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いまだ実感が湧かない気がする、山口小夜子の急死。以前、なんどか彼女に関することを書いていたっけ。空海千響山口小夜子の演じた六条御息所・詳報山口小夜子(3)山口小夜子(2)山口小夜子(1)6月にあるところで姿を見かけたのが最後となった。ニュースを聞いて思い出して、こちらのページを訪れてみた。http://mokohan.com/taidan.html非常に納得させられる言葉が並ぶ。◇◇◇もともと私はどちらかというとエッジの側にいて、ある瞬間、資本主義社会の中心にいる人々から興味を持たれて、接点が生まれただけなの。私自身、そもときはジレンマも感じていたと思います。 ◇ 西にも東にも囚われない自由さというか。その自前のスタンダードを持つ人たちをこうして集めて、俯瞰して眺めたときにぼんやり見えてくるもの、あぶり出されてくる何かが、私たちが探している美意識の形、日本の文化ではないかと思うんです。 ◇ ほんとうの自信や誇りを持つことの強さ、そうした人々のカッコよさを、この連載で少しでも感じていただきたかった。 そうして自分に与えられたものや、「こういうものが好き!」という感覚を大切にして、自信と誇りを回復していって欲しいと思います。 ◇ この連載が終わっても、蒙古反革命という私たちの旅も続きますね。ユーラシア大陸の東側、アジアの東の端の日本という国に生きる人々の根底にある美学の核のようなものを、これからもずっと見つめていきていたいと思います。 ◇◇◇改めて合掌。
2007.08.23
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気がつくと、しばらくのあいだ止まってしまっていた。もうすぐ、復活できそう。
2007.06.16
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もう一度、MJQで行っておきたいと考えています。まだはっきりと何年何月までという報道はないと思うのですが、早いうちに。年内、秋以降でしょうか。また詳細がつまってきたら案内します。
2007.04.03
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開設して、はや2年が過ぎた。ここのところ更新がまばらになってきているが、それでも続けることが大事と思って歩んでいこうっと。
2007.04.02
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初めて訪れた。「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」は、 質量ともみごたえあってよろし。色使いが実にきれいなものが印象的。 空間がゆったりしているのもよかった。
2007.04.01
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なかなか充実の配役で見ごたえアリ。どちらかというと夜の部のほうが、より充実か。くわしくは、またあとで。
2007.03.13
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観たあとでは特に、原題「Being Julia」のほうが意味がよく分かる。邦題って、どうして... もともとこの作品は見るつもりで、原作『劇場』(モーム)を先立って読んでおいた。舞台裏経験を持つある方が、つい先日この映画について、バックステージのことが丁寧に描かれ、東西を問わずこの業界は似ている、みたいなことを書いていた。それもあっていっそう期待していた。大成功した女優ジュリア。劇場を経営する夫に大学生の息子、さらには長年の男友達と恵まれた生活。あるとき息子と同じぐらいの青年と恋に落ちる。やがて若い女優と恋仲となった彼は、冷たくなったばかりか、なんとジュリアとの舞台に、彼女を出してくれるように頼んできて…観終えた感想はというと、爽快!同じ年代の同性であればなおさら、痛快なことこのうえないだろう。小説のほうがもう少し突っ込んだ感があるが、映画として柔らかめにうまくまとめたと思う。◆ ◆ ◆Being Juliaなのか、Playing Juliaなのか?他の登場人物も、結局ほんとうの自分というよりは、よき夫やよき友の役割を演じてるだけ?ありのまま、beingがよいのか。とはいえ、ホンネ欲望のままでは、社会生活は成り立たない。Being かPlayingか。自分まで考えさせられる。それにしても終盤の、舞台でのシーンは圧巻。<いちおう軽いネタバレ>彼女との共演を意外なほどあっさりと引き受けたジュリア。稽古中も、あれこれと彼女のために気を使っている様子。傍らで、「やさしすぎて不気味だ…」とつぶやく夫。いざ初日。舞台の上でジュリアは、再起不能なほどに完璧に、彼女のことを痛めつけてしまう。しかも、舞台そのもののほうは、ジュリアの演技によって盛り上がり、観客の目には、そのような芝居、とも見えるかもしれない。(事情を知る関係者を除いては...)ジュリアの芸の力がバクハツしたのだ。まず衣装からして稽古のときとは違う色柄で、登場の瞬間から観客の注目を一身に集め、相手の衣装が映えないようになる。そして演技に入っては、立ち位置からセリフの間から徹底的に邪魔をして、観客の前で相手が無様な姿を晒すように、ぐいぐいと舞台を運んでいく。劇中で放たれるセリフがちょうど現実に重なり、さらに彼女をぎゅうぎゅうと追い詰めていく。あの迫力は、ただただ凄い。それを見ている関係者の表情がまた面白かった。まずは驚くところは皆同じだがそのあとは、拍手喝采モノで支持する者、居たたまれなくなって席を立とうとする者、あるいは倒れかける者・・・終演後の楽屋で、ジュリアへの夫の第一声がたしか「monster」! まさしくlovely monster♪◆ ◆ ◆各登場人物のキャラクターも立っていた。希望どおりのキャストができたという監督の言葉に納得。http://www.bunkamura.co.jp/shokai/cinema/news/news09.html「映画も舞台も両方経験している女優」「700人の客を目の前にして迫力のある芸」「舞台でのシーンもとても信憑性のある絵に」アネット・ベニング、あっぱれ!彼女の演技で特に感心したところ。青年との恋の各場面をはじめ、少し劇的な場面になると、すばらしいセリフや完璧な感情表現が出てくるのだが、どこか現実離れしているというか、何かの芝居の1シーンを演じているような白々しさ、が感じられる。<そう見えるように>演じてかつ撮っているのに脱帽。そして、年齢を隠さない。舞台裏で化粧を落としているシーンも大写し。計算されつくしたものであり、すっぴんに見えても実はきちんとメークもしているのだろうが。年齢相応の様子が如実に現れており、隠そうともしていない。相当の自信があるからこそ、そんな姿も出せるのだろう。この潔さがまた、終盤の痛快につながる気がする。◆ ◆ ◆劇場を出て、行きつけのレストランで一人、ビールを飲み干すジュリア。自由がいちばん。むずかしいけど。この作品、舞台好きな方には特にオススメ。観るなら、原作を読んでストーリーを分かっていたほうが、ジュリアの演技を堪能できてよいと思う。
2007.03.01
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吉田都がオディールをつとめる日のチケットが、 奇跡的にとれた。 会場に行ってみると席も予想以上によい場所にて楽しめた。 k-balletの白鳥の湖は、見慣れたものとはけっこう異なる感じ。 歌舞伎に対するスーパー歌舞伎、みたいな位置付けともいえそう。 派手にスピーディー、物語が分かりやすい等等。 一方で、割り切ったものもあるのだろう。 全般にペースが早め。スタスタという感覚。「スタスタ」は一歩間違うと、アタフタ、バタバタにも。そんな感じがした箇所も、いくつかあったような。 ロットバルトがよかった。王子とオデットは、まあ…。 さて、何と言ってもお目当ての、吉田都のオディール。 磨き上げた芸の力で作り上げ紡ぎ出した、まさしく舞台上の幻。動きの軽やかさや音楽性はもとより、 目線など表情のほうも演技が冴えわたる。優雅さももちろん保ちつつの回転の安定さとスピードは、他にちょっと類を見ない。 小悪魔系や女王系とは、また異なるオディール像。強いていえば、「妖精」という感じか。 大満足。
