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先週の火曜日からやっとこ雪が降り、15センチほど積もりました。やっとこ冬到来 って感じ。雪景色はいいわ~。しばらくマイナスの寒い日々が続いていたけど、日曜日辺りから気温もプラスになり、雪もだいぶ溶けてしまいました。どんな2月になるのでしょうか?そんな寒かった先週の金曜日、ステキなご対面を果たしました。そのお相手というのは、スイス・フランス語圏の新妻♪yukieちゃん でございます。yukieちゃんのお母様、こんにちは~ ( ̄▽ ̄)ノ″同じスイスでも、片道3時間くらいの簡単に会える距離ではなく、今回は旦那さんの仕事で泊りがけでチューリッヒに来る用事があり、yukieちゃんも一緒に同行し、わざわざ私の住む街まで来てくれました。yukieちゃんと知り合ったのは、ブログを始めて数ヶ月後だから、もう2年近くなります。私の所に書き込んでくれたのがきっかけで、彼女の日記を読むようになったのだけど、ホンワカした中に、強い意志を感じるステキな日記で、とても惹かれるものがあり、密かにいつか会ってみたいな~って思い続けていました。これまでメールや電話で話したことはあったけど、実際に会ってみて、ブログの通りにホンワカで、芯のしっかりしたステキな女性でした。知り合った当時は遠距離恋愛をしていたyukieちゃんも、スイスに移住して、結婚し、フランス語を頑張っています。フランス語はこうなのよ、と説明してくれるyukieちゃんを見てると、かなり頑張ったんだろうなーって思えました。私がまだスイスに来て1年も経たなかった頃なんて、ドイツ語そんなにできなかったと思うし。そんなyukieちゃんの頑張りに、かなり刺激された私でもありました。こういう出会いって、しあわせ~になるなー。こう思える出会いが、最近ふたつみっつあって、私のスイス生活も悪くないなーって思えます。yukieちゃん、わざわざ会いに来てくれて、メルシー!**************************************月曜日、イタリアに行ってきました。ぶぉんじょるのぉ~。正確には通過しただ毛(笑)前日の日曜日、義妹の誕生日のお食事会があって、そのときに義母が突然提案をしたのです。義両親は、スイス国鉄の1日乗り放題チケットの回数券を持っていて、期限もあるし、それを使ってしまいたかったのです。あと、義妹は2月から転職をし、今は前職の有休消化中、なので、平日もあいてるわ毛です。「ももも。も来る? 明日空いてる?」と、義母に言われ、空いてるも何も、明日は通常なら洗濯日、リーダーのあなたが洗濯しないなら、アシスタントの私も仕事がないわ毛で、私もお供することにしました。参加者は、義両親、義妹、私の4人。テーマは、1日乗り放題チケットで、どっかに行こう。朝早く起きて、まずはチューリッヒから電車で1時間15分くらいのグラウビュンデンの州都・Chur(クール)へ。そこからPostauto(バス)に乗り、2時間強でイタリア語圏のBellinzona(ベリンツォーナ)へ。この区間は最初のうち、結構標高の高い所を行くので、雪景色がとてもきれいでした。そして、この区間のある長いトンネルを貫けると、そこは突然イタリア語圏 (゚Д゚)同じスイスなんだけど、看板とかが全部イタリア語で、???状態。唯一わかったのが、WC → 50m・・・みたいな(爆)ベリンツォーナからは電車に乗り換え、30分ほどでLocarno(ロカルノ)に到着。ロカルノはマジョーレ湖畔にあって、ヤシの木がいっぱいあって、いわゆる日本人が持っているスイスのイメージとは、ちょっと違いました。あと、気温も違うし。マジョーレ湖ここでは1時間程、街を探索しました。また電車に乗り、Centovalli(チェントバリ)という所を行きました。イタリア語でチェントは100、バリは谷という意味で、「100の谷」という意味。たくさんの谷と川があったし、線路もすごい所に作ったなーという感じ。トンネルも多かったので、「チェント・トンネル」と勝手に呼ばさせていただきました(笑)しばらく走るとイタリアに入りました。イッタリア~、イッタリア~♪この電車で2時間、Domodossola(ドモドッソラ)に到着。そこからベルン行きの電車に乗り換え。ドモドッソラからしばらく走ると、長いトンネルがあり、それは3000mのアルプスの下を貫通しており、トンネルを貫けると、そこはまたまたスイスでした。トンネル後、Brig(ブリーク)に到着すると、そこはドイツ語圏になるので、電車のアナウンスや、駅のポスターなんかがドイツ語にさらっと変わったのも不思議な感じ。今回は行かなかったけど、ブリークから西にしばらく行くと、フランス語圏になるのだから、ほんとスイスってしみじみ不思議な国だなーと。途中から外が暗くなってきたので、みんなでUNOをし、そのせいか、あっという間に地元の駅に戻ってきました。