東日本大震災、被災地の皆様、心からお見舞い申し上げます。
一夜明けて被災状況が明らかになるにつれて、多くの焼津市民の脳裏には安否が気になる人たちの顔が思い浮かびました。そうです、焼津は同じ水産都市の塩釜、石巻、気仙沼と人も物も交流しているのです。
そして焼津港に出入りする海外巻き網漁船は宮城出身の乗組員が大多数を占めています。今回の地震で太平洋に散らばっていた海外巻き網漁船20数隻は一斉に焼津にとって返しました。故郷を心配するすべての海巻船が焼津で魚を降ろし宮城に向かおうとしたのです。15日には水産庁からは正式の援助物資搬送要請もありました。海巻船の強いところは本船にボートを積んでいること。本船が接岸できなくてもボートで岸に近づくことができるのです。
しかし困ったことに焼津港では20数隻が一斉に水揚げするのは不可能で半分は鹿児島の港に向かうことになりました。乗組員にしてみれば少しでも宮城に近い焼津に入りたかったのでしょうが仕方がありません。焼津から出航したばかりで積み荷のない船は直ちに宮城に向かい、港にいた数隻もすでに援助物資を積んで宮城に向かいました。
昨日は宮城海上保安部から石巻港が接岸できるようになったと連絡があり、沖で待っていた船も今頃続々と石巻港に入港しているでしょう。
下は岸壁に山積みされた支援物資。毛布、寝具、一輪車など現地の様子がわかっている人たちが準備したことが一目でわかります。それ以外にも水産加工品は焼津のお得意の品。段ボールが山積みされていました。
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