全2228件 (2228件中 1-50件目)
ネットで面白い記事を読みました。子育てについて、です。こどもが親と遊んでくれるのは10才まで。その後は友達の方が良くなっちゃう。そして、小さいうちはとにかく手がかかる。やっと少し手がかからなくなると、金がかかる。思春期以降の学費、部活費、確かにお金かかったなあ。成人式のイベント準備もあるしね。そして、手がかからなくなり、お金がかからなくなると…こどもは出ていきます(笑)なんや、うちのことか。というか、みんなそうなのか。嵐のような子育て時代だったなあ。嵐を巻き起こして、落ちつくと自立して出ていくのだ。取り残された親は…自立して出ていった方は自分の意思だからいいけれど、こちとら、あれあれ、なんでー?でも、仕方ない。動物なのだ、人間も。クジラは授乳期関中、暖かい地方の海にいる。そこではエサは取れないかわりに、我が子をエサにされるリスクも少ない。そして少し大きくなると寒い地方へ向かって親子で泳ぎ出す。授乳しながら。めでたくエサの豊富な寒い海に到着すると、母子はここでお別れなのだ。母クジラもずっと食べていなかったわけだし、子クジラはもう自分でエサを探せるから。もう一緒に泳ぐことはない。なんとも潔い別れではないか。私は正直言うと寂しい気持ちに時々なるけれど、でもこれでいいと思う。私も年を取った。衣食住の世話をし、学費を稼ぐ、もうあんなパワーは残っていない。人によっては孫育てに追われるようだが、私にその機会は今のところ未知数というか、もう、娘に使い果たした。もう稼げないし、パワーも落ちた。残りの人生は私が主人公。母親はどうしても脇役だし、脇役だって結構面白いのだが。仕事もずっと続けさせてもらえたし、というか働かなきゃ娘に教育を施すことはできなかったから必要に迫られた上での仕事だったが私の人生の大半は仕事だった。私の子育て時代はまだまだ専業主婦優位の時代。「あんなに小さい子を預けて」などなど、一通り言われたっけ。こどもが、病気のときは辛かったな。どこかのブログで読んだような気がするが「こどもが高熱を出しているのに、父親が見ているなんて。こどもは病気のときは母親に見てもらいたいはず。そんなにまでして仕事したいですか?」と書いてあって、令和でもこんなことを言う人、まだいるんだと驚いた。夫婦交代で看病できるのはまだありがたい方なのに。どちらも親なんだから。こどもはお母さんの方が好き、というのも偏見です。私は父の方が好きでしたもん。それに仕事したいですか?って…働かなきゃやっていけない人たちのこと、わからないんだな。当然専業主婦だろうから、仕事で求められることもわからないのだろう。でも、そんな言葉も今の私には無縁ですね。今は主役。老化してきているけれど、やりたいこと、やれなかったことがいっぱいあるんだもん。まだまだ、これから!と思いつつ、思いきり疲れて寝ています。睡眠不足なのです。最近寝付きが悪くて。運動しても眠れない。お休みのときは朝寝坊できるけれど、仕事の日は起きなきゃいけない。睡眠不足でも起き上がります。明日休んで、明後日また仕事です。寝溜めしておこうっと。
October 3, 2025
コメント(2)
AI娘が欲しい。たまに娘に愚痴りたくなることはあるが、忙しいだろうし、年寄りの愚痴など聞くのも面倒だろうし、結構我慢している。こんなとき、娘AIがあったらなあ。娘のことを学習したAIと対話するのだ。AIなら下らない悩みでも夜中でも朝でも遠慮はなかろう…と書いていて気付いたが、朝は愚痴をいう気にならないことが多い。ギリギリまで寝ているせいか。悩みはあるのだ。サボりたいとか。娘にラインをして娘AIが欲しいと書いてみた。娘は❓️マークである。つまり、下らない悩みでも合理的な娘に判断してもらえたら気楽になりそうなのだ、と書いた。「直接相談してくれたらいいのに」そうはいかないからAIが欲しいのだ。「で、何を悩んでるの?」それがまた母や叔母のことなのだ。でも詳しくは書けない。暗すぎるし、娘は長文ラインが嫌いだし…ユーモアを交えて短文で書いたらこうなった。「ばあばや叔母さんのことで、もうアタマにきてアタマ沸騰しそうなの。でもママが沸騰したって作れるのはインスタントラーメンくらいだからさ」娘はまたしても❓️マーク。私のユーモアが全く理解不能だったようだ。「chatGPTでも入れたら?」はあ…でもさ、あれは誰かの知能を入れてるわけだ。先日タモリと山中伸弥先生の番組でAIについてテレビでやっていた。たとえばタモリを学習したAIタモリとソクラテスを学習したAIでは返事が異なるのだ。だから私は娘AIが欲しかったのだ。AIは、諦めて土屋賢二先生のエッセイを読みまくっている。私にあのユーモア精神が学習できないだろうか。無理だった。土屋先生はかなりふざけたエッセイを書いておられるが、何しろ東大で哲学を学び、お茶大の名誉教授なのだ。同じ頭を私にインストールすることは無理だ。でも少しはインストールできるかもしれない。部分的には。還暦をとっくに、過ぎた私には遠い道のりだ。ゴールにたどり着く前にあの世行きだろう。今日もピックルボールをやったが、テニス歴の長い皆さんにお相手していただくためにはかなりの、努力が必要だ。技術というより脚力の問題だと痛感する。歩いていると私はヨタヨタしていて、お年寄りにも抜かれてしまう遅さだ。先日はヨボヨボと、駐輪場へ行ったらシルバーのおじさまに、心配されてしまった。「足が悪いのですか?」と聞かれ、悪いと言えば悪い。膝関節症だし股関節は奇形だ。「ええ、膝が悪くて…」弱々しく答えたら高齢者用の入り口近くの駐輪場に停めさせてくれた。ふーむ、高齢者の定義は65才からなので64才の私は申し訳ないが甘えさせてもらった。歩くのが遅いのに走るのが速くなるわけはない。これが、ピックルボールでの悩みだ。球に追い付かないことしばしばなので。ウォーキングでも、やれたらいいが、股関節はともかく膝に悪いし。個人プレイのダンスではまだいい。ノロマでもチームブレイじゃないから自分のペースでやれる。ただ、下手なのがめだつところにいては迷惑なので、なるべく、端っこで気配を消す努力は怠らない。しかし、毎週通っているので、顔馴染みが増えて「今日もどこで踊っているか見えたよー」と声をかけられ、気配を消す作戦は失敗していると痛感している。どうしたら気配を消して運動できるだろうか。土屋先生のエッセイを読んでみよう。解決策はもちろん、書いていない。
September 20, 2025
コメント(2)
タモリと山中伸弥さんの番組をオンデマンドで観た。認知症がテーマである。詳しいことはもう一回か二回か三回か…観ないとわからないのだが、認知症は脳内にゴミがたまって脳が圧迫されて縮んでいく、みたいな感じかな。このゴミと呼ばれる物質は害ばかりではない。免疫力として体を守ってくれている。この遺伝子を持っている人は人類の繁栄に寄与してきた。多産系なのである。おまけに、若いうちはアタマもいいらしい。45才くらいから衰えていくのだけれど。昔は人生50年だったからこれで良かったのかもしれない。しかし、人生80年、100年と予想外に長生きするようになったので認知症の問題が出てきたわけだ。それにしても、認知症の遺伝子を持つ人はアタマがいい、という説には驚いた。我が母が「賢い人ほどボケる。私は賢くないから大丈夫」というのは一理あったのだ。私は単純にもともとアタマがよろしくないとされる人はボケても違いがよくわからないだけだと思っていたのだが。その論理でいくと私もボケないはずだ。しかし、そんなに単純な話ではなさそうである。難しい話はともかく、認知症予防の話をもっと聞きたかったが意外にさらっと終わったので残念。よく言われる栄養、睡眠、運動のことにはそれほど触れられていなかった。予防の一つに「ワンちゃん」が出てきたのには驚いた。犬がいると家族に会話が増え、散歩に出かけるので自然に体もアタマも動かすし、同じく犬連れの仲間もできて会話が弾む。母が「犬がいるから散歩に行くの。この子は私の足になってくれる」と犬をほめそやしていたが、認知症予防にも役に立っていたとは!猫じゃダメなのかな。ま、確かに散歩には行けないが、生き甲斐になってくれているんだけどな。運動は別途するからいいや…と思うがよくサボる。犬の散歩はサボりにくいことは認める。あとはひきこもり、孤立化がダメなんだとー。私はすぐにひきこもるからなあ…犬じゃなくて猫飼いだし、今は多少なりとも仕事をしているけれど65才までの契約だ。仕事をやめたらひきこもりまっしぐらになりそうな自分が怖い。あまり、触れていなかったけれど、睡眠と運動で頑張ろうかな。犬がいいのはわかったが、私はここちゃんが好きすぎて、変えるつもりはない。趣味はこれといって得意なものもないし、極めているものもない。何にでも首を突っ込んでいるだけ。これは無意識のなかに、こども時代、あれもこれもやりたいのに、禁止ばかりされていたので埋め合わせようとしているのではなかろうか。それに、趣味は趣味。極められず劣等感をさらに増やしてるとは認めるが、そのときはそのときで没頭しているのだから仕方ない。こんなことをして何の役に立つのかと自分でも呆れるが、やっているときは上手くなりたいと一応向上心を持っているのだ。何の役にも立たないことほど面白い。役に立つなんて思ったら遊びじゃなくなる。人生は遊ぶためにある、と最近は開き直っている。本音はちょっとは社会貢献したいんだけどね…若いときは体力があったからボランティア活動もしていたけれど、かなり大昔の話だ。料理が出来ないからこども食堂でも邪魔になるだろうし…今は働いているからほんのすこーし寄付もできるけど、働けなくなったら…かといって衰える一方の体で前期高齢者になっても働けるとはちょっと思いにくい。働けばいいじゃん、と言われてももう肉体労働できるほど体力がないのだ。こんなに体力が落ち、足腰ガタガタになるとは3年前には思ってもみなかった。ということは3年後には…私は認知症の心配より体力の衰えを心配した方が良さそうだ。賢くないのでボケてもあまり違いがないような気がする。老後のことは先輩に聞こう。土屋賢二さんの最新エッセイ「記憶にありません 記憶力もありません」を図書館で予約した。買おうか借りるか迷っていたが、本はなるべく増やしたくない。片付けられないから。と言いつつ、時々買う。でも、予約すれば他のの図書館から取り寄せてもらえる。近隣の図書館には残念ながらなかったのだが、この、取り寄せは、ありがたい。老境を面白おかしく土屋節で書いておられるそうなので楽しみにしている。番組では触れていなかったが、読書は認知症予防にはいいんじゃないかと勝手に妄想している。
September 13, 2025
コメント(2)
今日は楽しみにしていた娘たちとのランチでした。お寿司屋さんで久しぶりにヒラメを食べたり、カニ味噌の冷製茶碗蒸しをいただいたりして、かなり贅沢なランチとなりました。一時に予約していたら、閉店は2時だと言われ、ちょっと慌ただしかったのが残念です。娘夫婦はそのまま、買い物に出かけました。デートにまででしゃばってはいけないので、私は帰りました。昨夜のホットヨガでちょっと疲れていたのもあり、お昼寝ならぬ夕方寝。昨夜も熱中症を、起こしかけました。前回は水分が足りないせいと思いましたが、ちょっと違うみたいです。この先生のヨガは下向きポーズが多いので、水分を採っても、逆流してしまうのです。下向き犬のポーズなんか吐きそうでした。常温ヨガでは犬のポーズ、まったく問題なしなのでホットヨガの環境のせいかな。先生によってポーズが違うし、止まる時間も違うので、ホットヨガは別の先生にしよう。この先生のは常温のピラティスだけにしようと思いました。でも起きたら腰痛は消えているし、足のむくみも改善されていたので効果はあったと思います。でもレッスン中に気持ち悪くなるのは辛いです。明日は朝からピックルボールです。早起きしなくちゃ!
August 23, 2025
コメント(2)
昨夜は、一ヶ月半ぶりに遠征してダンスをやってきた。なぜかというと、7月に入って猛烈な暑さに体が適応できず、電車に乗るのが嫌になったのである。何しろ通勤も自転車なので、この夏は行動範囲が狭まった。しかし、これ以上サボると、復帰できなくなるし、昨日は本当に珍しく水曜日が休みだった。昼寝して体力を温存して、夜に暴れる私。もともと夜行性なのである。スタジオで見る顔ぶれは一ヶ月半前と全く同じで休んでいたのがうそのように感じた。しかし、うそでなかった証拠にステップはめちゃめちゃ、なかなか覚えられない。みんなはこの暑い夏にも頑張っていたんだなあ。サボらなきゃ良かった。来週からちゃんと通おう。水曜日は基本的に仕事なので、終わると用意してあっても直前に嫌になる。前は缶コーヒーを飲んで気分を上げたりしていたが、どうも胃の弱い私にコーヒーはダメみたいだ。好きなのだが、刺激が強くて結局不調に陥る。今度から栄養ドリンクにしよう。これもカフェインが入っているのだが。急にやったから翌日の筋肉痛が怖かった。しかし、驚いたことに今朝、筋肉痛を起こしていないことに気付いた。これは一年ぶりか。まあ、ダンスはサボっていたが、自転車で行けるホーム店でピックルボールやホットヨガをやっていたのが良かったのかもしれない。本当に色々手を出し、すべて下手過ぎて趣味とは言いがたい。でも欲が出てきた。ピックルボールはミニテニスみたいな感じなのだが、脚力が無さすぎてボールに追い付かず、レシーブミスばかりしている。サーブしかできないのは悔しすぎる。ピックルボールもコートの確保がなかなかできないし、日程が合わなかったりして週に一回やれるかどうかというところだ。仲間ができてきて、それならば自治体の体育館を借りてやろうと盛り上がった…はいいけれど、土日は満杯なのである。そりゃ、バスケット、バレーボール、卓球、バドミントンと体育館を使いたい人達はいっぱいいるわけで。それでも遠征すれば祝日ならやれることもあるし、しばらくコート難民になりながらも週に一回は確保したい。目下の悩みはこのノロい足。これを64才の私が鍛えようと言うのである。チームリーダーの男性は70才くらいだがマシンでガンガン鍛えているからコート内を走れる。私は膝が変形しているので、マシンは下手に使うと怪我につながるため、諦めている→経験ありそれで私の鍛え方は今まで通りダンスやホットヨガを続け、できたらプールも…と思うがなかなか、プールにまでたどり着かない。でもやらなきゃ!コート内をかろやかに走れるように…無理かなあー。でも目標がないと頑張れない。ただ、健康のためにと思っているとサボるばかりだ。今の目標はピックルボールなのである。ラケットというかピックルボールの場合はパドルと言うが、本日マイパドルが届いた。ちょっと勇気のいる値段だったが最後の青春なのだ。ダンスももちろん、上手くなりたいし楽しい。でも発表会があるわけではないので、目標が定まらないのである。ピックルボールは試合形式の練習なので、盛り上がる。ちょっと、私、ゴスペル練習もあるし、エッセイも川柳もあって大忙し。仕事ももちろんちゃんとやっている。休憩時間の読書も続けている。家族がいないとこんな、ハチャメチャなスケジュールになってしまう。でも明後日は娘夫婦とランチだ。私に合わせて和食のレストラン個室を予約してくれた。家族との時間は月に一回あるかないかだけど、やはり私は娘ラブなので、そういう日はジムもなし。運動は健康のために軽く始めたはずだった。ミイラ取りがミイラになってしまった?でもボールをラケットでパシッと打つあの瞬間、ストレスなんかどっか行っちゃうんです!快感です。ストレスだらけなので今の私には必要なのだ。
August 21, 2025
コメント(2)
読み終わりました。後半はドキドキして結末が気になって仕方ありませんでした。ほんわかしたタイムファンタジーです。ただ、後書きを読んで驚きました。斎藤敦夫先生の息子さんが37才の若さで昇天され、その二年後に息子を主人公にして書いたのです。そんな…講演会でも、息子さんへの読み聞かせ体験などをしてくださり、息子愛に溢れた先生でした。どんなにかお辛かったでしょう。救いはお孫さんがいたことです。私は両親ともに長寿の家系ですが、そんなものは関係ないですね。最近、いつまでこうやって働いたり運動したり書いたり歌ったりできるのかなあと思います。衰えを感じていますから。母の主治医に面会に行ったら認知症の初期の初期くらい、と言われました。私としては精神病を疑っていたのですが89才ともなると、認知症と言われてしまいますね。それで済んでしまうのです。そういう自分も物忘れが増えていますし、体もガタガタになってきています。もう50代からそうなのですが、毎週の鍼治療で乗りきってきました。今や鍼灸院に通うお金も厳しいので、湿布でしのいでいます。だから良くならないのでしょうけれど、あれもこれもとフルタイムのときのようには大盤振る舞いできません。年金生活になったらもっと苦しいわけですから。しかし、体がガタガタというのもありますが冷房でコチコチになっているのもあります。腰が痛いのも腹筋が衰えているせいです。というわけで腰痛予防に、今日はピラティスやりました。ネーミングがハードなプログラムだったのでびくびくしての初参加でしたが、思ったほどハードではなく、ホッとしました。続けてヨガ、ズンバとやってきました。こう書くと元気そうですが、ヨガでは体が硬くて参りました。魚のポーズは前に首を痛めたので今日はパス。ズンバでは、鏡を見ると、ダルマがよたよた踊っていました…また太っちゃったからねえ。ヨガのとき、膝サポーターをしていましたが、これのお陰で赤ちゃんのポーズができない。膝がうっ血していたようです。なので、思いきってしばらく膝サポーターをやめます。体が硬くちゃ、何もできません。だいぶヨガをサボっていましたが、見事にカチンコチン。サボらずに続けようと思いました。これだけ運動したらメンタルは快復、体は疲労💦気持ち良く眠れたらいいなと思います。明日は日曜日ですが仕事です。
August 2, 2025
コメント(2)
私は基本的に寒がりだ。昨年まで、オフィスでも冷房が苦手でアームカバーをしていたほどだ。その私が暑くてうだっているのだからやはり異常だ。アームカバーなど、付ける気がしない…て、もともとあれは紫外線対策ようなので私の使い方が間違ってたんだけどね。昨日、今日とせっかくのお休みでしたがひきこもりました。暑いというのもあるけど、疲れきっていたように思います。むろん、この疲れには暑さが拍車をかけているけど。暑いんだからプールへ行こう!と、思うだけ。最近色々手を出しすぎて、優先順位がわからなくなっています。皆さん、その道で趣味とはいえ、極めようとしているのを見ると、気軽に参加しているだけなのも気が引ける…上達も、熱心度と比例しますからね。仕事が減ったんだから、今のうちにやらなきゃ!と、焦った?運動に関しては、健康面から考えてもやらないとまずいっていうのもあるし、どうせやるなら楽しく、とも思いますね。寝転がって本を読んでいました。「川べにこがらし」ふーむ、老舗の「楽しい川べ」には敵わないのは当然です。作者も違うんだから。ちょっと、物語が静かすぎて哲学的だったかな。でも真夏に冬の本を読むとちょっぴり涼しく感じたりもします。相変わらず、食べ物の描写が好きです。ライスプディング、ジュージュー焼けてるソーセージ、ハーブティー、スコーン、バター付きトースト。シンプルだけど美味しそう。バターつきトーストって贅沢。だって私のこども時代の給食は食パンにマーガリンだもん。でも今はマーガリンいけないってのもあるけど、塩分取りすぎないように、ただの食パンみたいですね。塩分を取りすぎる習慣が付いてしまうと、腎臓にも悪いし、わからないことはないけど。ただ、食欲をそそらないと結局フードロスが増えちゃいますよね。昔は残したパンは持って帰って良かったんです。いろんな意味で重宝しました。お腹を空かせて待っている妹にあげると大喜びしたり…ま、腹違いの妹なので複雑だったのです。亡くなってしまいましたが、小さい子は可愛いって身をもって教えてくれました。姉ちゃん、その経験、無駄にしなかったよ!妹よ、君は役に立ったのだ!母が何も悪いことをしていなくても機嫌が悪いと夕飯を食べさせてくれなかったので、学校持ち帰りのパンでしのいだっけ。私って今なら児童相談所行きの案件だったな。誰も助けてくれなかったけど、兄と分かち合えたから生きていられた。でも、パンは少しだったのでお兄ちゃんに分けてあげられなかったのが痛恨の極み。でも、私たちが悪いんじゃないよね。過去に戻って、私たち三きょうだいを助けてあげたいなあ。でも歴史は書き替えられないんだよね。劇団四季で「バックトゥーザフューチャー」をやっているそうです。出不精な私の心が動いています。さーて、明日は仕事だ!