電車とバスにほとんど乗りっぱなしの一日だったけど、いろんな景色が見れてよかった。でも、窓越しでいい写真が撮れなかったのは、残念でございます。回数券の期限があと11ヶ月。義母はまた夏にやりたいみたい。ふふふ、チケット代は(私には)かからないし、おいしいかも。あと、この回数券が、自腹じゃしんどい1等席用っちゅーのも、おいしいし♪◆◇おま毛◇◆ タイトル 「 はじめてのゆきあしょび 」 うちのダンナでございます(笑)亡くなったおばあちゃんが撮ったものかわかりませんが、おばあちゃんの作ったアルバムからで、親戚の人が全てスキャンして、デジタル化して、CDに焼いてくれました。ダンナの許可もあって、ここに掲載(笑)何月かわからないけど、5月生まれのダンナが1歳未満の頃の写真です。ダンナの約半年後に生まれた私は、きっとこの頃この世に生まれていたと思うけど、まだ立つこともできてなかっただろうしなー、とか考えると、とても不思議な感覚になり、なおかつとてもしあわせな気持ちになります。
2007.01.31
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先週木曜日にヨーロッパを襲った電気、いや嵐、北ドイツ、イギリスなど各地に大きな被害をもたらしました。スイスは大したことはありませんでしたが、うちの屋根瓦が吹っ飛んだそうです。窓辺に置いておいたコンポスト・ボックスも吹っ飛びました・・・。この冬は異常なくらい暖冬で、帽子も手袋も要らず、日本の方が寒かろうと思いますが、今週からやっとこ冬らしい日々になりそうです。雪がないとつまらんっていう理由だけじゃなく、ぬくいと過ごしやすいけど、ここまでぬくいと、地球はどうなっちゃうのって、こわくなるくらいだったから、ちょっと一安心。さて、11月にスイスに戻ってきてから、もう2ヶ月以上。通常の日記の合間にダラダラと書いてきた「日本滞在記」も、やっとこ今回で終わりです。**************************************大阪に行くと、メインに泊まらせてもらうのが、何度かブログ上に登場している、「大阪の両親」と呼んでいる友達夫婦のとこ。大阪の母ちゃんことMちゃんは、私が初めて勤めた所の先輩でした。私がそこを先に辞めてからも、ずっと仲良くしてもらってて、Mちゃんが結婚してからは(いや、する前からも)、旦那さんである父ちゃん含めて、世話になりっぱなしで、いつの間にやら「大阪の両親」と呼ぶようになったのです。うちらの結婚記念日は10月10日。秋くらいに結婚しよかってなって、語呂がいいし、あと大安で満月だったり、なんかよさげだったし、それからこの「大阪の両親」の結婚記念日でもあったんです。彼らはふたりの娘がいて、ほんとにいい家族で、こんな風になれたらなー、っていう思いもあり、あやかって同じ日に結婚しました。彼らはうちらより5年早く結婚して、それが平成10年だったので、さらに語呂がいいんだけどね(笑)うちらが結婚してからは、大阪の里帰りにもダンナを連れて行き、ダンナともどもお世話になっております。私が「娘」なら、ダンナは「婿」?!そんな「義理の母ちゃん」と「義理の息子」の、らぶらぶツーショット♪クスッ…( ̄m ̄*)ダンナの5本指ソックスは、ふぅちんからのプレゼントで、偶然、母ちゃんも同じ柄のを持っていたのです。この柄見た子供達に、「どろぼー」 って言われたけどね(笑)さて、滞在中は日常プラスアルファって感じで、みんなでお買い物に行ったり、恒例の回転寿司に行ったり。みんなでいつも行く回転寿司屋、お皿をテーブルの端にある穴みたいなとこに入れると、何枚かカウントする上、5枚毎にスロットが動いて、当たるとキーホルダーみたいのがもらえるんです。こんなシステムだから、一人何枚食べたかってあんまりわからないんだけど、エビラー の私、エビのしっぽは、この穴に入れれないので、テーブルの上に残るわ毛です。エビばっかり食う私に父ちゃんが、「エビのしっぽの数、数えよか?」 と。どれだ毛、エビ食ってんのか、想像ができますでしょうか(笑)あと、これも恒例の「母ちゃんのたこ焼き」手タレ by 母ちゃん(笑)このたこ焼きにも思い入れがあって、私が長期海外に飛び立つ前、そして帰ってきた時には、よく母ちゃんが焼いてくれたものです。母ちゃんがたこ焼きを作ってくれると、そのときどきのことを思い出すのです。生まれる前から知っているふたりの娘も、長女のあおい(仮名)は小学1年生になり、次女のすみれ(仮名)は幼稚園の年中になりました。あおいは得意げに、ダンナに漢字を教えてくれました。1年前は文字を書いていた記憶がない、すみれもかなり文字を書けるようになって、お姉ちゃんを見習って、毎日日記をつけるようにもなっていました。最終日、恒例のお手紙をもらいました。(去年のあおいの手紙)今までは、あおいからだけだったけど、今回はすみれからの手紙もありました。