なにが起きたのか。日立におけるマイクロプロセッサの開発史を振り返ってみたい。
日立中央研究所は、1982年にマイクロ32と呼ばれる32ビット・マイクロプロセサを開発した。これはモトローラの68000と親和性があったものの製品になることはなく、1985年にそれを進化させる形でH32 / 200というマイクロプロセサを開発。1988年に製品化した。これはTRONアーキテクチャにもとづくもので、実際にこのマイクロプロセサを搭載したBTRONコンピュータが開発され、教育用として学校に配布されようとした。しかしこの計画は、米国からの強力な圧力で頓挫する。
それでも日立は、このH32 / 200をさらに進化させてH32 / 500というマイクロプロセサを開発。これは165万個のトランジスタから構成されており、当時としては究極のCISCチップである。しかし、高価なマイクロプロセサであるため、あまり数が出ない。そこで1990年から1992年にかけて、32ビット・アーキテクチャを継承しながらRISCアーキテクチャに再設計したものを開発する。1992年にリリースされたSH1である。さらにゲーム用の機能を追加してSH2として販売され、セガ・サターンに用いられる。その後、1995年にはウィンドウズCE用のSH3を開発。1997年にはさらに性能を上げたSH4を開発。このSH4はセガ・ドリームキャストに用いられた。その後2001年にはSTマイクロと共同でIPライセンス・ビジネスにも着手。しかし結局ARM社に追いつくことはできなかった。ただし2002年よりSH-mobileという名で、低消費電力型でありながらテレビ電話機能などの新機能を追加したRISCチップを開発・出荷し、起死回生を図りつつある。
明らかに市場を支配する力があったにもかかわらず、なぜ日立はARM社の後手にまわったのか。
これについて、慶応大学の榊原清則は、その著書「イノベーションの収益化」にもとづいて、興味深い考察をしている。彼は、「新技術」に対して、それがイノベーションにまで成就するには、その後の「意味の洞察」そして「収益化」というプロセスが働かなければならないと説く。そして「新技術」→「意味の洞察」→「収益化」というイノベーション・サイクルが回ってはじめて、新たな「新技術」の開発のフェーズが開かれるという。ここで忘れがちなのは、「意味の洞察」のフェーズである。日立のSHシリーズの32ビットRISCチップは、この「意味の洞察」を怠った。SH1はARM6とほぼ同時期に開発されたにもかかわらずARM6より高速かつ高機能だった。逆にそれがあだになった。速度と機能の面で性能が優れていたので幅広い可能性を生んでしまい、かえって「低消費電力がビジネスの鍵になる」ことを洞察できなかった。そう榊原は論ずる 3) 。けだし慧眼である。
では、日立はどうしていたらデファクト・スタンダードを取れていたか。自社で携帯電話機を作り始めていたから、携帯電話にとってのプライオリティが低消費電力にあることは、洞察できたはずである。そして携帯電話というたいへん大きな潮流がやってきて1つの大きな産業となることもまた洞察できたはずだ。この2つの洞察が結局のところすばやい意思決定につながらなかったということは、本稿のテーマである「技術の目利き」ができなかったということになる。
出典: http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090302/166576/?P=3
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