July 27, 2025
コメント(2)
鏡と脳裏こども時代に日本の昔話を読んでいた。十歳の時に、母親が病に伏してしまったので娘はとても悲しんでいた。母親は死の間際にある道具を渡し、娘に言い聞かせた。「私が死んだ後、会いたくなったらそれを見なさい。そこにお母さんはいます」母亡き後、娘はその道具を覗き込んだ。すると、本当に母親がそこにいて娘を見つめている。娘は道具に夢中になった。何年も、暇さえあれば、それを覗いて母親に会った。他のことが手につかないこともあったが、母親に会いたいのである。それを見ていた祖母が娘を諭した。「それは鏡というものです。おまえが見ているのはお母さんではなく、おまえ自身なの。おまえは本当にお母さんにそっくりだから」いつの時代の伝承話なのかわからなかったが、昔は鏡というのは貴重品でふだんから使うものではなかったのだということが、その話からわかった。母親に会いたくて鏡を覗き込んでいた娘の心情は切なく伝わる。幼かったり若かったりすれば母親というのは何よりも好きで大事な心の拠り所だろう。年齢というのは不思議だ。私の娘も小さい時から保育園に預けたため、泣いて追ってくるのを見るとまさに後ろ髪を引かれる思いで出勤しなければならなかった。それがだんだんに泣かなくなり、たまに早く迎えに行けば「今、せっかく遊んでたのに」文句を言うほどになった。泣かれるよりはずっといいし、成長だとわかるが、少し寂しかった。それでも保育士さんによるといたずらをして怒られた時には「ワーン、ママ~」と救いを求めて泣くのだそうだ。鏡は持っていなかったけれど、心の中に母親がいて、脳裏に私が浮かんだのだろう。昔話の鏡を覗き込んでいた少女のことが思い出され、拠り所にしてもらえるのは母としてありがたいと思った。しかし、どんどん成長して親と遊ぶより、友達と遊ぶ方が楽しくなっていった。さらに親より好きな人ができ、彼と暮らしたくなって家を出て行った。本当に子育ては走馬灯のようだ。いつまでもしがみついていては自立できなくなるのでありがたいと思いつつ、感傷的になる自分がいる。しかし、そのままでは逆にこどもに心配されてしまう。年とともに出かけるのが億劫になり、孤独に埋没しそうになるのを感じることもある。でも娘に心配をかけてはいけない。私も覗き込みたくなるような鏡が欲しい。脳裏に浮かぶ私の母はいつも怖いから。そんなことを言っても仕方がない。恐怖を連鎖させなかっただけ、自分は世代として成長しているのだ、と理性で自分に言い聞かせてみる。過去は辛くても未来は変えられる。そうやって生きてきたが、時々頑張り切れない自分を見つめて暗たんとする。そんな時、夢に出てきてくれた父に、私はしがみついて泣いた。「お父さん、私は大変なんだよ」これでは亡くなったおばあさんに抱きついて天国へ登って行ったマッチ売りの少女みたいではないか。父は今回、私を連れて行かなかった。でもその時が来たら、きっと父に迎えに来てもらえる。それまでにやりたいことを数えて書き上げてみようかと思っている。たくさんありすぎて父に会えるのは当分先になりそうだ。
July 22, 2025
コメント(2)
昨夜は一応娘の昇格?昇給祝いで私がレストランにてご馳走しました。人を育てるのが苦手な娘はマネジメント業務ではなく、営業やアイデアを出す係?よくわからなかったけど(笑)若い会社なので、年功序列にもならないし、個性を尊重してくれるようで娘は張り切っています。でも仕事の内容、聞いてもチンプンカンでございました。どっちかというと前半は私の愚痴になってしまった。そして娘にズバズバ本当のことを切り込まれて、ありがたいのだけど、胸に刺さりました。「ママはどうしたいの?」「何を目的にしてるの?到着点は?」う、うーん。そんなに合理的に考えられず、感情で動く私は返答に困る。私の悩みは色々あるが、目下、やはり母のことで困っているのだ。「ばあばに認知症のテストを受けさせたい理由は?ばあばはそんなことやりたがってないでしょ。89才にもなったら色々わからなくなって忘れるのは当たり前。ママは年寄りの扱いがわかってない」と、かなり手厳しい。「ばあばとどうなりたいの?」もう、詰問状態。私としては、上手く行かなかった親子関係だけど、母も年寄りだし、最後くらいは穏やかにいきたいと答えた。「絶対、無理!ママ、わかってないね。ばあばはママのこと、嫌ってるんだよ。だから何をしても感謝されないし、カチンと来てるの。ママが穏やかにやりたいって言っても相手はそう思ってないんだから」う、そう来たか。客観的に見てやはりそうか。「ばあばはママのこと良く思ってないの、見ててわかるよ。悪口も言うし。ママだってこう言っちゃ悪いけど、ばあばに対してはキツいよね。そりゃ、こども時代からのことが積み重なってるんだろうけど、客観的に見てたらママだってばあばのこと、嫌ってるのわかる。あのね、二人は合わないの!最後は仲良くなんて、あり得ないから。嫌いな人にどうして近付いて余計なおせっかいしてるの?」だ、だって相手は年寄りだからあまり放っておくのは…社会的にも、人に迷惑がかかるではないか。母はやっぱり私の悪口を娘に吹き込んでいたんだな、と再認識した。私達の親子関係がどうなろうとあの人は知ったこっちゃないというか、娘にも私を嫌わせたいのだ。被害妄想じゃなくて、やっぱりそうなんだな。「ばあばの連絡はこれからは私がする!叔母さんが何か言うのなら私に言って!間に立つから。ママには無理なの!その叔母さんって人の連絡先教えて。もうママには関わらないでって私が言うから。安否確認も私がする」そ、そんな。孫がそんなことをしなくてはいけないなんて可哀想過ぎる。「私はばあばが好きだよ。ママがばあばのことを悪く言うと私も嫌な気持ちになる」そうだよね…あなたは育てられてないからわからないだろうし、わかれというのは酷すぎる。まだ20代なんだもの。娘に連絡くらい頼んでもいいけれど、私って何のために存在してるんだろうか。かつて、元夫と夫婦喧嘩したとき、言われて堪えた言葉があった。「お前なんか、親にも愛されてなかったような人間じゃないか!」本当のことだったから、私は返す言葉がなかった。私は野良犬、野良猫以下なのだ。彼らはネグレクトされているかもしれないが少しは自由がある。しかし、私は苛められた上にがんじがらめにされていて、自由もなかった。逆らったところで結局母の言いなりになるしかなかった。私が逆らったのは結婚したことくらいで、激怒した母は何とか離婚させようと何度も何度も…最終的には従ったのだからどうにもならない。母はこどもを生むことにも反対していたが、妊娠してしまったので「二人目は絶対にダメだから!」としつこく言ってきた。状況的に、ワーキングマザーの私が親の援助もないのに二人目を生むことは事実上、無理だった。諦めた。しかし、そんなことは娘に言う必要がないのだ。私が墓場まで持っていけばいい。娘に心配をかけたり、自分の肉親はそんなに酷い人なのかと思わせることは自己肯定感を低くするだろう。娘は言い過ぎたとおもったようだ。「でも、私とママは仲良しだよね。それで良かったでしょ?」はい、その通りです。私は自分の暗闇を娘に連鎖させてはいけない。辛くても、別の場所で発散しよう。親に愛されてなかった…私はなんでこんな簡単なことを認められなかったのだろう。親子でも相性はあるだろう。しかし、母は兄とも相性が悪く、「早く死んでくれて良かった」という人なのだ。私が死んでも悲しまないに違いない。つまり、誰も愛せないのだろう。可哀想な人、というほど私は優しくない。母に対しての感情は打ち切ろう。連鎖しなかっただけでいいのだ。私は娘と仲良しなんだから。連鎖しない、これだけが私の使命だったのかな。暗い話ばかりではお祝いにならないので、娘がこれから沖縄旅行をしようとしていること、スカッシュをやりたいと思っていることなどを楽しく話してもらった。神様私はもう仕方がありません。娘だけは幸せに生きていけますように。私は重荷になってはいけない、と気付かされた夜だった。暗くなってしまったけど私は大丈夫。家の中に私を脅かす人はいません。こんな私でも慕ってくれるここちゃんがいます。そして、娘がスカッシュを始めるように私もピックルボールでラケットを振り回します!楽しみです!
July 21, 2025
コメント(2)
お久しぶりです。最後に書いたときは寒かったのに、異様な熱波に包まれている休日です。夕方まで外出、やめよう。私は相変わらずです。週に3日か4日働いて、後の休日はひきこもりそうになるのを必死で防いでいます。いつ行ってもいいジムはサボりがちになるので、他に習い事を入れて、その日その時間じゃないと月謝が無駄になる…というふうに追い込まないと動けません。自主性や自律心が弱いのです。娘は元気な様子。昇格したと喜びのラインをもらいましたが、どういうポジションになるのか?部下はいないそうです。外資系なので、日本の会社とかなりシステムが違い、よくわかりません。でも褒めて伸ばす方針なのかな。昇格と言えば、遠い昔の兄のことを思い出しました。兄はもともと、駅で弁当を販売する予定で採用されましたが、全く客とコミュニケーションが取れないらしく、すぐ配置転換になりました。リヤカーにお弁当をたくさん乗せて、販売所まで届けるのです。体は丈夫で、力もあったし、こちらの方が合っていたようです。何年か続けるうちに、苛めは先輩からだけでなく、後輩からも起きていたようです。仕事を辞めたいとめげていた兄でしたが、ある日、母に言ったそうです。「俺、昇給したんだ。だからまだ頑張る」と。なんと健気な。でも昇給や昇格というのは、そうやって本人のモチベーションを上げるものなのでしょう。私は40年間、定年退職まで仕事を続けましたが、昇給するとやはり嬉しかった。リーマンショック以降、昇給どころか給料が下がったのには参りましたけどね。後輩にまで苛められていた兄のことを思うと胸が痛みますが、よく考えたら同じことは我が身にも起きていました。自分ができないから悪いのだとうつうつするばかりでした。しかし、仕事事態には遣り甲斐が大変ありました。自分は社会の役に少しは立てているのかなと思えることも多く、例え、苛めがあっても、自分を信用してくれている人達のために、と思えたものです。ありがたいことでしたね。昇給や昇格といった形でなくても、信頼されているという感覚のみで、頑張れた気がします。ただ、凹凸の激しい私は全般的に見て、優秀とは言いがたかったとは客観的に思います。今は畑違いの職場なので、62才からの新人生活を送り、ただいま2年目です。62才からの新人って、すごくないですか?必死でしたよ。若い20代の同期?とも楽しく会話をして過ごしています。相手は困ったおばあさんと思っているかもしれませんが、それでも気楽に話をできる相手と認識してくれているようで、こども時代の話をしてくれたりして楽しいです。伊能忠敬は50才にして、弟子入りして、測量を学び、地図を完成させました。まあ、50才と60才じゃかなり違いますけどね、心意気は学びたいものです。でも伊能忠敬にはなれません…残念ながら。だけど今の仕事も楽しいと思えることは結構あります。仕事は大成はしませんので、趣味は何とか。これも家庭がないからこそできるんですね。自由ですから。先日誕生日を迎えて64才になりました。63才から始めたゴスペル、川柳、どちらも楽しいです。60才を過ぎてから始めたラテンダンスも楽しいし、結構60代は楽しめますね?もちろんガタはあちこち出ており、膝や股関節が痛むなど年齢なりの症状はありますので、これはプールでリハビリできないかなと試行錯誤しています。プールはやり過ぎると大抵、疲れて風邪をひいてしまいますので…でも、夏はプールがいいです!気持ちいい!だって外は熱波なんだもの。母との確執は続いていて、もう、何もかも嫌になったりしますが、とにかくあちらも89才と思えないパワーで攻撃してきますので、逃げるしかないかな。これでも10年前よりましなんです。あの頃は追いかけてきて攻撃してきましたからね。つまり、電話攻勢。「今、お父さんを追い出してやった。駅をうろついてるわ」と勝ち誇ったように電話してくるのです。夜中に駅に父を探しに行ったりしました。現役フルタイムで働いていた私の事情など、母は知ったこっちゃなかった。老いていく父を苛め、それに振り回される私を見て満足そうでした。今は長年の着信拒否攻勢が功を奏して、母から電話攻撃をしてくることはなくなりました。私は義務として連絡をしますがそのたびに寝込むほど落ち込みます。娘にもう、連絡しなくていいんだよと言われていますが…久しぶりなのであれこれ書きすぎました。暑いので皆さま、熱中症にはくれぐれもご注意を!
June 29, 2025
コメント(2)
ネットニュースで気付いた。曽野綾子さんが2月28日に逝去されていた。もう、まさにガーン。私はこの世代の作家さんが好きなのである。最近、曽野綾子さんのエッセイを見かけないなあ、どこかの週刊誌に載っていないかしらと思ったばかりだった。93才で、骨折をきっかけに入院され、そのまま老衰で亡くなられたそうだ。曽野綾子さんも、佐藤愛子さんのように100才過ぎてもお元気だろうと勝手に思い込んでいたのが迂闊だった。お元気なイメージしかなかったのである。最初に曽野綾子さんの本を読んだのはなんと小学校4年生の時だった。「誰のために愛するか」が超ベストセラーになり、何故か我が家にもあった。母は読書をしないし、父の好みでもなかったから、何故そんな本があるのか不思議だった。母が誰かにもらったのだろうか。「あんたが読んだら?」と言うので、手に取ってみた。初めて読んだエッセイがこの本だった。表現は硬くないし、読みにくいわけでもなかったが、内容は深すぎて、4年生の私には無理だった。確か、愛するというのはその人のために死ねるかどうかだと書かれていた気がする。そして、母親はそれが本能だとしても、こどものために死ねるのだと。びっくりして、その時は信じてしまった。大人になってから、そういう母親ばかりではないと知ったが、当時は信じたのである。それから、曽野綾子さんが不眠症になり、精神的に病まれてしまったという辺りも驚いた。こんな本を書ける人が精神的に病むことがあるのかと。覚えているのはその2つくらいで、あとは理解するのが難しかった。ただ、曽野綾子さんという作家名は覚えたので、思春期以降、次々に読むようになった。遠藤周作さんとお友達という点も面白かった。お互いにエッセイのネタにしていたからだ。これは佐藤愛子さんも同じですね。息子さんの育て方もユニークで、親しみを覚えた。母親はこどもに愚痴をこぼしていいと言うのである。こどもなりに大人の事情を考えてくれるからというのだ。まあ、愚痴の内容にもよると思いますが曽野綾子さんは下品に人の悪口など言わないからこそできたことだろう。夫婦喧嘩もこどもに見せていいと書いていらしたが、もともとご主人の三浦朱門さんとはおしどり夫婦で、仲良しだから、こどもを傷付けなかったのだろう。そこを理解せずに盛大に夫婦喧嘩していた自分の浅さがとことん嫌になる。でもこどものために死ねるとまで言って愛していた息子さんをさっさと自立させ、親離れしたことも潔くて、これは多少真似ができて良かったと思う。息子さんには本はいくらでも買って良い、漫画でも構わないと言って育てたことは多少真似させていただいた。曽野綾子さんのように裕福ではない私は、漫画でも良いという勇気はなかったが、結果的に漫画に執着するようになった娘を見て、失敗したなと思った。漫画でも良いと言えばあんなに執着しなかったのかも知れない。本はいくらでも良いと言ったせいか、思ったほどたくさんの本を買うことはなかったからだ。後日、知ったが遠藤周作さんも息子さんに、本でも漫画でもいくらでも買って良いと言って育てていた。本屋さんに前もって話しておいて、こどもが欲しいと言ったらいくらでも売ってやってほしい、後で親がお金を払うから、ということになっていたのも共通点だ。遠藤周作さんと三浦朱門さんは親友だから、そんなことを情報交換していたのかなあなどと勝手に妄想している。遠藤周作さんの息子さんも曽野綾子さんの息子さんもそんなに読書環境に恵まれていながらも文学の道には進まなかった。もともと、そういうことを強制する気がなかったのだろう。読書をするということは様々な経験や考え方を擬似体験するものであり、それを職業にしようがしまいがこどもの自由なのである。私の話など出すのは恐縮だが、我が娘も文学を深めようなどという気はさらさらなかったようだ。文学部に落ちちゃったというのもあるけれど、文学部になんか進んだら、あの娘は単位を取れずに留年したことだろう。曽野綾子さんが保守的な思想を持ち、それが嫌だという人もいるが、私はそういうことはあまり気にしない。そんなことを言ったら佐藤愛子さんだって林真理子さんだって、かなり保守的な考えをお持ちだと思うが、本は読んでもらってなんぼである。そういう考え方もあるなあ、それにしても面白くお書きになるなあと思うだけ。のめりこむようにして読めると言うのが本選びの基本だと思っている。似た名前で三浦綾子さんもベストセラー作家だったが、この方は保守とは正反対。でも面白く、心を打たれながら読んだものだ。曽野綾子さんがカトリックで、三浦綾子さんがプロテスタントなのでその違いもある?いや、遠藤周作さんはカトリックだけど保守的とは思えないから、そう単純な問題ではないだろう。85才のとき、三浦朱門さんの介護人になると決めて、立派にこなした曽野綾子さん。そして「夫の後始末」などというエッセイも書きながら、どんなにご主人を愛していたか伝わってきた。ご主人が亡くなられたあと、決めたことは「決して周囲に甘えない。未亡人だとわかっていたら電話も断れないだろうから、友人への電話も自分に禁じた」という辺りにも感動した。私も電話を一生懸命控えている。ラインも長くなりがちなので、私なりに控えている…が、ブログを見ておわかりの通り、私の文章は長いから、気を付けなければと新たに…ラインに関しては思っている。曽野綾子さんには亡くなってもらいたくなかった。100才まで生きていて欲しかった。もし、骨折をしなければ、まだまだエッセイもお書きになれたのではないか。ただ、ご本人はあまり長生きするのは良くないとおっしゃっていたけれど。いつ亡くなってもいいように、断捨離をかなりなさっていた。遺族に迷惑をかけないためである。もともと、几帳面な方だからできたのであろうけれど、私も見習わなくてはいけないのではないか。「老いの才覚」を読み直さないといけない。でも、新刊を読みたかったですよ。10才の時から読んでいるのだから。飼っていらしたスコティッシュフォールドたちは…曽野綾子さんのことだから、きっとそういうことは前もって準備されていたことだろう。最後まで自立していた曽野綾子さん、その読者としては、かなり情けない、似てもにつかぬ私であるが、私の人生に大きな影響を与えてくださってありがとうございました。本当に悲しい。
March 4, 2025
コメント(2)
