼の伸びたツメが食い込み痛かったので「明日切ってあげるね」と約束しました。すると看護師さんがICUのツメ切りを貸してくれました。まず痛かった右手のツメを切り、「今日はこれで止める?」と聞くと左手を上げてヒラヒラします。「あぁ話は分かってるんだ」と嬉しくなり、左手のツメを切りました。すると次は左足を上げて催促し、最後には右足もモゾモゾします。足も動かない訳じゃない…と分かりちょと嬉しくなりました。右手も痛いくらい握ってくれるし、足だって動く!! 何となく希望が湧いた瞬間でした。それにしても男性のツメは硬いものです。shinのツメを切ったのは初めてかもしれません。夕方4時を過ぎました。24時間以内の再出血が起こらなかったので、一つの山は越えたようです。ほっと胸をなでおろす…そんな心境でした。そういえば今日は父の日だった…夜ICUを出てから思い出しました。実家にも連絡をしていなかったので、病院から電話をしました。実家の両親も突然の事で驚いていました。帰宅してからだと遅くなるので、娘達の担任の先生や知人にも電話をしました。そんなこんなで2日目もあっと言う間に過ぎてしまいました。
2004.06.15
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2004.6/14(月)昨日までに気持ちの整理がほぼできていたので、今日はスッキリしている。shinはOTのリハビリ、子供たちは学校と我家の普通の週明けがスタート。義母が「あ、今日で1年ね」と呟いたが、あまり深く話す自信がなかったので静かに頷く。2003.6/14(土) *入院1日目*4時過ぎに次女と外出中だった私は自宅に連絡をいれました。「お父さんが変!」と電話に出た長女の声が異常に緊迫しています。かなり平静を失っている様子で詳しい事が分かりません。「とにかく急いで帰るから!」と電話を切ったものの、このまま冷静に運転できるかと不安になりましたが、帰路を急ぎました。救急車は入れ違いに出たらしく、家には義母が一人留守番していました。義母の話の様子から「血管系だな」と直感しました。次女と帰ってきながら、以前尿路結石で苦しんだ事があったので、「今度もそれじゃないの」なんて言ってはみていたものの、「事態は結構シビアだ」と思いました。救急車に同乗した義父より連絡があり、私も搬送先のH病院に急行しました。義父と長女は救急外来のベンチで顔色悪く座っており、娘は私を見るなり「お母さん」と飛びついて来ました。かなり興奮気味で、自分が取った対応について判断が出来かねている様子。私は肩を抱いてねぎらう事しかできませんでした。義父は黙って座っているものの動揺している事はよく分かります。80歳と高齢な義父にはとてもきつい場面だったことでしょう。6時過ぎにDr.Kより説明がありました。左視床からの出血であること、視床の直近に運動中枢があるので手術は無理であること、現在は右手足にマヒがあり言葉も不明瞭であること、…が現状でした。私は理解できているのかいないのか、自分の判断力すら分からない状態でした。ICUに落ち着いてから本人と面会しました。義父は「負けるな。頑張れ!頑張れ!」とshinの手を握りながら何度も何度も呼びかけていました。娘は「お父さん」と呼びかけるものの、それ以上は言葉が出ないようでした。8時過ぎに義父と娘を帰した直後から、shinが暴れだしました。喋りはするものの意味不明のことばかり。状況が分からずパニックになっているようです。ベットから落ちて再出血が起きないようにベットに拘束されました。それでも落ち着かないので沈静剤の注射です。それからCT検査、水頭症緩和のためドレナージ挿入手術…とshinが再びICUに戻ってきたのは午前1時半過ぎでした。手術は成功しましたが、「万一という事もありますのでご親戚にはご連絡された方が…」と言うDr.Kの言葉。この時ほど傍に誰かいて欲しい…と思った事はありませんでした。寝ずに待っていた両親に報告を済ませ、義母から貰った眠剤を飲んで横になったのは、午前3時半でした。なんともすさまじい1日!これからどうなるのだろうか…そう思いながら眠ってしまった私でした。
2004.06.14
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5月の下旬あたりから自分の感情のコントロールが上手く出来なかったり、今まで思い出しもしなかったICUの風景や深夜の病院の廊下の寒さ、地下駐車場の警告音…などがフト蘇って来るうえ、どうしようもない不安感を抱くようになった。いろいろ考えてみたが、原因は主人の(以下shin)発病1年後が間近であることではないか…と思うようになった。毎日毎日をただ夢中で過ごすことだけで手一杯だった一年間は、自分の中で納得していない事も多々あり、気持ちの整理の必要を感じた。書き溜めた日記と現在の日記を並行して書くことで、少しずつ何かが見えてくるのでは…と期待している。
2004.06.13
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