2007.02.27
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今は大阪で上演しているが、自分が見たのは先月の新橋演舞場。劇場に入って思ったのは12月に比べて観客の平均年齢が20~30歳は若いこと! 序盤から退屈させずに、ぐいぐい芝居が進んでいく。 途中で結末が読めた・・・ような気にさせられかけたが、いい意味で裏切られる。 この舞台の立役者は、市川染五郎。 『阿修羅城の瞳』のときにつくづく感じたことだが、 歌舞伎で鍛えたカラダはすごい。他の出演者とは明らかに違う。 同じような動きをしていても、カラダに身についた色気やコク、のようなものが確かに感じられる。 芝居全体にエネルギーが溢れている。 本火・本水も使い、立ち回りも激しい。 大音響のロック音楽が少々うるさかったのが唯一の難点。 まじめな芝居の間にときどき突然あらわれる、 急に素に戻ったような現代調の会話のはさみ具合も、 くだけすぎず、これぐらいでちょうどよいかな。 江戸時代の人々にとっての歌舞伎は、 むしろ現代人にとってのこのような芝居だったのかもしれない。
2007.02.24
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あら、ほんまですか!記事リリースMJQ的には、ちょっと興味がそそられる。どうせなら、「箔がつく」かどうかはともかくも、具体的な特典があると嬉しいのだが。x級ならチケットx割り引きあるいは優先予約とか・・・そんなのがあるなら、気合を入れて取り組むかなぁ。
2007.02.21
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国立劇場・小劇場。「朱雀堤の段」のあと休憩をはさみ、「環の宮明御殿の段」。大夫三味線が三組、それぞれ聴きごたえあり。鶴澤清治の、余韻を残す音色。十九大夫の大きな深み、咲大夫の気合。豊澤富助・鶴澤燕三の撥さばき。人形では、桐竹勘十郎の貞任が、貫禄と凄味を見せて特に目立った。これで三部をすべて見たことになる。いかにも文楽、人形浄瑠璃という、見ごたえ聴きごたえある演目がならび、今回の公演はなかなか充実していた。近松もいいのだが、近松づくしとなると食傷気味になりそうで。今回感じたのは、三部制というのが、時間的にはほどよいこと。二部制の場合、上演時間が長く、しかもぎゅう詰めで、見るほうも体力勝負。(通し上演の場合、それでも時間が、足りないくらいだが。)それでも今回、一日で、二部あるいは三部、通して見ている観客も多かったようではある。
2007.02.19
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http://www.r-namida.jp/index.html アフリカの小国において、 部族の対立から大虐殺が起こった。 昨日までの隣人が、 集団でナタを持って襲ってくるという恐怖。 残酷な状況を目の前にしても何もできない、 国連の平和「維持」軍。 彼らを見捨てて脱出せざるをえなかった西洋人教師。 彼らとともに残ることを選び、 命をなくした西洋人牧師。 この牧師役の演技が素晴らしかった。
2007.02.15
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国立劇場小劇場。玉手御前を遣うのは吉田文雀。大人の女性の慎ましく奥ゆかしい色気が絶品。第三部の妹背山のお三輪に見られる、蓑助の人形の少女ぶり、可愛らしさとはまた好対照。野澤錦糸の三味線がまたよかった。生理的快感ともいうべき三味線。特に幕切れは圧巻。
2007.02.13
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ミメロギア、フラ・フラの後半戦が発表。ではマイお気に入りを。 天の羽衣フラダンス・天の岩戸フラメンコ 煮物のフラダンス・揚げ物のフラメンコうんうん、いかにもそれらしい^^続いて、黒澤・小津の前半戦。こちらでのお気に入りは… 縄文の黒澤・弥生の小津 外科の黒澤・内科の小津字面もびしっと締まって決まっている!冬の陣も、いよいよ日曜日で終了。黒澤・小津を、もっともっとアタマの中で揺さぶってみよう。
2007.02.08
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今月の歌舞伎座は、仮名手本忠臣蔵の通し。七段目が素晴らしい!祇園一力茶屋の場面。由良之助:吉右衛門お軽:玉三郎平右衛門:仁左衛門これだけ幕見でもいいから、行っておくことをおすすめしておこう。
2007.02.07
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冬のミメロギア・コンテスト。第三弾「グーグル・ミクシィ」の後半と、第四弾「フラダンス・フラメンコ」の前半が発表されている。さすがの秀作ぞろい。各一点あげてみる。 世界のwebグーグル・webの世界ミクシィ 目尻のフラダンス・眉間のフラメンコシンプルで鮮やか。第五弾は、「黒澤・小津」が出題済み。
2007.02.02
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最近、立て続けに2本、洋モノ翻訳ミュージカルを見た。1年ちょっと前のことだったと思うが、もう1本、また別のミュージカル、やはり洋モノの日本語版を見たことがある。自分的にはどうにもいまひとつ…。芸術としてというよりも、ビジネスとして、商業的に成功した娯楽ではあるが。というわけで、外国ミュージカルの日本語版は、自分の肌にはあまり合わないらしいことが分かった。それでも、食わず嫌いで終わらせてしまうよりは、実際に見たうえでどうだったというほうがずっとよい。やっぱり、自分好みとしてはもう少し芸を追及したもののほうがよい。
2007.01.31
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冬のミメロギアも、ついにラスト。5番目のお題は・・・ 【黒澤・小津】ぱっと思いつくところで、10件ほど投稿。まだまだ、「そのもの」に引きずられている感じ。イメージの広がりから、一段ジャンプしたいところ。最後だし、あと2週間で、数だけは思い切り出しておこうか。
2007.01.29
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第二番の入選作から、自分の好みであげてみる。前半から。 「雷神の相撲・風神のラグビー」後半から。 「ひしゃく相撲・やかんラグビー」ふたつのイメージが呼応しながらふくらんでいく。ミメロギアの妙。第三番前半の入選作も発表されている。 「それそれ、のグーグル・そうそう、のミクシィ」 「大海グーグル・深海ミクシィ」 「警察犬のグーグル・招き猫のミクシィ」 「さがしてグーグル・さそってミクシィ」 「ランキングのグーグル・マーキングのミクシィ」 「片道グーグル・往復ミクシィ」各作品とも、それぞれの特性を一言で見事に際立たせている。さて、第四番のフラダンス・フラメンコにかからねば。
2007.01.26
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冬のミメロギアも既に後半戦。第四弾は、【フラダンス・フラメンコ】。双方とも「フラ」で始まるし、しかも踊りモノ。この、似ているようで明らかに異なるあたりを鮮やかに演出するのは、これまた簡単そうで難しそうで、だからこそ取り組み甲斐もあろうというもの。2/4締め切り。
2007.01.23
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演目が発表された。「義経千本桜」の通し。この出演者でこの配役なら、まあ妥当なところか。「すし屋」は、新春浅草歌舞伎で上演された上方バージョンの本家?