次のエッセイのお題が「色」なので、文字通り色彩感覚のない私には難しいお題である。色、というと困ったことばかり思い出される。以下図工の時間に色鉛筆で絵を描かなくてはならなかった。私は兄のお下がりの色鉛筆セットを持たされ、それは何色も欠けていた。「ごめん、ピンクを貸してくれる?」「緑を借りていい?」隣の席の子に頼まなければならなかった。その子はとうとう言った。「貸してあげるから、緑のところは全部緑に塗って、何度も借りないで」それは難しかった。風景を描いていると、地面の草も緑だし、木葉も緑だし、それらをすべて想定して色別に描いていくのは困難だった。ここにも木を増やそう、あ、でも葉っぱは緑だからやっぱり描いちゃいけないか…なんで緑やピンク、黄色もない色鉛筆セットなんか持たされるのか悲しかった。確か、これは母に報告したと思う。何色も欠けている色鉛筆セットで、隣の席の友達に借りたら嫌がられたと。「文房具は自分のお小遣いで買う約束だよ」そう言われてしまえばどうにもならない。私は月に一冊は本を買ってしまうので、文房具を買う余裕がなかった。色鉛筆で絵を描く機会はそんなになかったので、結局、その色鉛筆不足のセットを使い続けた。クレヨンや絵の具のときはホッとした。これも兄のお下がりだが、色が欠けているということはなかったからだ。その後「フランダースの犬」という児童文学を読み、炭だけで絵を描く少年の姿に感動した。黒だけで表現し、それが評価されるのだ。調子に乗った私は、図工の時間、草をクレヨンで全て同じように緑で表現した。いかにも雑な絵で、先生は呆れた。「この緑はなんなの?」「草…のつもり」「草のつもりねえ」先生はスタンプを押した。みんな「たいへんよくできました」のゾウサンスタンプなのに、私のだけとらマークの「よくできました」スタンプだった。私はフランダースの犬の少年とは大違いだと現実を知った。人前で絵を描くことが嫌いになった。家庭でも「下手な絵を描くな」と怒られていたので、先生のせいだけではない。どうせ、下手と言われるのだから開き直ってしまい、ますます雑に描いて早く終わらせようとするようになった。短大でも美術の時間があった。端っこで目立たないように描いていると、逆に目立って先生がそばにつくようになった。版画など、色々手伝ってもらったが、私のは実にセンスがない。それを先生が付き添いながら「よく出来てるよ。いいじゃないか。きみはコンプレックスを持っているんだね。でもそれは君が悪いんじゃない。君を教えた先生の責任だよ。きみはできるんだよ」ずっと励まし続けてもらった。私は再びペンをとり、友達の似顔絵や姿を四コマ漫画で表現するようになり、友達からは受けた。絵がいいのでなく、ストーリーが面白かったようだが「あんたの漫画面白い。もっと描いて」と言われ、調子に乗った。いつも節約家の友達を描きながらアイスを買う場面で「おばちゃん、一番安くて美味しいのちょうだい」と言わせたりして、ずいぶん失礼な漫画だった。友達は大笑いしていた。つまらない授業のときは端に人が走る場面をかき、ペラペラめくると走り続ける人が登場し続けるのでこれも受けた。そう言えば全部黒鉛筆で描いていた。やがて、私は母親になり、こどもが小学生になると張り切って16色の色鉛筆セットを用意した。でも娘がよく描くのはやはり黒なのだった。ストーリーを付けるのも好きだったようだ。色がなくても表現はできる。短大の美術の先生には今でも感謝している。
February 16, 2025
コメント(2)
ちょっと疲れた。月曜日は川柳教室へ。片道一時間くらいかかるところだが、月曜日にやっているところがここしかなかったのである。月曜日休みだからと話したら、会員の方に第三週月曜日にも川柳サークルをやっているから参加しませんかと言われて返事を保留した。更に遠かったのと、他の月曜日はフラダンスを再開するつもりだったからだ。フラダンスと川柳、どっちがいいんだろう。多分、向いているのは川柳の方だろう。フラダンスはいくらやってもそう上手くはなるまい。ただ、体を動かす趣味も捨てがたいので迷っている。火曜日もお休みだったので(祝日)高校の友達とランチした。本当は映画くらい設定してあげたかったがチケットを用意する余裕がなかった。高校の友達で連絡を取っているのは部活時代の友達ばかりで、この友達は私のような嘱託的な働き方なので予定を合わせやすい。孫のいる友達だとちょうど手のかかる時期なので予定を合わせにくい。なので話も合いやすく、ありがたい存在だ。私をよくランチに誘ってくれるのはこの友達と、元職場の先輩、あとは娘くらいなので、昔の友達ってどんどん減るなあ。ママ友は一人も残っていない。職場も退職してしまえばこんなもんである。親戚付き合いは全くしない。ろくな親戚がいない。父方の親戚には会ってみたいが、母に断絶されてしまっている。水曜日は仕事をして、帰りにホットヨガをやってきた。超寒かったので生き返った気がした。いつも冬に言う言葉だが「凍ってた血管が溶けていく」感じである。木曜日には二度めのゴスペルに参加。予習をしていかなかったのでぶっつけ本番になり、音を取ったり歌詞を読んだり先生の指揮に合わせるのにアタマをフル回転させ、声を張り上げるもんだから酸欠になるかと思った。でもやはり歌うとスッキリする。ネガティブな感情が消えていく。私の生活に歌は不可欠だ。もともと中高生のときは合唱コンクールが大好きだったし、音楽の授業で歌うのも好きだった。前職では毎日歌う機会があった。それが嘱託になってから、生活に歌が消えて寂しかった。金曜日、ホットヨガヨガとフラダンスをやる。どちらもハードではなかったが、この辺でくたびれてきた。今日はお休みでやはりヨガとフラダンスの予定だったが起き上がれなくなった。よって、サボってしまった。週に一度くらい、なにもしない日があってもいいだろう。明日は娘夫婦とランチの予定だ。しかし、そろそろ次回のエッセイに取りかからないとまた推敲不足の作品になってしまう。今週は立て続けに三冊、遠藤周作の小説を読んだ。戦国時代が舞台だったので、私は改めて織田信長を怖いと思った。彼は天才だが、サイコパスである。人の命などなんとも思わず、罪のない子供たちまで惨殺しまくっている。ちょっと、しばらく明るめの作品にしなくちゃ。さて、私は何をやりたいんでしょうか。よくわからなくなってきた。始めたものは続けている。今しかできないんだから。60代は貴重なのである。
February 15, 2025
コメント(0)
あれ、私、これ買ったっけ?と忘れた頃になって山中恒氏の「頭の先と足の先」という児童書の古本が届いた。なぜ古本がというと、これはもう絶版なので、古本として手に入れるしかなかったからだ。これを読んだのは小学校六年生の時だから、41年も前である。山中恒は「ぼくがぼくであること」が児童書として売れ、有名になっていた。山中恒氏は今でいう「毒母」のようなものをたくさん書いていて、ストーリーはテンポがよく、それこそハラハラドキドキして読んだものだ。「頭の先」は片足が不自由な少年が主人公で、今なら差別用語として、絶対使ってはいけない言葉が連発されており、ストーリーとしては面白いのだが、多分、それで絶版なのだろう。戦後のまだ多くの国民が豊かとは言いがたい生活を送っていた頃、この少年は生まれた。ここにも「毒母」登場なのだが、他の作品と違って、この少年の母は息子を溺愛するあまり、過干渉となっていた。足が不自由なのが不憫で、助けてやろうという母心なのだが、少年は高学年になって自立しようとしている。足のことでからかわれてもいいから、自分で解決したいのに母親がしゃしゃり出てくるから、友達ができそうになってもぶち壊されてばかりいる。何しろ、この母、高学年になっても息子の遠足に付き添うと言って聞かない。少年は何とか母親を撒こうとし、すったもんだしている。当時、6年生だった私はこの少年の気持ちに共感しすぎて、何とかならないものかと気を揉みながら読んでいた。なんて嫌な母親!過干渉な母親というのは本当にこどもにとって迷惑なのである。幼稚園のころと思春期のころとの区別ができないのだ。41年ぶりに読んでみた感想としては、やはり6年生のときと違う。この母親を哀れに思う気持ちが湧いた。当時は全然そんな気持ちになれなかったから、私もそれなりに人生経験を積んだということか。この母親は多分、知的にもグレーゾーン。だから小さいときと大きくなってからの区別がつかず、自分が嫌がられていることにも気付けない。盲目的に息子を愛している。こんなふうな読後感を持つとは意外だった。少年の自立したい気持ちは今でもよくわかるのだが。私は二十歳の時に引っ越しをしたのだが、ある日帰宅すると愛読書だった児童文学がすべてなくなっていた。「図書館に寄附してきたから。あんたは二十歳なんだから、こども時代の本なんて必要ない」ちょ、ちょっと、私には思い出のつまった愛蔵書だったんだぞー。山中恒もそうだし、赤毛のアンもムーミンもメアリー・ポピンズも、二十歳になったって捨てられるもんじゃない。そんなことを言ったって読書習慣のない母には理解できなかったし、必要ないの一点張り。買い直すのにその後どれだけ金を使ったか。諦めた児童書も多かったけれど。そんな中で絶版の憂き目に合う本も多かったからこうして還暦過ぎても時々、アマゾン中古で買い直してしまうのだ。今は図書館が身近なので、昔読んだ本を借りては感激しているけれど、本というのはいつでも手に取れる位置にある方が本当は楽しいのである。積ん読にもつながるが。この小説はもちろんフィクションだからその後の少年の成長は読むことができない。きっと立派に自立しただろうと読者は想像を膨らませるだけだ。障害を扱った児童文学はそんなに多くはなかったので、私の心にかなり響いた。20代、飲み歩きの遊び人と化していた私はやたらにいろんな人と知り合い、なぜかめったに恋愛に発展することなく、友達がどんどん増えていった。その中で印象的だった青年がいる。彼は大工さんで、顔はなかなかのイケメンだった。彼は当初、私の友人を目当てにナンパしてきたわけだが、友人が相手にしなかったので、仕方なく私と悪友関係を続けていた。数人でボーリングに行ったことがある。仲間はその人の地元の同級生たちがメインで、野郎共ばかりではつまらないからと私も誘われた。その時、足の不自由な人も参加していた。やはりボーリングはバランスが取れないとうまく投げられないから、その人はガーターを連発した。驚いたことに、その人がガーターを出すたびに、大工さんもその友達も笑顔で大拍手する。私は呆気に取られた。ちっともばかにしている風情ではなく、足の不自由なこともひっくるめて、彼らはこども時代から善き友人であり、ありのままを受け止めて冗談を言い合っていた。私はちょっと軽いやつだと思っていたその大工さんを改めて見直した。私はいい友達を持ったのだ。それは「頭の先と足の先」で、描かれていた、たとえハンディがあっても遠巻きに見るのでなく、本気でありのままを受け止めた友達付き合いを始めたあの少年の未来形だったのである。が、しかし、男と女の友情は続けるのが難しい。相手に恋人ができたり、こちらも結婚したりなどしているうちに付き合いにくくなっていった。自分達は友達だと思っていても、若い恋人はやはりいい気持ちがしないものなのである。お互いに遠慮しているうちに切れてしまった男友達は多かったなあ。あまりそういうことを気にしない外国人の方が、それこそ、ジェンダーフリーで今でも連絡を取り合うくらいだ。残念ながら、各国に散らばってしまったため、SNSでしか連絡は取れませんけどね。そんなことを、いろいろ考えさせられた児童文学でした。今の時代はジェンダーフリーも進んできたし、娘は一応、結婚後も男友達とたまに飲みに行ったりしている。いいことだ。まあ、婿さんがどう思うのか、ばか親の私はちょっと気にしてますけれどね。児童文学からジェンダーフリーまで話がいってしまい…え?ジェンダーフリーの視点が違う?まあ、いいじゃん。私は20代の頃が人生で一番楽しかったので、60代も楽しもうと必死になっている。年は取っても好奇心は止まらない。
February 6, 2025
コメント(2)
今日は寒くて一歩も外に出なかった。雪予報や雨予報が出ていて、昼間から空がどんより。本当に何が降ったのかさえわからないまま、ひきこもっていた。本を読む気力もなく、TVerとオンデマンドにしがみつく。テレビは受け身でいられるからいい。主体的に動かなくていい。こういうのが続くとボケると思いますが、仕事があるおなげで、毎日こういうことにはならない。つくづく専業主婦に向かないタイプだと思うが、仕事ができるわけでもないので、何をしても情けない状態が続いている。TVerでは御上先生を観ることにした。その前にやっていた「海に眠るダイヤモンド」があまりに好きだったため、次作は観ないと決めていたが、他に観るものがなかったのだ。教師ものなんて、久しぶりだなあ。金八先生以来かも。あ、宙わたる教室も観てたか。御上先生はミステリーっぽいような、なかなかの秀逸作品である。官僚が天下りというか左遷のような形で私立の進学高校の教員に派遣されるというびっくりなスタートだった。それにしても、東大にバンバン入ってしまうような高校なんて我が人生に全くもって縁がない人生だったので描き方が面白い。学習指導要領の話まで出てきて、生徒がディベートしていく。そう言われてみると、中学までは義務教育だから、検定を通っていない教科書を使った授業というのはなかったな。高校に入ると、先生たちがかなり自由に、教科書と関係ない話をする人が増えたのは覚えている。特に社会科系。教科書を使う先生の授業はつまらなかった。しかし、教科書を一ページも使わないのに、試験問題は教科書から出されるので、自学で覚えないといけないのには参ったけれど。高校は義務教育ではないから、あんなことができたんだなあと今さらながらに思った。このドラマは、超進学高校なので、生徒のレベルの高いこと。精神年齢と知性はやはり比例するのか。なかなか闇の深いドラマなので観ていて明るくはならないのだが、問題提起としてはいいのではないかと思う。「べらぼう」も面白くなってきた。最初は吉原を出されると花魁たちが気の毒で辛い気持ちになったが、まあ、べらぼうのテーマが花魁ではない。江戸文化なのである。それにしても、どの、時代でも女性たちが同じような顔をした、絵巻ばかりなので、不思議に思っていた。日本美人の基準がうりざね顔で目細なのだろつけれど、本当にみんなこういう顔ばかりだったのか。いつから変わったのかと不思議に思っていたのである。昔から弥生系と縄文系の顔があったわけだが、絵巻になる方が弥生系なわけですね。縄文系の顔は品がないとされていたらしい。明治くらいから評価が変わったわけですな。開国したからですね。これから、日本人の顔はまたどんどん変わっていくでしょう。少子化なので、移民の子供の方が多くなり…今でも東京はかなりそうなのですが、全国的になるでしょう。どんどんミックスされていくことと思います。今から100年後くらいになると、東南アジア系のハーフ顔がすごく増えていきそうです。優秀な人達というのも、日本人がメインではなくなりそう。そうやって変わっていくんだろうな。江戸文化は面白いから、もう少し勉強したいですね。顔は変わっても文化は受け継がれていきますように。私も江戸文化の川柳教室に入ったことだし、ぼーっとしていないで勉強しなくちゃ、ですね。
February 2, 2025
コメント(2)
一昨日、母から絶賛悪口大会の電話攻撃を受け、その夜は眠れないし、翌日も落ち込んだりイライラしたり。私の一生はこうして母に苛められて終わるのかと思うと夢も希望もなくなりそうだった。歌もダンスも創作もどうせ大したことはないのだ。仕事も。今日も不安定な状態で出勤したものの、作業が異様に多い上、相変わらずミスはするし、作業中に後ろにひっくり返る始末だった。これは膝が悪いため、しゃがむ動作が苦手になっていて、おまけに太ったのでバランスがますます取れなくなったせいである。先週はヨガを二回くらいしかやっていないのに筋肉痛まで起こしていた。それで、しゃがむ→立ち上がるという動作すら繰り返しているうちにクラクラし、バランスを崩してひっくりかえったというわけだ。誰も見ていなかったのが不幸中の幸いである。帰路、寒くて震え上がりそうだった。痩せた白い野良猫が植え込みに隠れこむ姿を見たらよけいに切なくなった。あんなに痩せていてこの冬を越せるのか。野良猫の多くが冬に命を落とす。痩せてもいないくせに我が末路のように思えた。連れて帰れなくて本当にごめんね。私のことなど見向きもしていなかったけれど。すると今度はシベリアンハスキーの散歩に出会った。背筋をピンと伸ばし、早足で本当にカッコいい。連れて歩いている男性も速足で、どちらも幸せそうだった。ここから、連想して実家の老犬が脳裏に浮かぶ。母は頭の方は怪しいことになっているが、元来足腰丈夫で手先も器用だ。ルーティンになっているので、朝と夕方はこの老犬と散歩し、犬のシャワーからトリミングまで一人でこなす。この犬は元々、父に懐いていた。しかし、父は老人ホーム、病院となり、お墓に入ってしまったのだが、亡くなってからは家の中に入っていないため、犬は父の死がわかっていない。もう6年も経つのに。毎晩、父を待って、父のベッドで眠っているという。そして朝になると諦めて、母を起こしに行き、散歩に誘う。母も昼夜逆転しがちな体質だが、犬のお陰で生活リズムが保たれている。犬も母しか頼れないのは理解している。それを思い出したとき、実家の犬にとっては多少母がボケようと、悪口三昧であろうと、犬は母に元気に生きていてほしいのだと改めて気付いた。多分、この世で一番、母の元気を願っているのはこの犬だろう。実の娘より、孫より、犬の方がずっと母を慕っている。こんなことを書くなんて、なんと薄情な娘だと(婆さんだが)思われる方も多いだろう。しかし、私とて同じ状況なのである。多分、この世で私の生を一番願っているのはやはり飼い猫なのだ。人見知りが強く、環境の変化に弱いここちゃんは静かに私と暮らせることだけが楽しみなのである。もちろん、娘は私を気遣って毎月のように外食に誘い出したり、私の着ているものがみすぼらしいという理由で服を買ってくれたりしている。でもあの娘は私が死んでもすぐに立ち直り、元気に生きていける逞しさがある。友人も減りつつあるし、私がいないと生きづらくなるのはここちゃんだけだろう。そのために私は生きているというか、生かされている。母と同じなのだ。人は誰かのために生きているということが支えになる。人間でなくても、動物でも同じ地球の仲間ではないか。だから、例え、母の毒舌に苦しめられようと、母は犬が生きている限り、頑張ってもらいたい。犬のために。そう思ったらなんだか、スッキリした。落ち込まなくなった。シベリアンハスキーの散歩に元気をもらった。
January 17, 2025
コメント(2)
インフルエンザが報道通り、職場でも出てきて免疫力の低い、私はビクビクものです。なにしろなん十年ぶりかで、インフルエンザワクチンをやめたものですから。理由は昨年、ワクチン接種後に顔がお岩さんのように腫れ上がり、結局そんな顔で出勤するわけに行かず、インフルエンザでもないのに数日休む羽目になったならです。もともと腕は腫れるほうでしたが、顔が腫れ上がるなんて初めてでした。というわけでワクチン打ってないと怖いもんですね、こう流行ると。ちょっと調子が悪いとインフルかとビビりますが今は医療も逼迫していて、薬も検査薬も足りないので、熱もないのに来るなという感じです。そんななか、ゴスペルの体験に。まあ、飛沫飛びまくりかもしれませんが、ストレス発散にはすごくいいのです。免疫力低下の原因の一つにはストレスがありますから。初めてなので音程もリズムもはずしっぱなし、英語は間違いだらけ(これは結構誤魔化せる)そして恐れ多くもダミ声のくせしてソプラノに挑戦。中高生のころはソプラノ担当でしたし…なん十年前の話じゃ!「喉の筋肉の問題ですから昔ソプラノならできますよ」と励まされて。で、裏声になっちゃいましたが私なりに声は出たので自分で感激しちゃいました。歌うって楽しい!ダンスより好きかも。もう、大きな声で歌っていると嫌なことゆううつなこと、ぶっ飛んでいくんですよ。それにしてもアルトやテノールのひとたちも上手だったなあ。私なんかソプラノの場所にいたというだけで。で、ソプラノ、少ないんですよ。やはり皆さん、高い声を出すのは自信ないのかな。でもソプラノって主旋律だから、音を覚えやすいというメリットがあります。アルトはかなり難しいとみました。もう、終わる頃には脳内酸素が全部抜けたようにクラクラになっていましたが、楽しかった!続けてみようと思います。やはりヒトカラよりみんなで歌う方が絶対に楽しい。しかし、趣味に手を出しすぎ。あ、川柳送らなきゃ。エッセイ書かなきゃ。ジムも行かなきゃ…なんだけど、フラをやめてから全然行く気にならない。2月からはフラも再開しよう。なんでもほそくながく、ですよね。そして今日は寒すぎて外に出られず、超適当ななんでもぶっこみ炊き込みご飯を炊いて、それでしのいでます。ぶっこんだものはミックスベジタブル、ひき肉、キノコ。油揚げは切らしちゃった。買いに行く元気なし。今日はひきこもって、安静に…寝ています。
January 10, 2025
コメント(2)
