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脳の、あほな性質 New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2025.10.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「言葉」を手に入れることは、「自由」を手に入れることです。なぜなら、人の心も、思考も、人間関係も「言葉」によって作られるからです。感覚の働きや行動も、言葉の働きと密接につながっています。真・善・美に対する感覚も「言葉の育ち」と共に育ちます。

時間と空間を感じ、時間と空間の中で物事を感じたり考えたりする能力も「言葉の育ち」と共に育ちます。時間と空間のことを表す言葉を持っていない人が生きている世界には、「時間」も「空間」も存在していないのです。

もっと言えば「木」という言葉を持っていない人が生きている世界には「木」は存在していません。「愛」という言葉を持っていない人が生きている世界には「愛」は存在していません。「命」という言葉を持っていない人が生きている世界には「命」は存在していません。

ただし、「木」という言葉を知っていても、「木」を写真や動画でしか見たことがない子の「木」と、木登りをしたり、木陰で休んだり、木の実を食べたりして木と出会った子の「木」は同じものではありません。

写真や動画でしか見たことがない子の「木」は、「子どもと同じ世界に存在している木」ではなく、「観念上の情報」に過ぎないからです。そのため、ネットをググって出てくる以上のことを「木について」語ることが出来ません。

これは「命」についても同じです。いくら「命は大切だ」と言うことを教えても、実際に「命と出会うような体験」がなければ、それは「命についての情報」に過ぎないのです。そして「情報」には「命」がありません。

「言葉」だけ学んでも、「体験」だけさせても、その両者がちゃんと繋がらなければ「言葉」は生まれないのです。

だから「言葉」を学ぶときには「体験」とセットにして学ぶ必要があるのです。体験がない状態で、写真や動画などだけを見せられて学んだ言葉には「言葉としての能力」がないのです。

森の幼稚園などで、いつも自然と出会っていても、そこに「言葉」がなければ、子どもは自分の周囲にある自然を認識できません。「風がきもちいいね」「落ち葉がいい匂いだね」「木漏れ日がキラキラしてきれいだね」という言葉と、そのような体験が同時に与えられることで、子どもは「自然」を「言葉」を通して認識できるようになるのです。自然の中で積極的に自然と関わりながら、自由に感じ、考え、行動できるようになるのです。



それでも「体験」があれば「言葉」を後からでも学ぶことが出来ます。「あの時、君が拾ったあれがドングリというものなんだよ」と言えば、ドングリを拾った体験のある子は、「ああ、あれがドングリか」と知ることが出来ます。

でも、写真や動画を通して「ドングリ」という知識が先に入ってしまっている子は、目の前にあるドングリに興味を示しません。「ああ、これがドングリね。写真で見て知っているよ」と言うだけでしょう。実際、そういう子がいっぱいいます。

トンカチやノコギリを使っているところを動画で見ただけなのに、「ぼく、使い方知っているよ」と平気で言う子も多いです。そういう子に「じゃあ、やってみな」とやらせても、「あれ、あれ」と言うばかりで全然使えません。そしてすぐにやめてしまいます。

初めてノコギリを見て、初めてノコギリに触れる子は、ノコギリに興味を持ってなんとか工夫しながら使おうとするのですが、なまじ動画で見てしまった子は、動画の通りにやろうとするばかりで、工夫しようとしないのです。だから、実際に体験する前に、写真や動画などで見せない方がいいのです。

ただし、言葉とセットになって出来ている絵本やお話の中で出会うのならOKです。





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Last updated  2025.10.17 08:09:02
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