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桃太郎715

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January 15, 2011
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本日2回目の投稿。にんにくで元気になりすぎたか?

さてさて、先日ブックオフに寄り、黒柳徹子さんの本を2冊買いました。

初めて黒柳氏の本を読んだのは今から30年近く前だったと思う。あの有名な「窓際のトットちゃん」である。

これは私にとって3冊目だ。

読んでいて涙が出そうになった。

黒柳さんはLDかと言われているが、トモエ学園で最適な教育を受けた。そしてそこで「みんなでいっしょに」という小林校長先生の素晴らしい教育を受ける。戦争で学校はなくなってしまうが、トットちゃんは約束を守り続ける。かわいそうだから差別しない、というのでなく、「どうしたらみんなでいっしょに幸せになれるか」ということをごく自然に実践できるのである。本当に教育の力って素晴らしい。

対談相手の鎌田先生というドクターは拾われっ子だったそうだが、その事実を30歳過ぎるまで知らずに育った。貧しい家庭で大学進学も反対されたけれど、最後には「自分の力で生きること。人のために働くこと」を条件に父親の許可が降りる。鎌田先生の育ての母は心臓病で入院していて、お父さんは運転手をしていたので夜、一人でいることが多かった。近所の人たちに助けられて大きくなった。だから、自然に人を助けると言うことを身を持って学び、今、医師として、世界中の子ども達を助ける活動をしておられる。

日本の子どもたちは物質的には恵まれているのに、今、不登校、いじめ、自殺、虐待など不幸せな事件が多い。無気力である。難民の子どもたちに自殺願望はないそうだ。必死で生きようとしている。日本では自殺する子どもがとても多い。なぜなのだろうか。これは、今、一言で私自身の考えを言うことは難しい。ただ、自分も含め、子どもたちも、人を助ける喜び、自分が役立っている、必要とされる喜びがないからではないだろうか・・・ということを少し思ったりはする。そんな単純なことではないのだけれども。

私は過去を振り返ってみた。私は誰と何を約束してきたのだろう。



私もやはり近隣に助けられていたと思う。

近所のおばちゃんたちは、私のことをよく知っていた。だから、私が自転車になかなか乗れなくて、練習していて転んでばかりいたことも知っていた。乗れた時はみんな喜んでくれた。いつも、自分の子どもを怒鳴りつけているオバチャンも私が目を輝かせて自転車をガタガタ道で走らせていると家の前で手を叩いて喜んでくれた。そのオバチャンちでは子どもがちょっと、今で言う「虐待」に近い躾がされていて、長男は幼い時から立派な?不良だった。私より6歳くらい年上だったと記憶している。そのお兄ちゃんは乱暴な躾でグレていたのだが、私たち兄妹には優しかった。私がボールを転がしてしまうと拾ってくれたのを覚えている。兄も意地悪仲間からかばってもらったことがあるらしかった。だから、私は「不良」と言われている子どもたちだって根っこは悪い人じゃないって小さい時から肌で感じて知っていた。でも、目の前で万引きとかされると流石に引いたが・・・

母はその住宅内では若い母親だった。みんなより年下だった。その母にどのオバチャンも親切だった。私が不当に怒られていると「あんなに親の手伝いをしている子をあんなふうに叱っちゃだめ」とかばってくれた。私には逃げ場があったと思う。

隣に住んでいるおばさんは精神病を患っていたので発作が起きるとうちにも怒鳴り込んできた。押入れに俳優をかくまっているとか興奮していたのを覚えている。でも発作が起きていない時はやさしいおばさんでニコニコして私にお菓子をくれようとするのだった。そのおばさんを介護している老夫婦は大変そうだった。いつも小さくなっていた。うちに怒鳴り込んでくるので母はとうとう怒り、隣に文句を言いに行こうとした。私の父は大変な遊び人で困りものだったが、でもいいところがあった。「自分の娘がいつかそういう病気になったらどうするんだ。そういうことも考えろ」と母を止めたと聞いた。父もいいところがあるんだ、と初めて?知った。私が精神病にたいして偏見がないのはあの隣のおばさんのお陰なのである。

私が不良とか呼ばれる子たちが実は心が優しいと知っているのはあのおにいちゃんのおかげなのである。そのおにいちゃんは少年院から刑務所、極道と走り、若くして死んだ。可哀想な人生ではあったけれど、私は忘れない。

両親は親戚ともうまくいっていなかったから、私たちを助けてくれるのは同じように貧しい近隣の人たちだった。あの頃は虐待だのなんだのと言っても歯止めが利いたのではないだろうか。密室育児ではなかったから。虐待なんかしたら、知れ渡るし、止める人たちもちゃんといた。助けも求められる時代だった。私はオバチャンたちやおねえちゃんたちが大好きだった。

まあ、その後、成人してからもいろんな出会いをしているが、私は誰と何を約束してきたのだろうか。少なくとも、あまり生かしてこなかった。これからどのくらい余力があるかわからない。でも、できることから始めよう。この本は私にそんなことを決意させてくれたのだった。





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Last updated  January 16, 2011 12:27:34 AM
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