2007.01.19
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松竹梅:正月興行の幕開けにはおあつらえむきの踊り。俊寛:吉右衛門の俊寛からは、登場した瞬間より目が離せない。ココロと形が高いレベルで一致。大げさすぎずわざとらしくならず、でも見事に十分に劇的。ラストシーン。絶海の孤島に独り、というのが、ありありと伝わってくる。これを感じさせたのは初めて。呆然と彼方を見つめる表情。いつまでも見ていたいところに幕が引かれていく。歌舞伎の醍醐味ナリ。勧進帳:荒削りであっても清新さあふれた、先日の演舞場のほうが思い出される。喜撰:勘三郎が神妙に踊っていたように見えた。
2007.01.18
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ミメロギア・コンテスト(ミメコン)の冬稽古。ミメコンのページに、いつのまにやら、稽古の心得が掲載されている。一、月並をおそれるなかれ一、冒険をはばかるなかれ一、当落にこだわるなかれ当落にこだわるな、にはドキッ。つい色気を出して、半無意識のうちにもこだわっていた自分を振り返る。冒険、できるか。
2007.01.15
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冬のミメコン(ミメロギア・コンテスト)「おみくじ・宝くじ」の入選作が発表されている。さすがにみな、なるほど~その手があったのかとウロコが落ちる視点が盛りだくさん。そのなかから、個人的な好みでいくつかピックアップ。<踏みしめる雪おみくじ・連なる人の背宝くじ>=>風情が「たまらない...」。<やっぱりおみくじ・さっぱり宝くじ>=>シンプルさが爽快。<選ぶおみくじ・選ばれる宝くじ>=>対比が鮮やか。<和事のおみくじ・荒事の宝くじ>=>いえてる!MJQとしても大いに共感。...自作からは辛うじて一点。<タロットおみくじ・ロト宝くじ>ラグビー・相撲は、数作を投稿済み。もう少し出したい。
2007.01.13
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昼は「すし屋」と「身替座禅」、夜は「渡海屋・大物浦」と「身替座禅」というわけだが、全体としては昼のほうがよかったと思う。いかに周りの役が健闘しても、やはり主役の出来にかかってくるのだから・・・義経千本桜 すし屋:愛之助の権太は、比較的最近に歌舞伎座で仁左衛門が演じたような上方の型で、ごつごつした野太い権太。「面あげろ」のところで使う松明に、本火。やはり本火はよい。義経千本桜 渡海屋・大物浦:序盤、相模五郎(亀鶴)と入江丹蔵(愛之助)がよかった。後半になっての注進も健闘。女房お柳実は典侍の局(七之助)が、予想をこえて意外と見られた。源義経(勘太郎)の貫禄と品格はなかなか。昼の部の松明が本物の火だったので、知盛の出陣の場面でも本火が出るかと思ったが、そうではなかった。残念。身替座禅:浮気者の恐妻家である山蔭右京は、昼夜ともに勘太郎。彼はよかったと思う。太郎冠者と奥方玉の井は昼と夜とでそれぞれ異なるため、演目としての印象はこれでかなり変わってくる。夜のほうが、松羽目物らしさがまだしも感じられた。昼のほうは、笑いは多いようだが、テレビのお笑い的なノリへの視聴者的反応という感じで、いただけない。この演目だけなら夜のほうがよかった。
2007.01.11
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この冬のミメロギア・コンテスト、第二弾が出題された。【ラグビー・相撲】相撲は何度か見たことがある(うち一回はMJQイベントとして)。ラグビーを実際に見たことはない。想像力に鞭打って、両者の対比をくっきりと浮かび上がらせるような切り口を探し出してみよう。
2007.01.09
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冬のミメコンの第一弾、「おみくじ・宝くじ」への投稿締切まで、あと2時間を切った。昨日、浅草寺でおみくじを引いたあとに界隈を散歩しつつ、1、2作ほど浮かんだものを投稿。数えてみると、合計で20作ほど投稿したことになる。せめて一作ぐらいは入選してくれないかなー。いまこのあとは、別のことにかかりながらも、アタマの隅に「おみくじ・宝くじ」を置いておいて、ひらめき次第に最後の投稿をしよう。
2007.01.07
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「おみくじ・宝くじ」のミメロギア。正月休みに<こたつでみかん>ではアイデアは浮かばなかった...新たなヒントを拾うべく、初詣がてらおみくじを引いてみようかと思う今夜この月。
2007.01.03
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これはすごそうだ!ざっと一気読みしたばかりだが、なにかとてつもなく深いものがありそう。日本SF大賞もむべなるかな。これから何度も読むことになるだろう。
2006.12.30
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冬のミメコン第一弾への取り組みは続いている。これまでに数個ほど投稿した。まだまだ、そのものの説明レベルにとどまっている感じ。ミメロギアの醍醐味を求めて、もっともっと、イメージの飛躍を目指したい。
2006.12.27
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先日とりあげていた冬のミメコン、第一弾が出た! 【おみくじ・宝くじ】ふむむむ…似ているようで異なっていて、しかも語尾は両者とも「くじ」。これはまた取り組み甲斐も格別そうな。正月休み、食っちゃ寝でカラダのほうはともかくも、アタマのほうがなまるのを防ぐのに少しは役立ちそう。1/7締め切り。
2006.12.25