昨日は疲れてしまい、抱負も書けませんでした。というか、やりたいことだらけでいつも威勢よく書く割に達成していないので、今年はどうしようかな。「健康」昨年は右足の故障が続き、未だに足底腹膜炎が治っていませんので、なんとか治したいです。いい方法、ないのかな。膝はプールで治ったのですが、足底は決め手が見つかりません。その他、胃腸炎を繰り返したくないので、漢方薬で乗りきります。ダイエット…足の故障をきっかけに運動量が減ったらみるみるうちに太りました。しかし、年寄りはちょっと太めの方が長生きするとも言いますから…でも、足に負担かかるんだな。とりあえず年間で三キロは落としたい。「仕事」2年続きの新人で、還暦越えの私にはキツかったです。今年は二年めになりますので、ケアレスミスを減らして、もう少しテキパキ働けますように。今年も人が入れ替わり、仕事量は増えそうですから、着実にやっていきたいです。「趣味」 趣味まで、苦手なことを頑張る必要はないと開き直りました。得意というわけではありませんが、エッセイは今年こそ何かしらコンクールに挑戦できるようなものを書きたいです。最終的な目標は「出版」ですが、今の段階では…出版はお金がかかると諦めていましたが、Kindleならそんなにかからないと聞きました。ゼロ円価格設定で良いから、出版できるよう、準備を進めたいです。川柳もせっかく始めたので、ゆくゆくは投句を目指します。週刊文春の「川柳のらりくらり」が好きなので、そこを目指していきたい。読書は恵まれた環境にあるのだから、大人、こどものジャンルを問わずに今年もガンガンいきます!昨年の経験から「積ん読」は本が増えるだけなので、図書館から借りるのを中心にします。返却期限があった方が効率よく読めます。つい、スマホに手が伸びますので、読む時間は決めようと思います。そして、私の好きなことの一つに「歌」があります。音楽が好きなんですよね。最近は街角ピアノを目指して練習する人もいれば還暦過ぎて「やり直しピアノ」をやる友人たちもいます。私はピアノを毎日練習する根性はないので、そこまでできません。そこで目を付けた「ゴスペル」。もともと合唱団に入りたかった私です。体験してみないとわかりませんが、月に二回だというので続けられるといいなあ。そして運動音痴の私ですが、このままだと寝たきり老人まっしぐらですので、足は痛くても工夫して再開します。最初はヨガか、かかとサポーターを付けながらダンスかな。膝のためにプールもやらないと。苦手なことは頑張らなくていいと思っていますが、運動をはずすのは将来、人の迷惑になりますし、下手でもダンスは楽しいんです。「断捨離」これはどうしても今のうちにやっておかないと。どこから手を付けていいのかわかりませんが少しずつ捨てていきます。「ボランティア」料理が得意ならこども食堂とかやりたいですが、自分のご飯作りも怪しいので、諦めています。地道に寄付を続けていきます。そして、関心を持ち続けることが大事かなと思います。結局、抱負だらけ。実現を妨げているのは私の休日の昼寝です。出かけたくなくなるのです。何もしたくなくなるんです。なので、習い事で曜日を決めたのです。ジムも好きでないと続かないとよくわかったので、フラダンス中心にしたいと思います。フラに行けばついでにヨガやプールもやりますので、勢いが大事なんですね。ギャバを飲み始めてから寝起きは良くなってきました。あとはやる気の問題。やる気を出すための曜日設定です。そう言いながら今日もゴロゴロして終わりました。アマゾンプライムで「インサイドヘッド2」を観たくらいかなあ。しかし、スマホ画面だとやはり面白さ半減。できれば映画に行く機会も増やしたいです。テレビは壊れていますがTVerやNHkオンデマンドでスマホ視聴です。昨年の大河ドラマ「光る君へ」は面白かったので、今年も大河ドラマは歴史の勉強にもなるので観たいです。最も戦国時代とかは殺人ばかりなので苦手ですけど。この年になるとNHkが意外に面白いんです。もう恋愛ドラマはたくさんなのですが、歴史や自然科学のドキュメンタリーは面白いです。これは寝る前のお楽しみ、かな。忙しそうに聞こえるかも知れませんが週に3日くらいしか働いてませんからね。それなのに家事は全然はかどりません。
January 2, 2025
コメント(2)
皆様、今年もお世話になりました。お目汚しのようなブログを読んでいただき、感謝です。今年を一言で言うなら「老」ですかね。いろいろな面で老化を感じた一年でした。右足は膝関節症から始まり、足底腹膜炎にもかかって思うように運動できませんでした。気持ち的にもダダ下がりで、休みの日は起き上がることができず、本当に疲れているのか、気持ちの問題なのか自分でもわかりませんでした。家電もいろいろ壊れましたが、とにかくなにもしたくないので極力見えぬふりをしたため、テレビはつかないし、お風呂はシャワーのみ、ガス台も一つしか使えません。仕事は2年連続畑違いの新人をやり、これが疲れに拍車をかけたかもしれません。60才過ぎて、畑違いのことを覚えようとすると、脳が異様に疲れます。趣味はお教室があるものは細々と続けられました。エッセイは締め切りギリギリに書き、どこかに応募するなんてとんでもない、という感じです。でも川柳教室も始めたし(まだ二回)来年はゴスペルサークルの体験に行ってきます。今やっていることがちゃんとできていないのに、とも思いますが、私の場合、ひきこもってしまうので、サークルやお教室で日程が決まっていないとお昼寝まっしぐらになってしまうのです。定年退職したら合唱をやりたいとずっと思っていました。土日が休みでないため、近くても参加できないなと思っていましたが、やっと平日夜に練習しているところを見つけたのです。地元ではありませんが、これは川柳もそうですから。読書だけはよくしていたと思います。ひきこもりでしたから。正直いって大晦日だなんて、ピンと来ません。私なりに精一杯働いていたら、年末になったという感じです。母のこともさんざんありましたし、これからもあるでしょう。来年90才になる母は自分では絶対に認めませんが、初期の認知症かなと思います。検査を受けてくれませんから、診断のしようがありません。被害妄想に拍車がかかっているのは初期の認知症によくあることのようです。認知症になっても優しく明るかった父とは全然違います。でも、娘が元気で、猫もとりあえず元気、私も大病はしていませんし、今年はコロナにもインフルエンザにもかからず…当たり前です、ひきこもっていたのですから。胃腸炎だけはやりましたが、合う漢方薬にも巡り合えました。老化を感じたのは友達と会う機会がぐっと減ったからかもしれません。信頼していた先輩たちを次々に亡くし、寂しい限りです。先輩たちは私がゴスペルをやるといったら喜んでくれそうです。歌が大好きな人たちで、一人は実際にゴスペルをやっていましたし、一人はアマチュア合唱団に入っていました。二人とも退職してからのことですから、私も別のところで引き継げたらいいなあ。まだ始めていないけれど、予約だけはしたので年内に準備だけはしたといったところです。大晦日がピンと来ていなかったので今更ながら、最低限のものだけ、近隣に買い出しに行きます。ふだんと同じものを食べるつもりですけど。こんな情けない一年で、愚痴めいた内容ばかりで申し訳なかったですが、書くことで整理することができました。来年もよろしくお願いいたします。皆様、良いお年をお迎えください。
December 31, 2024
コメント(2)
最初はよくわからないし、読みにくいと思って数年放置。しかし、これは最初の数ページだけ、ということに気付いて、最近一気読みしました。これは「コンビニ人間」を読んだときの読後感と似ている。発達障がいや心身症の一歩手前で、推しと一体化するからこそ生きていける、そんな脆さとある意味での若い力強さも感じました。劣等感や愛着障がいがあるからこそ、見つけた光が「推し」なのですね。単に追いかけるというより、「推し」の拍手の一つでありたい、声援の一つでありたいという部分に、見返りを求めるのでなく純粋に「推し」ているのだなと感じました。読みやすい表現はわざと心がけられたようで、すごい作家さんだと思いました。「アルジャーノンに花束を」を思い出しました。私は還暦も過ぎていますが、劣等感が強く、愛着障がいも発達障がいも多分持っています。違うのは「推し」を持つエネルギーすら、若い頃からなかったことだけ。主人公はこの先、希望を持って生きていけるようになることを望みます。結論は出ていませんが。以上、感想文でした。実際の私はボーっと生きており、「推し」どころではありません。そういう意味では若いときと変わりませんが、ボケ方が加速しています。どうしたらいいのかわかりません。今日もジムはキャンセルしました。動けないのです。最近始めた川柳も暗いのばっかり。文字を並べているだけで、ひねりなんか入れられません。「足がつり 叫ぶ私に寄り添う猫」「悲しみは 布団で解消 極楽へ」極めつけファザコン川柳「お父さん 今夜の夢に出てきてね」いやー、落ち込む日々ですが、小説はいろいろ擬似体験させてくれるからありがたいです。作者は娘よりも年下。「老いては若きに従え」だからこれでいいのだ!明日も仕事です。もう一日、まともなふりをして生きていかなくては。本当はエネルギー切れかかっていますけど。あと2年半も働けるのかな。そうそう、そろそろ大丈夫かなと思い、寒いからブーツを履きました。そしたらまた、かかとが痛い。もう、一生、スニーカーしか履けないのかな。
December 27, 2024
コメント(2)
昨日も今日も仕事でドタバタ。帰りにジムは予約していたものの、疲労感が強くてキャンセル。先日、ホットヨガのあと、疲れたので慎重になっている。ついこの間まではホットヨガのあとはスッキリするし翌日元気になっていたのに。衰えたのか、今は怪しげな風邪が流行っているので免疫力が落ちたところで運動するとどうなるか、など嫌な想定をしてしまって。数年前だったか、やはり体調を崩すのが怖くて運動できないとカウンセラーに訴えたら、「体調崩してもいいからやってください!」と言われてその気になったんだっけ。数年前といっても今よりは若かったせいか、運動したからといって体調を崩すことは確かになかった。でも、今の年齢だとどうなるんだろう。職場ではインフルエンザも出ている。私は昨年インフルエンザワクチンでどえらいアレルギーを起こし、インフルエンザでもないのに出勤できなくなるという失態を起こした。顔が別人のように、お岩さんのように腫れ上がり、数日かけないとその腫れは引かなかったのだ。熱も何もないのに休むのは悔しかった。それに懲りて今年からはワクチンは受けていない。コロナワクチンも怖いし、インフルエンザワクチンも怖い。つまり無防備に出歩いているのだ。マスクは未だにしていますけどね。気休めかな。それで気付けばクリスマス。職場では優しい人達がお菓子を配ってくださり、感謝感謝。でもクリスマス、それだけ。チキンのことも忘れてコンビニのおでんを食べてしまった。誰かに「メリークリスマス」とラインしようかなと思ったけど、パーティ中だったら悪いのかなあ。先一昨年だったか、元旦にグループラインで盛んにあけおめラインを送った。まあ、みんな優しいから相手してくれるんだけど、娘はこれを見て驚いていた。「ママ、元旦はみんな忙しいの!このライン、みんなママに気を遣って付き合ってくれてるじゃない。忙しい元旦に迷惑!暇なのはママだけだよ」そーか。独り暮らしの私にみんな気を遣って話を合わせてくれたのか。翌年から、元旦からグループラインにあけおめLINEするのをやめました。もちろん、スタンプくらいいいと思うけど、私の場合は会話を求めるような書き方しちゃうもんなあ。おせちもお雑煮もない暇なのは私だけよね、みんな主婦だし。それを思うとクリスマスも…でもラインくれた友達、ありがとー。嬉しかったです。クリスマスとはいっても年の瀬で、忙しいときに限ってまだ慣れない私はミスを連発でひんしゅくもの。ちょっとショックで今日はお昼ごはん食べられなかった…でもお菓子を配っていただいたから、何も食べなかったって訳じゃありません。忙しいとみんなイラつくのかな。そんなにクレームのくる部署ではないのだが、今日は違う係だけどクレームの報告があり、殺気だった雰囲気になった。こういうの、Z世代の若者はめげちゃうし、年輩者は怒りをあらわにする方もいて、ヒヤヒヤした。私も若い頃はよく怒って上司に言い返したりしてたよなあ。年を取りすぎて、今はそんな元気ないです。怒ってもいい気持ちになることはないと何十年もかかってよくわかりました。相手の機嫌が悪けりゃ、うなだれているだけ。言い返す元気がないんです。ギャバを飲んでいると副交感神経優位だからよけいに黙っちゃいますね。ま、失敗は繰り返さないようにすること、それしか方法はない。なんか、とんだクリスマスだったかも。抗うつ剤飲もうかな。最近はギャバの効果の方が良くて飲んでなかったんです。もともと、うつ対策というより、胃の薬として飲んでいたものだし。明日のお休み、どうしよう。金曜日、土曜日と出勤なので疲れたら大変だし。というわけで話が振り出しに戻ったところでおしまい!皆様は楽しいクリスマスをお過ごしくださいね。
December 25, 2024
コメント(0)
母の安否確認のために電話をするたび、いつも落ち込む。人の悪口しかいわないし、私の悪口も言うし…事実ならともかく、最近はエスカレートしてきた。「あんたは同居していたおばあちゃんの椅子を汚ないって言って座らなかったよね?」はー?自慢じゃないが、年寄りやこどもをいじめる程あたしゃ、腐ってなかったぞ。ばあちゃんをいじめてたのはオカンやんか。なんで私になるん?その他エトセトラ、孫はとてもいい子で可愛いけどあんたが育てたんじゃない、あの子は一人で育った、あんな可哀想な子は見たことがないなどなど。「可哀想だったのは私やお兄ちゃんでしょ。娘は少なくとも親にいじめられたりしてないし」言い返すとむっと黙り込むが、次の電話でも同じことを言うのだろう。敵はどんどん増えて、頻繁に電話してくる姪っ子に絶縁を言い渡した。つまり、私の関西に住む従姉だ。彼女は彼女で問題はあるけれど、そこまでみそくそに言うこともなかろう。挙げ句に亡くなった兄には彼女がいて、お線香を上げにくるので、「お腹に赤ちゃんはいないわね?」と確認したのだととうとうと喋り出す。私はその場に居合わせたから、その子達がお線香を上げにきてくれているのはありがたかったが彼女たちはひたすら兄に同情していたのである。そして、あまり考えない性格なのか、兄が会社の人にどんなにいじめられたりばかにされていたりしたか、なんでお兄さんは無言で何も言い返さないのか悔しくてたまらなかったのだそうだ。それがあんな亡くなり方をして、同情が込み上げたのだろう。「お兄さんは年下の人たちにまでばかにされちゃって、もう、聞いてて辛くて辛くて」ふーむ、遺族には話さなくていい内容だとは思うし、深く考えない子達なのだろう。悪気はないのがわかるだけに返事に困った。なので母の話はデタラメもいいところ。日に日にエスカレートしていく作り話、それも自分はいつも悲劇の女王。とても聞いていられたものじゃない。だいたい、兄を最初にいじめたのは母であり、兄はいじめられっこ体質に育ってしまったというだけなのだ。家でも学校でも会社でもいじめられ、ノイローゼになり、亡くなった兄。母がたった一つ私を認めているのは私だけが兄をかばっていたということだけなのである。それを彼女がいたんだと妄想にかられ、否定する元気もない。あり得ないのに。私は落ち込んでしまい、心療内科の先生に話した。「ああ、それはね、認知症が始まっているんだよ。被害妄想入ってるんだよ」「気にしたって仕方ないよ、相手は病気なんだから」確かに母の被害妄想はどんどん膨らんでいく。私なんか、敵としかみなさない。それでも体は元気で、一応最低限の家事…食べ物を買ってきたり洗濯したりはする。そして何より犬を溺愛している。犬の散歩があるから母は足腰達者だし、ボケようとボケまいと犬が生きている限り、世話をするのが勤めだと信じている。犬に感謝なのである。よけいな口をきかず、母に散歩をねだりにくる犬。今度12才になる。ボケていて、まわりじゅうを敵にまわしてもかまわない。犬が慰めてくれるのだし、犬にとってはあんな母でも最後の砦なのだ。犬の最期まではしっかりみとりたいというのが母のたった一つの願望なのだ。それならそれだけでも叶えてやりたい。本来なら認知症グループホームの方が合っていると思うが、母の意地だ。まだまだ犬と散歩できるというのが母の支えだ。あと何年続くかわからないが、犬も自分の役割を全うしてほしい。本当は父に懐いていた犬だった。父がいなくなってしまい、あんな母でも懐かざるを得なかったのであろう。父を見ると飛び上がって喜んでいた犬。今でも寝るときは父の枕だそうだ。帰ってくると信じていると思うと切ないなあ。立派な介護犬である。娘の私は母と話すだけでボロボロになるため、医者からはあまり連絡をとらなくてよい、あなたが壊れるからと言われている。毎日の電話は叔母がしてくれているし、しばらくはお任せだ。それにしても認知症ってなんだろう。父も認知症になったが、優しいことに変わりはなかった。母は被害妄想をふくらませるばかりのたちの悪い認知症だ。ボケたくはないが、父のように人に笑顔を向けられる年の取り方をしないものである。これは遺伝らしい。私はどっちになるんだろう。母のような被害妄想認知症にだけはなりたくない。
December 24, 2024
コメント(0)
ギャバの効果は副交感神経を優位にして気持ちを落ち着かせるもので、ガンガンやる気にさせて24時間闘える人を作るものではなかった。確かに寝起きは良くなったし、何より悪夢を見なくなった。夢は見ているけど、それがハッピーな夢ばかり。昔、ときめいていた人に会えたりとかね。ま、現実にはそんなこと、起きませんが(笑)ちょっと残念だったのは、これでお休みの日にも昼寝をせず、ジムに通える!と思ったのですがやはりベッドに向かってしまうのでした。脳って不思議です。多分私は二年連続畑違いの仕事をして慣れないことばかりで、さすがに今年は脳疲労を起こしているのかなと思うんです。その証拠にエッセイを書いていると、脳の別の分野が働きだして元気になるんだもの。前回山中恒さんの「くたばれかあちゃん」の感想を書きましたが、今回は原点?の「ぼくがぼくであること」を再読しました。51年ぶりですからね。もともと推理的なことは得意でないため、初めて読むような気持ちにさせられました。「ぼく」こと秀一の母ちゃんもすごいですが「くたばれかあちゃん」ほど言葉遣いは悪くありません。昭和あるあるで、出世できない夫がもどかしくて、こどもたちには出世してほしくて勉強しろしろとうるさいこと。友達も追い返してしまいます。今回再読してやっとメッセージを受け取れました。確かに私も主人公と同じ六年生だったのですが、秀一ほど、客観的に自分の家庭を省みることができていませんでした。だから、わからなかったのです。「おれはおれ、母ちゃんは母ちゃん」というのは、「もう支配されないよ」と六年生にして言えたのです。自立したのです。母ちゃんはあまり成長できなかったけれど、秀一は成長した。自分をしっかり主張できるようになったから。この辺が私のような感情だけで生きていた六年生との違いなのですね。秀一は賢いのです。ボンクラな私は母に支配されて生きてきたことに気付いたときには50才過ぎてましたねえ。でも大方はそうなんです。昭和はこどもの人権なんて保障されていませんでしたから。どんな親でも親孝行するのが美徳でした。この親孝行というのは親に逆らわないということなんです。でも還暦過ぎていたって、手遅れじゃありません。現実には私の母は未だに元気で、私を貶めることに生き甲斐を感じているのかと思うくらいです。あの人の精神年齢は2.3才で止まっている。嫌なら泣きわめき、意地悪をして悪口を言いふらす。そして意外に男好き?私の別れた夫にまで会いたがるのですよ。離婚の主導権を握っていたのは母なのに。別れたら、自分が会おうとしてメールアドレスを聞き出したり、孫が父親に会いにいこうとすると「ばあばも、いきたい!」と騒いだり。ま、私の娘はクールですから、荒立てずに「二人分の予約しかしてないんだよ」とばあばを傷付けないようになだめたりしていました。実際は別れた娘の母親がついてくるのはさすがにおかしいと思ったのでしょう。かと思えば娘の私より年下の、父の入っていた施設の長に入れあげたり。もう、思いどおりにしたい人なんです。でも母は母、私は私。私も母とは距離を置いてクールに生きていきたいと思います。心配してたまに電話を入れても私の悪口三昧で電話したことを後悔します。ま、先日電話したからあと半年はやめておこう。こちらの心が壊れる。「ぼくがぼくであること」の真意を読み取れるしっかりした小学生だったら良かったなあ…過去に戻ってレクチャーしてやりたいです。でも山中恒さんの本を読むと元気が出てきます。大変な母ちゃんで苦しんでいた人は昔から多かったのでしょう。そう思うと、私だって、今からだって頑張ってみせる!と思えるんですよね。でもさ、やっぱり父に会いたいな。お父ちゃん、助けて。あ、その血を引いた娘がいるか。頼りになります。目だけは元気なんだから読むぞ読むぞ!
