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自助力 New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2025.12.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
古来から、人間が人間らしく生きるために必要な基準として「真・善・美」という考え方が大切にされてきました。

goo辞書には「真・善・美」に関して以下のように書かれています。
認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。

でも、古来から大切にされてきたこのような考え方も現代人には「価値がないもの」になってしまいました。

まず、AIの進歩で「真」が曖昧になりました。昔の人は「百聞は一見に如かず」と言いましたが、科学の進歩で「本物と区別がつかない偽物」を簡単に創り出すことが出来るようになってしまったからです。

100年以上「真実」を写してきた写真ですら、撮ったその場で簡単に加工して「嘘」を創り出すことが出来るようになりました。AI技術を使えば、高市総理に花笠音頭を躍らせることだって出来てしまいます。皆さんが登場していなくても、皆さんそっくりの顔と姿と声を持ったアバターが登場するリアルな映画だって作ることが出来ます。それでアメリカでは役者の組合が懸念を表明しています。

江戸川コナン君の決め台詞は「真実はいつも一つ」ですが、実際には「人間によって真実と認定されたもの」が「真実」として扱われるだけです。人間による判断が「真実」を決めているのです。そのため「真実」はそれを判断する人によってコロコロ変わります。芥川龍之介の小説 「藪の中」を基に撮った黒沢明監督の 「羅生門」という映画のとおりです。

ちなみに「真実」と「真理」は異なります。「真実」は人間が確定しますが、「真理」の方は人間を超えた存在です。でもそれ故に議論の対象にはなりません。「美」と同じように「真理」を感じることが出来る人には「真理」は存在していますが、感じることが出来ない人には存在していません。そして、人間が作ったものに囲まれて暮らしている現代人は「真理」を感じる感性が萎えてしまっています。「美」を感じる感性も萎えてしまっています。

現代人における「美」は社会的な雰囲気が作りだしている蜃気楼なようなものです。ですからコロコロ変わります。

「善」もまた人それぞれです。ある人にとっての「善」は別の人にとっての「悪」であることもあります。アメリカと戦争していた時、日本人にとってはアメリカの兵隊を殺すのは仲間や国を守るための行為であり、善でした。でも、アメリカ人にとっては日本の兵隊を殺すのが仲間や国を守るための行為であり、善でした。



人々がまだ宗教を信じていた頃は、宗教が「善」を規定していましたが、異なった宗教を信じている人は異なった「善」を信じていました。

現代人は科学を信じていますが、科学は「この世界には唯一の真実も、絶対的に正しい善も存在しない」ということを明らかにしてしまいました。また、「多様性を尊重する」という価値観の元では「善」を一元化する考え方は否定されています。

「美」についても同じです。時代や国や文化が違えば「美」の基準は異なります。男性と女性でも異なります。もっと言えば一人一人異なります。美人コンテストでは美しい人を選びますが、その方法は多数決です。「美」には正解がないからです。

人々がまだ「つながり」を大切に生きていた頃は、その「つながり」が「真・善・美」の基準を与えてくれていました。というか、「真・善・美」を共有することで「つながり」が維持されていたのです。

でも、「つながり」が失われてしまった社会で生きるために必要になるのは「真・善・美」ではなく「お金」です。そして「お金」を得るために必要なのは競争です。「真・善・美」はみんなで共有する必要がありますが、「お金」は共有する必要がないからです。というか共有できません。

そのため、多くの人が、我が子がその競争に勝ち抜くために子どもたちを競争に追い立てています。

でも、幼い頃から競争に追い立てられて育った子は「安心感」も「自己肯定感」も育てることが出来ません。社会に出ても、会社に入っても、結婚しても、子どもが生まれても、他の人と助け合うことが出来ないのです。

現代社会では「社会的に共有された真・善・美」は存在しません。でも、家庭や家族がつながり合い、支え合って、幸せに暮らすためには、少なくとも家族の間では「真・善・美」が共有されている必要があるのです。親子間、夫婦間で競争を始めたら家族は崩壊してしまうからです。

また、子どもたちの群れ遊びの場でも同じです。「群れ遊び」が成り立つためには、仲間同士で「真・善・美」が共有されている必要があるのです。一人一人が自分勝手な「真・善・美」を主張していたら戦いが起きるだけです。

ですから、戦争の悲惨さを伝えるよりも、みんなで一緒に遊ぶ楽しさを伝えることの方が平和を育てる助けになるのです。そしてそのためにはお母さんやお父さんが、自分の価値観、自分の生き方、自分が大切にしていることをはっきりとさせる必要があります。

子どもが他の子をいじめた時にどういう対応をするか。ケンカをした時どういう対応をするか。ドロンコ遊びをした時どういう対応をするか。そういう日常的で些細な関わり合いが、子どもの「真・善・美」の感覚を育ててくれるのです。






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Last updated  2025.12.01 08:24:03
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