『あおいからの手紙と絵』あれっくす(ダンナの仮名)とごんちゃん(私のニックネーム)へ日本にきて いっぱいあそびましたね。ごんちゃん かぜだいじょうぶ。アレックス いっぱいあそんでくれてありがとう。あおいもうれしいです。あおいより『すみれからの手紙と絵』(封筒)あれっくすとごんちゃんへすみれよりゴンちゃんだいじょうぶねまたあそぼうね* ふたりが「だいじょうぶ?」と言っているのは、私が大阪滞在中、風邪をひいたからであります。小学校に上がった、あおいの手紙は、もう母ちゃんの説明がいらないほど、キレイでしっかりした字になり、さらに漢字が加わりました。(ここにかなり感動 (ノД`) )すみれの分はまっすぐ書いてないので、母ちゃんが囲いを作った上、どこから読むのか矢印を付けてくれています。4歳児らしいなーって思うのは、「゛」が右じゃなくって、左側についているところ。なので、「ゴ」が 「゛コ」 になっている。これを母ちゃんに指摘され、間違っているのを認識したすみれだけど、「これも思い出」と言って、訂正しなかったそうです。大物だな~(笑)子供達が寝てから、ダンナが黒板にふたりへのメッセージをしたためました。日本語で表現ができないので、絵で「スイスで待っているよ♪」を表現。すみれのマネして、「ゴンちゃん」が「゛コンちゃん」になっております(笑)私達の大阪滞在が終わりました。いっぱい話して、いっぱい笑ったね。しょっちゅう会えない私達を、「家族」としていつも温かく迎えてくれてありがとう。あなた達は、私達のもうひとつの「家族」遠く離れていても、いつもあなた達「家族」のことを、大切に思っています。ありがとう、そして「家族」のみんな、大好き!大阪から長野の実家に戻ると、もう11月。免許の更新やら、実家の両親との1泊旅行と、11/5の帰国日まで、あっという間に過ぎていきました。帰りのフライトでは、急病人が出るアクシデントもあり。初めて機内放送で「乗客のみなさまの中で、お医者様か看護士の方はいらっしゃいませんか?」というのを聞きました。不謹慎だけど、ドラマみたいーと思ってしまいました。実際、機内には医者、そして看護士が数名いたのにもびっくりしました。急病人が出たのは、日本海を超え、ロシアに入った辺り。相当ひどい場合は、日本に引き返す場合もあるのかなーと思ったけれど、何事もなかったようで、無事にヨーロッパに着きました。スイスに慣れるまでは、あんまり里帰りしないで、スイスで頑張った方がいいんじゃないか、って思うことが、今までどこかあった。どこか意地を張っていた気がする。でも、今回の里帰りで、ひしひし思ったこと。意地を張らずに日本に帰ることって、自分のために大切なんじゃないかって。両親に顔を見せること、これって親のためでもあるけど、自分のためにもつくづく大事なことだなー、って思った。大好きな友達に会うこと、そして話すこと、これだけでどんだけのパワーをもらったことだろうか。正直、今度いつ帰るかは今のとこ未定。でも、私の大切な人達に会いたいって思ったときは、意地張らずに、お金と時間が許す限り、日本に里帰りしようって思った。だって、そうすると、またここスイスで頑張ろうって思えるから。日本滞在記2006、やっとこ(笑) 【完】
2007.01.22
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異常なくらい暖冬なんですが、大荒れ模様のおスイスです。今宵、強烈な嵐が来ると言っていますが、すでに朝から風がかなり強く吹いていて、夕方から、それに雨が加わりました。いつもは夕方に買い物に行く私も、今日は嵐が来る前にと、午前のうちに済ませました。スイスの主婦らしく(爆)、ね。毎度木曜の午前にミグロ(スーパー)に行く義両親と案の定ミグロで一緒になり、一緒に帰ってきました。バスを待っている間、義父に「今晩、嵐が来るんだよね?」と、会話のネタにふってみました。ドイツ語で「嵐」は、Sturm(シュトゥルム)。でも、言った後気付いたけど、私の発音は シュトロームになっていて、シュトローム(Strom)は、「電気」の意味があり、私の質問文は、「今晩、電気が来るんだよね?」となっていたと思われ、おまいさん、何時代に住んでんねんっ!と、自分で自分をツッコミたくなるようなものでした ( ̄∇ ̄*)ゞ義父はちゃんと私の意図することを汲んでくれてましたが、外国語って、むぢゅかしい・・・。さてさて、まだまだ続いておるんかいっ、の 「日本滞在記」ちょっとピッチをあげて、早く書いちゃいたいと思います。もう数ヶ月も前のことですしね~ ( ̄∇ ̄;) 今回は10月下旬の大阪に行ったときのことです。**************************************ハワイから成田に着いて、実家に直帰、そこで3日ほど過ごし、志賀高原に行ったり、紅葉を見に両親と出かけたりしました。その後、日本に帰ったら絶対に外せない、私の第2の故郷・大阪に向かいました。