December 20, 2024
コメント(2)
今日は久しぶりに充実した休暇を過ごせました。ここ数年、休日といったら「寝るより楽はなかりけり」状態で起き上がれなかったのです。仕事の日には無理やり起きますが、その辛いことといったら。睡眠の質が悪いのでしょう。そこで始めたギャバ。まあ、トマトやバナナなどでも接種できるんですが、とにかく「めんどくさい」病ですから、栄養バランスのよい食事など作る気にもなれず、料理のセンスもなく。独り暮らしになってから酷くなりましたね。で、ギャバのサプリメント、効いたんです。たまたま、連日寝ていて疲れていなかったせいかもしれませんが、寝起きが少し良くなりました。お陰で今日は昼間からジムへ行き、ヨガとエアロダンスに参加できました。エアロダンスはかかとがまだ心配なのでかかとサポーターを付けてやりました。跳んだりはねたりしない運動なのも良かったと思います。痩せるにはもう少しハードな方がいいのですが、かかとが治っていないのだから仕方ありません。この後、お風呂でやっぱりちょっと疲れましたが…この頃お風呂で疲れるんですよね。でも、その後インターネットカフェでエッセイの下書きをしたら、脳の別の部分が活性化されたようで元気になってきました。私が疲れているのは脳疲労なんですかね。肉体的にはハードなことをしていませんから。先日の「過去日記でタイムワープ」を変形させて書きました。ちょっと私生活風になってしまいましたが、リアルな描写もたまにはいいかなと思いまして。娘が湿疹ができて体の片側が痛いからまた帯状疱疹かと連絡がきました。娘は20年前に帯状疱疹にかかっていますが、2度もやるのでしょうか。何科を受診すればいいのか聞いてきましたので、皮膚科を薦めました。明日行くそうです。帯状疱疹は辛いので違いますように。娘は喜んで通っていたホットヨガをやめるそうです。理由は旦那さんはジムで筋トレ、娘はホットヨガとバラバラ、仕事も忙しいし、すれ違いが多すぎるので、旦那さんと一緒のジムで筋トレにするそうです。旦那さんと一緒の方がいいとは思っていたので概ね賛成ですが、筋トレに通うのって楽しいのかな、続くのかなとちょっと心配です。ホットヨガのような爽快感とは違うし、続かない人が多いのを見てきましたから。ま、娘夫婦で考えてもらいましょう。健康であるならそれで良し、です。
December 17, 2024
コメント(2)
感想文の前に…時々、強制的にログアウトさせられるので、私は二つのブログをあっちこっちフラフラして書いているようだ。多分パスワードを忘れるからだ。まあ、いいか。過去日記で、娘が小学生のとき、「くたばれかあちゃん」を喜んで読み聞かせされて聞いていたので、読み返してみた。確かに面白いが今なら児童虐待だと言われてしまうだろう。母ちゃんに殴られたり噛みつかれたり…そして息子げんたろうはそこを素早く逃げ回り、心の中で「くたばれかあちゃん」と毒づく。決して暗くない。悪いことをしていなくても父ちゃん母ちゃんにぶん殴られるのは昭和あるあるなのかもしれない。「くたばれかあちゃん」とたとえ心の中でも毒づけるのは心が強い証拠だ。山中恒ってどんな人だったのだろう。最初に読んだのは小学生のとき「ぼくがぼくであること」だったが、内容を覚えていない。次に読んだのが借りて読んだ「頭の先と足の先」で、これまた強烈な母ちゃんだった。足の不自由な主人公は嫌でたまらないのに、遠足にも勝手に着いてくる母ちゃんが嫌で恥ずかしくてたまらなかった。先生に来るなと言われても来る。多分今だと差別用語にひっかかる言葉遣いが多いので絶版だし、図書館にも置いていない。娘が「くたばれかあちゃん」に出てくる母ちゃんがばあばみたいだと大笑いしたので再読したのだ。まあ、口の悪いこと、手の早いことは似ているが我が家の場合はもっと陰湿で、とてもじゃないが児童文学にはならない。だいたい、わたしがげんたろうのように明るくも強くもなく、びくびくしていいなりになっていたので、話が暗くなる。そんなこんなもあり、約半年振りに母に電話をかけてみた。母は元気でいつも誰かに怒っているのは相変わらず。今回は自分の姪っ子に腹を立てていた。つまり、私の従姉である。なので矛先は今回私に向かってこなかった。我が子に対する愛情は相変わらず薄い。孫については「あんないい子はいない。ま、生んだのはあんただから、あんたもいいことをひとつはしたんだね」ときた。「娘に対する思いは?」と聞いたら「生きてるんだろうなと思ってる」と情も何もない。自分の兄や妹に対する誇りやプライドは高く、「お兄ちゃんは大好きだったの。そのお兄ちゃんの娘だからと我慢してたけど、ついに縁を切った」と言っていたが、この人、しょっちゅう縁を切っては忘れるのであてにならない。自分の兄を美化すること、聞いていて気持ち悪い。従姉からは暴力をふるういわゆるDVオヤジだったと聞いているので、以前、ちらっとそういったらヤカンのように怒りを吹き出した。「私のお兄さんを悪く言うなんて!」あら、私のお兄ちゃんの悪口は言うのに。ついでに言えば私の父親の悪口も尽きない。私には父親の遺伝子が半分きているということはこの人には理解できないのだ。そして自分の母、妹がどんなに賢いか延々と自慢する。ついでに孫が賢いというのも自慢の種だ。「その孫ってのはあたしが育てたんだけどね」というと「あんたは賢くない!あんたに似たんじゃない!」と…まあ、私もそう思ってはいるけどね。だいたい、血縁が賢いとか自慢するのって見苦しい。「それであなたは?」と嫌みを言いたくなるが89才の婆さんだから黙っといた…いや、常に黙って生きてきたのだ、こどものときから。自慢するなら自分のことを自慢しろ。血縁が優秀だと自慢する人はたいてい自分にコンプレックスを抱いているものだ。「くたばれかあちゃん」と思えるのは幸せな証拠だ。「頭の先と足の先」は絶版だが、古本で取り寄せてみようかと思う。あの本は私の苦しさに少し共感してくれたように記憶しているから。でも、家よりましなのかな。山中恒さんの本をもっと読みたくなってきた。もともとは軍国少年だったようだが、戦後に方針転換したらしい。どのようなこども時代を過ごしたのか知りたいが、まあ、戦時中だから苦労したんだろうな。
December 17, 2024
コメント(2)
今週はバテました。朝の目覚めが悪く、起き上がれません。この年で起立性障害?と言っていても仕方ないので、ギャバを取り寄せてみました。睡眠の質が良くなり、目覚めが良くなるそうなので。結構、効果はあると思いますが、私の場合、怠惰による「寝ていたい」病なので、仕事以外の日はやはり起きる気になかなかなりません。だいぶ良くなってかかとサポーターなしで歩けるようになったのでスニーカーをやめて歩き出したら、また痛くなってかかとサポーターに逆戻り。泣きたくなります。運動どころではないので、ジムではお風呂会員と化しています。今日はお風呂会員しただけで疲れました。欲張って長湯したのがいけないのでしょうか。サウナに入っていた時間は短いのに。多分怠けすぎて体力が落ちまくっているのです。お年寄りにお風呂が負担になるという理由がやっとわかりました。お年寄りにはかなり体力を消耗することなのですね、お風呂って。最近、早世された女優さんはお風呂場で亡くなられました。体調の悪いとき、長湯は疲れすぎると、他人事ではなく思います。きっと亡くなった女優さんもいろいろな意味で人生にお疲れだったのではないでしょうか。ま、こんなことをボヤけばまた娘にクールに対応されることでしょう。「で、何を食べたい?」などと。暮れには一緒にまた鍋料理に行くことになっています。正月には一人でスーパー銭湯のつもりでしたが、娘が一緒に行きたいと言うので…思っていたところより遠出することになりそうです。暗くボヤけば明るく切り返してくる娘なので、感謝して楽しんでこようと思います。
December 16, 2024
コメント(0)
今日の句老化する わかっていても寝てばかりこの句は提出できませんな…来月のお題は「年末年始」なのだが、どうせ昼寝三昧だろう。呆けないためには運動が大事とわかっていても私はいつも疲れている。過去日記、子育て時代を読み返していたら、体力もないのにまあ、出かけまくっていたこと。夜更かしだって相当なものである。若かったなあ。働いているのだから、自分の時間を作るには睡眠を削るしかなかった。読み聞かせの時間も含めて相当な読書量だったと感心するというか呆れかえるというか。当時の記録を見ると、文学系のファンタジーを一生懸命読み聞かせようとするのに対し、娘は知識系の科学絵本を好んでいた。「かんがえる」とか「たくさんのふしぎ」にはかなりお世話になりました。私の読書傾向とは合わなかったけれど、娘は山中恒の本は喜んでいた。「くたばれ かあちゃん」を喜んで聞いていたと記録してあるがまだあるかな。「この時代のかあちゃんってばあばみたいだね」と娘が大笑いしていたと記されている。ビートたけしの「少年」も強烈な母ちゃんが出てきて娘を大笑いさせていた。そういう母ちゃんばかりでもなかったと思うのだが…私もいつか笑えるだろうか。さて、運動の話から逸れてしまったが、ジムを変わってから全くやる気が出ない。このレッスンは楽しい、続けたいという意欲が湧かないのは、急激に老化が始まったのか。最近はめまい、腹痛にも悩まされ、いよいよダメかなと思った。遺書を書くのもめんどくさいので、ラインで娘に簡単な葬儀の希望を書き残しておいた。そしたらあいつ、可愛いウサギのスタンプで「了解!」と返信してきやがった。まあ、いつまでも母親を慕うようではある意味子育て失敗だから、いいんだけどね。幼児期の日記を見ると娘はとても健気だ。卒園のまえには「ママ、いつもうれしいこといっぱいしてくれてありがとう。あたしもおおきくなったらママにうれしいこといっぱいしてあげるね」なんて手紙をくれて、泣かせるではないか。まだたった五歳だった娘に私はいけないことをした。夫婦喧嘩のあと、娘に愚痴ったのである。「パパはバカって言っちゃいけないっていうくせに、ママのこと頭悪い、頭悪いって言うの。言っちゃいけないって知ってて言うのは意地悪だよね」娘の答えはこうだった。「意地悪じゃないよ。パパはわからないだけなんだよ」お、父親をかばうのかい。小学校高学年になっても似たようなことを言った。夫婦喧嘩のあと不機嫌になっている私に「ママ、パパはボキャ貧なんだよ。ばーか、死ねを繰り返し言ってるだけで、ママのほうが過去のことまで持ち出して言い過ぎなんじゃない?パパはわからないんだから」お、かばってたのでなく、見抜いていたのか、五歳のときから。中学受験塾の先生にもこう言われたと記されている。「娘さんは確かに国語ができますが、文系ってタイプでもないですよね。かなり合理的なところがあって、感情的では有りませんから」娘は大学受験は文系科目で受験したが、文学部には落ちて、社会科学部というところに合格したんだっけ。文系でも理系でもなく、体育会系でもない娘は毎日面白おかしければそれで良いのだった。娘の在学中に大学を爆破するというネット予告が出されて大学側は大騒ぎ。急遽その日の講義は休講になった。そのとき、娘を含めた学生たちの反応はまったくふざけていた。「なんで今日なんだ、明日にしてくれれば良かったのに」明日のほうが講義が多いというわけだ。こんな不真面目な学生だらけのなかで娘は青春を謳歌していたのである。今だって適当に違いない。さて、これから昼寝をしたら、夜はホットヨガのレッスンにだけは出るつもり。ホットヨガだけはまたやりたいと思える内容なのだ。なぜなら汗びっしょりになって爽快だからだ。ダンスは…燃えない。あー、川柳のことを考えていたら、エッセイの宿題をやっていないと思い出した。過去日記のことでも書くかなあ。焦点は読み聞かせにするか、おでかけ三昧だったことにするか。寝てから考えよう。寝るより楽はなかりけり
December 12, 2024
コメント(2)
川柳の基礎もよくわからないまま、宿題の4句を作って行きました。お題は「ランチ」まずはこども時代の暗い思い出の詰まった川柳が…「日曜日 朝昼兼ねるこども時代」「土曜昼 こども食堂欲しかった」あはは、給食がないと母の機嫌が悪くて、いたたまれなかったんですよ、悪いことしたみたいに。さて、大人編「飲み会が年取るにつれ ランチ会」これはみんなわかるわかると言ってくれました。夜の飲み会、減ってますからねー。「職場では波風立てぬ 一人飯」新人ですからね、おとなしくしてないと。でもいろんなふうに解釈されたようです💦私の職場はデスクで一人黙々と食べる人が多いんですよ。近隣に飲食店が全くありませんし、ランチルームもそんなに広くないので、ここは若い人達や先輩に譲って…挙げ句の果てに私は読書なんかしてますから、これはどうなのかなって自分でも思います。読書してる人には話しかけにくいでしょうから、壁を作っているみたいに見えちゃうかな…でも、仕事場は喋るところじゃありませんし。小学生のときも休み時間、本を読んでいて、高学年のとき、先生が気にして家庭訪問で母親に注意していたのを思い出します。「ももんがさんは休み時間に本ばかり読んでいてちっとも外で遊ぼうとしないんです」母はびっくりしていました。四年生まで、それは褒められることだったのに、担任が変わると注意されてしまうわけですから。でも、お陰で少しずつ外に出るようになり、先生の心配していた頭でっかちのもやしっこではなくなっていきましたっけ。母は不満そうでしたけどね。母は外で遊んで怪我をされるよりおとなしく読書をしている方が安全で良いと思っていたのです。運動なんてできなくていいというのが母の持論。でも私は外に出られるようになってから弾けていきましたから、楽しかったのですが、母はそれも気に入らなかったようです。ただ、隙間時間でもさっと本の世界に入れるのは、小学生時代に身に付けた技です。で、今は新人ですし、そうでなくても私はお喋りなので、読書で口を封じておくのは今のところいいのかなーと思っています。川柳教室は今日は忘年会もあって楽しかったです。ただ、私は最年少。こういうシチュエーションは久しぶりです。年長者の方々は博学だし、話を聞いていて楽しいなと思います。70代の方々が多いのでしょうか。人生経験を積まれて、健康にも気遣い、素敵だなと思います。認知症予防のこともいろいろ教えていただきました。「会話、運動、栄養」だそうです。川柳で言葉を使うのは会話にもなっていいですね。栄養…これは私はまずいかも。最近ガスの調子が悪くてあまり調理できてない。もともと苦手だし。野菜ジュースと納豆だけは続けようと思いました。運動もヤバいです。ジムをサボってばかりいます。寒いからとプールも入りません。70代でガンサバイバーで脳梗塞もやったという方は特に運動に気を付けていて、朝のウォーキング、昼間はプールで3キロ泳ぐそうです。「私は100メートル泳ぐのがやっとです」と言ったら「100メートル泳げる人は三キロ泳げますよ」とあっさり言われましたが…泳ぎ方の問題もあるんじゃないかなあ。私は不要に力んでいますからクタクタになっちゃうんです。とにかく、ジムは続けなきゃ。川柳だって書けなくなっちゃう。俳句を選ばずに川柳にしたので、お教室探しは大変でした。圧倒的に俳句教室の方が多いのです。月曜日定休なので、月曜日の昼間にやっているところという条件で探したら、片道一時間かかるところでやっと見つけました。なんで俳句にしなかったかって?俳句は季語を入れて自然描写に心理描写を重ねて書くものです。川柳は人間描写になります。動物もいいかなと思いますが。視覚の劣る私は自然描写はちょっと苦手なのです。それにサラリーマン川柳や駄洒落川柳は楽しいですから。もっとも基本ができるまではそういう方面にはまだ行かずに、人間の持つ面白さを表現できたらいいなと思います。そして長文書きになってしまうので、短く表現することを学びたいのです…といって今夜も長くなりました。すみません。
December 10, 2024
コメント(2)
最近、ヨシタケシンスケの絵本にハマっています。大人向けの絵本です。五分くらいで読めますが、読むとほっとするので出勤前に読んだりしています…眠れぬ夜にも。「つかれているのかどうかよくわからなかったら」「つかれたことにすればいい」「おとなでいるのにつかれたら」「あしのうらをじめんからはなせばいい」(ブランコや木登りなどのイラストになります)「ひとのふこうをねがっちゃったら」「なみうちぎわにかけばいい」「難しくかんがえすぎてるきがしたら」「シャンプーであたらしいじぶんになればいい」「きょういちにちなにもすすめられなかったら」「136おくねんのうちゅうのれきしにおもいをはせればいい」などなど。楽しいイラスト付きです。つかれたり、めんどくさくなったとき、心が弱っているとき、効きます。第二弾も取り寄せることにしました。昨日はホットヨガだけやりました。ホットヨガは好きかも。大量に汗をかくので、達成感があるし、デトックスになります。サウナに長く入るのは苦手なので、ホットヨガで汗をかくと気持ちいいです。ただし、ホットヨガだけでは痩せません💦明日も(今日も)ホットヨガやります!
