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自分をコントロール… New! かめおか ゆみこさん

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森の声 @ Re[1]:「魂のはなし」(もう一人の自分)(06/10) めげぞうさんへ >6年生の子どもたちが、…

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森の声

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(私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください。)
<子育てと幼児教育は総合芸術です>

子どもは丸ごと育ちます。
心だけ育てることはできません。
知性だけ育てることもできません。
言葉だけ育てることもできません。
からだだけ育てることもできません。
とにかく丸ごと育つのです。
ですから、
大人も丸ごと子どもと関わる必要があるのです。
そして、丸ごとの学びが必要なのです。


* * *

私は子どもの笑顔、子どもの笑い声が好きです。
ですから、私は子どもの笑顔見たさに、色々なことを考えたり、活動しています。
キーワードは、遊び、子育て、教育、シュタイナー、感覚、からだ、心、生命、造形、仲間作り。
(シュタイナー的ではありますが、シュタイナーの紹介を目的としたものではありません。シュタイナーに共感した部分で書いています。)

* * *

アマゾンの方から以前文庫本で出した「子ども発見」の改訂版を出しました。
詳しくは、 こちらのブログ をご覧になって下さい。

「わらべ歌」 のCD付き冊子も出しています。
子育て関係 の手作り冊子も出しています。

******

他に 「ネネムの森」 というホームページも運営しています。

これは私が茅ケ崎でやっている子ども対象、大人対象の様々な活動の紹介がメインです。
講演会やワークを主催して頂くときの条件なども書いてあります。
随時生徒を募集しています。 お問い合わせ下さい。

* * *
<出張ワークもやっています>

色んな地域、公民館、地区センターで気質、親子遊び、造形ワークショップ、からだ遊びワークショップ、お母さん達の勉強会(気質、子育て)、幼稚園の先生などの勉強会をやっています。
公民館や地区センタに企画を持っていったり、仲間を集めてお呼び頂ければワークの出前をします。お問い合わせ下さい。
みんな体験型のワークショップです。

検討して頂ける方は 「こちら」 をご覧になって下さい。どんなワークをいくらぐらいで呼べるのかが書いてあります。>

ただし、予算が難しい場合は、状況に応じて相談に応じます。お気軽にご相談下さい。

2024.06.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間にとって「痛み」はなかなかやっかいです。
人間以外の生き物は基本的に「痛み」を感じないか、もしくは少ししか感じていないように見えます。

以前、ネコを飼っていたのですが、ネコもあまり痛みを感じないようです。近所の野良猫とケンカして大けがをしたこともあったのですが、痛がっている様子はありませんでした。
見てもらった病院の先生も「ネコは痛みに鈍い」ということをおっしゃっていました。

昆虫なんか足をもがれても泣いたり騒いだりしません。苦しそうな仕草も見せません。ただ色々と不便になっただけです。

人間ほど「痛み」に敏感で「痛み」を恐れる生き物はいないのではないかと思います。
本当にちょっとした痛みでも人間は気にします。
さらには、「からだの痛み」だけでなく「心の痛み」にも敏感です。そして、痛みを感じると意識がそのことに支配されて心とからだの自由が失われてしまいます。
他のことに意識を向けたり、他のことを考えることが出来なくなってしまうのです。



以前お話を聞いた日本画家の女性は、徹夜して夢中になって絵を描いていて、描き終わってほっとしたらなんか足が痛いことに気付いたそうです。そうして見てみたら、足に楊枝が刺さっていたそうです。気付いたらさらに痛くなったそうです。

人間にとって「痛み」は、単に身体的なものではなく、精神的な要素も非常に強いのです。
それはつまり、「心の状態」が「からだの痛みの状態」に非常に大きく影響しているということです。そしてそれは「心」に支配されている人間の特徴でもあります。
人間においては、「心の働き」が「からだの痛み」を消したり、さらに強くしたりするのです。

山登りが大好きで頂上を目指している人は、上っている途中で多少ケガをしてもちょっとのケガなら気にしません。人間は、意識が別のことに向いている時には、それほど痛みを感じないのです。
でも、付き合いで嫌々登らされているような人は、ちょっとのケガでも痛くてしょうがないでしょう。ケガのことばかり考えてしまうでしょう。「ばい菌が入ったらどうしよう」「骨が折れていたらどうしよう」などと考えてしまうかも知れません。周囲の景色や足下の草花を愛でて楽しむなんて心の余裕もありません。

その行為に、意味や目的を感じ、自分の意志で前向きに取り組んでいる時には、その過程で生じる痛みはあまり気にならないものです。痛みは感じていても痛みに支配されることがないのです。
でも、仕方なく嫌々やらされているような時には、ちょっとのケガや痛みでも気になってしまうのです。そして簡単に痛みに支配されてしまいます。


東京都知事選に立候補した小池百合子さんは、公約の一つとして「無痛分娩費用の助成制度の導入」をあげました。
それだけ今、「無痛分娩」を望む人が多いということなんでしょうか。

でも、私の周囲には「痛いことは痛いけど嫌な痛さではなかった」とか、「痛かったけどそれだけ赤ちゃんがいとおしくなった」とか、「痛みを経て赤ちゃんの顔を見た時の喜びが大きかった」という人もいます。
痛みが引いた頃に「また産みたくなってきた」と言う人もいます。

それは山登りに似ているのかも知れません。車やロープウェイで簡単に頂上まで行っても、長い時間をかけて苦労して登っても、「頂上に立っている」という結果は同じです。でも、「喜び」は同じではありません。想い出も全く異なったものになるでしょう。



まあ、どちらを選ぶのかはその人の価値観や生き方の問題ですから私がとやかく言うことは出来ませんが、でも、その価値観や生き方はその後の子育てにも影響してくるでしょう。
「無痛分娩」は可能でも「無痛子育て」は不可能だからです。

「子育ての苦しみ」と前向きに向き合い、発想を切り替えて「子育てを楽しんでしまえ」という子育てをしているお母さんもいます。

そのようなお母さんは子育てを通して色々なことを学び、色々なことを発見し、色々な仲間やつながりを得ようとしています。そういう活動をしていると「子育ての苦しみ」を和らげることが出来るからです。
「痛み」を感じた時には、意識を他のことに向けると「痛み」に束縛されにくくなるのです。



その逆に、その「苦しみ」から逃げようとする子育てをしている人もいます。そのような人は、自分を守るために自分の周りにバリヤーを張っています。お互いにバリヤーを張った状態の仲間作りはしますが、バリヤーを外した仲間作りはしません。

子どもとの間にもバリヤーを張っています。
でも、バリヤー越しの子育てを受けている子はお母さんを通して「自分の成長につながるようなもの」を学ぶことが出来ません。お母さんに肯定されていないのですから、自己肯定感も育ちません。
その結果成長が遅れたり、偏ったりしてしまいます。そして、そのことは子どもが思春期を迎える頃に、「お母さんを苦しめる原因」として大きくなってきます。
「子育ての苦しみ」から逃げようとすればするほど、その苦しみはどんどん大きくなってしまうのです。





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Last updated  2024.06.23 06:39:31
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