大阪では、ちょうど1ヶ月前に東京で初対面を果たした自称25歳の修学旅行の夜のメンバー、∞ふぅ∞ちん との ランチデート♪♪グルメな彼女に、ダンナの好物のお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいましたー。行列のできる店で、うまうま。場所を変えて、ダンナちょっとそっちの毛で、ふぅちんといろいろお話することができ、満足満足。彼女のアドバイスのもと、狙っていたものもゲットできて、満足満足。彼女の頑張っている姿、さらにステップアップをしようという姿に、ワシも頑張るべーっと、かなりパワーをもらってきました。東京で会ったときに、モーモー柄の5本指ソックス、ダンナにも唐草模様の5本指ソックス、ほかにもいろいろたくさんいただいたのに、今回もいろいろいただいてしまいました。私のツボをくすぐろうとする、彼女のセレクション(笑)、その中でも目立ったのが、こちらっです。業務用(笑)スイスで鍋物屋でもしろってか?!(爆)これは、スイスで自作の「なんちゃってポン酢」で乗り切っている私への彼女の心配りだったんですね~ (ノД`)重くて持って帰れなかったので、船便で送ったんだけど、1月に入って届いたから~。ふぅちん、あらためてダン毛ぇ~。この冬は鍋三昧で、ポン酢つかいまくるぞ~!ちなみに、そのときの彼女の日記では、アホアホ夫婦の2ショット?が見れます ( ̄∇+ ̄)vキラーンふぅちんとのデートの後は、親友Nの職場へ。彼女の残業につきあい、いやそこで待っていただ毛だけども(笑)、仕事が終わり、居酒屋で軽く食べてから、Nんちに行きました。翌日は、3人で京都へ♪みんなの意見が一致して、まずは銀閣寺。東山は京都の中でも大好きな所なので、よく来るのだけど、哲学の道の南から入るため、いつも銀閣寺に着く頃には、閉館時間という感じで、ダンナと一緒に入ったことがありませんでした。紅葉にはまだ早かったけど、1本だけ赤くなっている木がありました。哲学の道で秋探しその晩は、Nんちで鍋をしようってことで、京都で外食せずに帰りました。10月下旬とはいえ、まだ日中は半袖でOKな気候で、鍋はちと早い気もするが、うちらの中では、鍋が恒例になりつつあるので、決行!鍋はうまいな~ (゚ーA゚) フキフキッそして、鍋の後はNのサプライズが待っていました。1ヶ月早いけど、日本にいるうちにと、こっそりバースデーケーキを用意していてくれたのでしたー。泣かせるな~、N (ノД`)モンブランだすぅ。翌日はどんより天気の中、大阪ミナミへ。何度来ても、くいだおれ や かに道楽とかの写真を撮ってしまうのはなぜ?(笑)私のツボをくすぐったお店の名前。日本の都会っちゅうのは、移り変わりが禿げしく、道頓堀に「ドンキホーテ」ができ、観覧車までできていました。(上のミナミの写真、左下)もちろん、乗りますっ、乗りますっ。上の写真は、一番高いポイント辺りからこの観覧車は、Nのかなりお気に入りで、彼女自身もう3回乗っているらしい。正直あまりキレイな景色が見れたわ毛じゃないけど、フツーの観覧車より、とてもゆっくり動くので、じっくり楽しめます。夜の道頓堀うちらの大阪滞在はまだまだ続くぅ~。
2007.01.18
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あれはー、ハワイ島5日目、10/15の朝のことでした。自分らのペースで行動していたうちら、朝7時ちょい過ぎなんて、もちろん寝ていたわ毛ですが、ガタっという揺れで、飛ぶように起こされました。ガタガタガタ・・・・1分も続かなかったと思います。ベッドの上で、ダンナと体を寄せ合っていました。体感で震度4くらいだったと思います。阪神大震災のとき、京都で震度5強を経験しましたが、それよりはずっと小さかったので、そう感じました。最初にガタっと来たのは、縦揺れだったかもしれないけれど、それはほんの一瞬、あとは横揺れでした。阪神のは縦揺れだったから、もっとすごく感じた。とりあえず、部屋の被害は、ランプシェードが落ちたくらいでした。天井が落ちてくるほど、大きな地震だったらどうしようもないけれど、ベッドの下にはスペースがないし、天井にはライトとかつっているものは何もないし、今度地震が来たら、部屋の真ん中にいるのが一番いいと、ダンナに話していました。5分もしないうちに、第2震がきました。これは震度3くらいに感じました。それ以降、体に感じる余震はありませんでした。(実際は数時間後にあったらしいが、気付かなかった。)トイレに行こうと思って、バスルームの電気のスイッチを入れてみるけど、つきません。停電のようです。ベッドサイドのデジタル時計は、第2震の時刻で止まっていました。トイレの下が水で濡れていました。揺れでトイレの水が出てきたようです。ダンナがフロントに電話をし、避難をした方がいいのか尋ねると、部屋にいてくれ、とのことでした。シャワーを浴びたかったけど、お湯どころか水の供給も止まっているのかわからないので、歯だけ磨き、適当な身支度をして、部屋で本を読みながら待機することにしました。