ソクラテスの日記
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ブログを再開するにあたり、今度こそは定期的な更新をするぞ~! と、堅く(?)誓ってから散々な更新っぷりである。気付けば4ヶ月の御無沙汰となり、寒かったはずの外気も今じゃまるで初夏。色々あっての今日を迎えた。先ず、御心配頂いていたタマはお陰様で小康状態である。糖尿病に関しては投薬で対処しているものの、空腹時の血糖値は400を超え、その後の血液検査でもケトンはまだ検出されずと言った状況なのだが、悪い事に合併症と思われる白内障を発症しており、膵炎も見つかり、どう考えても長い余生は期待できそうに無いことが分かってしまった。また、時折登場していた「いらんことしぃ」が4月に他界した。享年64歳だった。凡そ2ヶ月の闘病生活だったが、最後の手術からついに目を覚まさぬまま彼の世へ逝ってしまった。残された様々な「モノ」の整理が一気に押し寄せて来たわけで、、、の4ヶ月であった。すっかり整理するには4ヶ月と言う期間はあまりにも短い。これまでに何匹もの猫達の死を見届けた。猫達の死はただただ悲しいの一言に尽きるのだが、人間の死はそうも行かない。忽ち葬儀の段取りに始まり、遺言状は有ったのか無かったのか、相続だの、やれ保険だの、と第三者も交えての「混乱」が続く。このブログを見ている人達はまだ年代も若くて、万一の時のために準備している人は少ないかもしれない。が、「死」は生を受けたその時から、何れは必ずやって来るものである。配偶者に、親に、兄弟に、子供に、そしてアニマルパートナーにも、自分が死ぬことでどんなことが待ち受けているのか一度は考えてみる必要はあると思う。それを受けてと言う事ではないのだが、この数年、ずっと考えていたことがある。高齢者とアニマルパートナーの問題である。いや、高齢者とは限定せず、様々な事情で一緒に生活できなくなる全てのケースと言うべきだろう。所謂「ペット可物件」については年々増加傾向にあるものの、終の棲家となるべき福祉施設等に於いての動物との同居はかなり限られている。特に老いて飼う「ペット」はまさに伴侶とも言えるべき存在であろうと察するが、こうした施設に入居するとなると親族や知り合いに引き取られるケースが多い。他ならぬ「いらんことしぃ」も入院するに当って猫達のことをずっと気にかけていて、人との係わり合いの中では他に一切弱みを見せなかった彼でさえも、アニマルパートナーの存在は特別な存在だったようだ。最後の手術前には主治医を拝み倒して一時帰宅し、僅か20分ほどではあったけれども猫達を愛でていた事が思い出される。どうしても引き取り手の居ない「ペット」は保健所へ行かざるを得ないケースもあろうかと思うが「伴侶」との別れはどれほど辛いか、、、全く想像するに耐えない。何とかならないものだろうか。。。自らも親の介護や後継者不足、年金受給金額の減少と云う時代の中に居て、どのような老後がイメージできるかと言えば、はっきり言って必ずしも楽天的な明るいイメージとは程遠い。けれども、そんな中でも明るい一筋の光があるならぱ、そこに向かって走り出すしかないのではないかとも思っている。「Quality of life(クオリティ・オブ・ライフ)」は私自身闘病生活を余儀なくされて以降、信条の1つとして掲げる言葉だ。これは闘病中の痛みの中に居て導き出されたものだったのだが、言い換えれば、逆境にあるとき如何にモチベーションを落とすことなく生活して行くか。それを何とか形にしたいと考える今日この頃である。次回の更新の目途はまだはっきりしないのだが、、、徒然なるままに。無論、日々これ「口実」ではなく、「好日」である。「いらんことしぃ」に捧ぐ リンク、物資等、御協力いただける方は何卒宜しくお願いいたします。m(__)m詳細はコチラ 地球生物会議 にほんブログ村にほんブログ村いつもありがとうございます。
Jun 24, 2015
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