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桃太郎715

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September 22, 2017
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カテゴリ: カテゴリ未分類
木曜日はアクアビクスと決めたから行った。もうこれはリハビリなのである。それくらい体力が落ちている。プールほどリハビリに合うものはない。何せ今の私には地上で飛んだり跳ねたりは無理なのだ。腰を痛めるのが関の山といったところ。

ヨガも考えたがフィットネスクラブのヨガは意外にハードだ。飛んだり跳ねたりはしないが、柔軟性すら失っている私は曲がったかちかちの肉の塊、脂肪の塊。伸ばしたり曲げたりすると痛みが走る。

ホットヨガは体力のない人には無理だ。あれは体力のある人がダイエットを目的にやるものである、と感じた。アメリカで大人気らしい。

しかし、水の中では私は身軽になる。自由になる。リハビリに使われるというのは納得できる。

飛んだり跳ねたり足を上げたりアクアミットをつけて腕にも負荷をかける。

それでも動けちゃうから別人になったみたい。地上では無理なんだから当面体力が快復するまで、この木曜日夜のリハビリは必須である。八時からなので残業してからでも参加できるのが木曜日の魅力なのである。

フラダンスはやっぱりとにかく一ヶ月は続けてみたい。
アクアビクスよりはハードではないし40分と短いし、ハワイアン聴きながら踊るのは精神的にもかなり、癒されそうで、ぜひぜひ、続けてみたいと意気込んでいる。


唐だのリハビリも大事だが心のリハビリも平行していかなくてはと思っている。



そんな、話をきいて私は言葉が出なかった。


そうか、
普通の家では初出産を終えた娘を労るんだ。孫を見たいから里帰りさせるんじゃないんだ。

19年前の里帰りを思い出す。
私を労る気など更々なく、相変わらず毒舌はきまくりだった母。新生児の前で罵声と怒鳴り声が響き渡る。確かに食事などは作ってもらったが、食べるたびに嫌みを言い、赤ちゃんを抱く娘を見て「ばかみたい」とさげすむ。私の母世代は抱きぐせがつくからと抱かない時代だったので仕方ないと思っていたが泣いてもいない新生児を抱いて子守唄を歌う私を母は心底ばかにしていた。

当時の職場は上司に理解がなく、産後一ヶ月も立たない私に書類を届けるよう電話で命令された。母に頼んで職場に行かなくてはならなかった。郵送でもいいことだったのだが、上司は来るのが大変なら母親に持ってこさせるようにと命じてきた。

母は「なんで、わたしが?菓子おり持っていくわけ?」と毒づいたので私は張るお乳を気にしながら母にミルクを頼んで電車にのっていった。そこでさんざん、嫌みを言われ(今ならモラハラと言われるような上司)泣きながら帰宅した.

泣く私を見て母の言ったことは「上司の言うことなら何でも聞くのね」とおこりだし、「これからは、私を上司と思え」と、傷に塩を塗るようなことを言った。産後の娘が不安定だとかそんなことは母にはどうでも良かったのだ。

こんな、里帰りは嫌だ。早く自分の家に帰りたくて二週間で引き上げた。その時に手紙を渡された。

帰宅して読んでみると恨み辛みの内容だった。世話してやったのに母の希望の名前をつけなかった。そんな名前の赤ちゃんを呼ぶこともできないし今後世話もしたくない。助けがほしかったらベビーシッターを頼むように。こちらはいっさい助ける気はない。名前も呼べない赤ちゃんなど世話をしたくないから、という内容だった。母が口述で言って父が代筆していたので、父は母のいうことを、まるのみにしていたのだろう。

私はあまりの、ひどい内容で泣き出した。


自分の孫の名付け親になれなかったから縁を切るなんてこのタイミングで言ってくるなんて、こんなの親じゃない。赤ちゃんを面倒みたくないと言うなら見ないでもらおう、ともと夫はキレていた。手紙はもと夫がビリビリに破いた。

そして、一年三ヶ月私はいっさい実家と連絡をとるのをやめた。たとえ正月が来ても行かなかった。

それこそワンオペ育児となった。もと夫は夜中まで帰ってこなかったから。

それでももと夫は家事を手伝ってくれて一カ月検診にはついてきてくれたのでありがたかった。

育児休暇中でも繁忙期は手伝いに行くのがあんもくのお約束なので、もと夫に無理やり仕事を休んでもらったこともあった。それでも無理なのでベビーホテルに預けようかと迷ったこともあった。その頃ベビーホテルは事故もいろいろ報告されていてどうしても預ける勇気がなく、子連れ出勤して嫌な顔をされたことも。単なるお手伝いで豊洲はいっさいない。長年、この時期は実家の母親に育児を頼んで職場に手伝いにくるという悪習が残っていたのだ。今ではそんなのはないが。




一年三ヶ月後、あまりに無視をきめこむことの罪悪感に負けて私の方から会いに行った。そしてまた母の支配下に落ちたのである。あの頃の私はまだ知識がなかった。毒親なんて言葉もない時代だ。

知っていればあのまま縁を切っていたのに。

つまりあたしは産後ふつう優しくケアされるのは普通のことらしいのに、ここでも虐められてすごし、強烈な手紙まで渡されそうでなくてもマタニティブルーの時期なのに打ちのめされるだけたったのだ。

そっか
産後ってやさしくしてもらえる時期なんだ。知らなかった。

あたしは、むすめが出産する時があったら気持ちよく手助けできる母でありたい。それを恩に着せるようなことは絶対するまい、と、心に誓った。、

でも、体力なかったら手伝いたくても無理だろう。

一生懸命リハビリして体力を附けたい。





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Last updated  September 22, 2017 02:17:40 AM
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