震源地がどこかはそのときわからなかったけれど、外の様子を見る限り、大きな被害は見えません。泊まっていたホテルが古かったので、多少の不安もあったけど、なにがこわかったって、津波でした。海はすぐそこ。ハワイではどれだけ津波の知識があるのだろうか。実は前夜、ディスカバリー・チャンネルで、スマトラの津波のことを4時間近く見て、「海がすぐそこだよなー。」なんて思いながら、寝たのです。(津波はありませんでした。)最初の地震があってから、3~40分位後、部屋を強烈にノックする音とともに、「避難して~」 の声がしました。ダンナがドアを開けると、ホテルのスタッフ。スタッフは各部屋を回り、客に避難することを伝えると、ドア(古いから木)に、チョークで×印をつけていました。貴重品だけを身に付け、エレベーターはもちろん動いていないので、非常階段で降り、外に出ました。外で決まったとこに集まったり、点呼があったわけでもなく、ただホテルの周りで人がうろうろしているだけ。中に入ることは、許されませんでした。中に入ることが許されたのは、薬が必要な人、今日のフライトで島を出る人のみで、スタッフの誘導であがることができました。消防車がホテルに来たけど、誰も運びこまれず、大したことがなかった模様。外で1時間以上待った頃、地階は安全が確認されたので、地階のみ入ることが許可されました。ホールにはパイプ椅子が並び、サンドイッチ・クッキー・飲み物が配給されました。あいかわらず、部屋にあがることができるのは、薬やフライトのため荷物が必要な人のみ。待っている間、ホテルの外をうろうろしていると、いろいろな被害を目にしました。ホテル内のABCストア、物が床に落ちて散乱していて、店長が片付けていました。ステンドグラスショップも物が落ち、ガラスだから壊れて散乱していました。そして、ホテルのレストラン、ここは朝食会場でもあるのだけど、大きな窓ガラスが、思いっきりかけていました。朝食は6時半からいけたはずで、地震があった時刻はお客さんがいたかもしれません。でも、ケガ人が出た話は聞いてなかったので、ホントーによかったし、毎日、同じテーブルに座ったわけではないけど、一度ガラスが落ちたテーブルをうちらも使ったことがあり、それを思うと、ゾッとしました。宿泊客が待たされている間、ホテルスタッフは各部屋を回り、被害状況、再び使用可能かを確認していました。10時半位から、下の方の階から入室が許可され始めました。エレベーターは使用禁止で、非常階段で。うちらは5階だったので、かなり待たされましたが、11時半くらいにやっと入室することができました。ほとんどの部屋は安全が確認されたけど、一部の棟は部屋を移動するように言われました。その棟へのアクセスは、それから数日はテープが張られ、客の出入りが禁止されていました。ちなみに閉鎖された棟は、このホテルで一番高いと思われる「オーシャンビュー」。せっかくなら、オーシャンビューの部屋がよかったわ毛だけど、予算オーバーのために、うちらはあきらめ、「パーシャル・オーシャンビュー」を予約、チェックインのとき、密かにアップグレードを期待してたけど(笑)、なかった。運よく、オーシャンビューの部屋が取れたとしても、移動しなきゃいけなかったから、結果的に、あれでよかったと思う。その後は自由で、部屋に滞在してもよかったけれど、なんとなく落ち着かないし、天気はいいしで、うちらは近くの海岸までドライブをし、そこでゴロ寝していました。道路は一部閉鎖されていましたが、主要道路のほとんどは大丈夫だったと思います。ただ路肩に地震で崩れた岩や石のため、片道通行の場所もありました。車のラジオでいろいろな情報を得ました。うちらがいたハワイ島が震源で、滞在したコナから北へ30分程のところ。空港に結構近かったです。それでもコナ国際空港は一時閉鎖されたようだったけど、その日の午前のうちに開港されていました。夕方、ホテルの部屋に戻ると、電気も復旧していたので、テレビニュースを見まくって、情報を得ました。震源地のハワイ島よりも、200キロも離れたオアフ島の方が大変だったようで、そのニュースばかりやっていました。ハワイ島は14時くらいには電気は戻ってきていましたが、オアフ島・ワイキキでは一日中停電状態だったようです。ガソリンを求め、行列を作る車、水や食料を求め、行列を作る人々。停電で機能しない空港で、足止めをくらった観光客の様子などなど。その日オアフ島は一日強い雨だったらしく、それも原因だったと思われます。その日のコナは、うちらが着いて以来、一番いい天気で、でも、その夜はオアフ島に雨を降らせた雲がやってきて、嵐になりました。ハワイ島にしろ、オアフ島にしろ、けが人は大してなかった模様。だから、うちらの中では、「地震に遭っちゃって、半日時間を無駄にしたけど、大したことがなくってよかった。」で、終わっていました。日本にもスイスにも連絡はしてませんでした。