モノスキー日記

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2005年11月15日
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☆━━……‥‥ 講話 ‥‥……━━☆

呉市倫理法人会 事務長
     三苫 浩様

みなさんおはようございます。
ヒロシです。(会場笑い)

県のモーニングセミナー委員長の?さんから、必ず一番に
「ヒロシです」というように言われていました。

今日は、吉岡副会長にご縁をいただいて、
このような機会をいただきましたありがとうございます。



三笘という漢字を読めた方は少ないと思います。
呉市には2軒ありました。

ある日突然先方から、電話がありました。
どちらのご出身ですかと聞かれました。

私は岡山県井原市の出身です。先方は九州のご出身でした。
笘という字は、苫小牧の苫ではなく竹冠の方です。

船の屋根を竹で編んだものを「とま」といいます。
名前から恐らく平家の末裔(まつえい)ではないかと思います。

呉市で生まれて、見たとおりすくすくと過ごしました。
高校の時は、広島市に出てみました。大学は岡山でした。

高校大学で、7年かかって・・・

8年間ずっと、続けたスポーツがあります。

何だと思いますか?(しばし沈黙)
すもうではありません。(会場爆笑)
(梨木注:わたしも相撲だと思った)

ワンダーフォーゲルです。


自然に帰ろうというものです。

日本は自然というと、山ばかりの国ですから、山になったのです。
で、山登りをしていました。

比婆さんとか恐漢山(おそらかん)などをよく登りました。

思い出は「まむし」ですね。

(広島で?)ワンダーフォーゲルの全国大会をしたことがあります。
キャンプサイトでも、結構たくさんいて、前日に20匹駆除して、
全国からの客をお迎えしました。
20匹もとったから安心かというとそうではありませんね。

昨年、富士山へ行きました。添乗のツアーでした。
あれで、2回ほど登りました。1週間に2回でした。
福山に帰るとすぐ次の出発です。

2回とも子供を背負って上りました。
子供は脳の酸素がたくさん必要です。
だからすぐに高山病になって頭が痛くなります。
しかたなく子供を背負って登りました。

3度目は雨にたたられて、8合目まで傘を差して登りました。
8合目でも3000mぐらいです。

3000mというと雲の中です。
雷も上からではなくて、横からも下からもきます。
横から来る、雷は怖いです。

富士山と大山に行くことが多いです。
大山は普通2時間半のコースですが、
私は1時間ちょっとで上がります。

ワンダーフォーゲルと言っても、大学時代にはハードな合宿でした。
3週間ぐらい山に入ります。

北アルプスから中央アルプスを通って、
南アルプスまでほとんど歩きました。
食料は、途中で無くなりますから、デコタイ(でこ隊?)を上げていました。

初日の荷物の重さは、1年生では60kgです。
意地の悪い先輩は、見送りに来てスイカをくれます。
スイカは重く運びにくいです。
すぐに食べて身軽になりたいですが、
どこどこの山で食べている写真を撮れといわれました。

夏は午前中に動きます。
2時には起きて4時には懐中電灯を持って動きます。
12時には次の宿営地に行きます。
でないと午後は、暖かい空気が山を駆け上ってきます。
その空気は入道雲になり、雨がきます。

冬はとんでもない世界です。
水を凍らせない為には、寝袋に入れ抱いて寝ます。
でないと翌朝、調理に使う水が無くなります。

靴は、ぱりぱりに凍ります。テントに入れておいても
テントの中もマイナス20度になります。

怖かったのは大山の冬です。
大山は、標高1711mの山です。
独立峰である為に、天気が変わりやすいです。
登山家の田上さんも大山で亡くなりました。

大山で、登山道を歩いていたのです。私は2番目でした。
前に歩いていた人が、急にいなくなりました。
落ちたのです。どこかにひっかかったから助かったのです。

5m落ちるまでにピッケルで制動をかけないと
落下のスピードがあがって助からないといわれます。

山の隙間から、スキー場が見えたのです。
スキー場のざわめきも届きました。
スキー場を見て、前を見たら前の人がいなくなっていたのです。
危ない事故に遭う一歩手前でした。

7年8年山登りをしていたら、いろんなことがあります。
一人友人を失いました。
四国の石鎚でのことです。死因は心臓麻痺でした。

本題に入ります。
なぜこんなに苦労をして山に登るのかというと、
そこに山があるからと言う人もおられますが、
登山家の気持ちをうまく表現した資料をお配りします。

中西浩さんが話されたものです。
スイスに多くの偉大な登山家が埋葬されている共同墓地があります。
そこの碑に書いてある言葉です。

登山に死せり
 奢侈(しゃし)に死せるに非ず(あらず)
 安逸(あんいつ)に死せるに非ず
 怠惰(たいだ)に死せるに非ず
 無為に死せるに非ず
 彼は登山に死せり

高校時代から山登りをしてみて、なんでこんなに
苦しいことをしているのかと思うこともあります。

山の頂上を達成したときの爽快さや、テントから冬山の夜空をみると
それは美しく、日常の生活で見れるようなものではないです。
山が人を惹きつける魅力だと思います。

私の心情としては、壁にぶち当たっても勇気を持って、
それでも一歩を踏み出せるのは
山登りをしてきたおかげだと思います。

続けて私の将来の夢ですが、私の夢は病院経営です。

いまから15年前になりますが、岩国の生まれで生後すぐ
半年ぐらいの赤ちゃんにたいして、
日本で初めての生体肝移植がありました。


日赤病院のご縁でその手術をされた
すえなが助教授※とお会いすることがありました。
(移植を受けた)すぎもとゆうやちゃん※にも会いました。
 ※永末直文医師  杉本裕弥

当時、生体肝移植はどの大学でも研究されていて、
やればできるレベルにあったのですが、
倫理問題でどこも二の足を踏んでいました。

通常は??に、お伺いを立てなくてはならないのです。

先生は世間からバッシングを受けました。
売名行為だとか、命を実験につかったという批判です。

先生はすぐに「決断」という本を出されました。
その本の中に、救命は臨床医の勤めである。
目の前の命がなくなろうとしているとき、全力を尽くすのが、
臨床医の勤めであると書いておられました。

私がやりたいのは小児救急です。
実は今、小児科の先生が減っています。

いまの健康保険法ではクスリで儲けますので、
子ども相手は儲からないのです。
大きな大学病院でも小児救急を止めるところが増えています。

もちろん病院経営は一人では出来ないことですから、
夢というかライフワークとして、今はネットワーク作りに励んでいます。

最後になりますが、私の仕事は生命保険の販売です。
ファイナンシャルプランナーもやっています。
ファイナンシャルプランナーとはお金のアドバイザーです。

お配りした資料はお土産です。
家計チェックのすすめという小冊子です。
(ソニー生命から出版された小冊子)

私の話がたとえつまらなくても、この本をご覧になれば
役立つことがあるでしょう。

モーニングセミナーに参加される方が、
一人でも増えたらよいかなぁと思います。

福山市倫理法人会がますますご発展されますようお祈りして、
ヒロシのつぶやきを終ります。ありがとうございました。





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Last updated  2005年11月17日 12時30分42秒
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