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神霊矢口渡:終盤、お舟が斬られてからが見どころ。富十郎の頓兵衛が複雑な手足の動きで、花道の引っ込みをたっぷりと見せる。菊之助のお舟も、斬られたあと必死で太鼓を鳴らそうとするあたりが見せる。これならば、妹背山のお三輪などもよさそう。出刃打お玉:ベタといえばベタな物語で、数年前に見たときはそのあたりが少々目に付いたような記憶があったが、菊五郎のお玉の芝居が今回は自然に見えて、おかしみと最後にほろりとさせそうな味わいがあって、佳作だった。紅葉狩:海老蔵が更科姫(実は鬼女)を演じる。姫のあいだは、踊りの腕はさておき、玲瓏たる風情は、なかなか。祖父(先代團十郎)が若かりしころ関の扉の墨染を演じたのがよかったというのが、ちょっと分かるような気がした。姫の姿のときに鬼の本性を顕すところや、上手に引っ込んでいくところは、オーバーすぎに見えた。鬼になってからは、元気よく動く。連獅子や鏡獅子のような長い毛(白でなく茶色だが)をふりまわすのが、ちょっと他の人ではありえないぐらい激しかった。動きまわすだけが芸とは限らないにしても、妙に感心。もう一点、侍女野菊をつとめた「市川ぼたん」は、海老蔵の妹。舞台上手の幔幕から出てきたときの二人の横顔の輪郭が、さすがは兄妹でよく似ていたのが印象的。きっちりと踊っていたように見えたが、歌舞伎の舞台の上では線が細く見えてしまうのは止むを得ないのだろうか。演目自体が、紅葉がいっぱいの舞台面にしても三方掛け合いの地方にしても派手ではあった。
2006.12.20
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この夏ひそかに盛り上がっていたミメコンが、またやってくる 。 ミメコン = ミメロギア投稿コンテスト では、ミメロギアとは? たとえば「かぐや姫・白雪姫」というお題の場合。 「△△△かぐや姫・◎◎◎白雪姫」 というかたちで、視点や切り口を工夫して、 「かぐや姫」らしさ、「白雪姫」らしさを、 際立たせるように作る。 くわしくはこちらのページを。掲載例からいくつか抜き出してみる。 「男の競争かぐや姫・女の嫉妬白雪姫」 「エイリアンのかぐや姫・ゾンビの白雪姫」 「不思議ちゃんかぐや姫・天然ちゃん白雪姫」 それぞれくっきりとイメージが浮かび、 ニヤリとあるいはドキリとさせられる。 一目見て、鮮やかなイメージが説明不要で浮かぶ、 そんな作品がよいとされる。 発想のひらめきで勝負、なのだ。 誰でも何作でも応募できる。 何らかの賞品も用意されているらしい。 やりだすと結構はまるかも...第一弾の出題は、来週、25(月)。 以後、1月末にかけて都合第五弾まで出される。 とりあえず、すべてのお題への応募を目指そうっと。
2006.12.18
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ロパートキナのオデット/オディールは、芸の力が作り出した舞台上での幻として実在し、ふたたび姿をあらわした。◇ 1幕1場。まずここからして、今回の5公演でも最高の出来。(これで最後だという思い入れのせいかもしれないが。)1幕1場というのは、ふつうは白鳥が出るまでのつなぎぐらいにしか見えないことも少なくない。これだけでも十分に見せるというのは、さすがは本家の実力。 パドトロワの男性は近い将来の王子候補だな。女性のふんわりした手先足先も上品に綺麗。道化も存分に大回転を披露し、3日間で5回とも見事に決めたことになる。おつかれさま。 皆が楽しそうに踊っている気分までがこちらに伝わってくる。おかげで、このあとの2場の幻想的な世界がいっそう引き立つのかもしれない。 ◇ 1幕2場。 湖のさざめきのような旋律に乗ってオデットが登場。同じ人間とは信じられなかった。彼女の肢体は違う素材でできているとしか思えない。たおやかなこと限りなく、触れたら消えてしないそうな風情。首、手先からつま先、全身の隅々に至るまで白鳥が乗り移ったかのよう。白鳥の真似をしているとか、白鳥っぽい動きということではない。白鳥でもあり人間でもあるオデットそのものが目の前にいると納得できてしまうのだ。 それに続く出会いの数分間。ここに、オデットの運命のすべてが、この演目のエッセンスが凝縮されているかのようだった。奇跡を目の当たりにしているとしかいいようがない。あれほどに抑制された動きでありながら、あれほどに激しい感情の動きが伝わってくるとは。まばたきをするのも惜しみ、息をすることすら忘れそうに引きつけられる。もうここで目が滲んでしまった。 続いて白鳥の群舞が登場してくる。マリインスキーの白鳥の湖ならば世界でもトップレベルのはずである。その白鳥たちですら、オデットのあとではかすんで見えてしまう…。言うならば、美しくはあってもやはり人間なのだ。しかるにロパートキナのは、人間を超えていた。夢のような2場が終わりオデットが上手袖に引っ込んでいくときは、完璧なシルエットがしだいに闇に溶け込んでいった。「彼女はこの姿のままで一晩中森の中を舞いつづけるのだな」ということまでが伝わってくる。 この味わいはもう、日本の伝統芸能的な世界だ。うろ覚えだが、能の「山姥」の山は一つの山ではなくどこまでも果てしなく続く山々で、山姥をつとめる者は舞台が終わってからも山姥が山々の中を永遠に舞いつづけるように演じるべし、みたいな話。 ◇ 2幕。 ロパートキナのオディールは、王子のみならず満場の観客をもノックアウト。コケティッシュな魅力で女性が男性を誘惑するというレベルではない。もっと深いレベルでのまさしく魔法で、王子のみならず観客全員を心の底からがっちりと虜にした。 すべてを冷徹に計算し、王子が落ちることを確信したうえで誘惑したり拒絶したりのゲームを演じている。心の内をちらりと見せたと思われるのが2箇所。ひとつは、窓の外にオディールが現れたとき。「まずい!」というのが、一瞬だけ目の動揺に出る。あとは、王子が誓ったあとの反応。人によっては甲高く嘲り笑うようなやりかたもあるが、彼女の場合は「やっぱりきたか」という感じで、フンと立ち去っていく。これにより、かえって王子の愕然さが鮮やかになる。 さらにさらに、自信をもって王子を陥れる彼女のさらにその奥には何があるのかということまで思いをめぐらさせられる。彼女はロットバルトの何なのだ?手下か、愛人か、実は彼女自身も囚われの身なのか。王子を誘惑するのは、仕事なのか命令なのか?誘惑に成功したあと、オディールの身の上はどうなるのか?万一失敗していたら彼女はどうなったのか?ロパートキナのオディールでは、そこまで気になってくる。 ◇ それにしても、オデットとオディールの対照は実によくできている。 オデットでは、優雅で静かで滑らかな動きの奥から、運命への絶望や未知への不安や王子への希望が渦巻きながら熱いうねりとなっているさまが垣間見える。 