December 8, 2024
コメント(2)
今日は猫野ぺすかさんという絵本作家のお話を聞かせて頂く機会がありました。動物ファンタジーの画家さんですが、木版画で描かれています。動物たちの特徴を繊細に、優しく描かれているので、ペンネームからしてこの方は動物好きで、それもかなりの猫好きかなと思ったらやはりそうでした。動物福祉にご関心があり、こどもたちに動物好きになってもらいたいから子供用の絵本を作っていらっしゃるそうです。絵ももちろん芸術的で素晴らしいですが、お話も楽しかったです。こどものときから動物は身近にいたそうで、やはりこども時代の環境は大事ですね。でもペットを飼えないお家もあるから、絵本で親しんでもらうことは大切です。ぺすかさんの場合、住んでいた家の大家さんが猫好きで、家の廊下を猫たちが走っていたし、いじめられた猫が助けを求めてぺすかさんの部屋に飛び込んできたりしたそうで、借家だったのでしょうけれど恵まれた環境ですね。そして近所の犬も大好きで毎日撫でに通っていたそうです。噛まれることがあっても通っていたとか。私もこども時代を思い出しました。当時は借家といってもペット不可とか言われなかったので犬や猫を飼っている家は多かったです。みんな雑種でした。幼児期、ある家の犬は通りかかっただけでも盛んに吠えて、飛びかかられるのではないかと立ちすくんでいたのを思い出します。それなのに犬が好きだったのは、向かい側の家で飼っていた犬は私に吠えなかったんです。それこそ毎日のように撫でに行くので、犬の方でも私を覚えてしまい、「撫でてもいいよ」みたいな雰囲気でした。犬に吠えられることの多かった私はとても嬉しかったのです。黙って撫でられていたその犬は、家の人が帰ってくるとひょう変するのでした。飛び上がって大歓迎、尻尾を振って、大喜びするのです。飼い主っていいなあ、あんなに喜んでもらえて。羨ましくて我が家でも飼って欲しいと何度も頼みましたが、あまり動物好きではない母が許してくれませんでした。それが私がもう家の中のことに関心をなくしてしまい、犬も諦めて気にしなくなったとたんに、両親の気まぐれで犬が我が家に来たのです。嬉しいというより戸惑いました。その子犬はお世辞にも可愛い風貌ではなく、ねずみみたいに見えたからです。多分、赤ちゃん過ぎたのですね。しかし、その風貌の悪い子犬は膝に乗せてみたら、すやすや眠るではありませんか。そういうところは可愛いかもと思いました。その翌日、学校から帰ると…念願の歓迎が始まったのです。私を見て飛び上がり、尻尾を振って、私の帰宅を大喜びしているのです。前日に私の膝で眠ったことから、信頼を得たのかもしれません。私の犬好き人生が本格的にスタートしました。年を取って最後まで、動けなくなっても私を見ると尻尾を振ろうとしていた姿が忘れられません。しかし、以降私は犬を飼うことができなくなり、猫を飼うことになりました。これは共働きだったからです。犬と猫も遠い昔はご先祖が一緒です。森に残ったものが虎になり、草原に出ていったものがオオカミになり、それが猫と犬の先祖です。なので共通点はあるんですよ。だから両方好きなんです。犬派でも猫派でもありません。どっちも胸がキュンとするほど可愛いです。猫の方が野性的だし、人間のことは「出来の悪い大きな猫」くらいにしか思ってくれませんから主従関係は犬と比べると全くない。ないどころか、人間は猫の下僕といった位置付けかな。でも、家族を思いやってくれるところはあるんです。そこは犬と共通かと思います。私もぺすかさんみたいに描けたらなあ。絵本作家の画家さんは植物をテーマにしている人はやはり植物好きだし、虫を描く人も多いですがやはり虫が好き。動物を描く人、赤ちゃんや幼児を描く人といろいろですが、やはり自分の好きなものは好意的に描かれますね。こどものうちに動物好きにしておくと一生の宝物です。我が娘は猫を可愛がってはいたけど、気の向く時ばかり。と思ったら、結婚したら即、猫を飼ったのでびっくりしました。世話は私に押し付けていたのにできるのか?でも、ちゃんと、お世話して可愛がっています。やればできるのですね。ただ、娘の場合、好きなのは猫だけ、というのが気になります。犬は身近にいなかったからなあ。やはりこども時代の環境なんでしょうか。ハムスターしか、飼ったことのない婿さんは最初、猫を飼うことにためらいがあったようですが、娘にさんざん猫カフェに連れて行かれ、無理やり猫慣れさせて、やっと納得してもらったみたいでした。それに子猫はやはり可愛いですからね。婿さんも猫好きになってくれて良かったです。動物福祉のために私も、可愛いイラストくらい描けるようになりたいものです…しかし、私が描いたら動物嫌いになるかもしれないので、まあ、可愛いエピソードでもせっせと描いてみましょうかね。ぺすかさんには憧れます。
December 7, 2024
コメント(0)
図書館で予約していたブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」がやっと届いた。これの1は数年前に読んだ。確か、ベストセラーになったので興味を持ったのである。みかこさんはイギリス人と結婚してイギリスに住み、労働者階級が住むという団地でイギリスの階級制度や移民に対する差別などを冷静な目でみたノンフィクションを書き上げたのである。イギリスと言えば王室程度のことしか知らない日本人は…私だけではなかったのだろう。その格差たるや、当時の私は仰天した。しかし、数年後、日本もそうなっていくとはあまり思わなかったのだけれど。ハーフの「ぼく」は確か、最初はカトリックの私立学校に通っていたのだが、日本で言う中学の段階になって、みかこさんは底辺と言われる公立に転校させた。様々な人達と触れあってほしいという気持ちもあったし、みかこさんのご主人も労働者階級だから経済的な側面もあったのではないだろうか。何年も前なのでかなり忘れてしまったが労働党が政権を持っていたので、貧困層にもかなり手厚い時代だった。びっくりしたのは児童虐待の定義が厳しくて、シングルマザーが育児をネグレクト気味にしていると、すぐに里親に預けられてしまうという制度だった。こどもを愛していないわけではないので、里親にこどもを連れて行かれた母親を当時哀れにすら思った、というのが当時の私の感想だった。今は保守政権なので、生活保護費もどんどん下げられて格差は広がる一方のようだ。そんな中で「2」は思春期を迎えた「ぼく」がこの社会はどうなっているのか、感情も交えながら客観的に世の中を見ている。かなり優秀な「ぼく」だということは読んでいてわかるし、底辺校と言われる中等部でも徹底的にこどもたちに考えさせる教育をしているし、ここは日本はやはり遅れている。自分で主体的に考え、意見を言うのが当たり前の学校教育なのだ。LGBT、多様性の問題は日本の図書館でも大事にとらえ、考えさせる本を大量に用意しているが、学校教育の現場ではどうなっているのだろうか。図書館に通ってくるこどもたちはもともと勉強熱心で問題意識も高いが、学校の中でそれが多数派なのかどうか、現場にいない私にはわからない。聞こえてくるのは教員不足の実態ばかりである。「2」を読んでいて、今回衝撃的だったのは父ちゃんの言葉だった。「ぼく」が珍しく数学で悪い点数を取ってきた。みかこさんは何も言わなかったが、労働者階級とはいえ、穏やかで明るく、人情的な白人の父ちゃんがブチきれたのである。「俺だってもちろん、人のことは言えない。おれも勉強がきらいだったから、成績は悪かった。だからおれが今どうなっているのか見ろ。ガタが来ている体に鞭打って一晩中ダンプを運転して、スズメの涙みたいな賃金しかもらえない。おまえにはおれのようになってほしくないから言ってるんだよ。頼むからおれみたいにはなるな」「ぼく」はこう言われて泣いた。怒られたからではない。「おれのようになるな」とそういうことをこどもに言わなきゃならない父ちゃんの気持ちを考えるとたまらなかったのである。「労働者階級のもののあわれ」を12才にしてわからなければ、ならなかったのだ。私はハッとした。「私のようにならないで」と願った子育て。父ちゃんの気持ちが痛いほどわかる。私だってそう思って子育てしてたんじゃないのか。何とも胸にせまる言葉だった続編に期待したい。
December 6, 2024
コメント(2)
ジムのマシンをきっかけにやってしまった足底腹膜炎。すぐに治るかと思ったら1ヶ月近く治らず、かかとサポーターをする日々。歩くとかかとが痛いのだ。せっかくムーミンバレーパークに行ったのに途中からまともに歩けなくなる始末。膝が治ったらかかとか。かかとも結構辛い。歩く度に痛くて、私は人魚姫か。人魚姫は愛する王子のために耐えたが、私にはそんな想い人もいないし、推しもいない。人間はどこか一ヶ所痛むだけでこうも無気力になるものだろうか。休日はひきこもり、唯一の楽しみはTVerやオンデマンドでドラマを見ることだけ。ああ、危険だ。祖母も父も最後はテレビしか楽しみがなく、認知症になっていった。ひきこもると鬱々として、過去の傷がフラッシュバックする。ダンスは無理でもヨガくらいは…これも足で体を支えると痛いのだが、なんとヨガをやっていくと少しずつ足の痛みが引いてきた。まだ無理はできないが、ヨガは体にいいんだなと再認識できた。調子に乗らず、休日のみ続けていこう。ひきこもっているとろくなことを考えないが、仕事では本の選定などをして、新たな読書の喜びにも気付いている。今日、担当した本は陰キャラと呼ばれる少女が絵の世界に幽体離脱のように入っていき、そこで自信を取り戻す物語だった。絵の才能がなくて残念、そこまで絵に感情移入できないのだが、私もそんなファンタジーな世界に入ってみたい。「はてしない物語」を思い出させる内容だった。本とヨガが私の鬱を治してくれている。というか、今年は人間関係に恵まれ、できないながらも本の選定という充実した時間を神様にプレゼントしてもらったと思う。絵の世界に入れないが、本の中には感情移入できる。自分の好みだと昔から遠藤周作、有吉佐和子でこれらも未だに読むし、楽しい。でも今は図鑑を見ても楽しいし、科学の本の選定も楽しい。認知症は心配だが、ドラマは楽しかった。やはり「光る君へ」お陰で短歌に興味を持てた。そして「宙わたる教室」は原作も読み、宇宙にも興味を持てた。かかとはあと一息!ヨガをやっていて良かった。
December 4, 2024
コメント(0)
今日は友達と食事してきました。やはり私は急激にまた太ったようで、何故なのか一緒に考えてくれました。そして色々話しているうちに抗うつ剤だと気付きました。もともと胃潰瘍の人のために作られた薬です。胃潰瘍にかかる人はくよくよ悩みがちです。でもこの薬を飲むと前向きになれる人が多いことから抗うつ剤としても使われるようになりました。思い出しました。前もこの薬で食欲増進して食べ過ぎて太っていたのです。やはりこれは頓服にして一日三回飲むのは辞めようと思います。不安の強い人間ですが、今までどおり運動で発散しようと思います。今日はベリーダンスに初挑戦しました。時間帯の関係で続けられるかまだ未定ですが、私には合っているかも。お腹周り痩せそうですしね。工夫してみます。一緒に考えてくれた友達に感謝です。
November 15, 2024
コメント(4)
帰宅すると、ここちゃんが必ずお出迎えしてくれます。そして私作曲のラブソングを聞かされるここちゃん。「ここたんたん、可愛いここたん、大好きここたん🎵」ここちゃんはちょっとシラッとしつつも、私の行動に期待を寄せます。「歌じゃなくてチュールをお願い」みたいな。実はこの歌、替え歌なんです。私の作詞作曲ですけどねっ!先猫のジャムくんにも歌っていました。「ジャムたんたん、可愛いジャムたん、大好きジャムたん」ジャムくんの場合は黙っていませんでした。「にゃー、にゃー」と反論するのです。「はよ、鰹節くれー」と私を餌場に誘導していました。ここちゃんより露骨でした。当時はチュールってなかったので、鰹節がおやつだったんですよ。昭和っぽいけど、平成でした。ジャムくんが虹の橋を渡ってから、二代目猫ここちゃんが来ることになり、この歌は受け継がれました。私はよく独り言を言ったり鼻歌も無意識に歌います。それで、この歌が癖になっていて、昨日も歌っていました。「○○たんたん、可愛い○○たん」ハッとしました。それは娘の名前でした。そう言えば…ジャムくんへのラブソングのつもりでしたが、その前に娘に歌っていたんだと思い出しました。26年前か。ゼロ歳だった娘を抱っこして揺らしながら歌ってたんだ…でも娘が話せるようになり、こんな歌を保育園で真似して歌われたら大変!どんな親バカかと思われるでしょう。それで娘じゃなくて猫に歌うことにしたのでした。猫なら、人に言わないし、「キショイ」とか言わないし、猫バカと思われても上等!でもふと口をついて出たのが娘の名前だったので焦りました。将来、ボケて娘の名前で歌ってたらどうしよう!そうでなくてもたまにここちゃんに向かって「ジャム」と言いますからね。夢の中ではさらにこんがらがって、今飼っているのはジャムだと思い込んでいるときがあるのです。夢に出てくる猫はジャムなので。19年間も一緒に暮らしましたからね。ここちゃんも8才になりました。いつまでもラブソングを歌ってデレデレしていたいです。さて、川柳教室、月に一回ですが通うことに決めました。やはり、私は通信教育じゃなくて、通わないとやる気になりません。ここの川柳教室の先生が最近書いたエッセイを見せてくださったのですが、すごく面白かったのです。ユーモアの精神溢れていました。言葉の技術を磨いている人は違いますね。変なラブソングを書いて気持ち悪がられたりしませんね。ジムも面倒になりかけていましたが、昨日久しぶりのホットヨガをやって汗びっしょりになったら爽快でした。のんびり続けていこうと思います。デスクワークになってから腰痛になっているのでヨガで柔軟性を身に付けたいですねえ。今日はサボりましたけど。一日おきくらいでいいかな。細く長く続けたいと思います。楽しいこといっぱいの日々を作っていきたいです!半年以上も経つのに、まだ仕事をミスるのはメゲますが、他の場所を持っているっていいのかなと思います!
November 13, 2024
コメント(3)
こんな時間に目覚めてしまった。昨日はお休みだったが私のミッションは一つ。健康診断だ。これが超苦手。しかも予想通りブクブク太ってまたメタボ認定されるような数値に。太ったのは訳がある。ジムを変えてからモチベーションが上がらず、サボってばかりいるのだ。設備の整ったいいジムだし、インストラクターもいい人たちだけど…どうしてもこのレッスンを続けたいという動機付けにはならないというところだ。アウェイだしね。ジムの人間関係は下手に関わると泥沼なので、アウェイは気楽でいいんですけどね。そしてジムをサボり、休日は寝てばかり。おかずが乏しいから炭水化物中心の生活。太って当たり前だ。私は一念発起した。仕事と家の他の自分の場所をジムに依存し過ぎた。エッセイサークルには行っているが月に一度だし。私の趣味は運動というより文芸だろう。月曜日休みが多いことから、月曜日のカルチャーセンターを発掘した。やりたいのは川柳。11日に体験に行くことになっている。本当は65才の第2の定年を待って始めることにしていた。しかし、何が起きるかわからない。通信教育もトライしたがすぐ、挫折した。私は通わないと続けられないのだ。決して近くなく、乗り換えありだが、月曜日にやっているというところに惹かれた。元気だったら、帰りはプールで泳いでこようっと。乗り換え先に系列のジムがあるからだ。
November 9, 2024
コメント(2)
私にしては珍しく、ドラマにハマっておりました。我が家のテレビはぶっ壊れておりますが、今はスマホの配信サービスがあるので、それでいいかなと。「海に眠るダイヤモンド」これ、いいですね。いい年して、軍艦島のこと、知らなかったものですから、目を見張るようにして釘付け状態。神木くん、やっぱり上手い!「宙をわたる教室」これもめちゃめちゃいいじゃないですか。原作を読みたくなり、頂き物の図書券を握りしめて書店に行きました!ベストセラーシリーズのところに面だしされておりました。やはり、テレビでやるとねえ。と思ったら、これ、昨年の高校生の課題図書なんですね。正確には読書感想文コンクールの課題図書です。ドラマもいいけど、原作はさらに細かく描かれていて、まだ途中ですけど、胸に迫るものがあります。一章のディスクレシアの青年の部なんか、涙が出そう。ディスクレシアなんて知らなかった青年は、こどものときから、計算や暗記はできるのに、文字を見ると気持ち悪くなって、どうしても読み書きできず、努力が足りないだのなんだのと言われて、だんだん学校へ行けなくなります。でも、車の免許を取りたいから、定時制高校でもう一度頑張ってみることにしたのです。ディスクレシアだとわかったときの彼の言葉が切ない。「俺はやっぱり不良品だったのか。でも、俺は馬鹿だからできなかったんじゃねえんだ。何だよ、みんなで馬鹿にしやがって」悔し泣きする彼を見て、わかるよわかるよともらい泣き。私だって、脳に何かあるから空間認識能力無さすぎて極度の方向音痴で苦労してきたんだもの。でも、地図を見てもわからないけど、言葉で説明してもらうとわかるんです。数的処理や論理力もないから苦労して…あれ、私はやっぱりできないこと多すぎるよなあ。不器用だし。ま、私のことはいいか。「未来の私にぶっかまされる」これはちょっとコメディタッチで面白いですね。私が30年前に行ったら、私に対してどんなアドバイスするんだろ。その結婚、ダメよってやっぱり言うかな。仕事は続けてもいいけど、最後まで苦労の連続だぞ、もっと趣味を大事にして、もつともっと読書しておきなさいって言うかな。いや、高校時代くらいまで戻れたら、部活もやっていいけど、図書委員くらい引き受けて本からそんなに離れないでと言うかな。私、部活で疲れきって家でも授業中も寝てばかりいましたからね。頑張るのはいいけど、向いてないことにそこまで精力使わなくていいんだよとアドバイスしたい。そして、高校の先生に「お前、英語好きなんだろ。英文科に行けよ」と言われたのに「嫌です。私は資格を取って福祉の仕事をするんです」なんて逆らわない方が良かったのかなあ。図書委員は誘われたけど断って、ボランティア活動してたっけ。だって福祉の道に進むんだもん!と意気がっておりました。でも、ドラマと同じく、結局運命なんて変わらないんです。私は英語をやっても外資系になんか就職できなかったと思うし向かない運動?それ、今もやってるんですが💦また向いてないことに努力してるのかなあ。でも、運動しているから元気なわけだし。結婚も向いていなかったというか、私は本当に騙されやすい。でもあの結婚をしていなければ娘に会えなかった…と思うと、やっぱりこれで良かったのかなあ。私は娘が大好きですから。それに、図書委員はやらなかったけど、今はたくさんの本に囲まれた生活をしている。やはり、こっちの道に来たのかな。人生なんか若いときに思い描いていたものと違って当たり前なのでしょう。そうそう、100メートル泳いでも疲れなくなってきました。疲れないってことは消費カロリーもそれなりのようで、体重は全然減りませんっ。今週健康診断があるのに、どうしよう。
November 5, 2024
コメント(2)