ニュースで、けが人はほとんどないと伝わっていると、思ったから。しかし、日本に帰ってくると、この地震、かなりなニュースになっていたみたいで、父親が英語ができないのに、ホテルに電話をしたことがわかったり、(「ジャパニーズ・プリーズ」と言ったらしいが、「ノー」とか言われて、切られたらしい)久しぶりに開いたメールボックスには、複数の友達からの「大丈夫?」のタイトルのメールが続き、ホテルに電話してくれた友達もおり、日本に帰ってくる頃、実家に電話してくれた友達もおり、ホントーに申し訳なかったです。今さらながら、ご心配おかけしました 地震のあった日の午前のコナこの頃はアイアンマン(トライアスロン世界大会)の直前。地震に関係なく、たくさんのアイアンマンが練習してました。そして、この日はハワイ島に着いてから、コナで一番いい天気でした。かーこちんがメールしてくれた当日のニュースを、そのままコピペ。【ロサンゼルス15日共同】米地質調査所(USGS)によると、米ハワイ州ハワイ島沖で十五日午前七時七分(日本時間十六日午前二時七分)ごろ、マグニチュード(M)6・6の強い地震が起きた。津波の恐れはないという。AP通信によると、負傷者などの情報はないが、ハワイ島で地滑りが発生、高速道路が不通になったほか、約二百キロ離れたオアフ島を含む州内各地で停電が起きた。停電は豪雨が原因との情報もある。USGSによると、震源はハワイ島西側沖合で、震源の深さは約三九キロ。M5・8の余震も続いた。ロイター通信はハワイの太平洋津波警報センター関係者の話として、津波警報は出されていないと伝えた。オアフ島には日本人旅行者が多く、在ホノルル日本総領事館が在留邦人に被害がないかどうか調べている。【ロサンゼルス15日共同】米CNNテレビによると、十五日米ハワイ島沖で起きた地震で、オアフ島ワイキキ地区の約90%の地域が停電となった。地震の翌日行った、火山国立公園のキラウエア・ビジター・センターにはられていた地震情報。火山のあるハワイ、地震には慣れているのかと思いきや、今回の地震は、約20年ぶりのものでした。もちろん、体で感じない地震は毎日あるようです。地震と津波の多い国出身の者としては、ハワイの対処の仕方が、決してスムーズだったとは言い切れない。それでも、ホテルの対応はよかったと思う。部屋を移動することで、ちょっともめていたお客に、「私達の一番大切なことは、お客様の安全なんです!」と、熱弁していたマネージャーの印象が、かなりあるからでもある。ただ思ったのは、自然災害っていつどこで起こるかわからない。火事もそうだが。今回の地震は「土産話」程度で済んで、ホントによかったな・・・と。それにしても、うちらって台風に地震にハプニングが多いっす ( ̄∇ ̄;) ダンナは2年前北海道で震度3くらいの地震を経験しており、(ついでにそのとき台風も)今回のはハワイだったけど、日本と言えば、「台風と地震」にすっかりなってます ( ̄∇ ̄;)
2007.01.15
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先週の土曜日、スイスの大都会(爆)チューリッヒに繰り出しました。いやー、すんごい人。もちろん、目当てはバーゲン品あさり。この冬になってから、なんとなく探してて、試着も何回かしたけど決めれなかった冬用のジャケット、この日ある店で一発で気に入るのが見つかり、ご購入。あと、とある店のワゴンセールで、私色のスカーフを見つけ、ご購入。ダンナも探してたスニーカー、履き心地もよく、サイズもぴったりのが見つかり、ご購入。戦利品は3品だけど、お気に入りのものがすんなり、それも安く買えると、なんてこんなに しあわせ~♪ なんでしょー。単純ともいう(笑)さてさて、芸能人のお正月といえば、ハワイ。芸能人気取って、ももも。夫妻もハワイに行ってきました。もう芸能レポーターに囲まれちゃって、たいへ(x_x) ☆\( ̄  ̄*)バシッ ・・・えっとーっ、ハワイに行ったのは事実。去年10月の話ですがね。はい、去年から予告していた「ハワイ島旅行記」、やっとこUPしたいと思います。今回のチケットではオアフ島かハワイ島の選択肢、もしくは両方滞在できたのだけど、友達からの意見を参考に、自然がいっぱいのハワイ島のみにし、なんちゃってハネムーンと称し、せっかくならと結婚記念日に合わせてみました。結婚記念日10/10、一日東京で過ごし、21時のフライトでハワイ島に向かいました。で、時差が19時間あるので、ハワイ島に着いたのは10/10の午前10時前。結婚記念日が2倍楽しめちゃうーと興奮していたわ毛ですが、カラッとしているよーと聞いていたハワイ、それはそれは湿気がすごくって、さらに午後からは雨、暑さと湿気と時差ぼけで、結婚記念日であった第一日目は大したことしてませんでしたー。空港の入国審査では、どえりゃー待たされるし、暑いし、拠点にしたコナは雲が覆いかぶさっているし、空気は湿気で重いし、実はハワイ島に着いてからの印象はあまりよくなかったのです。