オディールのばあい、派手な動きの裏側に虎視眈々と王子を陥れようという冷徹な意思が息をひそんでいる。 ここで、はたと気付く。 オデットは静の中からも動がたちあらわれ、 オディールでは動の中には絶対的な静が息を潜めている。 これは歌舞伎の「船弁慶」ではないか! 静御前は静中の動、平知盛は動中の静。 これをはっきりと分からせてくれたのは、ロパートキナの芸の力である。 ◇ 3幕。 1幕1場のようにややもするとおまけの付け足し的にもなりがちなこの場面も、マリインスキーの場合には、そうではない。この「結」を決めることで、本家「白鳥の湖」の起承転結が完成するというものだ。 神韻縹渺たる序盤から、音楽も爆発的に盛り上がる対決へ。一転して、天上の音楽かのようなハープの調べと朝焼けの光に、幸せな二人のシルエットが立ち昇る。 カーテンコール。万雷の拍手というのはまさしくこういうものだろう。 ◇ ロパートキナの身体は手先から足先までコントロールされきって、すべて何かを表現するために動いている。オデットやオディールを踊っているのではない。演じているだけでもない。もはやオデットそのものとなって嘆きと希望と勇気を表現し、あるいはオディールそのものとなって自信と誘惑と冷酷とを体現しているのだ。 これぞ「芸」だ。 他のダンサーでもっとも優れた部類の人たちの場合でも、体操めいてしまう。すなわち、身体の動きが先に来ているような部分が多少なりともある。それはそれで十二分にすごいことであるし、動き自体の面白さや美しさというものはあるにしても。 そのような場合にはダンサー自身からエネルギーが押し寄せてくる感じがあるが、ロパートキナの場合には観客のほうがどんどん引き寄せられ吸い込まれてしまいそうになってくる。ただもう唸るばかり。 ◇ 以上、ロパートキナの至芸を堪能。 ガラのときには、とにかく初めて見るロパートキナということでいっぱいだったし、金曜日はやはり初めて彼女の白鳥ということでやはりのぼせていたと思う。今回やっと、少しは落ち着いてじっくりと見ることができた。 結論。マリインスキーの至宝という看板に偽りなし。それどころか、バレエの至宝であり、芸術の至宝といえる。いまこの時期の彼女のオデット/オディールを見ることができたのは、幸せというに尽きる。 なお、音楽は、ここぞというところで2回ほど少し妙な音があったほかはさすがによかった。特筆しておきたいのがハープ。5回ともコンスタントに妙なる調べを奏でていた。 今回の日本ツアーの最終公演は、マリインスキー・バレエとしても来日チームの実力を出し切ったと言えるのではないか。 ふと、不安になる。こんな白鳥を見てしまうと、このあと何を見ても物足りなくなりそうで…。 ◇ マリインスキーが次回日本に来るのは数年後になろう。今回の若手がどれだけ成長しているのか。ロパートキナの芸もますます円熟しているはずだ。もういまから待ちきれない。
2006.12.12
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ついに、ロパートキナの白鳥。 マリインスキーの今回の公演ではそもそもこれが本命で、前売りで買っておいたのもこちらのキップだけだった。 1幕1場: 幕が開いての第一印象は、舞台が落ち着いているということ。この落ち着きはなんだろう。海賊のときとは明らかに違う。 ダンサーたちは、身体も顔もそりゃ整っているのは当然というだけにとどまらず、貴族「らしさ」がばっちり。 さすがは本家本元の十八番。 パドトロワ。小さなミスらしきものはあっても、今日においては、舞台全体に満ち満ちている圧倒的な空気が優しく包んでしまう。 王子は急な代役だったようだ。坊ちゃんぽく品もあり、悪くはない。 道化がよい!技のキレもすぱっと決まり、演技のタイミングもばっちり。終盤近くの大回転。あんなに速くきれいに長く回り続けるのは初めて見た。さらにそのあとには、海賊でサラファーノフが会場を沸かせたあの技?それでいて一線を守ってでしゃばり過ぎない。このあたりにもマリインスキーの気品を感じる。 白鳥の湖の一幕としては、ダントツの出来だった。1幕2場: ロパートキナの登場。わずかに控えめに見える動きだが、すみずみまで神経がいきわたっている。マリインスキーのダンサーは手の動きが特に優美だと今回知ったが、ロパートキナのオデットではそれがまた格別。先月のザハロワでも大したものだと思ったが、さらにすごい。どこまでもしなやかで柔らかだが芯は通っている。首をふる仕草のなんという瑞々しさ。とても同じ人間の身体とは思えない。 王子は、急な代役ということも考えれば十分に健闘。特に良かったのは、オデットへの愛情がしっとりと表現されていたこと。 コールドは、あと一段がんばってほしいような気もしたが、やはりこの優美さ幽玄さはたいしたものだ。 残念なのが、音楽。素人耳にも外したなと思えるのが2、3回。ほか、ところどころテンポがやけに遅くなったりもして、オデットのダンスに酔いたいな、酔えるかなと思っていると音楽に引き戻されてしまうこと数度。 それでもロパートキナのオデットはすべてを帳消しにしてしまえる。 2幕: 一幕もそうだったが、舞台や衣裳は重厚でありながらも、中世の宮殿や貴族の「らしさ」がばっちり決まっている。さすがは伝統、本家本元の力。 道化、あいかわらずよかった。 民族舞踊が、見せる見せる。王子はあいかわらずお人よしのおぼっちゃん風だが、オディールにも愛しいまなざしを注いでいるあたりは具合よし。もう少し力強さが欲しいかな。 ロパートキナのオディールは、気品溢れ、超然としたところもある。1、2度だけ、邪悪な意志が鎌首をもちあげるような気配をチラリと出したように見えた。 フェッテは、最初はダブルであとはシングル。ぶれやゆらぎもなく実にきれいに、一直線に前にせり出してくる。テクニックを前面に押し出さずに、最後まで品格を保った。決してワザに走りすぎず、それでいて十二分に魅せる。 もう少しだけしっかりした王子で、蕩けさせてくれる音楽だったらともいえるが、またもや、ロパートキナのオディールですべてはOK。 3幕: コールドは1幕2場よりも揃っていたようだ。 ロパートキナについてつくづく思ったのは、ずっと「続いている」ということ。動き自体もスムーズに続いているし、そこには内面表現が伴っていて、その気持ちが舞台に出ているあいだ中続いているように見えた。 