森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「期待」をてばなして New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2025.11.20
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
私は、自宅では造形教室をしています。絵画、木工、電気工作、羊毛、染色、織り、縫い、何でもやっています。以前は窯(灯油窯)を持っていたので陶芸もやっていました。でも、住宅が建て込んできたので窯に火を入れることが困難になり、陶芸はやめてしまいました。粘土遊びはやっていますけど。

当然、様々な道具を使います。特に木工ではトンカチ、ノコギリを使うのは不可欠です。
でも、その道具の使い方がみんな悲惨な状態です。トンカチでもノコギリでも羊毛のニードルでも、みんな片手だけで扱おうとするのです。粘土を扱うような時も両手を協調させることが苦手です。
また、道具やその対象と対話することなく、自分勝手に、力任せに道具を扱おうとします。ですから、ノコギリは曲がり、ニードルはポキポキ折れます。でも、疲れるだけで作業は進みません。

でも当然、そんなやり方ではうまく出来ません。
だからすぐに「先生持っていて」「先生押さえていて」と言ってきます。両手、両足、からだ、さらに感覚や頭の働きを使えば、大抵のことは一人でなんとかなるのですが、楽に、簡単に、利き手だけで何とかしようとするのでなんともならないのです。
で、私はしょっちゅう「もっと頭を使え」と言っているのですが、その意味が伝わりません。
そもそも一人で何とかしようとする発想自体がないみたいです。

また、トンカチでは釘の向きに向かって真っ直ぐ振り下ろすことが出来ません。そもそも釘に当たらない子も多いです。当たらないのに、思いっきり叩くのです。


ノコギリはただ真っ直ぐに押して、真っ直ぐに引くだけです。下に向かう力はいりますが、左右への力はいりません。でも、その「真っ直ぐに押して、真っ直ぐに引く」ということが出来ない子が非常に多いのです。
実は、ノコギリを上手に使うためには、腕だけでなくからだ全体を統合する必要があるのですが、それが出来ないのです。

子ども達は腕だけで力任せにノコギリを挽こうとします。当然、左右へも力が入ってしまうので、ノコギリが曲がります。また、摩擦でノコギリが動きません。それでいて下への力は入っていないので、いくらやっても切れていきません。手は動かしていますが「切っている」という意識が働いていないのです。
「今自分が何をやっているのか」ということを自覚していないのです。
(子育てでも同じですからね・・・)

当然、そんなことを繰り返しても木に傷が付くだけで全然切れません、そのためすぐに「ノコギリは嫌いだ」「ノコギリはやりたくない」「先生、切って」などと言い出します。
また、ちょっと作業しただけで「肩が痛い」「腰が痛い」などと言い出します。まるで「ご老人」です。

その様な状態の子ども達が多いのですが、昔からではありません。20年前、30年前の子ども達は、みんな普通にノコギリで木を切っていたのです。でも、いつの間にか、上に書いたような状態の子ども達が普通になってしまったのです。

それでも、少なくはなってしまいましたが、いまでも道具の使い方が上手な子もいます。その様な子は幼いときから、思いっきりからだを使って遊んでいた子ばかりです。
ちなみに、道具の使い方が上手な子は精神的に安定しているような気がします。また、構造を理解したり、論理的に考えることも得意なような気がします。

道具の使い方が上手な子は、自分の感覚の働きとの対話が能力が高く、意識を「頭の中」だけでなく「からだの中」にまで広げることが出来るからなのでしょうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.11.20 06:27:12
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: