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2012.10.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類

秋晴れのよき日が続きます。

豊臣家の短命と徳川家の長期維持は、身内子孫を邪魔だから

排除したか、多く育んだかの形で歴史は変遷して行ったと思います。

京都の佳いところばかりでなく、時には歴史上の弱者の悲哀を

偲ぶことも、知っておくことが大切とも考えました。

浄土宗のお寺です。

【瑞泉寺】(ずいせんじ)  山号 慈舟山 浄土宗禅林寺派

前関白豊臣秀次公御一族四十九宝塔菩提寺

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坂本龍馬の京都木屋町の寓居跡

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坂本龍馬寓居の址【酢屋】(すや)と高瀬川を境にほんのそば

三條通木屋町下がった位置に、人知れず菩提寺が有りました。

太閤秀吉の 「とも」の子 、従弟にあたる 【秀次】 が、秀吉に

実子が恵まれず、後継者として、関白の位まで授かってもらった処

淀君との間にやや【秀頼】が産まれるや否や、難癖をつけて

関白職を奪うばかりでなく、高野山に追放の上自刃に

追い込まれました。

聚楽第も焼失させるほどに、それだけでは気が済まず、何の罪も無い

秀次に仕えた女官及びその若君・姫君も三條河原で斬首。

天下人の用心は、肉親をも信頼出来ないで、世にも恐ろしい

地獄絵を見せ付けました。

後に高瀬川を開削した 【角倉了以】 が、刑場の址地とされる

此処に 菩提寺を 建てたとあります。

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この堂の中央に安置された地蔵菩薩は、秀次公一族の処刑の際、

刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に

引導を授けたと伝わる尊像です。

極楽浄土へ死者を導く【引導地蔵尊】として京洛の人々に今日

なお崇敬されています。 寺伝では「定朝作」

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秀次公四十九の供養等

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四十九の供養等

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秀次の墓と四十九の供養塔

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墓標

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鐘の棒の漣のような響きは、悲しみを訴えているようでした。

安らかに憩われるようにお祈りしました。

首塚の前に「南無阿弥陀仏」と記された鐘棒五個が鳴らすと、共鳴して

カランコロンといとも悲しい音色が境内を奏でていました。

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殉職した四十九柱絵図             

秀次の首塚

三條河原の刑場で四十九柱の遺体を地中に埋め,その上に

高野山からの秀次の首を西向きに晒し、三條大橋を渡る人々に

晒したという、寺伝が残されています。

昨日の侵略による野蛮的「耳塚」と共に、一番に訴えたかった

京の街の繁華街に近い,「酢屋」と【瑞泉寺】へ写真を撮りに

いきました。殆ど人は、存在をご存知有りません。

でも歴史で悲しい出来事は、太閤の栄華の蔭で

歴然と残されていました。秀次の無念さを考え、

四十九の御霊の菩提を祈ってまいりました。

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500の石段豊国廟の入口

豊国廟 

 慶長3年(1598)8月18日63歳で伏見城で歿する

 秀吉の遺言により、京の都が一望出来る「阿弥陀が峰」

に葬られました。然し

 元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に廟は破壊され、墳墓に

弔ずる人もなく、空しく風雨にさらされていました。

 明治30年(1897)秀吉300年忌に際し廟宇が再建され

現在は五輪宝塔が建てられています。

 豊国神社は明治15年に建てられました。

 歴史の真意は、計り知れませんが。京都の遺跡により、何か真意が

見えてくる感じを受けます。

布団着て寝たる姿や東山  服部 嵐雪

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七条大橋からの東山

右がわ一段と高い山が阿弥陀が峰【頭の形】

真ん中清水山【お腹を突き出したような形】

左側の低い山は高台山【足元】

明日はねねさんの高台寺へ、旦那が高いところなら私は地中深く

低いところで、旦那をそっと見守りたいと。









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Last updated  2012.10.22 08:48:38
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