オデットの気持ちが続いているせいか、1幕2場や2幕の姿が思い出されて重なってくる。そうしているうちに、涙とまではいかなくても、ちょっと滲みかけたかも。 ロットバルトもなかなかノーブルでよかった。最後は、片羽根をもがれての断末魔。しっかりとのたうちまわってくれた。でも品格は外さない。先月の新国立の新演出では非常に物足りなかった(勝手に入水するかのごとし)部分なので、よけいに印象深くなった。 というわけで、ロパートキナのオデット・オディールは至芸の名に恥じないものだった。 ひたすら美しい。気品。品格。優美。形と心が高い境地で一致してバランスがとれている。 ただ、公演全体としては「もっといけたのに…」と思わせてしまうところが心残り。 それでもやはり、キーロフ・バレエの『白鳥の湖』だ。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0623.html 「…20人ほどのなかで、少なくとも3人が涙を流し、5人が何度か胸をつまらせ、残りのすべてが唸っていた…」 今回の自分は、<唸った>。ちょっと胸もつまりかけ、涙が滲みかけたこともあったかもしれない。
2006.12.09
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題名はむしろ、「 3婆 + 1爺 」というのが相応しい。水谷八重子と波乃久里子との女の争いに園佳也子と笹野高史の破壊力が加わって楽しませてくれた。前半にいろいろと伏線が、後半にきいてくる。クライマックスは別れの晩に寿司を囲んでの夕食の場。ここでどんでんがえし?が。そのあと休憩をはさんでの最後の幕がまた効いている。年忘れの喜劇としてほどよい具合だった。最後には社会問題っぽい視点を少しだけ見せるのは、「恍惚の人」の有吉佐和子の原作ゆえ?
2006.12.05
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ロシアのバレエの名門中の名門、マリインスキー。このたびの来日公演の東京での初日は、いま旬を咲き誇る名花であるディアナ・ヴィシニョーワづくしの公演。今回、「あなたのブログでレポートしてみませんか?」というブログ・レポーターに応募してみたところ採用となり、本公演の主催者であるジャパン・アーツにて用意いただいたチケットでの観劇とあいなった。◆公式HP◆http://www.japanarts.co.jp/html/mariinsky_ballet2006/<シンデレラ 第2幕より>「シンデレラ」のバージョンのなかでもかなり新しいラトマンスキー版。初演でシンデレラを演じたのがヴィシニョーワ。いわば彼女にあてて振り付けられたものだから、今回の公演にもうってつけ。第2幕は宮殿の舞踏会の場面。男性の燕尾服姿が珍しい群舞がひとしきり終わって一行が舞台を去ると、両手で顔を隠したシンデレラがいるという具合。(この登場のしたかたには、歌舞伎の助六での白酒売を思い出した。)青の背景、白い衣裳。両手をおろして顔が現れると、不安げな表情。どこに来てしまったんだろう、場違いではないのかという恐れ慄きがこちらの心にまでうつってきそうだ。やがて王子と出会い二人のパドドゥとなっているあいだも、ときおり不安が垣間見えてきていた。王子(コールプ)は、長身ながら引き締まった動きがなかなか。振り付けは、ロマンチックなだけではなく可笑しみや不安なども表現していて人間くさくもあるが、それでもやはり舞台の表現として昇華されている。ヴィシニョーワの動きは、的確であると同時に独特の粘りのようなものがある。そしてやはり、「華やか」という形容が似合う。同時にあくまで生身の人間として、不安や喜びや失望といった感情を身体で物語っていた。<バヤデルカ 第2幕>好きな演目のひとつでもあり、今回のメインディッシュと目していた。ここではキャラクターダンスもお楽しみ。なかでも黄金の仏像。ほっそりめで、とくに回転などはどこまでも軽やかに滑らか。形がじつに整っている。回転の速さよりも、回っている姿のきれいさを強く意識しているようなダンス。これは他のダンサーにもいえる。ぱっと見ではややあっさり目のようだが、よくよく見ると、足や手の形が先の先に至るまで実に美しいことに気付く。かみしめて食べ進むほどに滋味がふくらんでくる京料理といったところ?逆にいうと始めのうちは少々おとなしすぎる気もしていたが、次第に、じわじわ、じわ~っと舞台の空気が盛り上がってきた。一つのヤマが、ガムザッティ(テリョーシキナ)の、イタリアン・フェッテからグラン・フェッテ。足の上がり具合が実に綺麗にきまっている。ソロル(サラファーノフ)も、あと少しだけ貫禄が欲しい気もするが、軽やかで優美。舞台のテンションが十分に高まったところで、ヴィシニョーワ演じるところのニキヤが登場!まずは、全身から悲しみを溢れさせながらゆったりとした踊り。湖の底にゆっくりと沈みこんでいくような風情。花かごをもらってすうっと表情が晴れてくるところには演技力の深みを感じ、こちらも思わず惹き込まれた。(またもや歌舞伎でいえば、道成寺の「我も五障の雲晴れて」のくだりを思い出す。)ついで音楽がリズミカルに転じると、歓喜をふりまきながら舞台をいっぱいに使いながら踊り跳ねまわる。毒蛇に倒れてからは、大僧正が差し出した薬を拒否するというよりは、ふっと諦めてはらりと落とす。ガムザッティを指差すしぐさも、くどくはない。ソロルへの愛のために静かに死んでいくことを望んでいるかのごとし。プログラムで彼女は「テクニックも演技力も、自分の持てるものすべてを投入して踊る」と言っている。まさしくそのとおり感情の大きな変転を描き尽くして、たしかに観客をばっちりとつかんでいた。それとこの幕でつくづく実感したのは、このバレエ団では個々人のスタイルが、体つきにしても動きにしても、ほっそりしなやか、繊細で優美ということ。<ルビー>バランシン振付の三部作である「エメラルド」・「ルビー」・「ダイヤモンド」の一つ。日本で演ずるのは初めてということだが、本拠地や海外公演では何度も演じていて評判もよいらしいので期待していた。じつは今夏のバレエフェスティバルで、ヴィシニョーワの「ダイヤモンド」を見ている。技で見せてくれて十分によかったが、ルビーのほうがニンに合いそうな予感がしていた。「ニン」というのは、そのひとが持つ芸風に合うか、というようなことだ。(歌舞伎の劇評でときどき使われる。)ミッドナイトブルーの背景に、真紅の衣裳と白い肢体があざやかに映える。