なぜ10月にしたかという理由に、天候のこともあったのです。どこぞで読んだら、11月からは雨期とのこと。ならば、それ以前に行こうと思って。しかし、それはハワイ島、特に島の西側のコナに関しては違いました。マカデミアナッツ・ファクトリーの日系のおじさんいはく、この時期、西のコナは天気が悪く、逆にいつも雨と言われる東のヒロは天気がいいそうです。確かにヒロはいい天気だったー。今度来るなら、コナには冬にいらっしゃいと言われてしまいました _| ̄|○ ガクッコナを拠点にしただけで、レンタカーを借りて、いつもどこかに出かけていたのだけど、一日の中で、ハワイらしい青々した空が広がっている所、どんより曇っている所、雨の所、いろんな天気に出会いました。島の真ん中に2つの4000m級の山があるから、雲が留まったりして、天気もいろいろ。ちなみにこの山も下界から姿を見ることは、マレでありました。ハワイ島に滞在したのは8日間、いろんな所に行きました。撮ってきた写真もすごい量で、今回ブログにUPするのに、どれにしようかかなり悩み、そして、できごとを細かく書き綴っていると、とんでもない長さになるので、景色の画像中心でいきたいと思います。コナ国際空港に到着とっても非モダンな空港。写真右の白いテントみたいのが、入国審査場。クーラーなしで、扇風機が回っていた(笑)カメハメハ大王像左は、カメハメハ王の生誕地・ハワイ島北部・カパアウ(Kapaau)右は、第3のカメハメハ像といわれる、ヒロ(Hilo)の像。ポロル渓谷(Pololu Valley)左上は、近くのKeokea Bay。ワイピオ渓谷(Waipio Valley)マナ(霊力)が谷に住む人々を守っていると言われている渓谷。見づらいが、右下写真の奥、雲がかかっているのはマウイ島。コナ(Kona)と虹コナはほぼ毎日夕方頃、雨になった。コナのサンセット夕方雨が多かったので、サンセットを見れたのは数日のみ。コナ沖でカヌー波は大きかったが、カヌーは安定していた。キホロ湾(Kiholo Bay)この辺りは晴天率高し、石の海岸だが、人はほとんどいない穴場。プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園(Puuhonua O Honaunau National Historical Park)神像・ティキが並ぶ、古代宗教の聖地を再建した国立公園。アメリカ最南端の地・カ・ラエ岬(Ka Lae)サウスポイント(South Point)とも言う。高さ10mのサウスポイントから飛び込み私は下を見るのが精一杯(笑) ここの海の透明度はすごかった。サウスポイント・ロード周辺の景色かなり寂れた感じ。プナルウ黒砂海岸(Punaluu Black Sand Beach)ウミガメがお休み中、うちらは感動中。キラウエア・カルデラ(Kilauea Caldera)とハレマウマウ火口(Halemaumau)周囲約12kmのキラウエア・カルデラの中に、直径900m、深さ400mのハレマウマウがある。ハレマウマウ火口(Halemaumau)チェーン・オブ・クレーターズ・ロード(Chain of Craters Road)溶岩が道路や標識、建物を飲み込んだ。チェーン・オブ・クレーターズ・ロードはここまで。向こうには今もなお溶岩が海に流れ込み、白煙を吹き上げる様子を見ることができる。マウナ・ケア山頂(Mauna Kea 4205m)付近(左中)夕日でできた「マウナ・ケア」の影 (右中)マウナ・ケア山頂(左下)もうひとつの4000m級の山、マウナ・ロア(Mauna Loa 4169m)(右下)スマートで足が長いうちら(爆)展望台とサンセット一番左が日本の展望台「すばる」それぞれの写真右奥、雲海の上にちょっと山のように見えるのはマウイ島。雲のない日は、マウイ島の海岸線も見えるそうです。山頂からのサンセットおま毛・サンセットを待つ日本人観光客のみなさんうちらももちろんここにはツアーで行ったのだけど、この日は5台ほどのワゴンが来てました。私はダンナがいたので、日本語ツアーには参加できなかったけど(こちら日本風弁当付っ!)、5台中の4台は日本語ツアーでした。下界は30度以上だというのに、ここは零度。もこもこのジャケットもツアーで用意してくれるけど、いやー寒かったー。こんな感じです。最初の印象はあんまりだったけど、日に日にハワイ島が好きになってきて、癒されて、もうちょっといたいなーって思った頃、帰国でした。暑いの苦手な私は、あのとき、ちょっと余裕がなかったのも事実で、あらためて、撮ってきた写真を見ながら、その余韻に浸っています。特にこの青さ、どんより冬のスイスじゃー、なかなかお目にかかれないしねー。それから、もちろん?!ハプニングもありました。このハワイ島滞在中、数十年ぶりという地震にも遭遇しちゃったのです。そのことは、次回に!