今回のエッセイサークルのテーマが「変わる」だったので、この3年間の変化を書いてみた。直近の変化も。以下、エッセイの下書きである。変わらざるを得なかった三十九年間、保育園で働いた。かなりの肉体労働であるため、定年は六十五才だったが、六十一歳で引退した。疲労が限界に来たと感じたのである。その後、還暦過ぎだというのに、初めてのオフィスレディとなる。嘱託だ。肉体的には楽になったが、頭脳疲労を起こした。慣れないパソコン業務、相談業務、新たな人間関係に私は壊れ始めた。パソコンが苦手で、固まるとエッセイに書いていた林真理子氏の気持ちがよくわかった。一年でギブアップしたため、六十二歳で今度は図書館の嘱託に変えてもらったのが今年だ。図書館を希望したのは単に本好きだというだけで、どんな業務が待ち受けているかさっぱりわかっていなかったところが自分でも怖い。本の貸し出しなどは機械でもできてしまうため、そういった作業に出番はない。結局、パソコン業務が殆どということになり、しまったと思っても、もう遅い。昨年までの事務とはまた、全然違う種類の事務だ。幸い係の人たちが親切だったので、手取り足取り逐一教えてもらいながら、必死になって覚えようとしている。悔しいが、もともと覚えが悪い上、老齢化した頭に叩き込むのは容易ではない。本が好きでなければ務まらなかっただろう。といっても勤務中に読むわけにはいかないから、休憩時間や勤務終了後に本を借りに行ったり、読んだりするのが楽しみなのである。本に囲まれた環境が好きだ。こども時代からの憧れの環境である。もともと、児童文学が好きだし、担当も児童書だったから、必然的に児童文学の読書量が増えていった。そして、それまでの自分では読もうとしなかったジャンルも目が行くようになり、選ぶのも借りるのも楽しい。簡単でもいいから、感想をレビューとしてスマホで書き込んでいる。仕事環境が三年連続で変わっているのだから、私生活は変化があまりないほうが本来なら好ましかったかもしれない。しかし、この三年の間に娘は結婚して家を出ていき、慣れぬ一人暮らしが始まっている。猫がいたから良かったようなものの、いなかったら寂しさに心が荒んだかもしれない。やはり、温もりのある生活はありがたい。そしてここへきて、五年以上通っていたジムを変わることになった。理由はいろいろあるが、一番大きな要因は加齢である。もともと変形性膝関節症を持っていたのだが、気合と体力でカバーしてきた。しかし、何度も膝に水が溜まり、治療費もばかにならない。治療より予防策を考えることにした。一番いいのはプールである。体重の負荷をかけずに足腰を鍛えられるからだ。残念ながらそれまで通っていたジムにはプールがなかった。そこで最寄りのプール付きのジムに変えた。たかがジムと言うなかれ。私にとっては結構長い時間を過ごすところなのである。足の治療が目的だからプールはもちろん使うが、ダンスを諦めたわけではない。むしろ、ダンスを続けたいからプールで運動をするのだ。今日はプールで、翌日はヨガ、別の日にはダンスというスケジュールになっている。どれも上手くないというおまけ付きで、劣等感も強くなる。それに新しい環境なのでやはり、緊張もする。さすがに「はて」と考え込んでしまう。結局、何をやりたいのだろうか。ダンスは下手の横好きなので、生き甲斐とまでは言えない。気晴らしに近い。プールもヨガも健康のためだが、健康のために生きているのか。読書量が増えたものの、寝転んで読むため体重まで増えているではないか。これ以上、運動はできない。いろいろな変化に脳が疲れて何を本当にやりたいのかわからなくなっている日々である。
October 30, 2024
コメント(2)
またまた児童文学を読んでいる。お薦めリスト作成のため、分担して持ち帰り、読んでいる。私は勤務日数が少ないのと、児童文学が大好きなので割り当ては多め。今日の「ぼくの色、みつけた!」は色覚に障がいを持った男の子の物語で、人によって色の見えかたはこうも違うのかと改めて勉強になった。この子のお母さんはもともと美術を勉強していたのだが、妊娠、出産をきっかけに夢を封印する。そしてこどものために一冊の絵本を作った。その絵本ではララ(夢、やりたいこと)を追いかける人たちがたくさん出てくる。ダンスだったり、登山だったり、音楽だったり、小説書きだったりする。主人公の女の子もララを追い求めようとするが、最終的には「子育てが私のララ」と自分を納得させるという筋書き。しかし、男の子は釈然としない。自分を生き甲斐にされてしまうプレッシャー、色覚に障がいがあるから可哀想と思われることの抵抗。そしてこの男の子は自分に見える色で絵をかきはじめる。自分の色を見つけて繊細な絵を描いていく描写が素晴らしかった。この子は自分のララを見つけたのだ。そして、母親にも、自分ではない夢を持ってほしいと願う。母もまた絵に向き合い始める。夢に…ここではララと呼んでいるが…年齢は関係ないのだ。確かにこどもは生き甲斐になる。幼いうちは何よりも優先したくなる。しかし、大きくなるにつれてそれはこどもにとっては重たくなるのだ。それにしても、私にとってのララって何だろう。今はジムに通うことが多いが、それが夢かと言われると首をかしげたくなる。確かにダンスは芸術で、インストラクターの華麗なダンスを見ると胸がときめくほどだ。しかし、鏡に写る自分はロボットのような、硬い動きでステップも間違えてばかり。音楽が好きなので楽しいけれど、これを夢と言えるのはもう少しまともに踊れてからだろうし、才能は残念ながらここまで。楽しければそれで良い、健康にもいいのだからという程度。書いたり読んだりするのは大好きだが、自分に論理性が欠けていることはわかっているし、空間認識能力が低すぎて情景描写も苦手だ。つまり、立体的には書けないのである。動物は大好きだ。私は犬や猫に育てられたようなものである。しかし、これもララとは違う。娘に至っては完全に自立されてしまったし、寂しくてもそれは喜ばしいことなのだ。私は重たい親になりたくない。還暦過ぎても自分が本当にやりたいことはよくわからない。もっとも、やりたいことが必ずしも上手くなくてもいいのかなという気がする。自分が好きかどうか、それをしていると胸がときめくかどうか、それでいいような気もする。今は児童文学を読むことが楽しくて仕方ないので、とりあえず、流れに身を任せよう。
October 23, 2024
コメント(2)
「マチルダは小さな大天才」を読みました。痛快、痛快。しかし、この作品、ネグレクト問題も含まれていますので、今後はこういう作品が児童文学として出てくるのか心配です。児童文学はこどもの虐待問題などを扱うとフラッシュバックを起こさせてしまうこともあり、かなり慎重になっているんですよね。さて、急に寒くなって、本当に急に秋です。秋と言えばやはり食べ物が美味しいので太って困ります。独り暮らしの私は料理なんかうまく作ろうと失敗しようと、誰にもなにも言われませんから好き放題、手抜き放題です。最近はガスの調子も悪くて具だくさん味噌汁を作れなくなりましたが、なーに、炊飯器があります!なんでも炊き込みご飯、というのが今のブームです。何か物語を思い出しながら具剤を入れると楽しいです。油揚げは「橋のない川」を読んだとき、貧しい一家のご馳走でした。油揚げ炊き込みご飯です。美味しそうに食べる一家の様子を思い出しながら、油揚げを入れ、リンドグレーンの「私たちの島で」に出てくるキノコを連想しながら、しめじとかマイタケを入れます。戦後の闇市を思い出しながら、サツマイモを刻んで入れ、だしの素と醤油で味付けした私の物語炊き込みご飯の出来上がり。美味しいかどうか知りません(笑)私には美味しいです。先日は冷蔵庫に食べ物が少なくてなんの炊き込みご飯にしようかと考えました。しめじとミックスベジタブルがあったのでこれで炊き込みご飯にしてみました。意外に美味しかったです!ミックスベジタブルの甘味が効いていましたし、キノコはなんでも好きですから。食後に濃いめのコーヒーを…缶コーヒーですが(笑)ムーミン一家の大好きなコーヒーでほっと一息。ムーミン家って朝ごはんはコーヒーだけってこともあるんですよ。北欧ではコーヒーなくしては一日が始まらないのですよね。ムーミン家の食事も質素です。コーヒーのほかはサンドイッチが多いのですが、これがジャムを塗っただけ、という。でもみんな幸せそうに食べています。日本人が、おにぎりと味噌汁で幸せなのと一緒なのでしょう。ムーミン家は海沿いで、魚料理も多いですね。というか、肉料理のメニューは見たことがないです。スナフキンもコーヒーばっかり。それと当時ですからパイプにタバコですよね。私も魚は好きですけどね。今度の炊き込みご飯はツナ缶や鮭缶を使う予定です。4連休ですが、出かける予定もないので図書館で児童文学を何冊か借りてあります。ミヒャエル・エンデの「魔法のカクテル」とか、日本のも読まなきゃと「茶畑のジャヤ」なんかも借りてあります。今日は間違えてジムに一時間早く到着してしまいましまので、エアロバイクを漕ぎながら魔法のカクテルを読んでいました。そう、ジムには行くんです。昨日友達に「毎日ジムに行くのは行きすぎかな」とぼやいたら「あんたは行った方がいい」と言われました。そ、家にいると意外に本も読まず、ダラダラ廃人になってますからね。ジムは本も読めるし、あつーいサウナにも入って来られるし、もちろん運動もしてきますから、私には必要な場所のようです。今日はジャズダンスとズンバをやってきました。楽しかったです。明日はプールをやらなくちゃ。
October 12, 2024
コメント(2)
私の夜ドラタイムが消えつつある。夜ドラとは朝ドラを朝に見る時間がないので夜観ていること。皆様は一日の始まりに観るのでしょうが、私は一日の終りに観るのをここのところ、楽しみにしていました。前回3作が良かったからなあ。「らんまん」は牧野博士の植物愛に魅せられた。借金までしちゃって研究に打ち込めるのはある意味幸せです。そこまで夢中になれるっていいですよね。次の「ブギウギ」も忘れられない作品に。歌劇団のことを知らなかった私には魅力的な番組でした。特にあのラインダンス!もし若ければ挑戦してみたくなるに違いありません。(実はジムで挑戦させられました💦)「虎に翼」は前触れもそんなになく、期待せずに観たらどんどん引き込まれていきました。明治の女性なのに令和の問題も絡めているところが、脚本さすが!でもこの番組は女性に受けたのでは?怖い雰囲気を感じていた家庭裁判所が愛の裁判所として描かれるのも好感が持てました。この3作はモデルがしっかりいたのが良かったのでしょう。今回の「おむすび」残念、ギャル語の連発に疲れました。平成ギャルってそんなに一般的だったのでしょうか。私の中高生時代は横浜ぎんばえのリーゼント頭がどこもかしこも溢れていて、女子はスカートが長いくらい?言葉遣いはそれほどひどくないというか、せいぜい女子も男子言葉で喋ってたくらいかなあ。あの時代の方が描くなら面白いかもです。ツッパリと貧困が切り離せない時代でしたから、今の格差問題にもつながると思うし、テーマはいろいろ見つけられそう。平成はねーデフレが続きましたし、就職難も続きましたね。ギャルで語らせちゃつまらんよ。なので次回の「あんぱん」に期待することにしようかな。こちらはやなせたかしさんというモデルがいるし、主人公はドキンちゃんがモデルでしょう。やなせさんは下積み時代、長いですし、晩年に成功を収めて、共感を呼びそうです。そ、私が年なんですよ。リーゼント、ツッパリは知ってるけどギャルってなに?なんだ、その言葉遣いは?なんて感じなので、私より若い世代向きかも知れませんね。ギャルが体調を崩しているとき、食べ物との関連性に気付くところが栄養士になる伏線なのかもしれません。ところどころ、面白かったんだけど…書道にしても野球にしても、極めて描いてくれたらもっと興味を持てるんだけどなあ。しばらくドラマはお休みしてドキュメンタリー視聴することにしまーす。
October 10, 2024
コメント(2)
湊かなえさんの「母性」を読みました。母と娘について書かれていて、映画化もされたようです。でもいわゆる毒母ものとはまたちょっと違う感じを受けました。大人になりきれなかった母親、いつまでも自分の母親に甘えていたくて、我が子には愛情を持てなかったというストーリーです。心理学的に言うと愛情深く育てられた人は愛情深い母親になれる確率が高いのですが、そこまでは解析されていませんでした。うちの娘も「自分が一番可愛いから、こどもいらなーい」なんて言って親をがっかりさせてくれていますけどね。そうそう、この娘さんは母親に触られると強い拒否反応を示していて、そこは共感できました。もちろん、触覚過敏だったりする例もあります。しかし、多くは乳幼児期からのスキンシップ不足、何度も拒否された経験を脳が無意識に記憶しているから体がそう反応するのです。私は赤ちゃんのときのことは覚えていませんが、物心がつくと、母が人前だけでは抱っこしてくるので強い拒否感、違和感を覚え、気持ちが悪くなったのを覚えています。小学校六年生のとき、友達親子と四人連れで映画を観に行ったことがあります。「王子とこじき」という洋画でした。母は子どもに合わせた映画を観に行くのは腹の立つことだったのですが、このときは友達母に誘われて断れなかったようです。映画へ行く道々、友達はお母さんと手を繋いで歩き、とても楽しそうでした。可愛がられて育ったのが12才の、私にもよくわかりました。私たち親子は少し距離を置いて歩きました。母は私が手を繋ぎたがらないのを知っていたと思います。それは遡って四年生のとき、父と母と3人で新宿の飲み屋街を歩いていたときでした。母はビールも飲んで程よく酔って機嫌が良かったのでしょう。何度も私と手を繋ごうとしました。私は手をパーに開いたまま、絶対に握り返しませんでした。3回目に、母はいつものように悪魔の囁きを私の耳元でつぶやきました…父には聞こえないように。「あんたが手を繋げないように手を広げてるってわかってるんだからね」母なりの牽制だったのでしょう。私がそうなるまでに、多分私はたくさん意地悪されたり放置されていたんじゃないかなと思うんですよね。幼稚園のときに既に、母の膝に乗るのが嫌でたまりませんでした。たまらない嫌悪感に襲われるからです。時は過ぎ、私も母となり、不思議だなあと思ったことがあります。娘は小学校6年生になっても私が帰宅するとハグしてくるし、中学受験が終るまで私と一緒に寝ていました。私とは全然違うなあ。湊かなえさん、渾身の作だそうです。未読の方はぜひどうぞ。
October 9, 2024
コメント(0)
今月から正式にジムを変わりました。まだまだ初心者マーク状態で、どこのスタジオで何をやっているやら、予約の仕方、予約を要領よくする方法…など、勝手が今までとは違うので右往左往。これはすぐに予約しなきゃ、とスマホを抱えて座り込んでいると「そこはスマホ禁止地区です」なんてスタッフに注意されたり…今までそういうのなかったから戸惑うわ。どのレッスンがどうなのか、出てみないことにはわからないので、出まくり…予約が許す限りはね。人気のレッスンは何週間も先までみんな取ってしまい、空きゼロなんてのもしょっちゅう。今月からリトモスやろうと思っていたのに、全然取れないので諦めました。こういうのは継続して出ないと覚えられないですからね。背骨コンディションなんていうのもあって、これも空きなし。よほど背中にいいんでしょうか。出られないと興味が湧くけど、諦めも早い私です。人数の少ないレッスンはすぐに打ち切られるようで、どのレッスンも人気ありのものばかり。出てみたのはジャズダンス、ラテンダンス、フラダンス、ズンバ、ヨガ、アクアビクスかな。前と変わらない~。ベリーダンスにも出てみようとしましたが、その前に2つレッスンに出てしまい、間も空くので諦めてしまいました。ええ、レッスン2つで疲れるようになってしまったのです。前のジムもインストラクターは良かったのですが、ここもベテランが多くて満足。やはりベテランは教え慣れているので、若さだけではこの業界、やれないんだよなー。今日はジャズダンスとズンバ。どっちのインストラクターも面白い人達でした。このズンバは人気があるようなので早めに予約しておきました。実際は予約しても来ない人がいるので満席ではなかったですね。どこのジムも同じですね。特に今日は雨でしたから。ふつうのおじさんに見えたインストラクターで、なんで人気あるのかなと興味がありました。躍りはシンプルで難しくなく、結局、この人、面白い人なんですね。時々会員とにらめっこのようなことをして笑わせたり戸惑わせたりして楽しんでいました。新顔の私もやられ、苦笑いしました。ハロウィンを意識して、怖い振り付け?などもやって、それも面白かったです。ダンスは上手で11月に大会があると言っていました。おじさんなんて言ってごめんなさい。私よりずっと若いです。私がおばあさんなもんで。課題本はすべて読み終えたので、ようやく自分の好みの読書に入ります。でも結局児童文学なんです。今はそのモードに入っているので、どうにも止まりません。先月読みかけて、課題本の多さに挫折していた「ムーミン谷の彗星」を借り直してきました。それから「マチルダは小さな大天才」も借りてきました。図書館で借りた方が、期限内に読もうとするので積ん読にならず、読書量が増えています。そうそう、最後に読んだ「ラッキーボトル号の冒険」面白かったです。漂流記はやはり楽しい。こどものころ、15少年漂流記やロビンソン・クルーソーを夢中で読んだのを思い出します。ラッキーボトル号は現代版です。漂流して、孤島に流れ着き…先人が一人いたので無人島ではありませんでしたけれど。なんと宝の山も発掘できちゃいます。たくさんの金貨!そしてはたと気付くのです。こんなにたくさんの金貨、この孤島ではなんの価値もないのです。これは大人が読んでもいい児童文学ですね。お金がいくらあっても孤独では幸せになれない。でも少年は、ラッキーの石を持っているのです。だから、苦労はしてもラッキーの石に守られて無事、ボトル号で帰宅できました。ラッキーの石というのは、一見恵まれない子どもたちにもたらされることが多いそうです。私、恵まれない子どもだったのに、持ってなかったなあ。そして、今、私のラッキーってなに?やはり愛情とか友情なんだろうな。でも私はひとりぼっち。そんなことを思いながら帰宅すると…ラッキーはあるじゃありませんか。ここちゃんは私の愛情であり、友達なんです。神様はちゃんと私にもラッキーをくれていた!そして思い返すと、私は猫や犬から、お金に換えられない大きな幸せをもらってきました。彼らは私がいい人じゃなくたって、不器用だって、愛してくれるのです。信じてくれる。これが私の最高のラッキーなのでした。運動もまあ、新顔ですし、一人無言でやっていますが、新しいジムもなんだかラッキーを呼んでくれそうです。残念なレッスンは一つもありませんでしたし、人とほどよい距離を保って運動できるのも幸せです。
October 5, 2024
コメント(2)
久しぶりの投稿です。いろいろありすぎて現実を直視できないときもありましたが、また心療内科通いを始めました。昨年とは病院を変えました。昨年の病院も良かったのですが、薬が合わないように感じていたのと、先生が若すぎて、本音を言いにくかったというのもあります。今度は30代のとき、悩んでいたころに通っていた病院に戻りました。院長先生は年輩で、私の父よりは若いけれど、どちらかというとそちらの年代の先生。ゆっくり話を聞いてくれるし、よく眠れるようになりました。前回、ジム活が、楽しいと書いたのでよけいに書きにくくなっていましたが、いろいろありまして、ジムを変えました。私は膝関節症も、あるので、プール付きで近隣の方がいいだろうと判断しました。前のジムは好きなインストラクターもいたし、フラが充実していたので迷いましたが、私も年です。足のリハビリをしなければ好きなダンスも続けられません。何ヵ所か体験して、結局古巣?以前通っていたところに戻りました。ここも不満はなかったのですが、フラをやれないので辞めたのです。でもまあ、私も嘱託となり、平日休みも増えましたから、平日昼間、週に一回くらいはフラもやれそうだし、やはり、ネックはプールですね。プールもやるとなったら目標を決めて「疲れない泳ぎ方」を自分なりにマスターしたいと思います。ここもフラ以外はダンスプログラムは多いし、ヨガも常温からホットヨガまであります。サウナもあるし…実は暑くてサウナに長居できないのですが、体温を上げたいので頑張ります!読書量はとにかく増えました。休日は隙間を見ては…ジムの待ち時間も利用しながら読書を楽しんでいます。幸い、今のところ、視力は大丈夫なので楽しんで読んでいます。仕事と関連したものを読むので新刊の児童文学が多いですが、知らなかった作家さんの本を読むのも楽しいです。苦労話はここではあまり、書けませんが、読書とスポーツの秋にしたいと思っています。時々読書感想文を載せるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
October 1, 2024
コメント(2)
週末なのだが、不規則勤務のため、曜日感覚をなくしている。今週も頑張った…ジム活。行かなかったのは火曜日のみ。でもちょっとバテてるかも?今日は久しぶりに常温のヨガに参加した。冷房が効いているところで、ヨガってなんて幸せなんだろう!でも出来ないのはどっちも同じだが。ホットヨガはこの時期、入室したとたんに後悔する。暑すぎる!そうでなくても暑いのに。運動を始める前から汗が吹き出す。でも、また行ってしまう。好きな友達がいたり、好きなインストラクターだったりするのが理由なのだが。営業とは言え、「今日も来てくれたのね!」と笑顔で迎えられると、つい、張り切ってしまう。私は膝サポーターを付けて参加するので、「膝は大丈夫でしたか?」と毎回、労われる。いやー、出来なかったのは腹筋や腕力の部分なので申し訳ない。フラはどのインストラクターでも時間が合えば参加する。どうしたら、柔らかい動きが出せるのかなあとロボット体操のような自分の姿を鏡で見てはがっかり。でも、振り付けを少しずつ覚えていくのは楽しい。ラテンダンスの方は大変なことになっている。毎回筋肉痛を起こしている。足さばき、めちゃくちゃ、とにかく左右だけは間違えないように、誤魔化すのに必死。こちらも爆汗。でもだんだんハイになっていき、ついていっているつもりになるのが楽しい。まあ、私は汗をかくのが好きなんだろう…多分。家ではぐったりしてますが、こんなことができるのも今のうち!明日は日曜日出勤です。頑張ります!