ヴィシニョーワをふくめたダンサーたちの動きは、手足、特に手首から先がなんともいえず細やかでたおやか。それらの軌跡というよりは残像が連なって空間に刻々と変わる幾何学模様を描いていく。プログラムにあった彼女の言葉によると、「身体がきれいに動く振り付けが多い」。そのせいもあってか、ヴィシニョーワの身体能力が際立っていたのを強く感じた。やはりニンに合っていたのだろう。以上、なるほどヴィシニョーワの魅力をほどよく味わうのにちょうどよい演目建てだったと思う。満載とまではいえないかもしれないが、休憩を入れて約3時間の3演目のなかで、あたかも前菜・メイン・デザートという流れに沿ったように、できうる限り多面的な魅力を堪能できたのは確か。3幕それぞれにカーテンコールがあった。バヤデルカの幕外カーテンコールのときに気付いたのだが、ヴィシニョーワは、彼女単体が輝いているというよりは、劇場と観客と自然と一体になっているかのようだった。ルビーのカーテンコールでもやはり、観客に溶け込んでいたヴィシニョーワの姿が脳裏に焼きつけられた。「晩秋のヴィシニョーワ尽くし・マリインスキー風味」を堪能。ごちそうさま。
2006.12.02
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ある日突然、街角でコンサートを開く。チケットは街中で(多分無料で)配り回り、普段はまったくそんな音楽を聞かないような近所のおばちゃんとかまで招待してしまう。そんな準備の舞台裏から、コンサートの模様、楽屋の様子などを追った映画。 コンサートへの出演者はその世界では大御所らしいが、よく分からないし、分からなくても困らない。有名であろうと無名であろうと関係なく、ココチよいリズムがメロディーが生み出されていく。 なにより、演奏者も観客も本当に楽しんでいる雰囲気が、映像越しですらぐいぐいと迫ってきて、一緒にコンサートを体験しているつもりになってくる。ブラックミュージックが多少なりとも好きな人なら、きっと楽しめるのでは。血が騒ぎ、手足が動き出すかも。 「プラダを着た悪魔」に続いて、見終わって元気の出る映画だった。満足。
2006.11.27
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「いかにも」のNY・パリとファッション世界を舞台に、 カッコ付き"beautiful"な人々が立ち回る物語。うまくまとめているし、テンポもよい。 華やかな世界をたっぷり見せておいて、 でもやっぱり普通がいいのよね、となるのが、 大衆ウケしそうな予感。 なんといってもこの映画の大黒柱は、 メリル・ストリープの演技! 脇役も充実。 偉大な映画というわけではなくても、なかなか楽しめた映画。
2006.11.21
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国立劇場の歌舞伎は、先月に引き続き、元禄忠臣蔵の第二部。《伏見撞木町》仮名手本忠臣蔵の七段目を実録風にするとこんな感じか。《御浜御殿綱豊卿》梅玉のあたり役、綱豊。期待にたがわず、よかった。欲をいえば、今一段の貫禄があれば尚良。翫雀の助右衛門も好演で、二人のやりとりが面白かった。あとよかったのが、我當の新井勘解由(新井白石)。今まで見た舞台では、綱豊とのやりとりが退屈気味で意味もよく分からなかったのが、今回はよおく伝わってきた。《南部坂雪の別れ》時蔵の瑤泉院、藤十郎の大石とも、まあまあ。ただ、伏見撞木町でもそうだが、大石については、先月の吉右衛門をどうしても思い浮かべてしまう。
2006.11.20
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ザハロワのオデット/オディールは、ほとんど神がかり。カ・ン・ペ・キ。 とても人間とは思えず。あれは本当に白鳥の精ではなかったか。 本人としても会心の出来だったのだろう、 長くたっぷりとしたレベランスでは、自信と喜びのオーラでひときわ輝いていた。 当代の白鳥といえば、ザハロワではないか。 ナマで見た中、いや映像を含めても、白鳥の一番! 黒鳥は、悪魔になりきるのでなく、小悪魔にとどめた。 王子がオデットと見間違えるというのが、よ~く分かった。 もちろん、衣裳を黒に変えたオデットがいるわけではなく、 オデットぽさを随所に出しながらも、 やはり小悪魔的な雰囲気は漂わせている、 その塩梅がステキに具合がいいのだ。白鳥と黒鳥の演じ方でいうと、ガラリと変えるやり方が多い。 だがやはり、王子が見間違えるということでいくなら、 今日ぐらいの演じ方がよさそうだ。発見! そして32回転。 速さや回転数に走らず、堂々たる貫禄で決めた。 そのあとの振りも、抜群のキレを見せてくれた。 もう、彼女が舞台にいてくれさえしたら、 間違いがあるはずはない、 というオーラが舞台一面を圧していた。 再び四幕目で白鳥。 あの結末だけはよく分からず。 しかしザハロワがサイコーなので文句なし。 今日は、かなり前のほうの席。 おかげでザハロワの体の動きや、 顔の表情の細かいところまで堪能できた。 ザハロワの白鳥は、金曜日にも上演される。機会があれば、いや機会を無理に作ってでも見ておくことをオススメ。
2006.11.16
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行ってまいりました。新橋演舞場・昼の部にて、MJQ歌舞伎2。今回は人気演目に人気役者が重なり、満足度もずいぶん高かったようです。そして皆様、「MJQ歌舞伎1」や「MJQ京舞」などを経験していることもあってか予習もばっちり。休憩時間の過ごし方など劇場内でのふるまいも慣れたもので、芝居自体にいっそう集中して楽しんでいらしたようでした。観劇後は、恒例のビヤホールにて懇親会。芝居の感想を交し合うことはもとより、互いの近況報告から、なぜか「倫理」の話。さらには、今後のマツラボ活動へも魅力的なアイデアがいくつも出たりして。MJQとしては、次回は西洋の舞台芸術に目を向けようと企画しています。M【J】Qの範囲を超えることになるので、名称も考え直す必要があるかも・・・。では、参加されたみなさまの感想を、どうぞ連ねてくださいませ。
2006.11.11
