平成理想主義の旅
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気持ちの整理がつかず遅くなりましたが10月19日に、夫は永眠しました。私の胸の中に抱きしめられたまま、一人で天国に旅立ちました。一人で旅立った、といっても私たちには天国で待っててくれてる子供がいるのできっとパパを迎えに来てくれたと思います。そして今も、パパと子供は一緒に遊んでいるのでしょう。お葬式は音楽葬にして、お経の代わりに夫が崇拝していたジェフベックの曲を流し祭壇も菊や百合などの白い花じゃなくてアレンジメントフラワーでカラフルにしました。そして棺の横には、夫が学生時代から愛用していたストラトを並べました。本当に本当に、一番夫が望むであろう形で送ってあげられて自己満足かも知れませんが、私はひとつやり遂げた感でいっぱいです。戒名には、音楽を愛してやまなかった夫にピッタリで「響」という一文字がはいりました。夫の奏でた音色が山々を越え響き渡りさらに夫の存在が皆の心にいつまでも響き渡るように、という意味がこめられているそうです。先日、四十九日法要を終えました。本当は成仏してください、と供養すべきなのでしょうが私は私の勝手で成仏しないで、ずっと私の傍に居て欲しいと強く願っています。夫の遺骨はすべて私が引き取りました。夫の両親、親族とはヒト悶着ありましたがどうしても私は夫と離れることが出来ず幸い夫が次男だったこともあり、分骨もせずに、すべて私が引き取ることが出来ました。夫は生前から、夫の両親が信仰している宗教を嫌っていて私たちは私たちでお墓を建てよう、と言っていたので夫の先祖代代の墓には、端から入る予定ではなかったのですが「死人に口なし」とはよく言ったもので当の本人である夫が亡くなってしまってからではそんな話をしても単なる私のエゴとしか受け止めてもらえなくて。それでも何とか無事に私が夫を引き取れたのはきっと夫が強くそう望んでいたせいもあり夫の力だと思います。ありがとう。たとえば私が夫の両親に従順でイイコちゃんな嫁なら夫がなくなってすぐに葬儀も法事も夫側の宗教で、お墓も先祖代代のお墓で・・・とムコウの親の言いなりだったに違い在りません。しかし、生前の夫の意思を汲んでムコウの親に反抗をしてまで、私はこういう形をとりました。きっとムコウの親や親戚一同はなんていう鬼嫁だ!と言っているかもしれませんがそれでもいいんです。私が夫の家族の先祖の方々に恨まれ、バチが当たろうと夫がそうしたいと願っていた方向に物事を進めることが出来たのでこれでよかったと思います。・・・こういう流れで、葬儀などをバタバタと終え、私は転勤先の関西を離れ、私の地元に戻ってきました。遺族年金や様々な相続手続き、退職金や埋葬料etcの書類作成などの庶務に終われ慌しい毎日を過ごしています。それでも、私の家族や親戚、友達は皆暖かく迎えてくれ早速バンド結成の誘いも来ています。本当にありがたい。私は夫の臨終の際に何度も「私も一緒に連れて行って!一人にしないで!」と懇願しましたが夫はとうとう私を連れて行ってはくれませんでした。私は、生き残ってしまったのです。瀬戸内寂聴は「出家とは生きながら死ぬこと」だと仰ってますが私は全く逆でどうせ生きてるんなら、生きてることを謳歌しようじゃないかと考えます。人間、いつかは死ぬんだしそれなら死ぬまで生きてることを楽しもう、と。そうすることが、生き残った私の使命であり何よりも夫が、私がそうすることを望んでいる気がして。これからも私は夫と共に生きていきます。しばらく会えないけど、でもいつもそばにいるのでOK.また、もうちょっと落ち着いたらいろいろ更新しますね。とりあえず、近況報告です。皆さんも、一日一日を大切に。私は夫の死に直面し、人生観がガラリと変わりました。人間は儚いものです。
December 8, 2005
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