July 13, 2024
コメント(2)
赤木かんこさんの2014年に書かれた「今こそ読みたい児童文学100」を駆け足で読んでいます。やだー、どれもこれも読みたくなる!再読したくなる!小学生時代はかなりの読書量だったと思いますが、今のように徒歩圏に図書館のある時代ではありませんでした。だから、同じ本をかなりくりかえし読んでいたわけです。今と違うのは、徒歩圏内に本屋さんはありました。今は図書館はあっても、本屋さんが近くにはないんですよ。これはこれで不便だと感じていますし、本屋さんのない街はその地域の文化度を表しているんだなと思います。こども時代、自分のお小遣いで買えるのは月に一冊が限度。学校の図書室もそんなに蔵書は多くなく、借りやすい雰囲気でもなかった。となると、友達の持っているお宝本を借り、それでも足りずに兄の友達の本まで図々しく借りに行きました。あとは、父の気が向くと時々買ってもらえました。当時は児童名作文学全集がブームで、分厚い本の中に名作がいくつも入っているのです。載せきれないから、ところどころはしょっていましたが、この全集で、私はニルスやハイジ、若草物語、赤毛のアンなどを知ったわけです。ところどころ省いていることに気付いて、赤毛のアンなどは自分で完訳ものを買い直しましたけどね。中国の「魔法のひょうたん」なども面白くて好きでした。叔母は仕事の関係で児童書に詳しかったため、会えるときは本を買ってくれたり貸してくれたりしました。石井桃子さんはそれで知りました。前置きが長過ぎですが、何が言いたいかと言うと読み損ねているもの、完訳を再読したいものが、赤木かんこさんによっていっぱい紹介されているわけです。「読み損ねていて、読みたいものリスト」ムーミン谷の11月飛ぶ教室マイゴーストアンクル海底二万里長い長いお医者さんの話マチルダは小さな大天才橋の下のこどもたち「読み直したいもの」銀のスケートクオレ少女パレアナざっとこんなところでしょうか。余命いかほど?どれくらい読めるかな?昨日のホットヨガ「棒のポーズ」で、本日ふくらはぎが強烈な筋肉痛を起こしました。ヨガで筋肉痛起こすわけないと思う方、ぜひ挑戦してみてください。来週はこの棒のポーズに引き続き出てくる板のポーズ(昨日はへたれて腹這いになってしまったポーズ)ができるようになるといいな。棒とか板とかなんだ?と思われる方、説明が難しいのですが、棒のポーズは肘をついて、つま先を床につき、全身を斜め一直線にキープ。板のポーズはさらに難度アップで、肘をつかず、腕を斜め45度くらいに伸ばして全身を支えます。(私は腹這いになっちゃいました)これを酷暑、熱気、湿度ムンムンの中でやるって相当ハード。イントラさんは人気の方で、優しいのですが、本格的なヨガインストラクターです。なので、やることは結構ハードかも。もちろん、リラックス系もあるのですが、時間的にハードな方にしか参加できません。若い娘でさえ、板のポーズはキツイそうですから、還暦過ぎの私は…いいえ、まだまだやりたいことがたくさんあるんです。だから健康でいたいし、体力欲しいです。私の年齢は個人差がかなり大きく、足腰を悪くして杖が必要になる人もいれば、まだまだ元気に登山しちゃう人もたくさん。体を悪くしては元も子もありませんが、運動を続けている人がやはり元気度高い。気を抜くといっきに筋肉落ちるし、脂肪だらけになりますので、やはり引き締めていかないと。元気に仕事をして、読書も続けたければね!
June 29, 2024
コメント(2)
昨日からホットヨガ復活、3週間ぶりです。最初の10分間がキツかった。暑くて暑くて呼吸困難に陥る。慌ててイオン飲料を飲むものの、最近お腹を壊しやすいから、常温の飲料。これがホットの部屋で暖まり、お湯を飲んでいるかのような気分に。だんだん、恍惚としてきた。ほーら、嫌なことも悲しいこともみんな忘れちゃう!脳内は幸せなのに、水分を採れなくなってくる…ヤバい、これ、熱中症じゃないか。飲まなきゃ、飲まなきゃ、でも飲めない。こんな気持ち悪いお湯なんか飲めない。熱中症かな、まずいな。でも指示通り動いちゃう。ずっとサボっていたのに、前回より私、腹筋あるじゃん、なんて汗みどろになりながら、自分を褒め称える。何とか終わったら、イントラさん、私のすごい汗の量に驚いていました。ちょっとクラクラです。今度から、ホットの時は冷たい飲料にしよう、と深く反省。そして本日はキンキンに冷えたイオン飲料持参。私は、ただの水やお茶はあまりたくさん飲めないのです。今日のは昨日のより難しかった。棒のポーズから板?よくわからなかったけど、棒のポーズをキープしたあと、へたばってマットの上に沈んでしまった。「ちょっと、みんな、頑張ってよー」イントラさんの声に苦笑い。腕に力がもう残ってないんだもん。でもイントラさんがそう言うってことは私だけじゃなかったのね、沈んでたのは。体重がほんの少し減ってたけど、夕飯食べたら元通りだ。ホットヨガは体力要るなあ。いつまで続けられるやら。特に夏は!実はホットヨガで順調に体重を落としている娘の話を聞いて欲が出たのです。20代と張り合ってどないするねんって感じですけど。でも今日は一ヶ月ぶりに整体に行って体がほぐれました。気持ちよかった。背中が丸くなってて首も凝ってると言われました。息苦しさはそのせい?リンパデトックスヨガもやらないと!リンパの流れが悪いせいだと思いますから。曜日感覚めちゃくちゃになってますが、明日の土曜日は出勤だ。ファイト!
June 28, 2024
コメント(0)
約一ヶ月遅れの誕生日祝いを娘がしてくれました。遅れたのは私が土日勤務が多くて、娘と予定を合わせられなかったからです。「どこに行きたい?」と聞かれて迷わず「動物園!」。本当はフルタイム勤務を止めたら、動物園、水族館三昧をしようと思っていたのです。でも、意に反して、休日の私はなかなか起き上がれず、一人で行く元気はありませんでした。水族館は三回くらい行きましたけど、動物園がまだだったのです。娘とこの動物園に来たのは20年も前のこと。かなり頻繁に連れて行きました。あの頃の娘は屋外なのをいいことに、ろくに動物を見ないで、マラソン大会みたいに走り回るので、大変でした。今となっては懐かしい思い出です。その娘が、今度は母を喜ばせるために動物園に付き合ってくれるというのですから、感慨深いです。娘とこの動物園に来たのは20年も前のこと。かなり頻繁に連れて行きました。あの頃の娘は屋外なのをいいことに、ろくに動物を見ないで、マラソン大会みたいに走り回るので、大変でした。今となっては懐かしい思い出です。その娘が、今度は母を喜ばせるために動物園に付き合ってくれるというのですから、感慨深いです。リーリーです。シャオシャオとレイレイは人気過ぎて、かなり並ばなくてはならず、諦めました。でもリーリーだってすごく可愛いです。無心に笹竹を頬張る姿、ちゃんとお客様の方を向いてくれて、サービス精神があります。さすがベテラン!娘と私の意外な共通点。サルはいくら見ても飽きないのです。猿山は臭くて嫌だという人もいますが、動物園で臭いがするのは当たり前というのが私と娘の共通認識です。ミーアキャットも可愛い。トラは痩せてる?カンガルーがピョンピョン跳び跳ねていました。ナムル猫。山猫なんですが、もう、イエネコと同じくらい可愛い。ゴリラはソッポを向いていてうまく写真が撮れませんでした。キリンもシロクマもうまく撮影できませんでしたが、見られたので良しとします。土曜日でしたが3時から見たのでそれほどの人混みでもなく、ただ、駆け足で廻らなくてはなりませんでした。今度、平日にゆっくり来たいと思います。その後予約していたかに道楽でフルコース。この後、松坂屋へ行きました。娘が私にバッグをプレゼントしたいと言ってくれたのですが、バッグのコーナーは7時に閉店してしまったので残念でした。かなり歩きましたね。御徒町のアメ横、飲み屋街は大盛況でしたが、もうお腹いっぱい。そして、ここはどこの国?と思うほど外国人だらけでした。娘が私を楽しませようと精一杯頑張ってくれたので、素直に嬉しいです。娘の結婚生活は一時期波乱万丈したので心配しましたが、一応平穏を取り戻したようで安心しました。ま、結婚生活は甘いことばかりではないのでお互い努力していってくれればと思います。娘は現在ホットヨガにハマり中で、週に五回も行くときがあるようです。家事は大丈夫かなと思いましたが、DINKSあるある?仕事も順調で、楽しいそうですが、何しろ残業が多いので、子どもを持つことがあったら転職するかもと、また不安を抱く発言をしていました。まあ、娘の選択を信じましょう。元気が出ました。あんな、ご馳走を食べたのですからね。娘はホットヨガに、燃えていますから私もじむをがんばろうっと。
June 23, 2024
コメント(0)
読み終わりました。「サクランボたちの幸せな丘」と「ブリットーマリーはただいま幸せ」どちらもリンドグレーンの初期の作品です。リンドグレーンが初めて書いたのは「ながくつしたのピッピ」ですが、出版社から突き返されてしまいました。それで、ティーンエイジャー向けの作品を募集していた部門に「ブリットーマリーはただいま幸せ」を書いたら一位受賞で、初出版となりました。ピッピも手直しして、その後受賞して出版となり、これが大ヒット。探偵ものも募集していたので「名探偵カッレくん」を書き、これも受賞。以来、リンドグレーンは公募に応募することはなくなりました。次々に作品依頼が来たからです。日本ではブリットーマリーは翻訳されたのが2002年のため、私は子ども時代に読むことはできませんでした。どちらの作品も「やかまし村」の小学生たちがティーンエイジャーになったら、こういうふうに育ったんだろうなあと思い、52年ぶりにやかまし村のこどもたちの成長を知ったような感じです。もっとも、やかまし村の方が後で書かれているんですけどね。だから、リンドグレーンの子ども時代や思春期を読んでいるかのようでした。実際のリンドグレーンは内気で慎重だったらしく、活発で強い女の子というのはリンドグレーンの憧れだったのかもしれません。北欧は冬が長く、厳しいのでしょう。だから、春や夏への喜びにあふれています。行ったことのないスウェーデン、でもその自然の美しさは子どもの頃からリンドグレーンに教えてもらって、私の脳裏に刻まれています。ティーンエイジャーどころか、シルバー世代の私ですが、読んでいると気持ちがティーンエイジャーに戻ります。やかまし村との違いは、ほのかな恋心があちこちに描かれているところですね。でも家族愛に満ち溢れているところは同じです。ユーモアに溢れた一家、いたずら好きな弟たちのやること、なすこと、この辺もやかまし村に似ています。お姉ちゃんの恋路を面白がって、弟がついてまわって冷やかし、後ろからアコーディオンでめちゃくちゃを弾いて歩き、ロマンチックぶち壊しにするところなど、大笑いしてしまいます。私は20代のとき、ひょんなことからインテリみたいな男性とお付き合いしていた時代がありました。お互い、本好きということでは気が合いましたが、子ども時代に読んでいた本が全然違いました。私がリンドグレーンを好きだったというと彼は「僕はそういう子どもっぽい本は読めなくてね。小学生のときからドストエフスキーを読んでいたから」と言うのです。ドストエフスキー?私は高校生になって「罪と罰」を読んで、かなり疲れました、という程度の読解力です。だけど、私はリンドグレーンを楽しめる小学生で良かった!とそのとき、心から思いました。もちろん、何歳で読んでもいいのですが、感性豊かな時期に読めたのは幸せです。べつにそれで別れたわけでもありませんが、その人とは結局お付き合いをやめました。頭はいいのかも知れませんがネガティブ過ぎたので。この二冊も子ども時代に読めていたらなあ!ティーンエイジャーになることをどれほど心待ちにできたことか。好きな人と美しい川辺を散歩するとかダンスパーティで踊るとか!あ、日本ではダンスがそんなに普及してなかったか。欧米のダンスパーティはどの作家さんのを読んでも楽しそうです。リンドグレーンはいくつになっても踊り続けたいと思うほど、ダンスが大好きだったようで、楽しそうに描かれています。子ども時代に読めなかったけど、死ぬ前に読めて良かったな!シルバーになっても気持ちが若返りますよ。図書館にはあると思うので、興味のある方、かつてリンドグレーンが好きだった方にはお薦めします。そしてシルバーになっても、リンドグレーンが言った通り、ダンスは楽しいものです!たとえ翌日、筋肉痛に悩まされることになってもね。
June 20, 2024
コメント(2)
昨日は小学生の作文のような時系列な書き方をしてしまった。かなり疲れていたので、昨日はお休みで本当に良かった。昨日は10年ぶりの名古屋と書いたが正確には11年ぶりの名古屋。新幹線も11年ぶりだ。そう書くと11年間どこにも行かなかったようだが、特急電車や飛行機には乗っている。新幹線に乗っていなかったのだ。私の母の実家が滋賀県だったので、子ども時代はよく新幹線に乗っていた。こだまかひかり号である。指定席は高いので、自由席。これが、土日の夕方なんて激混みなため、座れず、立っているという非常に疲れる旅だった。幼い私は脚力も弱く、健脚な母や兄のように立ち続けられず、へなへなと通路に座り込んでしまったのを覚えている。母も心得ていて、私は出された新聞紙の上にへたれこんでいた。貧乏ったらしいというか、それも許容されるというところが昭和チックである。小学校3年生のときに、初めて兄と二人で新幹線に乗ったのも覚えている。さすがにこれは指定席だった。なぜかというと、何号車の指定席に乗ったか祖母にあらかじめ知らせておかなければいけなかったからだ。そうすれば大津駅に到着して新幹線を降りたら、そのホームの降りた場所に祖母が待っている…はずだった。時間も母が念を押して祖母に知らせている。祖母は60代くらいではなかったか。まだボケるような年でもなかった。「降りたらおばあちゃんがそこで待っているから」と母に言われていて、私たちは新幹線に乗っていれば大丈夫、という手はずだった。降りたら、誰もいなかった。祖母の家は、そこから多賀線という電車に乗らなければ行けないのだが、私たちにはわからない。あの誰もいない新幹線ホームのことは忘れられない。降りる人も殆どいない。人っ子一人いないホームで、一瞬不安に駆られた。しかし、当時中一だった兄は極度の対人不安があり、知らない人とは口を利けないということをすぐに思い出した。兄には頼れない。「お兄ちゃん、駅員さんに聞こう」と言っても兄はもじもじしている。まあ、こんなことは慣れっこだ。私は駅員を探し、「降りたら待っているはずの祖母がいないんです」と訴えた。駅長室に連れて行かれた。兄は私の後ろに隠れてしまったので、説明はすべて私がした。東京の住所、電話番号、自分達の名前と祖母の名前など聞かれたことに答えただけではあるが。駅員さんは、兄が一言も発しないことに違和感を感じたように私たちを見ていたが、構内アナウンスをかけてくれた。東京から来た兄妹が、祖母を待っているので駅長室に来てください、と。やがて決まり悪そうに祖母が駅長室に現れた。時間を間違えたか、場所を間違えたか、理由は聞いていない。その時、駅長さんが「下の女の子はえらくしっかりしてますなあ」と私を褒めたのが祖母はちょっと気に入らないようだった。祖母は兄の対人恐怖症を知らなかったし、明治生まれだから、女の子が兄を差し置いてペラペラ喋っていたなんてとんでもないでしゃばりだと思ったのだ。だって、兄は知らない人が極度に苦手なんだから仕方ないではないか。それでも祖母が来てホッとした。さすがに自分だけではローカル線の多賀線なんて乗りこなせない。昔は本数も少なかったし、乗り変え方もわからなかった。祖母は私が兄を差し置いて生意気だと母に文句を後日言ったが、母も兄が喋らないのは百も承知。私が説明せざるを得なかったのは当然のことであり、それよりあんなに言ったのにホームにいなかったとはなにごとだと母は言い返していた。あれは9才のときだから、53年も経ったのか。駅長さんからしっかりものと褒められた女の子は、名古屋でも迷いっぱなしのボケばあさんになっていました。無事に帰って来られたのは友達がしっかり者だったからです。私はばあちゃんに似たのだろうか。今でも新幹線に乗るとドキドキする。「名古屋の次は京都です」なんてアナウンスされるとヒヤッとする。降り損ねて京都に行ってしまったらどうしよう!京都の日帰りもできないことはないが、乗り過ごしたら、修学旅行以来行ったことのない京都になってしまうのだ。名古屋で降りられたときはホッとした。帰りの新幹線は安心。乗り過ごすことはない。終点は東京なのだから。そして相変わらず、指定席をケチって自由席だったが、無事に行き帰り座れた。今時、新聞紙の上にへたれこんだら、ただの変人なので、空いていて本当に良かった。私の友達、ご苦労様。高校の友達なので私の方向音痴は熟知してくれているので本当に助かる。9才のとき、しっかり者と言われたのに、駅長さん、人を見る目がありませんでしたね。いつか、京都や滋賀県にもまた行ってみたいんだけど…兄は対人恐怖症だったけど、兄との夏休みは本当に楽しかったから。私の京都行きは付き合ってくれる人がいなさそうです。だって、私が行きたいのは祇園なんだもの。これも理由を書くと長くなるから、私の新幹線物語はこれでおしまいです。
June 15, 2024
コメント(2)
昨日は名古屋日帰り弾丸旅行へ行ってきました。六時半の新幹線のぞみに乗り、8時に名古屋到着!駅構内のきしめんを食べた上に、名古屋風朝ごはんも捨てがたく、ぴよりんプリンとセットになったあんバタートーストも。そして地下鉄周遊券を買って、栄や金町を乗り継ぎながら名古屋港到着。わーい、海だ!でもここの海、磯の香りがしない。ちょっと不思議でした。さっそく水族館へ。おや、イルカのショーが始まってしまう!見事、見事。ジャンプする瞬間を一生懸命、撮影しようとしますが速すぎて無理でした。あんまりカメラにこだわるとショーを楽しめないから途中で諦めました。この目でしっかり楽しんだ方がいい。ベテランのイルカさんたちで、泳ぐのもジャンプ、お辞儀も板についています。何よりも愛くるしい。それにしてもあんなに泳ぐのが速いとは知りませんでした。陸のチーターのよう。その後、シャチのトレーニング、ペンギンのフィーディングなど、催し物は全部見ちゃいました。都内ではなかなかここまでは見られないので。私は俄然プールに入りたくなりました。イルカと泳げたらいいなあ。シャチは…食べられちゃうかもしれないから止めときます…でもシャチも頭がいいし、カッコ良かったです。カメも大きくて、優雅でした。カメって可愛いです。呼ぶとこちらを向くのです。それは小さいカメでしたけど。深海魚のコーナーでは、照明をつけたり消したりすることができ、明るくしてみると実は深海魚も意外にカラフルだとわかりました。暗いので赤い色でも補食されないからだそうです。勉強になりました。なんだかんだと3時くらいまで水族館にいて、熱田神宮へ向かいました。もちろん、お目当ては熱田神宮店のひつまぶし。朝ごはんを二回食べているのでお昼ごはんは食べていません。神宮を見てからお店に、と思いましたが、こんな平日でも開店の4時半前には行列。神宮を後回しにして、並びました。10年ぶりに食べたひつまぶしはやっぱり、ばりっとしていて、心から幸せだと思える味でした。食べ終わって5時半過ぎでも明るかったので、神宮を参拝に。人も多く、カラスがのんびり歩いていて、夕方と思えなかったです。蚊に刺されましたが。お土産を買いながら地下鉄の駅に向かいます。友達は家族に「きよの」の和菓子を買いたいということで、芸術的な和菓子を見させて頂きました。日持ちの関係で私は買いませんでしたが、友達は上品な和菓子を購入。商店街を抜けて来たときと違う駅に出ようとしましたが、ちょっと遠かった。Googleマップに助けてもらいました。地下鉄周遊券で動いていたのでJRでは困るのです。そして慣れたつもりで、金町で乗り換えようとしたら、あら?名古屋行きがありません。駅員さんに聞いて乗り換えるのは栄だと言われ、そうだったと思い出しました。無事名古屋について、また少しお土産を買い、のぞみに乗ったら東京到着は9時少し前。ありゃー結構弾丸だったし、よく歩きましたわ。名古屋お気に入りの友達は次回はジブリに来ようと言っています。今日はさすがに、つかれていて、ホットヨガには参加できず💦フラだけ参加してきました。明日から仕事です。10年ぶりの名古屋、楽しかったです。
June 14, 2024
コメント(0)
全2228件 (2228件中 1-50件目)