2007.01.09
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Ein glückliches neues Jahr !あけましておめでとう!あれよあれよという間に、2007年になってしまいました。年末にその年を振り返った日記を書こうと思っていたのにー ( ̄∇ ̄;) 3日から通常運転の我が家、お正月という気分はいっさいありましぇん。ま、海外での年越しっていうのは何度やっても物足りないもので、年末年始は日本がええわ~と思いますです。今さらジローですが、クリスマスはいつものごとく義両親のとこに集まり、みんなでフォンデュ・シノワーズを食べ、プレゼントを交換し、夜中までカードゲームで盛り上がりました。去年の日記を読んでみると、全く一緒なのでホント特筆することはありませんが、おばあちゃんがいなくなって、いつもの席が空いていたのは、しんみりしたなー。26日は mitchちゃんの新居にお呼ばれし、おいしいアルザス料理をいただきました。ピッカピカの新居がうらやましくって、何度「いいな~」を口にしたことでしょうか(笑)去年(というには最近すぎる・笑)のクリスマスからダンナは休暇に入り、1/2まで二人でくさりそうなくらいダラダラ~な年末年始を過ごしました。特筆できることと言ったら、映画を観に行ったくらいか(笑)「HAPPY FEET」を観たのだけど、かなりよかったですぅ。あとは家で、DVD観賞(フレンズ)とお絵描きパズルばっかりしてましてん。フレンズを観るの、これで実は3回目なんだけど、何度みてもハマる。ちなみに、ダンナはもう6回近く観てるんじゃないかなー(笑)2006年は私にとっては、試練の年だった気がします。特に前半は落ち込むことが結構あって、ま、すぐに這い上がってみるものの、またパンチくらって落ち込む・・・ってのの繰り返しでもありました。他人の言葉や状況に振り回されない、強い心がほしいと何度も思いました。同時に人の状況を察することのできるやさしい心を持つ人になりたいとも、何度も思いました。後半は落ち込むこともだいぶ減って、前向きに進んでこれたと思います。とはいえ、年末の最後の最後に久しぶりに落ち込んだりもしてました、実は(苦笑)「終わりよければ、全てよし」 になるつもりだったんだけどなー ( ̄∇ ̄;) 2006年でよかったことは、特に後半、いい出会いがいくつかあったこと。いい出会いは、パワーをくれるし、気持ちがほっこりします。あと、いっぱい自然の中を歩いたな~。これは私にとっての癒しであるので、だいぶここからパワーをもらった。日本に帰って、大好きな友達に会って話せてうれしかったな~。かなり元気になったもの。いつもありがとー♪2007年、どんな年になるのかな?今年の干支はイノシシ。猪突猛進 ε=ε=ε=ε=ε=┌┤ ̄(●●) ̄├┘ブヒヒヒィ!!!という言葉が、結構ぴったりくる私。(年女ではございません)その通り、決めたらトコトンなのでありますが、決めたらすぐに結果を欲しがるというか、そこにたどり着くまでの過程がめんどくさく、すぐさま手に入れたいって思うように年々なっている気がします。もっとガマンして、地道に努力しようぜっ、自分って感じです。ついでに今年は誰が言ったか(って知ってるけど・笑)、私、大殺界 に突入らしいゾ Σ(゚∇゚|||)まー、これに関しては信じたくないのが本音でありましてー、でも、引き続きまた試練の年になるとは思うけど、自分らしく、自分のテンポで進んで行きたいな、と思っておりまする。あと、永遠のテーマのドイツ語 もね、頑張ってくれよ、自分ってな感じです(笑)こんなワタクシではございますが、今年もよろしゅうお願いいたします。みなさんの2007年がますますハッピーでありますように ( ̄人 ̄)
2007.01.03
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