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時今也桔梗旗揚: 海老蔵による小田春永の暴君ぶりが似合っている。 松緑の武智光秀は、いぢめに耐えた末の爆発の様子、まあまあ。 芝雀の皐月が、さすがに中堅の貫禄。 船弁慶: 團蔵の弁慶が立派。 菊之助、まだまだこの二役はきついか。 相当なベテランでも難しい役のはず。(以前に見た富十郎のはさすがに素晴らしかった。) それにしても、最後のひっこみ、 幕外、花道付け根での太鼓と笛の迫力は、たまらない。 義経千本桜・川連法眼館: 海老蔵が、猿之助の型に挑戦! 初役だし、課題は山々あれど、新鮮さがよかった。 何といっても若いから、よく動く。ジャンプがすごい。 とはいえ、芝居としての全体のバランスとか、 スムーズなハコビはまだまだまだ。 だが、意外と物語の骨格は伝わってきた。
2006.11.10
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華やかで分かりやすい魅力に彩られた、昼の部だった。 番町皿屋敷: 播磨の一徹さとお菊のいじらしさとあさはかさとが生んだ悲劇 勧進帳: 海老蔵の弁慶の目玉は、ホンマ錦絵!!!若さ、そして勢いよ。 セリフ・動作ともオーバー気味だが、 今は、やりすぎぐらいでちょうどよいのかも。 富樫の「情け」も、なかなか。 ベテランによるマンネリ気味の「またかの関」として食傷気味ともなりがちな演目を新鮮に照らし、 人間ドラマを感じさせてくれたのが、 ずいぶんよかったと思う。 弁天娘女男白浪: ご本家、菊之助が演じる菊之助! 浜松屋では、振り袖姿での花道からの出に始まり、 見顕しで男と転じ、名セリフをうたいあげるあたりは言うまでもなく、 南郷との帰り道での花道のやりとり、 「坊主持ち」の余韻がなかなかよかった。 稲瀬川では、五人それぞれに合わせた下座音楽にのって、 花道からの登場にワクワク。
2006.11.10
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昼の部は、充実した内容だった。 先代萩-竹の間・御殿: 「竹の間」がなかなかよかった。 一歩間違うと退屈になりがちなセリフだけの芝居で、 ぐんぐんとひきつけられた。 仁左衛門の八汐が、憎憎しげで結構。 先代萩-床下: せり上がりの下座音楽は何度聞いてもゾクゾクする。 立派な男之助、結構。 ローソクの面明かりに照らされた團十郎の仁木も妖しさ満開。 先代萩-対決: ふてぶてしく底知れぬ凄味の仁木。 仁左衛門の勝元の、爽やかで、惚れ惚れするさばきぶり。 先代萩-刃傷: 團十郎、悪の凄味が全開。 目玉が光る。まさしく浮世絵顔。 段四郎の、老体の忠臣ぶり。 勝元の情が、泣かせる。 源太/願人坊主: 充実だが重めの演目につづく口直しにはもってこいの、すっきりした踊り。
2006.11.09
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鶴亀: キレイな踊りでよいが、短い。 20分たらずで終った後に20分の休憩。 ・・・それでもって、のちほど、もう二つ踊りがある。 演目の組み立て、もう少しナントカならないかなぁ。 二月堂: 仁左衛門、大僧正の気品はさすが。 雛助狂乱: 白地に金と紫の色合いが、いい感じ。 珍しい演目だし、アクセントとして、いいか・・・ 五條橋: 富十郎の弁慶に、息子である鷹之資の牛若。 子供ながらきっちりと行儀よく演じて結構。 河内山: 團十郎のギョロ目が効く。 愛嬌あるわざとらしさが、この役に、はまっていたかも。 オレンジ色の法衣の僧姿、さきほどの「二月堂」と重なる。 これはいかがなものか? 夜の部全体として: 演目の組み立てがどうにも散漫な印象を否定できないような。
2006.11.08
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連休に、歌舞伎座と新橋演舞場、双方の昼と夜とを見てきた。(さすがに、少々しんど)芸のレベルと演目の組み立てでは、歌舞伎座の昼。分かりやすい華やかさでいえば、新橋演舞場の昼。若手のエネルギーを感じるなら、新橋演舞場の夜。歌舞伎座の夜は、歌舞伎座の夜は、………………。くわしくは、数日内に。
2006.11.07
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11月の歌舞伎は、歌舞伎座・顔見世興行でのベテラン勢と、新橋演舞場での花形(若手人気役者)とが競うことになる。(ほかに国立劇場では、元禄忠臣蔵で、先月の続き、第二部も。)歌舞伎座と演舞場では、さすがに元・三之助を中心とする花形勢が人気があり、チケットの売れ行きにも反映しているようだ。さて、蓋を開けたらどうなることやら。
2006.11.02
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お待たせしました。以下、すべてそろいました。観劇の前にぜひご一読を!◆番町皿屋敷あらすじ◆◆番町皿屋敷みどころ◆◆勧進帳あらすじ◆◆勧進帳みどころ◆◆弁天娘女男白浪あらすじ◆◆弁天娘女男白浪みどころ◆◆弁天娘女男白浪セリフ◆
2006.10.28
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歌舞伎演目のジャンルでいうと、「世話物」といいます。江戸時代の現代劇です。セリフも、テレビや映画の時代劇のような感じで、比較的分かりやすいはずです。艶やかな振袖姿であらわれた町娘が、正体を見破られると、振袖を脱いで、刺青の肌もあらわに居直る。その【鮮やかな変身ぶり】を、まず堪能したいところです。そして、正体を暴かれた弁天小僧が「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる名台詞で名乗りを上げるところ。幕末から明治にかけて江戸歌舞伎を完成させた河竹黙阿弥の【七五調の名台詞】をたっぷりと味わってください。浜松屋での弁天小僧の動作には、初演した五代目尾上菊五郎以来の【洗練された型】があります。たとえば拭った口紅を額の傷として塗りつけるという無駄のない動作や、その他小道具の扱いなどに、おそろしいほどに細かい手順がついているのです。それを手順とみせずに、自然に演ずるのが役者の腕のみせどころ。じっくりと味わいましょう。
2006.10.27
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